国際人権基準に適った未決拘禁制度改革と代用監獄の廃止に向けて

1.代用監獄とは何か

日弁連は、代用監獄の廃止を求めています。


代用監獄は、本来は法務省所管の拘置所に収容されるべき勾留決定後の被疑者・被告人を、引き続き警察の留置場に収容する、日本特有のシステムです。
その根拠は、監獄法1条3項(「警察官署ニ附属スル留置場ハ之ヲ監獄ニ代用スルコトヲ得」)にあるとされています。


2006年5月24日に施行された刑事施設及び受刑者の処遇等に関する法律(受刑者処遇法)によって、「監獄法」という法律はなくなり、「監獄」という言葉も、法律上は、すべて「刑事施設」という言葉に置き換えられました。


それにもかかわらず、日弁連では、あえて、「代用監獄」という言葉を使います。この言葉に、この問題が凝縮されているからです。法律から「代用監獄」という言葉が消えても、勾留決定後も警察留置場に被疑者・被告人をとどめおく代用監獄の問題は、消えてなくなったわけではないからです。


代用監獄は、「逮捕された被疑者の身体は、司法官憲に引致された後、捜査官憲の手に戻されてはならない」という刑事司法の大原則に違反するばかりでなく、現に長く冤罪の温床、人権侵害の温床となってきました。


arrow_orange.png代用監獄の重大弊害事例


代用監獄は、犯罪捜査を担当する警察が被疑者の身体を管理しているのをよいことに、自白を獲得するため長時間あるいは苛酷な取調べを行うために使われているのです。



2.代用監獄は日本の恥部

代用監獄は、先進国ではとっくに廃止された前近代的な制度であり、「人権後進国」日本の象徴とさえいわれています。捜査機関が被疑者の身体を管理すると上記のような弊害が生ずるため、世界では捜査機関と被疑者を拘禁する機関を別にすることが常識となっているからです。


現に、「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(国際人権(自由権)規約)(日本は1979年に批准)は、刑事上の罪に問われて身体を拘束された者は速やかに裁判官の面前に連れていかれ、その後は捜査機関に戻されてはならないことを定めています(9条3項)。この原則について、日本の警察庁は、1980年以降、留置業務を捜査部門から分離し総務課に移して弊害を解消したと弁解していますが、所詮は同じ警察組織内の事務分掌にすぎず、全く実効性がありません(現に1980年以降も、代用監獄による弊害・人権侵害は多発しています)。


日本の代用監獄に対しては、既に10数年前からアムネスティ・インターナショナル、国際法曹協会(IBA)など多くの国際人権団体・NGOが批判の声を上げてきました。国際人権(自由権)規約委員会も、代用監獄を同規約に適合するようにすることを日本政府に繰り返し求めています。


2007年には、国連の拷問禁止委員会が 、刑事被収容者処遇法を改正して捜査と拘禁を完全に分離すること、国際基準に適合するよう警察拘禁期間の上限を設定することなど、代用監獄制度の廃止を求める内容の勧告を行いました。 2008年5月に実施された国連人権理事会作業部会での日本の人権状況の審査においても、代用監獄と取調問題についてアルジェリア、ベルギー、イギリス、カナダから勧告がなされました。


そして、2008年10月に行われた国連の規約人権委員会による審査の結果、ついに「締約国(=日本)は、代用監獄制度を廃止すべき」だという明確な勧告が出されました。2014年の審査では、「(日本政府が)利用可能な資源が不足していること及びこの制度が犯罪捜査にとって効率的であることを理由として、代用監獄の使用を相変わらず正当化していることを遺憾とする」と厳しく批判する総括所見が採択されました。


また、国連の拷問禁止委員会でも、2013年5月23日、日本政府の定期報告についての総括所見が採択され、ここでも代用監獄制度に対する「深刻な懸念」が表明され、被疑者が代用監獄に収容される最長期間を設定し、日本の「法と実務を国際基準に完全に合致させるため、代用監獄制度の廃止を検討するべき」だと勧告されました。


