国際機関就職支援 インタビュー 林 陽子 会員(2009年3月3日)

Q 2008年1月に、国連女性差別撤廃委員会(CEDAW)の委員にご就任されましたね。まずはおめでとうございます。国連の人権条約機関のメンバーに日本の弁護士が就任したのは先生が初めてですよね。

林 陽子 会員写真1

そうですね。これまでCEDAWに日本から選出された委員は、全て現職の公務員(厚生労働省、外務省、検察庁)の方でした。他の条約機関では学者の方が出ていますが、弁護士では私が最初です。CEDAWの前任の斎賀富美子さん(外務省人権担当大使。当時)が2007年11月に国際刑事裁判所(ICC)の裁判官に選出され、CEDAWの委員を含めて全ての公職を辞任されることになり、そのころ外務省から一本のお電話をいただきました。「一度お会いしたい」と。一体何の話なのか全く予想が付かないままお会いしてみると、斎賀さんの後任としてCEDAWの委員になって欲しいとのことで、大変驚きました。ただ、これはあらゆることを犠牲にしてでも引き受ける価値のある仕事だと思ったので、お引き受けしました。なおCEDAWの委員は、政府が候補者を指名した後、締約国による選挙で選ばれますが、委員が辞任した場合は、条約により、出身国の政府が指名した後任者が残りの任期まで務めることができるとされています。今回私はその規定によって選挙なしで就任しています。


Q 委員としての仕事は年にどれくらいあるのですか。

1年間で3回、政府報告審査と作業部会(個人通報作業部会と、会期前作業部会が併行して開催される)が開かれます。以前はニューヨークで行っていたのですが、現在は、2回はジュネーブ、1回はニューヨークの国連本部で開かれます。また、以前は会期は年間を通じて2週間でしたが、徐々に拡大され、2007年12月からは各会期ごとに政府報告審査が3週間、作業部会が1週間となりましたから、1年のうち約3か月は委員会に出席していることになります。個人通報作業部会を2週間にするという話さえ現在検討されています。就任して1年なのに、もう10年くらいこの仕事をやっているような気がします(笑)。


Q それは大変ですね。弁護士の仕事とはどうやって調整されているのですか。

やはり新件を受任するときには、自分がこういう状況にあることをきちんと説明して、ご納得頂いた上で受任しています。また複数の弁護士で受任するようにしています。


Q 委員としての仕事について簡単に教えて下さい。

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まず政府報告書審査の仕事が6割程度です。委員は、政府報告書とNGOのレポート、その他関連する国連文書を読み込み、委員会で当該国の政府代表団との間で質疑応答を行い、意見をまとめて当該国に対する勧告を出します。これを3週間の会期に8か国~12か国分行います。以前は、委員全員が全ての審査対象国について検討し、代表団に質問していましたが、これは非効率的だということになり、43会期(2009年1月~2月)以降は、一つの国の審査について3~5人の委員がタスクフォースを作り、さらに条約の条文ごとに担当を割り振って、自分が担当する部分について徹底的に責任をもって検討するというやり方に変わりました。このタスクフォースの会合は本会議の合間を縫って昼休みと夜にやります。また昼休みは各国NGOが主催するブリーフィング(概要説明)にほとんどの委員が出席します。したがって、会期中は本当に忙しいですね。
この他に作業部会の仕事があります。個人通報作業部会は、アジア・アフリカ・ラテンアメリカ・東欧・西洋の5つの地域の委員1名ずつ、計5名で構成されており、私はアジア枠のメンバーになりました。この部会では各国の被害者から寄せられる個人通報について検討し、委員会としての見解のたたき台を作成します。なお、日本はまだ個人通報制度を定めた選択議定書を批准していません。この作業部会は、政府の報告書審査の前後に通常1週間行われますが、この夏は2週間の開催が決定しており、ますます忙しくなりそうです。


Q 他の委員のメンバーはどのような方々なのですか?

現在の委員のバックグラウンドは、主たる職業で見る限り、弁護士5名、政府関係者(外交官、国会議員)8名、学者6名、女性団体・NGO代表が3名です。


Q 弁護士が5名もいるのですね。弁護士委員が果たすべき役割についてはどう思われますか?

