国際機関就職支援 インタビュー 天野麻依子(2018年12月16日)

国際労働機関(ILO)職員、国際協力機構(JICA)長期専門家としての経験

Q 司法修習後の業務内容について教えてください。

いわゆる町弁として、民事事件、労働事件、家事事件や、少年事件を含めた刑事事件など、扱っていた業務は多岐にわたります。クライアントは、企業が約7割、個人は約3割くらいだったでしょうか。新人のころから本当に多様な事件を担当させてもらうことができ、このときの経験が海外に出て仕事をするようになってからも大きな基礎となりました。



Q 国際的な活動をするきっかけを教えてください。

海外で働きたいという漠然とした気持ちは、学生のころからもっており、外務省のJPO(ジュニア・プロフェッショナル・オフィサー)制度についても、高校生の頃から興味を持っていました。それなら学生時代に、第二外国語などを真剣に習得しておけば良いものを…と今になれば思いますが、学生のころは「どこかに行きたいな~」とのんきに思っているだけでした。大学4年生でいよいよ真剣に進路を考えた際、当時まだできたばかりだったロースクールを出て弁護士になれば、修士号と専門職務経験というJPO試験の応募要件を2個クリアできると思いつきました。つまり、どうしても弁護士になりたかったというよりも、その先に国際機関に行くことをうっすら視野に入れながらロースクールに行くことにしたのです。その後司法修習中に、民事裁判教官から初期のベトナム法整備支援の経験談を伺い、法整備支援活動に興味を持つようになりました。


弁護士登録2年目にさしかかった頃に、日弁連で行っていた「次世代の国際司法支援を担う弁護士養成研修」に参加しました。約半年間にわたって隔週で続いた研修だったので、参加者同士のつながりをもてたことが一番大きな収穫だったと思います。この研修で仲良くなった友人たちとは今も連絡を取り合っていますし、研修終了後も励まされることが多くありました。  
また、この研修への参加をきっかけに、日弁連国際交流委員会国際司法支援センター事務局の活動に参加するようになり、主にラオス弁護士会とで行っていたプロジェクトに参加していました。同センターは、日弁連の行う国際司法支援活動の実働部隊であり、ラオスのほかにも、ベトナムやモンゴル、カンボジアなどで活動を行っています。この委員会活動への参加を通じて、国際司法支援とは何か、各国の様子や日弁連の各国・各機関への関わり方について勉強することができました。また、JICA法整備支援プロジェクトの活動の一部として日弁連で受託している本邦研修の受け入れに関してもロジを担当させていただいていたため、各国のJICAプロジェクトの構造を理解する機会にもなりました。


この時期、委員会活動の他にも、いくつかのNGOの活動に参加させてもらい、その活動の中でも海外に行かせていただいたり、公益活動とは別に半年間だけ海外の日系法律事務所で働いたりもしました。その中で、自分が一番強い思い入れを持って活動することができたのは、国際交流委員会での国際司法支援(法整備支援)活動でしたので、この先もこの分野で活動していければ良いなと思うようになりました。


研修関連では他にも、JICAの行っている法整備支援の研修や政策研究大学院大学の国際開発プロフェッショナル研修(外務省委託事業)などを受けていました。特に後者の研修では弁護士以外の国際開発に関わる友人ができ、JPOや国際機関に関する情報については主にこれらの弁護士以外の友人と情報交換するようになりました。



Q エセックス大学での留学生活について教えてください。

2015年~2016年にイギリスのエセックス大学に留学をして、国際人権法(LLMコース)を専攻しました。エセックス大学は国際人権法で有名な大学で、同コースには、例年各国の法曹資格を持つ人の他、NGOや国連機関などでの実務経験をもつ多くの留学生が集まります。授業では、国際人権法総合のほか難民法、子どもの権利、開発と人権、移行期の正義、ビジネスと人権、EU法と人権などを履修しました。リサーチエッセイは、ビジネスと人権および各国の国内立法について、修士論文は開発プロジェクトに伴って影響をうける住民の人権について執筆しました。
*日弁連推薦留学制度ついては、 arrow日弁連のエセックス大学ロースクール留学体験記をご参照ください



