自由権規約 (第3回に対するカウンターレポート)

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日弁連カウンターレポート 問われる日本の人権


日本弁護士連合会編著
こうち書房発行(発売桐書房) 1993


これは、1993年に国際人権(自由権)規約委員会で審議された日本政府の第3回定期報告書に対して、日本弁護士連合会がカウンターレポートとして提出した報告書です。そのため、内容は、1993年8月当時のものであることをご了解下さい。


また、この報告書は、こうち書房から日弁連カウンターレポート 問われる日本の人権国際人権(自由権)規約の日本における実施状況に関する日本弁護士連合会の報告として、市販されています。


前文

発刊によせて

 弁護士法は、第1条において人権の擁護を弁護士の崇高な使命として掲げているが、これをうけて日弁連は、一貫して人権擁護に重点をおいた広汎な活動を行ってきた。この間わが国の人権状況は、かなり進展をみたことは確かであるが、残念ながら未だ十分といえる状況にはない。


とくに、日本政府は1979年にいわゆる国際人権〈自由権〉規約を批准したが、これに伴って同規約の各条項において定める諸権利は、締約国となった日本国内においても、すべての人々にあまねく保障されなければならない。


しかしながら、代用監獄に象徴される刑事手続上の人権および女性・子どもの権利や外国人の人権その他様々な分野において、多くのしかもすぐにも解決が迫られる人権問題を抱えているのが現実であるにもかかわらず、これらを直視しようとせず、積極的に取り組もうとしていない日本政府は、締約国としての義務を果たしているとはとうてい言い難い状況にある。


また一方においては、相変わらず人権問題や人権擁護活動に対する誤解や偏見、批判などが根強く存していることも事実である。


国際人権〈自由権〉規約は、締約国に対し、国際人権〈自由権〉規約委員会の要請に基づき、同規約に認められる権利実現のためにとった措置およびこれらの権利の享受についてもたらされた進歩について報告する義務を課しており、日本政府は1991年秋に第3回日本政府報告書を提出することとなっていた。


日弁連は、日本政府に対して、政府報告書作成に際しては、日弁連をはじめ民間の人権擁護組織と十分な協議を尽くされるよう要望したが、いれられることとならなかったため、日本における人権状況のさらなる改善のために、独自に報告書を作成して、国際人権〈自由権〉規約委員会に提出することを決め、1991年9月以来作業を進めてきた。


そして、同年11月に取り敢えず刑事司法の分野に関する実施状況について同報告書の【その1】としてとりまとめ、12月はじめに、前日弁連会長を団長とする代表団がジュネーブを訪れ、マーテンソン国連事務次長兼国連人権センター所長に面談し、ポカール国際人権〈自由権〉規約委員会議長に提出している。


その後、同年12月16日に日本政府は、第3回政府報告書を国連事務総長に提出した。


しかしながらこの政府報告書は、一口にいってわが国の人権の状況、裁判の運用状況等を十全に説明していないだけでなく、国際人権〈自由権〉規約に規定されている諸権利の日本国内における保障の実態とは多くの点で乖離した不正確かつ不十分なものであるといわざるをえない。


日弁連はこの政府報告書の内容に鑑み、まず、日本国内における国際人権〈自由権〉規約の実施状況について国連や日本政府関係者はもちろんのことその他の多くの人々に正確な認識をもってもらう必要を一層痛感し、同規約の各条項が保障するすべての権利の状況についてこれを網羅する報告書の作成作業を継続してきたが、この程完成し出版の運びとなったのである。


本書が、わが国における国際人権〈自由権〉規約が定めるあらゆる権利保障の飛躍的発展の契機となることを期待したい。


1993年8月
日本弁護士連合会
会長 阿部三郎


はじめに

 日本弁護士連合会(以下、日弁連という)及びその会員である日本のすべての弁護士会ならびに弁護士は、人権の擁護と社会正義の実現のために努力している。それは1949年に制定された弁護士法によって、弁護士に課せられた使命である。日本弁護士連合会はその使命を全うさせるために、同じ年に制定した会則において「本会は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現する源泉である」と定め、以来今日まで日本国憲法を遵守するとともに、第3回国際連合総会で採択された世界人権宣言を、国際的な規範として活動してきた。


日弁連の活動は人権を享受する全ての人の立場に立って、あらゆる問題を調査・研究しその結果を政府等関係機関に意見具申をし、あるいは、人権侵害の事実があれば関係当局に警告等を発し、ときには重要再審事件など具体的事件についても支援してきたが、日弁連の重要行事として毎年1回、人権擁護大会を開催している。1988年の第31回人権擁護大会で採択された「人権神戸宣言」には、次のような一節がある。「わが国における人権侵害絶滅のためには、国際人権規約や人権関係諸条約の完全な実施とともに、国家による人権保障を国際的監視のもとに置く人権の国際的保障体制の確立が今、必要とされている。現在は人権を国際的視野でとらえ、国際的な手段でこれを擁護する実践の段階である。われわれは、世界人権宣言40周年にあたり、日本政府に対し、個別的人権侵害の国際的監視措置を定めた市民的及び政治的権利に関する国際規約選択議定書及び人権関係諸条約の完全批准を強く要請するとともに、アジアの人々と共に地域的人権保障機構の確立に努力すること」を誓っている。これが日弁連の総意である。


1987年日本国政府は市民的及び政治的権利に関する国際規約40条(以下、「国際人権〈自由権〉規約」という)に基づく第2回報告書を、国際連合を経由して国際人権(自由人権)規約委員会に提出した。日弁連は、この報告書を検討した結果、その内容の多くの点で、上記国際人権〈自由権〉規約に規定されている諸権利の日本における実際の状態が率直に報告されていないとの結論に達し、日本国外務大臣及び法務大臣に対し意見書を添えて、さらに実情を調査の上、実情を付加して委員会に対し報告されることを要望した。その際、補充報告書及び第3回報告書の作成にあたっては、日弁連を含む民間の有力な人権擁護組織と十分な協議を尽くされることも要望した。


今回、1991年10月末日までに提出するとされていた日本国政府の、国際人権〈自由権〉規約40条に基づく第3回報告書に関し、日弁連は、同年5月、外務大臣及び法務大臣に対し、報告書作成の準備状況などの質問をすると共に報告書については、確定前の素案の段階で公表し、日弁連を始めとする非政府機関の意見を述べる機会を保障されるよう要望した。そして、7月にも両省に対し同様の要望を行った。しかしその後の数次の折衝にも拘らず、その要望はいれられなかった。


この問題に重大な関心を持つ日弁連は、日本おける人権に関する権利の享受が一層進歩することを念願して、日弁連の広範囲にわたる調査結果に基づき、国際人権〈自由権〉規約に定める権利の全般にわたる権利の実情を指摘する報告書を作成し、国際連合、国際人権〈自由権〉規約委員会などの審議の参考に供するため提出することとした。


しかし、その全部を完成させるには、なお時間を要する状況を考え、すでに取りまとめの終わった刑事司法に関係する部分を、「日弁連報告【その1】」としてとりあえず提出することとなった。そこで、日弁連は、中坊公平会長(当時)を団長とする総勢15名の代表団を、ジュネーブの国連欧州本部に派遣することを決定、1991年12月3日、4日の両日に国連欧州本部を公式に訪問し、ファウスト・ポカール国際人権〈自由権〉規約委員会委員長に前掲報告書を提出するとともに、同委員長やマーテンソン国連人権センター所長およびゴメス同部長ほか国連関係者と、今後、国際的な人権保障について国連を通じて日弁連が貢献する方策について懇談を行った。


日本政府は、1991年12月16日、第3回政府報告書を国連事務総長に提出するとともに、一般の意見を求めることはしなかったものの、同時に日本国内にも第3回政府報告書を公表したので、日弁連は、ただちにその内容を検討した結果、日弁連の要望にもかかわらず、第3回政府報告書は未だ国際人権〈自由権〉規約上の権利の実際の状態が率直に報告されていない内容であった。


そこで、日弁連は、刑事司法の部分についての第3回日本政府報告書に対する反論と「日弁連報告【その1】」の補足を「日弁連報告【その3】」として取りまとめ、その余の部分についての第3回日本政府報告書に対する反論を「日弁連報告【その2】」として取りまとめた。活用の便宜を図るため、これらを、「日弁連報告【その1】」と合冊して、今回、『国際人権〈自由権〉規約の日本における実施状況に関する報告』を完成させたものである。


日弁連は、「日弁連報告【その1】」を発表して以後、刑事司法に関しては、例えば、代用監獄の廃止と被拘禁者の人権を守るため、国際人権〈自由権〉規約、国連被拘禁者人権原則などを踏まえて「刑事被拘禁者の処遇に関する法律案」を発表(1992年2月)、起訴前の国選弁護制度が欠如している現状を改善するため、被疑者が弁護士会に連絡すればただちに弁護士が接見におもむく「当番弁護士制度」を全国52弁護士会に創設(1990年9月~1992年10月)するなど、国内での人権水準の向上に努めている。また、例えば外国人登録証常時携帯制度の問題など日本における外国人の人権に対する取組み、さらに、1992年12月、テオ・ファン・ボーベン教授他の参加による第2回国際人権セミナー「戦争と人権、戦後処理の法的検討」を行うなど、戦後補償についての取組みをすすめている。今後も『国際人権〈自由権〉規約の日本における実施状況に関する報告』で述べた諸権利の改善に努力する所存である。


日弁連は、本報告が、国際連合、国際人権〈自由権〉規約委員会などの審議の参考となることを期待する。


凡例

 本文中の、脚注、「国際人権関連主要研究文献・資料目録」、及び「資料編」は、日弁連の報告書(カウンターレポート)そのものにはなく、読者の便宜のために、編集部で付したものである。


本文の各段落に付されているパラグラフは、日弁連が国連の国際人権〈自由権〉規約委員会に提出した「A REPORT ON THE APPLICATION AND PRACTICE IN JAPAN OF THE INTERNATIONAL COVENANT ON CIVIL AND POLITICAL RIGHTS」のパラグラフに対応するものである。この英文による報告書は、1993年4月に日弁連が冊子としてまとめている。


[略 記]


第3回政府報告書=日本政府/市民的及び政治的権利に関する国際規約第40条1(b)に基づく第3回定期報告


国際人権〈自由権〉規約=市民的及び政治的権利に関する国際規約


国際人権〈社会権〉規約=経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約


国際人権〈自由権〉規約委員会=市民的及び政治的権利に関する国際規約に基づき設置された人権委員会(Human`Rights`Committee)


国連人権小委員会=国連差別防止・少数者保護小委員会


国連被拘禁者人権原則=国連/あらゆる形の拘禁・受刑のための収容状態にある人を保護するための諸原則(国連総会決議43/173)


拷問禁止条約=拷問及びその他の残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い又は刑罰を禁止する条約


医学倫理原則=拷問及びその他の残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い又は刑罰から被拘禁者及び被抑留者を保護するための、保健要員特に医師の役割に関係のある医学倫理の原則(国連総会決議37/194)


北京ルール=少年司法運営のための国連最低基準規則(国連総会決議40/33)


リヤドガイドライン=少年非行の予防のための国連ガイドライン(国連総会決議45/112)


自由規則=自由を奪われた少年の保護のための国連規則(国連総会決議45/113)


ヨーロッパ人権条約=人権及び基本的自由の保護のための条約


米州人権条約=人権に関する米州条約


女子差別撤廃条約=女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約


[用語解説]


●国際人権規約


 国内で人権を侵害・抑圧する政策をとる国は、国際的平和を脅かす国でもあるというのが、第二次世界大戦の教訓であった。1945年に国連が設立されたが、このため、人権及び基本的自由の普遍的な尊重及び遵守が国連の目的のひとつに掲げられ(国連憲章第55条)、国内における基本的人権の保障を国際連帯によって支えようとする国際人権の考え方がうちだされた。1948年に、すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準として世界人権宣言が採択され、1966年には、この世界人権宣言を具体化し、法的拘束力をもつ条約として採択されたのが、「市民的及び政治的権利に関する国際規約  本書では国際人権〈自由権〉規約と略称  」と、「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(本書では国際人権〈社会権〉規約と略称)」である。


 前者は、人間の尊厳・人格にとって基本的な権利に対する国家の干渉の排除を規定するほか、参政権、請願の権利、裁判を受ける権利などを規定し、後者は、生存権を核とする教育を受ける権利、労働の権利など、国家が私人の生活分野に積極的に関与することを通じて確保される権利を規定している。


●国際人権〈自由権〉規約第40条に基づく政府報告書


 1966年に国連総会で採択された国際人権〈自由権〉規約は、第2条で、規約が定める人権保障のため、各国が立法措置その他の措置をとることを義務づけており、第40条1で、規約の人権保障を確保する方法として、規約締結国政府に、自国において規約が定める権利の実現のためにとった措置と状況を国連事務総長に報告することを義務づけている。


 事務総長は受理した報告書を国際人権〈自由権〉規約委員会に送付し、委員会は、規約第40条4により、報告書の検討を行う。


 規約締結国は、批准後1年以内に第1回の報告書を提出し、さらに5年ごと に報告書を提出することが義務づけられている。


 日本政府は、1980年10月に第1回、1987年12月に第2回、1991年12月に第3回の報告書を提出している。


 なお、国際人権〈社会権〉規約にも政府報告制度がある。


●国際人権〈自由権〉規約委員会


 この委員会(Human Rights Commitee)は、国連人権委員会のような国連憲章の下に設置された機関ではなく、国際人権〈自由権〉規約という国連が採択した国際条約に基づいて設置された監視機関で、委員会は18名の委員で構成されている。委員は締結国の国民であるが、個人の資格で選挙され、高い中立性が付与されている。委員会の事務局は国連人権センターがになっている。委員会は、通常、春会期(3月頃)、夏会期(7月~8月頃)、秋会期(10月~11月頃)の年3回開かれ、各会期は3週間である。


 委員会は、規約締結国政府から提出された、規約が定める権利の実現のためにとった措置と状況の報告書の審査や、この規約に掲げる権利の侵害について個人からの通報を審理する。個人通報を行うには規約と併せて第1選択議定書の批准も行わなければならないが、日本は選択議定書の批准をしていない。


 審査の後、委員会は「一般的意見」(後述の各条文ごとの解釈を示すものではなく、当該国審査に関するもの。“general`comments”)を締結国代表に示すとともに、国連経済社会理事会に送付することができることになっており、実際には規約45条に基づく年次報告の形で経済社会理事会を通じ国連総会に提出している。


 なお、1992年からは、各国政府報告書の審査の後に、規約40条4項に基づき、各国ごとに委員会としての「見解」(comments`of`the`committee)を「積極的側面」「実施を困難としている原因」「重要問題点」「勧告等」の項目につき述べることが行われるようになった。


●国連人権委員会


 この委員会(Commission on Human Rights)は、1946年国連経済社会理事会によって設置されたもので、政府代表で構成されているが、下部機関として、差別防止・少数者保護小委員会(人権小委員会)が設置されており、小委員会は個人の資格で参加する専門家で構成されている。


 委員会は、国際人権、各種の人権宣言や条約、少数民族の保護、差別防止などについて提案、勧告し、報告を提出する任務をもっている。現在では1503手続など個人通報も処理している。


●政府報告書へのカウンターレポート


 国民やNGOが、国際人権〈自由権〉規約第40条に基づく政府報告書の記述が正しくない、あるいは、欠けているところがあることを指摘して、その国の実際の人権状況を国際人権〈自由権〉規約委員会の審理に反映させるために提出する報告書がカウンターレポートと呼ばれているものである。


 カウンターレポートは、委員会がシステムとして受け付けるものではなく、委員の質問の資料として提供される民間の非公式文書であるから、委員会を構成する18人の委員個々に対して提出される。


●国際人権〈自由権〉規約委員会の一般的意見


 国際人権〈自由権〉規約委員会は、これまで、政府報告の手続き上の問題や、各国政府報告書の審査をふまえた各条文ごとの履行状況に関して、適当と認める「一般的な性格を有する意見」(「一般的意見」“general comments”)を採択してきている。これは、政府報告書の審査から得られた経験を締約国の利用に提供して、締約国の規約の一層の実施を促進することや政府報告書の不十分な点について締約国の注意を喚起することを目的としてなされるものであるが、その中には、一般的にではあるが、国際人権〈自由権〉規約の各条項についての解釈指針を示したものがあり参考になる。


国際人権〈自由権〉規約の日本における実施状況に関する報告【その1】

《1》 総 論

第1 日弁連の組織と活動

1 日弁連の組織と活動
日弁連の組織

日弁連は、1949年9月に設立され、わが国のすべての弁護士・弁護士会を法律上当然に会員としている〔弁護士法47条〕。


弁護士会は、全国50の各地方裁判所の管轄区域ごとに置かれ、その数52単位弁護士会である(ただし東京のみ3会が置かれている)。


日弁連所属の1991年11月5日現在の会員数は、14,395名である。


各弁護士会は、それぞれ固有の歴史をもっており、法的にも独立の法人格を有する。また、法定の諸機関を有し、各種事務を処理するほか、独自の対外活動を行っており、それぞれ平等の資格において日弁連の会員となっているのである。


とくに注目すべきことは、各弁護士会は自治権を与えられ、行政官庁や裁判所の監督を受けず、自らを監督することとされていることである。弁護士に対する懲戒権は、各弁護士会に与えられている〔弁護士法56条〕。


日弁連の活動

日弁連の活動の中心のひとつに、人権擁護活動がある。弁護士は基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命としている。


日弁連は、人権侵害事件の調査・救済にあたるとともに、国会・政府に対して、人権とかかわる法律の制定や法改正について、積極的に意見を述べている。


各弁護士会も、それぞれ独自に人権擁護活動を行って、日弁連に結集している。


日弁連の国連との関係


日弁連は、国連との関係において、つぎのような活動を行ってきた。


A 国際人権セミナーの開催


日弁連は、1989年12月5日~7日、国連人権規約および国際基準の理解を深め今後の人権擁護活動に寄与せしめることを目的として、国連人権センターの協力のもとに、マーテンセン国連人権センター所長を含む6名の出席を得て、国際人権セミナーを開催した。


B「弁護士の役割に関する基本原則」の草案について意見の提出


1989年10月18日、国連犯罪防止・刑事司法部長兼国連犯罪防止会議事務局長より日弁連に対して、「弁護士の役割に関する基本原則」の草案について意見の照会があり、日弁連は12月、草案を強く支持する回答を国連あてに送付し、さらに1990年8月末~9月上旬の国連犯罪防止会議に日弁連代表団を派遣した。


C「裁判官の独立と弁護士の保護」についての報告書の提出


1991年1月9日、国連人権センターより、日弁連に対して、「裁判官の独立と弁護士の保護」について日本の実態の照会があり、日弁連は同年7月国連人権センターあてに報告書を提出した。


D 国連諸条約の批准の推進、国連人権規約および国際基準の啓蒙・普及


日弁連は、かねてから国連諸条約の批准を推進してきたが、批准が進まない現状を踏まえ、1991年5月24日の総会において、日本が批准・加入が未了の人権関係諸条約のうち、「国際人権〈自由権〉規約選択議定書」、「あらゆる形態の人種差別撤廃に関する国際条約」、「拷問禁止条約」並びに「子どもの権利条約」について、政府に早期にかつ完全に批准することを求める決議を採択し、政府に働きかけている。しかし、政府から前向きの回答は未だ得られていない。


また、1988年12月9日の国連総会で採択された「国連被拘禁者人権原則」と1985年11月29日の国連総会で採択された「少年司法運営のための国連最低基準規則」(北京ルール)とが国連により各国政府に国内への周知・普及が求められていたにもかかわらず、日本国内ではほとんど知られていなかったため、日弁連はその日本語訳を行い解説を付して刊行し、その普及に努めている。


1988年11月4日の日弁連人権擁護大会シンポジウムにおいては、『人権の国際的保障  国際人権規約の日本国内における実施状況』が発表され、国際人権〈自由権〉規約の日本国内における実施状況、国際人権〈自由権〉規約違反の状態の改善を指摘した。


日弁連の各種委員会の活動

日弁連においては、つぎに述べる15委員会が中心となり、人権擁護活動が活発に行われている。


◎人権擁護委員会


人権擁護委員会は、


a 人権侵犯についての調査および情報の収集


b 人権を侵犯された者の援助または救助


c 行政庁に対し、警告を発し、処分もしくは処分の取消しを求め、または問責の手段を講じることなどを主に行っている。


無実の罪によって死刑や長期の懲役刑に処せられた人々の救援活動も、このような人権擁護委員会の人権擁護活動の典型的な例の一つである。


日本には免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件という著名な死刑再審事件がある。この4事件は、代用監獄で厳しい取調べをうけ、強制された自白が決め手となって死刑判決をうけたものだが、人権擁護委員会が中心となって強力な弁護活動を展開し、無罪をかちとることができた。また、戦後多発した多くの冤罪事件についても日弁連会員がかかわり輝かしい成果を得ている。


さらに人権擁護委員会の中に国際人権部会を設置し、国際人権規約の実施状況の調査研究および外国人の人権問題に精力的に取り組んでいる。


◎ 刑事弁護センター


刑事弁護センターは、日本の刑事手続きを抜本的に見直し、制度の改正と運用の改善をはかるとともに、個々の弁護活動の充実・向上をめざして、各弁護人に対する情報の提供、研修の強化など個々の弁護活動に必要な支援を進めている。


日本には起訴前の国選弁護人制度がなく、弁護人がつかないまま警察により被疑者の過酷な取調べが行われ、冤罪発生の一原因ともなっている。そこで、刑事弁護センターのよびかけにより、被疑者の人権を擁護し冤罪を防止するため、1990年より、各弁護士会において、イギリスの当番弁護士制度をモデルとした当番弁護士制度の設置が始まっている*1。


◎接見交通権確立実行委員会


被疑者・被告人と弁護人との接見は捜査当局による妨害が行われており、委員会は、このような被疑者・被告人と弁護士の接見交通の現状の改善に取り組んでいる。法務省と接見交通の現状の改善のための協議を重ねるとともに、接見交通の妨害に関する各地の国家賠償請求訴訟を強力に支援している。


◎拘禁二法案対策本部


拘禁二法案対策本部は、被拘禁者の人権を擁護し、その権利を確立するため、1908年に制定された監獄法の改正を提唱し、国際基準に即した、政府案への対案の策定を進めており、この立法提案はまもなく完成する*2。また、冤罪の重大な原因となっている代用監獄の廃止のため、国会・政府・国民・国際社会に対して、積極的な働きかけを行っている。


その一方、政府が現在国会に提出している監獄法改正案(拘禁二法案)は、国際基準に即したものではなく、被拘禁者の人権擁護の観点から問題が多く、代用監獄を恒久化するものであるので、その廃案に向けて活動を展開している*3〔《2》Ⅸ参照〕。


*2 「刑事被拘禁者の処遇に関する法律案(日弁連・刑事処遇法案)」として1992年2月に発表した。


*3 1993年6月18日、衆議院の解散により、法案は三たび廃案となった。


◎少年法「改正」対策本部*4


少年法「改正」対策本部は、かつて政府が企画した少年の権利を軽視する少年法改正に反対するため設置されたもので、現在では、少年被疑者の人権擁護活動、学校などでの子どもの人権侵害に対する救済活動、子どもの人権保障を確立するための提言、子どもの権利条約の批准・普及の推進、国連の子どもの権利に関する3つの規則・基準の国内はじめての翻訳、研究、普及を行っている。また、第7回および第8回国連犯罪防止会議への代表派遣、日本の少年司法についての英文パンフの発行なども行った。


*4 1992年11月に、「子どもの権利委員会」と名称を変更した。


◎国選弁護に関する委員会


起訴前の国選弁護人制度の立法化のための活動を行うとともに、現行の起訴後の国選弁護人制度の改善のための活動を行っている。


◎再審法改正実行委員会*1


無実の罪によって死刑や長期の懲役刑に処せられた人々に対する日弁連の救援活動の経験を踏まえ、法の不備を是正するため、刑事再審に関する刑事訴訟法および刑事訴訟規則の改正を推進している。


今回の報告は以上7つの委員会が協力して原案を作成したものである。この他に以下の8つの委員会が人権に関する活動を行っている。これらの委員会の活動分野についての報告書は近い将来に別に準備される予定である。


*1 1992年3月に、「刑事弁護センター」に統合された。


◎法律扶助制度委員会


法律扶助制度は、国民の裁判を受ける権利をまもるために欠くことのできない重要な制度であるが、日本には法律扶助に関する法律がない。委員会は現在法律扶助に関する法律の立法化をめざして、調査研究、具体的諸方策の策定をしている。


◎公害対策・環境保全委員会


公害被害救済と予防のため、実態調査を行い、それに基づき意見、提言を発表している。また、自然保護と環境保全にも積極的に取り組んでいる。


◎女性の権利に関する委員会*2


日本政府は女子差別撤廃条約を1985年に批准し、これを契機として委員会が設置された。委員会は女性の地位、権利、現行法制に関する調査研究を行い、それに基づき活発に意見、提言を発表している。


*2 1993年6月に、「両性の平等に関する委員会」と名称を変更した。


◎司法問題対策委員会


国民の基本的人権を守る司法の重要性にかんがみ、その民主化をはかるため、司法の独立、公正な裁判などについて、調査研究、対策の立案などを行っている。


◎司法制度調査会


現行司法制度の改善進歩、法令運用の監視是正のために常時継続して調査研究を行い、その成果に基づいて、立法を提案したり、法制審議会などからの意見照会に対して意見を発表している。


◎消費者問題対策委員会


日本では、欠陥商品による被害、詐欺的な悪徳商法による被害などが増加しており、このような消費者被害の救済とその対策の策定を行っている。


◎刑法改正対策委員会


日本政府が企画した国民の人権を侵害する刑法改正を阻止するために設置され、その改正を阻止することに成功した。現在は、必要な刑法の改正についての調査研究、諸方策の策定をしている。


◎国家秘密法対策本部*1


1985年6月に国会に提出されたスパイ防止法案*2の構成要件に問題があり、表現の自由その他人権を侵害する危険性が大であるとして反対し、情報公開制度の確立を推進している。


*1 1992年6月、「国家秘密等情報問題対策委員会」と名称を変更した。


*2 1985年12月20日、第103回臨時国会で廃案となった。


2 第3回政府報告書などについての日弁連と政府とのコミュニケーション

日弁連は、国会・政府に対して、人権とかかわる法律の制定や法改正について、積極的に意見を述べている。そして、日弁連は、国際人権規約や国連諸基準が日本国内で実施されることにより、人権保障のための司法改革と人権保障の水準向上が推進されるものと考えており、国際人権〈自由権〉規約40条に基づく日本政府の報告書にも多大の関心をもっている。


第2回政府報告書に対する日弁連の政府への働きかけについて


1987年12月に、日本政府は第2回報告書を国連あてに提出したが、日本国内での公表は翌年5月であった。日弁連は公表された政府報告書について至急検討を開始したが、政府報告書は法制度の説明に終始し、日本における人権の実際の状態と乖離した内容であるため、1988年7月1日、外務省および法務省に対し、第2回政府報告書の内容を是正するよう要望書を提出した。


しかし、日本政府は国連に対して報告書を是正する措置を講ぜず、日弁連の要望した是正内容を記載した書面を国連に送付することも行おうとはしなかった。


そして、日弁連は、再び1988年12月26日に、外務省および法務省に対し、前述した日弁連人権擁護大会報告書『人権の国際的保障  国際人権規約の日本国内における実施状況』を提出して、国連あてに政府報告書の補充書を提出するよう要望した。また、補充書の作成の際、および、第3回報告書の作成の際には、事前に日弁連と十分な協議を尽くすよう強く申し入れた。しかし、日本政府は国連に対して補充書を提出することを行おうとはしなかった。


第3回政府報告書に対する日弁連の政府への働きかけについて


1988年7月に国際人権〈自由権〉規約委員会が日本政府の第2回報告書を審議した際に、各委員から代用監獄制度、被拘禁者の人権、接見交通など、日本における現状の問題点の指摘と批判が多岐にわたって行われたと聞き、また、第3回報告では、法制度の説明に偏った報告ではなく、法制度と実態を関連づけた報告書を提出するよう要求されていることから、日弁連は、外務省および法務省に対し、1991年5月10日、その後に第2回政府報告書の補充書を提出されたか否かを照会するとともに、第3回報告書を充実した内容のものとするために意見を述べたいので確定前の素案を開示することを要望した。同年7月15日および17日にも両省に再度同様の要望を行った。


しかし、両省は、補充書は提出していないと回答するとともに、確定前の素案の開示については、政府報告書は政府の責任において作成するものでNGOの意見を聞いた前例はないとして、いまだなんらの対応もない。


結局、政府が第3回報告書を国連に提出する前に日弁連を含む非政府機関の意見を聞く機会は設けられず、日弁連の意見を第3回報告書に反映させることは不可能となったのである。政府は近く第3回報告書を国連に提出する予定*とのことであるが、早期に公開される見込みはなく、日弁連が第3回報告書に対するカウンターレポートを早期に提出することもできない状況となったのである。


そこで、日弁連は、国際人権〈自由権〉規約の日本における実施状況に関して日弁連独自の本報告書を作成することとしたのである。* 1991年12月16日に国連に提出した。


第2 日本における国際人権〈自由権〉規約の適用状況

1 1979年批准と憲法98条2項

日本政府は、国際人権〈自由権〉規約を1979年8月4日批准したが、「留保」は一切しておらず、22条2項にいう「警察の構成員」についての解釈宣言をなしたにとどまる。


日本の憲法98条2項は、「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」と定めており、条約は法律に優先し、いわゆる一元主義を採用したものとして理解されている。


従って、日本においては、国際人権〈自由権〉規約は、国内法の規定をまつまでもなく、原則として、国内法的効力を持っている。


2 日本政府の公的表明と実際の対応

1981年、国際人権〈自由権〉規約委員会は、日本政府が提出した第1回報告書の審議を行ったが、その際、日本政府代表として出席した富川政府委員は、オブザール委員の「(日本において)裁判所は、直接にこれ(国際人権〈自由権〉規約)を適用できるのか。あるいは、国内立法措置によって国内法制の中に利用されている限度において適用が可能になるのか」との質問に対し、「日本では、条約は通常の国内法に変形されるものではない。しかし実務において条約はずっと以前から日本の法制の一部を構成すると解されてきており、それに相応する効力を与えられてきた」「換言すると、行政と司法当局は条約の規定を遵守し、その遵守を主張してきたのである。条約は国内法より高い地位を占めると解されている。このことは裁判所により条約に適応、合致しないと判断された国内法は無効とされるか、改正されなければならないことを意味する。このようなことになると大変困るので、政府と国会は批准の対象となっている条約を慎重に慎重を重ねて詳細に調べ上げ、これらの条約と現存の国内法との間に食い違いのないことを確認するのである。政府が条約を侵犯しているということで、政府に対して一個人が訴訟を起こした場合、裁判所は通常その個人の主張に関係のある一定の国内法を見つけ出し、この国内法に基づいて判決を下す。稀な場合、関係国内法が見い出せないことがある。このような場合は、裁判所は直接その条約を援用し、条約の規定に基づいて判決を下す。もし、裁判所が国内法と条約の間の不一致を発見した時は条約が優位する」と答弁している。


すなわち、日本政府は、国際人権〈自由権〉規約が、日本国内において、法規範としての効力を有し、しかも、それは刑事訴訟法その他の法律よりも上位の法規範であって、国際人権〈自由権〉規約を直接の裁判規範として援用することができるということを明らかにしており、このことは、原則として、国際人権〈自由権〉規約の各規定に自動執行的効力のあることを認めた趣旨だと解される。


われわれは、この点について次のように考えており、これは通説でもある。  国際人権〈自由権〉規約が定めている人権は、思想・良心の自由、表現の自由、集会・結社の自由等の、いわゆる自由権的な基本権であって、国家の干渉を受けることなく実現されるものである。また、国際人権〈自由権〉規約の規定は、一般に、「すべての人間は何々できる」とか「すべての者は、何々の権利を有する」というように、個人を主体として、この個人が権利を持ち、権利を保障されるという、国内法とほぼ同等の規定形式をとっている。


このような自由権規定としての性格と規定形式からすれば、国際人権〈自由権〉規約の各条項は、基本的に自動執行的(self~executing)な性質のものであり、国内法的効力を有する。


但し、国際人権〈自由権〉規約の各条項が、すべて自動執行的かというと、必ずしもそうでない。国際人権〈自由権〉規約の条項の中には、例えば、20条の戦争宣伝の禁止(「戦争のためのいかなる宣伝も、法律で禁止する」)や23条の家庭及び婚姻に関する権利(4項「この規約の締結国は、婚姻中及び婚姻の解消の際に、婚姻に係わる配偶者の権利及び責任の平等を確保するため、適当な措置をとる。……」)のように、締結国を義務づけているだけの規定も存在し、これらの規定は、自動執行的ではない。


すなわち、国際人権〈自由権〉規約の規定は、原則的には自動執行的であるが、規定の内容上自動執行的ではないものも存在する。


ところが、日本政府は、原告弁護士4名・被告日本国間の接見妨害に基づく国家賠償請求事件(東京地方裁判所に係属中であり、原告らは、接見を妨害された弁護人及び元被疑者であって、日本の刑事訴訟法39条3項が、国際人権〈自由権〉規約14条3項b及びdに違反することをも主張している)につき、1990年1月30日、東京地方裁判所において、国際人権〈自由権〉規約2条2項を唯一の根拠として、「国際人権〈自由権〉規約の各条項が、いわゆる自動執行的な条項(self~executing)でないことは疑問の余地がない」と主張して争っている。


われわれは、日本政府の主張は、国際人権〈自由権〉規約2条2項の解釈を誤っている上、先に引用した日本政府の公式見解とも矛盾しており、疑問の余地なく、誤りだと考えている。国際人権〈自由権〉規約2条2項の「立法措置その他の措置がまだとられていない場合」というのは、前記の立法措置を必要とする、自動執行的でない規定について、まだ立法措置がとられていない場合をいうのであって、それをとるようにということを求めているのが、この2条2項なのである。


従って、この2条2項を根拠として、国際人権〈自由権〉規約の各条項につき、自動執行的な条項でないとする日本政府の主張は、誤りだと考えるのである。


また、上記の訴訟において、原告らは、被告日本政府に対し、上記の公式見解と訴訟における主張とが矛盾しないと主張するのか、矛盾しないとすればその理由を明らかにするよう求めたが、被告日本政府は一切の応答をしないままに今日に至っている。


3 裁判所における法規範性

日本の最高裁は、国際人権〈自由権〉規約の国内法的効力について直接的な判断をしてはいないが、これを肯定することを前提とする判示をしており、下級審判例はいずれもこれを肯定している。


外国人に対する指紋押捺制度について国際人権〈自由権〉規約7条、外国人登録証常時携帯制度について国際人権〈自由権〉規約26条などがそれである。


刑事司法における最近のものとしては、大阪高裁1989年5月17日決定があり、次のように述べている。「我が国が、1979年8月4日『市民的及び政治的権利に関する国際規約』を批准し〔1979年8月4日条約第7号〕、1979年9月21日発効したこと、……(中略)……条約が国内法上法形式としての『法律』より上位の効力を有する法規であることは所論指摘のとおりである」


しかし、日本の裁判所は、このように一般論としては国際人権〈自由権〉規約の法規範性を認めるものの、国際人権〈自由権〉規約の定める権利の実質的な内容を国際的な解釈基準に即して吟味することをせず、国内法と矛盾するものではないなどと短絡的に結論する傾向にある。


上記事案は、日本の刑事訴訟法が国際人権〈自由権〉規約9条3項に反するとして争われた事案である。日本の刑事訴訟法においては、1審判決において禁固以上の刑が言い渡された場合には権利としての保釈は否定され、裁判所の裁量による保釈だけが認められている。つまり、1審判決において禁固以上の刑が言い渡されると、控訴をしても、身柄不拘束で裁判に付された者以外は抑留されることが原則なのである。


弁護人は、このような刑事訴訟法の規定は、国際人権〈自由権〉規約9条3項が規定する釈放される権利の保障に反し無効であると主張した。


これに対し、裁判所は、上記の一般論を述べた上で、「しかしながら右規約の前示条項は、『裁判に付される者を抑留することが原則であってはならず、』と規定することにとどまり、合理的な理由がある場合においてもその例外を許さないものではない」との理由で弁護人の主張を退けている。


われわれは、日本においては、国際人権〈自由権〉規約が、実際上、法規範としての機能を果たした例はなく、国際人権法などほとんどあってなきがごとき状態にあると認識している。


《2》 刑事手続の実態

第1 戦後における誤判事件と拷問

1 第二次世界大戦後の刑事手続の改革

日本がポツダム宣言を受諾することによって敗戦を迎えた1945年8月までの刑事手続きにおいては、司法警察による被疑者・被告人等に対する拷問は日常的に行われていた。そして、それまでの裁判所は拷問による検事聴取書や予審調書も証拠に採用し、これを引用した有罪の判決にいたるのが一般であった。


ポツダム宣言にいう「日本における民主主義の復活強化」は、刑事手続きの徹底した改革を求めた。


1947年5月3日に施行となった新憲法は「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」〔憲法36条〕と規定して、きびしく拷問の禁止を憲法に謳うとともに、「拷問等による自白は証拠とすることができない」〔憲法38条2項〕とも規定した。憲法のこれらの規定を受けて刑法における特別公務員(裁判、検察、警察の職務を行いまたはこれを補助する者)の被疑者・被告人等に対する暴行、陵虐などの行為に対する罪〔刑法195条1項〕の法定刑を「3年以下」から「7年以下」の懲役または禁固に改正し、また1949年1月1日から施行の現行刑事訴訟法においては「拷問等による自白その他任意にされたものでない疑のある自白は証拠とすることはできない」〔刑事訴訟法319条〕と規定して、任意性に「疑のある」自白についても証拠としてはならない、と規定したのであった。


憲法、刑法、刑事訴訟法等が、これらの拷問等の絶対的禁止、拷問をした公務員に対する刑罰の強化、拷問による自白の証拠能力の否定などを規定することにより、拷問の禁止と根絶の法制が完成したかに見えるのであるが、その後の40数年の刑事手続きの運営の実際の状況をみると、拷問禁止の法制の完備にもかかわらず、拷問は根絶されずに今日にいたるまで、現に存在している実態を報告しなければならないことは、きわめて遺憾なことである。


2 著名な拷問による誤判事件

戦後40数年の刑事裁判の歴史の中から、いったん起訴されたが、終局的には無罪が確定した事例を検討し、拷問等による自白が誤起訴、誤判の原因となった事例を若干あげると次のとおりである。


二俣事件

1950年1月、静岡県二俣町で一家4人が殺害された事件。被告人は満18才の少年。1、2審死刑、最高裁で破棄、東京高裁で1957年に無罪。


捜査段階での自白は、正座している被疑者の太股を踵で蹴ったり、顔や頭を殴り、髪の毛をつかんで激しく振り回し、うつ伏せにしておいて脇の下をくすぐるなどして気を失わせ、また「自白しないのは動物と一緒だ」と言い、鼻の穴に指を入れてひきずるなどの暴行の結果なされたものであるが、但し、最高裁判決〔最高裁1953.11.27判決「判例時報」14号〕では、自白の信用性に疑いがあるとして原判決を破棄しており、被告人側の拷問の主張に対しては判断を回避している。


幸浦事件

1949年2月、静岡県幸浦村で一家4人が怪死した事件について、4名の被告人によるものとして、3名に対し、1、2審とも死刑、最高裁で破棄、差戻しの東京高裁で1959年2月、4人の被告人に無罪。


捜査段階での自白は、殴る、蹴る、髪をつかんで床をひきずり回し、さらに焼火箸を手掌や耳翼のうしろにあてるなどの拷問の結果なされた疑いがあり、拷問の主張に対する審理がつくされていないことを理由として2審判決を破棄すると、最高裁は判決した〔最高裁1957.2.14判決「最高裁判所判例集[刑事]」11巻〕。


八丈島老女殺し事件

1946年、八丈島で老女(66才)が自宅で死んでいるのが発見され、被害者の家に出入りしていた男とその友人の2人が逮捕された。取調べに当たった司法警察官は、被疑者を警察署の武道館へつれて行き、後手に縛って座らせ、白状しろと突きころばしたり、手掌で頬や頭を殴り、ふくらはぎを素足で蹴ったりした〔最高裁1957.7.19判決「最高裁判所判例集[刑事]」11巻〕。この事件も、八丈島署における被告人の自白は、暴力による肉体的苦痛を伴う取調べの結果なされたものであり、任意になされたものとは認めることができないとして、被告人は無罪となっている。


八海事件

1951年1月、山口県麻郷村八海の老夫婦が殺され現金が盗まれた強盗殺人事件。犯人Yが直ちに逮捕されたが、警察の多数犯の見込みとこれに迎合したYの変更後の供述によって、近所の4人の青年が逮捕され、そのなかのAが主犯とされた。


1、2審A死刑、他の3人も懲役12~15年(Yは2審の無期懲役が確定)。最高裁の二度の差戻しを経て、1968年10月、三度目の最高裁で4人全員に無罪判決。この間18年を費やしている。


「真昼の暗黒」という映画にもなったこの事件では、まずYが、そして4人も拷問をうけ、うその自白をした。


最初、主任刑事に革のスリッパを両手にもって両頬をメチャクチャに殴られ、次に手足で殴る、蹴るをくり返された。


それでも、Yとの共同犯行を認めないと、警察署の裏の道場に連れていかれ、3人位の刑事から手錠をかけたまま床に叩きつけられ、全身を革靴で蹴りつけられた。その後さらに署長室に連れ込まれ、5、6人の刑事が腰や背を蹴りつけたり、頭の毛を引っぱったりし、馬乗りになって身体を押しつけ、一晩中、白状せよ、と迫った。次の日も拷問がつづき、ついに刑事の言いなりに自白した(以上、Mの場合)。


Aら3人も同じような拷問を受けたほか、被害者の首吊りに使われていたロープを首に巻きつけられたり、線香の火で鼻や耳をあぶられた。


これらの拷問の訴えに対し、第1次無罪判決は「(警察が)何らかの暴行をなし、或は夜間程度を越えて尋問を継続し睡眠不足に陥らしめる等、有形無形の圧力を加え、これによって被告人らをして心にもなく犯行を自白させた疑いが濃厚である」と認定した〔広島高裁1959.9.23判決〕。


仁保事件

1954年10月、山口県大内町仁保で発生した一家6人惨殺事件。1、2審死刑、最高裁で破棄差戻し。1972年12月、広島高裁で無罪、確定。「7、8人の刑事が取り囲んで正座させ、自白しろと迫り、7、8回往復びんたをくらわせ、打つ、蹴る、殴る、耳を引っぱる、髪をもって引きずる、鉛筆を指の間に入れて逆にねじりあげ、ほうきで顔をがさがさこすり、寒い時期になってからは、シャツを全部頭のところまでまくりあげ、裸の上に水をかけ、あるいは正座した膝の上に乗って痛めつけたりされた」との被告人の訴えに対して、被告人に対する無罪判決は、「数名がかりで十数日にわたり昼夜の別なく執拗な説得追求を反復した結果、被告人は精神的にも肉体的にも窮迫の末ついに自白するにいたった」と認定した〔広島高裁1972.12.14判決〕。


免田、財田川、松山、島田の各事件

これらの4件はいずれも強盗殺人等の罪名で起訴され、被告人は公判廷で否認したが裁判所は有罪を認定、最高裁判所も被告人の上告を棄却した結果、死刑が確定した。これらの死刑確定判決について無実を訴える4事件の被告人は日弁連に再審請求についての援助を要請、日弁連が調査の結果、これら死刑確定者の主張と要請が理由あるものと判断して、日弁連として再審を援助、その結果、1979年以降、裁判所はあいついで再審理由ありと認めて、無罪判決を言い渡した。


これら4事件は、いったん有罪死刑の判決が確定している。無罪を言渡すべき被告人に有罪死刑の判決を言い渡すについて、最も主要な証拠とされたのが、ここでも被告人の捜査段階における自白である。


これらの自白は客観的事実と矛盾し、合理性を欠き、信用性のないものであるが、これらの信用性のない自白が生れるについてはさまざまな態様の拷問が報告されている。


免田事件では、睡眠をさせない苦痛を被疑者に与えている。その間、正座、腕立て伏せを強制し、こづく、殴る等の暴行を加えている。


松山事件では、ひたいを強く小突く、肩を押す、頭ごなしに怒鳴る、知らないと言っても一切とりあげない、自分がやったと自白しない限り何時までも出さないと脅している。


財田川、島田事件でも、誤判の主要な証拠となった捜査段階における自白が肉体的苦痛を伴う強制によるものであることが被告人から訴えられた。米谷事件、梅田事件、徳島事件など


いったん有罪判決が確定した事件で、その後、再審の結果、無罪にいたった事件は右の死刑再審4事件のほかにも、よく知られるものとして米谷、梅田、徳島などの事件がある。これらの事件においても、誤った有罪判決の証拠のうち、主要な位置を占めたのが捜査段階での自白であった。これらの自白がさまざまな態様の強制によってもたらされたものであることが明らかになっている。


3 現在も続く拷問的取調べ

これまでに記述した諸事件は、いずれも戦後である1945年8月以降1960年にいたる間の刑事手続きに登場する拷問事件である。これら事件の手続き過程に示された司法警察官等による拷問等の強制は、その後の1970年代、1980年代の刑事手続きではなくなったか。それとも、それまでと同じように改められないで存続しているか。残念ながら後者である。


日弁連に報告され、あるいは刑事判決に示される事例によれば、1960年代以降もひき続き拷問事例はあとを絶たない。


日弁連拘禁二法案対策本部が1989年6月に発行した『冤罪事件から見た拘禁二法案』という冊子がある。


この冊子には、主として1980年代に生じた事件における、司法警察当局による被疑者・被告人に対する取調べの状況、態様が、担当した弁護人によって報告されている。


これらの報告をみると、前記各事例における拷問など自白強制の態様、内容等がその後もひきつづき司法警察当局によって行われていることを知ることができる。


二つの事件の場合を記述する。


お茶の水女子大寮事件

1985年4月、東京都板橋区にあるお茶の水女子大寮に侵入し現金を盗んだうえ女子大生に暴行、強姦しようとしたが未遂に終わったとして、事件の1カ月半後に逮捕した被疑者に対し、取調べ警察官は3、4人、連日夜おそくまで取調べを行い、ときには午前0時を超すこともあり、その間、被疑者の耳元で怒鳴り、机を叩く、机や椅子を蹴る、頭をこづくなどして、自白を強要し、虚偽の自白にいたる。


強姦未遂罪等で起訴されたが、1987年12月、東京地方裁判所で無罪。


大阪・池田土木事務所収賄冤罪事件

1981年9月、関連業者から収賄したとの容疑で逮捕された、容疑を否認する被疑者に対し「警察という所は証拠なしで逮捕することはない。証拠はみな揃っている」と言って、横にいた刑事が正面にいた刑事とともに交互に被疑者の頭を殴り、さらに横にいた刑事が革靴で被疑者の足を蹴りつけ、また、横から肩を突いたり、座ったままの姿勢の被疑者を倒したりした。肉体的暴行のほか、「手錠付のままお前の職場に連れて行く」「この馬鹿者死んでしまえ」と脅した。検察官に対し、「本当に自分は収賄していない」と否認して、警察留置場に帰ると、担当の刑事(司法警察官)が被疑者に対し「お前はなんで検事に金を貰っていないと言ったんや」と怒鳴り、2人の刑事が交替で被疑者の耳元で鼓膜が破れるような大声で「こら」「この二重人格死んでしまえ」などと怒鳴り、そこに置いてあった設計書で頭を殴り、革靴で足を蹴り、机に頭をぶっつけたり、うずくまると立たされて繰り返し殴る等の暴行を加えた。


収賄で起訴されたが、被告人は公判廷で否認、捜査段階の自白に任意性はないと主張した。1審裁判所は有罪としたが、控訴審は右捜査段階の自白の任意性を否定、1985年9月、被告人に無罪を言渡した。


4 拷問と誤判防止のシステムの欠陥

このようにみてくると、日本の刑事手続きは戦後、新しい憲法のもとで根本的に変革され、拷問禁止の法制が整備されたにもかかわらず、その運用の実態をみると、拷問等による自白の強要はひきつづいて存在することを確認することができる。拷問等による自白の強要は、多くの場合、刑法195条に定める特別公務員暴行陵虐罪に該当する犯罪であり、それによって被疑者・被告人の人権を侵害するばかりか、裁判を誤らせる重要な原因となるものである。