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人権の普遍的価値を主張していくことが法律家の役割ですので条約の理念に沿った解釈をするのにあたって法曹が果たす役割は大きいと感じています。とりわけ弁護士は人権侵害の被害者の代理人として活動した経験を活かすことができるのです。私も自分が法律家であることを意識し、その特性を活かすことを心がけています。たとえば、委員会が、手続規定を確認せずにいい加減に進もうとしている時に、私が交通整理をさせて頂くこともあります。「日本の委員はつまらないことを言う」と思われているかも知れませんが(笑)。
また、特に個人通報の審査は法律家の貢献は明らかです。審査は書面のみで行われますが、当該政府にどのような違反があったかという国内法と条約の解釈とが必要となります。国内救済手段を全て尽くしたケースのみが対象になるので、そうするとその国の最高裁判決も読まなければいけません。私が担当した事件では、国内で3件訴訟を起こしていて、全て一審から最高裁まで行っているので、ものすごい記録の量でした。1件毎にケース報告者が任命され、事務局から記録を受け取って、他の委員に事案の概要をまとめて報告する。報告すると、他の委員から様々な質問が飛んでくる。それをその場で答えたり、もう一度記録を読み込んで後日回答し、最終的に作業部会の結論をまとめ、全体会議で報告し、CEDAW全体としての意見を採択します。このような作業は、やはり法律家としての職業的な訓練を受けていないと難しいのではないかと思います。
一方、法律家以外の委員会の中には、法律家の委員の考え方が形式主義的だと批判する人もいます。また「私たちは女性の権利のために働いているのであって、ここは条約の解釈をする場所じゃない。個人通報の審査も、判決ではなく対話(ダイアログ)だ」とまで言う方もいます。ただ、私は、形式主義と言われようが、条約をきちんと解釈する姿勢を忘れてはならないと思います。そうしないと、委員会の活動と、広い意味での政治活動とが区別できなくなるのではないでしょうか。また、私自身が従うべき対象は条約なのであって、自国の政府の政策ではない、という原点に立ち返る意味でも、これは重要なことだと思います。


Q 委員の中に法律家以外のバックグラウンドを持つメンバーがいることで何か印象的だったことはありますか?

直近の会期(43会期)を例に挙げれば、リビアの政府報告書審査をしていた時のことです。リビアでは不貞を疑われた女性が無期限収容される「社会的更生施設(Social Rehabilitation Institute)」という名の施設があるということが、国連の特別報告者の報告書で指摘されていました。それを政府代表団の人たちは全く悪びれた様子もなく、「私たちの社会の価値を擁護するため」などと言って正当化する。委員はみな憤慨したり唖然としたりといった状況の中、フランスの委員で元労働大臣で現国会議員のアメリン氏が、リビアの政府代表団に対して、とても丁寧な口調でこう言ったんですね。
「あなたたちは、ここに来て何を学ばれましたか?私たちの質問の中には、あなた方の政府にとって役に立つものがあったでしょうか?」
条約審査というものが、上から何か説教したり押しつけたりする場ではなく、あくまで「対話(ダイアログ)」であることをわきまえた、外交的に洗練された振る舞いに感心しました。


Q ただ、委員は各国政府の推薦を受けて選出されることから、必ずしも出身国政府から独立していない委員もいるのではないか?という指摘がありますが、その点についてはどう思われますか? 

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CEDAWと自由権規約委員会の両方の委員を務めめたエリザベス・エバットというオーストラリアの法律家が、条約機関の真の武器は各委員の高い倫理観とインテグリティ(誠実さ)だと述べており、私もそれを肝に銘じています。特に9.11以降、途上国政府が推薦する委員は、政府から独立していない傾向が強い、と指摘する人たちがいます。もちろん以前から、西側諸国の委員は「人権の普遍性」を訴え、途上国の委員は「文化的相対主義」を訴える傾向があった訳ですが、最近は、その対立がさらに深くなっているような印象を受けています。一方で、ヨーロッパの官僚出身の委員の中には、あまりにも性急にEUのポリシーを国連全体の方針にあてはめようとしている人たちがおり、それも溝を深める原因になっています。
たとえば、昨年10月、エクアドルの政府報告書審査の際、エクアドルが男女差別禁止法の中で「性的指向に基づく差別禁止」を謳ったことについて、これを最終見解の中で前向きに評価するか全く触れないかで、委員会内の西側グループと途上国グループとが激しく対立しました。途上国グループにとっては、同性愛者の権利そのものがアンタッチャブルな問題です。賛成派、反対派ともに「もし最終見解で自分の意見が反映されないなら、自分の少数意見を盛り込むべきだ」と強く主張しました。けれども、これまで最終見解に少数意見が付された前例はなく、また、委員会の最終見解や勧告というものは、全員一致でなければ説得力を失うことは明らかでしたので、私は少数意見をつけることに反対でした。結局、ぎりぎりのところでお互い譲歩して、現在までのところ最終見解は全員一致で採択されています。