Q JICAの長期専門家になった経緯を教えてください。

日本での弁護士としての仕事はとてもやりがいがあって楽しく、担当する事件の数も年々増えて順調に忙しくなっていきました。他方で、国際交流委員会の活動に強い思い入れをもって取り組むうちに、ロースクールに入ったそもそもの動機を思い出し、やはり一度専業で国際協力に関する業務をしたいと思うようになっていました。留学後に日本に戻って弁護士業務を再開してしまうと、再度国外に出るのは難しくなるだろうと考えたため、留学後にそのままつなげるつもりで仕事を探したところ、ちょうど留学が終わるタイミングで勤務開始となるJICA専門家のポストがあったので応募し、ご縁があって働かせていただくことになりました。なお、その際に考えていた他の進路としては、UNV(国連ボランティア計画)、国際NGO、在外公館(専門調査員)などです。



Q ラオスでのJICA法整備支援活動はどのようなプロジェクトでしたか?
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JICAの法整備支援活動は国によって対象にしている分野やアプローチが異なりますが、ラオスでは人材育成に重きを置いて、複数のカウンターパート機関を横に割ってプロジェクトを展開している点が特徴的だったと思います。長期専門家として弁護士2名、検察官1名が派遣されており、民法典の起草支援、執務参考資料の作成(民事および刑事)、法曹養成支援の3つを主要な活動としていました。メインのカウンターパートは、司法省、最高人民裁判所、最高人民検察院、国立大学法政治学部の4つで、それぞれの活動を担当するサブワーキンググループ(以下、SWG)に、この4機関からのメンバーがミックスされて配置されていました。
 

私は民法典の起草支援や法曹養成支援の活動にも関与していましたが、民事系の執務参考資料を作成するSWGを一人で任されていたので、その活動をメインで担当していました。このSWGでは、経済紛争解決法というADRの法律と労働法の執務参考資料(ハンドブック)の作成およびその普及を目指しており、主要4機関の他に労働省や労働組合からの追加メンバーを迎え、合計21名の固定メンバーで活動していました。私が着任した時点では、活動がかなり遅れていて心配しましたが、活動に意図的にメリハリをつけたことや、SWGのリーダーである高等裁判所所長のリーダーシップとSWGメンバーの真面目さに支えられ、私の在任期間内に上で述べた経済紛争解決法と労働法それぞれのハンドブック計2冊の執筆を完成させることができました。



Q JICA専門家としてはどのような活動をされていましたか?

長期専門家としては、法律知識や弁護士としての職務経験に照らした助言も多く行い、特に条文の読み方やリサーチの仕方、ハンドブックの書き方、調停や裁判といった紛争解決に関する部分での助言においては、弁護士としての経験が大きく生きたと思います。ただし、既に述べた通り、ラオスでの法整備支援プロジェクトは人材育成を目標にしているため、ハンドブックを執筆したり法典を起草するのは、あくまでもラオス人自身であって専門家ではありません。長期専門家としての業務の半分以上は、予算や人材といった使えるリソースに照らして活動計画を提案すること、活動の進捗を管理してラオス人メンバーが円滑にプロジェクトを遂行できるようにロジや調整を含めた後方支援をすることでした。このあたりではむしろ、日弁連委員会での経験が大きく生かされたように思います。また、ラオスでは、UNDP(国連開発計画)やLux-Dev(ルクセンブルグ開発協力庁)など他のドナーも司法関連分野で活動を展開していたので、私はこれらの他ドナーからの情報収集や、それまで全く手を付けられていなかったSNSを使ってのプロジェクトの広報活動なども業務の一環と考えて活動していました。


もちろん、日弁連国際交流委員会で行っているラオス弁護士会との間のプロジェクトについても、引き続き現地から参加していました。残念ながらJICAプロジェクトではラオス弁護士会が正式なカウンターパートに含まれていなかったので、そのギャップを埋めるためにも日弁連の活動の意義は大きいと感じていましたし、ラオス弁護士(および弁護士会)について情報を得るルートが確保できていたことは、JICA専門家として私自身も大変有益でした。



Q JICA専門家の活動を通じて得たものはありますか?

