マンフレッド・ノヴァック教授招聘企画について

1 はじめに

2019年11月10日ないし16日、日本弁護士連合会(日弁連)は、世界的に著名な国際人権法研究者であるマンフレッド・ノヴァック教授(ウィーン大学)を日本に招聘して、各種の企画を実施した。招聘は、日弁連に加えて、大阪弁護士会及び国際人権法学会と共同して実施した。また、日弁連内においては、国際人権問題委員会、国際人権条約(自由権・拷問等禁止・強制失踪・人種差別撤廃)に関するワーキンググループ、自由権規約個人通報制度等実現委員会の3つの委員会等によって、ノヴァック教授招聘プロジェクトチーム(PT)を設置してその実務作業を担当した。


日弁連は、とりわけ1990年代以降、各種人権条約の定期報告書審査、法廷における国際人権法の活用、日本における各種個人通報制度の実現など、国際人権基準を国内で完全に実施していくための活動に取り組んできた。そのような活動の基礎として、しばしば用いられてきたのが、ノヴァック教授の著作にかかる『自由権規約注釈』や『拷問等禁止条約注釈』である。そのようなノヴァック教授の研究成果と知見とを、日本の弁護士・研究者・市民に直接伝える機会を持つことができたのはとても意義のある企画であった。また、ノヴァック教授は、国連においても国連人権理事会の拷問に関する元特別報告者、国連総会の自由をはく奪された子どもに関する独立専門家などの職務を務めており、そうした多方面にわたる研究成果と知見も、他の招聘団体の企画を通じて提供することができた。


今回の招聘企画を通じて、日弁連は以下の企画を実施した。
(1) 日弁連会長への表敬訪問(11月14日)
(2) ノヴァック教授と弁護士との意見交換会―国際人権条約から見た日本の人権状況(11月15日)

(3) 日弁連シンポジウム「国際人権規約批准40周年・拷問等禁止条約批准20周年―完全な国際人権基準の実現を目指して」(11月15日)



2 ノヴァック教授と弁護士との意見交換会―国際人権条約から見た日本の人権状況

稲森 幸一 弁護士(福岡県弁護士会)


2019年11月10日から16日、日本弁護士連合会(日弁連)は、世界的に著名な国際人権法研究者であるマンフレッド・ノヴァック教授(ウィーン大学)を日本に招聘して、各種の企画を実施した。その中で、日弁連会館で11月15日午後行われたのが、「ノヴァック教授と弁護士との意見交換会―国際人権条約から見た日本の人権状況」である。


私は、約1年前にできたノヴァック教授PTに当初から関わらせていただいた。PTでは1か月に1回会議を開いて議論したが、この日弁連での企画については、国連の人権条約審査で何度も日本政府に対する勧告が出されながら解決されていない問題について個人通報制度も国内人権機関も存在しない日本で弁護士がどのように取り組んでいくべきかノヴァック教授から助言をいただく、という全体を貫くテーマは初期の段階ですんなり決まったと記憶している。その後3時間の枠ということが確定し、1時間ずつ3つの問題を取り上げることになった。そして、何度も勧告が出され解決されていない問題として、2018年の強制失踪条約の日本政府報告書審査でも大きく取り上げられた入管および精神科病院での長期収容の問題、代用監獄問題を含む刑事手続に関する諸問題および人種差別の問題を取り上げることに決まった。報告者による報告内容とそれに対するノヴァック教授の応答については、各報告者による報告概要を参照していただきたい。私は司会をさせていただいたが、英語での報告および質疑であったにもかかわらず、活発な議論がなされ、休憩を取る時間にも苦労するほどであった。また、ノヴァック教授のコメントは、国際人権法からの理論的考察だけではなく、国連の拷問等に関する特別報告者として多数の国を訪れた実務上の経験に裏打ちされた具体的説得的なものであったという印象である。


各報告者の報告概要をぜひお読みいただきたい。今後の日本における国際人権に関する状況の改善に役立つ資料となっているものと考える。



3 意見交換会における入管分野について

大川 秀史 弁護士(東京弁護士会)