このように、代用監獄制度は、国連から繰り返し廃止を勧告されており、国際的な人権基準を満たさない恥ずべき制度なのです。


3.代用監獄の重大弊害事例

有名な死刑再審4事件(免田事件・財田川事件・松山事件・島田事件)は、いずれも代用監獄を利用してつくられた虚偽の自白が原因でした。


戦後間もない時期だけのことではありません。警察庁が、警察内部で捜査部門と留置部門を分離したという1980年以降も、代用監獄の弊害事例は数多く発生しています。


2003年4月、鹿児島県議会議員選挙に際して選挙違反があったとされ、10数名が被疑者とされました(志布志事件)。逮捕・勾留された人たちは、みな警察署の留置場(代用監獄)に留置され、ほとんどの人たちが、ほぼ連日、午前9時から午後9時まで、長時間の取調べを受けました。取調べは「嘘をつくな。」「死刑にしてやる。」等と大声で怒鳴る、机を蹴ったり、叩いたりする、机の上に両手を載せて、降ろすなと強制する、など苛酷を極めたほか、被疑者をだましたり、利益誘導的な尋問も行われました。2007年2月の鹿児島地方裁判所の判決では、12名の被告人全員に対し、無罪が言い渡されました。検察は控訴を断念し、無罪が確定しました。


同じく2007年には、2002年に発生した強姦事件の犯人として有罪判決を受け、刑務所で2年以上服役した男性が、真犯人の登場により無実であることが判明しました(氷見事件)。男性は、代用監獄において取調官から、「『はい』以外は言うな」等の強圧的取調を受け、事件を認めるよう強制されました。男性に対しては、2007年4月、富山地方裁判所により再審の開始が決定されました。


このほかに、以下のような事例があります。



代用監獄の弊害事例

暴行による虚偽自白強要

2002年頃 大阪府警
(大阪府)
約700グラムの覚醒剤を共謀して所持していたとされた事案。両被告らの自白調書を「逮捕・勾留から取調べまで継続的に暴行が加えられた事実が認められる」として却下。両被告は「かなりひどい暴行を受けた」と主張し、警察官は「制圧行為だ」と否定。無罪。
2003年4月 亀岡警察署(京都府) 取調べ中に、両手首、両足首及び腹部に保護バンドが施された被疑者に対し、足で踏みつける、膝で押さえつけるなどした。なお、被疑者は11日以降、繰り返し、胸部の痛みを訴え、医師の診察を求めたにもかかわらず、16日まで放置した。


面倒見による自白強要

1994年6月 長田警察署(兵庫県) 留置場内で自由に喫煙できる、馬券の購入をしてもらう、寿司と梨を買ってもらい取調室で食べる、ウィスキー等を買ってきてもらい留置場内で飲酒パーティをする、女性留置人を房に連れてきて性交させるなどの利益供与が行われた。弁護側任意性なしとして取調べに異議を述べた自白調書について検察官がその任意性の立証を行わず取調請求を撤回した。
1996年1月 郡山警察署(福島県) 「自分が出入りしていた暴力団の事務所や親戚方への捜索をしないこと及び1日に2通の手紙を書かせることや食事等の点で面倒を見てくれること」等の約束の見返りに窃盗について虚偽の自白を獲得し、取調べ中に約束を守らないことに抗議する被疑者に対し、脇腹と背中を拳で殴った。


同房者の利用

2004年4月 東警察署(福岡県) 担当刑事が、被疑者の同房者や隣接同房者に対して、「被告人には余罪があり、被告人が素直に自供しない場合は、長期間にわたり取調べを行う」、「何回も逮捕する」、「被告人は実刑になる」等と話し、その結果、同房者や隣接同房者が被疑者に対してそのような話を聞いたと話させることにより自白を強要した。
2000年12月 戸塚警察署(東京都) 痴漢冤罪事件。勤務先の人事部員が面会に来て、通常、看守1人が立ち会うところ5、6人の看守が立ち会う中、退職届を書くよう迫られた。途中、接見に来た弁護人の立会いを求めたが、看守が「事件に関係ない」と拒否した。自分が話してもいないことを調書に書かれ、その内容をもとに取調官から暴言を浴びせられた。代用監獄の同房者から、「否認しても無駄」と繰り返し圧力をかけられた。無罪確定後、復職。