制度が改革されたにもかかわらず、拷問等による自白の強要が絶えず、裁判を誤らせているということは、翻ってみると、拷問の抑止並びに拷問等による自白の排除、拷問の下手人や誤判を招いた者の責任追及などのシステムの欠如または存在するシステムが有効に機能していないことを意味する。以下の報告は、このシステムの実態を素描するものとなろう。


第2 死刑事件と再審〔6条、7条及び10条〕

1 死刑制度と国際人権〈自由権〉規約

国際人権〈自由権〉規約6条2項は「死刑を廃止していない国においては、死刑は、犯罪が行われたときに効力を有しており、かつ、この規約の規定及び集団殺害犯罪の防止及び処罰に関する条約の規定に抵触しない法律により、最も重大な犯罪についてのみ科することができる」旨規定し、国際人権〈自由権〉規約委員会の一般的意見6(16)では、「締約国は死刑を完全に廃止することが義務付けられているわけではないが、その行使を限定すること、特に『最も重大な犯罪』以外の犯罪に関しては死刑を廃止すること、が義務付けられている。従って締約国は、このことに照らしてその刑法を検討することを考えるべきであるし、いずれにしろ死刑の適用を『最も重大な犯罪』に限定しなければならないのである。本条はまた、廃止が望ましいことを強く示唆する文言で一般的に『死刑』廃止に言及する」と述べている。


2 死刑事件と再審無罪判決

1983年から翌1984年にかけての1年間に、わが国の裁判史においてはもちろん、世界的にも例をみない、確定した死刑判決の再審無罪判決が相次いだ。免田、財田川、松山とそれぞれに呼ばれていた三つの死刑判決に対する再審について、いずれも無罪が言い渡され、確定をみたのである。


また、1986年5月には、島田事件と名付けられていた死刑再審事件について、再審を開始する決定があり、上記事件は1989年2月、4件目の死刑確定判決に対する再審の無罪確定となり、あわせて4人もの死刑確定囚が、死の淵から危うく引き戻されたのである。


以上の4件とも代用監獄である警察の留置場に身柄を拘束され捜査官の支配下に収容されている間、厳しい取調べをうけ、虚偽の自白を強制された共通性を有している。


免田事件(免田栄氏)

1950年3月23日1審判決・死刑  1951年12月25日上告棄却決定・確定。


その後6回にわたる再審請求を重ね、ようやく1983年7月15日再審判決で明白なアリバイが認められ、無罪となった(拘禁期間12,599日)。


事案は、1948年12月29日深夜熊本県人吉市で発生した夫婦殺害娘2人に重傷を負わせた強盗殺人事件。免田氏は、留置場の施設もない人吉署の仮庁舎で丸4日間睡眠を与えられずに苛酷な取調べをうけ、心ならずも取調べ官の意にそった自白調書を作成された。


財田川事件(谷口繁義氏)

1952年2月20日1審判決・死刑  1957年1月22日上告棄却判決・確定。


その後2回の再審手続きで自白が虚偽と認められ、1984年3月12日無罪判決となった(拘禁期間は10,412日)。


事案は、1950年2月28日未明香川県財田村で発生した闇米ブローカーを殺害した強盗殺人事件。谷口氏は、別件の軽い強盗事件や窃盗事件に名をかりて逮捕・勾留をむしかえされ、代用監獄で約4カ月間上記事件を追及され、ついに自白させられた。


松山事件(斎藤幸夫氏)

1957年10月29日1審判決・死刑  1960年11月1日上告棄却判決・確定。


2度に及ぶ再審請求がとおり、1984年7月11日無罪判決がでた(拘禁期間は10,450日)。


事案は、1955年10月18日未明、宮城県松山町でおこった一家4人殺人放火事件。斎藤氏が連日長時間取調べられて疲労し、絶望しているとき、同じ房に送り込まれた警察の協力者高橋勘市が「裁判でひっくり返せばよい」と自白を強くすすめ、このことに大きく影響されて彼は自白するに至った。


島田事件(赤堀政夫氏)

1958年5月23日1審判決・死刑  1960年12月15日上告棄却判決・確定。


その後4回に及ぶ再審請求で再審開始となり、1989年1月31日自白の信用性が否定されて無罪となった(拘禁期間は12,668日)。


事案は、1954年3月10日白昼、静岡県島田市の幼稚園から女児が何者かに連れ出され、近くの山中で強姦殺害された事件。警察は取調べ室での厳しい取調べが外部で知られることを恐れて署長公舎の1室で赤堀氏を連日追及し、赤堀氏は誘導に乗って変転する自白調書を作成された。


日弁連の人権擁護委員会が取り組んだ再審事件のうち、無罪の判決を得て確定に至ったいわゆる冤罪事件は、上記の4件を含めて10件にものぼり、わが国の刑事司法に深刻な衝撃と反省を与えた。


3 死刑制度と手続的保障

無実の者に対して有罪を、しかも極刑である死刑をすら言い渡すという重大な不正義が、裁判の名において行われていた背景には、決して偶然的なものではなく、わが国における刑事司法、捜査と裁判の構造的要因が存在するというのが、長年にわたって誤判と闘ってきたわれわれの結論である。


死刑再審事件を含め多くの誤判事件には、いくつかの共通の原因があり、これらの誤判原因はまた単独でなく、いくつかが複合して存在している。そしてわが国の裁判が、かくも危なげな基盤のうえに成り立っている現実を見る限り、無辜の囚人を無惨に殺害しないためには、わが国においても国際人権〈自由権〉規約6条に従った死刑そのものの廃止が真剣に検討されるべきであろう。また現行の死刑制度を前提としても、その言い渡しについては特別に慎重な手続法の枠が課せられるべきである。


ちなみに、死刑に直面している者の権利の保護を確保する保障規定(1984年国連経済社会理事会決議〔1984/50〕)は「死刑は、罪に問われている者の有罪が、事実について別の説明の余地がないほど明白かつ説得力のある証拠に基づいている場合にのみ科すことができる」〔4〕とし、「死刑は、公平な裁判を確保するためにすべての可能な保障を与える法的手続きをとった後に、権限のある裁判所によって与えられた最終判決に従ってのみ執行することができる。ただし、その保障は、死刑を科すことができる犯罪の嫌疑を受け又はその罪に問われている者が訴訟手続きのすべての段階で適当な法的援助を求める権利を含めて、少なくとも市民的及び政治的権利に関する国際規約の14条に含まれているものと同じでなければならない」〔5〕としている。また、同じく「死刑の判決を受けた者は、上級の裁判権を有する裁判所へ上訴する権利を有し、また、そのような上訴が義務的となることを確保するための措置がとられなければならない」〔6〕とする。


しかるにわが国の刑事訴訟手続きにおいては、事実の認定においても、訴訟手続きにおいても特別の保障はなく、被疑者段階においては国選弁護人制度はなく、弁護人との接見交通等においても特別な保護はない。また義務的な上訴制度もない。これらは再審段階においても同様である。


また上記保障規定7は、「死刑の判決を受けた者は、恩赦又は減刑を求める権利を有する」とするが、わが国の恩赦法に基づく恩赦又は減刑は権利ではなく、請願にすぎない。


4 死刑の執行停止

また現行のわが国刑事訴訟法の中では、確定した刑事判決に対する再審請求の手続きは、当然に刑の執行を停止する効力を有しないとあり、例外として検察官の裁量により刑の執行を停止することができる旨の定めがなされているが、日弁連は、法律改正要求の重要な項目として、「当事者の申立てまたは裁判所の職権で、裁判所が刑の執行及び拘置を停止することかできる」とする制定法上の根拠をつけ加えるように求めているところである。


ちなみに上記保障規定8は、「死刑は、上訴又は他の請求手続き若しくは恩赦若しくは減刑に関する他の手続きが行われている間は、執行してはならない」と規定している。しかるに、第2次世界大戦後において、わが国では1947年5月福岡県において発生した拳銃による殺人事件の被告人が再審の請求を棄却されたのち、1975年6月に死刑を執行された例がある。


また、1951年8月熊本県で、村役場にダイナマイトを投げ込んで吏員を負傷させたという容疑で逮捕され懲役10年の判決を受け控訴中の被告人が脱走して、さらに当該吏員を惨殺したとして死刑判決が確定したものの、物的証拠など数々の疑問があり、「再審を開け、処刑するな」との世論が高まりつつあった1962年の9月、3回目の再審請求が棄却された直後に突然処刑されてしまった例がある。


これらの2件の如き苦い経験は、われわれが要求する法律の改正によって再び同じ過ちを繰り返さない教訓として生きるだろう。


さらに、わが国の再審制度では、請求人の身柄拘束に関して、再審開始決定が確定した場合の確定有罪判決の執行力が、継続するか否かが、死刑再審の実現に伴って問題化したので、日弁連は、法の改正として、「再審開始の決定をしたときは、決定で刑の執行及び拘置を停止しなければならない」との提案を行っている。死刑囚に対する「拘置」の性格をどのように理解すべきかにかかわる問題であるが、今後も起こり得る再審無罪判決を予想する限り、「およそ同一事件につき同一人が被告人であると同時に受刑者である」という矛盾した事態を、立法によって明確に排除しておくことの必要がある。


なお、少年と死刑に関しては、Ⅷ.para.416以下を参照されたい。


第3 誤判の温床  DAIYO-KANGOK

1 日本国内での実態
代用監獄制度

前述した死刑囚再審無罪事件を初めとする数々の誤判事件と拷問事例の温床となっているのが、既に“DAIYO~KANGOKU”という国際語にもなっている日本の代用監獄制度である。


日本の警察は被疑者の取調べに熱心で、自白を強要しがちである。自白を得るために、警察官が被疑者を代用監獄に拘禁している状況を不当に利用することがしばしばある。深夜までの厳しい取調べによって無実の者が自白させられる等、代用監獄制度が深刻な人権侵害や冤罪の原因となっている。


日本の刑事訴訟法では、逮捕された被疑者は、3日以内に裁判官の面前に引致されなければならず、裁判官が勾留の決定をすると、被疑者は原則として拘置所に移されて、起訴前まで原則10日間(さらに10日間、特殊な犯罪の場合には15日間延長が可能)拘禁され、起訴後も引き続き拘置所に拘禁されることになっている。日本でも建前上は、被疑者を勾留する場所は、警察とは異なる、法務省管轄の拘置所が原則とされているのである。


しかし、1908年に現行監獄法が制定されたときは、拘置所が少なかったので、警察留置場をやむをえず拘置所(監獄)の代用として、例外的に使用することができることにし、監獄法1条3項で、「警察官署に付属する留置場は之を監獄に代用することを得」と定められた。これが代用監獄制度である。なお、立法にあたって、政府は、代用監獄の弊害を認めて、「将来は監獄として用いない」ことを帝国議会で約束した。


ところが、日本の実態は、原則と例外が逆転し、圧倒的多数が代用監獄に収容されてきた。しかも起訴前・起訴後の長期間にわたって代用監獄に収容されてきた。まず、逮捕留置、起訴前勾留、起訴後勾留の総人数をみておく。1985年統計資料*1によれば、逮捕留置者は162,933人、起訴前勾留はこのうち103,344人、起訴後勾留は61,722人である。1985年統計資料*2によれば、勾留被疑者・被告人の代用監獄収容率は、被疑者93.1%、被告人27.9%となっており、勾留段階しかも起訴後まで多数代用監獄に収容されていることがわかる。日本の実態は、被疑者を代用監獄に収容するのが原則となっているのである。


こうしてごく例外的な場合を除き、すべての被疑者が勾留決定後、捜査を担当する代用監獄に連れ戻されている。被疑者は、警察によって、逮捕後23日間も、さらには起訴後も長期間にわたって、身柄を管理され、取調べを強要されているのである。


80年前に拘置所の不足から暫定的制度として発足し、政府自身がその弊害を認めて、「将来は監獄として用いない」ことを約束した代用監獄制度が、捜査にとって非常に便利なために現在も維持・活用されているのである。


代用監獄収容と裁判官の役割

代用監獄収容の勾留決定が裁判官によってなされても、そのこと自体によって代用監獄収容による人権侵害を正当化できない。すなわち、裁判官は、勾留理由の有無の判断をして、勾留場所・期間等を含め、勾留の許可決定をするが、裁判官あるいは裁判所が勾留をするのではない。裁判官は、勾留決定により代用監獄に連れ戻された者について、警察を監督することは全くない。仮に、勾留された者が、代用監獄ないしは警察の取調べ室で、警察から拷問・非人間的等の取扱い、または違法な取調べを受けた場合でも、被害者は、その訴えを裁判官に実効的に申し立てる手続きはない。この裁判官は、そのような訴えを聞くこともないし、そのような実務慣行もない。この裁判官は、警察の代用監獄を訪問することもない。裁判官は勾留された者に面会して処遇の適否を確かめることも慣行もない。


勾留による拘禁は、大部分の場合、請求どおり、代用監獄とされる。裁判官が、拘禁場所を拘置所としたくても、政府は、すべての代用監獄を廃止することができるだけの予算措置を講ぜず、代用監獄の整備を中心に巨額の予算を支出するので、拘置所が不足し、拘置所を勾留場所にすることが困難である。政府が「拘置所整備の予算がない」と弁解したとしても、それは、「虚偽である」としか言い様がない。なぜなら、最近までに、多くの警察署で、代用監獄整備のために多くの予算が支出されており、勾留された者の拘置場所の予算は実際にはあることが証明されているからである。代用監獄を減らし、拘置所を増やす予算措置はしていない。また、裁判官が、警察・検察の要求に逆らって拘置所を勾留場所にすると、検察は組織的に不服申立てをして、裁判官に抵抗するので、裁判官も圧力に屈してしまいがちである〔.2.国際人権〈自由権〉規約との関係の項参照〕。


代用監獄における処遇

代用監獄の中では、被疑者は警察官が監視できるよう配置された部屋(房)に収容される。


この部屋は、通常約10㎡程度の狭さで、数人の被収容者と長期間生活を共にすることが多い。婦人、少年は、一応別の区画に収容されるが、区画が完全でなく、成人男子の区画から見ることができるような例もあり、その好奇心の対象となることは避けられない。


監視にあたる警察官は被疑者のあらゆる行動をチェックし、記録につける。起床、洗面、食事、読書、就寝……など、およそ生活のすべてが監視される。排泄行為も決してその例外ではない。


そのうえに警察のつくった内部的な規制が、被疑者の生活や行動を厳しく制約している。室内で立ち歩くこと、会話をすることは禁じられる。床に敷かれたゴザやじゅうたんのうえでの座り方あるいは就寝中の毛布のかけ方のような細かいことまでも厳しく命じられる。部屋の片隅にトイレがあるが、排泄物の水洗も被疑者は自由にできない。


入浴は1週間に1回程度、運動は1日1回でそれぞれ10分から15分間の短時間が普通である。運動場がある場合もそれは建物の一角で、通常は非常に狭く、かつ過密である。そのため「喫煙所」がわりに使われることが多いというのが実情である。


外部との連絡はとりわけ厳しく制限される。直接電話を外部にかけることはできないし、弁護人への連絡もできない。弁護人の接見すらしばしば妨害される。食物や衣類の差入れや自費購入も様々な口実をつけられてしばしば妨害される。


こうして被疑者の生活のすべてが警察官の監視・規制の対象となり、その管理・支配に委ねられる。そして被疑者が自白しない場合、応々にして彼に対する処遇は一層悪化する。逆に自白すると、恩恵的によい処遇を受けることもできる。


人権侵害の歴史

そのために代用監獄において、今日まで数々の人権侵害が、いわば起こるべくして起こっている。


戦前の特高警察による拷問・虐殺、自白強要、その舞台となったのが代用監獄である。代用監獄こそが、戦前の人権抑圧の根底にあったのである。


戦後も、今日に至るまで、代用監獄における人権侵害と自白の強要・冤罪の発生が跡を絶たないことは、前述した通りである。


死刑確定囚が再審無罪となった事件では、昼夜を分かたず取り調べて眠らせない(免田事件)、食事の量を半分にし、さらに3分の1に減らして自白を強要する(財田川事件)、代用監獄にスパイを入れて自白をするようそそのかす(松山事件)、同じく再審無罪の梅田事件では、顔や頭を殴り、足の間に警棒を差し込んで踏みつけたり、指の間に鉛筆を挟んでねじるなどの暴行を加え拷問するなど、代用監獄をフルに活用した人権侵害と自白の強要が行われ、冤罪を生み出してきた。


警察の内部分担通達

1980年4月、日本政府は、捜査当局と身柄管理部局(看守係)とを警察の内部で分離するという通達を出した。政府は、指摘される代用監獄の弊害事例は古いケースであって、この通達により捜査事務と留置事務を分離して以降は改善されていると主張している。1988年12月衆議院法務委員会においても、政府は、「留置業務と捜査とを完全に分離しているから、いわゆる代用監獄制度は国際人権規約の諸規定に抵触はしない」と答弁した。


しかし、同通達後発生した、堺少女殺人事件(1984年発生、1991年大阪地裁堺支部判決)、浦和嬰児殺し事件(1985年発生、1989年浦和地裁判決)、大阪サラリーマンすり事件(1987年発生、1991年大阪高裁判決)、奈良酒酔い運転事件(1988年発生、1990年葛城簡易裁判所判決)などでは、いずれも代用監獄における自白の強要が問題とされ、無罪判決が出された。


堺少女殺人事件の元被告は、別件逮捕から50日間、本件での再逮捕から34日間の長期にわたって代用監獄に拘禁され、自白を強要された。同被告は、1991年4月24日日弁連主催の市民集会において、代用監獄での取調べの実態を次のように報告した。


「本件(少女殺人)になってからは全然寝かせてくれない。房に隠しカメラがあり、寝ていたら起こす。取調べでびんたを食らわす。丸椅子に座らされ、腰痛で手術したばかりで耐えられない。耳元で大声を出す。警察官は酒を飲んで近づきプンプンさせる。私がアルコール依存症で治療中ということを知っていたのではないか。コルセットは拘置所ではずっとやらせてくれたが、警察は『自白したらコルセットを持ってきてやる』といって、留置場では自白をして裁判官に会うとき1日だけしかさせてもらえなかった。留置管理官に言っても、取調べ官の許可がないとダメと言われた。出入簿に、取調べ中に1時間休んだと書かれてあったが、うそだ。10分未満だ。代用監獄は地獄だ」


ちなみに、『法学セミナー』1991年9月号川崎英明「無罪事例の意義とこれからの課題」によれば、自白・共犯者自白の信用性、任意性を否定した無罪判決は、管見しえた限りでも、1988年7件、1989年19件、1990年11件、1991年(5月まで)6件を数え、自白の任意性まで否定された事例が増加していることが指摘されている。また、1991年4月25日付夕刊フジによれば、同年3月の1カ月だけでも15件の無罪判決事例(うち、自白の信用性、任意性否定事例7件)が報道されている。


代用監獄における自白強要などによる無罪判決は最近も続出しており、代用監獄の弊害などによる冤罪事件は、同通達後も何ら減少するどころか、今日までなお続出しているのである。このことは同通達が警察の単なる内部分担にすぎず、代用監獄制度の弊害を本質的には何ら改善するものではないことを示している。


また1988年6月、三島警察署看守が勾留中の2女性に対して強制猥褻行為をしたとして、特別公務員暴行陵虐罪で逮捕された。監獄法施行規則29条は、「所長、監獄ノ医師及ヒ女子ノ監獄官吏ヲ除ク外監獄官吏ハ単独ニテ独居拘禁ニ付セラレタル婦女ヲ巡視スコトヲ得ス夜間独居監房ニ拘禁セラレタル婦女ノ巡視ニ付キ亦同シ」と規定されている。この法律が適用される拘置所であったならばこのような事件は起こらなかったであろう。


代用監獄批判の高裁判決


1991年4月23日、東京高裁は、1審無期懲役判決のいわゆる松戸女性殺人事件について、逆転無罪判決を出した。


この事件の被告は、別件の窃盗容疑で逮捕されて殺人罪で起訴されるまでの182日間のほとんどを改築直後で他に収容者のいない代用監獄に留置され、看守も配置されていなかったため、取調べにあたった刑事が看守を兼ねて被告を24時間体制で監視し続けた。この間、警察は被害者の位牌や遺体の写真を取調べ室に持ち込み、線香をたいて、被告を追及した。被告は、留置場内で空腹や寒さを繰り返し訴えていたにもかかわらず容れられず、精神的に追いつめられて、嘘の自白をするに至った。


東京高裁は、その判決の中で、別件逮捕され代用監獄で長期の取調べを受けたことについて、「(代用監獄は)自白の強要が行われる危険の多い制度であり、その運用には慎重な配慮が必要で、犯罪捜査と拘置事務は独自の立場で適正に行われることが不可欠」とする画期的な見解を示し、代用監獄を利用した警察の捜査のあり方を厳しく批判した。そして、唯一の直接証拠とされた自白調書について、捜査当局は被告を代用監獄に拘置し、自白を強要しており、任意性は認められないとして、証拠能力を否定した。


ついに、裁判所自身が代用監獄を痛烈に批判するまでに至ったのである。検察側は、上告を断念し、被告の無罪が確定した。


2 国際人権〈自由権〉規約との関係

国際人権〈自由権〉規約違反


国際人権〈自由権〉規約9条3項は、「刑事上の罪に問われて逮捕され又抑留された者は、裁判官又は司法権を行使することが法律によって認められている他の官憲の面前に速やかに連れていかれるものとし、妥当な期間内に裁判を受ける権利又は釈放される権利を有する」と定めている。この「連れて行かれる」とは、「連れて行って身柄を渡す」という身柄拘束権の移転を意味する。


国連被拘禁者人権原則37は、上記国際人権〈自由権〉規約と同趣旨の規定を定め、同原則9は、「人を逮捕、拘禁し、又は事件を捜査する機関は、法律によって与えられた権限のみを行使するものとし、その権限の行使については裁判官等の審査、救済の対象とされなければならない」と定めている。


捜査機関は、本来、法律によって与えられた権限(捜査)のみを行使すべきであり、裁判官の面前に連れて行かれた後は被拘禁者の身柄管理の権限は上記国際人権〈自由権〉規約上与えられていない。捜査と勾留の権限を警察が兼ね備える代用監獄制度は、警察が自白の獲得のために拘禁状態を不当に利用することを制度化するものである。なぜなら、取調べにあたる捜査機関(警察)が被疑者を勾留する権限までもてば、被疑者の全生活(食事、用便、入浴から睡眠まで)を捜査機関が支配できるため、自白の追求に熱心であればあるほど身柄の拘束状態を取調べに利用したいという誘惑にかられやすいからである。そのため、警察留置場に収容される者の人権に対して捜査官憲が無感覚になり、人権侵害が横行するのである。


1959年1月インドのニューデリーで開かれた国際法曹委員会の大会(第3部会)で、「引致後の拘禁は警察に委ねてはならない」と決議された〔デリー宣言〕。


1979年9月ハンブルグで開かれた第12回国際刑法学会で、「引致後においては、被疑者は捜査官憲の拘束下に戻されてはならず、通常の刑務職員の拘束下に置かれなければならない」と決議された〔ハンブルグ決議7条e項〕。


1988年12月衆議院法務委員会において、政府は、デリー宣言について、「この(国際法曹)委員会は、法律家だけからなる民間の私的な団体でございまして、出席者も日本政府の代表として出席したものではなく、したがって、その決議には何らの国際法的な拘束力はないと理解しております」と答弁し、またハンブルグ決議について、「この学会も任意加盟の学会にしかすぎず、出席者も日本政府の代表として出席したものではなく、一法律家として出席したわけで、その決議には何らの国際法的な拘束力はない」と答弁し、「これらの決議は、それなりの見解として傾聴するが、そういった1つの理念があるということとは、国際人権B規約の解釈とは全然別個のものである」と弁明した。


しかし、これらの会議には、各国の権威ある法律家が法曹界の代表として参加し、日本政府も法務省人権擁護局長(デリー宣言)、最高検総務部長(ハンブルグ決議)を派遣しており、国際的な法律専門家が国際的な司法原則・常識を宣明したもので、全世界で十分に尊重されなければならない性格のものである。一民間団体の決議などという軽々しい性格のものではない。


また国際人権〈自由権〉規約7条は、「何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰を受けない」と定めている。本条により「要求される保護の範囲は、通常理解される拷問をはるかに超えるものである」〔国際人権〈自由権〉規約委員会の一般的意見〕。国連被拘禁者人権原則6は、上記国際人権〈自由権〉規約と同趣旨の規定を定めている。


国際人権〈自由権〉規約10条1項は、「自由を奪われたすべての者は、人道的にかつ人間の固有の尊厳を尊重して、取扱われる」と定めている。この「自由を奪われたすべての者の人道的取扱い及び尊厳性の尊重は、物的資源に全面的に依存するはずのない普遍的な適用性のある基本的基準である」〔国際人権〈自由権〉規約委員会の一般的意見〕。


国連被拘禁者人権原則21の1項は、「自白させ、その他自己に罪を帰せ、又は他人に不利な証言をさせることを強制するため、拘禁された者又は受刑者の状態を不当に利用することは、禁止される」と、同2項は、「拘禁されている者は、取調べの間に、暴力、脅迫、又は決定能力や判断能力をそこなう方法での取調べを受けてはならない」と定めている。


取調べにあたる捜査機関と被疑者を勾留する機関は別異の国家機関でなければならないというのが近代司法の大原則である。日本の代用監獄制度が、国際人権〈自由権〉規約7条、9条3項、10条1項に違反することは、同趣旨のヨーロッパ人権条約、米州人権条約などからみても明らかである。


1980年通達により、留置業務と捜査業務とを分離したといっても、同じ警察のなかで担当を分けるという意味しかもたず、「被疑者が裁判官の前に連れて行かれた後は、捜査官憲(警察)の拘束下に戻されてはならない」という国際的な司法原則に反することは明らかである。


最近警察は、新設された警察留置場の設備をPRしているが、代用監獄問題は、単なる物的施設の問題ではなく、捜査と拘置業務が独立の機関に分離されていない制度そのものに問題があるのである。


国際人権〈自由権〉規約違反により国連通報


1988年5月、日本の代用監獄制度が国際人権〈自由権〉規約に違反するとして、市民団体等が1503決議に基づく国連通報をした。


1989年3月には、日本の弁護士らがジュネーブに行き、さらに555通の国連通報を提出した。


これらの動きを受けて、1989年5月、国連人権センターのモラー国連通報部長が日本政府の招きにより来日した。


国連NGO等の勧告並びに決議*


a パーカー・ジョデル報告書(1989年2月)


この報告書は、日本の代用監獄における人権侵害の事実を詳細に指摘し、代用監獄制度が国際人権〈自由権〉規約9条3項に違反し、国連被拘禁者人権原則にも反すると断定し、監獄法1条3項の即時廃止を勧告している。


この報告書は、1989年2月の国連人権委員会に提出され、カレン・パーカー弁護士ら2人のNGO法律家が、報告書に基づき日本の代用監獄制度について報告した。


これに対して日本政府代表は、同委員会の場で、「2人の報告は、日本の刑事手続きにおける人権状況を正確に分析していない。日本の刑事司法制度についての基本的な知識を欠いている。報告書は、誤解と偏見に満ちている」と答弁した。


b アムネスティ・インターナショナル勧告書(1991年1月)


勧告書は、代用監獄について次のような勧告を行った。


「日本の当局が現行の実務を再検討し、遅滞なく、取調べ当局と囚人の拘禁と福祉を担当する当局とを正式に分離する保障措置を導入し、その措置と責任体制の分離が被拘禁者に明確にわかるようなものであることを確保するよう勧告する」


c 国際民主法律家協会(IADL)ビューローのコミュニケ(1989年3月)


このコミュニケでは、日本の代用監獄における長期拘禁制度が、「今日、いかなる文明国でももはや存在しないことを確認し、……世界でも先進国のひとつである日本においていまだ存続していることに驚きを表明し、代用監獄の廃止は必至であることを確信する」と指摘した。


d ロスアンゼルス刑事弁護士会理事会の決議(1991年4月)


決議は「日本の代用監獄制度が適正手続きの基本原則に違反する、との日弁連の意見に同意する。理事会は、従って、代用監獄制度を改革し、日本法で代用監獄制度が恒久化することを阻止しようとする日弁連の努力を支援する」とのべている。


3 日弁連代用監獄廃止要綱の策定

1988年11月日弁連人権擁護大会は、代用監獄制度が国際人権〈自由権〉規約に違反するとの宣言を満場一致で採択した。


1991年4月日弁連は、2000年12月31日限り代用監獄を廃止する要綱を策定した。


この日弁連要綱に関連して、左藤法務大臣(当時)は、1991年5月7日、「将来的には代用監獄はなくさねばならないが、土地取得のための予算措置の問題もある」と述べた。


時の法務大臣が「将来的には」という前置きをつけているとはいえ、代用監獄の廃止を言明することは画期的なことである。しかし本気でそういうのであれば、代用監獄を警察の本格的未決拘禁施設として格上げしようとする拘禁二法案(1991年4月国会提出*・後述)は、直ちに撤回されなければならない。


第4 捜査段階における弁護人の援助を受ける権利〔14条3項〕

1 被疑者の勾留手続における弁護人の援助を受ける権利の侵害

逮捕された被疑者は、検察官の勾留請求により、逮捕後72時間以内に、裁判官の面前に引致され、勾留質問を受ける。裁判官は、勾留の理由があるときは、10日間以内拘禁を許可する(10日間の再延長も認められている)。


ところが、大部分の被疑者には、この勾留質問手続き段階でも弁護人が付されていず、弁護人の援助・防御を受ける実効的な権利は保障されていない〔Ⅳ.2「被疑者段階の国選弁護の欠如」の項参照〕。


弁護人の勾留質問手続きへの立会いはできない。従って、被疑者は、勾留質問の際に、弁護人の援助を受けることができないし、弁護人による防御もありえない。勾留のため、裁判官による被疑者への勾留質問がなされるが、その際弁護人の立会いを認める法律上の規定も実務的慣行もないから、逮捕された被疑者が資力のある人で、たまたま自ら選任する弁護人がいる者でも、その弁護人を通じて、防御する権利は否定されている(国際人権〈自由権〉規約14条3項(d)違反)。国連「弁護士の役割に関する基本原則」1により「刑事手続のあらゆる段階で自己を防御するために、自ら選任した弁護士の援助を受ける権利」があるとされたのだから、同(d)のいう「自ら選任する弁護人を通じて、防御する権利」は、「刑事手続のあらゆる段階」で保障されなければならないことが確認されたのであって、当然勾留裁判手続きにおいても保障されるべきものである。国際人権〈自由権〉規約は、被拘禁者に裁判所において解放決定手続きを受ける権利を保障しているが、その手続きは司法的な手続きでなければならないから、同4項は、被拘禁者が弁護人によって防御を受ける権利の保障をも含むはずである。従って同項違反もある。


弁護人も被疑者も勾留決定手続きの資料は閲覧が許されず、何を防御してよいのかもわからず、警察・検察側の一方的な提出証拠を批判・反証・弾劾することもできない。だから防御は不可能に近いので国際人権〈自由権〉規約14条3項の保障する防御のための十分な便益を与えられていないことになり、同項違反である。


2 被疑者段階の国選弁護の欠如

国際人権〈自由権〉規約14条3項前文は、「すべての者は、その刑事上の罪の決定について、十分平等に、少なくとも次の保障を受ける権利を有する」とし、同14条3項(d)は「司法の利益のために必要な場合には、十分な支払手段を有しないときは、自らその費用を負担することなく、弁護人を付されること」と規定している。


国連被拘禁者人権原則17の1、17の2、及び国連「弁護士の役割に関する基本原則」の5、6は、一層明確に、逮捕若しくは抑留され、または犯罪の嫌疑を受けて、自ら選任した弁護士がいないときには司法官憲によって弁護人を選任してもらう権利があり、資力がないときは無償とすることが明記されている。


日本の刑事訴訟法(1948年制定)も、裁判所が弁護人を付さなければならない場合を定めているが、その対象は、裁判所へ起訴された被告人に限られている。従って、逮捕若しくは犯罪の嫌疑を受けて勾留された人は、貧困者や少年その他の不利な状況にある人を含めて、自らの経済的負担により弁護人を選任する他はない。


被疑者またはその家族が、十分な刑事手続きについての知識、知り合いの弁護士、十分な弁護費用を有している場合は、私選弁護人が付されることがある。


ところが、このような条件のない者、殊に貧困者である逮捕された被疑者には弁護人が否定されているのが日本の制度・実務慣行であるが、これは国際人権〈自由権〉規約14条3項(d)違反である。また、経済的弱者を刑事手続上著しく不利に取り扱う差別であって、国際人権〈自由権〉規約26条違反でもある。日弁連等の要求にもかかわらず、逮捕された被疑者に国選弁護人を付す制度がないからである。政府は、そのための予算を全く計上していず、裁判所も起訴前であるこの段階では、国選弁護人を選任しない。政府は財団法人法律扶助協会に対しても、そのための必要資金を全く提供していない。


また、そのようなことが起こるのは、「すべて」の逮捕された被疑者に対する逮捕後48時間以内の弁護人へのアクセス権が保障されていないからで、国際人権〈自由権〉規約9条4項違反となろう。同項によって保障されているはずの、裁判所によって解放決定手続きを受けることのできる権利には、その手続きのなかで、弁護人によって実効的な権利行使の手段を与えられるべき権利も含まれているはずである。だから、国連被拘禁者人権原則17の1は「弁護人の援助を受ける権利」について、「逮捕後すみやかにその権利を告知されるものとし、権利行使のための適切な便宜を与えられるものとする」と、また、国連「弁護士の役割に関する基本原則」7は「逮捕又は抑留された者が、遅滞なく、遅くとも逮捕又は抑留のときから48時間以内に、弁護士へのアクセスがなしうるよう保障するものとする」と確認したのである。


なお、最近東京都周辺のいくつかの弁護士会が行った調査では、捜査段階で自ら弁護人を選任できた被疑者の割合の平均は、15ないし16%にすぎない。


このように、日本の国選弁護に関する現行法律制度そのものだけをみても国際人権〈自由権〉規約などに適合していないことは明らかである。


しかも、日本の捜査及び刑事訴訟の特異な実態は、捜査段階での国選弁護人制度が存在しないことによって、犯罪の嫌疑を受けた人達の人権が侵害される危険を一層深刻なものとしている。その特異な実態に関する詳細は、問題点ごとに別記してあるので、以下要点のみを記載する。


捜査官憲の強大な権限


現行刑事訴訟法は、改正前刑事訴訟法が採用していた予審制度を廃止した代わりに捜査官憲に強大な権限を与えている。


a 警察官及び検察官・検察事務官に、被疑者並びに第三者に対する出頭要求権及び取調べの権限を認めている〔198条、233条〕。


b 上記捜査官は、あらゆる犯罪を捜査するため、裁判官に令状を請求することができ、発せられた令状により、逮捕、捜索、差押、検証をすることができ、鑑定嘱託・鑑定留置を請求することができる〔199条、218条、224条〕。


c 検察官は、裁判官に被疑者の勾留を請求することができる〔204条、205条〕。


d 捜査官が作成した被疑者並びに第三者の供述録取書に証拠能力を認めている〔321条、322条〕。


長時間の身体拘束


逮捕状により逮捕された人は、最大限72時間の身体の拘束が許されている〔203条、204条、205条〕。検察官はこれに引き続いて留置する必要があると思料すれば裁判官に勾留を請求するが、勾留期間は原則10日間とさらに10日間の延長が認められている。従って、逮捕されたときから合計すれば、最大23日間の身体の拘束が許されている。


しかも、裁判官の勾留質問の際に、仮に私選弁護人が付いていても、勾留理由の有無を判断する資料を弁護人は閲覧することすらできない上、弁護人の立会いなしで勾留質問が行われるため、被疑者は弁護人の援助を受けないで意見を述べさせられている。


勾留場所と取調べ


裁判官は、被疑者の勾留場所をほとんどの場合に検察官が要求する代用監獄を指定する。そのため被疑者は、裁判官の勾留質問を経た後も、捜査を担当する警察署に戻され、長時間、身体を拘束されて取調べを受けることとなる。しかも、1日の取調べ時間や通算取調べ時間を制約する規定はない。


この取調べにつき、弁護人の立会権は認められていない。捜査中は、弁護を担当して被疑者の供述録取書の閲覧もできないし、取調べ担当官の氏名や取調べ時間を確認する文書の交付を受けられない。


また、取調べのテープ録音は原則として行われず、捜査官が恣意的に一部テープ録音をするにすぎず、その正確性を担保する措置もとられていない。


そのため、公判段階で被告人の供述録取書に記載されている自白の任意性や信用性が問題になった場合、これを否定することは極めて困難である。


勾留されている被疑者の保障が極めて不十分であること


逮捕、勾留時において、弁護人依頼権及び黙秘権があることの告知は、口頭で形式的になされるにすぎない。


勾留時に、しばしば、家族を含めて一般人との接見、書類または物品の授受が禁止され、被疑事実を自白した後も捜査中は禁止を解除されないのが通例である。


弁護人の接見も、捜査の都合により阻害され、自由面会はないに等しい。


弁護人と被疑者との文書の授受も、事実上、検閲なしでは行えず、秘密交通権は保障されていない。


また、接見は接見室に限られ、電話を利用して被疑者と会話をすることもできない。


接見時に、弁護人が録音テープを使用する場合は、事前の許可と事後の検閲が要求されているし、被疑者の身体的状況など証拠保全を要する場合でも、写真撮影はほとんど許されない。


公判における証拠調べ


刑事訴訟法は、自白の証拠能力及び伝聞証拠の証拠能力を制限する規定をおいているが、例外規定及び証拠採用の運用が緩やかなため、捜査中に作成された供述録取書などの検察官請求の書証は概ね採用され、有罪認定の重要な証拠として猛威を振っている。


検察官の手持証拠で公判に提出されないものは、弁護人の閲覧権が及ばないし、証拠開示の請求は裁判所の訴訟指揮に任されているにすぎない。


以上の実態を考慮するならば、被疑者、被告人の人権を擁護するためには、捜査段階における弁護活動を国際的基準のレベルにまで充実・強化することが不可欠である。そのためには先ず弁護人となり、適切にして強力な弁護権を行使できるようにすることが先決的な課題である。


そこで、日本弁護士連合会は、被疑者に対する国選弁護人制度が存在しない致命的な欠陥を補い、国連「弁護士の役割に関する基本原則」に定める弁護士会の責務を果たすために、日本全国の弁護士会に対し次のような活動を開始することを要請した。


 被疑者の弁護人となろうとする弁護士につき、予め当番日を決め、当番弁護士は、被疑者から弁護士の援助を求められたときは、直ちに行動を起こすことができるように待機する当番弁護士制度か、あるいは、予め登録した名簿の順序により、必要が生じた場合に弁護人となろうとする弁護士を派遣する名簿式弁護人推薦制度を、各弁護士会の実情に合わせて実施すること。


 当番弁護士または推薦された弁護士は、24時間以内か遅くとも48時間以内に、被疑者と面会し、自己を防御するために必要な助言をし、相談に応ずる義務があること。この段階までは、できる限りすべて無償とすること。


 被疑者と面会した弁護士が、弁護人選任の申出を受けたときは原則として受任する義務があること。


 もし、貧困その他の事情により、自らの資力で弁護人を選任できないときは、財団法人法律扶助協会の援助を求める手続きをして、弁護人を選任できるようにすること。


その結果、1991年10月現在において、52会の弁護士会のうち23の弁護士会が「当番弁護士制度」を実施し、その余の弁護士会も近い将来における実施に向けて計画を推進中である*。


* 1992年10月1日に、全国52の弁護士会で実施することとなった。


しかし、これらの「当番弁護士制度」については、その実効性を阻害する次の要因が存在する。


 構造的な問題として、日本政府の義務として行われていないから、基本的には弁護士のボランティア活動により支えられている。即ち、当番弁護士の活動は、弁護士会により無償の場合もあり、有償の場合でも財源は弁護士会の乏しい資産か弁護士の寄付であり、貧困者などに対する法律扶助による被疑者弁護人の援助の主要財源は一般人の寄付である。従って、資金規模は貧弱であり、弁護士への支払額も低額である。


 刑事訴訟法は、逮捕された人または勾留される被疑者が特定の弁護士を知らなくても弁護士会を指定して弁護人の選任を申し出ることができると定めている。しかし、その基本規定である78条の規定の仕方が、この権利内容を告知しなくてもいいように解釈される余地があり、実務的にもそのように運用されてきた。その後、当番弁護士制度の普及に伴い、裁判所は理解を示し、1992年4月以降は多くの裁判所において、勾留質問をする被疑者に78条の権利内容とともに当番弁護士制度を紹介する文書を掲示して知らせるようになったが、口頭でも説明するかどうかは各裁判所の運用にまかされている。しかし、捜査当局は未だ消極的である。


このような阻害要因は、法制度に基因する構造的なものであるだけに、弁護士会の改善努力による成果には限界がある。従って、すべての被逮捕者、被勾留者の権利を平等に擁護するには、起訴前の被疑者国選弁護制度を確立し、日本政府の国際人権〈自由権〉規約上の責務を果たす他はない。


3 弁護人の接見交通権の侵害

国際人権法による接見交通権の保障


すべての者に対し、国際人権〈自由権〉規約14条3項(b)は、「防御の準備のために十分な時間及び便益を与えられ並びに自ら選任する弁護人と連絡すること」を、同(d)は、「自ら出席して裁判を受け及び、直接に又は自ら選任する弁護人を通じて、防御すること」を、それぞれ権利として保障している。


上記の各権利は、「刑事上の罪の決定について」の権利とされているところ、その趣旨・目的からして、この権利は公判段階における権利保障のみを意味するものではなく、刑事上の罪の決定に至る全ての段階で、即ち、捜査段階から起訴、公判を経て判決に至る全ての手続きの権利保障を意味するものであるとわれわれは理解している。即ち、これらの規定は、身体を拘束された被疑者の、弁護人との接見交通権を含む捜査・公判を通じての弁護人依頼権を保障しているというのが、われわれの理解しているところである。


また自ら選任する弁護人と連絡する権利、即ち接見交通権は、防御の準備のために保障された権利なのであるから、防御の準備のために必要な時にこそ保障されなければならないと考える。そして、被疑者が防御の準備のために弁護人との接見交通を最も必要としているのは、被疑者が検察官や警察官による取調べを受けるなどの重大な局面に立たされている場合である。


従って、捜査官による取調べが現に行われていること、あるいは今後取調べが行われる予定があることを理由に、被疑者の弁護人との接見交通権を制限することは、接見交通権の本質に反し、国際人権〈自由権〉規約14条3項(b)及び(d)の規定に反するとわれわれは考えている。被疑者または弁護人が接見を求めた場合には、捜査官による取調べは直ちに中止されなければならず、弁護人による助言の機会を奪ってなされた取調べは違法だと考える。このようなわれわれの解釈は、「条約法に関するウィーン条約」31条1項が定める「文脈によりかつその趣旨及び目的に照らして与えられる用語の通常の意味に従って、誠実に解釈する」との条約解釈の基本原則に基づくものである。


われわれの見解は、国際人権〈自由権〉規約委員会の一般的意見13(21)とも一致している。


上記一般的意見は、次のように述べている。


「本号(14条3項(b)のこと)は、弁護人に対しその連絡の秘密を十分尊重するという条件で、被疑者・被告人と連絡することを要求する。弁護士はいかなる方面からも、いかなる制限、影響、圧力又は不当な干渉も受けることなく、その確立した専門的水準及び判断によって、その依頼者に助言し、かつ依頼者を代理することができるべきである」


捜査官による取調べが現に進行中であることや、取調べが予定されていることを理由に、弁護人と被疑者との接見を拒否したり遅延させたり、またはその時間を不当に制限することは、一般的意見がいう弁護人に対する「制限」及び「不当な干渉」にほかならない。


国際人権〈自由権〉規約の解釈にあたっては、国際人権法を構成する諸規定や判例をも参照する必要があると考えるが、その内でも特に重要なのは、国連被拘禁者人権原則であり、この原則が規定する内容と我々の上記見解とは一致している。


国連被拘禁者人権原則18の3項は、次にように定める。


「3 抑留又は拘禁された者が、遅滞なく、また検閲されることなく完全に秘密を保障されて自己の弁護士の訪問を受け、弁護士と相談又は通信する権利は、停止されたり制限されたりしないものとする。但し、法律又は法に従った規則に定められ、かつ司法もしくはその他の官憲により安全と秩序を維持するために不可欠であると判断された例外的な場合を除くものとする」


即ち、上記原則は、捜査官憲による被疑者に対しての取調べが現に進行中であることあるいは取調べが予定されていることを理由に、弁護人と被疑者との接見を拒絶したり制限することは認めていない。


日本における接見交通権に関する法制度とその運用


日本においては、憲法34条が「何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与えられなければ、抑留又は拘禁されない」と定め、この憲法の弁護人依頼権の保障に基づき、刑事訴訟法39条1項は「身体の拘束を受けている被告人又は被疑者は、弁護人又は弁護人を選任することができる者の依頼により弁護人となろうとする者と立会人なくして接見し、又は書類若しくは物の授受をすることができる」と規定し、原則として弁護人と被疑者との自由な接見交通権を保障している。


しかし、他方で、刑事訴訟法39条3項は、「検察官、検察事務官又は司法警察職員は、捜査のため必要があるときは、公訴の起訴前に限り、1項の接見又は授受に関し、その日時、場所及び時間を指定することができる。但し、その指定は、被疑者が防御の準備をする権利を不当に制限するようなものであってはならない」と規定し、濫用を禁止しつつも、「捜査の必要」による接見の制限を認めている。


上記の法の規定によれば、接見の制限は例外的なものであるはずであるが、実際には、法務省ないし捜査当局は、一般的指定制度という法には定めのない制度を創設することによって、上記1項の原則と3項の例外とを転倒させて運用してきた。


即ち、捜査当局は、贈収賄事件・公職選挙法違反事件・覚醒剤事件・暴力団関係事件・公安事件あるいは否認事件など一定の犯罪類型については、逮捕から起訴に至るまでの最長23日の間、常に「捜査の必要」が存在するものとして「一般的指定書」と称する書面で弁護人との接見を一般的に禁止し、この接見禁止を「具体的指定書」と称する、いわば切符を検察官から弁護人が受領してこれを持参した場合には、部分的に解除をするという運用を1988年3月までの長期間にわたって続けてきた。これが一般的指定制度である。


現在では、この制度の内、切符制は廃止されたものの、依然として被疑者の弁護人との接見は、検察官が管理しており、刑事訴訟法39条3項の指定権を行使するかどうかについての検察官の判断があるまでは常に接見ができない状態(一般指定状態)にあり、また、取調べ中であるか取調べ予定がある場合(取調べ予定がない場合であっても、取調べ予定が口実にされることもある)には、そのことを理由に接見が15~20分に制限されている実情にある。


われわれは、このような接見制限は、ほとんどの場合、刑事訴訟法39条3項但書に違反し、「被疑者が防御の準備をする権利を不当に制限するようなもの」であると考えているが、捜査当局は、「防御の準備をする権利」とは、公判における防御を準備する権利であって、取調べにいかに対応するかというような捜査に対する直接の防御の権利ではないと解釈しており、実際上、この但書は機能していない。捜査当局の見解は、本質的には、被疑者段階における弁護人依頼権を否定するものである。


接見妨害による冤罪事件の発生


上記のような接見妨害は、冤罪を生み出す原因の1つとなっている。その典型的な例が、お茶の水女子大寮事件である。


これは、1985年4月に起きた強姦未遂事件である。後にこの事件で起訴され無罪判決を受けたA氏は、事件の1カ月半後の同年5月28日、別件の窃盗事件で緊急逮捕され、同年7月17日には執行猶予の判決を受けて釈放されたが、この釈放当日、警察はこの強姦未遂事件でA氏を再逮捕した。弁護人は、7月29日、検察官に対し、A氏との接見を申し出たが、同日については引き当り捜査* の予定があるとの理由で、同30、31日の両日については検察官調べの予定があるとの理由で、いずれも接見を拒否された。そして、この接見拒否がなされていた間の7月31日、A氏は警察官の強要により自白し、この自白に基づきA氏は起訴された。