昨今の日本では外国人受入が不可避との認識が広まり、入管被収容者や仮  放免者の処遇が大きな社会問題と化している。弁護士の意識も変わり、多数の会員が入管収容所等に足を運んで個々の事案を受任し、裁判等で国際人権法の援用を始める時代となった。ノヴァック教授から知見を得ることは、これら入管弁護のスキルアップにおいて極めて有意義なことである。


意見交換会において当職より、わが国では自由権規約9条に違反する収容期間半年以上の無期限長期収容が常態化し、その延長における司法審査制度も存在しないことをご報告した。まさしく、我が国が国連の自由権規約委員会や拷問禁止委員会から改善勧告を受け続けている点である。


かかる入管でこれまで、医療懈怠による病死や精神的ストレスによる自死が繰り返され、先般には餓死まで起きた事実や、法務省が仮放免基準の更なる厳格化を図っていることなどにも言及した。


他方、日弁連側も拱手傍観することなく、入管被収容者や仮放免者、難民申請者らへの弁護士アクセスの改善に尽力し、この点では相応の成果が上げられたことや、2018年8月に東京地裁が仮放免不許可の取り消しを命じたこと、有志弁護士らが国連人権理事会恣意的拘禁作業部会に長期収容事件の違法性を訴えて申立を行ったことなども強調した。


また、かつてのオーストラリアにおいても長期間の外国人入管収容が行われていたところ、国連の自由権規約委員会に対して個人通報が相次いでなされていることにも言及し、個人通報制度が全く利用できない日本において、日弁連がその導入に向けて尽力していることもご紹介した。


当職が言及した、オーストラリアを相手取り国連自由権規約委員会に通報申立した事件について、ノヴァック教授は速やかにご理解・ご解説下さった。


またこのオーストラリアでは、国連への個人通報や国内人権機関により、従前2度にわたり入管被収容者の調査が行われ、収容上限期間が設けられたことをご教示いただいた。同国の国内人権機関は独立性が高く、この聞き取り調査が悪名高かったクリスマス島等の離島入管にも影響及ぼし、欧米の右派政治家が、豪州入管をモデルにしようとしていたのを防止できたとのことである。


ノヴァック教授の経験や知見を、日々の入管弁護業務にぜひ、生かしていきたい。



4 意見交換会における精神医療分野について

鐘ヶ江 聖一 弁護士(福岡県弁護士会)


(1) 現状報告


① はじめに

長期かつ多数の入院、さらにそれに輪をかけて近時は隔離や身体的拘束が増加するなど日本の精神科病院における人権状況は由々しきものがある。国連の自由権規約委員会や拷問禁止委員会からも繰り返し懸念を表明されている問題である。このような日本の精神科病院の状況が形成された歴史を含めて現状について報告した。


② 歴史

かつて日本では精神障害者を自宅で監禁する私宅監置が合法的な制度とされ、精神障害者が監禁されていた。「我が国十何万の精神病者は実にこの病を受けたるの不幸の外に、この国に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」という有名な言葉を残した精神科医の主導で精神病院法が制定され、精神科病院を設置して治療をすることを目指した。しかし、財政難から公立の精神科病院の設置は進まなかった。


戦災による病床数の不足と社会防衛的思想の下で、病床増加政策がとられた。精神科病院設置のための低金利融資制度等によって私立の精神科病院が乱立し、病床が激増していった。


私立病院が少ない人員で多数の長期入院患者で病床を満杯にすることで経営を成り立たせるという現状の基礎はそこから生まれている。


その後、精神障害者による重大触法事件の発生による治安維持的発想、精神科病院における暴行事件等の不祥事による人権保障的発想の間で、政策は揺れ動いている。後者の見地から1987年には精神科病院における入院および処遇を審査する精神医療審査会が設置されたが、その審査は形骸化しており、これが大きく機能することはなかった。