長時間の取調べによる自白強要

2002年11月 津警察署(三重県) 被疑者が供述を変遷させていること、勾留質問において否認 していること、取調べが午前0時20分まで、その翌日も午前0時15分にまで及んでいること、被疑者が弁護人に「取 調官から、『お前がちゃんとしないと、家も大変だぞ。母親に伝えたいことがあれば、ちゃんと伝えられるようにしてやる。また、民事訴訟の書類も差し入れられるようになんとか してやる。そうしないと、家も取られるぞ。その代わり○○さんを殺した旨の上申書を書け』と言われた旨訴えていることなどから、自白強要のおそれがあるとして、津警察署から三重拘置所への移監を決定した。


心理的・精神的圧迫

2001年2月 都島警察署(大阪府) 痴漢冤罪事件で、大声を出したり、「認めれば10万円か15万円で出られる、認めなければ長くなる」とか、3年前に息子が交通事故で死亡していることを引き合いに出して、「お前の息子の霊がこの部屋にも来てるんだから、本当のことを言わないか」と自白を強要。無罪。
2004年2月 警視庁 多摩分室(東京都) 立川テント村反戦ビラまき逮捕事件。黙秘していたため弁護人以外の者との接見を禁止され、精神的に追いつめられた。「テント村を俺が潰してやる」「お前は二重人格のしたたか女だ。寄生虫だ。この立川の浮浪児」などと罵詈雑言を浴びせられた。一緒に逮捕された人について「お前一人に罪をなすりつけるつもりだ」などと自白するための嘘をついて自白を強要された。一審無罪、二審罰金刑判決、上告中。


わいせつ行為

10 2005年6月 警視庁
菊屋橋分室(東京都)
覚せい剤事件の取調べ中、女性被告にわいせつな行為をしたとして、特別公務員暴行陵虐罪に問われた警視庁組織犯罪対策5課警部補に対し、東京地裁は「大胆で破廉恥極まりない犯行」と述べ、懲役3年(求刑懲役5年)の実刑を言い渡した。


日弁連では、代用監獄を利用し、密室での取調べにおいて著しい人権侵害を引き起こした志布志事件を中心に、引野口事件当事者などへの取材もまじえたicon_page.pngドキュメンタリー映画「つくられる自白~志布志の悲劇」を作成し、その上映・頒布活動を進めています。


4.「拘禁二法案」とは何か、なぜ、日弁連は「拘禁二法案」に反対してきたのか

かつて法務省が提案した刑事施設法案、及び警察庁が提案した留置施設法案及びその関連法案を指して、「拘禁二法案」と呼んでいます。


日弁連は、1982年、政府提案によるいわゆる「拘禁二法案」(刑事施設法案と留置施設法案及びその関連法案)が国会に上程されて以来、これに強く反対し、その成立を阻止するため、組織をあげて取り組みました。
しかし、日弁連は、決して監獄法の改正自体に反対していたわけではありません。
日弁連は、明治憲法下の1908年につくられたまま大きな改正のなされていない旧態依然たる監獄法を、何ら根本的改正もしないまま放置してきた政府の怠慢を批判するとともに、早期全面改正の必要性を主張し続けてきました。


1975年9月に日弁連が発表した「刑事拘禁法要綱」は、当局に対し監獄法の早期全面改正を促す役割を果たしただけでなく、改正作業の中でも、改正の方向づけを行う重要な資料の一つとして活用されてきました。また、日弁連は、法制審議会に委員3名・幹事2名を送って、改正作業に協力してきました。
しかしながら、残念なことに、1980年11月にまとめられた法制審議会答申「監獄法改正の骨子となる要綱」(以下「法制審要綱」といいます。)では、代用監獄の廃止・接見交通権の保障・処遇水準の引き上げなど、日弁連が主張してきた多くの重要な問題点が置き去りにされてしまいました。
政府自身が改正の三本柱と位置づけていた「法律化・近代化・国際化」は、いずれも不十分なままでの答申に終わったのです。
それでも、法制審要綱には、不十分ながらも評価できるいくつかの改正点が示されていました。