* 捜査機関が犯行現場等に被疑者を立ち会わせて実況見分をしたり、供述の裏付けをとることをいう。


裁判所は、1987年12月、「被告人が本件犯行の犯人であろうはずはなく、本件はずさん極まる見込捜査により公訴事実に証明がないことに帰したものである」と述べ、A氏に無罪を言い渡した。


即ち、この事件は、引き当り捜査や取調べの予定を理由に、検察官が被疑者の弁護人との接見を妨害し、これによって被疑者に虚偽の自白をさせたものである。


接見妨害に対する救済手続き


刑事訴訟法430条は、検察官等がなす同法39条3項の接見指定に対し、準抗告という裁判所への異議申立て手続きを定めているが、実際上は、権利救済の機能を果たしていない。


前記のお茶の水女子大寮事件においても、弁護人は接見妨害に対し準抗告の申立てをしたが、裁判所は取調べの予定があることなどを理由に、検察官のなした接見拒否処分を是認し、弁護人の申立てを退けている。


このような実情にあるため、弁護人は、準抗告とは別に、あるいは併せて、民事訴訟として国に対する損害賠償請求の訴訟を提起することがよくある。


しかし、最高裁判所は、1991年5月に相次いでこのような国家賠償請求の訴訟に対し判決を言い渡し、その中で、刑事訴訟法39条3項の「捜査の必要」とは、被疑者と弁護人との接見を「認めると捜査の中断による支障が顕著な場合」であるとし、この「捜査の中断による支障が顕著な場合」には、「現に被疑者を取調べ中である」場合の他、「間近い時に右取調べ等をする確実な予定があって、弁護人等の必要とする接見を認めたのでは、右取調べ等が予定どおり開始できなくなるおそれがある場合」をも含むとの解釈を示した。


即ち、日本の国内法の手続きでは、「取調べ中」や「取調べ予定」を理由とする接見妨害に対する救済手段は封ぜられるに至っている。


刑事訴訟法39条3項の国際人権〈自由権〉規約違反


上記のとおり、日本の最高裁判所の解釈によれば、刑事訴訟法39条3項は、「取調べ中」や「取調べ予定」を理由に、被疑者の弁護人との接見交通が制限可能であり、現実にも接見が制限されている。


従って、われわれは、日本の刑事訴訟法39条3項は、para.146~para.150に述べた国際人権〈自由権〉規約14条3項(b)及び(d)の解釈に基づく限り、これに違反するものだと考える。


われわれは、規約14条3項(b)及び(d)が定める接見交通権に一切の制約がないとまでは考えないが、少なくとも「取調べ中」や「取調べ予定」というような理由で制限されるべきではないと考える。


あり得る制限は、国連被拘禁者人権原則の原則18の3が定めるような理由及び手続きによるものでなければならない。


即ち制限は、(a)法律または法に従った規則に定められていること、(b)司法もしくはその他の官憲により安全と秩序を維持するために不可欠であると判断されたこと、(c)例外的な場合であること、の3つの要件を満たすものでなければならない。


日本の刑事訴訟法39条3項は、捜査機関である検察官や警察官による接見の制限を認めているが、上記原則にいう「司法もしくはその他の官憲(a`judical`or`other`authority)」とは、「その地位及び在任資格によって、権限、公平性及び独立性について最も強い保護が与えられている、裁判官その他の官憲」を指すのであって〔国連被拘禁者人権原則、用語例f〕、検察官や警察官を含まないことは明白である。


また、「安全と秩序を維持するために不可欠であると判断された例外的な場合」が、「捜査の必要」あるいは、その内容とされる「取調べ中」や「取調べ予定」とは全く異なる事態を指すことは言うまでもない。国連における討議の過程においては、上記の「安全と秩序を維持するために不可欠であると判断された例外的な場合」との案に対し、「抑留された者が弁護士の訪問を受けもしくは通信する権利を停止し制限するについてのより広範な裁量権を、特に、捜査と審理の規則正しい進行と抑留の目的のために必要な場合に、当局に与える」べきだとの意見が述べられたが、少数意見にとどまり、採用されなかったことに留意すれば、このことは明白である。


このように、日本の刑事訴訟法39条3項は、接見の制限手続き及び制限事由の両面で、国連被拘禁者人権原則に反している。また、この原則は、国際人権〈自由権〉規約14条3項(b)及び(d)の定める弁護人依頼権に対してあり得る制約の内容を具体化したものとして理解できるのであって、そうであるならば、刑事訴訟法39条3項は、同規約にも違反するものである。


4 取調べへの弁護人の立会い
弁護人の立会権

国際人権規約〈自由権〉規約は「防御の準備のために十分な時間及び便益を与えられ並びに自ら選任する弁護人と連絡すること」「直接に又は自ら選任する弁護人を通じて、防御すること。弁護人がいない場合には、弁護人を持つ権利を告げられること。十分な支払手段を有しないときは自らその費用を負担することなく、弁護人を付されること」を保障している〔14条3項(b)、(d)〕。


他方、上記規約の規定等を具体化したものと解される国連「弁護士の役割に関する基本原則」は、すべての人は自己の権利を保護確立し刑事責任のあらゆる段階で自己を防衛するために弁護士の援助を受ける権利を有するとしており、また弁護士は、依頼者の権利を保護し正義を促進するにあたっては国内法および国際法で承認された人権および基本的自由を支持するよう努めるべきであるとしている。


ここにいう「弁護人を通じて防御する権利」「弁護人の援助を受ける権利」は、「あらゆる段階」と明示されているから、捜査段階の全てのプロセス、とくに取調べも視野においていることは当然である。


前記パーカー・ジョデル報告書〔Ⅲ.2.para.120〕は、弁護人依頼権について以下のように述べている。


「弁護人依頼権とは、すなわち、拘禁中弁護の準備のため被疑者と面接し、あるいは被疑者のその他の権利を擁護するために手続きの重要な時期において立ち会ってくれる弁護士を有するために、弁護士の存在を求める権利である」〔同報告書29頁〕。


密室で行われる取調べを防御の側から規制する方策が各国で種々論じられ、実行されている。しかし、そのうち弁護人の立会いや録音テープの設置がイギリス、アメリカその他の国で実定法あるいは判例で確立し、とくに弁護人の立会いは、秘密交通権に加えて、国際的に承認された防御権の重要な内容となっているといえよう。


取調べと裁判の実態


日本の刑事手続きの特徴を一言でのべるならば、被疑者の身柄を長期間代用監獄に拘束し、取調べ官が暴力を含む様々な手練手管で自白を強要し、その自白を録取したという調書が裁判の場で証拠の王として振舞うということである。


これを被疑者の目からみると、弁護人の十分な援助を受けることもできず、取調べ官には弁解や反論は聞いてもらえず、でき上がった調書の記載内容がちがっていても、法廷で取調べが過酷であったことや、事実と調書のくいちがいを裁判官に納得させることは至難である。


同時に、否認しているときや自白を撤回した際の調書が作成されなかったり、隠されたりすると、これらの事実を証明することも難しい。


自白調書が取調べ官の作文であることは比喩的にはよく知られている。しかし、さらに立ち入って考察すれば、供述するときの被疑者の心境は、無実の場合であっても、取調べ官に屈服するか迎合しているのであって、いわば両者の共同作業で供述自体がつくられて調書に化体するのである。したがって、なぜ事実や記憶とちがうことが調書に記されているのか、被疑者が十分説明できないことがあるのは、そのためである。この取調べと供述のメカニズムは余り認識されていない。要するに、被疑者が孤立無援の状態におかれ、取調べ官に完全に主導権をにぎられているとき、虚実とりまぜた、または訴追側に都合のよい調書ができあがるのである。


弁護人の接見が十分に行われれば、過酷な取調べや虚偽の自白が生まれる条件、すなわち孤立無援の状態を、接見の都度間欠的に打ち破ることができるが、残りの取調べ時間を取調べ側に完全に支配されている以上、部分的防御にとどまる。


取調べをめぐる被疑者のこの絶対的に弱い立場を是正し、供述とちがう調書を法廷から締め出す方法は幾つかあるが、最も直截な方法は、被疑者に取調べ拒否権を認め、弁護人が取調べに立ち会うことである。せめて弁護人の立会いが権利として実現すれば、その法的助言と監視を通じて個々の事件の取調べが適正に行われることが保障できるばかりか、身柄の長期拘束と自白に依拠する日本的捜査を大きく変革することが期待できるのである。


弁護人の立会いについての規定の欠如と運用


弁護人依頼権を保障した憲法37条3項から弁護人の取調べ立会権を認める見解もあるが、まだ少数である。


他方、刑事訴訟法も同規則も弁護人の立会いについて全くふれるところがない。


しかし、犯罪捜査規範(国家公安委員会規則)177条2項は「取調を行うに当って弁護人その他適当と認められる者を立ち会わせたときは、その供述調書に立会人の署名押印を求めなければならない」と定めている。


また、少年事件に限られるが、少年警察活動要綱9条3号では「(警察官の面接は)やむを得ない場合を除き、少年と同道した保護者等その他適切と認められる者の立会の下に行なうこと」と規定している。


実際は、これらの規定を足がかりに弁護人の立会いを要求しても、ことごとく拒絶されている。法自体に明文の規定がないこと、上記2つの規定は内部文書であり、弁護人の立会いを認めるか否かは全くの裁量行為であることを拒絶の根拠としている。


判例も、弁護人選任権を告知しないまま取り調べて作成された供述調書の任意性を否定したケースはあるが〔浦和地裁1991.3.25判決〕、取調べの立会いを求められたのに、これを拒否して作成された供述調書の任意性を否定したものはない。また警察や検察による立会い拒否の処分に対する準抗告が容れられたケースもない。


以上の法制と運用は、国際人権〈自由権〉規約14条をはじめとする国際人権法に違反すると思料される。


取調べに弁護人の立会いを求めるのは、本来被疑者の権利に属する。したがって、被疑者に弁護人立会請求権を告知すべきこと、被疑者から弁護人の依頼があれば取調べを中止すべきこと、弁護人の立会いなくして採取された供述の証拠能力は否定すべきことは当然である。


わが国においては、当面、被疑者が取調べに弁護人の立会いを求め、その要求が認められないときは取調べに応じない態度を貫くこと、弁護人はその立場を支持するとともに、強く取調べ当局に立会いを求めていくべきであろう。しかし、かかる努力には限界があり、とくに被疑者に上記の強い態度を期待するのは酷であろう。早急に取調べへの弁護人の立会権を明文で保障する体制がとられるべきである。


第5 未決拘禁の手続き〔9条〕

1 逮捕、勾留の濫用

国際人権〈自由権〉規約9条に求める身体の自由及び安全に関する法的枠組みについて政府の第2回報告書においては、憲法31条、同33条、34条を引用し、これを受けて刑事訴訟法等の法律が逮捕、勾引、勾留等の要件、手続きを定めていることを報告するのみである。


しかし、憲法及び刑事訴訟法が要求する裁判官による司法的チェックが十分に機能せず、逮捕・勾留の請求がなされると、ほとんど認容しているというのが運用の実態である。


逮捕についての統計を見ると、1989年に全裁判所が受け付けた逮捕状の請求件数は、118,825件あったのに対し、却下されたのは67件、取り下げられたのは229件にすぎない。1990年においても、全請求件数111,572件に対し、却下は59件、取り下げは237件である。


勾留についていえば、1987年に勾留状が発布された件数は全裁判所で101,935件あるのに対し、勾留請求が却下された件はわずか301件であり、勾留状が発布された件数に対しわずか0.295%にすぎない。また、1989年についても、勾留状の発布件数に対する却下率はわずか0.306%である〔司法統計年報〕。


このような裁判所による起訴前の捜査のチェック機能の形骸化のため、別件逮捕・勾留、すなわち、同一被疑者及び被告人に対する複数の被疑事実を並行して捜査するに当たり、重大事実(本件)につき被疑者を取調べる目的で、まず、証拠のそろった比較的軽微な事実(別件)により被疑者を逮捕・勾留して、その勾留期間中に本件の取調べを行うという捜査方法が行われ、従来からその違法性が裁判所において争われてきた。


しかしながら、裁判例は第1次勾留期間中に、その被疑事実より軽い罪または同種の罪の取調べを広く容認するのみならず、重大事実の取調べについても、捜査機関に別件の取調べと並行して本件も取り調べる意図が認められるだけでは、ただちに違法となるものではないとする〔東京高裁1978.3.29判決〈富士高校放火事件〉、大阪高裁1972.7.17判決〈六甲山保母殺し事件〉〕。


そして違法かどうかは、第1次勾留が、別件による勾留の実体を失い、実質上、本件取調べのための身柄の拘束となったと評価されるかどうかによるとし、別件の取調べが時間または調書の量において全体の1割以下にすぎない事案については、違法とする裁判例がある一方〔旭川地裁1973.2.3判決〈旭川土木作業員殺人事件〉、東京地裁1976.2.20判決〈上野公園凶器準備集合罪〉など〕、取調べ時間の7割強を本件の取調べにあてたことに違法はないとした裁判例もある〔前掲東京高裁1978.3.29判決〈富士高校放火事件〉〕。


このような裁判所の逮捕・勾留段階及び公判に至った段階における別件逮捕・勾留の抑制への消極的な姿勢が、日本における別件逮捕・勾留の定着を許している。


いうまでもなく別件逮捕・勾留は、本件について十分な証拠がないからこそ行われ、また別件については本来逮捕・勾留の理由や必要性が認められない事案も多数存在するのであり、国際人権〈自由権〉規約9条1項に定める「何人も、恣意的に逮捕されまたは抑留されない。何人も、法律で定める理由及び手続によらない限り、その自由を奪われない」との規定に抵触する。


また、別件逮捕・勾留後、本件について第2次の逮捕・勾留が引き続くのが通常であり、本件については同条3項に定める「刑事上の罪に問われて逮捕され、または勾留された者は……妥当な期間内に裁判を受ける権利または釈放される権利を有する」との規定に反している。


さらに、別件逮捕・勾留は上記条項の具体化として国連総会で採択された国連被拘禁者人権原則21における「自白させ、その他自己に罪を帰せまたは他人に不利な証言をさせることを強制するため」の拘禁状態の不当利用の禁止に抵触する。


2 釈放制度の不備
勾留の取消と勾留理由開示制度の形骸化

国際人権〈自由権〉規約9条4項は、「逮捕又は抑留によって自由を奪われた者は、裁判所がその抑留が合法的であるかどうかを遅滞なく決定すること及びその抑留が合法的でない場合には、その釈放を命ずることができるように、裁判所において手続をとる権利を有する」と規定している。


また、国連被拘禁者人権原則32は、上記規定を受け、「拘禁された者又はその弁護人は、何時でも国内法に従い、裁判官等に拘禁の合法性を争い、合法でない場合は直ちに釈放されるための申立をする権利」を有すると定めている。


しかし、まず不服申立てについていえば、日本における刑事訴訟法においては、勾留に対する不服申立権の規定はあるが、逮捕後勾留に至るまでの拘禁状態に対する不服申立ての明文が存在せず、裁判所はその明文の不存在を理由にそれを否定している〔最高裁1982.8.27決定〕。


なお、人身保護手続きも救済の手段として全く使われておらず、人身保護規則4条が著しい手続き違反に申立ての要件をしぼっているため理論的にもそれ以外の場合に使用できない。


逮捕から勾留まで最高72時間、違法な拘禁に対し不服申立ての手段の保障がないことは明らかに上記原則に違反している。


また、刑事訴訟法上、勾留に対する不服申立てとしての準抗告、及び勾留決定後の事情変更による勾留取消の制度があるが、いずれも勾留全事件数に対する比率は極めて少なく、申立てに対する認容率も低い。このことは、勾留請求時のみならず、不服申立て時においても裁判所における司法チェックが十分機能していないことを示している。


なお、国際人権〈自由権〉規約7条には、「何人も、拷問または残虐な、非人道的なもしくは品位を傷つける取扱いもしくは刑罰を受けない」とし、さらに同10条には「自由を奪われたすべての者は、人道的にかつ人間の固有の尊厳を尊重して、取扱われる」と定め、捜査機関からの被疑者の不当な取扱いに対する保障規定を設けている。


しかし、刑事訴訟法上は10日間の勾留期間中に捜査機関より拷問や非人道的な取扱いがなされた場合に、直ちにその身柄の釈放を確保する制度が存在しない。同法87条の勾留取消の制度は、勾留の理由、必要性がなくなった場合の取扱いであり、明確に違法捜査を理由とする釈放を定めていない。


従って、拷問などの違法な勾留の抑制のためには、それを理由とする明確な釈放規定が不可欠である。


また、刑事訴訟法上、勾留の理由を裁判官に開示することを申し立てる権利が保障されている。もともとこの制度は英米法制の人身保護令状制度に類似の機能を託されて規定されたものである。従って、この制度は身柄拘束がもたらす被疑者の防御活動に対する掣肘を解き放ち、拘束なき自由な活動を保障しようとする制度目的を有していた。しかし、現実には勾留理由を公開法廷で説示するだけの制度にとどまっており、これを契機に勾留が取り消される事例は極めてわずかである。またその運用は、公判開廷前の訴訟書類の非公開の趣旨〔刑事訴訟法47条〕や、証拠内容の開示が罪証隠滅につながるおそれがあるなどを理由に、罪を疑うべき相当な理由や勾留の必要性について、その根拠となる証拠資料については明らかにしないのが通常であり、被疑者に納得のいく理由の説明がなされていない。


裁判官の説明に対し、被疑者、弁護人が意見を述べることができるが、その時間は10分に制限されている〔刑事訴訟規則85条の3〕。そのため、1985年度で全勾留者109,050人に対し、申立て件数は497件(0.46%)と極めて少数にとどまっている。*


1969年でも2,715人の申立てがあったことからみても*、現在の勾留理由開示制度の形骸化は明らかである。*司法統計年報による。


さらに、その形骸化から、逆に裁判官サイドから、刑事手続き全体の観点から見て大きな意味、機能を有しておらず、制度自体の廃止を主張する者さえあり、被疑者の権利を逆に制限しようとする動きがここにも見られている。


起訴前の保釈制度の欠如

わが国の保釈制度は、刑事訴訟法88条以下に規定されている。それによると、保釈が請求できるのは、勾留されている被告人についてのみ、即ち起訴後だけであって、勾留されている被疑者即ち起訴前には保釈は認められていない。


この勾留期間は、同法208条1項により原則10日とされているが、やむを得ない事由がある場合には通じて10日まで延長できることになっており〔同条2項。なお、同法208条の2は内乱罪等特別の犯罪についてさらに通じて5日までの延長を認めている〕、被疑者は、逮捕後勾留請求されるまでの期間〔同法204、205条により最長3日〕も含めると、通常の犯罪で法律上起訴前に13日から23日間身柄拘束され得るのである。現実には、同法208条2項の「やむを得ない事由」の要件が甚だしく緩められて、安易に勾留延長が行われており、むしろ20日間勾留されるのが常態となっているとすら言ってもよい実情にある。


このように、わが国の刑事訴訟法は、起訴前の被疑者を相当長期間勾留することを認めながら、その間の保釈を制度的に全く認めていない。これは、国際人権〈自由権〉規約9条3項が、「裁判に付される者を抑留することが原則であってはなら(ない)」と規定していることに明らかに反している。国連被拘禁者人権原則39に、「法に規定された特別の場合を除き、犯罪の嫌疑によって拘禁された者は、裁判官等が司法の執行のため別の決定をしないかぎり、公判終了までの間釈放される権利を有する」とあることに照らしても、わが国の刑事訴訟法が起訴前の保釈を認めていないことは人権保護に悖るものといわれなければならない。


逮捕された被疑者は逮捕後72時間以内に裁判官による勾留質問を受けるが、この裁判官は勾留理由の有無を判断するだけで、保釈(条件付きであっても)を決定する権限は与えられていないし、勾留請求を受けた被拘禁者には保釈の申立て権もない(国際人権〈自由権〉規約9条3項違反)。


実質的にみても、起訴前の勾留が捜査の都合、とりわけ被疑者に事実上自白を強制するための手段として利用される弊害が大きいことに鑑みると、早急に現行法を改正し、起訴前の被疑者に対する保釈制度を設けるべきである。


権利保釈制度の形骸化

現行法で認められている起訴前の保釈について、刑事訴訟法89条は、保釈の請求があったときは、一定以上の刑にあたる罪を犯した場合や過去に相当の重罪前科がある場合、それに罪証隠滅のおそれがある場合などを除き、これを許可するのを原則としており、この原則的に許可されることになっている保釈は講学上権利保釈と呼ばれている。


この権利保釈の要件を満たさない場合でも、裁判所は適当と認めるときは職権で保釈を許可することができ〔同法90条〕、これは裁量保釈と呼ばれている。


裁判所は、保釈の許可または棄却の決定をするにあたっては、検察官の意見を聴かなければならず〔同法92条1項〕、また保釈を許可する場合には必ず保証金額を定めなければならないとされている〔同法93条1項〕。そして、保釈はその保証金が納付された後でなければ執行されない〔同法94条1項〕。


上記のとおり、法の建前としては保釈は許可されるのが原則であるが、しかし、実際には権利保釈とは名ばかりで、原則と例外とが逆転させられているとの批判が在野法曹を中心に強まっている。裁量保釈を受けることがさらに困難なことはいうまでもないので、以下には権利保釈について述べることとする。


地方裁判所(これが主として1審を担当する裁判所である)が受理した事件における保釈の実情を司法統計年報によって見てみると、1988年度の全国集計で、起訴後の勾留人員が43,667人、保釈人員が11,038人となっており、前者に対する後者の比率は25.3パーセントに止まっている。実に勾留された被告人の4人に3人が起訴後も身柄を拘束され続けているのである。なお、同じく1988年度の司法統計年報によると、起訴後の勾留人員中最終的に勾留が失効になった者は10,601人に上り、その大半は刑の執行猶予が付されたものであるから、勾留中の被告人の中には実質的に保釈を許可されてしかるべき者が少なからず存在していると考えられる。


もっとも、上記の統計は勾留人員と保釈人員との対比であって、保釈請求件数と保釈許可件数とのそれではないから、直ちに、保釈裁判の実情を示すものとは言えないかもしれない。そこで、保釈請求件数に対する保釈許可件数の比率をみてみると、司法統計年報ではこの両者の数値が全く個別に掲げられ、関連づけた整理はされていないが、やはり1988年度の集計(地裁)で、前者が21,047件、後者が10,338件(終局前)となっており、前者に対する後者の比率は49パーセントである。すなわち、保釈請求をしてもほぼ半数の者しか許可されず、あとの半数は身柄拘束されたまま裁判を受けていることになる。


たとえ犯罪者であっても拘置所内で不自由な生活を送ることを望む者は本来いない筈であるから、勾留中の被告人に少なくとも潜在的に保釈に対する願望が強く存在しているであろうことは想像に難くない。勾留人員に対する保釈人員の比率が低いことは、保釈がそう簡単に許可されないものであることを示す証左と受け止めざるを得ず、そこには裁判所や検察官の保釈に対する消極的姿勢があり、それが事実上保釈請求を抑圧したり、保釈許可の範囲を狭めたりしているものと解される。


では、裁判所や検察官が保釈に対して消極的な姿勢を取る理由は何であろうか。それは、わが国の捜査が基本的に被告人の自白を取ることに向けられていて、公判もそうした捜査を無批判に受け入れ、むしろそれに追随する形で行われる実情にあるところから、捜査段階における被告人の自白をそのまま公判まで維持しておきたいという考慮が、訴追官である検察官にはもちろん、裁判官にも強く働くためと推察できる。このように被告人の身柄を拘束し続けることによってその供述を維持し、公判を無難に乗り切ろうとするのがわが国の刑事裁判の実態であり、それはまさしく「人質司法」にほかならない。


具体的には、刑事訴訟法89条4号の罪証隠滅のおそれを拡大解釈して保釈を却下する例が多く、とりわけ否認事件では簡単に罪証隠滅のおそれが認められるとの指摘が一般にされている。また、保釈請求をした弁護人の中から、公訴事実を認めることや検察官請求予定の書証に同意することを事実上保釈許可の条件とされたとの報告も少なからず出されている。


これらはすべて自白偏重の捜査、そしてそれに引きずられる裁判所の姿勢が必然的にもたらす結果といわなければならない。事実、検察官から保釈不相当の意見が出されると、裁判所はなかなか保釈を許可しない傾向にある。


さらに、保釈保証金の高額化も指摘されている。もともと保釈を許可する際には保証金額を定めてこれを納付させることが必要とされているが、その保証金額が目に見えて増加する傾向にあるのである。


司法統計年報によって、保釈保証金の金額別の分布を全国の地方裁判所の1985年と1988年との各総数で比較すると、10万円以上50万円未満が205件から48件に、50万円以上70万円未満が887件から276件に、70万円以上100万円未満が2,443件から979件にと比較的低額の保釈保証金が顕著な減少を見せている一方、300万円以上500万円未満が363件から606件に、500万円以上1,000万円未満が133件から200件に、1,000万円以上5,000万円未満が55件から92件にと相当高額の保釈保証金が顕著な増加を見せており、わずか3年の間に保釈保証金が全体として高額化したことは明らかである。


この保釈保証金について、わが国には被告人に対する援助制度は何もないので、無資力の被告人にとっては実際上初めから保釈が認められないのと同然である。


全くの無資力ではないとしても、上記のような高額な保証金は一般人にそう簡単に調達できるものではないから、結果的に保釈を諦めざるを得なくされている被告人も少なくない。


このように、法律の条文だけを読めば誰でも権利保釈が認められるように受け取られるが、現実には保釈保証金の高額化が資力のないまたは乏しい被告人から保釈の機会を奪っており、それらの被告人には事実上法の保護が与えられていないに等しい。これは、国際人権〈自由権〉規約9条3項のみならず、財産による不当な差別として、法の下の平等を定めた同規約26条にも違反すると解する余地がある。


以上のとおり、確かにわが国の法の建前としては、一定の例外的事由のある場合を除いて、勾留されている被告人に対し保釈が許可されるのが原則となっているが、実際の運用では、被告人の捜査段階における自白を公判まで維持させることなどを目的として、原則と例外とが逆転させられており、公訴事実を否認しているとか、捜査段階における供述を多少とも変更するおそれがあるとかを理由に保釈を認めない例が多い。また一般的にも保釈保証金の高額化で資力のないまたは乏しい被告人から事実上保釈の機会を奪っており、その結果、保釈されてしかるべきと思われる被告人の多くが保釈されないまま公判まで身柄を拘束され続けている実情にある。


このように、わが国の保釈に関する実務は、法の建前とは違って、被告人の人権に対する配慮に乏しく、国際人権〈自由権〉規約9条3項や26条に違反するものといわざるを得ない。


3 捜査における自白強要のシステム
自白獲得のための勾留

国際人権規約〈自由権〉規約9条1項は、「何人も、恣意的に逮捕され又は抑留されない。何人も、法律で定める理由及び手続によらない限り、その自由を奪われない」と規定し、また同条3項で、「刑事上の罪に問われて逮捕され又は抑留された者は、裁判官又は司法権を行使することが法律によって認められている他の官憲の面前に速やかに連れて行かれるものとし、妥当な期間内に裁判を受ける権利又は釈放される権利を有する。裁判に付される者を抑留することが原則であってはならない」としている。


また、国連被拘禁者人権原則36条2項は、「逮捕又は捜査、公判終了までの拘禁は、法の定める根拠、条件及び手続の下に、司法の執行の必要のためのみに行われる」と規定している。


ところが日本においては、被疑者が逮捕されて最大72時間身柄拘束を受けたあと、捜査官より勾留請求をされた場合、裁判所の許可により、10日間の勾留が認められる〔刑事訴訟法208条1項〕。また、明文上は「やむを得ない場合」に限られている10日間の勾留延長〔同条2項〕も、実際は証拠収集の遅延、困難などを理由に極めて緩やかに運用されている。


さらに、身柄を拘束されて起訴がなされた場合、裁判所により2カ月の勾留がなされるのが原則化しており、その勾留は保釈が求められない限り更新されるのが通常である。


・このような、長期間の拘束を許容する法制度自体、さきの規約及び原則に反する疑いが強いし、その実際の運用は明らかにそれらに反している。


日本における刑事訴訟法も、勾留の要件を相当な犯罪の嫌疑及び住居不定〔刑事訴訟法60条1号〕、罪証隠滅のおそれ〔同条2号〕または逃亡のおそれ〔同条3号〕と定めているが、裁判所は罪証隠滅のおそれの要件を一般的可能性で足りるかのごとく極めて緩やかに解釈、運用しており、特にその傾向が近年顕著にみられている。


この傾向は、勾留事件のうち却下の比率が1960年代では、3%以上であったにもかかわらず、その後年々低下し、1987年~1989年で約0.3%に低下していることからも明らかである。


政府はこの却下率の低下を、1975年ころからの急激な覚醒剤取締法違反事件の増加と同事件に対しての取扱いが次第に厳しくなって来たことを大きな原因のひとつとしているが、同罪以外の事件についてもその却下率は低下しており、勾留要件の解釈、運用の緩和は否定しがたい。


特に否認事件については、否認の態度自体が罪証隠滅の意思を推認させるとし、黙秘をしている場合についてさえ、自白していることが罪証隠滅の意思を打ち消す方向に働く対比上、事実上その判断にあたって不利に働くとされ、否認黙秘事件については勾留が原則であるという運用が容認されている。


また、勾留に対する救済制度としての準抗告の申立て・勾留取消請求・勾留執行停止の制度があるが、これらの申立てに対する認容率は極めて低く、法の趣旨が歪められ、有効な機能を果していない。


このような司法的チェックの形骸化が拘禁されることが原則化していると評価されるべき実態をもたらし、逮捕・勾留の濫用を生み出しているのである。


そのため、捜査の実状においては、被疑者の勾留が被疑者の取調べを目的になされている傾向が顕著である。


とりわけ、否認黙秘事件については、その傾向が顕著であり、勾留は実際上代用監獄における身柄の管理状態を利用しての自白追及の場としての役割を果たしている。


その中で、手錠を施したままの取調べによる自白〔最高裁1963.9.13判決〕、暴行等による苛酷な取調べによる自白〔最高裁1958.6.13判決など多数〕、偽計による自白〔最高裁1970.11.25判決など〕、弁護人依頼権侵害による自白〔大阪高裁1960.5.26判決〕などが強要されているが、これらは氷山の一角にすぎず、この勾留状態を不当に利用した自白の強要が跡をたたない状況にある。


最近でも、被疑者に対し連日午後9時ころまで、あるいは深夜に及ぶ長時間の取調べを実施し、この間、しばしば大声で怒鳴りあげたり、取調べ用の机をしきりに手で叩くなどして威嚇したり、被疑者の座っている椅子の下部を足蹴りしたり、頭を小突くなどしたりしたとして、自白調書の任意性が否定された事例〔東京地裁1987.12.判決〕、被疑者に対し、捜査官が「連日連夜長時間にわたり、片手錠をかけたままで取調べをしたこと、頭から犯人扱いして、否認も黙秘も受けつけず、真実のことは1つしかないと言って自白するよう追及したこと、時には机を叩いたり、大声を上げて取調べをし、時には自由なほうの片手を握ったまま調べたり、長時間直立させたようなこともあること、『幹を作ればあとは警察のほうで枝と葉をつけてやる』などと言って自白を迫ったことは明らか」であるとされた事例〔東京高裁1983.6.22判決〕などが裁判所で認められている。


また、少年に対しては本来その心身の未熟さと可塑性の高さに鑑み、その身柄の拘束は極力避けるように配慮されるべきところ〔少年法48条〕、極めて安易に身柄の拘束がなされ、逮捕、勾留がなされた場合に、防御力の弱い少年に暴行や偽計を用いての自白の強要が行われている〔VIII.1.para.388以下参照〕。


これらの事件は、まさに「人によって証拠を得ようとするやり方」が、捜査の基礎となっていることを裏付けている。


このような、日本における勾留制度の実際の役割が、国際人権〈自由権〉規約及び国連被拘禁者人権原則を大きく逸脱したものであることは明らかであり、自白の獲得を目的とする今日の勾留制度の運用は、直ちに是正さるべきものである。


密室での取調べ

A 取調べに関する諸規定と解釈


国際人権〈自由権〉規約7条で禁止される「拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い」には、肉体的虐待及び精神的虐待による取調べが当然含まれる。そしてこの肉体的及び精神的虐待は、今日拷問禁止条約の主要な概念である「拷問」の解釈〔同1条〕と同一であると理解されている。


また7条の国際人権〈自由権〉規約委員会の一般的意見によれば、この禁止が現実に遵守されるために次のように述べている。


「たいていの国は、拷問又はその類似の慣行の場合に適用される刑罰規定を有する。それにもかかわらず、そのような事件は発生するゆえ、規約2条と結合されて読まれる7条により、国はなんらかの監視機関を通じて実効的な保護を確保しなければならない」〔一般的意見7(16)〕


このように取調べにおける拷問を実効的に禁止する権限ある監視機関の存在が求められている。また、同一般的意見によれば、取調べにあたる法執行官が肉体的及び精神的虐待をしないように特別な訓練や教育の措置がとられなければならない。


国際人権〈自由権〉規約14条3項(g)は自白することを強制されないことを規定する。


B 日本での取調べの実態


a 肉体的な虐待


取調べは被疑者の自白を得る目的で主として警察官によって行われる。その過程で暴力が取調べ警察官によって行使されることがしばしばある。被疑者の頭部を殴打する、顔面を平手打ちで殴打する、手指の間に鉛筆を挟み指を固く握るなどの直接的な暴行、あるいは長時間直立不動にして立たせる、座っている椅子を強く蹴飛ばす、目の前で机を思いっきり叩く、耳元で大声で怒鳴る、などの暴力的若しくは威嚇的な行為が行われている。また、取調べが実際に行われる時間は朝から始まって午後10時、11時の深夜になることも決して珍しいことではない。かつ、警察の取調べは合計23日間連続して行うことが法的に許されているので、被疑者が否認するようなケースではほとんど毎日、前述の長時間の取調べが続けられることが多い。そのために多くの被疑者が睡眠不足になり、さらに体調をくずすことが多い。


ここで、実態を示す若干のケースを以下に引用する。


1985年に逮捕された者の強盗強姦事件の無罪判決の判旨から。


「警察官は……取調時間を長くするようになり、ほぼ夜間の9時ころまで調べるのは連日のことで遅い時は深夜にまで及ぶようになり、この間、しばしば大声で怒鳴りつけたり、また、取調用の机をしきりに手で叩くなど被告人を威嚇することなどもするに至った。そして、その後……右同様の方法に加えてしばしば被告人の座っている椅子の下部を足蹴りするものともなり、その時間も午後6時10分ころから翌(日)午前零時30分ころの遅きに及んだ」(お茶の水女子大寮強盗強姦未遂事件)


1982年に逮捕された者の殺人事件の無罪判決の判旨から。


「被告人は自白の前後を通じてかなりの程度疲労し、健康状態も思わしくなかったものと認めることができる。被告人は、(自白するまでの)取調べにおいて、それまで吸うことができたタバコを吸うことも許されなくなり、取調の警察官から大声で怒鳴られるなどして殺人事件について自白を迫られ、頭を小突くあるいは胸をたたくなどの暴行を受けたり、長時間不動の姿勢を保つことを強いられた」(旭川日通所長殺人事件)


1981年に逮捕された者の殺人事件の証拠排除決定から。


「警察官の暴行は逮捕の翌日である1981年2月23日から始まった。角材で殴ったことを認めさせようとする警察官からいろいろな暴行を受けたが、それらは南港での殺害行為を自白した同年3月2日まで続いた。まず2人の警察官が両側からそれぞれ耳を引っ張り耳元に口を寄せて『返事せい』とか『何でしゃべらんのだ』『ばかもん』などと大声で怒鳴ったりした。また、A刑事はジャンパーの前えりをつかみ吊り上げるようにして首を締め上げ、取調室の壁に頭を打ち当てさせ、同時にみぞおちを殴ったりしてきたが、そのようなときB刑事もいっしょになってみぞおちを殴ったりした」


「3月2日は朝の9時から10時の間に取調に入り、H、A、Bの3人の刑事に午後2時過ぎまで調べられたが、その間髪の毛をつかんで振り回したり、いすの脚の上に座らせられたり、板の間に正座させられたり、前えりを締め上げて頭を取調室の壁にぶつけたり(3回くらい脳震盪をおこした)拷問の連続であった」(大阪南港殺人事件)


1969年逮捕され、最高裁で差戻され、無罪判決に至った殺人事件の高裁判決(1986年4月28日)の引用する被告人供述から。


「逮捕されて鹿屋警察署に引致された日(1969年4月13日)から本件の取調を受けそのころから本件で起訴(同年7月25日)されるまで3月以上にわたりその間4日位を除いて毎日、平均して朝8時頃から夜11時頃まで、同年1月15日夜(犯行当夜)の行動を中心として嘘を言うなと怒鳴られるなど厳しく取調べられ、そのなかで4月いっぱいは朝から12時頃まで警察署長官舎で、いずれも片手錠を施し、腰紐を警察官が握り、数人の警察官に取り囲まれた状態で怒鳴られるなどしながら厳しく追及され、5月中旬以降心臓病(左室肥大症、冠不全症)、低血圧症で不眠症となり微熱が続き、それが6月以降不眠・発熱はひどくなり、足にむくみも出てくる状態で、取調官はこれらのことを知りながら依然として厳しい取調を続けた」(鹿児島夫婦殺人事件)


1981年に逮捕されたA・Bの贈収賄事件での取調べの状況。


(a) Aは、警察官から胸ぐらを掴まれ、どんどんと頭部及び背部を壁に叩きつけられた。


(b) AもBも、警察官から週刊誌を丸めて胸を突かれ、頭を叩かれた。Bは、叩かれて後ろに引っくり返って頭を打った。


(c) Aには、狭心症と肺性心の持病があったため、勾留中は連日、陳旧性肺結核による血痰を吐き、狭心症による胸の苦しさを訴えていたが、警察官から「おまえを叩き殺しても狭心症で死んだということになるから殺してもわからんぞ」と言って脅された。


(d) Aは警察官から「おまえに手錠をかけて福岡市内や福岡県庁の中を引き回すぞ」と言って脅かされた。


(e) Aは、自白の変遷のさなかに2~3日黙秘することがあったが、警察官は「黙秘するのは、悪いことをした者がするものだ」と言って、黙秘権の行使を妨害した。


(f) Bは、警察官から「おまえが自白しないのなら、お前の親父(80才)を逮捕するぞ」と言って脅された。


(広川中核工業団地贈収賄事件)


b 精神的な虐待


取調べ警察官は自白を引き出すためにさまざまな心理的な脅迫行為を行う。自白をしなければいつまでも釈放されないと脅かす、弁護士を依頼するとかえって刑が重くなると述べる、自白しないと大声で侮辱、罵詈雑言を加える、自白しなければ警察の記者会見で被疑者の名前を公表しマスコミに報道させると脅迫する、食事・運動や喫煙を認めない不利益な処遇を行う、さらに被疑者に被害者のむごたらしい死体写真などを捜査に不必要であるのに見せたり、あるいは被疑者の家族が悲嘆にくれているなどと述べて心理的に大きく動揺させる……。これらの警察官の行為は取調べの間自白を得るまで、執拗に繰り返される。取調べにあたる警察官はこれらの言葉を使うことに、なんら法的な問題がないと認識しているものがほとんどである。


c 取調べの密室化


このような肉体的及び精神的虐待を用いて長時間の連続した取調べがされている間、仮に弁護士が選任され取調べに立会うことを求めたとしても取調べ官は例外なくこれを拒否する。つまり取調べは弁護人が立会うことなしに行われるのである。しかもⅣ.3で述べるとおり取調べをし、あるいは予定していれば弁護人の接見でさえも拒否することが通常であり、かつ代用監獄が被疑者を拘禁するから、取調べは苛酷を極めると言って決して誇張ではない。


しかも、取調べ官にはこの取調べの過程を一切記録化することの法的な義務はない。速記も録音テープもビデオテープもこの密室での取調べを記録するために使われることはない。調書は作成されるが、取調べ官の質問と被疑者の回答を一問一答式に記録したものではない。取調べ官が被疑者の回答をもとに、被疑者の体験と心理の状況をひとまとめの文章にし、作成した調書を被疑者に読んだうえで、その内容と回答とに差異がないことを確認するサインをさせる形式が一般である。従って、この調書によっても取調べの具体的な状況と推移とを再現することはできない。しかも、被疑者が否認している場合には、取調べを何回行ってもこの調書は作成されず、否認の主張をしていたことの証拠も残されないことが多い。


d 取調べは自白の強制


このような苛酷な取調べに対し本来の司法的な監督はなされていない。取調べの方法、時間、記録の手続きについての法的な規定は存在しない。違法ないし不公正な取調べに対する即時の是正措置や不服申立ての措置も法定されていない。裁判官はわずかに拘禁した被疑者の身柄に関する権限をもつが、取調べに対し監督権限を持たない。拘禁に関する権限行使のときの判断でも、通常はこの問題に対して積極的な考慮を払おうとしない。


以上述べてきた内部的な条件と外部的な環境のものとが組み合わさって取調べは、過酷に、しかも被疑者から自白をとるという明確な目標をもって行われる。取調べとは被疑者の弁明を聞くことではなく、自白を取ることであると一般の取調べ警察官は理解している。被疑者が否認したりあるいは黙秘しても取調べは執拗に続けられる。


C 取調べ規制措置の欠如


このような、日本における取調べの実態は明らかに国際人権〈自由権〉規約の7条、14条3項(g)に違反している。日本の法令でも確かに取調べにおいて被疑者が自己に不利益な供述を強要されない権利を定め、強制・拷問・脅迫行為を禁止し、そのことに違反してとられた供述を証拠とすることを禁止しているが、取調べそのものが密室化し、かつそれに対する弁護人や裁判官からの介入や監督が欠けているため、法令が実効的に機能することが極めて少なく、実際にはこれまで述べてきた過酷な取調べ及びこれに伴う人権侵害が是正・救済されずに放置されている。また法執行官である取調べ警察官に対する被疑者の人権保障に対する行き届いた訓練も極めて不十分である。


さらに、取調べの方法や時間などに関する法的な規制が欠けており、かつ取調べに対する司法的監督の権限も定められていないため、国際人権〈自由権〉規約7条から要請される取調べにおける肉体的及び精神的な虐待を実効的に禁止する措置も機関もない、というべきである。


4 刑事補償法、被疑者補償規程の不備

国際人権〈自由権〉規約は、刑事補償に関してその9条5項において「不法に逮捕又は抑留された者は、賠償を受ける権利を有する」、その14条6項において「確定判決によって有罪と決定された場合において、その後に、新たな事実又は新しく発見された事実により誤審のあったことが決定的に立証されたことを理由としてその有罪の判決が破棄され又は赦免が行われたときは、その有罪の判決の結果刑罰に服した者は、法律に基づいて補償を受ける」と規定している。


9条5項は、不法に身柄拘束を受けた者の賠償請求権を保障し、14条6項は刑罰に服した者の誤判が立証されてその有罪判決が取り消された場合の刑事補償請求権を保障している。


ところで、わが国において憲法17条は、公務員の不法行為による国家の賠償責任を定め、同40条は抑留拘禁された者が無罪の裁判を受けた場合の国家の補償責任を定めている。


この憲法の規定に基づき、国家賠償に関して、国家賠償法は公務員が故意過失により違法に損害を与えた場合の国家の賠償責任を定め、刑事補償に関して、刑事補償法は、身柄拘束を受けた者が無罪判決を受けた場合には国に対して身柄拘束による補償を請求できる旨定め、被疑者補償規程は、被疑者として身柄拘束を受けた者が起訴されなかった場合に罪を犯さなかったと認めるに足りる充分な事由があるときは、検察官が被疑者に身柄拘束による補償をする、と定めている。


このようにわが国の刑事補償制度によると、無罪判決を受けた場合及び不起訴処分の場合には、逮捕抑留に違法性がない場合にも補償されることになっているが、その身柄拘束の補償金額は、1日1,000円以上9,400円以下とされており、被拘禁者の全ての経済的精神的被害を補償するものとはなっていない。従って、被拘束者にとっては充分な補償が受けられない場合がある。


不起訴処分の場合に適用される被疑者補償規程は、被拘束者の権利としての補償請求権を定めたものではなく、検察官の裁量によって補償の可否が決定され、その決定に対する不服申立てはできないものとされている。


わが国では、刑事補償等とは別に、違法に逮捕抑留された場合について、国家賠償法1条により、公務員が故意または過失によって違法に損害を与えたものとされたときは、国家は賠償責任を負うものとされている。しかし、違法行為をした公務員個人の賠償責任はないものとされており、また公務員の故意過失及び違法性が裁判所において認定されることは極めて困難である。従って、無実の者が、逮捕抑留されて無罪の判決を得たとしても、その逮捕抑留の違法性の立証が事実上困難であるので、刑事補償とは別に、国家に損害賠償を請求しても、裁判所において認容されることは少ない。国際人権〈自由権〉規約9条5項は「不法に」(unlawful)拘禁された者全てに賠償の権利を保障していることと対比するとわが国の制度は公務員の故意過失を要件としており救済の範囲を著しく狭めている。


第6 刑事裁判手続〔14条〕

1 証拠の不開示国際人権法による証拠開示請求権の保障

国際人権〈自由権〉規約14条1項は、公正な審理を受ける権利を保障し、国際人権〈自由権〉規約14条3(b)は、「防御の準備のために十分な時間及び便益を与えられ」ることを、すべての者にたいして権利として保障している。


上記(b)の「便益」(facilities)の中で、もっとも重要なものの1つが、公平な審理を保障し、訴追側と弁護側がその主張をうらづける平等の機会を保障されるため、被告人ないしその弁護人が、捜査機関の収集した必要な証拠の開示を受けることである。


なぜなら、捜査機関が収集した証拠の中には、被告人側に有利なものも含まれている場合が多い。しかし、それが開示されなければ、被告人側は、それを使って防御することができないばかりか、多くの場合、そのような証拠の存在すら知ることができない。これでは、被告人の防御権〔同規約14条3項(b)〕、その具体化である反対尋問権・証人喚問権〔同項(e)〕を実効あらしめる準備は不可能である。


従って、同規約14条3項(b)は、捜査機関が収集した防御に必要な証拠の全ての開示を受ける権利を保障しているとわれわれは理解している。


この理解は、ヨーロッパ人権委員会が、ジェスパー対ベルギー事件(No.8403/78)*等において示した、ヨーロッパ人権条約6条1項及び3項(b)に基づき、弁護人またはそれがいない場合は被告人は、訴追側の保有する当該事件ファイルへ合理的にアクセスする権利を保障されるとの解釈並びに国連「弁護士の役割に関する基本原則」21条が規定する内容とも一致している。


*申立人Guy Jespersは、ベルギーの裁判所より、配偶者の殺人未遂で懲役20年の判決を言い渡されたが、無実を主張するとともに、検察官が重要な記録を裁判記録とは別の特別のファイルに綴じ込み、被告人に知らせず、法廷に提出しなかったことなどについて、防御権が侵害されたとして、1978年、ヨーロッパ人権委員会に申立てをした。人権委員会は1980年、1981年の報告書により、記録につきヨーロッパ人権条約6条3項(b)の違反があったとした。


 即ち、同条は次のように定める。「権限ある当局は、弁護士が依頼者へ実効的な法的援助をなしうるよう、十分早い機会に、その保有又は支配する適切な情報、ファイル及び記録に対する弁護士のアクセスを保障する責務を負う。このアクセスは、できるだけ早い相当な時に与えられるものとする」。


日本における証拠開示に関する法制度とその運用

日本においては、被告人・弁護人に、証拠開示請求権が保障されていない。


1949年に施行された日本の刑事訴訟法は、当事者主義の訴訟構造を採用している。そのため、公訴提起にあたって検察官から裁判所に提出される書類は起訴状のみであり、捜査機関が収集した証拠は、そのまま検察官の手元に残ることになる。そうであれば、検察官手持ちの証拠の被告人・弁護人に対する開示に関する規定が設けられなければならないはずである。


ところが、刑事訴訟法における証拠開示に関する規定は、同法299条1項のみである。同法は次のように規定している。「検察官……が証人、鑑定人、通訳又は翻訳人の尋問を請求するについては、あらかじめ、相手方に対し、その氏名及び住所を知る機会を与えなければならない。証拠書類又は証拠物の取調を請求するについては、あらかじめ、相手方にこれを閲覧する機会を与えなければならない」