国は2004年に「入院中心主義から地域生活中心へ」という改革ビジョンを立てて当時、7万人いるといわれた社会的入院(本来入院不要であるが、受け入れ環境がないために入院が継続しているケース)を10年後に解消すると宣言した。しかし、未だ5万人近くの社会的入院者がおり、これには程遠い現状である。


日弁連も改革するよう繰り返し声明・意見を出していること、しかし現状は大きく変わっていないことも紹介した。


③ 原因

原因として、特に強制入院である医療保護入院の入院要件の抽象性と曖昧さ、低予算低人員医療、予算の入院への集中、そして民間病院が多いため病棟や病床の削減が困難であることを指摘した。


④ 具体的な現状

統計資料に基づき、日本の入院の多さや長期化、隔離拘束の増加状況について説明した。


(2) ノヴァック教授のコメント


資料のうち国際比較の数字こそが日本の現状を物語っている。欧米諸国においては病床数が減り続けているが、その中で日本では逆に増加した。近年こそ若干の減少がみられるが、依然として高い数値である。欧米諸国の病床の減少はシステム全体にまたがる精神障害者のケアシステムの改革によるものである。


国連は障害者権利条約を作り、日本も加入している。この条約では身体的なものであれ精神的なものであれ障害の存在が自由はく奪の根拠とならないことを明確に規定している。この条約の下では大きなパラダイムシフトが起こっている。医療モデルから人権モデルへのシフトである。医療モデルでは障害というのは治療を受け、解消しなければならないという考え方になる。同条約は、身体的なものであれ精神的なものであれ障害の存在が問題となってしまうのは社会の側に原因があるという考えに基づいている。障害が差別の理由となってはならない。隔離するのではなく、社会の中に包摂していくことが必要である。


日本政府はかつて自由権規約委員会や拷問禁止委員会からこの問題で批判を受けており、障害者権利条約についても最初の報告書を提出している。その報告書では強制入院制度の存在を報告しているが、そのような制度の存在自体が条約に反している。また、同報告書では政府が設置している障害者政策委員会が強制入院の数を減らすなどの改革について指摘しているようであるが、強力な改革を急速に行わなければ改革はしないであろう。現在行われている障害者権利委員会の条約審査において日本は厳しい指摘を受けるであろう。


この問題は日本における最も深刻な人権侵害の一つである。件数が多いという問題だけではない。入院が長期化していること、隔離拘束がなされていること、これら自体が国際法違反である。私の後任である国連特別報告者は絶対に隔離や拘束をされてはならない人として子供と精神障害者を挙げている。


このような問題のある日本は、次のUPR(国連人権理事会の普遍的定期的審査)においても厳しい批判にさらされるはずである。


個々の事案において自由権規約委員会において判断されているが、この審査については精神病院において入院している人にも適用されると示されている。定期的に独立した法的な審査が行われるべきであり、精神科病院における入院措置が比例原則に則っているのかが審査されなければならない。


(3) 感想


我が国における精神科病院に入院している人の状況について、ノヴァック教授は相当に由々しい問題であると言及されていた。進行役から時間がないとの指摘を受けながらも重要な問題であるとして話を続けられたことはノヴァック教授がこの問題をいかに重大なものと考えてられているかを示すものとして非常に印象的であった。


強制入院制度が障害者権利条約に反すること、長期入院や隔離拘束が国際法に違反することを明確に示されたことは、これまで様々な意見等を述べてきた日弁連の立場を後押しするもので心強いものであった。残念ながら時間不足で十分な議論はできなかったが、ノヴァック教授のご指摘を国際人権法の視点を踏まえた日本の精神科医療の改革に関する日弁連の今後の活動に活かしていければと思う。



5 意見交換会における刑事司法と刑事拘禁について

海渡 雄一弁 護士(第二東京弁護士会)