Q 「日本人」の委員であることによるアドバンテージを感じることはありますか。

日本は明治以来の近代法の長い伝統がある一方で、地理的には欧米に属さないという特性がありますから、今申し上げたような、西欧諸国と途上国の対立構造の中、橋渡しをする役割を担えるのではないかと感じることはあります。それを実行するには私がもっと力をつけなければなりませんが。
また、日本人の生真面目さが重宝されることもあります。たとえば、ある会議での議論を、私以外、誰も記録しておらず、その3か月後に「では、あの時の議論の続きを」ということになったら、それぞれの記憶がバラバラでかみ合わない。私がパソコンに残していた記録を取り出したら、他の委員に感心されたことがありました(笑)。


Q  日本政府の報告書審査では、日本政府も時にCEDAWの委員から厳しい評価を受けてきていますね。

そうですね。報告書審査の特徴は、何か絶対的な基準があって、それを満たしているかどうかを審査するというよりも、前回の審査の時点からどのくらい改善・前進したかというところを重視している点にあります。日本政府に対して委員が辛口なのは、「前回からの改善・前進が見えない」ということが原因でしょうね。委員が何を言っても状況が変わらないとなると、もうそれは対話(ダイアログ)が成立しません。一方で、たとえば43会期で審査が行われたルワンダの女性の状況は日本のそれよりも恵まれていないかも知れないけれども、直近の国政選挙で女性の当選者が過半数を占め、女性議員の割合が世界でトップになりました。内戦後の廃虚を女性たちの力で再興させていこうという姿勢に、多くの委員が感動しました。


Q 政府の報告書審査の際には、審査対象国のNGOがカウンター・レポートを提出し、また審査期間中は様々なNGOが国連に集まって委員にロビーイングしますね。日本政府の審査のときは、日弁連も一つのNGOとしてこういった活動をしていますが、委員の立場から日本のNGOに向けて、何かご意見はありますか。

日本のNGOは日本政府の審査の時だけドッと来て、終わるとパーッと帰ってしまい数が多いだけにその行動が目立つのではないかと思います。10年前、20年前ならそれでもよかったかもしれませんが、時代は変わり、各国NGOの成長には目を見張るものがあります。また、強制加入団体である日弁連としての国際人権活動がどのようなものであるべきか、今後は議論が必要かもしれません。
さらに、国別の問題だけではなく、テーマ別の問題にも目を向けてほしいと思います。CEDAWでは政府報告書審査だけではなく、テーマ別の検討を行い、ガイドラインを策定しようとしています。たとえば今は高齢女性の問題、NGOとCEDAWの関係、議会とCEDAWの関係について作業部会ができています。CEDAWのサイトにある会期のレポートを見るとこれらの動静がわかります。こういったテーマなら日本のNGOができる情報提供はたくさんあるはずですので、「日本のことだけやる」のではなく、世界の女性の問題にもっと関心を持ってほしいと思います。


Q ところで、先生はいつころから女性の権利の問題に取り組まれているのですか?

林 陽子 会員写真5

学生時代から女性の権利に関する問題に関心があり、そのような事件に取り組める環境で働きたいと思っていました。1983年に弁護士登録した後は、雇用差別や婚外子差別、セクシュアル・ハラスメント訴訟などの弁護団に入り、訴訟事件中心の仕事をしてきました。故中島通子先生が編集された日本で最初の女性差別撤廃条約の解説書(「変る女性の世界」労働教育センター、1984年)の執筆にも加わりました。1986年から「女性の家HELP」という外国人女性のためのシェルターの顧問弁護士になり、人身売買の被害者の救援に取り組みました。福島瑞穂さん(社民党党首)、大島有紀子さん(千葉県弁護士会)、加城千波さん(第二東京弁護士会)と一緒に地方の警察・検察庁に雇い主を売春防止法違反で告訴する告訴状を持参する活動などを続けていました。人身売買には組織暴力がつきものなのですが、「怖いもの知らず」でやっていました。NGOの活動としては、女性法律家協会で2002年から2004年まで副会長を務めました。JCLU(自由人権協会)では理事・事務局長を務め、「ドメスティック・バイオレンス禁止法プロジェクト」を設立し、1997年から1998年にかけて、DV法案を起草しました。完成した法案を色々な政党に説明をして回ったりしていたこともあってか、2000年、内閣府男女共同参画会議「女性に対する暴力専門調査会」の委員に任命され、現在もこの任にあります。