この規定では、検察官が取調べを請求する意思のない証拠については開示を求めることができず、被告人・弁護人の防御にとっては無力である。刑事訴訟法のこのような規定は国際人権〈自由権〉規約14条の公平な審理を保障していない。


このような法律の下、多くの弁護士たちの証拠開示実現に向けての努力に押され、最高裁判所は1969年、この問題に関する重要な決定を出した。その内容は大意、次のようなものである。


 証拠調べの段階に入った後、弁護人が具体的必要性を示して一定の証拠の閲覧を申し出た場合、裁判所は訴訟指揮権に基づいて、検察官に対し、個別的に証拠開示命令を出すことができる。


 その要件は、事案の性質、審理の状況、証拠の種類や内容、閲覧の時期、程度、方法その他諸般の事情を勘案し、その閲覧が被告人の防御のため特に重要であり、かつ、これにより罪証隠滅、証人威迫等の弊害を招来するおそれがなく、相当と認めるときに限られる。


この決定は、法令上の根拠がない中で、裁判所の訴訟指揮権に基づく個別的開示命令という手法で証拠開示を実現するものとして意義がある。


しかしながら、次のような大きな限界がある。第1に、被告人・弁護人の権利としての証拠開示請求権を認めていないことである。第2に、全ての証拠の開示を認めないため、「一定の証拠」とその「具体的必要性」を示す特定ができないと開示命令が得られないことである。これでは、被告人・弁護人にとってその存在や内容を知り得ない証拠については、開示の申し出をすることは不可能であり、結局検察官の手元で埋もれたままになってしまう。第3に、「防御のために特に重要」「罪証隠滅、証人威迫等の弊害を招来するおそれがない」など要件が厳しすぎることである。


この判例は現在に至るまで変更されていない。


では、現在の実務の運用はどうなっているか。


証拠開示には大きく分けて、2つの機能があると考えられるので、これに則して述べる。


第1は、検察官証人の捜査段階での供述調書の開示により、被告人側が公判廷での証言の矛盾点を明らかにして反対尋問を有効に行う準備をするための機能である。これは日本のように、捜査段階で詳細な供述調書が作成される捜査慣行のあるところでは、特に重要な機能である。この面での証拠開示命令は比較的容易に出されるが、検察官の主尋問前には認められない傾向や、検察官面前調書に限って認められ警察官面前調書の開示は否定されるなどの傾向があるために、反対尋問を有効適切に行うための準備の手段としては不十分である。


第2に、証拠開示のもっとも重要な機能として、無罪の決め手となるような証拠を発見・利用するといった、被告人の積極的防御準備のための機能がある。この機能こそ、誤判防止のため不可欠な役割をもっている。ところが、この面での証拠開示決定例はほとんどない。これは、供述調書以外の被告人に有利な証拠は、検察官の手中にある限り、存在自体知ることが難しく、開示の申立てのしようがないからであると考えられる。ここに日本の証拠開示の深刻な現状が現れているのである。


証拠不開示による冤罪の発生

日本の検察庁は、重大事件、否認事件など、証拠開示が切実に求められる事件において、証拠開示を頑強に拒否してきた。そのために発生した冤罪は相当数に上ると思われる。日本では1980年代になって、死刑囚の再審無罪事件が相次いだ。これらの事件で無罪の決め手になったのは、再審段階になって初めて検察官から開示された被告人に有利な証拠であった。これらの再審事件の1つ、「松山事件」を紹介する。


これは、1955年に起きた殺人及び放火事件である。斎藤幸夫氏は、犯行には全く関与していなかったにも関わらず、捜査段階で代用監獄における厳しい取調べの結果、いったん「自白」し、詳細な自白調書を作られた。物証は、斎藤幸夫氏の自宅から発見された布団に付着していたシミが血痕であり、その血液型が被害者のものと一致する旨の鑑定書であった。


斎藤幸夫氏は、公判廷では一貫して否認し無罪を主張し続けたが、1960年、死刑判決が確定した。斎藤幸夫氏は直ちに第1次再審請求を行ったが棄却された。1969年第2次再審請求を行い、1979年初めて再審開始決定が出され、1984年ようやく再審無罪判決が出たのである。実に事件発生から28年ぶりに斎藤幸夫氏は冤罪による死の恐怖から免れたのであった。


この事件では、第1次再審請求の直後から、弁護団は証拠開示を要求したが、裁判所は消極的で検察官に対し開示を勧告せず、開示はなされなかった。第2次再審請求でも、当初から弁護団は裁判所・検察官に証拠開示を繰り返し要求し、支援団体も証拠開示を求める署名運動を展開した。その結果、ようやく1975年になって、検察官は未提出証拠を開示するに至った。


ここで開示された証拠の中には、1.事件直後に作成された鑑定書で「布団に血痕は付着していない」という結論のもの、2.布団の写真、③斎藤幸夫氏が捜査段階で厳しい取調べを受けている期間の斎藤幸夫氏の同房者の供述調書で、その者が警察のスパイとなり斎藤幸夫氏に自白を勧めていたことを内容とするもの、などの重大な証拠が含まれており、これらが再審開始決定および無罪の決め手になったのであった。


死刑事件において、これほどの重要証拠をずっと手中にしながら、死刑判決が確定してもなおその開示を渋る検察庁の姿勢は強く非難されるべきである。また、被告人に証拠の全面開示請求権が保障されていたならば、このような悲惨な事件は生じなかったであろう。そして、斎藤幸夫氏の場合は弁護団の粘り強い活動があったために証拠開示を辛うじて実現することができたが、それは極めて稀な例であり、無罪証拠が埋もれたまま死刑台に送られた者が数多くいたであろうことは想像に難くないのである。


日弁連の見解

日本のように当事者主義の訴訟構造を採用する国では、検察官と被告人・弁護人との対等性を強調し、それぞれの証拠はそれぞれで収集すべきであって、みだりに他人の手の内をのぞきこむような「証拠漁り」を認めるべきではないとの見解も時に主張される。しかし、それは形式にとらわれて実質を見ない議論である。捜査機関は、強大な捜査権限と圧倒的な組織力を駆使して証拠収集を行うのに対し、被告人・弁護人にはそのような力は全くない。このような力の差をできる限りなくして実質的対等の争いに近づけなければ、真実発見のための優れた手段としての当事者主義は機能しえない。さらに、検察官は単なる当事者ではなく、公益の代表者なのであるから、真実に対する謙虚さと被告人の人権保障に対する配慮を欠いてはならないのであり、被告人に有利な証拠を持ちながらそれを提出せずに有罪判決を獲得するといった訴訟活動をすることが許されるはずはないのである。


このようにして、証拠開示請求権を権利として保障せず、とくに無罪の決め手となる証拠が提出されないことがある日本の刑事司法の現状は、国際人権〈自由権〉規約14条1項並びに14条3項(b)に保障された権利を侵害している。


日弁連は、現行刑事訴訟法施行直後から、証拠開示に関する立法要求を再三行ってきた。1988年にも「証拠開示についての立法措置に関する意見書」を発表し、被告人・弁護人の全面的証拠開示請求権を立法化するよう求めている。われわれは、この日弁連の見解こそが国際人権法に合致するものと確信するものである。


2 ルーズな伝聞法則
日本の伝聞法則

国際人権〈自由権〉規約14条は公平で公正な裁判所の裁判を受ける権利を規定し、そのうちでも刑事裁判における伝聞法則の規定〔同条3項(e)〕は、刑事被告人の公正な裁判の保障のための基本的な条項の1つとして規定されている。


日本においても、憲法37条2項で「刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分与えられ」ると規定し、また、刑事訴訟法320条でも「公判期日における供述に代えて書面を証拠とし、又は公判期日外における他の者の供述を内容とする供述を証拠とすることはできない」と規定して、被告人に反対尋問権があることを明らかにして、一応、明文をもって伝聞法則を採用している。


しかしながら、日本の伝聞法則には幅広い例外規定がある〔刑事訴訟法321条ないし328条〕うえに、実際の刑事裁判の場において、この例外規定の運用が極めて安易になされ、その結果、捜査機関が作成した供述調書が容易に法廷に証拠として提出されており、日本での伝聞法則の保障は極めて不十分な実態にある。このため、日本の刑事裁判は、捜査機関の作成する供述調書によって支配される「調書裁判」であると、有識者により批判されている。


この伝聞法則のルーズな運用は、代用監獄における長期の身柄拘束、自白の強要、弁護人の接見交通権の妨害などとともに、刑事被疑者、被告人の人権を侵害し、日本の刑事裁判で重大事件に誤判が多い原因の1つとなっている。


伝聞法則の例外規定の解釈、運用実態

A 判例の考え方


伝聞法則の例外として、実務の上で特に問題なのは、検察官の作成する供述録取書(検面調書)に、証拠能力があたえられる場合の規定である。刑事訴訟法321条1項は、まず、第1に検面調書の供述者が、死亡、精神・身体の故障、所在不明、国外にいるため法廷で供述できないときには、検面調書に証拠能力を与えている。また第2に、証人が法廷において検面調書の内容と相反する供述をしたとき(相反性)で、検察官の面前における供述の方を「信用すべき特別の情況が存するとき」(特信性)には、例外として証拠能力があると定めている。


しかし、これらの規定は、判例によりルーズに運用されている。第1の供述不能事由については、最高裁判所の判例によって、例示的列挙であると解釈される結果、例えば、(a)証人が証言を拒否した場合、(b)証人が記憶を喪失して証言不能であった場合にも、検面調書に証拠能力が与えられていることは問題である。いずれの場合も、証人が独自で、あるいは検察官と通謀して証言不能の状態を作り出すことができるから、意図的に被告人の反対尋問権を侵害する危険性がある。このような解釈、運用は、伝聞法則に実質的に反すると言わねばならない。


第2の相反性、特信性の要件も多くの判例により要件が緩和されているのが問題である。とりわけ、相反性が認められる場合には、特信性の要件が著しく緩和して解釈され、その上に特信性の存否を、「必ずしも外部的な特別の事情でなくとも、供述の内容自体によっても」判断してよいとする結果、大幅に検面調書の証拠能力が認められている。つまり、法廷の証言より検面調書の記載の方が「供述内容が理路整然としている」とか、「記憶の新鮮なうちに述べられた」として特信性が安易に認められ、検面調書が証拠採用される運用がなされている。


日本の検面調書は、供述者の供述したとおり逐一記録されるわけではなく、事情を聴取した検察官の頭を通して作文されるわけであるから、理路整然としないような調書が作成されることはまず考えられない。また、検面調書の作成の方が常に法廷の証言より先になされるのであるから、このような理由だけで検面調書に証拠能力が与えられるのは、伝聞法則に抵触する解釈と言わねばならない。


総じて、法文では検面調書の証拠能力は、弁護人・被告人の同意がないかぎり否定されるのが原則であるのに、実際には例外規定が極めて緩和して運用される結果、原則と例外が逆転する現象を来している。その結果、次に述べるような由々しき事態が生じている。


B ルーズな伝聞法則の結果


a 共犯者の自白と伝聞法則


本人の自白のみでは有罪とされないのが憲法上の原則〔憲法38条3項〕ではあるが、判例によると共犯者の自白は「本人の自白」と違うとされる結果、共犯者の自白のみで有罪とされうる。ところが、日本では、この理論と伝聞法則がルーズに運用される結果、共犯者の自白した検面調書だけで有罪とされる余地があり、この運用は伝聞法則からみても大いに問題がある。


つまり、前述のように公判証言が検面調書と相反しても、特信性が緩やかに解釈されるため、共犯者が法廷で真実の証言をしてくれても、密室で長期身柄を拘束されたうえ、弁護人の立会いもなく、強要されたかも知れない、共犯者の自白調書に証拠能力があるとされる結果、その共犯者自身は補強証拠がないと有罪とはされないのであるが、無実の被告人でも共犯者の自白調書だけで有罪を宣告される危険性がある運用となっている。


この誤った伝聞法則の運用が、日本において冤罪が多い理由の1つと指摘できよう。


b 公判中心主義裁判の形骸化


弁護人が法廷で証人を弾劾して被告人に有利な証言を引き出し、検察官がこれを回復できなくとも、検察官は、この証言内容と異なる被告人に不利な検面調書を証拠として提出するなら、その役割を果たすことができる。


そのうえ、日本の裁判官は公判廷の証言よりも検面調書の記載内容を信用する傾向が強いから、検察官は、公判廷で不利な情況となっても、少しも慌てる必要はなく、検面調書を法廷に提出して、あとは裁判所を信頼しておればよいのである。


他方、弁護人は、公判廷の尋問が成功したとしても、それは不利な検面調書を証拠として引き出す役割を果たすだけとなりかねず、反対尋問権を保障するはずであった伝聞法則は、まさに形骸化しているのである。


c 調書裁判の横行


このようにして、憲法で保障されているとはいえ、裁判の実態においては反対尋問権は空洞化しており、証人尋問は検面調書を採用するための儀式と化していると批判されている。裁判所は、いきおい弁護人に調書に同意するよう迫り、証拠調べを簡略化して「迅速な裁判」のみを追求する。そして、捜査機関は、ますます精密な調書を作成することに奔走し、この捜査のために被疑者の身柄の確保が必要であるとして、長期勾留の口実にもなっている。


かくして、日本の刑事裁判は、検面調書の記載内容によって、規制されている実態にある。


そのうえ、検面調書は日本の場合、警察官が作成した供述調書の上塗り調書である場合が多く、警察段階の違法行為が検察官によって適正にチェックされない結果、調書裁判の実態も、実は警察調書裁判となっている。


d 調書の捏造


この調書裁判、伝聞法則の無視ないし軽視の横行は、警察における件数主義、成績主義と結び付いて、警察官による調書類の捏造事件まで引き起こしている。日弁連人権擁護委員会が1987年1月23日付で取りまとめた報告書によると、被疑者・参考人供述調書の偽造、被疑者・参考人調書の変造、白紙委任調書の作成、実況見分調書の偽造記入・変造、その他、各種の捜査手続き調書の偽造・変造は数多くにのぼっている。


3 証拠の王としての自白調書
自白強要と国際人権〈自由権〉規約

国際人権〈自由権〉規約14条3項(g)は「自己に不利益な供述又は有罪の自白を強要されないこと」と定め、この規定は、7条(拷問または残虐な取扱いの禁止)及び10条1項(人道的取扱い)を侵害する方法または他のいかなる強制形態によるものであれ、そのようにして得られた証拠が全く受け入れられないことを要求する。


日本国憲法36条は公務員による拷問を禁止し、また同38条1項で「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」と規定し、2項で「強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない」と規定している。そして、刑事訴訟法は、警察官、検察官、裁判官等に供述拒否権の告知を義務づけ〔同198条2項、291条2項〕、被告人の供述拒否権を規定し〔同311条1項〕、憲法38条2項に規定する自白はもとより、その他任意にされたものでない疑いのある自白も証拠とすることができない旨規定している〔同319条1項〕。これらの規定が文字どおり適用されるならば、国際人権〈自由権〉規約14条3項(g)の保障は十分担保されていると言えよう。しかし、残念ながら、これらの規定は刑事裁判の実務ではほとんど死文化している。


日本の刑事裁判において自白の占める地位と自白調書の成立過程

日本において、「自白は依然として証拠の王」である。刑事裁判の中で被告人・弁護人が如何に自白の任意性(証拠能力)を争っても、裁判所がこれを否定したことはほとんどなく、しかも多くの場合、自白の信用性(証拠価値)は極めて高いとされ、有罪判決の最も重要な証拠とされる。


裁判所が自白の任意性・信用性を安易に肯定するのはなぜであろうか。それは裁判官が「犯罪を行っていないなら自白をするはずがない」という先入観を持っていること、官僚として検察官・警察官に対して過度の親近感と被告人に対する不信感を持っていること、そして自白が「私が……しました」という形の自白調書として整理されていることにある。自白調書は、被告人が自己の身上・経歴から犯行の動機・態様まで、事細かに、理路整然と、自分自身の言葉で語ったかのようにして記載されており、簡単な事件でも十数頁の調書が数通、複雑な事件になると数十頁に及ぶ調書が何十通も作成されている。このような自白調書を読んだ裁判官は、これが真実だと信じてしまい、少し無理な取調べがあったのではないかと思っても、そのまま任意性を肯定してしまうのである。


それでは自白調書はどのようにして作成されるのであろうか。自白調書はこのように安易に信用してよいものなのであろうか。答えは否である。Ⅴ.3〔para.206~216〕で述べたように、警察官は自白を得ることを目的として被疑者を逮捕する(法律は自白獲得目的を逮捕の要件として認めていないにもかかわらず)。そして、検察官も自白を得ることを目的として、10日間にわたって、警察の留置場を代用監獄として被疑者を勾留し、多くの場合さらに10日間勾留を延長する(法律は自白獲得目的を勾留の要件として認めておらず、本来は警察の管理から離れた拘置所を勾留場所と予定しており、しかも勾留の延長はやむを得ない事由があると認められるときに限られているにもかかわらず)。このようにして長い期間にわたって被疑者の身柄を確保した警察官は、Ⅴ.3〔para.217~224〕で述べたように、狭い密室である取調べ室に被疑者を閉じ込め、外部との連絡を断ち(憲法で保障された弁護人との接見も制限し)、数人で交替しながら威嚇的脅迫的言辞を用い、誘導尋問をし、自白するまで連日長時間に及ぶ取調べを繰り返す。その結果、被疑者は疲労困憊し、絶望し、ついに自白する(もっとも、被疑者が疲労困憊の上、虚偽の自白をするに至るのは、逮捕勾留されていなくても、連日朝から晩まで長時間の取調べを受け、脅され、叩かれるなどしていれば、容易に生じるものであり、これは、1991年5月大阪地方裁判所で、135名の被告人全員が自白の信用性がないとして無罪判決を言い渡された公職選挙法違反事件を見れば明らかである)。しかし、それでも自白調書には被疑者が素直に犯行を認めたかのように記載される。それは警察官が被告人の実際に語った言葉を調書に記載するのではなく、警察官が得た心証や予断を警察官自らがあたかも被疑者が語った言葉であるかのようにして記載し、最後に被疑者に署名押印させるからである。そうして被疑者が反省悔悟して自白したかのような自白調書が完成するのである。


自白調書の任意性を覆すのは極めて困難である


いったん自白調書が作成されてしまうならば、容易なことでは覆されない。このようにして裁判の中で自白の任意性・信用性が肯定され、有罪判決の中核に据えられていくのである。


取調べは密室で行われ、速記もテープ録音もされない。取調べ官が誘導や脅迫を行ったと被告人が主張しても、その証明の方法がないのである。


いつどれだけの時間にわたって取調べが行われたかを明らかにすることでさえ、大変な努力が必要とされる。被告人が留置場から取調べ室その他に出ていた時間は留置人出入簿という簿冊によって明らかにでき、この作成は法的に義務付けられているものであるのに、検察官は裁判官からの強い勧告がない限り、このような基礎的な書類も法廷に提出しようとしないのである。


次に、裁判官自身の人権感覚に問題がある。例えば、1985年4月東京地方裁判所は、芸大バイオリン事件で、逮捕後20日間にわたり連日取調べが行われ、夜11時まで及ぶことがあったとしても必要やむを得なかったものであり、また検察官が取調べにあたり大声で怒鳴り、目の前にボールペンを近づけて振り、座っている椅子を蹴られ、壁に向かって長く立たせたという行為に出たとしても、強制拷問にあたるものではなく違法ではないとした。


また、1987年4月千葉地方裁判所松戸支部は、松戸OL殺人事件で、別件の起訴後勾留期間を利用した50日間に及ぶ連日の相当長時間にわたる取調べ(午後10時を越える取調べも8日間あった。その前にも39日間逮捕勾留されていた)及びその間に得られた証拠に基づくその後の逮捕勾留による22日間の連日の相当長時間の取調べも、強制脅迫による取調べまたは暴力的な取調べを受けたとの主張もないのであるから、事案の重大性・嫌疑の深さから任意の取調べの範囲内であるとした(なお、この判決は、後に1991年4月東京高等裁判所で、自白には任意性・信用性がないとして破棄された)。


結 論

このように現在の日本の刑事裁判実務は、自白調書に対して深い吟味をせず、多くの事例において安易に自白の任意性・信用性を肯定してしまっている。このような裁判実務は、国際人権〈自由権〉規約7条、14条2項及び14条3項(g)に定める被疑者・被告人の権利を十分に理解したものとはとうてい言えないであろう。


4 上訴手続  制度と運用の問題

国際人権法による上訴権の保障と日本における上訴制度


国際人権〈自由権〉規約14条5項は、上訴制度について以下のように規定している。


「有罪の判決を受けたすべての者は、法律に基づきその判決及び罰を上級の裁判所によって再審理される権利を有する」


なお、世界人権宣言8条が救済を受ける権利について、次のように宣言していることに留意する必要がある。


「何人も、憲法又は法律が与えた基本的権利を侵害する行為に対して、権限ある国内裁判所による効果的な救済(an effective remedy)を受ける権利を有する」


上訴権の保障に関する日本の法制度は、次のようになっている。


A 一般の刑事事件について


a 判決に対する救済を求める制度として、刑事訴訟法351条以下に被告人の上訴権、同法372条以下に控訴権、同法405条以下に上告権の規定がある。


b 決定・命令に対する救済を求める制度として、同法419条以下に抗告権の規定がある。


B 上訴の理由及び手続きについて


上訴の理由及び手続きについては、刑事訴訟法〔351条以下〕及び少年法〔32条以下〕にそれぞれ明文の規定が設けられている。


従って、形式的に見れば上記の各法条の存在によって日本の上訴制度は国際人権〈自由権〉規約14条5項に触れるところはない、と一応言うことができる。


日本における上訴制度及び運用の問題点


しかしながら、日本の上訴制度及びその運用には多くの問題点があることを指摘しなければならない。


A 被告人の効果的救済の問題点


上訴制度は、正しい手続きによる正しい裁判の獲得のために当事者に効果的な救済を与える制度的保障であることはきわめて明白である。


したがって、上訴審は1審の裁判 特に事実の認定に誤りがあるときは、それを迅速かつ適正に是正しうる構造と機能を有していなければならない。


しかしながら、日本の控訴審における事実調べと事実審査の機能は極めて限定されており、また上告審においては憲法違反及び判例違反のみが上告理由とされ、事実誤認や量刑不当は上告理由に当たらないとされているため、上告制度本来の目的を十分に達成し得ない欠陥を有している。


即ち、日本の上訴制度は真実発見の打切りを招来し、被告人の基本的人権を抑圧する方向  言い換えれば被告人に効果的な救済を与えることを拒否する方向に作用している現状にあると言うべきである。


他方、日本の1審裁判所の裁判官は10年以上の経験を有しなければ1人で裁判することができない、と法定されているにも拘わらず〔裁判所法27条1項、42条1項〕、「判事補の職権の特例等に関する法律」1条によって、5年以上の経験を有する裁判官は1人で裁判することができる旨の例外的措置が一般的になっている。


このため事実の認定と真実の発見に、未だ習熟していない1人の裁判官によって判決される事件が極めて多く、それだけに事実誤認の審査がされる可能性が高い訳であるが、上訴審はこれを有効適切に是正する機能を十分に有していないことから、上訴制度そのものの改善を求める法律実務家の要求は強い。


B 法制度と運用の乖離の問題点


日本の上訴制度にはAに指摘したような基本的な欠陥が存在するため、解釈運用によってこれをいくらか是正しようとする試みがされている。


しかし、それは被告人の地位を不安定なものにする弊害を伴っている。


例えば、世上の深い関心を呼び、多数の弁護人が付されたいわゆる重大事件については、控訴審も上告審も職権で事実調べと事実審査の範囲を拡大して比較的慎重に再審理する傾向にあると言いうるが、圧倒的に多い一般的な小事件の再審理についてはそのような配慮がされず、事実誤認を審査することなく1審判決通りの判決となる傾向が強い。


したがって、日本の上訴審の審理において「無罪推定の原則」〔国際人権〈自由権〉規約14条2項〕が機能する場面は極めて狭く、また事件によって再審理のあり方が大きく変わるという意味において、「法廷における被告人の平等」〔同規約14条1項〕及び「公平な裁判所による公正な審理を受ける権利」〔同規約14条1項〕が必ずしも保障されていないと言いうる。


そして、多くの誤判事件はこの問題点と深くかかわっていると言ってよい。


C 検察官の上訴の問題点


日本の憲法39条は以下のように規定している。


「何人も、実行の時に適法であった行為又は既に無罪とされた行為について は、刑事上の責任は問われない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任は問われない」


そして、上訴制度が本来無辜の被告人の救済にその存在目的を有することを考え合わせると、検察官に上訴権を認めることは憲法に違反し、上訴制度の趣旨に沿わないものである。


しかし、日本の裁判所は検察官の上訴権を無限定に広く承認しており、著しい弊害を生じている。


司法統計によれば、無罪判決に対する検察官控訴事件の控訴棄却率は約60%の高率に達しているが、この事実は日本において数多くの被告人が「不当に遅滞することなく裁判を受ける権利」〔国際人権〈自由権〉規約14条3項(c)〕を不当に侵害されていることを示しているものである。


ある殺人事件において、犯人と被告人の同一性を証する証拠としては目撃証拠しかなく、それを証明する客観的な直接証拠が全く存在しない事案の審理に1審は数年の年月を費やして無罪の判決をしたが、検察官は新たな証拠もないのに、面目を維持するだけの目的で控訴したため、被告人の無罪が確定するに12年の長年月を要した例がある。


このような事案は日本においては例外的な事案ではなく、数多く見られるものである。


したがって、検察官の上訴について、例えば1審判決に重要かつ明白な誤りがあった場合に限り例外的にこれを認める、といった条件も付さないで広く一般的にその行使を承認している日本の上訴制度の運用のあり方は、被告人から「迅速な裁判を受ける権利」を奪っていると言わなければならない。


そして、無罪が確定した被告人に対する補償制度が貧弱である現状に鑑みると、この運用は被告人の人権を侵害すること著しいと言うべきである。


D 被告人の防御権の問題点


日本の上訴制度では、被告人が自ら法廷に出席して直接に自己を防御する権限はないものとされている〔刑事訴訟法388条、414条〕。


その理由は日本の上訴制度の構造によるものと一般に理解されているが、上訴制度の目的が被告人の効果的な救済にあることからすれば改善される必要がある。


5 再審制度の不備

国際人権〈自由権〉規約14条6項は、「確定判決によって有罪と決定された場合において、その後に、新たな事実又は新しく発見された事実により誤審があったことが決定的に立証されたことを理由としてその有罪の判決が破棄され又は赦免が行われたときは、その有罪の判決の結果刑罰に服した者は、法律に基づいて補償を受ける。ただし、その知られなかった事実が適当なときに明らかにされなかったことの全部又は一部がその者の責めに帰するものであることが証明される場合は、この限りではない」と規定する。


この規定は、直接的には有罪判決が破棄されまたは赦免された場合の補償に関するものであり、国際人権〈自由権〉規約には、再審制度のあり方を定める規定はない。しかしながら、無実の者(無辜)に対し誤った有罪判決が確定することは、人権侵害の最たるものということができるから、この規定は、再審制度が訴訟上認められている国においては、そのあり方、すなわち再審要件や救済手続き等が誤った有罪判決を受けた者にとって過度な負担を課すものでないことをも要求していると解すべきである。補償に関する制度がどのように整備されても、その前提条件ともいうべき再審制度が有効に機能しなければ、補償制度は文字どおり絵に書いた餅に等しいからである。


日本政府の第2回報告書が、国際人権〈自由権〉規約14条6項に関し、刑事訴訟法が規定する再審制度に言及しているのも、同様の理解に立つものということができる。


ところで、日本政府の上記報告書は、国際人権〈自由権〉規約14条6項に関し、再審要件及び救済手続きについては刑事訴訟法435条、439条、448条、451条が規定し、補償については、日本国憲法40条を受けた刑事補償法が、賠償については、日本国憲法17条を受けた国家賠償法が、それぞれ存在し、国内法上の不備はないものとするものである。


確かに、表面的に見る限り、国際人権〈自由権〉規約14条6項が規定する権利はわが国で保障されているように思えなくはない。


しかしながら、現行刑事訴訟法の再審制度に関する規定は、不利益再審の規定を削除しただけで、無辜の救済という観点からの厳密な検討を経ないまま、旧刑事訴訟法の規定をほとんどそのまま引き継いだものであるため、多くの問題をはらんでいる。


例えば、事実誤認を理由とする再審理由は、「有罪の言渡を受けた者に対して無罪若しくは免訴を言い渡し、刑の言渡を受けた者に対して刑の免除を言い渡し、又は原判決において認めた罪より軽い罪を認めるべき明らかな証拠をあらたに発見したとき」〔刑事訴訟法435条6号〕と規定されている。そこにいわゆる証拠の明白性に関し、最高裁判所は、「もし当の証拠が確定判決を下した裁判所の審理中に提出されていたとするならば、はたしてその確定判決においてなされたような事実認定に到達したであろうかどうかという観点から、当の証拠と他の全証拠を総合的に評価して判断すべきであり、この判断に際しても、再審開始のためには確定判決における事実認定につき合理的な疑いを生ぜしめれば足りるという意味において『疑わしいときは被告人の利益に』という刑事裁判における鉄則が適用されるものと解すべきである」と判示した(1975年5月20日、いわゆる白鳥決定)。しかし、同決定の趣旨を空洞化しようとする法解釈が検察官や裁判官の一部によって試みられており、わが国において再審制度が有効に機能しているとはとうてい言い難い現状にある。


また、再審請求手続きについて、(a)国選弁護人制度が存在していないこと、(b)弁護人と請求人との接見に刑務官が立ち会い、秘密交通権が確立していないこと、(c)証拠開示が制度上認められていないこと、のみならず、証拠開示されたことが与って「再審開始  無罪」を実現したケースの「反省」から、検察当局が再審事件担当検事に対し、証拠開示しないように指導していること、(d)審理の公開、事実取調べに対する請求人・弁護人の立会い権及び意見陳述権が明文で保障されていないこと、(e)再審請求の棄却に対する理由を付した不服申立ての期間が、高裁への抗告3日、最高裁への特別抗告5日と極端に短いこと、(f)再審開始決定に対する検察官の不服申立てが禁止されていないことなど、迅速な無辜の救済という観点からみると、手続き上の規定の不備が顕著である(以上の点は、国際人権〈自由権〉規約14条1項、3項(b)、(d)とも関連する)。


そこで、日弁連は、再審制度に関する改正意見を明らかにしているが〔最新のものとして、1991年3月の「刑事再審に関する刑事訴訟法等改正意見書」がある〕、日本政府は、これに誠実に対応していない。


また、補償については、その額(1日当り1,000円以上9,400円以下)に問題があるほか、特に費用補償について、再審請求段階で要した費用は、刑事訴訟法188条の6にいわゆる「公判準備及び公判期日」に関するものではないとして補償の対象とされていない点が、大きな問題である。再審手続きにおいて再審請求段階こそが決定的に重要であることに照らすと、明らかに不合理と言わなくてはならない。


従って、現行法の解釈によって再審請求段階の費用補償が不可能だとすれば、この点に関する法の不備は明らかであり、早急に改められなければならないことになる。


さらに、賠償について、国家賠償法上の公務員の故意・過失について、最高裁判所の判例は、「裁判官がした争訟の裁判に上訴等の訴訟法上の救済方法によって是正されるべき瑕疵が存在したとしても、これによって当然に国家賠償法1条1項の規定にいう違法な行為があったものとして国の損害賠償責任の問題が生ずるものではなく、当該裁判官が違法又は不当な目的をもって裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別の事情がある場合にはじめて右責任が肯定される」、あるいは「刑事事件において、無罪の判決が確定したというだけで直ちに検察官の公訴の提起及び追行が国家賠償法1条1項の規定にいう違法な行為となるものではなく、公訴の提起及び追行時の検察官の心証は、その性質上、判決時における裁判官の心証と異なり、右提起及び追行時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば足りる」という厳しい要件を課しており〔弘前国賠事件に関する1990年7月20日の最高裁判決〕、誤判によって苦しんだ者が現実的に賠償を受けることはないと言っても過言ではない。


加えて、被告となる国側の応訴態度は無罪判決が誤りであるかの如くに徹底的に抵抗するのが常である。


つまり、再審制度に関する限り、国家賠償制度は全く機能していないに等しいのである。


6 職権濫用に対する責任追及付審判制度の運用実態

国際人権〈自由権〉規約7条について、国際人権〈自由権〉規約委員会の一般的意見7(16)は次のように指摘する。「虐待の苦情は、権限ある機関により効果的に調査されなければならない。有罪と認定された者には責任が負わされなければならない。被害者には補償を得る権利を含む実効的救済措置が与えられなければならない」と。そして同意見はその根拠として国際人権〈自由権〉規約2条と結合されて読まれる7条によるとする。すなわち公務員によって犯された虐待行為に対しては効果的な捜査とそれに基づく告発、公訴の維持が要求されている。ところで、わが国には、公務員による犯罪に関し、被害者の人権の保護と捜査の公正を担保する1つのものとして付審判制度がある。


現行制度の概要(付審判制度)

A 準起訴請求の内容


刑法193条ないし196条(公務員職権乱用罪乃至公務員暴行陵虐罪)までの犯罪、及び破壊活動防止法45条の罪について告訴又は告発した者が、検察官の不起訴処分の通知を受け、それを不服とするときは、裁判所に審判に付するよう申し立てることができる〔刑事訴訟法262条〕。


B 手続き


この場合、請求人は、不起訴処分を受けた日から7日以内に、処分検察官所属の検察庁の所在地を管轄とする地方裁判所に付審判の請求をしなければならない。


検察官はこの請求があると認めるときは、公訴を提起しなければならない〔刑事訴訟法264条〕。また、この請求が理由なしと認めたら7日以内に意見書(公訴を提起しない理由の記載を要する)を添えて、書類、証拠と併せて裁判所に送付しなければならない〔刑事訴訟規則171条〕。


裁判所は合議体でこの請求を審理し判断する〔刑事訴訟法256条〕。審理の結果、請求を理由ありとする時は審判に付する決定をし、公判が開始される。


理由なしという時は棄却の決定があり、棄却決定には即時抗告を申し立てることができる。


C 公判手続き


付審判の決定がなされると、公訴の提起があったものと見なされる〔刑事訴訟法267条〕。公訴の維持、遂行にあたる者を裁判所は、弁護士の中から指定する〔刑事訴訟法268条〕。指定弁護士は裁判の確定まで検察官の職務を行うが、検察事務官等に対する捜査の指揮は、検察官に嘱託して行わなければならないとされている。


準起訴手続きの問題状況

A 請求事件の状況


公務員による職権濫用罪の捜査件数は、毎年数百件から1,000件近くの告訴、告発があるが、起訴率が異常に低く、平均すると1%に達していない〔全事件の起訴率は約80%台、「業務上過失」を除く刑法犯の起訴率さえ50%台である-犯罪白書-〕。


さらに、近年でも多い年で1,000件を越え、少ない年で200件を越える程度の請求があるが、準起訴手続き制定後現在まで、付審判決定のあった総数はわずかに16件にすぎず、この制度が実効性を持っていないことを端的に示している。


その原因としては、請求者(国民)に対する不信、逆に官憲に対する信頼と手厚い同情という裁判所の姿勢が端的に現れていると言える。


B 問題点


a 対象と請求主体の範囲


職権濫用罪についてのみ、告訴・告発→不起訴→付審判請求の道を開きながら、他の公務員の犯罪につき、告発→不起訴どまりにして、付審判請求を認めないのは、著しく均衡を失するであろう(検察審査会への申立て権があることは、両者ともにそれがある以上、区別の根拠になり得ない)。


準起訴手続きの対象となる犯罪は、すべからく公務員が犯したすべての犯罪にも及ぼすべきである。


付審判請求の主体は、現行法上捜査機関に告訴、告発をなした者とされており、被害者であっても告訴しておかなければ、不起訴処分が出ても付審判請求できない(検察審査会法30条は、明文で被害者の申立て権を認めている)。これは不合理であり、被害者も告訴の如何に拘わらず、請求主体となりうるようにすべきである。


b 不起訴理由の告知と請求期間


不起訴処分に対し、準起訴手続きを求めるかどうかを決断するには、その処分理由を知らなければならない。しかし、現行法は、まず検察官が不起訴処分の事実のみを通知すれば足りるとし〔刑事訴訟法260条〕、その理由を知りたければ、次で告訴人等が積極的に請求してはじめて、検察官が「速やかに」理由を告げる〔同261条〕、という仕組みになっている。「速やかに」の時期的限定は全くないし、理由の程度、告知方法についても何らの規定がない。


告知される理由は、起訴猶予、嫌疑不十分、嫌疑なし、罪とならず等のいわゆる不起訴の主文のみで足りるとする実務の取扱いは、文理上も法の趣旨にも反しており、理由がとりわけ準起訴手続きを求めるかどうかの重要な判断材料になるものであるから、少なくとも、準起訴の対象となる事件については主文のよってきたる理由をも告知する必要がある。被疑者の「名誉保護」等〔公判法大系1,286頁〕の配慮は、準起訴対象事件にあてはまらない。


一方、付審判の請求をするには、理由もわからないまま不起訴処分の通知を受けた日から「7日以内」にしなければならない。


「7日」という期間の制限は、裁判に対する通常の不服申立て期間が2週間であるという一事に対比しても不合理極まりない。しかも、不起訴処分の通知は、判決等と異なり、ある日突然もたらされる。少なくとも、理由の告知後2週間以上の考慮、準備期間をおくべきである。


c 公訴時効と審理の集中、促進


付審判請求がなされた事件の公訴時効は、請求時に停止するのか、付審判決定時に停止するのか。理論的には前者とする余地もあるのに、最高裁は後者とする〔最高裁1958.5.27判決)。


これでは、告訴告発を受けた検察官が捜査を口実に故意に時日を徒過し、また、請求後裁判所において、被疑者側の忌避申立て等の手続き上の問題や裁判官の交替等で審理が遅延している間に、公訴時効が完成する。請求人には全く責められる理由がないのにである。さらに、不当に請求を棄却され、抗告、特別抗告等を申し立てている間に時効が完成することもある。


集中的審理は、時効問題を離れても、年々未済事件が多いことからも、強く要請されるところである。


d 公正な審理方法


検察官の不起訴処分の当否を裁判として審理するこの手続きの性格は、検察官の捜査と同種のものではあり得ない。ここから、当然のこととして、当事者が関与した公正な審理手続きが要求される。


請求人側の記録の閲覧謄写、立証活動、証人尋問等への立会いと尋問権が保障されなければならない。被疑者の名誉、捜査の密行性等は、裁判としてのこの手続きには無縁である。


準起訴手続き制度の立法過程において、当事者の立会い規定が終始掲げられていた。しかるに現行制度は明確な規定がないまま運用においてそれも否定している。


e 請求審理における心証と決定の理由


準起訴手続きは、請求に基づき審判に付すかどうかの手続き(訴追手続き)と、審判に付された後の公判手続きの2段階に分かれる。前者は、証拠(ただし、公判における厳密な意味での証拠能力は問題となり得ない)に基づき、訴追が可能かどうか、即ち、犯罪の嫌疑があるかどうかを審理する手続きである。


公判手続きに移行して無罪となることがありうることは、検察官が起訴する場合と異なるところはない。このことを裁判所の心証の問題として考えたとき、前者では検察官の不起訴に対する否定的判断、つまり有罪の蓋然性で足り、後者では合理的疑いを受け入れない程度の有罪の確信が要求されることになる。


しかるに現実は、請求に基づく審理手続きが、あたかも有罪認定が可能かどうかを判断する手続きであるかのごとく誤解し、大部分の請求が棄却されている。これでは、2段階の手続きを設ける必要は全くないことになる。


また、仮に犯罪事実を認定しても、起訴猶予とする例がある(稲村事件)。請求が棄却されるのは、制度の趣旨からして明確に犯罪の嫌疑がないときだけでなければならない。検察官が「嫌疑なし(または不十分)」として不起訴にしたのに、裁判所が嫌疑を認めながら、「起訴猶予」として検察官の処分を是認するという事態は、どう考えてもおかしい。


f 公訴を維持する弁護士の指定と処遇


この弁護士の指定は、運用上、弁護士会の推薦に拠っているケースもあるが、必ずしも統一的にはなされいてない。その重要な責務並びに一般事件に比し困難な公訴維持を考えれば、第1に、弁護士会が指定ないし推薦するシステムを確立するとともに、第2に、複数の弁護士を指定し得ることとし、うち1名は請求人側の弁護士をあてるようにすべきである。


次に、指定弁護士の職務遂行については、現行法上検察官に嘱託して検察事務官等を指揮し得るにすぎず〔刑事訴訟法268条2項〕、現実には検察庁の1部屋を貸与されて検察事務官1名(決して専従ではない)程度が付されている状態である。


弁護士の手当て1つを取り上げても、現行は極めて不十分であり(政令は1970年度改正されたが、3万円以上、12万円以下にすぎない)、制度の意義が没却されていると言わざるを得ない。


国際人権〈自由権〉規約批准後の状況

しかるに日本は、1977年に国際人権〈自由権〉規約を批准したにも拘わらず、その後、前記付審判請求事件を取り巻く状況は全く変わっていない。


事件数から見ても、1979年から1990年まで付審判決定がなされたのは、僅かに7件である。しかも結果は、判事補の犯した身分帳閲覧事件という特殊な事件が10年にわたる審理と破棄差戻しのうえ、ようやく有罪となった他は、判決がなされたもの3件すべてが無罪という状況である(他3件は審理中)。前記審理方式の種々の問題点が改善されないまま、悪い形で影響が出ている可能性が強い。


日弁連は、1974年11月の人権擁護大会で不審判請求手続の運用の改善が必要であるとの決議を採択した。1976年には日弁連人権擁護委員会が「準起訴手続問題調査研究報告書」を発表し、法改正の提言を行った。審理方式については、前記1976年報告書の当時、請求当事者(または代理人)に記録の閲覧謄写を認め(一般公開までは認められないものの)、証拠調べへの立会い質問権を認めるという当事者公開の審理方式を認めた大阪地裁方式が、幾つかの最高裁判決によって事実上否定される方向にあり、その後の実務の動きが注目されていたのである。最初に述べた最高裁判決(1972年11月16日)は、付審判制度について、傍論ながら、以下のように判示していた。


「付審判請求制度……一種の司法審査ないし司法的抑制の機能を有するということができ、且つ、その裁判によって結果的に検察官の不起訴処分の当否についての判断が示されることになるわけであるが……請求人はもとより、被疑者あるいは検察官も、当事者たる地位を有するものではない。又、この請求についての審判は、いまだ公訴の提起されない段階において、被疑事実の存否並びに起訴の要否につき検察官の捜査結果と、必要に応じて自ら調査した資料を用いて真実の発見に努め、事件を審判に付すべきや否やを独自の見地から考察するものである点において、捜査と類似する性格をも有するものというべきである。


事実調査の実行の確保、被疑者その他の関係人の名誉の保護等のため、密行性をも重視する必要があるのであって、その結果、手続きの進め方、特に判断資料収集の方法等につき、おのずから制約を受けることも又当然である。これを具体的にいえば、付審判請求の審理及び裁判について、審理の公開、被疑者の在廷等は法の予定するところではなく、又、請求人はなんら手続きの進行に関与すべき地位にない。


もちろん、手続きの主催者として公正かつ合理的な手続きの進行をはかるべき職責を有する裁判所は、適切な裁量により必要と認める方法を採りうると解されるのであるが、前示のような手続きの基本的性格に背反するがごときことまで許される道理はなく、裁判所が裁量を誤り、その限度を逸脱した措置をとったときは、これを違法とすべき場合もあり得るわけである」


しかるに、その後、大阪地裁を始め他の裁判所においても審理方式は、一部において請求当事者の記録閲覧謄写権を認めているものの、大方は最高裁判決の考え方に沿って運用されているようであり、それらの結果が、前記一連の無罪の一因となった疑いが強い。


そもそも、捜査記録自体、被疑者である警察官の弁解中心に作成されている疑いが強いのであるから、公にされた記録を前提にしては正しい判断は望むべくもなく、裁判所はそれ以外の証拠の収集にこそ力を注ぐべきであるが、その構造上もその活動は不可能に近く、結局は申請人側の力を借りなければならないのであり、どうしても申請人の関与が必要であるのである。


この種の事件で申請人側の関与(当事者公開)なくして真実の発見はあり得ないのである。


これらの判決結果は、マスコミや刑事訴訟法学者の批判を受けたこともいうまでもない。


例えば、裁判所の姿勢自体を如実に問うているものとして、広島地裁1987年6月12日判決〔判例タイムズ655号252頁〕がある。


これは、警察官から理由なく質問を受けて逃げ出した被疑者を捜し回って拳銃を突き付け、追い回して拳銃を発射して負傷させ、さらに追い詰めたあげくに、棒で殴られそうになったので再び拳銃を発射して死亡させた、という事件である。1審は、被害者の逃走、抵抗はいずれも「てんかん発作」のためであるとし、被害者は、理性喪失状態であったので発砲もやむを得なかったという理由で無罪を宣告した。しかし、医学的に見て、被害者が受けた「てんかん」の診断は専門医によるものではなく、診断根拠には矛盾が多いし、「てんかん発作」の症状と被害者の行動とは全く異なる。裁判所は「てんかん」に関する知識を全く持たず、おそらくは「精神分裂病」のイメージで被害者に「狂人」のレッテルを貼り、その偏見の結果、被告人の行動の適否を検討する必要性を完全に忘失して誤判に至ったものと考えられる。


第7 被拘禁者の処遇〔7条及び10条〕

1 身体検査、採尿
国際人権〈自由権〉規約の解釈

国際人権〈自由権〉規約7条は「何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取り扱い若しくは刑罰を受けない」と規定し、同10条1項は「自由を奪われたすべての者は、人道的にかつ人間の固有の尊厳を尊重して、取り扱われる」と規定している。また、同17条は、私生活への恣意的な、もしくは不法な干渉を禁止している。


さらに、拷問禁止条約は、上記のような拷問あるいは残虐、非人道的、品位を傷つける取扱いにまで至らない同種行為が「公務員又は公的資格で行動するその他の者によって、又はその扇動によって、あるいはその同意又は黙認によって行われるとき、自由の管轄の下にある全ての領域内においてかかる行為を禁止することを約束する」〔同条約16条〕ことを、条約締結国に義務づけている。


拷問等以外の非人道的な取扱いまでも禁じ、かつそれが公務員の直接行う行為によらなくとも、「扇動・同意・黙認」によって行われることも広く対象としたものである。


わが国は拷問禁止条約を批准していないが、今日の国際人権の水準は、拷問や残虐な取扱いの禁止の対象範囲をひろげ、いやしくもこれに該らないとして禁止対象から逃れようとする意図を許さない方向にある。このことは前述の国際人権〈自由権〉規約の解釈に十分参照されるべきである。


国際人権〈自由権〉規約7条に関する国際人権〈自由権〉規約委員会の一般的意見7(16)が「種々の禁止された形態の取扱い又は刑罰の間にはっきりとした区別をする必要ないかもしれない。これらの区別は、具体的な取扱いの種類、目的及び苛酷さに依存するのである」としているのも共通の発想に基づくものと思われる。


他人の目の前で意に反して全裸もしくは裸体にされ、好奇な目にさらされたくない、というのは人間の基本的欲求である。権限ある司法機関によって必要性と相当性を厳格に判断された場合、もしくは今にも自殺・自他傷しそうだという具体的危険が差し迫り緊急の必要性があって緊急避難と認められる場合、逃走の用に供する物または凶器等の所持の疑いが明らかであり、かつそのような方法によらなければ確認しえない場合などを除き、意に反した身体検査を受けないことが、まさに個人として尊重されることにほかならない。そして、これらの許容される場合であっても、被収容者の人間としての尊厳を尊重し、被収容者が羞恥心をいだくような方法は回避されなければならない。