(1) 日本の状況の報告


プレゼン資料に基づいて、日本の状況を報告した。


(2) ノヴァック教授のコメント


① 死刑制度について


死刑が国際人権法の出発点である。死刑制度は非人道的で残虐な刑罰であることは国際社会の合意となっている。死刑監房や死刑の執行方法、事前告知なども問題とされてきた。


ヨーロッパでは死刑は完全に廃止されている。ヨーロッパ評議会とEUの役割は大きい。


② 仮釈放の可能性のない終身刑の提案について


仮釈放の可能性のない終身刑は多くの国々で、非人道的な刑罰とみなされている。


(日弁連は仮釈放の可能性のない終身刑は裁判所等によって減刑できるとしたことを説明した。)


ドイツは戦後に死刑を廃止したが、憲法裁判所の決定において仮釈放の可能性のない終身刑は人間の尊厳を侵害するものであると述べている。重大な罪を犯した者も別のチャンスを与えられるべきである。国際刑事法におけるジェノサイドのような最重要犯罪に対しても、死刑も仮釈放の可能性のない終身刑も課せられないこととなっている。


(死刑制度に賛成の意見が強い日本国民に死刑廃止を説得するためには、終身刑の提案が必要であるというのが、日弁連の考え方である。しかし、裁判所等による減刑制度をビルトインすることで、何とか新制度の国際人権法違反の批判を免れようとしている。)


おっしゃることはわかる。死刑廃止を実現するためには、やれることは何でもやるということも必要でしょうね。


③ 長期独居拘禁について


長期独居拘禁は心身の健康を害することが知られている。北欧デンマークなどにも長期独居拘禁が残っていた。2週間以上の拘禁は長期とみなされる。長期独居拘禁は可能な限り避けるべきである。


④ 代用監獄システムと警察の取調べについて


日本の制度は、とてもユニークな制度である。警察拘禁は3日でも長すぎる。しかし、3日が長すぎるというよりも、司法機関に引致されたあと、警察に戻してしまうことがより大きな問題である。虐待や拷問のリスクが、警察ではより高いといえるからである。ごく例外的なテロリストケースでも最高で4日まで拘禁できるというのが国際基準である。14条では逮捕の直後から弁護ができるようにすることを求めている。ヨーロッパでは弁護士の助言の権利は取調べの段階から認められるべきであるとされている。


自由権規約委員会も目指すゴールはヨーロッパ人権裁判所と同じである。被疑者が留置場に留置し、取調べができる。被疑者の黙秘権・自己負罪拒否特権があることを告知するべきである。


弁護人の選任権があり、私選、国選の弁護士の弁護を受ける権利がある。弁護人は、被疑者と秘密に面会でき、取調べに立ち会う権利を認められるべきである。そうでないと、圧力をうけて自白させられる恐れがある。自由権規約委員会が総括所見で述べているように、被疑者を警察の管理下に戻して数週間にわたって取調べが可能であり、その取調べの間に弁護人が立ち会うことができないことは、私は自由権規約14条1項と、14条3項cに違反すると考える。


(今年の人権大会で弁護人の取調べ立ち会いの制度化を求める宣言を採択したことを伝えた。)


(3) 質問と回答


① (日本の制度の問題点は拘禁の長さではなく、長く取調べが可能な点である。取調室から退出できるという議論についてどう考えるか。)


確かに、拘禁の長さが問題ではない。未決拘禁が数か月かかることはありうる。しかし、それは警察ではなく、司法部門で拘禁される。自由権規約9条3項は、未決拘禁は、例外的なものであり、逃亡の防止と証拠破壊の防止などの目的に限定される。被疑者は自由であることが原則である。捜査が続いていたとしても。黙秘権を行使すると、その場合は質問されないこととなるはず。弁護人が来るまでは取調べは中止されることとなる。その場合には、被疑者は房の方に戻されるのが普通でしょう。


② (死刑廃止後の最高刑はどのようなものとすべきなのか)