ところが、政府が提案した「刑事施設法案」では、その評価できるほとんどの部分が、切り捨てられてしまったのです。


日弁連が検討したところ、法案が法制審要綱から後退したところは、100か所を超えていました。
しかも、決定的なことに、法制審要綱に盛られていた「代用監獄の漸減・廃止の方向」とは全く逆に、代用監獄を恒久化する法律としての「留置施設法案」が、法制審での何らの事前検討もないまま、1982年2月に、「刑事施設法案」とセットで国会に突如、提出されたのです。
日弁連が、この両法案の阻止に全力を挙げたのは、代用監獄の恒久化を何としても食い止める必要があること、及び、提案された「監獄法改正案」の中身が、改正作業が目標としてきた「法律化・近代化・国際化」のスローガンから著しくかけ離れ、また、法制審要綱からすらも大幅に後退した、むしろ国民の人権をおびやかすおそれすらある欠陥法案であったためです。
日弁連は、刑事施設法案については抜本的修正を、留置施設法案については廃案を求めました。


そして、日弁連をはじめとする幅広い世論の反対にあって、1982年以来、両法案の国会での審議は進まず、3度も廃案となったのです。


2005年~2006年の監獄法改正で、まず受刑者処遇に関する部分を切り離して先行的に立法化し、次いで、日弁連と法務省・警察庁の意見対立が厳しい未決拘禁制度と死刑確定者処遇についての改正作業が行われたのは、このような事情によるものです。


5.刑事被収容者処遇法の成立と今後の課題──さらなる改革を目指して

2005年5月「刑事施設及び受刑者の処遇等に関する法律」(受刑者処遇法)が成立して2006年5月24日から施行され、同年6月「刑事収容施設及び被収容等の処遇等に関する法律」(刑事被収容者処遇法)が成立して、2007年6月1日から施行が開始されました。


こうして、監獄法改正は、ひとつの節目を迎えましたが、日弁連が求めてきた刑事拘禁制度の改革、とりわけ未決拘禁制度の抜本的改革には、ほど遠い状況です。


日弁連は、引き続き刑事拘禁制度の改革を実現するために、以下のような活動をおこないます。


第一に、先送りされた代用監獄廃止に向けた取り組みです。代用監獄問題が、決して過去のものではなく、むしろ、裁判員裁判の実施を目前に控えた今、その廃止は、より切実な課題であることを、会員弁護士はもちろん、広く市民に訴え、世論を喚起します。また、拘置所の整備など、代用監獄廃止に向けた具体的方策にも積極的に取り組みます。


第二に、刑事被収容者処遇法の施行と、電話による外部交通など新たな試みに対する取組です。刑事被収容者処遇法の施行に伴い、留置施設視察委員会など新たな制度がスタートしましたが、これらの制度が新法の趣旨にしたがって適正に運用されるよう働きかけると同時に、一部地域で試行される電話使用については、これが一日も早く全国展開されて制度化につながるよう、努めます。


第三は、受刑者処遇に関する取組です。受刑者処遇法自体は数々の改革を含むものでしたが、それが現場の実務に生かされるよう、引き続き監視し、改善すべき点については積極的に提言を行って、新法の理念が実務に生かされるようにサポートすることが必要です。


そして第四は、拘禁制度全体の改革に向けた取組です。法務省は、2006年1月、過剰収容対策として「被収容人員適正化プロジェクト」を立ち上げ、7月には、そこでの検討事項を杉浦法務大臣(当時)が法制審議会に対して諮問しました。未決拘禁者の処遇等に関する有識者会議や衆参両院附帯決議において、代用監獄問題は刑事手続全体の中で検討されるべきだとされましたが、勾留に代わる代替措置の導入や保釈制度の見直し、社会奉仕命令や中間処遇の導入などを含む、刑事手続の入り口から出口までを通じた、トータルな改革が求められています。


日弁連としても、これらの動きに対応して、適切な社会内処遇と連動した非拘禁化措置が政策化されるよう、積極的に働きかけを行う必要があります。そのために、刑事拘禁制度改革実現本部内に社会内処遇プロジェクトチームを設置して、法制審議会諮問に対する日弁連の政策提言を行い、同時に、過剰拘禁問題について調査・研究し、拘禁代替措置など過剰拘禁解消のための提言を作成します。


日弁連は、会を挙げて、この改革に全力で取り組んでいきます。