さらに国際人権〈自由権〉規約17条は、「1 何人もその私生活、家族、住居若しくは通信にたいして恣意的にもしくは不法に干渉されまたは名誉及び信用を不法に攻撃されない。2 すべての者は1の干渉又は攻撃に対する法律の保護を受ける権利を有する」と規定する。国際人権〈自由権〉規約17条についての国際人権〈自由権〉規約委員会の一般的意見によると、「個人の身体捜索に関しては、捜索される個人の尊厳を尊重した方法で捜索が行われるよう効果的手段がとられるものとする」とし、又プライバシーの保護一般の条件として同意見は、まず、プライバシーに対する公権力の干渉は、「法」に基づかなければならないことを要求し、しかもその「法」は、国際人権〈自由権〉規約の規定とその目的に合致していなければならないとする。具体的には「関連法規(成文法規legislation)に干渉の許される条件を細部にわたって正確に明記しなければならない」としている(なお同様の規定をもつヨーロッパ人権条約8条2項にいう「法規に基づき」の要件の1つとしてヨーロッパ人権裁判所は、「法」は接近可能性―accessibility―を持たなければならないとする)。さらに恣意的干渉でないためには、「特定の状況の下で、合理的な干渉でなければならない」し「法によって定められた機関によって、ケースバイケースで干渉を行うという決定がなされなければならない」としている。


日本国内における身体検査

A 根拠とされる法令


捜査並びに証拠調べのため、裁判所の発する令状(刑事訴訟法102条に基づく身体捜索令状、検証としての身体検査  刑事訴訟法129条、刑事訴訟法142条で令状を要する)に基づくもののほか、代用監獄においては被疑者留置規則8条「被疑者を留置するに当たっては、その身体につき凶器を所持しているかどうか調べなければならない」及び同10条「被留置者の身体につき外傷その他の異常を発見したときは、その状況、原因等を詳細に記録しておかなければならない」を根拠にし、拘置所、刑務所に拘禁された者については、監獄法14条、同46条、同施行規則13条、同17条による新入時の身体検査、入浴の規定及び還房者に対する身体及び衣類の検査を根拠としてあげる。


なお、この他公表されていないものとして、被疑者留置規則実施要綱や刑務所長の内部通知たる所内心得、遵守事項が根拠とされることもある。


B 事態


日本ではかなり古い時期から、警察の留置場内で、逮捕された被疑者に対する令状なしの裸体の身体検査が行われていることがしばしば指摘されてきた。同様に、被疑者・被告人を収容する拘置所や受刑者を収容する刑務所においては、年齢や性別の差異を設けず、身体検査が常時行われているが、その際には被収容者は裸体にされ、屈辱的な姿勢をとらされ、さらに陰部や肛門の検査が行われている(肛門検査と称して肛門に棒を挿入することすら行われている)。これらの身体検査を受けた人々から各地の弁護士会や法務省の人権擁護委員会に対して人権救済申立てがなされ、それらの機関の適切な調査の結果から違法との判断を示されたケースが人権侵害事例として多数報告されているのである。


ところが、国民の基本的人権やプライバシーに直結する重大問題であるにもかかわらず、圧倒的大多数のケースは救済されないばかりか、公に問題として取り上げられることすら稀である。その理由の第1として、日本の警察や拘禁施設がもつ極端な秘密主義がある。とりわけ警察には組織内の違法行為や不祥事をことさらに隠そうとする傾向がある。さらに被害者たる被疑者側の要因として、悪いことをしたのだから警察から何をされても仕方がないという犯罪者意識や、法の無知、あるいは強い羞恥心・屈辱感などの理由も挙げられる。身体検査の問題は裁判の部面あるいは法律家の実務において最近まで必ずしも正面から議論をされていない状況に置かれてきた。


C 身体検査の実例


しかしながら最近になって、このことの適法性が法廷で問題となったケースがある。長野県警察本部・長野南警察署警察官による全裸の身体検査である。この事件の内容は次のとおりであり裸体検査の典型的な事案である。


Tさん(女性、当時35才)は長野市内の住宅で内縁の夫及び3人の子供とともに平穏な市民生活を送っていた。Tさんは、1988年2月2日午前1時すぎころ、自ら経営していた飲食店から数百メートル先の自宅へ自動車を運転して帰る途中、無免許運転の現行犯人として警察官によって逮捕され、長野南警察署に連行された。Tさんは、逮捕は生まれて初めての経験であり、もとより覚醒剤に関わりをもったことは一度もない。長野南警察署に連行されたTさんは、飲酒の有無のテストをされたり弁解録取* をされたりした後に同署2階にある留置場に通された。Tさんは身体検査室という約3畳の広さの小部屋に導かれ、同所において婦人補導員から何の理由も示されないまま、全裸になること、体内から生理用品を取り出すこと(このときTさんはたまたま生理中であり生理用品を使用していた)、股間を開いて下半身を上下に屈伸することを命じられた。Tさんは最初のうちは抗議をして拒否しようとしたが「きまりだから、規則だから」と聞き入れられず、耐え難い屈辱感を味わいながら、意に反してこれらの命令に従い、全裸になり(ただし、浴衣1枚を上からかけられていた)生理用品を取り出したうえ性器まで露にして何度か屈伸せざるを得なかった。この間、身体検査室の入口付近には男性警察官がおり、婦人補導員に向かってTさんに対する身体検査に関して詳細に指示を送っていた。*捜査機関による被疑事実及び逮捕措置についての被疑者の弁解を調書にとること(刑事訴訟法203条)。


長野県弁護士会が実施した聴取調査によると、Tさんと同時期に逮捕された者で身体検査の内容の判明している14名中、12名の者が下着まで脱がされたと回答している。そこには性別の差はない。警察が真実を公表しないので全貌は不明であるが、この事件や調査結果から窺うことのできるとおり、日本の警察は逮捕された被疑者に対し裸体検査を相当広範に行っており、そこには抑制的な配慮が全くみられないといってよい。


Tさんは、長野県(警察)を被告として、意に反した裸体の身体検査及び採尿*1につき国家賠償の訴訟を提起した*2。警察側が訴訟の中で提出した書面は裸体検査を行う当の警察の考え方をよく示しているので、次にこれを引用する。


「(留置場内での身体検査に関する国内法の)明文の規定は存しないが、施設管理権の行使として、令状なしに強制的になしうる」


「(既決に対する刑務所、未決に対する拘置所においては)収容者の自殺、自他傷、逃亡等を未然に防いで保安を保ち、施設の管理運営の適正を図るため、ほとんど全員を全裸にし、さらには陰部、肛門等に至るまで検査を行っているのが実態である(とし、これら事例との均衡から、警察の留置場においても)肌着を脱ぐに先立って浴衣を羽織らせるなど、人権擁護のための補完措置も確実に履行しているのであるから、違法の謗りを受けるいわれは微塵も存しない」


この警察の実際の行動と上記の見解によれば、留置場という施設の管理権者としての警察が、被収容者は自殺や自他傷の恐れが必ずしもない場合においても、裸体の身体検査や性器・股間の検査を強制することは、違法・不当ではないとの認識に立っていることが窺える。しかもこの考えは、長野県以外の日本の警察にも広く根づいているものである。従って、Tさんのごとき人権侵害は、今後とも大量にしかも反覆して発生する恐れが強い。しかも、身体検査の結果、凶器や証拠物の発見されたケースは極めて稀である。Tさんのケースでも帰宅途中の単なる無免許運転の容疑で逮捕したにもかかわらず、裸体検査までしており、しかも発見されたものは皆無であった。他の拘置所や刑務所で同様の検査が実施されているということは、何ら理由にならないことは言うまでもない。


*1長野県警は1988年、覚醒剤事犯の検挙率の向上を狙って、逮捕者全員採尿の方針をたて、そのため、Tさんも覚醒剤使用の容疑がないのにもかかわらず採尿されたものと思われる。


*2長野地裁1990年11月15日判決及び東京高裁1992年9月24日判決(2審)とも、全裸の身体検査が違法であるとして損害賠償請求を認めた。


D 国際人権〈自由権〉規約からみた評価


上記のとおり、日本国内における裸体検査は、被拘禁者に対して裁判所のチェックをうけることなく行われることが多く、しばしば検査される個人の尊厳を尊重しない方法で行われており、このような場合には国際人権〈自由権〉規約7条、同10条に違反する可能性が強い。


さらに国際人権〈自由権〉規約17条に関しては、以下のような問題がある。


(1) 被疑者留置規則のように裸体検査についての明確な根拠とならないものを根拠として行われたり、条件が細部にわたって正確に記載されていなかったりしており、「法」に基づくものとはいえない。


(2) 監獄法のように、具体的必要性をケースバイケースで判断するのではなく一律に全ての新入者や還房者に裸体検査を実施するのは、「恣意的な」干渉である。


(3) 検査の方法等につき、個人の尊厳を尊重するような具体的方法がとられているとは必ずしもいえないし、適切な法律の保護をうける権利を保障されていない。


2 留置場、刑事施設における医療
はじめに

「自由を奪われたすべての者は、人道的にかつ人間の固有の尊厳を尊重して、取り扱われる」〔国際人権〈自由権〉規約10条〕


全ての者が到達可能な最高水準の身体及び精神の健康を享受する権利を有する。病気の場合に全ての者に医学及び看護を確保するような条件の創出が必要である〔国際人権〈社会権〉規約12条〕。


その具体的内容は、1955年に採択された国連被拘禁者処遇最低基準規則に定められている。また、被拘禁者を拷問等から保護するための国連総会決議「医学倫理原則」(1982年)は、医師等に被拘禁者に通常人に与えるのと同等の治療の提供の義務を課している。さらに、1990年、国連総会で決議された「被拘禁者処遇原則付属文書被拘禁者の処遇に関する基本原則宣言」9条も、被拘禁者に、その法的地位による差別なく、その国において利用できる保健サービスへのアクセスを認めている。


しかし、残念ながら日本においては、留置場、刑事施設における被拘禁者の医療状況には多くの問題点がある。


病状放置

最も基本的で、最も重要な問題は、被拘禁者が病状を訴えても診察等を行わない病状放置である。これは、常勤医師の不足、不存在、という制度運営上の問題点によるばかりではなく、医師等刑務所側の怠慢によるものが多い。


s@1988年において、常勤医師の人員は合計221人であり、被収容定員数 (刑務所49,025人、拘置所14,431人、合計63,456人)を考えると少ない。また、代用監獄においては常勤医師は全くいない。


医師数の不足だけが原因とは考えられないが、日弁連に救済を申し立てられ、病状放置の事実が認められたので、日弁連あるいは単位弁護士会が警告、勧告、要望を出した事案だけでさえ、以下のものがある。


 高松刑務所において、刑務所の医師が、受刑者から腎結核の再発(同医師はかつて同受刑者に腎結核による右腎摘出手術をしている)を疑わせる病状があるため精密検査をしてもらいたいとの再三の要請を受けながらも、その要請を無視し、約1年半にわたり腎結核の治療を怠った事案。1978年10月5日、法務大臣・法務省矯正局長・高松拘置所長宛警告。


 岐阜刑務所において、受刑者が罹患を訴えたが、2カ月余も資格ある医師に診療を行わせず、資格のない看守にレントゲン撮影・注射等をさせた事案。1983年1月27日、名古屋弁護士会が岐阜刑務所長宛警告。


上記事案は長期間放置された事案であるが、日常的にも診察を受けることは困難なようである。大阪弁護士会がした大阪刑務所処遇の実態調査〔1986年3月27日付中間報告〕によれば、「症状を訴えたが、内科医の診断は受けさせず、与えられた薬は胃散だけであった」との報告がなされているし、被逮捕者に弁護士を紹介している団体(救援連絡センター)の獄中医療アンケート(1987年から1988年実施)によれば、「緊急の場合など無医村に住んでいるといってもいいくらい」「医師の数が少なすぎる」等の結果が報告されている。


医療についての告知の実態

以上の事案に示されているように、刑務所や拘置所の医療に対する意識は非常に低いものであるが、意識の低さを示すものの1つとして、刑務所等で受刑者等に渡される「所内生活の手引・しおり」の記載が挙げられる。


前橋刑務所においては、医療に関し、「医師より与えられた薬は、指示されたとおりに飲み、人にやったり、ためたりしてはならない」、「診察の際、医務職員に強要めいたことをしないこと」との記載があるのみである。


東京拘置所においては、多少親切ではあるが、医療に関しては、「診察の受付は指定された日に行う。但し、急を要する場合は、職員に申出ること」「医療については、医師の指示に従うこと。診療を受ける時は症状をありのままに説明して偽りや大袈裟な訴えをしないこと」との記載があるのみである。


府中刑務所の記載は、「万一病気にかかったり、負傷した場合、当所では、相当の医療体制のもとに責任をもって診察にあたっているので、必要以上に心配することなく、医師その他担当職員の指示に従って治療に専念することが大切です」「毎週定期的に医務職員が巡回するから、担当職員を通じて申出なさい」「軽度の者は、医務職員で備薬投与する」「歯科治療を受けたい人は申出なさい。症状の軽重・緊急度で順番が前後することがある。技工は有料」というものであり、この程度の記載及びその実行は最低限必要であると考えるが、拘禁施設においてこの程度の記載さえもなされていない施設が、ほとんどであると推測される。


不適切・不十分な治療

不適切な治療の最たるものは、無資格診療である。あってはならないことであるが、日弁連が確認した事案だけでさえ、以下のものがある。


 長野刑務所において、収監者に対するレントゲン線検診の一部において無資格者によるレントゲン線照射がなされていた。1979年12月11日、長野県弁護士会が長野刑務所長宛要望。


 先に挙げた、岐阜刑務所における無資格者によるレントゲン撮影・注射。


 名古屋矯正管区内施設において、医師により右臀部切開排膜手術を受けた後、出血がひどいのに医師が不在であったところ、資格のない看守が縫合手術をした。1982年11月18日、富山県弁護士会が名古屋矯正管区宛要望。


また、医師による治療等についても、不適切・不十分なものしかなされていない事案が報告されている。


 東京拘置所に拘置中の被告人より、夜間の巡回時の靴音等により安眠を妨げられたので、これに抗議したところ、保護房に入れられたり朝食に鎮静剤をふりまかれるなどされたとの申立てが東京弁護士会宛にあり、調査の結果、同人に精神面の障害があることが判明し、東京弁護士会より1984年3月28日、東京拘置所長宛に、適切な治療を施すよう要望した。


 府中刑務所の受刑者より、職員の言葉が粗暴、強権的であり、また、発信妨害や作業賞与金の計算違いをするなど、精神面・衛生面で人格を全く無視するとの申立てが東京弁護士会宛にあり、調査の結果、同人に若干の精神的障害があると思料され、1985年4月1日、府中刑務所長宛に同人に対する診療等について十分な配慮を要望した。


 長野刑務所において、受刑者が下痢を訴え、看守に投薬を依頼したところ、看守が間違ってうがい薬の過マンガン酸カリウム50人分を投与したため、5日間の入院治療を要する傷害を与えた事案。1980年4月13日、長野県弁護士会が長野刑務所長宛に改善を要望。


 宮城刑務所において、受刑者が投与された自律神経調整剤等を蓄えておき、一度に多量に服用して薬物中毒死した疑いがある事件について、1979年6月20日、仙台弁護士会が宮城刑務所長宛に、薬品の投与について万全かつ厳重な管理を行うよう警告。


判決によって、認められたものにも以下のものがある。


 府中刑務所において、刑務所の書類にもピリン系アレルギー症の記載があるにもかかわらず、歯痛に対して漫然とピリン系薬剤であるグレラン末剤を投与し、陰茎に瘢痕が残った〔東京地裁1972年3月7日判決〕。


 大阪府港警察署において、勾留中の被疑者が、虫垂炎を発病し、署員に繰り返し腹痛を訴え手術を依頼したが聞き入れられず、5日後に大阪拘置所に移監されてからも痛みが激しいので、設備の整った外部の病院での手術を受けたいと繰り返し頼んだが拒否され、移監後26日たってから拘置所において手術を受けたが、その際、虫垂間膜の結紮が不完全であったため腹膜炎を起こし、さらに腸閉塞を発生させた〔大阪地裁1973年9月19日判決〕。


 東京拘置所において、被拘禁者が1週間にわたって頭痛を訴え続け、嘔吐の症状も呈し始めたにもかかわらず、医師は漫然と鎮痛剤ミグレニン、精神安定剤たるコントミン、ヒベルナ等の投与を続けるのみで、頭蓋内の占拠性の疾患を疑い眼底検査をする等の診断を直ちに行わず、しばらくして外部医に眼底検査を依頼し、外部医により精密検査が必要であるという診断結果が出たにもかかわらず、精密検査等を受けさせず、脳腫瘍の疑いにより死亡した〔東京地裁1974年5月20日判決〕。


 赤羽警察署において、医師が腸管破裂による腹膜炎を、胃炎と誤診し、死亡せしめた〔東京地裁1976年6月30日判決〕。


 大分刑務所において、医務課長が受刑者に右耳殻後の皮下出血、発熱、左腕麻痺を認め、頭部外傷を疑ったにもかかわらず、単に外部医師に診察を依頼したのみで、同医師の診察にも立ち会わず、診察後の連絡もとらず、X線撮影の結果も確かめず、結局右側頭骨陥没骨折を発見できず、左上肢の顕著な機能障害及び左下肢の起立歩行障害を生じせしめた〔名古屋地裁1983年2月14日判決〕。


 大阪拘置所において、被拘禁者が暴れ、2月の寒中に保護房にいれても裸になる等の行為を続け、身体衰弱が認められたにもかかわらず、専門病院への入院、保温、栄養補給等の処置をせず死亡せしめた〔大阪地裁1983年5月20日判決〕。


前述した大阪弁護士会の調査によっても、「健康診断は10名位が横1列に並ばされ、聴診器を2回位あてるだけで、問診は全くない。懲罰前後の診断も同様」との結果が報告されている。また、同様に救援連絡センターのアンケート結果によっても、「各種の検査の結果を知らせてくれない」「病気をなおしてやろうという気持ちがない。投薬で症状を押さえるだけ」「はっきり言って、何されるか分からないので、医療にかかりたくない」といった不満が報告されている。


自費治療、費用

拘禁された場合、官費治療を受けられるのが原則である。


ところで、自己の指定する医師の診療を受けたい場合もある。その場合、一般市民であれば、医者の治療を受けても、健康保険に加入している限り、治療費の大半は保険より支払われる。しかし、拘禁されると保険給付がなされなくなるので、全額につき自己負担せざるを得なくなる。もちろん、被拘禁者の場合、経済的余裕がない者が多いから、自己負担により治療を受けることは事実上極めて困難となる。かかる制度は、不必要に被拘禁者の権利を制限するものであり、不当である。


さらに、自己負担により治療を受けようとするときにも、刑務所長等の許可がなければ、自己の指定する医師の治療を受けることはできない。


許可制度が適切に運用されれば問題は少ないが、不適切な運用例も報告されている。


東京拘置所において、被拘禁者が疾病にかかり、施設内の医師との間には信頼関係がないことを理由に外部の医師を指定し、自費医療を求めたが、許可されなかった事案において、1977年8月5日、日弁連が法務大臣・矯正局長・東京拘置所長宛に不当である旨警告した事案がある。


 


以上述べてきたように、被拘禁者の医療は、一般水準と遠く隔たっており、国連被拘禁者処遇最低基準規則に定められた最低限の医療さえも十分に与えられないのが実情である。このような実情は、国際人権〈自由権〉規約10条を充足していないと言わざるをえない。さらなる改善に努力しなければならず、現状に甘んずることは許されない。


3 規律優先の密室行刑
国際的な行刑の水準と日本の行刑の特徴

国際人権〈自由権〉規約10条は、自由を奪われたものと被告人の処遇についての一般原則を次のように定める。


「1 自由を奪われたすべての者は、人道的にかつ人間固有の尊厳を尊重して、取り扱われる。


 2(a) 被告人は、例外的な事情がある場合を除くほか、有罪の判決を受けた者とは分離されるものとし、有罪の判決を受けていない者としての地位に相応する別個の取り扱いを受ける」


この10条1項は、すべての非人道的な、品位を傷つける取扱いを禁止する国際人権〈自由権〉規約7条を被拘禁者について補完するものである。また「自由を奪われたすべての者の人道的取扱い及び尊厳性の尊重は、物的資源に全面的に依存するはずのない普遍的な適用可能性のある基本的な基準である」〔国際人権〈自由権〉規約委員会の一般的意見〕とされている。この規約10条は、自由を奪われた者に対しても、この規約が保障する基本的人権が等しく保障されることを明らかにしている。


国連被拘禁者処遇最低基準規則は、1955年に制定され、国連の加盟各国は3年ごとに国連事務総長に「この適用に関する進捗状況の報告」をするものとされている。


この規則が、世界の行刑に及ぼした影響は大きく、この規則自体は条約ではないが国際慣習法として、国際人権法の法源としての地位を承認すべきだとの考えが一般的となっている。


1988年12月、国連総会は、被拘禁者人権原則を全会一致で採択した。


この原則は、国連人権委員会における10年以上にわたる作業の結果採択に至ったものであり、国際人権〈自由権〉規約の解釈基準ともなるものである。


日本の行刑制度は、残念ながら、このような国際的な人権基準に従ったものとなっておらず、むしろ、国家処遇権のもとに、被拘禁者の一挙手一投足に至るまで監視し、規制しようとするものとなっている。そして、さらに大きな問題は、日本の行刑当局が、このような実態を今後改善すべきものとして捉えるのではなく、このような不断に被拘禁者の人間としての尊厳を傷つける処遇を世界一うまくいっているものと自画自賛していることである。


例えば、行刑当局がその著者に加わっている佐藤晴夫・小澤一著『刑務所』*には次のような一節がある。*有斐閣、1983年刊


「受刑者が罰を受けて因果応報の理を悟ることも、自由を奪われ、苦痛を味わって、『二度とこんなところへ来るものではない』と感じることも、受刑者の倫理の覚醒につながるものであって、刑務所拘禁の持つ諸機能は決して相反することなく、それぞれ微妙に調和して働いているのである」


ここでは、個人の自覚、人間としての尊厳に立脚した行刑ではなく、被拘禁者に苦痛を与え、そのことによって個人の共同体的な倫理(前記の著書によると、これは世間体、恥、恩義、義理人情、罪の意識と説明されている)の覚醒を図ることが、その目的とされている。


このような基本的な考えのもとに、日本の刑事拘禁施設では、必要以上に規律秩序の維持が強調され、他方で、行刑過程の密行化が徹底されている。以下、いくつかの特徴的な問題について述べることとする。


厳正独居拘禁


A 厳正独居拘禁の内容


規律秩序を害する恐れがあるとの理由で、受刑者を工場に出さないで、作業は狭い房内で行う特別の処遇。


作業以外の運動や入浴も1人だけで行う。所内のレクリエーションなどに出席することは認められない。


房内では、作業中だけでなく、日課外の時間であっても、就寝時間前は、座った姿勢が強制され、立ち上がったり、壁によりかかったり、足を崩して伸ばすこと、立て膝なども禁止されている。このような行動制限に反すると、看守の指示がなされ、それに従わないときは、懲罰を受けることとなる。


運動は、次の日には実施されていない。


(1) 日曜日 52日
(2) 祭日及び振替休日 13日
年末年始の休庁期間 12月29日から1月3日まで 5日
(3) 閉庁土曜日 24日
(4) 入浴日(6月から9月までは5日ごとに1回、10月から5月までは7日ごとに1回を下ってはならない)(6月から9月までは5日ごとに1回、10月から5月までは7日ごとに1回を下ってはならない) 約60~65日
(5) 雨天の日 お天気次第

(小 計) 94日

1回の運動時間は30分とされているが、実際には居房から運動場までの時間も含めて30分とされている例や看守が20分程度で打ち切ったりしている例もあり、実質はもっと短い。独居者の運動場はとり小屋と呼ばれている扇形の狭い檻である。短冊上の細長い形で十分体を動かして運動することは不可能である。また塀が高く、日当たりも悪い例が報告されている。


このような処遇が5年間以上にわたって継続される例もまれではない。


全国でこのような処遇を受けている者の数は統計がないため明確ではないが、累犯者を収容しているB級刑務所に収容されている受刑者の約1割程度がこのような処遇を受けているものと推定される。


B 厳正独居処遇は国際人権〈自由権〉規約違反


厳正独居に類似した処遇は諸外国においても全く見られないものではないが、その処遇の内容には他に見られない特徴を指摘することができる。最大の特徴は房内での行動が制限され、特定の姿勢が強制されていることで、このような例は世界中にも例がないと考えられる。人間が立ったり、座ったり、手足を動かしたり、いろんな方向を向いたりすることは、ある意味で人間の最低限の自由の中核的部分をなしている。被拘禁者の監視、保護のため、このような基本的自由までが制約されることには、一片の合理性すら認めることはできないのではないだろうか。


実質的にみても、終日一定の方向を向いて、座っていなければならないとした場合、その身体的、精神的苦痛は多大なものである。長期にわたる場合には、腰痛その他の身体の障害にもつながりかねない。房内での所持品や居房の広さなどについて何ら特別の保障がなされていないこと、戸外運動時間が著しく不足していること、拘禁の隔離性が高く、心身の健康がむしばまれていることなども重要な問題である。国連被拘禁者処遇最低基準規則21は、1項で「屋外作業に従事しない被拘禁者は、天候の許す限り、毎日少なくとも1時間適当な屋外運動を行うものとする」と定めているが、実態は明らかにこの規則に違反している。


また手続き的にも長期の厳正独居については刑務所長の権限だけでなく、上部機関の承認や裁判所の許可が必要としている国も多い。日本のように刑務所長の権限だけで何年間にもわたって独居を続けることができるというのはあまりにも濫用の危険が大きいと言わなければならない。


このように、厳正独居拘禁者の実態は、日本の監獄における厳しい行動制限、とりわけ房内での運動の禁止と一定の姿勢の強制と合わせて考えるならば、拷問または、残虐な、非人道的な、もしくは品位を傷つける取扱いを禁止している国際人権〈自由権〉規約7条、自由を奪われたすべての者に対して、人道的にかつ人間の固有の尊厳を尊重した取扱いを保障した同規約10条に違反したものというほかない。国連被拘禁者人権原則6は規約7条と同趣旨の規定であるが、この原則の原注は、同項の保護は、「視覚や聴覚、もしくは位置及び時間の経過に対する意識のような自然の感覚の働きを一時的もしくは永久的に奪う状況におくこと」にも及ぶとされている。この注が、長期の独居拘禁をまず念頭に置いたものであることは、アムネスティ・インターナショナルの同原則についての解説* からも明らかである。


*「拷問その他の残虐な、非人道的なもしくは刑罰の禁止は、国際的に認められた規範であるが、原則6でもくり返されている。原則6に付された脚注は、長期の独房監禁を含め、一定の虐待行為に対し申立てを行う際に有用なものとなるであろう」


懲罰

A 懲罰制度とは


懲罰制度は、刑事施設において、被収容者が具体的に、規律違反行為を行ったときに、課されるものである。1988年の懲罰事犯人員は懲罰を受けた人員31,105名、うち軽屏禁*1 〔D.para359~362参照〕が23,687名となっている。同年中の収容人員は1日平均54,344名である。懲罰事由のうち特に多いものは、他の収容者への暴行3,716名、職員への抗命*23,689名で、職員への暴行は少ない(殺傷19名、暴行334名)。


*1房内で昼夜謹慎させる懲罰。厳格な隔離による精神的孤独の痛苦により内省を促すもの(監獄法60条1項11号)。ほとんどの場合、文書・図画閲読禁止処分、運動・入浴・面会・手紙発信禁止が併せて課せられている。従って、軽屏禁の懲罰を受けると、懲罰期間中、1日房内の一定位置に座って謹慎し、運動や入浴はできず、面会や手紙の発信は禁止され、房内にある本は全て撤去されます。このような厳しい懲罰が、受刑者だけでなく、無実の推定を受ける未決拘禁者に対しても広く課せられているのが実情。重屏禁はその残虐性のゆえに現在行われていない。


*2看守の指示・命令に従わないときは懲罰の対象となる。看守の不当な指示に抗議したり、強弁したりすれば抗命となる。


B 不明確な懲罰要件


懲罰は、刑事拘禁自体にともなう自由の剥奪に加えて、新たに法益を剥奪する行政処分である。従ってその要件は法令において明確にされている必要がある。国連被拘禁者処遇最低基準規則29や国連被拘禁者人権原則30は、規律違反となる行為を、法律または行政庁の定める規則で定められ、公表されるものとしている。


しかし、わが国の監獄法は、59条で「在監者紀律に違いたるときは懲罰に処す」と定めるだけで、同法の施行規則にも懲罰の要件の定めはない。実際には、各刑事施設ごとに、その長が定める「所内生活の心得」のなかの遵守事項によって定められている。これは、原則として、施設外のものには公開されていない。


弁護士会が入手した、この遵守事項の例によれば、極めて不明確で、広汎な事項が懲罰の対象とされている。


例えば、東京拘置所の遵守事項には「定められた場所から許可なく離れた」「他の人に窓越しに話しかけた、合図をした」「不必要な診療・治療を強要した」「大声を発した」「けんか・口論」「暴行の気勢を示した」「わいせつな行為」「誹謗中傷」「物品を不正に製作した」「物品を不正に授受した」「落書き」等が含まれている。


実際に懲罰の対象とされている行為には、次のようなものも含まれている。


第二東京弁護士会勧告(1985年11月12日)


 未決被拘禁者が、拘置所内の運動場で、同人の事件とは無関係な事件で起訴されている他の被収容者に「頑張ってね」と挨拶したことを理由に、東京拘置所で7日間の軽屏禁とされている。


第二東京弁護士会勧告(1986年3月14日)


 未決被拘禁者が居房内で、瞬時「あっ」ないし「あー」と声を発したことが大声を発したものとされ、東京拘置所で10日間の軽屏禁とされている。


京都弁護士会勧告(1985年3月25日)


 受刑者が医師の指示に従わず、その医師に暴行の気勢を示したことを理由に京都刑務所で30日間の軽屏禁にされた例がある。しかし、京都弁護士会の調査によると、その受刑者は、医療内容についてガーゼの交付を要求し、医師もこれを認めており、暴行の意思があったと認定することは困難とされている。


東京地方裁判所判決(1980年2月13日、1981年1月26日)


 点検を拒否したことに対する懲罰に違法性がないとした。


 点検とは、毎日朝、夕方看守が居房の扉の外に立ち、房内の定められた位置で、被収容者が扉の方向に向かって正座し、頭を下げて待機し、自分の番号を唱えるとの儀式である。看守と被収容者の支配・服従関係を象徴する儀式といわなければならない。


 裁判所は、このような儀式は、人員の確認、個人の識別、心身の状況の把握、規律違反の未然発見・防止のために必要であるとする。しかし、このような目的のため、正座し、頭を下げさせ、番号を唱えさせることが必要とは考えられない。


横浜地方裁判所判決(1987年2月18日)


 この判決では、職員に対する抗命、拒食等への懲罰が違法でないとされている。日本では、ハンガー・ストライキに対して、強制的に栄養補給が実施される。そして、ハンガー・ストライキ自体が刑事施設の管理運営に混乱をもたらすものとして、懲罰事由を構成するとの取扱いが行われている。


C 懲罰手続きの問題点


国連被拘禁者処遇最低基準規則30の2は、「いかなる被拘禁者も、自己が犯したとされる違反事実の告知を受け、かつ、自己の弁護を申立てる適当な機会を与えられるのでなければ懲罰を課せられない。権限ある機関は、事件の十分な調査を行わなければならない」と定める。国連被拘禁者人権原則30の2は、懲罰執行以前の聴聞と、上級機関への審査のための申立てを保障している。


わが国の手続きでは、監獄法上、このような権利は全く保障されておらず、実際には、施設内のものだけで構成される懲罰委員会の一方的な審査によって課されている。違反事実の告知は口頭だけであり、弁護士の立会いは否定されている。被収容者の証拠の閲覧権、証拠の提出権、証人の尋問権は全く保障されていない。このような懲罰手続きが前記の諸原則を充足しないものであることは明らかである。


また、監獄法上、上級機関への申立てが保障されていないことは、「実効的な救済手段の欠如」の項〔para.370以下〕で述べるとおりである。


さらに、懲罰が後に裁判で争われた場合にも、施設当局は懲罰の証拠資料を提出しないことがある。


D 苛酷すぎる懲罰内容


国連被拘禁者処遇最低基準規則31は、「体罰、暗室拘禁、及び全ての残虐な非人道的または屈辱的な刑罰は、規律違反に対する懲罰として絶対に禁止されなければならない」と定めている。


懲罰の大部分が軽屏禁と呼ばれる種類の懲罰であることは、「懲罰」の項〔para.352〕で述べたとおりである。


軽屏禁罰の内容は、監獄法60条2項に、「受罰者を罰室内に昼夜屏居せしめ情状に因り就業せしめざることを得」と定められている。


現実に行われている軽屏禁の内容は、居房内で、廊下の方向に向かって居房中央で正座またはあぐらの姿勢を継続することが強いられる。壁によりかかったり、膝を崩したり、立ち上がったり、椅子に座ったり、歩いたりすることはできない。立つことができるのは、トイレのとき、洗濯のときだけである。就寝時間になると横になることが許される。弁護人以外のものとの面会・信書のやり取りは禁止される。裁判所提出書類以外の筆記は禁止される。運動と入浴は厳しく制限される。ラジオ放送の聴取も停止される。一般に軽屏禁には、文書図画閲読禁止処分が併科される。そして、このような軽屏禁が、事案の程度に応じて、2カ月以内の期間を定めて執行されている。*大阪地裁1985年5月31日判決。


このような厳しい内容の懲罰を課す目的については、裁判例は、国の主張に従って「昼夜を通じ、罰室内に屏居させて謹慎させ、精神的孤独の痛苦により、改悛を促す」*ものとしている。しかし、一定の姿勢を強制し、運動も制限するため、腰背部の筋力の低下を招き、腰痛症の原因ともなりかねない。懲罰中は、全ての精神的な慰安の手段が奪われており、拘禁性の精神疾患の原因となるおそれもある。このような懲罰の実態は非人道的なものであり、前記の国連被拘禁者最低基準規則に反するものというほかない。


保護室・革手錠

A 保護室


被拘禁者が規律違反行為を行ったときに収容される特別の規格の房。


家具は全くなく、床はリノリューム貼り、壁は木製になっている。トイレも自分では水を流すことができない。24時間テレビカメラで監視されている。B 革手錠


保護室と併用されることが多い。


革でできた特製の手錠を革帯に固定するのが原則であるが、「右手前、左手後」などの特に苦痛を増すような使用方法がとられることがある*。


また、革帯の装着によって、「俵締め」と称して、極端にきつく装着させたり、手錠部分にも、金属手錠やビニール紐と併用してわずかな遊びの部分をなくし、緊縛度を高める使用方法がとられることがある。このような革手錠の使用が数日以上も継続されることがある。


このような使用方法は法務省の1957年1月26日付の通達で厳しく禁止されているが、濫用された事例の報告はあとを絶たない。


この革手錠は食事のときやトイレのときも外さないことが多く、床に這いつくばって、犬のようにして食事をしたり、ズボンのまたの部分を切り取ってしまうなど、ことさら被拘禁者に屈辱感を与えるような使用方法が行われている。


このように日本の拘禁施設における保護室・革手錠の使用は、人間としての最低限の誇りを剥ぎ取り、反抗の気力を打ち砕くことを目的として行われていると考えざるを得ないのである。*革手錠とは、革ベルトで両手を固定して手の動きを封じる戒具で、固定の仕方によって、「両手後」「右手前、左手後」「両手後の交差」「左手前、右手後」などと呼ばれている。「右手前、左手後」は右手を胸側、左手を背中側に回して固定する。


C 保護室・革手錠の併用は国際人権〈自由権〉規約違反


このような不必要な保護室・革手錠の併用は国際人権〈自由権〉規約7条、10条に違反するものであることは明らかである。


弁護士との秘密交通権

A 保障されない秘密交通権


拘禁施設の中に収容されたものと弁護士との秘密に通信・面会する権利は、国際人権〈自由権〉規約の14条3項に規定された極めて基本的な権利である。しかし、日本の拘禁施設においてはこの権利は公然と蹂躙されている。


未決被拘禁者とその弁護人の面会についてだけは秘密が保障されている。しかし、未決被拘禁者とその弁護人の通信は検閲され、場合によっては、削除されることすらある。受刑者や死刑確定者の代理人である弁護士との面会・通信には全面的に立会い・検閲が実施されている。再審請求のための代理人、獄中の処遇に対する訴訟の代理人も例外ではない。これらの面会は一般人の面会と全く同一に扱われており、その時間も1回30分に制限されている。


B 明確な国際人権〈自由権〉規約違反


このような取扱いは、国際人権〈自由権〉規約の14条3項、国連被拘禁者人権原則18に明確に違反するものである。


なお、現在政府が国会に提案している監獄法改正案(刑事施設法案)*1においても、弁護人から未決被拘禁者にあてた手紙の検閲がなくなるほかは現行の取扱いと全く変わらない。*1para.18.5*3参照。


実効的な救済手段の欠如

国際人権〈自由権〉規約7条の保障は、拷問的な取扱いに対する実効性のある救済手段の保障を含むものである。


刑事被拘禁者が自己の権利侵害に対して取り得る手段は限られている。所長への面接、巡閲官への情願*2、法務大臣への情願*2などの手段が監獄法に規定されているが、これらの手段はいずれも行刑当局内部の手続きであり、また、法的な応答の義務すらない手続きであって、とうてい実効的なものとはいえない。


*2拘禁施設の不服な処置について事情を訴えて願い出ることで、監獄法7条に「監獄ノ処置ニ対シ不服アルトキハ命令ノ定ムル所ニ依リ主務大臣又ハ巡閲官吏ニ情願ヲ為スコトヲ得」と規定されている。一般の行政救済制度の不服申立権のような強力な権利ではない。拘禁施設に対する法務大臣の指揮監督権の発動を促すにすぎず、受理の保障があるのみで、その審理・裁決を請求する権利はなく、審理・裁決も義務づけられていない。行政処分に対しては一般に行政不服審査法による不服申立制度があるが拘禁施設の処置には適用はない。


 民事訴訟としての損害賠償訴訟・行政処分の取消しなどを求める行政訴訟を提起する権利は否定されていない。このような訴訟によって、一部成果も上がってきてはいるものの、(a)本人が独力で訴訟を行う場合には、法廷への出廷自体が認められない場合があること、(b)弁護士を代理人とする場合、効果的な訴訟救助の仕組みがないため、資力のない被拘禁者には、事実上弁護士に委任することが困難であること、(c)弁護士と受刑者の訴訟打合わせのための面会も1回30分に制限され、さらに前述したように看守が立会い内容を記録している、(d)訴訟には時間がかかること、(e)訴訟の提起によって行政処分の執行は停止されず、執行停止の申立てが認められるケースは極めてまれであること、(f)密室でのできごとであり、目撃者がいたとしても、自らも被拘禁者であるために、証言することが難しいなど、立証上の困難が著しいこと、など必ずしも実効的な救済手段といえない。


 裁判所に処遇内容の改善を直接求めるような訴訟形態の申立ては、認められていない〔国連被拘禁者人権原則9参照〕。


 また、ヨーロッパ諸国に見られるような、第三者機関による監督は行われておらず、弁護士会がその設置を強く要求しているにもかかわらず、現在政府が国会に提案中の監獄法改正案(刑事施設法案)*1においても、このような機関は全く設置されないこととなっている〔同原則29、33参照〕。*1para.18.5*3参照。


その他

以上に述べたこと以外にも、我が国の拘置所・刑務所の実態には、国際人権〈自由権〉規約上疑問な点は数多い。


例えば、受刑者に軍隊式の行進を生活指導の名のもとに強制していること。


施設入所時だけでなく、毎日の工場への出役に際して、裸体検身(「カンカンおどり」と呼ばれる)*2 が強要されている。


看守が受刑者を呼ぶ場合には、敬称が省略され、ひどいときは蔑称である「おまえ」とか番号で呼ばれることがあるのに対し、受刑者が看守を呼ぶときには、「先生」という呼び方が奨励されている。


刑務作業に対する報酬が支払われず、作業賞与金の名目で、1カ月で平均約3,000円が支払われているにすぎないこと。


一般に市販されている新聞や書籍も検閲の対象とされ、拘禁施設内の事柄に関する記載の多くが、削除・抹消となっている。


これらの実態をより詳細に検討していく必要がある。


*2 拘置所・刑務所に収容される者はすべて入所時に全裸にされて身体検査を受ける。肛門の中にガラス棒を突っ込まれて、肛門の中まで調べられる。受刑者に対しては、大部分の刑務所で、毎日2度、居房から工場に出るとき、工場から居房に戻る時にも裸検身が行われる。全裸になって看守の前で両手両足を交互に上げて見せるので、受刑者はこれをカンカン踊りと呼んでいる。もっとも最近では、下着の上から触診する方法などに改善する刑務所も出てきている。


4 死刑囚の処遇
監獄法の規定

監獄法において、死刑囚に関する規定は僅かに1カ条のみであり、その内容は、「別段の規定あるものを除く外、刑事被告人に適用すべき規定を準用する」とされている。


「死刑の言渡を受けたもの」すなわち死刑確定者が、その法律的地位において、行刑上矯正の対象となる者としての受刑者ではなく、単に刑の執行を待っている者であるという点において、懲役囚、禁錮囚らと異なることは言うまでもない。日本政府も、第2回政府報告書において、「死刑確定者は、おおむね未決拘禁者に準じた処遇を受けている」と説明している。しかし、わが国法務当局の実際の認識は「要するに、予定される刑の執行を確保するために拘禁されているという極めて特殊な性格を有する被収容者にほかならない」と表現される〔法務省「監獄法改正の構想細目」〕。


そして、その収容場所としては、当該死刑確定者の心身の状況その他処遇上の問題点を判決確定の日までにわたって長きに及んで把握し、熟知している勾留施設を相当とするが、ただし、第2次大戦後における刑事訴訟法の全面改正によって未決勾留者の地位が現行監獄法制定当時とは大幅に異なるに至ったのであるから(未決勾留者の現実の処遇は、他でも述べられるとおり大幅に向上したものとはとうてい認められないのであるが)未決勾留者とは同一に処遇を論ずるべきではなく、「再検討を要する」とされるのである〔法務省・前掲構想細目〕。


どのように再検討が加えられたかを、以下に検討してみよう。


1963年通達による処遇の実態


・1963年3月15日矯正局長の通達は、死刑確定者の拘置の性格にふれ、前述した如き死刑囚の認識を前提としつつ「一般社会とは厳に隔離されるべきものであり、拘置所等における身柄の確保及び社会不安の防止等の見地からする交通の制約は、その当然の義務であるとしなければならない」という見解を表明した。


この通達は、死刑確定者の心情の安定を害する者との面会通信を制限していくことを明らかにしていた。


最近死刑が確定したものについては、ごく限られた近親者以外との面会・通信は認められない実態にある。近親者がいなかったり、いても連絡を望まないときには、全く外界との連絡が不可能になっているケースすらある。


また、逮捕勾留された後に養子縁組をした親族等については、面会・通信を認めないことがあり、訴訟となっている。実際にも、このような面会・通信の制限によって、死刑確定者の再審請求などの活動に大きな支障がでている。


日弁連が発行した「人権事件警告・要望例集」中、前記矯正局長通達後になされた、死刑確定者と一般人との接見、信書の発受の禁止措置、死刑確定者が従来から行ってきた同人誌のゲラの校正作業及び同人誌への投稿を禁止した措置が、人権侵害であるとして、刑事施設に取扱いを改めるよう、申し入れた事例が複数掲載されている。


後に述べる政府の刑事施設法案は、121条で、死刑確定者の面会・通信の相手方について、①親族②重要用務処理のため必要な者③心情安定に資する者、に制限している。このような制限は前記通達の趣旨を越えて、面会、通信の制限を強めるものであり、実務において争いのある取扱いについて、立法によって一方的に解決を図ろうとするものである。


死刑確定者に対する処遇は、明らかな国際人権規約違反

このような現行の取扱いと刑事施設法案の内容は国際人権〈自由権〉規約10条、17条に違反するものというほかないものである。


国際人権〈自由権〉規約17条は、


「1 何人も、その私生活、家族、住居もしくは通信に対して、恣意的に若しくは不法に干渉され又は名誉および信用を不法に攻撃されない。


 2 すべての者は、1の干渉又は攻撃に対する法律の保護を受ける権利を有する」


と定めている。


まず、「恣意的干渉(arbitary interference)」について国際人権〈自由権〉規約委員会の一般的意見においては、「法に規定された干渉を含むものである。法によって規定された干渉であってさえも、本規約の規定、目的及び目標に合致しなければならないし、かつまた、どんなことがあろうとも、特定の状況のもとで、合理的な干渉でなければならないということを保障しようとして、“恣意的”という概念を導入したものである」と説明されている。


また、国連被拘禁者人権原則19は、次のように定めている。


「拘禁された者または受刑者は、外部の者特にその家族と面会、通信する権利を有し、外部社会とコミュニケートする十分な機会を与えられる。但し、法又は法に従った規則により、定められた合理的な規則及び制限には従う」


この合理的な制限とは、面会等の回数、時間、場所、一定の場合の立会いなど、施設の安全上や管理運営上の制限を指すものであって、死刑確定者と友人、家族の面会、通信を大幅に制限する現在の運用は、この原則に言う合理的な制限とはとうてい言えないものである。


ヨーロッパ人権条約はその8条において、国際人権〈自由権〉規約17条に対応する次のような規定をおいている。


「第8条 すべての者は、その私生活および家族生活、住居並びに通信の尊重を受ける権利を有する。


 2 この権利の行使については、法律に基づき、かつ、国の安全、公共の安全若しくは国の経済的福利のため、また、無秩序若しくは犯罪の防止のため、健康若しくは道徳の保護のため、又は、他の者の権利および自由の保護のため民主的社会において必要なもの以外のいかなる公の機関による干渉もあってはならない」


この2項は、国際人権〈自由権〉規約の「恣意的」という概念をより具体化したものと考えることができる。


この規定によれば、死刑確定者の家族、友人関係に対する干渉は、極めて限定された理由に基づいてしかゆるされないことが明らかである。公共の安全の観点からの、面会に対する一定の場合の監視や遮蔽板の使用、他の者の権利・自由の保護のため必要な面会の時間・回数などの制限は許されるであろう。しかし、拘禁施設が、死刑確定者の心情の安全を図る目的で、その面会・通信を拒否することは公共の安全ともかかわりがないし、健康と道徳の保護とも関係がないし、他の者の権利と自由の保護のため民主社会において必要なものともとうてい考えられず、ヨーロッパ人権条約8条に照らして、このような干渉はあってはならないものである。


このような解釈は、国際人権〈自由権〉規約17条についてもそのまま当てはまるものと考えることができる。


日本政府の姿勢は、公正な裁判に対する挑戦

約100年前の1908年に制定された監獄法の規定中においてすら、死刑囚を遇するについて、未決勾留者と同様の原則のもとにおいたのは、「立法の抑制しがたい人情に基づく『法の涙』による」ものと後世の学者に評釈された。この原則による処遇の中で、わが国では極めて不十分な再審法制のもとでも数々の冤罪事件が発掘され、死刑確定者のうち4名までが無罪判決確定によって、その生命を生還させた。かくの如き前例に照らすとき、死刑確定囚とされている人々に対しても弁護士に限らず、多くの面会希望者との接見をゆるやかに認め、獄外への発信を原則的に肯定することは、むしろ、社会に法秩序と裁判の権威を高らからしむるためにも必要不可欠のこととさえ考えられる。


前記の1963年矯正局長通達が、いわゆる吉田岩窟王事件 の再審無罪判決(1963年2月28日名古屋高等裁判所)の直後に出され、死刑確定者との接見及び信書発受を大幅に制限する方向へ動き出したことは、国際人権〈自由権〉規約17条の趣旨にてらして疑問である。わが国の行刑当局が、公正な裁判を実現することに対してさえも、非協力的であるばかりか、時に再審に対し抑止的に干渉しようとする意図がうかがわれるのは誠に遺憾である。


*戦前に強盗殺人罪に問われ、無実を主張していた吉田石松氏は、無期刑で在監22年、仮出所後28年の間、冤罪を訴えつづけ、日本の岩窟王といわれた。再審無罪判決より1年を経ずして吉田老は死去、83歳であった。日弁連がとりくんだ再審事件の2番目のもの。