ヨーロッパでは終身刑も拘禁期間が20年を超えてはならないと考えられている。精神疾患を持つ者が重大な罪を犯し、その者が社会に危険を及ぼすときには、第一の可能性は通常の刑法が適用されないこととなる。第二の可能性は、刑事責任は認められるが、10-15年の刑を言い渡され、その後精神病院にとどまることが命令されている場合、精神科医が危険性がなくなったと判断するまで、場合によって終身拘禁されることはありうる。しかし、それは刑罰ではなく、治療できないため釈放できないということとなる。ヨーロッパ人権裁判所は厳格な基準を適用していて、ケースは少ない。放火犯の場合が考えられる。治療がむつかしい。強姦犯人も治療がむつかしいことがある。治療や投薬が手助けとなるが、本人の同意がなければ、講ずることはできない。本人は拒否できる。


(4) 感想


仮釈放の可能性のない終身刑は非人道的であることを明確に指摘された。日弁連の提案について説明したが、「死刑廃止のためには仕方ないか」というレベルのお答えで、やはり終身刑の提案については忸怩たるものを禁じ得ないと思った。


独居拘禁も、日本では何十年も独居の受刑者、死刑確定者がいる。2週間以上は原則禁止という基準を示され、日本との隔たりの大きさに気が遠くなる。


代用監獄制度の問題点は正確に指摘された。警察拘禁期間の制限、取調べの期間の制限、弁護人の取調べへの立ち合い、立ち会いのない取調べの禁止まで行かないと被疑者の権利は守れないことを痛感した。


ゴーン逃走事件もあり、日本の刑事司法・刑事拘禁制度への国際的批判は高まるばかりである。弁護士会が正確に事態を説明しないと日本国民の自尊心が傷つけられ、人権侵害的な制度に、むしろ国民が固執するような正常でない反応が噴出する危険性すら感ずる。日弁連の役割の重要性を痛感する。



6 意見交換会における人種差別・民族差別について

北村 聡子 弁護士(東京弁護士会)


(1) 報告概要


① 様々な差別のうち、人種差別撤廃条約の対象となる人種差別・民族差別に焦点を当てて報告を行った。


② まず、前半では日本における人種差別の実態について説明した。すなわち、日本における人種差別の主な対象は、アイヌなど先住民族、部落、旧植民地出身者、外国人であること、そのうち旧植民地出身者については植民地時代から続く差別に苦しんでいること、1923年の関東大震災の直後に起こった流言庇護による大虐殺という歴史的事実から100年も経っていない現在、再び自身らをターゲットに激しいヘイトスピーチが行われていることは、彼らにとって、単なる表現を超えた現実的な脅威であること、旧植民地出身者が第二次世界大戦後、一方的に日本国籍を奪われ「外国人」になり、その後も血統主義により何世代にもわたり外国籍のままであるが故に様々な権利制限を受けているという特殊な歴史的経緯について説明した。この大虐殺の件については、ノヴァック氏も関心を示していたように思われた。その後、とりわけ近年は朝鮮半島と日本との間に横たわる様々な政治的緊張関係にインターネットの蔓延が加わることで、人種差別に安易に加担する者の数が急速に増え、ヘイトデモも頻繁に行われていること、デモの現場に人種差別に反対する市民(カウンター)が大勢集まっても、警察はデモ隊を擁護しているという実態を、デモの写真を交えて紹介した。


③ 次に、後半では、人種差別に関する日本の法律や制度について説明した。2016年に、いわゆるヘイトスピーチ解消法が成立したものの、その対象が「本邦に適法に居住する」「本邦外出身者またはその子孫」と不合理に限定されおり、特に、いわゆる“適法居住要件”は、人種差別撤廃委員会の一般的勧告30(パラ7)違反であることや、法律が単なる理念法で禁止規定がないため実効性がないこと、かつ、既存の民法・刑法では、特定人を対象としないヘイトスピーチは違法とならないことを説明した。また、問題はヘイトスピーチだけではなく、2017年に法務省が公表した統計によれば、多くの外国籍住民が、差別的取扱(昇進差別、入居差別)の被害も受けていることを紹介した。


