刑務所・拘置所・留置施設など拘禁制度の改革 (刑事拘禁制度改革実現本部)
活動の概要
日弁連は、代用監獄の廃止と国際水準に合致した未既決の拘禁制度改革を求めて活動しています。
監獄法は廃止されたが─改革は終わらない
2006年5月24日、受刑者処遇法(「刑事施設及び受刑者の処遇等に関する法律」)が施行され、2007年6月には刑事被収容者処遇法(受刑者処遇法を改正し「刑事収容施設及び被収容者等の処遇等に関する法律」と改称したもの)も成立し、これにより1908年に制定された監獄法が、制定から約100年を経て、ようやく全面的に改正されることとなりました。
しかし、これは終着点ではなく、私たちが求める改革の中間点にすぎません。
1980年に法制審議会は監獄法改正要綱骨子を答申し、1982年、法務省・警察庁が同要綱からさらに後退した内容の拘禁二法案(刑事施設法案、留置施設法案)を国会に提出したのに対し、日弁連は同年、拘禁二法案対策本部を設置し、精力的な活動を展開して、同法案を3度廃案に追い込んできました。
その後、日弁連は、名古屋刑務所事件を発端として法務大臣の下に設置された行刑改革会議が2003年12月に発表した「行刑改革会議提言(PDF形式60KB)」を受けて、日弁連が戦後間もない頃から長年求めてきた監獄法改正に大きくはずみをつけるため、2004年4月、拘禁二法案対策本部を「刑事拘禁制度改革実現本部」と改称し、代用監獄の廃止と国際水準に合致した未既決の拘禁制度改革を求めて、活動してきました。
このたびの法改正では、残念ながら代用監獄の廃止は実現しませんでした。日弁連は、代用監獄の廃止を求めて法案の修正を要求しましたが、現下の過剰収容や、日本の精密司法の下での捜査の必要性等を理由に、代用監獄の廃止は現実的でないとの主張がなされ、代用監獄制度は維持されてしまいました。
しかし、法案審議の過程でも、代用監獄の様々な弊害が指摘され、
杉浦正健法務大臣(当時)も「理想としては代用監獄は廃止すべきである」旨述べたように、代用監獄の弊害は明らかです。
現状の取調べ中心の捜査手続、調書裁判を支え、人質司法を支えているのが、代用監獄制度です。
刑事被収容者処遇法施行後も、代用監獄を利用した取調べにおいて、自白をした被告人が、後に真犯人であったことが明らかになるなど、自白が虚偽であったことが証明される事案が繰り返し発生しています。日弁連は、引き続き刑事手続全体の改革を通じて、代用監獄の廃止を目指しています。
2006年7月、杉浦法務大臣(当時)が被収容人員適正化方策について法制審議会に諮問し、保釈制度改革や社会奉仕命令など未既決の拘禁制度改革に向けた議論が始まりました。代用監獄廃止の障害となっている過剰拘禁問題などの解決に向けた取組として極めて重要です。これは、刑法、刑事訴訟法の改正を含む、刑事手続の大改革になりうるものであり、また、そうでなければなりません。
そして、国連の拷問禁止委員会は、2013年、2007年と繰り返し代用監獄制度の廃止をはじめ、未決拘禁段階での非拘禁化措置や、代用監獄における取調べの規制措置をも含む、刑事司法制度の抜本的な改革を日本政府に勧告しました。しかし、残念なことに、これらの勧告に対して、日本政府は、代用監獄制度の必要性を繰り返すばかりで、廃止の方向性を示そうとしないため、国際社会から厳しい批判にさらされています。
詳しい活動内容や参考情報
- 拘禁二法案の国会提出と拘禁二法案対策本部の設置(1982年~2003年)
- 名古屋刑務所事件から、行刑改革会議、受刑者処遇法成立まで(2003年~2005年)
- 刑事被収容者処遇法の成立(2006年)
- 勾留・保釈制度改革に関する意見書(2007年)
- 刑事被収容者処遇法「5年後見直し」に向けての改革提言(2010年)
- 刑事施設医療の抜本的改革のための提言(2013年)
2.国際人権基準に適った未既決の拘禁制度改革と代用監獄の廃止に向けて
- 代用監獄とは何か
- 代用監獄は日本の恥部
- 代用監獄の重大弊害事例
- 拘禁二法案とは何か、なぜ、日弁連は拘禁二法案に反対したのか
- 未決拘禁法の成立と今後の課題 - さらなる改革を目指して