第8 少年及び外国人の権利保障

1 少年に対する捜査、裁判の問題
少年司法手続き

A 国際人権法による少年(子ども)の権利の保障


少年司法に関しては、国際人権〈自由権〉規約14条1項が特に少年(子ども)の保護のために判決を公開する権利を制限する規定を設けたのを除いて、国際人権〈自由権〉規約の刑事裁判に関するすべての権利が保障されると解される。


国際人権〈自由権〉規約は14条1項以外にも、いくつかの少年(子ども)に関する特別の規定を置いている。国際人権〈自由権〉規約6条5項前段が、「死刑は、18歳未満の者が行った犯罪について科してはなら」ないとし、10条2項(b)が、「少年の被告人は、成人とは分離されるものとし、できる限り速やかに裁判に付される」とし、同条3項後段が、「少年の犯罪者は、成人とは分離されるものとし、その年齢及び法的地位に相応する取り扱いを受ける」とし、14条4項が、「少年の場合には、手続は、その年齢及びその更生の促進が望ましいことを考慮したものとする」としていることである。


このことはそれ以外の国際人権〈自由権〉規約の規定を少年(子ども)に適用することを排除するものではない。これらの規定は国際人権〈自由権〉規約24条の、「未成年者としての地位に必要とされる保護の措置」への権利の保障を具体化するものであり、国際人権〈自由権〉規約の他のすべての規定の適用を前提として、少年(子ども)にはなお一層丁寧な保護を要求しているものと解されるからである。従って、少年司法手続きの国際人権〈自由権〉規約との関係での、評価については、刑事司法に関するすべての規定に照らして評価することが必要とされる。


この見解は、国際人権〈自由権〉規約委員会の一般的意見とも合致する。「一般的意見」は、24条に関して、「全ての人が、本規約に定める全ての権利を享受することを保障するためにとるべき措置に加えて、子どもを保護するための特別な処置を採用することを課している」とし、また14条4項に関して、「少なくとも第14条の下で成人に与えられていると同一の保障及び保護を享受すべきである」としている。


この趣旨は、さらに国際人権法を形成する他の諸文書によっても確認されている。


子どもの権利条約は、国際人権〈自由権〉規約のほとんどの規定が少年(子ども)にもそのまま適用されることを、規定を設けてはっきりと明言した。これは前記一般的意見の解釈から明らかなとおり、この条約によって初めて国際人権〈自由権〉規約の諸規定が子どもに適用されることとなったというべきではなく、元来適用されることとなっているものを「子どもの権利条約」が再確認したというべきである。


少年司法に関しても、子どもの権利条約37条、40条が、ほぼ成人についての国際人権〈自由権〉規約の保障を再確認しており、その上で39条などを加えて少年の発達のために国際人権〈自由権〉規約が特別に規定を設けて行っている保護をさらに進めている。


また、少年司法運営のための国連最低基準規則(「北京ルール」)、少年非行予防のための国連ガイドライン(「リヤドガイドライン」)、自由を奪われた少年の保護のための国連規則(「自由規則」)などの国際人権〈自由権〉規約、国際人権〈社会権〉規約などの適用基準を明らかにするために作られた関連文書は、さらに国際人権〈自由権〉規約や子どもの権利条約の保障を具体化しているので、解釈にあたってはそうした関連文書の内容をも考慮しなければならない。


なお刑事裁判に関する国際人権〈自由権〉規約を中心とする国際人権諸文書の適用については、刑事裁判手続きのみならず、日本における少年審判手続きについても当然のことながら適用される。少年審判は特別の手続きを予定しているが、その対象とする行為は「犯罪」を中心として、「犯罪」ないしこれと密接に関連する行為のみを対象としており、その発見過程は刑事訴訟の捜査過程と同じ手続きにより、手続きの過程で少年鑑別所へ収容する観護措置という勾留に準ずる自由拘束を予定し、処分も少年院送致など刑罰に準ずる自由の拘束を予定している。日本の国内法の上では刑事裁判手続きと違った形態をとってはいるが、刑事裁判手続きと同様な権利保障を必要とする場合にあたり、国際人権規約、子どもの権利条約など国際人権諸文書の解釈の上では、刑事裁判手続きにあたると解すべきだからである。なおエンゲル事件について下した、オランダの陸軍懲戒手続きをヨーロッパ人権条約の解釈の上で、刑事裁判に該当するとしたヨーロッパ人権裁判所の決定が参考とされるべきである。*1


*1エンゲル他4名のオランダ兵から、それぞれオランダ軍紀に違反した行動があったとして課せられた禁足、重禁足、営倉、重営倉などの処分につき、処分は「身体の自由と安全」を保障するヨーロッパ人権条約第5条(国際人権〈自由権〉規約第9条に対応する規定)に、制裁の適用手続きは、公正な裁判・適正な手続きを保障する同条約第6条(国際人権〈自由権〉規約第14条に対応する規定)に、違反するなどとしてなされた救済の申立てに対してのヨーロッパ人権裁判所の判決である。


 同裁判所は、この5件の申立てを併合し、1976年6月8日に処分の一部を条約5条に違反する「自由剥奪」と認め、さらに拘禁の合法性についての裁判所の手続きの保障について、その手続きは条約の定める刑事裁判に関する無罪の推定、弁護の準備のための充分な時間の保障、弁護人の援助を受ける保障、証人尋問権などの保障を、いずれも充足しており、保障の侵害はない旨判決した。


 このようにヨーロッパ人権裁判所は、オランダ軍隊における「自由拘束」をもたらす懲戒手続きについて、刑事裁判であることを認め、刑事裁判手続きについての条約6条2項、3項の保障の適用を肯定しているのである。


B 日本における少年司法に関する法制と運用


日本では、20歳未満の者が少年とされる。少年の犯罪行為は、犯罪に対する処罰という視点ではなく、少年の健全育成を目的として処理されるものとされる。そのために教育的・福祉的機能を重視する少年法が定められており、原則として成人の刑事手続きとは異なる、特別の少年審判手続きで処理されている。


犯罪の捜査は警察・検察庁が行う。捜査を遂げた後に嫌疑がある限り事件は全件家庭裁判所へ送致される。捜査の段階では、少年についても、逮捕(最大72時間)、勾留(最大20日間)が可能で、身柄拘束の場所としては代用監獄が常用されている。家庭裁判所に送致された後の段階では、観護措置決定により、少年鑑別所への収容(最大4週間)が可能である。


家庭裁判所の審判は、事実認定手続きと処分決定手続きが分離されないで、両者が一緒に進められる。検察官は、事件を家庭裁判所に送致した後には、一切関与しない建前で、審判に立ち会うこともない。


少年の弁護のため附添人を付けることができる。これは必要的とされる場合がなく、国選制度もない。弁護士である必要はなく保護者・教師・雇い主なども附添人となることは可能であるが、弁護士である附添人が選任される事件は、交通事件を除く通常事件の0.6%程度に止まっている。*2司法統計年報による。


弁護士が少年の弁護人付添人になることが、ほとんどないことを打破することを目的として、日弁連は1985年から、全国で「少年のための無料相談窓口」を開設する活動を展開し、現在全国52の弁護士会の約3分の1で設置されている。


少年の問題点を科学的に解明し、その克服の道を少年と共に模索する専門職として家庭裁判所調査官がある。裁判所の職員であり、心理的、教育的、社会的視点から少年の問題を調査・分析し、裁判官に報告し、さらに少年のケースワークにあたり、その活動が、少年の処遇決定において重要な役割を果たす。


裁判官は審判を開き、少年などの言い分を聞いた上で、決定を言い渡す。少年審判手続きは、「懇切を旨とし、なごやかに」行わなければならないとされるが、裁判官は、事前に警察・検察庁で収集された全ての証拠に接し審判に臨むし、詳細な手続き規定が定められておらず、裁判官の広い裁量権の下で手続きが進められる。手続きのなかで、いかに少年の人権に配慮し適正手続きを実現するかが、重大な課題となっている。


審判は全て非公開である。終局処分の種類としては、少年院送致、教護院(養護施設)送致、保護観察があり、中間処分として試験観察がある。少年に非行事実がないか、または非行事実があっても保護処分を科する必要がないと認められる場合には、不処分となる。死刑、懲役、禁固にあたる罪の事件について、罪質、情状に照らして刑事処分が相当と認められる16歳以上の少年については、家庭裁判所は検察官に送致することができ、この場合には、検察官は、刑事裁判所に起訴し、刑事訴訟手続きで処理される。


少年、保護者、附添人は、保護処分の決定に対して、抗告することができる。不開始、不処分、検察官送致の決定には抗告できる規定がなく、運用でもできないと解釈されている。抗告審の決定には、さらに、憲法違反などを理由として再抗告できる。但し、抗告、再抗告をしても、保護処分の執行を停止する効力はなく、抗告、再抗告中でも少年院、教護院、養護施設への収容や保護観察は実施される。少年法には、再審に関する定めはない。検察官は抗告できない。


成人と同じ規定による権利の保障

A 日本における現状


日本においては、国際人権〈自由権〉規約が少年にも保障されるべきであるが、審判手続きにおいて成人の刑事手続きと同様な国際人権〈自由権〉規約の保障が確立されていないことが問題である。


少年の捜査段階、及び逆送*された後の刑事手続きの段階においては、原則として成人と同じ手続きが採用されているから、成人について問題にしてきたのと同じ問題が問題とされる。しかし傷つきやすく発達を歪めるため、さらに一層手厚い保護を求められている少年であることから、問題は一層深刻である。


*少年法20条に規定されている検察官送致のこと。少年事件では犯罪の嫌疑が認められる場合は、警察・検察が処分を決めることは許されず、全て家庭裁判所に送致され、そこで調査の結果、刑事処分を相当と認められた例外的な場合だけ検察官に再送致され、一般の刑事手続きに移る。


B 身体の自由及び逮捕または勾留に関する権利の保障


国際人権〈自由権〉規約9条1項は、「法律に定める理由および手続によらない限り、その自由を奪われない」〔子どもの権利条約37条(b)参照〕としている。日本の法制は、少年の勾留について、「やむを得ない場合でなければ……勾留を請求することはできない」〔少年法43条3項〕とし、観護措置について、「審判を行うため必要がある」時に可能であるとし、しかも、家庭裁判所調査官の観護と並列させそのあとの二番目に少年鑑別所への送致を掲げている〔同法17条1項〕。明らかに少年法1条の目的規定を受けて傷つきやすい少年の発達を歪めることを避けるための配慮である。そうした場合の配慮がどのようなものでなければならないかについては、今日では国際人権文書が一定の基準に到達している。すなわち子どもの権利条約37条(b)、北京ルール102、131~2、自由規則2項などであり、「最後の手段として」「目的上最も短い期間に限って」行われるべきとしているのである。少年の「健全育成」を期することを目的として、上記の特別な規定を設けた日本の少年法制がこれと異なる基準で定立されたものとは考えられない。


現実の運用においては、安易な逮捕、勾留、観護措置が多用され、この法律に反する状況が常態化している。例えば、1988年3月30日日弁連が警告を行った、1986年10月6日発生した3人の少年が5人の少年に暴行を働いた事件について行われた東京都町田警察署の逮捕は、事件後、親が少年達を伴って警察に出頭し、呼び出しがあり次第責任を持って出頭させると約束していた少年(逮捕当時3人とも15歳)に対して行われ、翌日家裁送致とともに当然の如く観護措置に付されている。


1989年2月9日大阪家庭裁判所が、非行事実なし不処分の決定を行った窃盗事件では、少年は自宅から職場に通勤しているのに逮捕し、身柄拘束を圧力として自白を強要、採取した上で釈放している。


1989年3月28日京都家庭裁判所が、非行事実なし不処分の決定を行った無免許でバイクを運転し小学生に重傷を負わせて轢き逃げした事件においては、少年(当時中学校3年生)は、犯人を追跡していた顔身知りの警察官が、少年を犯人と誤認し、犯行時間の頃から自宅で寝たままでいる少年を、犯人と決めつけて寝所で緊急逮捕し、家裁送致でも当然の如く観護措置に付されている。


1989年9月12日東京家庭裁判所が、非行事実なし不処分との決定を行った3人の少年(逮捕当時16歳、16歳、15歳)に対する強盗殺人事件においては、少年達は家族と共に生活し、職業を持ち、任意出頭して取調べに応じており、身柄を拘束しなければ捜査ができない状況はなかったのに、同年4月24日逮捕され、代用監獄に勾留され、5月16日家裁への送致とともに当然の如くに観護措置に付されて、6月9日に釈放されるまで47日間、違法に身柄を拘束されている。この身柄拘束の多用は、疑いを持たないで行われている。「重大犯罪」とか、「否認事件」とか、「共犯事件」については、多く安易な逮捕、勾留、観護措置がとられているのが現実である。


この傾向は「軽微な」事件にも及んでいる。たとえば、1982年12月に学校の近くの公園の電柱に学校の文化部が主催する音楽会のビラを貼った中学1年生(当時13歳)が、都条例と軽犯罪法に違反するとして逮捕されパトカーで警察へ連行されている。1987年8月西鹿児島駅前の派出所前で、提示を求められた免許証を所持してはいたが提示を拒んだ、高校2年生が警察署まで逮捕連行されている。同年10月岡山市で、乗り入れ禁止時間帯に自転車を商店街に乗り入れた高校1年生が、逮捕され手錠を掛けて連行されるという事件が発生している。そして統計的にもこの傾向は進みつつあるように見える。


1989年において刑法犯で逮捕された人数(道路上の交通事故に係る業務上過失致死傷及び重過失致死傷を除く)は、成人147,939人、人口1,000人当たり1.6人に対して、少年は、199,644人、人口1,000人当たり10.6人であり、20年前の1969年における、成人270,514人、人口1,000人当たり4.0人に対して、少年138,677人、人口1,000人当たり7.8人であったのに比べて、数、構成比、人口比のいずれを取っても格段と多くなっているし*、1976年まで観護措置をとられた少年の数が、身柄付で送致された少年の数よりも少なかったのに、1977年からこれが逆転して観護措置をとられる少年の数が上回り、今日にいたっているのである。*犯罪白書(平成2年度版)による。


こうした現実は明らかに、前記少年法の規定に反するものである。上記の事例に代表される法を逸脱した逮捕、勾留、観護措置の安易な多用の現実が、国際人権〈自由権〉規約9条1項に違反することは明白である。


国際人権〈自由権〉規約9条3項は、逮捕されまたは抑留された者は、裁判官などの「面前に速やかに連れて行かれるものとし、妥当な期間内に裁判を受ける権利又は釈放される権利を有する。裁判に付される者を抑留することが原則であってはなら」ないとし、国際人権〈自由権〉規約委員会の一般的意見は、「訴訟前の抑留については、例外でかつできる限り短期間であるべきである」とし、北京ルール102は、「遅滞なく、身柄を釈放することを考慮しなければならない」とする。ところが日本の法制は、逮捕、勾留、観護措置のいずれについても、保釈の制度を設けていない。また日本の運用は、逮捕された少年について、成人と同様、裁判官の勾留質問後は、前述の安易な逮捕・勾留の事例の多くにみるように、勾留するのを当然の扱いとしている。勾留される場所としてほとんど例外なく代用監獄を利用し、少年の防御力が弱いことを利用して、自白の強要が行われ、少年の冤罪事件発生の大きな要因となっている。


前記大阪家裁の窃盗の事例は明らかに自白を得る目的で逮捕が用いられているし、強盗殺人の3少年の場合は、警察官は少年に対して、暴行や脅迫的言葉を用い、あるいはどの少年もまだ自白していない段階で「他の少年がお前と一緒にやったと言っているぞ」と脅すなどして自白を強要し、親を含む親族とも接見を禁止して、連日朝から夜まで取調べを行い自白させた。その後、少年は自白をいったんは撤回し否認したが、再度撤回させられ、虚偽自白に逆戻りさせられている。


その他自白を強要するやり方として、「殴る、蹴る、髪の毛を引っ張る、首を締める」(1977年東京都東調布署事件)、「『嘘をつくな、この野郎』等と怒鳴りつけ、火のついた煙草を投げつけ、顔を机に押しつけ、拳で殴打、座っている椅子ごと後方に引っ繰り返す、両手で少年の前襟首を掴んで引きずり起こしながら胸部を殴りあげる」(1980年新潟県津川署事件)、「取調べ室の机を押しつけ、壁と机の間に体を挟み……署内の道場に連行し、足払いで投げ飛ばす」(1981年千葉県柏署事件)、「腹部を数回殴打、着衣の胸の部分をつかんで壁に押しつける、首を締める」(1987年大阪府泉南署事件)、「頭髪を掴み後頭部を壁に打ちつける。倒れた少年に対し脇腹や額を足先や膝で蹴る、髪をつかみ床に引き倒し床の上を引きずり回す、椅子の金属パイプで背中中央を殴打」(1988年群馬県富岡署事件)など暴行、傷害を加えることが行われている。


また、「認めなければ少年院送りだ」「あの人は、住吉連合(組織暴力団)の大幹部、お前んちに嫌がらせをするように住所と名前を教えてやる」(1977年東京都東調布署事件)、「お前がいつまでも否認しているなら必ず少年院におくってやる」(1987年岐阜県大垣署事件)、「今しかチャンスはねえぞ」「親や教師の目の前で手錠をかけられたくなければしゃべれ」「弁護士に会うな、会ったらどうなるか判っているか」「喋らないと少年院だ」(1981年千葉県柏署事件)など脅迫をすることなどが行われており、このような状況は広く運用に定着している。


この法制と運用の問題点は、成人の場合に指摘したとおり、国際人権〈自由権〉規約7条、9条3項、10条1項に違反するものである。そして、以上のような自白の強要などにより数多くの少年冤罪事件が毎年多発しており、その数は、最高裁判所の統計によっても毎年300~650件位(一般少年事件について)なのである*。もし、すべてのケースに付添人として弁護士が関与できるならば、もっと多くの冤罪事件が発見されるであろう。*司法統計年報(平成2年)による。


国際人権〈自由権〉規約9条4項は、身柄を拘束された者が、裁判所において、その合法性を争う権利を保障している〔子どもの権利条約37条(d)、自由規則18(a)参照〕。ところが日本の法制では、観護措置について、不服申立ての方法はなく、身柄が拘束された場合に弁護士の援助を受け、それにアクセスする権利などこれを実質化する保障は一切ない。前記安易な逮捕・勾留に続く観護措置をとられた事例では、身柄が釈放となってはいるが、それは少年の側からの合法性を争う権利の行使に応えたものではなく、裁判所の裁量権の行使によるとする扱いによるものにすぎない。なお人身保護手続きも救済の手段として全く使われておらず、人身保護規則4条が著しい手続き違反に申立ての要件を絞っているため理論的にもそれ以外の場合に使用できない。保釈的方法を含めてあらゆる不服申立ての保障を欠く点は、国際人権〈自由権〉規約9条4項に違反する。


C 刑事補償を受ける権利の保障


国際人権〈自由権〉規約9条5項は、不法に身柄を拘束された者が、賠償を受ける権利を有するとする。日本においては無罪の裁判を受けた場合に、違法な身柄拘束に対する補償としては、国家賠償法による請求ができるとされているが、逮捕・勾留にあたって公務員の故意、過失を要件とするため、その法律に基づいて国家に請求してもほとんど違法として請求が認容されることはない。わずかに刑事手続きで無罪となった場合については、違法適法に関わらず刑事補償法があり、補償されることとされているが、最高裁判所は1991年3月29日、前記人違いで逮捕された轢き逃げ事件で、非行なし「無罪」の決定を得た少年の事件につき、少年審判は刑事手続きとは性質を異にしており、その決定は再度処分や処罰を求めることを妨げるものではないとして、刑事補償法に基づく身柄拘束に対する補償を求める権利はないとの決定をして、少年審判で終了する事件についてはその道を閉ざしてしまった。前記強盗殺人の3少年の事件についても、1991年2月7日東京家裁、1991年5月16日東京高裁は、いずれも同様の理由で、上記刑事補償法に基づく補償の請求を退け、併せて本件の身柄拘束は違法でなく、国際人権〈自由権〉規約9条5項にも違反しない旨判断した。


前述のとおり安易な身柄の拘束は日本においては違法と解されていないのであり、この判断自体が不当であるが、違法であることを理由とする補償の請求は、ほとんど認容されることがないのであるから、この刑事補償法による救済の拒否は、違法な身柄拘束に対する補償の道を実質的に閉ざしたもので、審判で終わった事件についてはその救済を全く欠くこととなる。


日本の現実は、国際人権〈自由権〉規約9条5項に反するものである。なおこの点については、現在法務省当局が、少年審判で終わった事件について新たな補償立法を準備しているようであるが、まだその立法は実現していない。*1992年6月19日成立した。


D 審判手続きにおける適正手続きの保障


国際人権〈自由権〉規約14条の関係では、少年に対する審判の手続きが、成人の刑事裁判とは異なった構造となっており、裁判官が事前に捜査機関が収集した証拠に接し予断をもって審判に臨み、手続き規定が整備されず審判の進行は専ら裁判官の裁量に委ねられており、運用においてもその問題を解消する努力が払われていないことが問題である。


国際人権〈自由権〉規約14条2項は、無罪推定を保障する〔子どもの権利条約40条2項(b)1、北京ルール7、自由規則18参照〕。裁判官の予断排除がなく、そして少年の側の手続保障規定がなく、弁護士の援助を必要的とする保障もなく、手続きの運用が専ら裁判官の裁量に委ねられている日本の法制の下では、裁判官は少年の嫌疑を維持するための活動を慎み、少年の言い分に従ってその送致された事件の証拠を弾劾する以外に無罪推定を貫くことはできない。


かつての運用では家庭裁判所は、この視点に立って少年の嫌疑を維持するために証拠収集をすることはできないとしてきたが、1990年10月24日最高裁判所決定は、捜査機関への補充捜査の依頼を認め、嫌疑を維持する活動を承認する方向に姿勢を転換した。現在の日本の少年法の運用はこの最高裁決定に象徴されるように、少年の有罪の予断を前提に進行しており、無罪の推定は貫かれていない。従って無実の事件で裁判官の予断を覆すのには大変な困難が伴う。


1989年最高裁の再抗告の棄却で確定した草加女子中学生殺人事件では、1審の浦和家庭裁判所は、否認して争う少年の審判に、少年の主張を裏付けるはずの死体の検案書などの資料収集を怠り、附添人がつかない段階で検察官を立ち会わせて審理を行っており、その抗告審では附添人側から提出される事実に関する様々な疑問について、その都度捜査側からの捜査報告書が送付されて来る状況で、アリバイの主張を否定する証人の尋問は行いながら、少年の側の証人については大部分の請求を却下してすます審理が進行して、いずれも非行が認定された。


また最高裁判所から破棄差し戻され、1987年4月21日に再度の東京家裁の審判で非行事実なしの決定がなされた、信号を無視して追越しをしたとされる少年についての道路交通法違反事件では、少年は取調べの段階で他人に名前を詐称されたとして抗告していたのに、2審の東京高裁はその言い分を全く聞こうともしないまま、抗告を棄却してしまっている。


そして前記3少年の強盗殺人事件でも、裁判官は当初予断をいだいて、(a)アリバイに関する物証などを、検察官の手元に預けたまま、自分だけ借り出して点検し、少年の側の批判に晒さないまま手続きを進行させようとしたり、(b)秘密裏に捜査当局に補充捜査を依頼し、そこから入手した情報に基づきアリバイなどにかかわる重要証人の尋問を行ったり、(c)調査官に附添人との接触禁止を命令し、少年の側の情報収集を妨げたりするなど、露骨に嫌疑を維持する努力を払っている。


これらの事例はほんとうにごく一部であり、このように日本の少年審判では国際人権〈自由権〉規約14条2項の無罪推定に反する運用が拡がっており、それを背景に補充捜査を容認する上記決定が出されているのである。


国際人権自由権規約14条3項(b)は、「防御の準備のために十分な時間及び便益を与えられ並びに自ら選任する弁護人と連絡すること」を、同項(d)は、「直接に又は弁護人を通じて、防御すること。弁護人がいない場合には、弁護人を持つ権利を告げられること。司法の利益のために必要な場合には、十分な支払手段を有しないときは自らその費用を負担することなく、弁護人を付すること」を、各保障する〔子どもの権利条約40条2項(b)(ii)、(iii)、北京ルール7、15~1、自由規則18(a)参照〕。


日本の法制では、少年審判手続きにおける弁護士たる附添人選任権の告知は、明文の規定がなく、国選附添人制度もない。運用においても審判期日の直前に附添人が選任された場合には、準備に必要な時間の保障はない。選任3日後の審判に臨むことを要請され、結果において検察官送致となった最近の監禁致死事件の例が報告されている。またこの準備には「必要とする書類その他の証拠を利用することも認められなければならない」〔国際人権〈自由権〉規約委員会の一般的意見〕と解されるが、記録の一部である社会記録については謄写はほとんど許可されず、閲覧も拒否されたり、実質的に検討する余裕のない時点での閲覧が一般化しており、前日に閲覧が許されるということも珍しくない。


選任権の告知についても、一方的にテープを流して告知を省略することができるなどとの申合せをした家庭裁判所もあり、在宅の少年については告知がなされていないところが多い。その結果、実際に弁護士である附添人が選任されるのは、前記のように交通事件を除いた事件で0.6%というのが現実で、実際に弁護士の援助を受ける体制は整っておらず、国際人権〈自由権〉規約14条3項(b)、(d)の弁護人に関する権利は、全く保障されていない。


国際人権〈自由権〉規約14条3項(e)〔子どもの権利条約40条2項(b)(iv)、北京ルール7参照〕は、証人尋問権、反対尋問権の保障の規定であると解するが、日本の少年審判では、この権利を保障する規定は置かれていない。運用においても1983年10月26日最高裁判所決定が、証拠調べの範囲、限度、方法の決定は、家庭裁判所の合理的な裁量に委ねられるとしたことに見られるとおり、権利としての証人尋問権、反対尋問権を認めていない。前述のとおり伝聞供述を含む全ての捜査資料に裁判官は予め接して審判に臨んでおり、伝聞法則は確立されていない。少なくとも少年の側に権利がない点は、国際人権〈自由権〉規約14条3項(e)に反するものといえる。


国際人権〈自由権〉規約14条5項〔子どもの権利条約40条2項(b)(v)、北京ルール7参照〕は、上訴、再審に関する保障の規定であると解するが、日本の少年審判では、保護処分の決定についてのみ抗告が許され、検察官送致、不開始、不処分については、抗告を許す規定はなく、実際の運用も抗告を許さない。また抗告が許されるためには実質的にこれを可能とする資料の提供が十分に受けられ、かつその不服である理由を十分に開陳する機会の保障がなければならないが、少年審判の調書は、少年、証人を含む関係者の供述についての記載は要旨記載で足りるとされ〔少年審判規則33条2項〕、この調書の謄本はおろか決定書の謄本さえをも少年の側に交付すべきものとされてはいない。


決定書については作成期限の限定はなく、抗告の期限までに決定書の作成が間に合わないこともある。また決定書の謄本の交付さえ拒まれることがあり、交付を求める権利はないとされている。


1982年に非行なし不処分の決定がなされた放火の事件で盛岡家庭裁判所は、附添人からの決定謄本下付申請を許可しなかった。そのような状況であるのに抗告は14日の抗告申立て期間内にその趣旨の記載をしてしなければならないとされていることを根拠に〔少年審判規則43条〕、運用ではそれ以後に提出した抗告の理由は検討しなくても良いとされ、弁護人の選任が必要的とされていないこととあいまって、実質的に抗告の権利を行使する機会が狭められている。国際人権〈自由権〉規約14条5項に違反するといわなければならない。


また審判が確定した後に、冤罪であることが判明した場合の再審については、明文の規定はなく、1983年9月5日最高裁判所決定が、保護処分の取消しの規定を活用して、運用上取消しを認めて、保護処分の執行中については、救済の道を開いたが、保護処分の執行が終了した後は取消しはできないとされ、また執行を伴わない決定についても再審は許されないとされている。この点も国際人権〈自由権〉規約14条5項に違反するといわなければならない。


その他、(a)国際人権〈自由権〉規約14条1項の公平な裁判所については、少年審判手続きに、忌避の規定がなく、運用の上でも解釈が分かれていることが、(b)国際人権〈自由権〉規約14条3項(a)の問責の告知については、法制がなく、すみやかに少年に理解される方法での告知がすべての場合になされていないことが、(c)国際人権〈自由権〉規約14条3項(f)は、無償で通訳を受ける権利を保障しているが、日本の法制では、費用負担をさせることが可能とされ〔少年法31条〕ていることが、問題とされる。


少年の特則  死刑に関して

国際人権〈自由権〉規約6条は、死刑の廃止を強く示唆し、「最も重大な犯罪」に行使を限定し、年少者などについては行使を禁止する。そして第2選択議定書*は、その締約国について死刑の廃止を求めるにいたっている。この死刑の廃止・禁止の方向について、国際人権〈自由権〉規約が死刑の行使を限定する手掛かりとして年少者が犯した犯罪を指標としていることは、国際人権〈自由権〉規約24条、同6条5項により明白である。国際人権〈自由権〉規約6条5項は18歳未満の者が行った犯罪について規定するだけであるが、その後に国連が確立した国際基準である北京ルール17~2は、それぞれの国で少年として扱われる者が犯した犯罪についても、死刑の適用をしてはならないとしている。北京ルールは、国際人権〈自由権〉規約の適用の基準を確立するものであるから、国際人権〈自由権〉規約6条5項は、18歳以上に少年年令が及ぶ国については、少年として扱われる者が犯した犯罪についても、死刑行使の限定を及ぼすことを強く希望することへと前進したものと解される。*選択議定書とは国際人権〈自由権〉規約に付属する文書のことで、規約とは別に批准する。第1選択議定書は、規約上の権利を侵害された個人が国際人権〈自由権〉規約委員会に救済申立てができることを規定している。第2選択議定書は、死刑を禁ずるもので、死刑廃止条約とも呼ばれている。日本は国際人権〈自由権〉規約の批准は行ったが、2つの選択議定書の批准は行っていない。


日本においては前述のとおり少年は20歳未満の者であるが、18歳未満の者が犯罪を犯した場合しか死刑の適用を禁止しておらず〔少年法51条〕、この法制の有り方は規約の希望するところと合致していない。現実の運用においても、連続して殺人、強盗殺人を繰り返し4人を殺害した事件で、犯行時19歳だった少年に、1審で死刑が言い渡され、2審では犯行の一過性、劣悪な成育環境、被告人の心境などの変化を評価し死刑を破棄して無期懲役が言い渡された事件で、1983年7月8日上告審の最高裁は、死刑が重きに失するとはいえないとして差戻し、差し戻された2審で再度死刑が言い渡され、その後1990年4月17日の上告を棄却する再度の上告審判決を経て、死刑が確定した事件がある。また1989年6月28日名古屋地方裁判所により、犯行時19歳だった被告人に対して、死刑判決が言い渡されている。国際人権〈自由権〉規約の望む方向に反する問題の運用といわなければならない。


少年の特則  自由を奪われた者の扱い

国際人権〈自由権〉規約10条2項(b)、3項後段の規定は少年に対して特別の保護を定めている。その具体化には子どもの権利条約37条(c)、北京ルール、自由規則の諸条項がその適用の基準をなすものとして参考にされなければならない。


日本における捜査段階の勾留では、少年の身柄は原則として代用監獄に収容されている。代用監獄は扇型(新築の施設ではくし型)に居室を配置し、成人と居室を別にするが、同じ監獄の中に収容している。成人の居室との間で動作・言語をお互いに窺うことが可能であり、居室の中を出入りその他の機会に見ることも可能であるなど、少年を成人から分離する扱いは完全ではない。例えば1988年覚醒剤の使用で逮捕された女子少年が、草津署で、覚醒剤の使用を強要された男と向かい合う房に収容され、何回も目で合図を受け、気持ち悪い思いをした事例が報告されている。国際人権〈自由権〉規約10条2項(b)に反するものである。


日本で常態になっている自白を採取するための代用監獄の使用は、人間の固有の尊厳を尊重した取扱いとはいえない。特に少年の場合は、発達途上であり、この点での問題は大きい。国際人権〈自由権〉規約9条5項とともに10条1項に違反するものである。またそれ以外にも人間の尊厳を損なう扱いが報告されている。


1988年5月30日に大阪府門真署に逮捕された19歳の少年は、パンツ以外は全て脱がされて、パンツも膝までずらすよう指示され、そのままの状況で2~3回飛び跳ねることを求められ、やむなく従わされている。1989年5月5日車上狙い中に現行犯逮捕された17歳の少年の場合は、後ろ手錠をかけられ、駐車場にうつ伏せに寝かされ、胸を革靴で蹴られている。


行刑については、「年令および法的地位に相応しい取り扱い」が要求される。その内容は「自由規則」が展開する(a)地域社会への統合、(b)少年の尊厳の尊重、(c)家族との接触の保障、(d)公正な取り扱いの保障が内容となるべきであるが、日本の少年刑務所・少年院の現状は、この水準を満たしていない。


地域社会への統合としては、施設を開放し、収容人員をできるだけ少なくし、各地に分散し、適切な規模をまもり、処遇の内容の地域的・経済的・文化的環境との統合が求められている。しかし、日本の現状では、これらの施設は基本的には閉鎖施設であり、大部分が窓に鉄格子がはめられ、寮舎の出入口には厳重な施錠が施されている。少年院は54カ所で数は多いが種類が4種類あり、男女が別である。さらに短期処遇施設と長期処遇施設に分かれ、長期処遇は11の処遇過程に細分されている。したがって、必ずしも家族の居住地の近くに該当する処遇を行う少年院があるとは限らず、近くで収容される保障はない。少年刑務所は全部で8カ所なのでなおさらである。少年院は平均70~80人の収容人員であり、100名を越えるところもあり、決して小規模とはいえず、個別の処遇が徹底できる状況ではない。教育にみるとおり処遇内容での地域との統合も遅れている。


少年の尊厳の尊重については、プライバシー、自由運動の権利、余暇活動の保障、宗教活動の保障、医療へのアクセス、教育へのアクセス、出版物・マスメディアへのアクセスなどが問題とされるが、居室は雑居が原則であり、絶えず監視にさらされ、1人でプライバシーが保てる空間の保障はない。私物所持は制限され、服装は官給品が原則で、私物所持、私服着用の自由がない。多摩少年院では、レポート用紙、ノート、筆記用具、文庫本、単行本、友人を撮影した写真、六法全書が差し入れを許可されていないのである。戸外運動もほとんどの場合集団行動が強制され、個別の行動をする自由が保障されていない。小田原少年院のようにグランドを何周かすることが課題として強要されている少年院もある。自ら信じている宗教行事を主催して行う権利もほとんど保障されていない。義務教育年令にある少年の地域の学校へのアクセスし、そこで教育を受ける権利は、保障されていない。仕事をした場合に公正な給料の支給をされる保障もない。出版物・マスメディアへのアクセスも保安・教育上の制約を受けるのがほとんどである。


家族との接触の保障については、「自由規則」は、成人の場合と違って、「必要な監督」の制約をしてはならないとし、原則として週1回、少なくとも月1回、家族及び弁護人の訪問を受け、無制限のコミュニケーションを行うこと、及び選択した人物と書面あるいは電話で少なくとも週2回コミュニケートすることを保障している。しかし、例えば多摩少年院では、保護者の面会は「原則として月1回」に限られ、しかも日曜・祝祭日は面会できないのである。電話などでのコミュニケートなど考えることもできないのが現実である。職員の便宜や保安の要求により、年齢と法的地位にふさわしい処遇が妨げられているといわざるを得ない。


公正な取扱いの保障については、「自由規則」は、屈辱を与える処遇が禁止され、不服申立てが保障され、懲戒の場合も手段・手続きが尊厳を尊重し、適正でなければならないとされ、それらに関する権利行使の方法が徹底し、弁護士などの支援が保障されなければならないとしている。わが国の少年院においては不服申立て制度の整備がなされていない。またその方法・手段を徹底して知らせることがなされていない。そして弁護士とのアクセスの機会を保障する体制もない。全面的に制度が不整備であるといえる。


少年の特則  公正な裁判を受ける権利

国際人権〈自由権〉規約14条4項は、子どもの権利条約40条、北京ルールなどにより確認され、さらに発展させられている。


「少年の場合には、手続は、その年齢及びその更生の促進が望ましいものとする」趣旨を受けて、日本の少年法は、前述した特別の審判手続を設けて、その要請に応えてきた。しかしその法制及び運用については、保障は徹底したものとなっておらず、いくつかの問題がある。


まず日本の法制が検察官送致*の決定に抗告の道を開いておらず運用もそれを承認していることが問題とされる。検察官送致はこの配慮した手続きの適用を排除することを意味する。このような援助、保護を排除する少年の行く末を左右する結論が、裁判官の一方的判断で可能とされ、再度検討を求める機会も保障されないまま、少年に押しつけられるということは、慎重な手続きで合理的な結論が選択される保障がないことになり、できうる限り「更生の促進が望ましいとする」国際人権〈自由権〉規約14条4項の方向づけに反するものといわなければならない。*para.399参照。


この点について、国際人権〈自由権〉規約24条の保障の内容を具体化するものとして子どもの権利条約が制定されていることも考慮されなければならない。その12条2項はすべての手続きについて子どもに「意見を述べる機会」を保障し、12条1項は子どもの意見表明を正当に重視することを求めている。少年に対する保護の適用を外す重要な決定について、できるだけ少年の側の言い分を尽くさせ、その言い分を正当に重視しなければならないことが求められているのであり、当然国際人権〈自由権〉規約24条、14条4項の解釈にも影響を与えるものである。上記法制はこの点から問題があるといわなければならない。


前記少年審判で終了した事件について、刑事補償法の適用を認めなかった最高裁判所の決定が、非行事実なし不処分の決定については、非行なし不開始の決定と同様、事件を終結させる効力はなく、再度送致を行い起訴することも可能だとしたことも問題である。


これでは少年は無実を認めさせても、またいつ問題にされるとも限らない不安定な地位に置かれるわけで、そのことが少年の立場を不安定なものとすることはいうまでもない。「更生の促進が望ましいとする」国際人権〈自由権〉規約14条4項の方向づけに反することは当然である。上記最高裁の決定の運用はこの点から問題があるといわなければならない。


「更生の促進が望ましいものとする」の具体化の上で、北京ルールの「ダイバージョン」すなわち、「各国の法制度の目的の下に定められ」「権限を有する機関の再審理に従うという条件で」「少年もしくは両親・保護者の同意」を要件として、少年司法外での処理の活用〔11項〕の提起が重要である。日本の少年法制は、前述のとおり嫌疑がある限り全件が家庭裁判所に送致されるたてまえをとっており、途中の機関が手元で処理することを許さない。


しかし現実には「非行」に当たらないと見做したり、簡易な手続きで送致した形をとって警察限りですます扱いが広がっていて、実質的には年間3,000,000件を越える警察補導の事件のうち、一般事件260,000件(うち40,000件が簡易送致*)、道路交通事件220,000件しか送致されていない。若干は児童相談所に送致されているが、残りのほとんどは警察で「犯罪」が成立しないか、「犯罪」にあたらないとして処理されている。警察はこうした少年を自ら継続補導することを内規で定めてさえいるのである〔少年警察活動要綱35条〕。*少額被害の事件で警察が再犯のおそれがないと判断した場合、少年の非行事実・前歴の有無などを記入した送致書だけを家裁に送り、家裁では原則として審判不開始にするという手続き。


そうした処理が果たして「更生の促進が望ましいものとする」ことにあたるかどうかは問題である。少なくとも北京ルールが掲げた上記の要件のいずれをも満たさないまま、警察官に少年の指導を委ね、司法の入口である警察における処理(つまり司法内での処理)に終わっている現実は、ダイバージョンが目指している司法外での福祉・教育的解決ではないわけで、そうした処理に少年が委ねられている運用は、国際人権〈自由権〉規約14条4項との関係で大変問題といわなければならない。


日本の家庭裁判所が、一般の裁判所から独立した子どもの特性に応ずる体制を整えている状況を転換させようとする最近の動向の進展も問題である。人間諸科学を専攻し、子どもとともにその発達の道を発見する役割をになう家庭裁判所調査官のケースワーク機能を低下させ、「軽微な事件」を警察に委ね、「重い事件」に安易に施設収容を多用する傾向が見られる。その定着をはかるために、最高裁判所は1985年12月に少年事件処理要領モデル試案*を呈示して、全国の家庭裁判所の裁判官の申合せとすることを図った。その後、全国的に処理要領が作成され、現場の実務運用はそれに従ってなされるにいたっている。*最高裁が、少年の権利を保障しつつ、膨大な事件処理に現実的に対応するためとして策定したもので、各家裁はこれにならって少年事件処理要領をつくり実施している。家裁の調査活動が軽微事件については省略・簡略化されており、画一的処理のおそれがあるなどの批判がある。


そうした傾向は、現実の審判運用にも影響を与えている。1989年10月13日千葉家庭裁判所は、家庭裁判所調査官も少年鑑別所も附添人も少年が在宅で十分立ち直れるとし、少年自身も高校受験を目指して努力していた少年について、裁判官の独断で集団生活で規律になじませる必要があるとして、少年院に収容して少年の心を傷つけ、やる気を失わせるという事件を発生させている。


2 外国人に対する捜査、裁判の問題
外国人の権利

国際人権〈自由権〉規約は、2条1項で、「その領域内にあり、かつ、その管轄の下にあるすべての個人に対し……いかなる差別もなしにこの規約において認められる権利を尊重し及び確保する」とし、外国人についても市民と同様、国際人権〈自由権〉規約のすべての権利を保障することを明記する。そして2条1項、24条1項、26条は、そこに掲記する人種、皮膚の色、言語、宗教、国民的出身、出生などの理由により差別してはならないということを大きな関心としている。そして14条3項の(a)で、「その理解する言語で速やかにかつ詳細」に問責を告知することを保障し、(f)で、「裁判所において使用される言語を理解すること又は話すことができない場合には、無料で通訳の援助を受ける」とし、特に「言葉」についての保障を定めている。さらに、国連被拘禁者人権原則14は、逮捕・抑留・拘禁に責任を有する機関が使用する言語を十分に理解しまたは話すことができない者は、その者が理解する言語で、逮捕の理由、抑留の理由、それらの者の有する権利及びその使用方法に関する情報を速やかに受領し、かつもし必要な場合は無料で逮捕後の法的手続きに関して通訳の援助をうける権利を保障する。


わが国の刑事訴訟法がわずかに通訳に関する規定〔同法175条、176条〕をおいているが、裁判所を念頭にして規定したもので、被告人の防御権等の人権の観点から定められたものではない。そして、わが国の刑事被告人の権利はその者が日本人である場合ですら守られていないというのが実情であり、ましてや外国人の場合は、言語の問題、人種的偏見に基づく不当な差別的取り扱い(アジア人の場合に多い)も加わって非常に劣悪の状況にある。わが国においては、残念ながら国際人権〈自由権〉規約は外国人の刑事手続きの実務では大きな問題をかかえている。


言葉の問題

問責あるいは身柄拘束の理由の告知については、しかしながら、刑事訴訟法は、外国人被疑者・被告人に対する逮捕状、勾留状または起訴状に翻訳文を添付すべきことを命じておらず、実際にも、これらに翻訳文が添付されることは極めて稀である。


従って、外国人被疑者は、逮捕後の弁解録取・取調べに際して、通訳人によって被疑事実の要旨を通訳してもらってはじめて自己に対する嫌疑の内容を知ることになり(外国人被疑者に対する逮捕状の執行に通訳人が同行することは極めて稀で、現行犯逮捕の場合の被疑事実の要旨の告知は日本語で行われる)、外国人被告人も、起訴状が送達されてもその意味は理解できず、第1回公判期日に起訴状が朗読される際に、通訳人による通訳によって、その内容を理解する機会が保障されているにとどまっている。現実には被疑者被告人は、取調べ事実によって自己の容疑事実を判断していることが多い。例えば弁護士が出入国管理法等違反事件(オーバーステイ)を国選で受任して接見に行ったところ、その被告人は覚醒剤の容疑で逮捕され起訴されていると思っていた、というようなことは決して珍しくない。


また、理解できない言語で自己に対する嫌疑を告げられても何の意味もないことは言うまでもない。かかる現行の取扱いは、国際人権〈自由権〉規約14条3項(a)だけでなく、「逮捕される者は、逮捕の時にその理由を告げられるものとし、自己に対する被疑事実を速やかに告げられる」ことを定めた国際人権〈自由権〉規約9条2項にも違反すると言わなくてはならない。


福建語を母語とする中国人の被疑者が、被害者との金銭授受を約束していた場所に待ち伏せされ、逮捕状に基づき逮捕されたが、私服の警官が通訳を同行しないでいきなり日本語で逮捕にあたり、自動車の後部座席の真中にのせ両端に私服の警察官が座り、遠方の警察まで連行したため、被疑者は暴力団に拉致されるものと誤解し、警察到着まで生きた心地がしなかったという。しかも警察到着後でも通訳到着まで身柄を拘束されたまま待たされ、事実上の逮捕後2時間後にようやく北京語で逮捕事実が告知されたという事例が報告されているが、こうした逮捕はそう珍しいことではない。


通訳に用いられる言語が外国人被疑者・被告人の第1言語あるいは十分に理解できる言語である保障は全くない。


北村滋・早川治「警察における通訳の現状と今後の展望」〔警察学論集42巻6号20頁〕によると、1987年中に検挙された来日外国人被疑者のうち3,745人の通訳の運用状況は、すべて日本語を使用して捜査が行われた事例が1,521件(40.6%)に及び、外国語を使用したものの内訳は英語(1,501件、67.5%、全体の40.1%)、北京語(254件、11.4%、全体の6.8%)、朝鮮語(142件、6.4%、全体の3.8%)、タイ語(103件、4.6%、全体の2.8%)であるが、他方、1990年版警察白書によると、1990年1月から4月までの外国人被疑者948人のうち就労の事実があった者516人の語学能力は、日本語が「全く話せない」か「片言程度」の者252人(26.6%)、日本語が「日常会話程度」以上に話せる者257人(27.1%)、英語が「全く話せない」か「片言程度」の者225人(23.7%)、英語が「日常会話程度」以上に話せる者172人(18.1%)、日本語も英語も「全く話せない」か「片言程度」の者が126人(13.3%)である〔同白書25頁〕。


外国人被疑者が十分に理解できない言語(すなわち日本語や英語)で取調べが行われている例はそう珍しくはない。


第1言語であるタガログ語の通訳者が少なく、それに固執すれば捜査が長引くと言われて、微妙な気持ちや複雑な事実を正確に語ることができない英語で取調べを受けた例、ドイツ人であるのに日常会話位しかこなせない英語の通訳で取調べられ、よく理解できないまま取調べが進んだ例、全く英語が話せないバングラディッシュ人に対し、英語が話せると思い込み英語の通訳を用いて自白調書が作成された例、台湾の手話通訳がいないため日本の手話通訳で通訳させた例などが報告されている。その当然の結果、正確な調書が作成されない。実際「petrol」(ガソリン)という単語を「patrol」(パトロール)と勘違いしたり*、英語能力の十分でないバングラディッシュ人を英語で取調べて、被疑者の供述の趣旨と全く異なる調書が作成された事例が報告されている。*英語の通訳人(警察官)が「ペトロール・ポンプ(ガソリンスタンド)」を「パトロール・カー」と取り違えたもの。


捜査段階では、かなりの割合で警察官である通訳者が用いられている。あるいは警察官でなくても平素警察と関係のある通訳者を用いており、これらの通訳者が公正な通訳をすることを担保する制度は全く整っていない。取り調べる警察官と一体となって被疑者を脅したりすかしたりするばかりか一緒にいためつけたり、被疑者、関係人の調書自体を歪めて記載したりする事が生じている。中国人被疑者の取調べの際に通訳した警察官が、警察の要求する陳述をしない被疑者をしかりつけ、革靴の底で蹴る暴行を振るったという事例、中国人の強盗致傷事件の被疑者の発言を聞いた同じ中国人の被害者が、日常罵倒する表現として用いられている「殺してやる」という発言を聞いたことを供述しているのに、文字通り「殺してやる」と訳出して調書に記載し、反抗抑圧の証拠に利用した事例、「Aは、私の家にXが行くと言っていた」との供述を、「Aと私はXを襲うことを相談した」と訳出して調書に記載された事例が報告されている。