④ 最後にまとめとして、今、日本に必要なものは、包括的な人種差別禁止法の制定と、国内人権機関の設置、個人通報制度の導入の3つであると報告した。


(2) 感想


① ノヴァック教授からは、第二次世界大戦後、旧植民地出身者の日本国籍を一方的に剥奪したこと、その後、血統主義により日本国籍を取得できない状態にしていることは、特定の集団に対する明確な差別であって、ヨーロッパ(英仏)の植民地支配は、旧植民地出身者に対して自国民と常に同じ権利を与えることで解決してきた、とのコメントを頂いた。このうち「国籍を取得できない状態にしている」とのコメントは誤解であったため、私からは旧植民地出身者も帰化手続により日本国籍を取得することは可能であること、しかし、二重国籍が認められていないため、民族的アイデンティティを維持するため日本国籍の取得を望まない人が一定数存在するということを説明したところ、ノヴァック教授からは特にコメントがなかった。日弁連としては、その歴史的経緯に鑑み、旧植民地出身者に対して日本国籍者に準ずる権利を認めるべきだと考えている旨を明確にお伝えし、再度、ご意見を伺うべきだったと反省している。


② ヘイトスピーチ解消法における、いわゆる“適法居住要件”については、明確な人種差別にあたると断言されていた。


③ ヘイトデモにおける警察の役割について、ノヴァック教授からは、裁判所がデモ禁止を言わない限り警察にデモを止めさせることは難しく、ヨーロッパでも、デモ隊と、デモに反対する市民との間に警察が割って入り、あたかも極右やファシストを警察が守っているように見えるとのお話しがあった。日本のヘイトデモの現場における警察の態度は、日本にヘイトスピーチを禁止する法律がないことや、人種差別に対する日本社会の寛容さの裏返しと理解していたため、ヨーロッパの警察の態度も日本と同じであるとの指摘は、意外であった。


④ 私的領域における人種差別について、ノヴァック教授からは、特に入居差別についてはヨーロッパでも議論があったが、2000年のEU指令(2000/43/EC)により雇用や入居差別を禁ずる法律の制定や、独立した専門委員会の設置が義務づけられたことについて紹介していただき、大変参考になった。読んでみると非常に充実した内容であり、ヨーロッパでは20年も前にこのような指令が出ていることを知り感銘を受けると共に、日本の遅れを改めて痛感した。



7 日弁連シンポジウム「国際人権規約批准40周年・拷問等禁止条約批准20 周年―完全な国際人権基準の実現を目指して」(2019年11月15日)

稲森 幸一 弁護士(福岡県弁護士会)


(1) 基調講演 国際人権条約実施のグッドプラクティス


元国連拷問に関する特別報告者のノヴァック教授は基調講演で、死刑執行方法が自由権規約違反とされた事案をきっかけに死刑を廃止する国が増えた例や、中絶を制限する制度が自由権規約違反とされた結果、中絶に関する憲法が改正された例など、個人通報制度において条約機関が条約違反を認定した結果、状況が改善された例を紹介した。また国内人権機関の重要性も強調し、参加者は改めてこの2つの制度を日本に導入するための運動が重要であることを認識した。


(2) パネルディスカッション・質疑応答


江島晶子教授(明治大学法学部)から国際人権の実現に向けた司法に限らない多元的な分野の協働についての提起、アン・ヴァンハウト氏(駐日欧州連合代表部政治部一等参事官)から世界的な人権向上のための欧州連合の取組の紹介、武村二三夫弁護士(大阪弁護士会)から個人通報制度と国内人権機関の必要性についての報告があった後、ノヴァック教授を交えて日本の現状や問題点などについてパネルディスカッションを行った。


会場からは、ノヴァック教授が国連の「自由を奪われた子ども」に関する独立専門家を務めていることから、日本の児童相談所における人権侵害への取組の必要性や当初国際人権法に明記されていなかったLGBTIの平等と権利を実現するための道筋についての質問などがあった。


ノヴァック教授からは、児童相談所と同様の問題は他の国にもあり更なる取組が必要であること、LGBTIの人々のためには、国際人権法が更に発展することが可能であることなどが指摘された。


(3) シンポジウム資料 (PDFファイル;2.9MB)