Q 日本国内の女性の権利向上のための活動をしながら、先生は常に国際的な活動にも軸足を置いておられたという印象があります。そのきっかけは何でしょうか。

私が弁護士になった頃は、女性の権利と言えば、日本ではまだ離婚など家族法や雇用差別の問題がほとんどを占めていて、現在のように「女性に対する暴力」という問題自体、法律家が活動する領域として認識されていませんでした。弁護士になって3年目の1985年に「第3回世界女性会議」がナイロビで開催され、参加しました。NGOが開催するフォーラムにも全て参加し、そこで「女性に対する暴力」とか「性と生殖に関する権利」とか戦時下性暴力の問題など、日本ではまだまだ認識されていなかった新しい問題に触れ、大いに触発されました。
そういうこともあり、また夫の仕事の都合も重なり、1987年から1988年まで英国ケンブリッジ大学大学院に留学し、さらに女性の権利についてヨーロッパにおける議論状況、その知的伝統に触れることができました。
帰国後の80年代後半から10年ほどは、Asia Pacific Forum on Women Law and Development(APWLD)の運営委員を務めました。これはナイロビで開かれた世界女性会議で作られたNGOのネットワークで、スリランカやインド、フィリピン、タイなどアジア諸国で開催される会議に毎年出席しました。日本からは、故松井やよりさん(ジャーナリスト)と私が委員をしており、松井さんからはアジアの女性運動について多くのことを学びました。APWLDは、「女性に対する暴力特別報告者」として有名なラディカ・クマラスワミ氏や、人権擁護者(human rights defender)に関する国連事務総長特別代表だったヒナ・ジラニ氏もメンバーで、CEDAWのアジア各国の委員を数多く輩出しています。その運営委員会のメンバーだったと言うと、国連の人たちも「それはすごい」と評価して下さいます(笑)。この職は、その後、菅沼友子弁護士、大谷美紀子弁護士に引き継がれています。


Q CEDAWの委員としての仕事に特に役立ったと思われるご経験はありますか?

もちろん今まで申し上げた活動全てが、今の委員の仕事に役立っていると言えます。ただそれ以外ですと、2004年から3年間務めた国連人権小委員会の代理委員の仕事です。正規の委員が横田洋三先生(中央大学法科大学院教授)で、毎年夏に3週間、ジュネーブで会合があり出席していました。横田先生からは非常に多くのことを教えて頂きました。CEDAWの委員にも代理委員の制度があればよいのに、と思いますね。
また、私は2004年4月から早稲田大学法科大学院の実務家教員として「ジェンダーと法」を教えていました。今年の3月に退任しましたが、CEDAWの委員になる前から、女性差別撤廃条約をテーマにした講義・演習を持っていました。学生に教えるために体系的な理解を心がけたことは、委員の仕事をする上で重要なことでした。


Q 最後に、国際舞台で働くことを目指す弁護士や法科大学院生に対して、メッセージをお願いします。

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以前は、主要人権6条約(自由権、社会権、人種、女性、子ども、拷問)と言われましたが、今は移住労働者、障害者、強制失踪が加わり、9条約になりました。それぞれに条約機関がありますが、現在は、自由権規約委員会とCEDAWのみ、日本から委員が出ています。将来、日本からこれらの委員会に委員が選出されることがあるかもしれません。その場合、私はぜひ弁護士になってほしいと思います。もちろん弁護士なら誰でもよいのではなく、移住労働者や障害者、あるいは強制失踪者の家族のために仕事をしている法律家が、その経験から生み出された専門性を発揮してほしいと思います。
これから弁護士としてのキャリアを築こうとしている若い人たちには、「自分の現場を持つ」ことを勧めます。被害者とともに行動をすることがその第一歩なのではないかと思います。
それからせっかく弁護士になったのですから、人権のための訴訟に取り組んでほしいと思います。その中で国際人権法を援用してください。
ただし、国際機関で働くには、やはり語学力は必要です。語学の勉強は、やってもやり過ぎることはなく、私はいまだに日々悩んでいます。
また、だいたいの日本人は、日本語で書かれた本しか読んでおらず、その日本語で書かれた本は日本以外では読まれていない、という特殊な状況にあることを意識した方が良いと思います。自分がやりたい分野の勉強のためには、日本語以外で書かれた文献も読むべきでしょう。今はインターネットもあり、国際的な情報は入手しやすくなっていますから、自分の感受性を、常に外に向けてオープンにしておいて欲しいと思います。
私たち委員の仕事をサポートしてくれる国連事務局のOHCHRには若いスタッフも多く、その多くは法曹資格を持っていますが、私は日本の法曹は語学の問題さえクリアできれば各国の法曹と比べて遜色がないどころか、世界水準で見ても極めて高い職業意識と知的能力を備えていると思います。日本の弁護士にもぜひこうした仕事にチャレンジをしてほしいと思います。


どうもありがとうございました。