また、外国人被疑者に対する取調べにあたって、黙秘権、弁護人選任権など被疑者の権利が外国人被疑者に理解可能な言葉で告知されているかどうかも疑わしく、供述調書の読み聞かせ、署名・指印の意味の説明が不十分な場合も少なくない。


浦和地裁1990年10月12日判決〔判例タイムズ743号69頁〕は、その深刻な事例である。すなわち、同判決によれば、被告人は、自国の法律制度にも通じておらず、日本の法律制度(刑事裁判の仕組み)について全く無知であり、捜査段階の通訳人(複数)さえも黙秘権の意味を知らず、結局、黙秘権や弁護人選任権が保障されていることを知る由もなかった(さらに、供述調書に署名・指印する意味も理解していなかった)が、同判決は、さらに次のように判示した。


「以上のとおり、被告人の取調にあたった捜査官(引用者注・検察官をも含む趣旨である)において、日本の法律制度に無知な外国人を相手にしているという問題意識が明らかに欠けており、知識や言語の点で著しく不利な条件を抱える外国人被疑者に対し、日本国憲法および刑事訴訟法による被疑者の諸権利の行使を実質的に保障しようとする熱意や配慮が全く認められないということは、その結果作成された自白調書の任意性の判断上相当程度重視せざるを得ないと考えられる」


「本件のような外国人がらみの犯罪は、国際化の時代を迎えた今日、ますます増加することはあっても、減少することはないと思われる。我が国の法律制度に疎く、日本語をも理解しない外国人被疑者に対し、本件におけるような取調べをしてこれを自白に追い込むようなことは人道上、国際信義上からも重大な問題であって、早急に改められなければならない。最後に、外国人被疑者に対する取調べにおいては近時その必要性が強調されている『捜査の可視化』の要請が特に強く、最小限度、供述調書の読み聞かせと署名・指印に関する応答及び取調べの冒頭における権利告知の各状況については、これを確実に録音テープに収め、後日の紛争に備えることが不可欠であることを付言する」


そして公判の段階で被告人の調書を読み上げたところ、そのような供述はしたことはないという事例が多発している。中国人が自分の子どもを殺したとされる事件で、「子どもを先に天国に送ってから自分も死のうと思った」との全く話した覚えのない、また生活習慣の上からも有り得ない道連れ心中をする意思の記載が調書になされていた例、覚醒剤の所持を争ったフィリピン人の被告人の事件で、した覚えのない自白の記載が調書になされていた事例などが報告されている。


それが決して例外的ではないところに日本の深刻な事態がある。


捜査段階、公判段階を通して、通訳者の語学能力や法律的素養が乏しいため、誤りが生じることも絶えない。結果において「殺してしまったのです」と述べており、「殺すつもりはありませんでしたが間違って殺してしまったのです」と通訳すべきなのを、少なくとも発言者の意思を確かめるべきなのを、そのまま「殺してしまったのです」と通訳したり、ウルドゥー語で外の様子を見ていたことを意味する「ニグラニー」という表現を、内部で行われている行為の「見張り」と通訳したり、ウルドゥー語で脅かして金を取るという強盗と恐喝を含む意味の用語である「ダッカ」を、強取すると通訳したり、中国語で取締役を意味する「会計」を、そのまま日本語の「会計」と通訳したなどの事例が報告されている。


外国人被疑者は、わが国の刑事訴訟手続きにおいて被疑者国選弁護人制度が存在しないため、弁護人による弁護を受ける機会を事実上奪われていると言っても過言ではない。被疑者が弁護人を選任しようとしたら「日本の弁護士費用はものすごく高い」と説明を受けて断念した例も報告されている。


そして、外国人被告人に対し、起訴後弁護人が選任されたとしても、適切な通訳人が不足しているため、弁護人との接見の機会が十分に保障されず、十分な弁護を受けられない状況にある。また、国選弁護の場合、弁護人の接見の際の通訳人は、法廷通訳人が兼ねることが多く、秘密交通権保障の趣旨に反する疑いがある。


さらに、1審の判決を聞いて自己の起訴事実をやっと理解したという事件が報告されている。強盗傷人事件であったが、1審の国選弁護人は1度の接見をなしたが、その際同行した通訳者は捜査段階での通訳者であり、1審の通訳人でもあったという事案であった。本人は1審を途中まで聞いて、予想だにしないあまりの重刑に失神し、言い渡しが延期されたのであった。控訴審では被告人には、私選弁護人がついた。その弁護人から起訴事実の説明を受けて、起訴事実を初めて正確に認識できたのであった。


無償で通訳を受ける権利については、日本の法制は通訳人の費用を訴訟費用としており、原則的には「全部もしくは一部」を負担させることとし、「貧困の」場合にのみ例外的に免除するとしているが〔刑事訴訟法181条1項、500条〕、現実に負担をさせた実例もあり、その権利は保障されていない。現在、負担を命じられた元被告人が、国に対し通訳料の負担が不当であることを争っているケースがある。さらに問題は弁護人と同行する通訳の費用であり、国選の場合は運用により訴訟費用とし前記免除をはかっている例があるが、私選の場合は自己負担をするしかないのが現状である。国連被拘禁者人権原則14は、必要な場合に無料で通訳の援助を受けるとしており問題である。


こうして日本においては、国際人権〈自由権〉規約の言葉に関する保障は、完全に実施されているとは到底いえないと言わなければならない。


差別の問題

日本の運用の上での大きな問題は、国際人権〈自由権〉規約が保障する、人種、皮膚の色、言語、宗教、国民的出身、出生などの理由による差別の禁止が徹底していないということであり、日本人についても問題にされる国際人権〈自由権〉規約の保障を奪うことが、外国人であることにより安易に多用されているということである。若干の例を挙げて問題を指摘する。


別件逮捕、別件勾留を利用する取調べについて、国際人権〈自由権〉規約9条3項、10条1項との関係で問題があることはすでに分析した。外国人の場合は、オーバーステイとして逮捕、勾留をして、その後の取調べは他の犯罪の捜査に当てることが行われている。起訴後の勾留まで利用される例もある。


このことについては、前述浦和地裁判決は、「不法残留は、近年外国人の不法就労が社会問題になって以来、当裁判所管内では公判請求される例が多いが、その法定刑等からみて、いわゆる重大犯罪とは言えず、逮捕、勾留の法律上の要件があっても、必ずしも身柄の拘束をしなければならないものではない上、そもそもこれらの者について、刑事手続きを発動するか行政手続きのみで済ますか自体も当局の裁量に属する事項とされているのであ」る。


「右の点に加え、被告人が別件により逮捕されるに至った経過(放火の犯人として突き出されたことを契機とする)およびその後の取調べの状況(不法残留罪に関する取調べは勾留後、請求日を含む当初の3日間で実質上全て終了し、残りの勾留期間はほぼ全面的に放火の取調べにあてられていること)などを総合すれば、捜査当局が、本件たる放火の事案につき未だ身柄を拘束するに足りるだけの嫌疑が十分でないと考えたため、とりあえず嫌疑の十分な軽い不法残留罪により身柄を拘束し、右身柄拘束を利用して、主として本件たる放火につき被告人を取り調べようとする意図であったと認めるほかなく、このような意図による別件逮捕、勾留の適法性には問題がある」としているのである。


また不法残留罪で逮捕、勾留され代用監獄の中で23日間、大麻売買についての取調べがなされたが、本人は自白しなかったので不法残留罪でのみ起訴され、起訴後も大麻に関する取調べが継続されたが、大麻については起訴できなかった例や不法残留罪で逮捕、勾留、起訴して、公判手続き中も含めて、外国人労働者の派遣業者に関する情報収集のための取調べを行った例が報告されている。


不法残留罪自体がそうであるが、その他日本人であれば勾留、起訴がそもそもなされないような軽微な事件について、外国人であるがために勾留、起訴がなされる事例も報告されており、差別による身柄拘束の問題として考えなければならない。25歳の中国人女性の就学生が、デパートで3,000円相当の口紅1本を万引きし、勾留、起訴され懲役10月、執行猶予3年の判決を受けた例、24歳のフィリピン人男性の就学生が、デパートで5,190円相当のCD3枚を万引きし、勾留、起訴され懲役1年、執行猶予3年の判決を受けた例、母国で大学助教授をしていた42歳の中国人男性の留学生が、病気で収入を失い、食事も満足にとれない状況で、駐車場で50,000円相当のリュックサック1個を盗み、勾留、起訴され懲役10月、執行猶予3年の判決を受けた例などが報告されている。国際人権〈自由権〉規約9条1項、3項、2条1項及び26条との関係で問題の運用といえる。


人道的、尊厳を尊重した取扱いについての国際人権〈自由権〉規約7条、10条1項との関係でも、外国人であるが故に暴力を振るわれることがあるとの指摘がなされた問題がある。前記通訳から暴行を受けた中国人の例もそうであるが、捜査官の言うように供述しないということで暴行を受けるという事例は少なくなく、さらに外国人特有の問題として、「認めれば早く国に帰ることができる」「認めればせいぜい強制送還だけですむ」などと騙して、自白を採取する例もある。前記浦和地裁の判決は、放火の事実を認めれば国に帰してもらえるとの誤解に乗じて自白調書を作成したことを問題にしている。これらの取扱いは併せて国際人権〈自由権〉規約9条3項との関係でも問題とされる。


さらに国際人権〈自由権〉規約10条1項との関係では、弁護士以外の一般の接見に当たって、使用言語を限定する結果それ以外の言葉しか話せない、近親者、援助者との面接が事実上禁止される問題がある。東京拘置所が使用言語を日本語と英語に限定しているのがその例である。


言葉が通じないこと自体、精神的ストレスの原因となる。誰とも会話の機会もなく、自分の法的地位を認識できずに不安におののく被告人が拘禁性ノイローゼに陥るケースもしばしばある。言葉が通じないために意思の疎通ができず、懲罰を受けたり、医療を受けられなくなった被告人もいる。


また、宗教上にかかわる問題が、被疑者被告人の精神的苦痛となっていることがある。礼拝時間を無視した取調べ、頭髪等の処理の強制、摂取を禁じられた食物の調理による食事、イスラム教徒である被疑者に向かって「俺を神と呼べ」との強要、同性であっても人前では裸体を絶対晒さない習慣をもつ被告人に2度に渡る裸体検査が行われた例がある、


国際人権〈自由権〉規約9条3項、14条1項との関係で、外国人であることにより、保釈の運用、判決の内容が日本人よりも厳しくなっていることも問題である。保釈については日本に住居がないことや逃亡の恐れが、不許可の理由として安易に用いられ、例え許可されたとしても外国人の場合は保釈金が高くてあたりまえと言われており、現にそういわれた事例が報告されている。判決については、1985年4月から1988年3月までの間に東京地裁(日本人の場合は東京簡裁を含む)で判決のあった前科・前歴のない万引事犯について、刑の執行が猶予される割合が、日本人の場合には殆どであるのに、外国人の場合は20%程度にすぎないとの報告がある。*外国人被告事件弁護人の研究会の統計資料(公刊物未掲載)


第9 拘禁二法案の問題性

1982年に国会に提出された拘禁二法案(刑事施設法案、留置施設法案)は、翌年衆議院の解散により廃案となった。両法案は1987年若干の修正をして再提出されたが、1990年衆議院の解散により再度廃案となった。


さらに1991年4月、前回と全く同一の形式(二法案セット)と内容で三たび国会に提出された。政府は、与党内部の異論や全野党の反対を押し切って、両法案の成立を目ざしている。*11993年6月18日、衆議院の解散により、法案は三たび廃案となった。


日弁連は、一貫して両法案を批判し、その成立阻止のために9年余運動を展開している。しかも、日弁連は、法案に反対するだけでなく、後述5でふれるとおり、重要な制度改革と立法の提案をしている。


ところで、両法案評価の視点について、われわれは、国際人権〈自由権〉規約の諸条項のほか、国連被拘禁者人権原則にも依拠すべきと考える。けだし、後者は国際人権〈自由権〉規約を具体化したものであり、立法にあたっては遵守すべき指針と理解されるからである。


以下、両法案の問題点を要約して指摘する。


1 代用監獄の格上げと恒久化

代用監獄の根本的問題とそれが国際人権〈自由権〉規約9条3項前段と14条3項(g)に違反し、したがって国連被拘禁者人権原則37、21にも違反する点については既述したとおりである。*2Ⅲ.2.para.106以下参照。


刑事施設法案は、無条件で全ての被勾留者を「留置施設」と呼称することになる代用監獄に収容することを認めている。留置施設法案は、上記刑事施設法案の規定をうけて、被逮捕者と同列の扱いで被勾留者を常時収容する恒久的施設として、従来の警察留置場を認知し、かつ「留置施設」に格上げしている。


とくに、留置施設法案が登場したことは、警察が自らの施設の設置根拠と運営権限、そして独自の予算を法的にはじめて手中にすることを意味するものであり、反面、拘禁施設と勾留事務を一元的に統制していた法務省の権限が崩されたことになる。


そして、新しい代用監獄制度のもとで、捜査当局は、被疑者を23日間、場合によっては別件勾留を利用してそれ以上の期間、自己の支配下におき、自由に取調べて自白を迫る日本型捜査方式を保障されることになる。


二法案は、また、代用監獄が暫定的存在であり、代用監獄への収容が刑事施設への収容の例外であって、将来的に廃止するという85年前の公約(代用監獄を認めた監獄法を制定した際の帝国議会での政府答弁)をもふみにじるものである。


ともあれ、拘禁二法案は、代用監獄を格上げし恒久化するねらいをもつものであって、国際人権〈自由権〉規約と原則に逆行することは明白である。


2 被拘禁者と弁護人の接見交通の制限

拘禁二法案は、各施設において弁護人の接見交通を制限する内容となっている。


国際人権〈自由権〉規約14条3項(b)が権利として規定する「弁護人との連絡」は、国連被拘禁者人権原則18の3項では「検閲されることなく完全に秘密を保障されて自己の弁護人と相談又は通信する権利」という表現で具体化されている。


ところが、両法案では、(a)被逮捕者、被勾留者からの弁護人宛ての信書、(b)再審請求の弁護人や国や公共団体を相手とする訴訟の代理人との間で発受する信書は全て検閲される。また、再審請求や国や公共団体を相手とする訴訟のための弁護士との面会のみならず、一般の受刑者と弁護人との面会も、本来監視されても聴取されてはならないことは国連被拘禁者人権原則18の4項で定めるところであるが、両法案は現状と変わらず職員が立ち会う構造である。


日弁連は、弁護活動に支障があるところから、最小限(a)について、弁護人からの信書と同様に無検閲とすべきことを要求してきたが、容れられなかったのである。


より問題とされるべきは、施設管理の立場から被逮捕者、被勾留者と弁護人との面会が制限されることである。刑事施設と留置施設ともども、弁護人が面会するときでも執務時間内とされ、夜間・休日の面会は施設の長の裁量で許されない限り、原則禁止の扱いを受ける。この弁護人との面会制限については、裁判所に対し準抗告等をして迅速に救済を受ける必要があるのに、法案には一切これらの救済手続きは盛り込まれていない。


国連被拘禁者人権原則13が認める弁護人の接見制限は、「裁判官が安全と秩序維持のため不可欠と判断する例外的場合」に限られているから、執務時間外における接見を原則的に禁止する法案の体系は、正面から上記原則の規定に対立している。


現在は、前述のとおり、被疑者と弁護人の面会が、ほとんどのケースで代用監獄で行われるという場所的条件も加わって、捜査のために必要という「接見指定」の名のもとに事実上制限されている。しかし、反面として、執務時間外でも、検察官の「接見指定」を得て、弁護人は代用監獄でしばしば面会している。法案が成立すれば、留置施設の長すなわち警察署長は、独自の立場から施設の管理運営を盾にして、執務時間外の弁護人の面会を拒否しうるし、検察官は昼間捜査のために禁止した代償として、弁護人に対し執務時間外の「接見指定」をしたくてもできないことになろう。


もとより検察官と警察が連携して、捜査のための「接見指定」と施設管理の口実を適当に使い分け、あるいは両者を重ねて使えば、捜査段階において現在ほとんど唯一の可能な弁護人の活動である接見は、完全に封じ込められてしまう。


日弁連の会員弁護士がこぞって二法案に反対してきた主要な理由の1つはこの点である。


われわれは、被逮捕者・被勾留者と弁護人との面会制限並びに信書の検閲に関する限り、どのように弁明しても、国際人権〈自由権〉規約と国連被拘禁者人権原則に抵触すると信ずる。


3 人間的処遇の軽視

国際人権〈自由権〉規約10条1項は、すべての被拘禁者が「人道的にかつ人間固有の尊厳を尊重して取り扱われる」と保障している。同7条をうけた国連被拘禁者人権原則6も、「拷問、残虐な取り扱い、非人道的もしくは品位を傷つける取り扱い又は処罰は、いかなる場合にも正当化されないと」と規定する。過剰な行動規制や苛酷な懲罰は「人道的かつ人間固有の尊厳」と両立しないし、「残虐」であり、「品位を傷つける」ものである。


しかし、刑事施設法案は、次の内容をもつ。


a 現行法にない第三者に対する実力規制や武器使用の規定を新設している。


b 身体検査には、女子の場合に女子の刑務官が行う原則以外に何らの制約もなく、男女とも従来どおり裸や肛門・性器検査が予定されている。


c 現在でも批判の強い防声具、拘束台などの拘束具を温存するとともに、保護室収容、隔離収容を広く認めている。


d 幅広い要件のもとに(たとえば、職員の指示に従わない、違反行為を準備したり援助したりする、遵守事項を遵守しない、など)、最長60日間に及ぶ閉居罰以下の多様な懲罰が課される。


e 被勾留者・受刑者ともに、外部に宛てた信書を検閲され、職員の判断で、刑事施設の状況についての「明らかな虚偽」や「威迫、虚偽、侮辱」を含むものが差止められる。また、書籍の閲覧も、(a)規律秩序を害する「おそれ」があるとき、さらに(b)受刑者には処遇に支障が生じる「おそれ」があるとき、(c)被勾留者には罪証隠滅の「おそれ」があるとき、いずれも禁止することになっている。


ここで特に強調しておきたいのは、留置施設法案が、警察留置場において、被疑者を刑事施設におけるとほぼ同様に取り扱おうとしていることである。


なるほど留置施設法案は、懲罰としては「戒告」処分しか用意していないが、現在は留置場にない懲罰制度を新たに導入するものであって、そのこと自体が重大である。


さらに大問題は、これまで留置場での使用は法的に疑問があった防声具、拘束台を含む拘束具の使用を法案が認知した結果、取調べを拒否する者や自白しない者に対して、自白強制の手段として使用される危険があることである。


これら両法案の規定は、国際人権〈自由権〉規約と国連被拘禁者人権原則の上記規定に直接またはその精神に反していると考える。


4 第三者機関が設置されない

国際人権〈自由権〉規約や国連被拘禁者人権原則が定める前項の処遇原則が現実に施設で実行される担保は、外部からの監視と内部からの不服の適正、迅速な処理であろう。国連被拘禁者人権原則33は、この観点から次のように不服申立てのシステムを具体的に示している。


処遇に関する要求や不服申立てが出来る者の範囲について、被拘禁者と弁護人のみでなく、「家族又は事件に関し知識を有する者は誰でも権利行使できる」としている〔2項〕。両法案は被拘禁者本人のみである。


申立て先の機関として、当該施設並びにその上級機関のほか、「審査並に救済権限を有する適切な機関」、さらに以上の機関に対する「要求又は不服申立が拒否され、又は不当に遅延した場合」は、「裁判官等に申立てることができる」と規定する〔1項、4項〕。


上記「権限ある適切な機関」は、独立した第三者機関を指すものとわれわれは理解する。これに対して、刑事施設法案では、施設の長への苦情申出と法務大臣への審査請求しかないから、到底この原則を充足していない。留置施設法案では、警察署長と県警本部長への苦情申出しかないから、同様の批判が妥当する。


まして、両法案では、裁判官への不服申立ては保障されていない。他方、「処遇」や「取調べ」に関する不服申立ては、現行の行政事件訴訟法の対象ともならない。したがって、拷問や長時間の取調べなどを司法的に救済する道は閉ざされていることになる。


法案は、審査の対象を狭くする限定列挙主義をとっている。このため、施設の長の処分のうち、重大な人権侵害を伴う不利益処分(たとえば、保護室収容、拘束具使用、強制医療の実施、面会対象の制限など)が除かれ、救済が阻まれることになる。このような救済対象の制限も、国連被拘禁者人権原則33に違反していることは明らかである。


また、国連被拘禁者人権原則29は、監督のために、「施設の運営に責任を負う機関と区別された権限を有する機関により任命され、その機関に責任を負う」者が施設を訪問し、被拘禁者と自由にかつ秘密に対話する権利を有する、と定める。この「訪問者」は、第三者機関に属してはじめて有効な役割を果たすことができよう。刑事施設法案が定める法務省職員の「実地監査」は、極めて不十分といわざるを得ない。現在の刑事施設、警察留置場のいずれも秘密裡に運営され、外部の目が届かない状態であることは既述のとおりであるが、法案はこの現状を改善する意欲に欠けている。


法務省は、法案には明記していないが、運用上、施設ごとに「刑事施設運営協議会」を設けると説明している。しかし、それは施設の長の単なる諮問機関にすぎない。


法案の不服申立て処理機関も、上記「協議会」も、日弁連が提案している外部機関たる「刑務審査会」との差が余りにも大きい。法案の不服申立てを中心とした処遇の担保措置は、実際的、効果的手段とはなり得ていないといえる。


5 法案の作成と提出の手続

監獄法改正作業は法務大臣のもとにおかれた法制審議会で進められ、その答申を経て、刑事施設法案が作成されて、冒頭記載のように国会に三度提出されている。ここでの問題は三点にしぼることができる。


第1は、「答申」(要綱案)は代用監獄を容認したが、その「代用性」は明確にされ、「収容例」を漸減する旨(日弁連は将来的廃止と受けとめた)付記していた。


この法制審議会の審議と答申は、警察立法であり、代用監獄を強固にする留置施設法案を全く予定しておらず、刑事施設法案と留置施設法案がセットになった異例の立法であるということである。


第2は、第1回の拘禁二法案提出前に、日弁連と協議をしていなかったため、法務省と警察庁は、その後、日弁連との間で意見交換会を開いたが、中途で打ち切り、第2回目の提出を行った。第2回目の提出にあたり、二法案は主に答申の内容から後退していた箇所について若干修正されたが、日弁連が意見交換会で批判し、指摘した諸項目は一部しかとり入れられず、法案の本質的性格  人権侵害の危険性と現状改善の不十分性は少しも変わっていないということである。加えて日弁連は、今日までに、代用監獄を20世紀中に廃止する「代用監獄廃止要綱」、二法案に対抗する「監獄法改正に関する対策本部試案」(目下、改訂作業中で、近く「新拘禁法案」として公表予定*)を提案してきたが、再提出ないし再々提出された法案や国会審議にはほとんど反映されていない。*「刑事被拘禁者の処遇に関する法律案(日弁連・刑事処遇法案)」として1992年2月に発表した。


第3は、この間、法案と重要な関わりをもつ前記国連被拘禁者人権原則が採択され、アムネスティ・インターナショナルや国際人権連盟などの有力なNGOが調査のために来日し、代用監獄制度の廃止などを勧告した。さらに国連人権小委員会や国際人権〈自由権〉規約委員会でもしばしば日本の拘禁制度について重大な関心と質問が集中している。しかし、政府は法案を抜本的に見直すことを拒み、強引に三度も提出しているということである。


二法案セットに示された立法手続きとかかる日本政府の頑なな態度をわれわれは大変遺憾に思う。必ずや国際的批判も免れないであろう。


結 語

日本においては、第二次世界大戦後、新憲法が制定され、それに適合させるため、刑事訴訟法も大幅に改正された。刑事訴訟制度は糾問手続きから弾劾手続きへと変革され、被告人の権利は大幅に改善された。


本報告書は、日本における刑事訴訟法施行40年の経過を概観し、刑事司法手続き(少年審判手続きを含む)の実際を、日本も批准している国際人権〈自由権〉規約など国際基準から検討したものである。とりわけ、本報告書は、第1に、戦後誤判事件が多発したが、これに必ず拷問が伴ったこと、第2に、この誤判事件の多発の過程のなかで、再審手続で無罪事件が続出し、死刑囚が4人も救済されたこと、そして再審無罪事件がひきつづいたこと、第3に、これら誤判事件や再審無罪事件の原因が代用監獄に身柄拘束して取謔闥イべるところに生じていること、第4に、日本においては被疑者の弁護人より援助を受ける権利が十分でないこと、をとりあげた。この他、刑事手続きを捜査段階と公判段階にわけて、ここに生じている法制度と手続きの運用を問題別にとりあげている。 国際人権〈自由権〉規約締結国は、国際人権〈自由権〉規約を忠実かつ誠実に履行するのみならず、国連の定めたその他の拘禁に関する国際人権基準を実施する義務がある。加えて、国連事務総長が1991年公表した「刑事司法と非拘禁者の人権/刑事司法における人権に関する各種国連基準につき事務総長が作成した統合条文集」について、国連は、これらの人権基準の各国における実施を求めているのである。日弁連は、このような国連の一連Aの要請にこたえて、国際人権〈自由権〉規約委員会、国連関係機関及びNGOに本報告書を提出する。  日本政府報告書が審議される際の参考資料とされるよう願うとともに、関係機関や各国においても参照されることを期待する。


国際人権〈自由権〉規約の日本における実施状況に関する報告書【その2】

《1》 外国人問題

第1 指紋押捺問題〔2条、26条、7条〕

1 第3回日本政府報告書と政府の対応

第3回日本政府報告書では「指紋押捺制度は人物の同一性を確認する上で極めて確実な手段として『在留外国人の居住関係及び身分関係を明確にする』という外国人登録制度の基本目的のために登録の正確性を維持するとともに登録証明書の不正使用や偽造を防止することとしたものであるが、日韓両国外相間でまとめられた『覚書』で、指紋押捺については指紋押捺に代わる手段を早期に開発し、これによって在日韓国人3世以下の子孫は〔1965年在日韓国人の法的地位協定第2条で規定〕もとより、在日韓国人1・2世についても指紋押捺を行わず、今後2年以内に指紋押捺に代わる措置を実施することができるよう所要の改正案を次期通常国会(1992年1月開会見込み)に提出するよう最大限努力、指紋押捺に代わる手段については、写真、署名および外国人登録に家族関係事項を加味することを中心に検討する」ということになっている。


この第3回日本政府報告書を受けて、政府は今国会*1 に永住者及び特別永住者について指紋押捺制度を廃止し、その代替措置として署名と家族事項の登録を追加する旨の外国人登録法一部改正案を提出し、成立した。*2


2 問題点

しかし、第3回日本政府報告書ではこれを在日韓国・朝鮮人の問題としてのみとらえて報告しているが、この問題は在日外国人すべてに関係するものであり、在日韓国・朝鮮人の問題だけに限定すべきものではない。第3回日本政府報告書では、日韓閣僚会議での「覚書」に基づき、在日韓国・朝鮮人問題だけについてこの問題を解決すればよいようになっているのは問題といわなければならない。改正後の外国人登録法によっても、1年以上の在日外国人については引き続き指紋押捺義務が課されているのである。そもそも、みだりに指紋を採られない権利はプライバシ-に属し、憲法13条により保護されている基本的人権であり指紋押捺の強要は主観的に「品位を傷つける」ものであり、しかも単なる個人の主観のみならずある客観性をもって語られるものであり、指紋押捺制度は憲法13条、国際人権〈自由権〉規約7条(品位を傷つける取り扱いの禁止)に違反するものである。また、外国人と日本国民との間で異なった扱いを正当化できる合理的理由はなく、指紋押捺制度は内外人平等原則を規定する同規約2条1項及び26条に違反し、憲法14条の趣旨にも反する。現に英、仏、西独などヨーロッパ諸国ではこの制度は採られておらず、すでに日弁連では1985年6月と1987年2月の2回にわたり、全廃の意見書を出しており、指紋押捺の必要性はそもそも消滅しているというべきである。


3 まとめ

従来から1年未満の在留者に対しては、指紋押捺はなく、写真のみで登録が行われているが、とくにこのことにより混乱を生じたような事態もなく、今回の改正で永住者、特別永住者に指紋押捺を廃止する代替措置として写真以外に署名、家族事項の登録を追加しなければならない理由は明確ではない。これによって、在留資格により、登録上の差異が生じることになってしまい(1年未満の者は写真のみの登録、1年以上の者は写真と指紋押捺、永住者、特別永住者は写真、署名、家族事項の登録)、これを区別する合理的理由がないといわなければならない。今回の改正では、1年以上の在留者については、引き続き指紋押捺が義務づけられることになるが、1年以上の者について指紋押捺制度を存続させることは、外国人の間に理由のない不合理な差別を残すものであり、国際人権〈自由権〉規約2条1項、26条、7条に違反する疑いが強い。


*1 第123回国会。


*2 1992年5月20日成立。1993年1月8日施行。改正の内容は、


1.


永住者及び特別永住者については、指紋押捺制度を廃止する。


2.


16歳以上の永住者及び特別永住者は、新規登録等の申請の際に登録原簿及び署名原紙に署名することとし、当該署名を登録証明書に転写する。


3.


永住者及び特別永住者の登録事項として家族事項(本邦にある父母及び配偶者の氏名、生年月日及び国籍、世帯主にあっては、さらに世帯の構成員の氏名、生年月日及び国籍及び世帯主との続柄)を加える。


第2 外国人登録証常時携帯問題〔12条、26条、2条〕

1 第3回日本政府報告書の内容

第3回日本政府報告書は国際人権〈自由権〉規約2条に関して3項で「外国人の地位、権利」については「基本的人権尊重及び国際協調主義を基本理念とする憲法の精神に照らし、参政権等性質上日本国民のみを対象としている権利を除き、基本的人権の享有は保障され、内国民待遇は確保されている」との概括的評価に立って近年わが国で外国人の人権との関係で問題とされている主要事案の1つとして、外国人登録証携帯義務制度について言及している。それによれば、「外国人登録証携帯制度は外国人の居住関係及び身分関係を現場において即時に確認する手段を確保するため採用されている。しかし本制度についても運用のあり方も含め適切な解決策について、引き続き検討することとした」との見解が表明されている。


2 第3回日本政府報告書批判の要点
評価の変遷

我が国に在住する外国人について、外国人登録証明書の常時携帯・提示義務〔外国人登録法13条〕とその違反に対する刑事罰〔同法18条の2の4号、同法18条1項6号・7号〕制度は、外国人に対する指紋押捺制度と相まって国際的にも外国人に対する基本的人権侵害の双璧であるとして、かねてその廃止を含む是正措置がきびしく指弾されてきた。第1回及び第2回日本政府報告書までは、この深刻な問題には全く触れることなく漫然と「外国人の権利については、基本的人権の享有は保障され……云々」と美化されてきた。しかし今回の第3回日本政府報告書では、前記のごとく在留外国人の多数を占める在日韓国・朝鮮人の人権に関してではあるが、外国人登録証携帯義務=刑事罰制度に言及し「本制度についても運用のあり方も含め適切な解決策について引き続き検討する」旨を提言していることは、この問題の長い歴史過程からみて、一応一歩前進と評価できる。そしてこの時代錯誤ともいうべき制度の改善と是正を政府が国際社会に向けて公式に国際人権〈自由権〉規約の実施状況の問題点としてとらえ出した背景事情としては次の諸点が顧みられよう。


a 国際人権〈自由権〉規約委員会での審議における批判。1988年、第2回日本政府報告書に対し、国際人権〈自由権〉規約委員会は非差別、平等条項に関し、日本における特に在日韓国・朝鮮人にかかわる指紋押捺制度と並んで刑事罰と一体不可分に結びついた登録証の常時携帯・提示義務制度がイギリスやソ連出身の委員によって、前記人権規約抵触の疑いのもとに厳しく指弾されたこと。


b 1987年、外国人登録法改正時、国会(衆参法務委員会)の場において外国人登録証常時携帯・提示義務の従来の運用が苛酷に過ぎる点が批判され、付帯決議や外務、法務両相の所見としても「常識的かつ弾力的運用」と「近い将来の改正の必要」が表明されてきたこと。


c 在日韓国・朝鮮人社会の世論と両国の意見としても登録証常時携帯、提示義務とその違反に対する刑事罰の制度が、過去治安管理の不当な運用の武器として機能し、これらの外国人の人権侵害が看過し難い事態として即時撤廃が叫ばれてきたこと。


d 日本国内の世論としても、外国人登録事務を扱う自治体労働者をはじめ、各種法律家団体、政党、マスコミ等が一致して廃止を含む制度の是正を強力に訴えてきたこと。


e 日弁連も1989年外国人登録証常時携帯・提示義務と違反に対する刑事罰の是正に関する運用の改善を含めて意見書を政府に提出し国民の公正なる世論の喚起に努めてきたことなど。


酷な検挙、訴追と司法による抑制

1988年、在日韓国人学生がたまたま登録証を下宿先の衣服内にしまい込み、不携帯に気づかないまま在学中の大学の講義受講のため登校途上、警察官の検問に出会った。学生はそのとき初めて登録証不携帯に気づき、身分の証明資料として運転免許証と学生証を提示した。しかし警察官は学生を外国人登録証の不携帯、提示義務違反の現行犯人として逮捕し、代用監獄に留置した(身分と人間の特定、同一性は前記証明資料によって確認し得たにもかかわらず)。検察官は、学生を外国人登録証不携帯、提示義務違反罪で、大阪・生野簡易裁判所へ起訴した。そして右簡裁は、罰金刑、有罪を宣告した。被告人、弁護人は控訴し、大阪高等裁判所は無罪の判決を宣告した。その理由は「罰則の構成要件に該当しないか」もしくは「実質的違法性を欠く」との判示であった(特に後者)。そして「犯情としては過失犯に近い」としたうえで「大学の講義受講の機会を逸するという犠牲を払ってまでも、外国人登録証を発見するまで外出、登校を差し控えるべきことを要求するのは酷に過ぎる」と判示した。この判決は外国人登録証常時携帯義務を、その違反に対する刑罰とともにセットした現行法制度の運用が苛酷であったことを厳しく批判しているばかりでなく、制度自体が人権侵害の危険性を帯有していること暗に認め、公訴権濫用論としても司法的チェックがはかられた事例として貴重である(もっとも、同制度が国際人権〈自由権〉規約26条や憲法の各人権条項に抵触しているとの弁護人らの主張を排斥した点については、法理論上、判決の誤りとして批判されなければならない)。


問題点

日弁連は前記意見書で外国人登録法における登録証常時携帯制度及びこの違反に対する刑事罰の規定は、国際人権〈自由権〉規約12条(移動の自由)、26条、2条(内外人平等)、憲法13条(プライバシー、個人の尊重及び幸福追求権の保障)、14条(法の下の平等)、22条(移動の自由)、31条(罪刑の均等ないし法定手続きの保障)の各規定に定める権利を制約しあるいは原則に抵触するものであるとして立法上の是正がなされるべき旨を提言している。


政府が登録証携帯義務制度の目的として、現行制度の維持の必要性を挙げている論拠は、(a)一般行政上の必要性、(b)資格外活動の摘発、(c)不法入国、不法残留の摘発等であるが、それらの問題は、そのいずれを検討しても同制度によって国際人権〈自由権〉規約や憲法上の権利を制約してまで実現しなければならないものとは必ずしも認めがたいものである。


とりわけ違反に対する刑事罰の制度は不合理なものである。すなわち外国人登録に対応する国民の登録制度としては戸籍法や住民基本台帳法があるところ、これらには登録証常時携帯制度そのものがなく、その他の義務違反については行政罰たる過料が原則である。従ってこの点から見ると、本質上民事行政法規たるべき外国人登録法上の規律確保の制度としての刑事罰の制裁は筋違いであり、刑罰としても不当に重く罪刑の均衡を失している。早急な行政秩序罰への是正が問われているというべきである。


3 むすび
1992年外国人登録改正法と積み残しの不当性

政府は1992年4月外国人登録法の改正案を国会に提出し、国会はこれを可決成立させた。* 改正法の骨子は在日外国人の内、永住者及び特別永住者に限って指紋押捺制度を廃止するというものであった。


しかしながら、国の内外から強くその是正が提起されている外国人登録証の常時携帯と刑事罰制度については今回も改正が見送られ「その適切な解決策」が闇に消え、違反者に対する刑罰が威嚇的に存置される結果になった。


このことは内外人平等の原則、国際協調主義の理念からも由々しい事態といわなければならない。


政府の「解決策の具体化」が早急に要請される。


*「指紋押捺問題」の*2参照。


第3 定期確認申請義務

1 第3回日本政府報告書について

第3回日本政府報告書では、国際人権〈自由権〉規約26条の項において外国人登録法の確認申請義務及びこの違反に対する刑事罰について全くふれていない(同法にいう外国人とは日本国籍を持たない者をいう)。同規約2条の「3 外国人の地位、権利」の項において外国人登録法の指紋押捺義務、登録証常時携帯義務についてふれているが、ここでも同法11条が規定する確認申請義務については全くふれていない。


2 張炳珠さんの場合

1936年日本で生まれた朝鮮人張炳珠さんは、病弱である上離婚後4人の子どもをかかえ、さらにリューマチや気管支喘息になやむ老齢の母親の面倒をみてきた。彼女の子ども達は進学や就職の問題をかかえ、また彼女の母親が入院が必要なのにこれを断ったため、その母親の看病に追われた。このため彼女は1985年12月外国人登録法による確認申請義務をしなければならなかったところ、忙しさにまぎれこれをすっかり忘れてしまった。1986年8月母親が看病のかいもなく死亡し、張さんは茫然自失となり、同年12月自動車運転免許証の切替えの時期になって、外国人登録法の確認申請が遅れていることに気がついてすぐにその申請もしたが、約1年も遅れてしまった。確認申請を受け付けた東大阪市はこの張さんを告発し、張さんに対して罰金5万円、執行猶予1年の判決がなされた。


3 日本だけの制度

日本の外国人登録法11条は、16歳以上の登録外国人は5年毎に市町村窓口に出頭して、住所その他の登録項目が事実に合致しているかどうかの確認を受けるべきことを規定している。登録事項が事実に合致していることが外国人自身にとっては明らかであるとしても、また登録事項になんの変更がない場合でも、やはり外国人は市町村役場にいって確認申請をしなければならない。そして同法18条1項は、これを怠ったまま日本に在留する外国人について、1年以下の懲役または金20万円以下の罰金に処すると定めている。日本は外国人に対してのみこのような定期的な確認申請義務を課しているが、このような制度は世界中でみても、他には見当たらない。


4 運用の実態

さてこの確認申請制度のため外国人は前述のように5年に1度市町村窓口に出頭しなければならないが、5年も先の期限を覚えておくことは万全を期するという点からすれば決して容易ではない。単純な過失の場合でも、つまりうっかり忘れたためにこの期限が守れなかった場合でも罰せられることになっている。従って誠実に法律を守ろうとする人ほど、この期限を覚えておくための精神的な負担が大きい。このため市町村では、この期限が到来する直前にその外国人に対して勧奨葉書を出す扱いになっている。しかしこの葉書が当該外国人に到着しないことも多く、上述の張さんもこの葉書はみていない。また外国人が留学などで日本国外に出ている場合であっても、日本に戻ってきてこの確認申請手続きをしなければならないとされる。このように外国人登録法の確認申請制度は、外国人に大きな負担を課すことになる。市町村の側からすれば、期限がすぎてもなお確認申請を怠っている外国人がいることは容易に判明する。しかし期限経過後、市町村の側から当該外国人に対して確認申請を早くするよう促すことはしない。そして当該外国人が期限に遅れたことに気がついて確認申請を行ったのち、期間徒過を理由に当該外国人を告発するというのが実態であった。


5 戸籍制度・住民登録制度との差異

外国人登録制度に対応するものとして日本人については、戸籍制度及び住民登録制度がある。しかし日本人については、このような定期的な確認申請制度、すなわち登録(日本人の場合は登録ではなく届け出であるが)事項の変更の有無にかかわらず、定期的に市町村役場に出頭させ、登録(届け出)事項を確認する制度はない。また日本人についての戸籍制度及び住民登録制度では、違反に対しては、原則として刑事罰ではなく行政罰が予定されている。従って、日本人と外国人との間で別異の扱いがなされ、外国人は日本人にはない義務を課されており、しかもこの義務は刑事罰をもって強制されているのである。


6 問題点

国際人権〈自由権〉規約26条は、国籍による差別をも禁止している。国際人権〈自由権〉規約委員会の意見によれば、国籍は同条の「他の地位」に該当する。しかし同条はあらゆる別異の扱いを禁止するものではなく、「合理的かつ客観的な基準に基づく別異の扱い」は同条の差別にはあたらないとされる(セネガル独立前、フランス陸軍で軍務についたセネガル国籍の退役軍人がフランス国籍の退役軍人と比べ年金支給で差別をうけたゲイエ対フランス事件〔通報番号No.196/1986〕について1989年4月3日採択された国際人権〈自由権〉規約委員会の見解)。問題は外国人登録法による確認申請義務が、この合理的かつ客観的な基準に基づくものといえるかどうかである。


日本国は、この外国人登録法の確認申請義務の必要性として、(a)国民と外国人との基本的地位の相違、(b)外国人の公正な管理、(c)外国人は日本人と比べて日本社会に密着性が少なく、その居住、身分事項が明らかでないこと、などをあげる。


(a)は日本国籍の有無によって別異処遇の根拠としようとするものであるが、単に国籍を理由とする別異処遇は国際人権〈自由権〉規約26条で差別として禁止しているところである。


(b)についていえば、日本人とは異なって外国人のどのような公正な管理が必要なのかが、具体的に明らかにされる必要があり、確認申請義務がその必要性を満たすかどうかが問題にされねばならない。しかし(b)のみでは何ら具体性がなく、合理的かつ客観的基準による別異扱いとはとうてい言いがたい。


(c)は(b)の内容を具体化したものともみうる。なるほど特に短期滞在の外国人は日本社会への密着性が少ないといえるかもしれない。しかし外国人は外国人登録の際に居住事項(居住地)を登録することが義務づけられている。居住地(住所)の移転があることは日本人も外国人も同じである。


外国人登録法9条は、登録外国人が居住地を変更した場合は14日以内にその変更登録を市町村役場にすることを義務づけ、これに違反するとその外国人は1年以下の懲役または20万円以下の罰金に処せられる。この14日以内の変更登録義務及びその違反に対する刑事罰の規定自体問題とされているところであるが、このような義務を課しながら、なお居住地その他の登録事項の変更の有無を問わず一律に5年毎に確認申請義務を課すことは、屋上屋を架すものであり、その合理性は極めて疑わしい。


また身分事項が明らかでないことがあげられている。しかしそもそも外国人登録法は外国人について父母、兄弟の氏名一般を登録事項とはしていない。世帯主との続柄が登録事項となっているのみである。そして居住地などと違って身分事項はたびたび変わることではない。これは結局、兄弟など登録外国人が入れ替わることを防止せんとすること、あるいは外国人の同一性の有無を親族関係から特定しようとするものと思われる。なるほど登録制度の趣旨からすれば登録外国人の同一性の確認は当然求められることであろう。しかし具体的に同一性、入れ替わりの疑いが生じた件について調査するのはともかく、数十万人にも及ぶ多数の16歳以上の登録外国人に一律に5年毎の定期的な確認申請義務を課してまでその同一性を確保することの合理性、必要性は極めて疑問である。さらに、この定期的な確認申請の際に外国人の入れ替わりが発見されたという事例は全く報告されていない。


以上みてきたように、日本政府のあげる外国人登録法の確認申請義務の必要性としては、登録事項の正確性の確認、及び登録外国人自体の同一性の有無の確認であると思われる。しかしいずれにおいても16歳以上の登録外国人に一律にこの定期的確認申請義務を課する合理的かつ客観的基準があるとはとうてい言いがたいところである。


特に第2次大戦終了前から日本に在住する韓国・朝鮮人及びその子孫など永住資格をもった外国人は、日本社会との密着性が乏しいとはとうていいえず、彼らの居住事項や身分事項が日本人に比べて明らかではないとも言いがたい。また外国人登録法の対象となる登録外国人の大多数がこのような人々であるところ、彼らにも確認申請制度が等しく適用され、日本で生まれ育ち、永住資格をもつ2世、3世についても死ぬまで登録事項の変更の有無にかかわらず5年毎の確認申請が義務づけられており、特にその不合理性が指摘されているところである。


以上外国人登録法による確認申請義務及びこの違反に対する刑事罰の規定は、国際人権〈自由権〉規約26条に違反するものと考えざるを得ない。


第4 公務員採用差別問題〔2条、26条〕

1 第3回日本政府報告書の内容

第3回日本政府報告書第2条4(a)(2)では、「外国人の公務員への採用については、公権力の行使又は国家意思の形成への参画にたずさわる公務員となるためには、日本国籍を必要とするがそれ以外の公務員となるためには必ずしも日本国籍を必要としないものと解されている。在日韓国・朝鮮人の公務員の採用についてもこの範囲で行われている」とされている。


2 戦後の日本政府の対応

国家公務員は言うまでもなく、公立学校教員を含む地方公務員の職からも在日韓国・朝鮮人を締め出しておこうというのは、戦後独立を回復して以来、日本政府の確固たる意思のように見受けられる。


日本政府は、1952年のサンフランシスコ講和条約の発効に合わせて、在日韓国・朝鮮人の日本国籍を一斉に剥奪する措置をとった。それまでは植民地人である朝鮮人・台湾人も日本の国家公務員、地方公務員の職についていたが、日本国籍の剥奪を境に、採用の門は固く閉ざされてしまった。


1953年、内閣法制局は国家公務員について、「一般にわが国籍の保有がわが国の公務員の就任に必要とされる能力要件である旨の法の明文の規定が存在するわけではないが、公務員に関する当然の法理として、公権力の行使又は国家意思の形成への参画にたずさわる公務員となるためには、日本国籍を必要とする」との見解を発表し、同年人事院事務総長も同旨の見解を出した。


当初、この「公権力の行使、または国家意思の形成への参画にたずさわる公務員」の範囲は、技術職員や臨時の職員を除いたもので、むしろ高級官僚などを意味するかなり限定的な範囲の職員と解釈されていたが〔1957年人事院事務総長回答〕、後には次第に拡大解釈されていった。


1973年、自治省は、外国人の地方公務員への採用について、前記法制局の見解中の「国家意思」を「地方公共団体の意思」と置き換えた上で、「公権力の行使、または地方公共団体の意思の形成への参画にたずさわる、および将来たずさわることが予測される公務員(一般事務職員、一般技術員等)となるためには日本国籍を必要とする」との見解を明らかにし、外国人の地方公務員の職からの排斥を解釈上容易にした。


なお1986年内閣法制局は、保健婦、助産婦、看護婦については専門的、技術的業務であって国籍要件を付する必要はないとの見解を示した。


3 現実の採用状況

政府は上記の見解について、具体的にどのような職がそれにあたるかは、当該職の内容に則して具体的に判断されるべきであり、地方公務員の職の場合は、各地方自治体がこれを自ら判断すべきであるとしてきた。しかし、このような政府見解はきわめて漠然としており、どんな職でもこれに含めてしまい、外国人は一切採用しない方針の地方公共団体が全国722の地方公共団体の3分の1にものぼっている〔1990年5月18日の毎日新聞夕刊〕。


1983年9月、国立または公立の大学における外国人教員の任用等に関する特別措置法により外国人を大学の教職員として採用することが可能となってからも、政府は、公立の小中高等学校の教諭の職務は公の意思形成に参画するものであり外国人は採用できないとしてきた〔同法の施行に関する通知(文人審128号)〕。


政府報告第2条4(a)(3)iのようにようやく、1991年3月22日政府は通知を出し公立学校教員についても常勤講師として採用するよう指導したが、これによってこれまで教諭として採用してきた大阪市などでは、かえって常勤講師としてしか採用しなくなるなど教員の身分の差別の問題も出てきた。


在日韓国・朝鮮人や中国・台湾人の地方公務員の採用実績もわずかに一般職常勤者514人(韓国・朝鮮382人、中国86人、台湾46人、1988年4月1日現在〔自治省公務員第1課調査〕)にとどまっている。