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現地にいた際、なにかで行き詰った際に助けてくれたのは、いつもSWGのラオス人メンバーでした。離任間際にSWGのリーダーである高裁所長が「専門家も含めてSWGのメンバーであり、活動における大切な仲間だ。フェーズ期間内にハンドブック2冊の完成という大きな成果をあげられたことは、担当専門家を含めたSWGメンバー全員の努力と信頼関係の賜だ。」と言ってくれたことは今も心に残っています。日本人専門家とラオス人を切り離すことなく、同じメンバーだと言ってくれたことがうれしかったからです。このリーダーを含め、担当していたSWGのメンバーの何人かとは、離任後もよく連絡を取り合っており、どちらかがラオスや日本またはインドネシアを訪れた際に会うなどして、友人としての関係を続けています。そのような関係を作れたのは、カウンターパートとの関係が密な活動であったこと、活動を通じてお互いに強い信頼関係を築けたからであり、専門家をしたことで得られた一番大きな財産となりました。
  


Q ILOでの業務内容について教えてください。現在の仕事内容はどのようなものですか?

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現在勤務しているILOジャカルタオフィスは、インドネシアと東ティモールの2か国を所管している国事務所ですので、私も基本的にはこの2か国で活動しています。国際労働基準および労働法専門官補(JPO)として、国際労働基準の履行や基準に沿った活動のサポート、法律に関する活動に幅広く従事しています。


条約の履行監視はILOにとってメインの活動の一つと言えますが、加盟国政府は批准した条約に関して定期的にILO本部に報告をすることが求められており、その報告をもとに、条約勧告適用専門家委員会から加盟国政府にはコメントが送られてきます。この部分における私の役割は、委員会から来たコメントを正確に政府に理解してもらうこと、コメントで求められている活動(適切な条約の履行に関すること)や次回以降により良い定期報告ができるようにサポートをすることです。本部とフィールドでは言葉の問題も含めて現地の事情への理解に温度差がある中で、上手に橋渡しができるような工夫ができればと思いながら活動しています。


特に東ティモールでは、2009年に最初の条約に批准して以降、現在まで、定期報告のサイクルにうまく乗れずにいました。そこで、私の着任後、報告制度の仕組みや報告書の書き方を一から丁寧に説明して報告書作成計画を立て少しずつ支援していったところ、ようやく今月、東ティモールとして初めての報告書が完成しました。


批准した条約の履行支援としては、現在2006年海上労働条約(インドネシアは2017年批准)の履行に関し、インドネシア関係省庁の調整と関連法案の整備について支援しています。さらに、ILOとしては新たな条約の批准も促進したいので、ILOの構成者である政府、労働組合、使用者団体それぞれからの要請に応じ、未批准の条約に関するセミナーやワークショップも行っており、直近では、労働組合からの要請でインドネシア・バタム島というところでマタニティ・プロテクションに関する183号条約のセミナーを行ってきました。


ほかにも、労働法や労働紛争解決制度に関する活動もあります。たとえば、インドネシアでは、オイルパーム・プランテーションのコンプライアンス強化プロジェクトが行われており、プランテーションに関係する政労使すべての関係者に国内法や国際労働基準の理解を深めてもらえるように活動しています。この活動の中では、ワークショップで基準や国内法に関する講義を担当したり、現行国内法と実際の実務の状況、国際労働基準それぞれの間のギャップを調べてまとめています。また、現在、労働紛争の調停制度そのものの改善支援や調停人の研修支援に関する要請があるほか、労働法や労働組合法を含めた法改正の議論も徐々に高まりつつあるので、今後さらに具体的に活動を広げていきたいと思っています。


ひとことで国際労働基準と言っても、実は条約が189、勧告が205もあり(2018年12月現在)それぞれの基準によって内容もスタイルも多種多様です。フィールドで勤務していると、これらすべての基準が私の担当なので、仕事を頼まれるたびに各条約の詳細な内容や制定経緯、関連する国内法を調べては資料を作ることを繰り返しています。
  


Q JICAプロジェクトで働いていた時との違いはなんでしょうか?

違いはさまざまありますが、JICA専門家の時は裏方であることをより意識して動いていたと思います。プロジェクトの建て付け上、活動の主体はあくまでもラオス側カウンターパートなので、どうすれば彼ら自身が活動目標を達成できるか、どの順番で道を作れば彼らがより遠くまで跳べるのか、活動メンバー全員でゴールにたどり着けるのか、ずっとそのことを考えていました。ハンドブックなどの活動成果物に裏方である専門家の名前は入れなくて良いと思っていましたし、外部向けのワークショップなどでも自分はなるべく目立たないようにしていました。他方でILOでは、プレゼン等は基本的には私が名前を出して行うことになりますし、カウンターパートとの関係性もJICAの時とは異なるので、あえて、もう少し自分を出して仕事をしています。