8 おわりに

大野 鉄平 弁護士(高知弁護士会)


2019年5月に国連犯罪防止刑事司法委員会(コミッション、ウィーン)に日弁連として参加した際、本企画の打合せのためノヴァック教授の研究室にて教授や助手の方々とお会いする機会をいただいた。本企画には発足当時から関わらせていただいていたが、特にこの打合せ以降、教授や助手の方との細かな連絡を担当していた。5月の打合せの際、ノヴァック教授は自由を奪われた子どもに関するグローバル・スタディーに向けて、国連に提出する報告書の作成に取り組んでおられた。とてもお忙しい立場であるにもかかわらず日本から来た私たちを暖かく迎え入れて下さり、シンポジウムのテーマなどについて沢山のコメントをくださった。企画当日も教授は、意見交換会やシンポジウム参加者の意見に熱心に耳を傾けてくださった。たとえ食事中であっても私たちの質問にすぐに反応し、ヨーロッパ人権裁判所の判例や事件名などをスラスラと答える姿を見て、ノヴァック教授の熱意や優しさに感動した。


企画当日のやり取りのなかで特に印象的であったのは、取調受忍義務に関するノヴァック教授のコメントであった。11月15日に開催された日弁連との意見交換会において、日本では身柄拘束中の被疑者には取調受忍義務が課され、取調べに弁護人が立ち会うことも認められてない事実が報告されると、教授は「取調べを拒否して立ち去ることは出来ないが、取調べ中に弁護人を呼び、弁護人の立ち会いがなければ供述を拒むということはできる。そうすると最終的には房に戻す他なくなる。」などと答えられた。教授の回答は、弁護人へのアクセスや弁護人の立ち会いなどに関するヨーロッパ人権裁判所の判例を念頭に置いたものと思われる。日本では弁護人の取調べの立ち会いは取調受忍義務との関係で議論されることがあり、私としては教授が「取調べを拒否して立ち去ることは出来ない」と正面から認められるとは考えていなかった。取調受忍義務に関する日本の状況をより詳細にお伝えすれば回答は変わったのかもしれないが、ヨーロッパ人権裁判所が求めるセーフガードを履行すれば最終的には自白を強要される状況から逃れることができる(房に戻す他なくなる)というノヴァック教授のコメントは、日本での可視化論争と視点が異なっており興味深く感じた。


招聘企画は全体として盛況に終わった。国際人権法の世界でこれまで多大な業績を残されてこられたノヴァック教授の招聘企画に携わらせていただき、私自身とても勉強になった。感謝を申し上げたい。



9 その他企画

(1) ノヴァック教授の滞在中に他の団体の主催により、以下の企画が開催された。


① 大阪弁護士会:ノヴァック教授との意見交換会、「シンポジウム:刑事手続と国際人権水準−手錠腰縄問題を中心に」(2019年11月13日)

icon_pdf.gif講演報告 (PDFファイル;125KB)

icon_pdf.gifシンポジウム資料 (PDFファイル;1.3MB)


② 国際人権法学会:第31回研究大会基調講演「自由をはく奪された子どもに関するグローバル研究:子どもの権利と国際法の枠組み」(2019年11月16日)


③ 国連大学:「M・ノヴァック教授との対話」(2019年11月14日)


④ CosmoCafe:「AIと人権」(2019年11月16日)


(2) なお、今回の招聘に先立って、ノヴァック教授招聘PTは、次の通り2回 の委員会内勉強会を開催した。


① 「国際人権法の進展における マンフレッド・ノヴァック氏の果たした役割」(講師:今井 直・宇都宮大学名誉教授)(2018年11月13日)


② 「マンフレッド・ノヴァック教授の最近の業績にみる国際人権の新たな課題」(2019年7月23日)

(i) 「拷問に関する特別報告者の活動」について(大野鉄平弁護士)

(ii)「政府業務の民営化と人権」について(小川隆太郎弁護士)

(iii)「自由を剥奪された子どもに関する国連の取組」について(東澤靖弁護士)