国際機関就職支援 インタビュー 大村 恵実 会員

アメリカ自由人権協会でのインターン

私は、2007年3月から3ヶ月間、ニューヨークに本部のあるAmerican Civil Liberties Union Women’s Rights Project (アメリカ自由人権協会・女性の権利プロジェクト。ACLU内では、「WRP」と言われる)にて、インターンの機会を与えられた。2006年5月にニューヨーク大学ロースクールの修士課程を修了した時点で、既にWRPのインターンに応募していたが、そのときには面接の機会すら得られなかった。しかし、WRPに対する憧れを捨てきれなかった私は、年明けにNYに渡り、「日本からNYに来たので面接の機会を与えてほしい」と手紙を出した。面接の通知が来ただけで小躍りしたが、インターン採用を告げる携帯電話のメッセージをNYの雑踏の中で聞いたとき、街が輝いて見えた。


私がWRPにこだわったのには、理由がある。WRPは、現在、連邦最高裁判事を務めるギンスバーグ判事が、1972年に立ち上げた。「両性の平等」に関する最高裁判例で私が最も興味を持っていたのは、1976年のCraig v. Boren である。ビールの販売可能年齢について、男性は21歳、女性は18歳とした州法が、平等保護条項に反し違憲とされた。この判例によって、「ジェンダーに基づく区別には、重要な利益との実質的な関連が必要」という違憲審査基準が初めて明確に打ち出され、その後審査基準として確立していく。9人の最高裁判事をすべて男性が占めていた時代、WRPは、だからこそ、男性を原告とし得る事案(つまり、ビールを買いたかった男性のCraig氏は、当時、18歳以上ではあったが、21歳未満であった)を戦略的に選んだエピソードをロースクールの憲法の授業で聞いて以来、WRPでのインターンが私の夢になった。


インターン中に取り組んだ業務のうち、二つを紹介したい。


一つは、ドメスティック・バイオレンスの保護命令の実効性確保のためにどのような手段が採られているか、50州とワシントンDCの法律を一覧・比較できる表を作成し、その上で、望ましい制度について、政策的観点で提言するためのリーガルメモを作成したことである。


州ごとの法律を調査し、その情報を一元化する作業は、該当部分が編纂されている法典の箇所が州によって異なるため、根気が必要であった。そもそもこのプロジェクトの立ち上げは、コロラド州で保護命令が効を奏さなかった事案を契機としていた。そこで、私が表とメモを完成させた後は、WRPのスタッフ弁護士も入り、州政府に対してどのような政策提言を行うか、コロラド州のNGO等と電話会議を行って協議した。


もう一つは、外交官の特権免除をいかに乗り越えるかの理論構築であった。外交官が、ある国から家政婦を安い労働力として雇い入れ、賃金を十分に払わないばかりか、その家政婦に暴力を振るった事案について、民事責任免除の例外とできないかというのである。WRPのスタッフ弁護士の方針は、(1)外交官が家政婦を雇用し使用した一連の過程を家政婦の人身売買と構成し、(2)人身売買については、外交関係に関するウィーン条約31条1項(c)にいう「任務の範囲外で行う・・・商業活動」に該当するから、民事責任免除の例外となるというものである。私は、主として(2)の論点のリサーチとリーガルメモの作成を任された。


まず、アメリカの人身売買被害者保護法や国際組織犯罪防止条約の議定書の内容を分析し、また、人身売買で挙げられる利益の統計等を利用して、人身売買がいかに「商業活動」の性質を帯び、また、そのように解釈されているかを論じた。次に、アメリカの判例上、「日常生活に付随する取引行為」は商業活動に該当しないとされているため、人身売買については、犯罪行為との結びつきが強く、それゆえに「日常生活に付随する取引行為」とは異なる性質があることを強調した。法律・文献等の調査とそれに基づくリーガルメモの成果は、本文・脚注を問わず、そのまま準備書面の議論に用いられたため、多角的な視点からの分析・検討が必要であり、プレッシャーも感じた。


最後に、WRPで最も密度の濃い時間をご紹介する。毎週1回、午前中の3時間を使って、WRPのスタッフミーティングが開かれる。WRPのスタッフ弁護士は、それぞれが様々なプロジェクトを分担しており、互いの業務内容を知る機会は、このミーティングしかない。ミーティングは、議題が前もって厳格に決められており、しかも、各々のプレゼンテーションの時間も厳しく制限されている。進捗状況を説明し、重要な論点を抽出し、他のスタッフの有効な助言を得て、次に取り掛かるべき業務の目処をつける、ここまでを10分以内に終えなければならない。これを10分で完成できなければ、要領が悪いとみなされる雰囲気がある。あえて誤解を怖れずに言えば、無駄のなさゆえに殺伐としているとさえ感じられる。


スタッフミーティング中、唯一華やいだ雰囲気になるのは、「この問題は、ジェンダーの観点からおかしいのでは」という疑問が誰かから出されたとき、「では、そのテーマで新しいプロジェクトを立ち上げよう」と話が一挙に進むときである。即座に担当者と分担が決められ、翌週の会議には、もう何年も前から取り組まれていた課題かのように、深まった議論が展開されるのである。


インターンもスタッフミーティングに参加するが、緊迫した空気の中で声を挙げるのは勇気がいる。では静かにしていればよいかというと、突如指名され、進行中の業務内容について簡潔な報告を求める真剣な眼差しが向けられるので、全く油断はできなかった。


いよいよインターン終了の日。3人の指導担当弁護士に呼ばれ、評価表をいただくと共に、インターン経験についてのフィードバックを詳細に求められ、長時間の意見交換をした。指導するだけでなく、プロジェクトの中の不可欠な要素としてインターンを位置付け、その力を活かそうとしていると改めて感じた。


毎日必死に業務と格闘しているうちに3ヶ月が過ぎたが、多くの方々の支えあって豊かな経験をさせていただいた。自由の女神を眺めることのできるオフィスを、今も懐かしく想う。