内容的な話をすれば、依るべき基準が明確かどうかも大きな違いと言えるかもしれません。JICAプロジェクトでは現地法と国際法の知識にプラスして、日本法および日本法弁護士としてのリーガルマインドをベースにアドバイスしていましたが、当然ながら、当該国にとって日本法やその考え方が必ずしもおすすめというわけではありません。確かに日本法は全体としてみればコモン・ローとシビル・ローの両方を継受していますが、日本流にカスタマイズされていることも事実です。私の知っている日本法は、究極的にはあくまでも「現在の」「日本の社会に」適用されているルールであり、長い歴史の中でそして多くの国や地域の中での一つの例にしかすぎないという思いを他国の法律や法律制定の経緯を勉強するにつれて強くしていきました。つまり、明確な“正解”がない中で支援活動をしていたとも言え、私の助言は果たしてラオスに役立つものなのか、実はラオスの社会にとってはものすごく見当違いのことを言っているのではないかと悩むこともありました。他方で、ILOの活動では、国際労働基準という具体的な活動指針を持って仕事ができる点が大きく異なります。もちろんこれも絶対的な基準とまでは言えませんが、加盟国の構成者(政労使)の議論の上に条約として正統に成立した法規範であること、さらに既批准条約については各加盟国が自国に適用すべき法規範として特に受け入れていること、この2点を備えた規範にしたがって活動できることはとても大きな違いです。



Q ライフワークにしたい仕事はありますか?

ライフワークとまで言えるかわかりませんが、物事が判断されるまでの手続きができるだけ公平な世の中になって欲しいということは思っています。“正しさ”というものは相対的であって、一方から見たら正しいことも、反対側から見たら全く違う事実になることは多いですよね。個人が見ている事実はそれぞれ世界のほんの一部だし、思考方法も人によってバラバラなので、絶対的な正しさや正解はないと思っています。しかし現実には、力の強い人や声の大きい人の意見が“正しい”とされることが、本当に多いです。周囲にいる人たちさえ、事情をよく知りもしないのに強い方に流されて、その言い分を聞くこともなく弱い方を封じ込めてしまうことがいかに多いかこの数年で改めて感じました。考えの対立が生じた際に、そこに判断をするための手続きと基準が介入することで、少なくともどちらの言い分も検討され、誰かの物の見方を「正義」として一方的に押し付けられることがない社会を作ることに貢献できたら良いなと思っています。外国で国際司法支援活動としてそのための仕組み作りをサポートすることも、日本で弁護士として個別のケースを担当することも、その意味で根底の部分は同じだと思っています。


 

Q 国際機関を目指す弁護士に対してアドバイスはありますか?

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国際機関の職員として多国籍かつ多様なバックグラウンドを持った人たちと一緒に働き、多彩な価値観・多言語の中で揉まれながら、大きな目標に向かっていく活動は大変刺激的です。職員として実際に働いてみないとわからないこと、働いて得られるものは、予想しているよりも大きいので、ぜひ機会をつかんでいただければと思います。国際機関職員になるための登竜門と言われるYPP制度(国連事務局ヤング・プロフェッショナル・プログラム)や外務省の行っているJPO制度には年齢制限があるので、必要な要件を計画的にそろえていけるといいですね。そのためには、研修等への参加も含めて早いうちから情報収集をすることをお勧めしますが、弁護士同士に限らず広くネットワークを持つと良いと思います。
もしも専業で関わるのが難しい場合、日本で弁護士業務をしながら兼業としてでも十分価値のあることはできると思います。たとえば、私が国際交流委員会で5年間に渡って関わっていたプロジェクト活動は、予算や人員の規模に鑑みれば他の組織の活動にもひけをとらない十分なインパクトのあるものだったと、今でも思っています。国際協力(国際公務)に興味がある場合、自分がどういう関わり方をしたいのか、まずは取りうる可能性をいろいろ考えてみると良いのではないでしょうか。


最後に、こういったインタビューの中で言うのは矛盾するようにも聞こえるかもしれませんが、他人の話はあくまでも他人の話なので、参考にはしても、あまり振り回されないで良いと思います。たとえ周りがなんと言っても自分を信じて行動すれば、最終的にどこに行きついたとしても自分で納得できると思います。