この自治省の調査の時点で、全国の一般職地方公務員(常勤者)は2,984,392人であるから、前記人数はそのわずかに0.017%(1万人に1.7人)にすぎない。1988年の日本の人口は122,783,000人〔総務庁統計局「推計人口」による〕であるから、日本国籍保有者の場合は、その約2.43%(100人に2.43人)が地方公務員に採用されている。在日韓国・朝鮮人および中国・台湾人は同年12月末日現在でそれぞれ677,140人と129,269人であるから、日本国籍保有者と同じ比率で計算すると、在日韓国・朝鮮人は16,454人、中国・台湾人は3,141人が採用されていてよいが実際は382人と132人と、あるべき採用実績の約500分の1と25分の1にすぎない。この数字の開きは、これらの人々の在日の経緯も、日本社会の構成員としての生活実態も無視した民族差別である。


さらに、採用された職の種類は、医師と看護婦といった医療技術職が336人であり、一般事務職が35人、教育公務員が39人にすぎない。その原因は、自治省がこれまで一貫して、外国人を一般事務職や一般技術職、消防、警察、教員、獣医師、薬剤師等の地方公務員に採用することは基本的に認められないと、地方自治体を強力に指導してきたからであり、このような取り扱いは国際人権〈自由権〉規約2条および26条に違反する。


第5 戦後補償に関連する外国人に対する差別的取扱い〔26条〕

1 日本のアジアに対する戦争中の加害
日本の加害の事例

日本は、1931年の柳条湖事件を契機として本格的な中国東北部(旧満州)侵略を開始した。1932年満州国を建国し、国際的非難の中で日本は国際連盟を脱退した。1937年日本軍と中国軍が衝突し日中戦争がはじまる。日本軍は華北、華中、華南の重要都市を次々と占領したが、平頂山虐殺、万人抗の死体捨場事件、731部隊による人体実験、南京大虐殺が生じた他、殺人、強姦、放火、略奪をくりかえし、さらには華北を中心に三光作戦(殺しつくす、奪いつくす、焼きつくす)といった無人政策がとられるに至る。また農村は荒廃し、強制連行、強制徴用がなされ、軍票の発行・使用の強制などの財産的侵害が行われた。1941年12月太平洋戦争がはじまり日本軍は6カ月の間に東南アジア全域を占領する。香港、フィリピン、シンガポール、ニューギニア、インドネシア(スマトラ、ジャワ、セレベス)そして太平洋の島々と続々と占領地を拡げていった。


当時日本は、大東亜共栄圏、アジア解放などの美名のもとに侵略したのであるが、強制的に植民地住民及び占領地の人々を戦争体制に兵士・軍属・従軍慰安婦等として、また軍需産業の労働力などとして動員して、大きな苦痛を与えた。さらに、東南アジア地域においては軍政(フィリピン・マラヤ・ジャワ・ビルマ)をしき、国防のため重要資源(石油など)の収奪をしたものである。とりわけ、最近日本政府高官も日本軍の関与を認めた従軍慰安婦問題は、朝鮮人・中国人のみならず東南アジアの占領地域の女性及びオランダ・オーストラリアなどの民間人女性をも性的奴隷に陥れて、人道的に許されない多くの悲劇を招いている。


このような日本の戦争によるアジアの被害は無数にある。以下未だに被害の回復を求めている事例を中心に指摘する。


a 韓国・朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)


(a) サハリン残留韓国・朝鮮人問題


戦争中、日本領であったサハリンへ多くの朝鮮人を炭鉱などの労働力として動員し、戦後日本人30万人は引き揚げたが、韓国・朝鮮人4万3千人は帰れなかった。現在、一時帰国と再会は可能になったが、帰国した韓国においては生活が困難なためいく多の障害が生じている。


(b) 被爆者問題


広島・長崎で被爆した韓国・朝鮮人のうち、約2万人が韓国に帰ったが、日本人被爆者と異なり、何の援護もないまま、被爆者としての苦痛を受けてきた。92年度まで日本政府は40億円の資金を拠出したが、その使途も制限され、日本人被爆者との差別も大きい。


朝鮮においては、被爆者の被害が次第に明らかにされつつある。しかし、日本政府は何らの対応もしていない。


(c) その他強制連行・軍人軍属・従軍慰安婦問題


上の2つのケースのほかにも、大量の戦争動員犠牲者が存在するが日本政府の援護は皆無である。特に最近明らかになりつつある従軍慰安婦問題について政府はこれまで日本軍との関与を否定してきたが、資料等が発見されたため、認めざるを得なくなった。しかし、現在まで何の対策も講じようとはしていない。


b 台 湾


同じく日本の戦争のために動員された台湾人は、戦後は、日本国籍がなくなり、補償から切り捨てられてきたし、当時の中華民国政府との取り決めも結局は1972年、国交が断絶したため結ばれなかった。


このため台湾人の戦傷者と戦死者遺族は、日本政府に対し、法の下の平等原則を定めた日本国憲法14条などを根拠にして日本人と同様の補償を求めて、訴訟を提起し、運動を内外で展開したので、1988年特別法が制定され、台湾人の日本人軍属戦死者の遺族、戦傷者に対し、1人当たり200万円だけの弔慰金・見舞金が支給されるようになった。


日本の最高裁判所は、1992年4月28日、台湾人らの請求を棄却する判決を下したが、その多数意見は、戦争被害の補償は、立法府の解決すべき問題としているが、少数意見は、台湾人らが、支給を受ける200万円によっても決して満足のいくものではなく、国政関与者の一層の努力を待つほかはないとしているとおり、日本人との補償の格差は、著しい差別状態のままとなっている。


c 中 国


最大の犠牲者である、1千万人とも2千万人ともいわれる死亡者をはじめ、731部隊の人体実験犠牲者や捕虜連行された被害者など摘示しきれないほどである。日中国交宣言(1972年)時に、中国政府は賠償を放棄したが個人的犠牲者の補償請求問題は残っているとして、現在中国でも論議が開始されている。


d 香 港


3年8カ月に及ぶ日本軍の香港支配中の被害のうち、特に軍票問題がある。香港ドルから強制的に日本軍の軍票に交換させられ、戦後は無効とされ、多くの財産的被害が残っている。


e フィリピン


日本軍の戦闘中の住民虐殺は中国についでフィリピンにおいて大量に発生している(200万人ともいわれている)。まだ組織だった被害者の運動はないが、戦後放置された人々の生活は悲惨である。


f マレーシア


日本占領中、中国人に対する虐殺もあり、マレーシア人を日本軍泰緬鉄道建設のため強制労働をさせ多くの死亡者が出ている。


g インドネシア


同じく日本による占領中、日本軍の補助的組織として数万人のインドネシア人を兵補(軍属に準ずる)とした。多くの死亡者を出し、日本敗戦後は放置された。


 以上のように、アジア地域での日本による被害者が現在も多く散在しており、その多くは団体を結成し、日本政府に対して補償要求の運動をしているが、誠意のある回答を受けるに至っていない。


前述のように一部で一定の施策が行われているが不充分なものであり、現在、日本の裁判所で裁判中の補償請求事件もいくつかある。


日本政府の国際人権〈自由権〉規約違反

日本政府は国際人権〈自由権〉規約26条〔内外人平等原則〕に関連して、戦後処理については何の問題もないかのようにいう。しかしながら、前記韓国・朝鮮と台湾に関連していうと、年間2兆円にも及ぶ日本の戦後処理・援護の予算は、日本人に対するものであり、関係法令には全て国籍条項を設けて、韓国・朝鮮人、台湾人を排除している。


例えば、戦傷病者遺族等援護法によると、戦争で負傷した元軍人・軍属は1人当たり200万円から400万円の障害年金が、戦争で死亡した軍人・軍属の遺族には約160万円の年金が、それぞれ支払われているが、同法の国籍条項のため、当時日本兵や日本軍の軍属であった朝鮮人・台湾人には一銭の援護もないという極端な不公平がある。


日本政府は、サンフランシスコ平和条約(1952年)や個別条約で賠償問題は解決したというが、台湾人に関しては何の取り決めもないばかりか、個人の戦争被害者には何ら補償がなされていない。理論的にも国家間の条約で個人の権利は原則的には消滅しない。従って、日本政府は少なくとも日本人に対すると同様の援護措置をその居住地の如何を問わずとらなければならない。これについて何らの対応もしない日本政府は、後に述べるように、在日韓国人の場合と同じく国際人権〈自由権〉規約26条違反を免れないと考える。


さらに、元植民地のみでなく、日本軍が占領中の軍政下において、アジアの前記指摘した諸地域において、軍務に服せしめたり、強制労働を強いたケースや、軍票などにより財産的被害を蒙らせたケースなどにおいて、その労賃を支払わず、労働中の災害を補償せず、また、軍票などの被害回復をしないなどは、日本人に対する補償との差別であり、同じく国際人権〈自由権〉規約26条に反するおそれがある。


2 在日外国人と戦争被害補償法の不適用
はじめに

第3回日本政府報告書では、国際人権〈自由権〉規約26条の項において在日外国人への戦争被害補償法の不適用の問題について全くふれていない。


韓国・朝鮮人、台湾出身者の国籍

日本は、第2次世界大戦により約250万人が死亡あるいは行方不明となり、そのうち陸軍軍人・軍属は143万人、海軍軍人・軍属は42万人とされている。第2次世界大戦においては、当時日本の植民地であった韓国・朝鮮人、台湾出身者も日本国籍を有するものとされ、多数の者が大日本帝国陸軍あるいは海軍の軍人・軍属となった。彼らは日本のために戦争に参加し、やはり多数の者が死亡し、あるいは負傷し、ある者は戦後シベリアに抑留され、また戦犯として責任を追及された者もいる。これら旧植民地出身者は日本の敗戦後、独立を回復した母国に帰国した。しかし約60万人の韓国・朝鮮人、台湾出身者は戦後も引き続き日本に在住している。母国に帰国した人々についてはその時点で日本国籍を喪失したものとされた。また戦後も日本に在住する人々については、なお日本国籍を保有するものであったが、日本政府はこれらの人々について日本が独立を回復した1952年サンフランシスコ平和条約の発効と同時に日本国籍を喪失した、との取り扱いをしている。


日本の戦争被害補償法

そして日本は戦後一連の戦争被害補償法を制定した。これら主な法律と給付内容等は以下のとおりである。


法律名 給付 国籍条項
戦傷病者戦没者遺族等援護法 障害年金及び障害一時金 遺族年金及び遺族給与金 弔慰金 11条2号 14条1項2号 29条1項2号 31条1項2号 38条2号
戦没者等の妻に対する特別給付金支給法 特別給付金 〔2条〕
戦没者の父母等に対する特別給付金支給法 特別給付金 〔2条〕
戦没者等の遺族に対する特別弔慰金支給法 特別弔慰金 2条 2条の2、1号
戦傷病者特別援護法 療養の給付、療養手当等 4条3項
戦傷病者等の妻に対する特別給付金支給法 特別給付金 3条1号
未帰還者留守家族等援護法 留守家族手当 2条
未帰還者に関する特別措置法 戦時死亡宣告を受けた未帰還者の遺族への弔慰料未帰還者留守家族等 援護法2条
引揚者給付金等支給法 遺族給付金 8条

これらの法律にはいずれも国籍要件があり、戦後帰国した者あるいは日本に在留を続けたものの1952年以降日本国籍を喪失したとされた者には適用されない。


国籍要件について

上記の国籍要件は、いずれも日本人と日本国籍を喪失した旧植民地出身者とを別異に扱うものである。従って、国際人権〈自由権〉規約26条の適合性の問題が生ずる。同条は国籍による差別をも禁止しているものであるところ、合理的かつ客観的基準による別異扱いは許されると解されている。例えば戦傷病者戦没者遺族等援護法は、軍人軍属の公務上の負傷もしくは疾病または死亡に関し、軍人軍属であったものまたはこれらの者の遺族を、国家補償の観点から援護することが目的とされる。


これについては、国際人権〈自由権〉規約委員会が取り扱った前記ゲイエ対フランス事件が先例としての意義を有する。同事件で、国際人権〈自由権〉規約委員会は年金は提供された軍務に対して提供されるものであるから国籍は関係ないとして、フランス国籍をもたない者への年金支給額の減額を国際人権〈自由権〉規約26条に違反するとした。


同様に戦傷病者戦没者遺族等援護法については、日本国の軍人軍属が公務上負傷、疾病または死亡したことを原因として本人またはその遺族の援護を目的として各給付がなされるものであるから、その後の日本国籍の喪失は関係ない。戦後本国に帰国した人々、または引き続き日本に在住を継続した者のいずれについても、等しく戦傷病者戦没者遺族援護法の各給付の適用がなされるべきである。同法以外の戦争被害補償についても同様であろう。


日韓請求権協定について

また日本政府は、韓国人については、1965年の日韓請求権協定により解決済みと主張する。しかし、同協定は在日韓国人の権利については消滅の対象としていない。従って在日韓国人への適用については同協定は、何らその排除の根拠たりえない。また、条約による国家の賠償請求権放棄は、個人の請求権との関係でいえば外交保護権の放棄にすぎないものであるから、韓国人であっても個人として前記の戦争被害補償法の適用を求めることに何ら支障がない。この理は日本政府自身が日韓請求権協定について認めている〔1991年8月27日参議院予算委員会における外務省条約局長答弁〕。従って、韓国人は、日本国に在住する者もそれ以外の者も、日韓請求権協定によって、いずれも上記各戦争被害補償法による給付を受ける権利を喪失したとはとうていできないのである。


以上のように、上記戦争被害補償法の適用について、旧植民地出身者で日本国籍を喪失した者を除外する国籍条項があるが、これは国際人権〈自由権〉規約26条に違反するものである。


第6 外国人労働者問題

1 医療保障〔2条〕
はじめに

わが国の医療保障制度は、現在生活保護法以外については国籍要件は廃止され、外国人であっても一応保障が受けられる制度となってはいる。しかし、その運用実態については数々の問題がある。


また、生活保護法に基づく医療扶助については、生活保護法が「国民」に対する制度であると規定しているために、外国人の医療、特に緊急医療に関し深刻な問題が生じている。


第3回日本政府報告書では、外国人の地位、権利について「外国人の権利については、基本的人権尊重及び国際協調主義を基本理念とする憲法の精神に照らし、参政権等性質上日本国民のみを対象としている権利を除き、基本的人権の享有は保障され、内国民待遇は確保されている」と断言しているが〔第2条3〕、実態は決してそうではなく、医療保障ひとつをとってみても、後に述べるような基本的人権の侵害、国民との差別が生じているのである。


また、同報告書では、近年わが国において外国人の人権との関係で問題とされる主要な事案である医療保障については全く触れていない〔第2条4〕。このこと自体、政府が外国人の医療保障問題につき、いまだ何等の対策をたてていないことの現れであるといえよう。


現状と問題点

以下、わが国の外国人に対する医療保障に関する法制度の現状と問題点につき、個々の制度ごとに検討していく。


A 労働災害保険について


労働災害保険は、日本人であるか否かにかかわりなくすべての労働者に対し適用がある。しかし、被災者がいわゆる「不法就労者」の場合、使用者も労働者も不法就労の発覚による不法就労助長罪や強制送還を恐れたり、制度を知らないことなどから申請をしないことが多い。また、申請をしたとしても手続き中に帰国を余儀なくされ、手続きが困難になったり、療養保障給付の場合に診断・診察が不可能になったりすることもある。


このような問題を抱える不法就労者が従事する職業は、いわゆる「三キ労働」*といわれる危険労働である場合が多いためとりわけ有傷病率が高く、労働災害保険の必要性も高いのである。総務庁の調査によると、1990年度の労働災害発生件数115件のうち81件が「不法就労者」であったという〔1992年1月総務庁「外国人の就労に関する実態調査結果報告」(以下「総務庁結果報告」という)153頁〕。


*一般にいう「3K」と同旨(きつい・きたない・危険)。


B 国民健康保険について


国民健康保険も国籍要件は撤廃されてはいる。しかし、実際外国人の加入率は低い。総務庁が6市(区)町の外国人登録者の中から国民健康保険の適用対象とみられる者を抽出し、その適用状況を調査したところ、適用率は14.9ないし57.9%となっており、国民健康保険が適用されるべき者で適用されていない例がみられたとのことであった〔総務庁結果報告175頁〕。


C 健康保険について


健康保険も雇用されて働く者であれば、日本人であるか否かを問わず適用されることになってはいる。しかし労働者であることが前提条件であるため、外国人の場合、短期滞在者、留学生等の在留資格を持つ者等は健康保険の適用を受けられない。


また、健康保険は従業員5人未満の事業所の従業員たる労働者、臨時的・季節的業務に使用される労働者は適用対象から外されているが、外国人労働者はこの適用除外にあたる場合が極めて多いのである。


また適用対象になる場合でも外国人の加入率はかなり低いものと思われる。総務庁が調査したところによれば、調査対象となった15社会保険事務所等の中で、管内の適用事業所で健康保険を適用すべき外国人労働者が未加入となっている例が7例あったとのことであった〔総務庁結果報告176頁〕。またある事業所では187人の日系ブラジル人従業員が健康保険適用漏れとなっていたため、適用を指導したところ、15人は適用されたが他の者は保険料が高額であることを理由に退職してしまった例も報告されている〔同報告176頁、187頁〕。


D 医療扶助について


a 日本国民の場合、労働者災害保険・健康保険・国民健康保険のいずれの適用も受けられない場合でも最終的には生活保護法に基づく医療扶助制度によって、医療費の支払いを受けることが可能である。よって医療費が支払えないことによる診療拒否が発生する危険は回避されている。この点、外国人についてはどうであろうか。


b 生活保護法によれば、生活保護は「国民」に対する制度とされており、文言からすると外国人は生活保護を受けられない。


しかし、実務的には1954年5月の厚生省社会局長の通知〔1954年5月8日社発382号〕* によって「当分の間、生活に困窮する外国人に対しては、一般国民に対する生活保護の決定実施の取り扱いに準じて左の手続きにより必要と認められる保護を行うこと」とされてきていた。同通知では外国人が保護を受けるための要件として有効なる外国人登録証明書が呈示される必要があるとし、それができない場合には、「急迫な状況にあって放置できない場合でないかぎり申請却下の措置をとるべきである」としている。これは逆に言えば「急迫な状況にあって放置できない場合」であれば、有効な外国人登録がない外国人であっても保護してよいと解することができる。


そこで現に各地の地方公共団体では短期滞在者等に対しても医療費の支払い能力がない場合には医療扶助を行ってきた。


*昭和29年5月8日付各都道府県知事あて厚生省社会局長通知。


c ところが、1990年2年10月、厚生省は生活保護指導監督職員ブロック会議において、生活保護準用の対象となる外国人は出入国管理及び難民認定法別表2記載の者等に限られると口頭指示するようになった。すなわち、短期滞在者や不法滞在者等は生活保護の対象とはならないと指示したわけである。この口頭指示(以下、厚生省口頭指示という)は以下に述べるように外国人の医療につき深刻な事態をもたらしている。


(a) 神戸市灘区に住むスリランカ人就学生(29歳)は、1990年3月くも膜下出血で倒れ、神戸市内の病院で手術を受けた。しかし、同人は治療費を支払えなかったため、神戸市に生活保護の医療扶助を申請し、認められた。ところが、1991年3月、厚生省から神戸市に不当支出であるので取り消すように指示があり、神戸市はいったん支払った治療費を就学生に請求することもできず、困惑している。


(b) また、埼玉県三郷市に住むバングラディシュ人男性(38歳)は1990年9月から約1カ月間糖尿病で入院したことについての医療扶助を三郷市より受けたが、三郷市も1992年4月、厚生省から神戸市と同様の指示を受けている。


(c) 京都府八幡市に住むフィリピン人女性(45歳)は短期ビザで来日後、超過滞在して稼働していたものであるが、1991年3月くも膜下出血で倒れ、京都市内の病院で手術を受けた。同人もやはり治療費の支払能力がなく、同年4月八幡市に生活保護の申請をしたが、先の厚生省口頭指示がネックとなっていまだ申請は認められていない。


(d) その他総務庁の調査によっても、外国人に医療費支払能力がないために、医療機関が未払医療費を負担せざるを得なくなった事例がいくつも報告されている〔総務庁結果報告198頁ないし200頁〕。


(e) 外国人を診療しても医療扶助を受けられないということになれば、医療費の焦げ付きが出ることを見越して治療を拒否する医療機関が続出することは必至である。そうなれば病院のたらい回しによる手遅れの事態も多発するであろう。現に1991年1月、短期ビザで来日後東京都内で稼働していたマレーシア人男性が虫垂炎の手術を断られ、重症の腹膜炎になった事例もある。


(f) また、医療費の焦げ付きを覚悟で外国人の診療をしている診療機関は深刻な経営難に陥っている。しかもこのような善意の病院の存在は、外国人の間で口コミで伝えられ、無資力な外国人患者が増え、ますます窮地に追い詰められるという不公平な事態が発生している。外国人労働者の患者が多い横浜のある診療所では、互助会制度を導入し、医療費の一部を会費で賄うなどの自衛策をとってはいるが、それでも経常赤字は解消できていないのである。


 総務庁結果報告201頁にも次のような指摘がある。「地方公共団体に対して、地方医師会から『支払い能力のない者に対しても医師法上の義務、人道的な見地から診療を拒むことができず、医療費の未収の問題に苦慮しており、問題解決の対策を求める』旨の要望書が提出されている例がみられるほか、今回調査した病院においても、外国人の医療費が未収となった場合の負担を医療機関のみが負わざるを得ないことは合理性を欠くので、国で何らかの対処方策が必要であるとの意見が少なくない」


生活保護の申請を受け付ける現場としては、必ずしも厚生省口頭指示が正当なものであるとは考えていないようである。現に、八幡市福祉事務所は1991年5月、京都府と厚生大臣に宛てて外国人に対する生活保護の準用に関する要望書を提出しており、また八幡市長は同年4月、内閣総理大臣、厚生大臣、京都府知事に宛てて、在日外国人保護対策の確立に関する要望書を提出している。全国の地方公共団体も相次いで厚生省の態度に反発し、1991年9月12日、12政令都市は一致して厚生省口頭指示の撤回を求めている。


2 日本人の母の退去強制、無国籍児〔23条〕
「日本人の親」の在留資格

出入国管理及び難民認定法が規定する在留資格には、「日本人の配偶者」「日本人の子」というものがあるが、「日本人の親」というものはない。


そのため、実際のケースでは、例えば日本人の夫と離婚した外国人の女性は、子どもがいて「日本人の親」であったとしても、在留資格が認められないのである。子どもに対する親権者をあきらめて、帰国をするか、子どもの親権者となり、子どもを連れて帰国するかの2つの道しかない。つまり、従来「日本人の配偶者」として、在留資格があったとしても離婚をしてしまえば、他に在留する手段が一切存しないのである。


子どもが一定年齢に達し、日本語しか話せず、子ども自身が母親と一緒に帰国することを望まなければ、1人で帰国せざるを得ないのである。


「日本人の親」という在留資格がないことから生ずる問題点であると考える。このことは、国際人権〈自由権〉規約23条1項に反している。


「配偶者ビザ」

また結婚をしても「配偶者ビザ」が取得できないということがある。つまり、資格外活動やオーバースティにいったんなり、出入国管理及び難民認定法に反すると、その後に結婚をしても国外退去を命じられ、「配偶者ビザ」を取得できないというケースが、今日の日本において数多く発生している。


もちろん出入国管理及び難民認定法に違反するということは、問題であるかもしれない。


しかしながら、若干の例外を除いて、いったん違反になってしまえば、結婚をしても配偶者ビザを取得できないことは、夫婦や恋人の中を引き裂き、長期間の別離を強制するもので、人権問題となっている。


さらに、出入国管理及び難民認定法違反として国外退去になれば、法律により1年間は再入国できず、しかも必ず再入国できるという保障はどこにもないのである。このことは国際人権〈自由権〉規約23条1項に反している。


従って、いったん「違法」になっても、「合法」に滞在できるような立法を設けるか、せめて「配偶者ビザ」の取得の場合には、例外的に滞在を認めるような法律改正や運用が必要である。


国籍のない子ども

1991年、長野県の「国籍のない子」のことが新聞紙上などで話題になった。あるアメリカ人の宣教師の夫婦が、それぞれフィリピン人女性、タイ人女性の子どもを1人ずつ引き取ったが、その2人の子どもには国籍がないのである。


日本の国籍法2条3号により、日本で生まれて両親の知れない子どもは日本国籍を与えられる。しかしながらこのケースにおいては、母親の方はそれぞれフィリピン人、タイ人であることはわかっており、日本の政府の解釈によれば、両親の知れない場合にあたらないとされたのである。他方、フィリピン大使館、タイ大使館は、母親が出頭せず、本当にタイ人、フィリピン人の母親であると確定できないことを理由に双方の大使館もそれぞれフィリピンの国籍、タイの国籍を与えることを拒否した。そのため子ども2人は、国籍を持ちえていないのである。


そのため1人の赤ん坊であるアンデレ君(1歳)は、1992年3月11日日本国を相手に日本国籍存在確認訴訟を提訴した。このケースは、母親の居場所が不明となっているケースであり、両親が知れない場合として、日本国籍を与えるべきである。


子どもが無国籍児となっているこのケースは、国際人権〈自由権〉規約24条3項に反している。


3 外国人労働者の労働法上の現状と問題点〔8条〕
はじめに

出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という)が規定する27種類の在留資格のうち、就労が認められる在留資格は、投資・経営、法律・会計業務、技術、人文知識・国際業務などの16種類であり、いわゆる単純労働は認められておらず「不法就労者」となる。


入管法上は、かかる「不法就労者」に対しては、同法によって退去強制事由に該当することになるとともに、処罰の対象ともなる。また、雇用主に対しては、同法の不法就労助長罪によって処罰されうる。


他方、労働基準法、職業安定法等の労働諸法令は、日本人であると外国人であるとを問わず、また、「不法滞在」、「不法就労」であるか否かにかかわらず、その適用に差をおいておらず、右労働諸法令は外国人労働者にも当然に適用がある。


このことは、労働省の通達〔基発50号、職発31号〕* でも明らかであり、右通達は次のように述べている。「職業安定法、労働者派遣法、労働基準法等労働関係法令は、日本国内における労働であれば、日本人であると否とを問わず、また、不法就労であると否とを問わず適用されるものである……」


*1988年1月26日付、各都道府県労働基準局長、各都道府県知事あての労働省労働基準局長及び労働省職業安定局長による「外国人の不法就労等に係る対応について」と題する通達。


外国人労働者の就労実態

法務省の発表によれば、1991年1月現在の日本における外国人「不法滞在者」数は、216,399名であった。彼(彼女)らの多くは、アジア地域の出身者であり、いわゆる「不法就労者」であることや、日本社会におけるアジアの人々に対する差別的意識も相俟って、数々の人権侵害を受けている。特に、本来適用されるべき労働諸法令は、彼(彼女)らに対して、現実には適用されていない場合が著しく多く、以下に述べるような劣悪な労働条件下で働かざるをえない実態となっている。


A 低賃金


男性外国人労働者が就業する業種は、土木作業員、工員、雑役等いずれも日本の若者が居つかぬ単純肉体労働部門が多い。彼らの賃金は日本人の5割から7割程度が多く、たとえば、土木建設現場の作業員の場合、平均日給14,000円~15,000円のところが、彼らの場合には平均6,000円~7,000円となっている場合が多い。労働基準行政機関によれば、ほとんどが日給制、時間給制のところで働かされており、日本人労働者との賃金差についても、日給1,500円から5,500円もの差が出ているところもある。報酬総額についても、100万円未満の占める割合が70%と高く、低賃金で働かされていることが統計上も明らかとなっている。確かに建前上は、最低賃金法5条の適用はあるが、現実の労働契約が口頭約束であり、また「不法就労者」であることから低賃金に甘んじているのが実態である。


B 賃金不払


悪質なリクルーターや、暴力団がらみの就労先の場合には、ピンハネなどの中間搾取によってほとんど手取り給料がないか、額面の数分の1という実態もある。


かかる賃金不払の場合も労働契約が口頭約束のみであり、業者自体が労働契約を認めないとか、会社名や、就業場所、契約内容を特定できないものが多く、賃金支払請求について、それを基礎付ける証拠がないのが実態である。


また、彼らは不安定雇用形態で雇われているがゆえに、雇主にとっては必要な時まで使い、不要となった時は何時でも解雇できる対象で、常時失業不安の状態におかれている。


ある韓国人学生の場合、彼は日本にいる実母を頼って来日し、三重県の飯場で働いていた。ところが、同じ飯場の日本人労働者によって、態度が悪い(言葉がよく通じない)という理由で集団暴行を受け、緊急入院させられた。加害者との交渉の過程で彼の「給料明細書」を見ると、内容不明な項目によって多額のピンハネがなされていた。


C 労働災害


外国人労働者の場合、日本人がいやがる劣悪な労働環境で働かざるをえない例が多く、業務上、けがや事故に遭う例も多い。この場合、現行労働者災害補償保険法では、国籍条項がなく、全ての外国人労働者も適用の対象となっている。しかし、実際上は「不法就労者」であるがゆえに労働基準監督署に申告できないでいるものが多数存在している。前記労働省の通達〔基発50号、職発31号〕では、「入管法違反に当たると思われる事案が認められた場合には、出入国管理行政機関にその旨情報提供すること。」とされており、労働基準監督署等が労災認定申請を受けた際に、申請者が「不法就労者」であると分かった場合、入管局に通報する場合があり、それによって退去強制を受けるおそれがある。このように、労災認定申請をしたり、労災補償の申請をすること自体が退去強制を導き、実際には労働諸法令が適用される前に出国させられてしまい権利救済が受けられない場合もある。また、「不法就労」外国人を雇っていることが発覚するのを恐れた雇用主が、独自に見舞金などを払って事故を隠し、外国人労働者が「泣き寝入り」させられる例も少なくないとみられる。


D 女性労働者の実態


女性外国人労働者の就労する業種は、法務省の1990年度「不法就労者稼働内容」によれば、ホステスが55.6%で最も多く、売春を強要されるなど著しい人権侵害を受けている外国人女性が多い。


例えば、あるタイ女性は「日本でレストランのウエイトレスをすれば、金になる」と言われて来日したが、仲介業者から、田舎のスナックに250万円で売られた。彼女は経営者の家に何人かのタイ女性と一緒に住み、パスポートを取り上げられたうえ、1日の食事は1食だけに制限され、家の裏庭に出ることも禁止され、昼はメイドの仕事をさせられた。夜になるとスナックに車で連れていかれホステスをしながら、買春目的の客がくると、ホテルに車で運ばれて売春をさせられていた。経営者は250万円で買ったのだからその金は返してもらわねばならない、これを払い終わったら彼女に賃金を支払うと約束した。しかし、経営者は、タイ語で話してはいけない、外に出てはいけない、など数多くの禁止項目を設け最低でも5,000円の罰金制度を設けて、毎日、次々に罰金と言って差引き計算をするので、彼女が逃げ出すまでの9カ月の間1銭も賃金を支払ってもらえなかった。そればかりか1日に1食しか食べさせてもらえないので、空腹のあまり、客に頼んで食事をとって貰って食べたところ罰金として差引かれ、さらに、家の台所にあった食べ物をこっそり食べたときには、罰金を引かれただけでなく経営者の妻にひどく殴られた。経営者の妻は彼女が客から貰うチップについても、毎日身体検査をして、ことごとく取り上げた。店が休みのときでも、客から家に電話があれば、ホテルに売春をしに行かねばならず、病気のときでも休ませてもらえず、包丁を突きつけて脅されたこともあった。


また、別のタイ女性は成田空港から、山の中の家に連れていかれ、外からロックされ、ガードマンのいる家に2人で1部屋を与えられ、客が来るとその部屋で売春をさせられた。その家には15、6人のタイ女性が連れられてきており、経営者が食事の材料を買ってくるので、自分達で食事をつくって1日2食食べていた。彼女は350万円で売られたと聞かされ、売春をしてこの金を返済し終わったら賃金をもらえると言われていたが、ここでも経営者は自分のつくった禁止事項に違反すると言っては金を差引くので(ここでは罰金ではなくタックスと言う)、賃金は1銭ももらえなかった。彼女たち2人は、2階の窓から、外へおりて逃げ出したのである。


これは首尾よく逃げることができた例であるが、逃げられない場合はより悲惨である。千葉県では、同じような状態で、罰金を差引かれながら売春をさせられていた11人のタイ女性のうち1人が逃げたが、すぐ連れもどされ、彼女は1週間の間、昼はロープで手足を縛られて部屋に転がされ、夜になると皆の前で上半身裸にして木刀で殴られ、傷口に唐辛子を擦り込まれた。この経営者は、警察が摘発し、6人の暴力団員を逮捕したが、警察の調べでは、1年間に28人の女性に1,900人の買春客をとらせ、4,600万円を稼いでいたと報道されている。


また、1991年12月18日、茨城県でタイ女性3人がタイ女性の経営者(背後には日本人暴力団がいる)を殺す事件が発生した。彼女達も350万円で売られ、さらに、数々の禁止事項に違反したと言っては罰金を差引かれ、1銭も賃金をもらえず売春させられていた。逃げるとタイにいる両親を殺すと脅されていたので、逃げることもできず、追いつめられた彼女たちはついに経営者を殺してしまったのである。1992年5月21日、東京都で台湾女性のスナックママが、同様の状況のもとで、タイ人女性6人に殺される事件が発生している。


1988年8月の国連人権小委員会現代奴隷制作業部会に、名古屋市でフィリピン女性が「座敷牢」に監禁され、売春を強要され、いやがると殴る、蹴るの暴行を加えられて、脅迫されていた事件などが報告され、「外国人女性の受入れ国は売春ないし奴隷的状態における搾取を受けぬよう女性を守るための保障をすべきこと」などを内容とする決議がなされたが、その後も外国人女性の状態は改善されず、前記のように一層ひどくなっている。


さらに、このような性的搾取が横行している背景には、売春についての警察など政府の対応の弱さが指摘されねばならない。1989年10月、奈良県で90人を超えるフィリピン女性が、暴力団が見張っているので、買い物に行くほかは一定の地域の外に出られない状態で売春をさせられていた事件がおこった。新聞が報道したため、警察が一斉にその地域を捜索し、それまでに約3,000人のフィリピン女性を「輸入」していた仲介業者のフィリピン女性ほか売春宿の経営者の何人かが逮捕された。しかし、その日に実際に救出することができたのは救援グループと直接接触がとれた3人だけであり、他の約90人は警察が摘発する前に車でほかへ移動させられてしまった。報道によれば、仲介業者の刑事裁判の中で、売春業者は、警察から事前に摘発をするとの情報を受けていたとの証言をした。


売春業者や暴力団と警察がつながっていれば、彼女たちの救出は困難である。


しかも、その後、6カ月の間に90人のうち23人の女性が発見され、母国に送還されたが、その他の女性たちがどこへ連れて行かれたのか分からない。


日本軍が関与した従軍慰安婦が、現在大きな問題となっている。設置や運営に積極的に関与するのでなくても、アジアの女性たちの人身売買、売春の強要、性的搾取を放置することは、50年前の政府の姿勢とも共通すると言われても仕方のないところであり、国際人権〈自由権〉規約7条、8条に違反する。


問題点

a 以上のごとく、「不法就労者」に対しても労働諸法令が適用される建前となっているが、現実には、言葉の不十分性、契約がほとんど口頭でなされており、権利救済にあたっては契約内容が特定できず、業者、会社名、労働現場も特定できない状況となっている。特に、労働省通達にもあるように、権利救済に向けて各種労働関連機関に申告をすれば、入国管理局に通報され強制退去を受け、また実際に労働諸法令が適用される前に出国させられてしまい、権利行使できずに違法状態のままにおかれているのが実態となっている。さらに、一旦強制退去させられた場合には、日本国内での司法救済は、証拠収集の困難性から、ほとんど不可能であり、裁判を受ける権利は保障されていないに等しい状態である。


b いかなる外国人労働者に対しても労働諸法令が適用され、労働基本権が保障される必要がある以上、まず、労働諸法令が入管法上の合法、不法を問わず全ての外国人労働者に適用されることを、文書によって事業主に直接周知徹底させる必要がある。また、外国人労働者に対して、彼(彼女)らに理解できる言語によって、日本の労働法上の権利について、ハンドブック作成などの具体的方策を講じ周知徹底することが必要である。


c 特に、外国人労働者の多くが、入管局への通報をおそれて、権利救済の申立てができない状態であることから、彼(彼女)らの権利を保障するために、人権侵害、権利救済の申告があった場合には入管局に通報しないとする取り扱いが必要である。


d また、「不法就労者」であるがゆえに強制退去の対象となり、権利救済が司法的救済も含めてほとんどできない現状に鑑み、現実に権利救済されるまでは強制退去されない「地位」を保障する必要が最低限必要となろう。また、労働諸法令違反の実態を広く世論に明らかにし、労働諸法令を守らせるために、政府関係機関、特に入管局が労働省、労働基準監督署、公共職業安定所に自ら知りえた労働諸法令違反の事実を通報し、使用者やブローカー等の違法行為に対して適切な刑罰権の執行と行政処分等を行い、悪質使用者やブローカーの暗躍を許さない体制を早急に作り出す必要がある。


4 日系外国人〔2条、26条〕
第3回政府報告書の2つの問題

a 第3回日本政府報告書は外国人労働者に関しても日本人労働者と同様リクルーターやブローカーの活動について、職業安定法及び労働者派遣事業の適正な運営の確保並びに派遣労働者の就業条件の整備に関する法律の規定を適用して悪質な人権侵害を取り締まっていると報告している。


b また、労働関係法規は、外国人労働者に対しても適用され、国籍による差別処遇は禁止されていると報告している。


実態は上記の法規違反がまかり通って、日系外国人の人権が集団的に侵害されている。


A 南米における日系人の大規模な労働者斡旋供給活動


ブラジル、アルゼンチン、ペルーなど南米諸国の国籍を持つ日系人2世・3世の労働者をビザ取得が容易であることにつけこんで、日本での単純労働に従事させるため、現地に連絡事務所を設けて、大規模に斡旋供給活動を行う不法業者が増加している。


これらの派遣業者は、無届でこの種の事業を行い、派遣先の日本企業から支払われる時給から、男性は1,600円のうち、600円、女性は、1,100円のうち450円をピンハネして中間搾取をしている(職安法、労働者派遣法違反)。


B 労働基準法3条(差別処遇禁止)違反その他労働関係諸法規違反の実態


日系外国人は大企業が直接雇用するのでなく、下請会社の季節工として企業に派遣される。そこでは、賃金についての日本人労働者との格差は余りないが「その他の労働条件」は大きく差別され、無権利状態が横行している。


例えば、世界の自動車メーカーとして有名なスズキ自動車工業では下請企業に多数の日系労働者が雇用されているが、それら日系人労働者には法律で定められた失業時や労働災害時の保険が適用されていない。


しかも、なかば強制的に「海外旅行傷害保険」に加入させられている。その保険料も一部前払いでその余は給与から天引きされ、残業をやっても月額手取り額20万円を割る状態である。家族は国民健康保険に加入して辛うじて支えられている。


また時に賃金の不払いも多い。


5 研修生・留学生・就学生〔17条、19条、26条〕

研修生は、法務省の定める研修計画基準を満たすカリキュラムにより日本国内の企業など公私の機関に受け入れられて技術・技能・知識を習得する目的で入国在留を許可され研修を受ける者である。


留学生は、日本国において大学またはこれに準ずる機関・専修学校の専門課程・高等専門学校・外国において12年間以上の教育を受けたものが大学に入学するための教育を行う機関で教育を受ける者である。


就学生は、高等学校・専修学校の高等課程または一般課程・盲学校・聾学校・養護学校の高等部その他文部省の定める各種の教育機関としての基準を満たした各種学校において教育を受ける者である。


以上各目的に該当することにより日本国に在留を許可されたものは、いずれもその在留の主たる目的は教育を受けることにあり、1990年12月末現在においてその在留者数は法務省の発表によれば下記の通りであり、その出身国について見ると先進7カ国以外のいわゆる発展途上国の占める比率は各括弧の中に示した数値である。


研修生 13,249人(96%)
留学生 48,715人(95%)
就学生 5,595人(97%)
研修生

研修生制度は発展途上国に対しての協力としては極めて有効な制度である。


しかし、日本国においては単純労働に就く労働者が不足していながらそのための外国人の入国を認めていないから、研修生の名目で入国させておいて単純労働に就かせるケースが多発している。


その結果、研修生は教育を受ける立場であるから1カ月8万円以内の「研修手当」と称する金銭は支給されるが、賃金の請求権は認められず、その他労働者としての保護も一切なく、労働者としての権利も認められない労働者となっている。


また研修生として受け入れて労働に就かせている使用者は、こうした違法状態を隠すために、直接間接に種々の手段を考案して研修生が企業外部の人々と接触することを妨害し、甚だしい例では事実上企業内部に軟禁に近い状態におく場合もある。


この結果研修生として入国している者の中には国際人権〈自由権〉規約17条に違反した生活上の拘束を受け、あるいは同規約19条に違反して情報を得られず、意見を持つことができず、また同規約26条に違反して日本国民の労働者と比較して著しく不利益な差別を受けて労務に服している事例が多発している。こうした制度の悪用を生ずる原因として3つのことが考えられる。


まずその1は絶対的に不足している単純労働力について、日本政府が何らの解決策も持っていないことである。


その2は研修生制度の実態についてチェック機能を持つ機関がなく、直接研修生から実態をヒアリングする制度もないことである。


その3は研修生の受け入れが公的機関でなされる場合はよいが、私的企業で受け入れられる場合に、受け入れに要する経費をすべて企業の犠牲的負担とすると、これが可能な企業は極端に少数に限定され、途上国の経済基盤を強化するために最も必要かつ有効な中小企業の技術・経営の研修が受けられないことになるという矛盾があることである。現在法務省の定める研修基準によると、労力の提供は全く受けてはならず、事実上多くの企業で実施している実務研修名下の労務提供も全研修時間のうち2分の1もできないことになる。


このように法規どおりに実施すると企業が負担に耐えられない制度自体が重大な原因を含んでいる。


留学生・就学生

上記のとおり圧倒的多数に及ぶ経済力の弱い途上国出身の留学生・就学生は、自己の労働の対価により滞在費、教育費を得なければならない。一方日本国内の単純労働力不足は彼らの労働を貴重な供給源としているが、彼らはいずれも労働者ではなく学生という立場であるので、臨時雇いの労働者としてしか就労できず、労働者として保護されるべき法制度の利益を受けていない。原則的に労働条件や環境の基準を定める法律や労働災害の保障を受ける法制度の適用は受けることになっているが、その労働環境の安全などについての労働基準監督署の監視はほとんど実施されていない。このため留学生等は工事現場の雑役や深夜労務等非近代的な労働現場や違法に危険な労務に就かされ、あるいは嫌悪される労務の労働力不足を補う労務に就くことになり、事故に遭遇して負傷したり、賃金の不払いや事前の約定に違反した低額の賃金しか払われないなど被害とトラブルが多発している。


また日本では留学生や就学生が収入を受ける労務に就くこと(アルバイト)について事前に法務省の許可を得なければならないものとしており、許可を得た者でも1週間につき20時間以内の就労しか認めていない。この時間内での労働では日本に滞在して教育を受けることは困難であり、また祖国に扶養家族を有し、あるいは貧困な状態にある父母を持つ場合もあって、多少とも送金をしたいという親子親族の情から多くの学生はこの制限時間以上に働くことになる。ところが彼らの在留資格では6カ月または1年ずつ在留を許可されている制度なので、その更新申請に際して制限時間以上就労していたことが判明すると在留を認められなくなることになる。このため留学生などはその発覚を恐れて劣悪な労働環境で働いたり、賃金の不払いや事故の被害にあってもその被害を公の機関に救済を求められないことが多く、この事情が彼らに対する人権侵害を多発させる重要な一因となっている。


この結果資力が不足して自らの労働で留学費を補わなければならない留学生・就学生は、日本国民である労働者に比較して著しく不利益な労働条件・労働環境など不利益な地位で労務に就くなどの差別を受けており、これは国際人権〈自由権〉規約26条に違反する。


6 教育〔24条、26条、27条〕
外国人の子どもの教育を受ける権利

1991年1月30日の通知によって公立の義務教育諸学校への入学について外国人の子どもについても、市町村の教育委員会において就学年齢に相当する子どもの保護者に対し、就学案内が出されることになったことは第3回政府報告書記載のとおりである(従来は本人や保護者の申し出により入学させることとし、入学申請書を提出させたうえ入学を許可してきた)。


しかし、学校によっては、日本の法令を遵守すること、これに反した場合には退学をさせられてもやむをえない旨の誓約書を書かされている状況が出ており、このような取り扱いは、平等取り扱い原則に反する。


さらに、在留期間を超過した外国人の子どもの場合には、就学年齢に達していても就学の機会すらない状況も出てきている。


実際に受け入れた場合でも、近時、日本語がよくわからない外国人の子どもが増加しており、文部省の日本語教育が必要な外国人児童・生徒の受入れ・指導の状況についての1991年9月1日の調査によれば、小学校で1,437校3,987人、中学校536校1,485人が日本語教育を必要としている。


これらのうち、日常会話が「少しできる」が、小学校で46.1%、中学で43.4%、「概ねできる」が、小学校で41.5%、中学で45.7%であるが、「全くできない」ものも小学校で12.2%、中学で10.7%である。


他方、学校での指導にあたっては「特に配慮していない」が529校27%、授業で日本語を指導する教員等がいない学校も347校18%であった。


子どもの母語は、41.9%がポルトガル語であるが、ポルトガル語を理解する教員がいる小学校が643校中27校、中学校が170校中4校にすぎず、次いで25.1%が中国語であるが中国語についても中国語を理解する教員がいる小学校が450校中43校、中学校が232校中43校にすぎなかった。


日本語を指導する教員もおらず、かつ母語を理解する教員もいない状況のもとでは、学校への受入れがなされても事実上、教育を受けているとはいいがたい。


一方、香川県では、1991年7月から1年間、市の教育委員会に2人の子どもの小学校、中学校への受入れを交渉し続けてきたが、「受入れ準備ができていない」との理由で事実上就学を拒否され続けてきた日系ブラジル人の親子が、子どものために帰国せざるを得ない事態も出ている。


1990年以降、労働力不足を補うために定住者の在留資格で、日系ブラジル人やペルー人等を受入れるようになり、1991年6月で148,700人と前年の12月の76,000人から約6カ月で倍増しているが、これら日系人についても子どもに対する施策がとられないために上記のような事態が発生しているものであり、これは、国際人権〈自由権〉規約24条及び26条に違反する。


アイデンティティーの保障

国際人権〈自由権〉規約24条は差別を受けない子どもの権利を保障し、同27条は少数民族に自己のアイデンティティーを享有する権利を保障する。


しかしながら、前述したように外国人の母語を理解する教員もいない状況であるから、外国人の文化、言語をも含めた多文化教育を行う体制にはなく、かつ文部省の調査自体が、「日本語を理解できないか否か」の調査をようやく行った状況であるから、政府には外国人の文化、言語をも含めた多文化教育を行うという視点が不十分である。


民族教育、多文化教育についての理解の欠如は在日韓国・朝鮮人の民族教育に対する姿勢に明らかに現れている。


在日韓国・朝鮮、中国人の約70%が日本の戦前の植民地政策の結果、日本に居住することになったものである。ところが、その2世、3世に対しても、韓国・朝鮮人学校等の民族学校については、教育科目、時間数、カリキュラム、学生数、学力水準にてらして学校教育法1条校(正式の小学校、中学校等)としての取り扱いがなされるべき場合であっても、一般に各種学校としての認可しかなされていない(但し、大阪の在日韓国系の学校については1条校としての認可がなされている)。


このため、これらの民族学校を卒業しても日本の高校、大学に進学したり、各種資格試験を受けようとすると、受験資格認定試験を経なければならない場合が多い(私立大学、公立大学のなかには受験資格を認める大学もあるが、国立大学はない)。


さらに、民族学校に通学する場合には生活保護法による教育扶助、生活扶助の対象から除外されており、学校に対する私学助成もなされていない(一部の自治体ではなされているが政府は助成を行っていない)。


このように、民族学校を各種学校と同じ取り扱いしかしない政府の方針のため、スポーツの分野においても中体連、高体連への加盟が認められず、民族学校に在籍する子どもについては各種競技大会への参加が認められない状況にある(1991年3月から高野連は野球競技大会への参加を、1993年4月からは高体連が競技大会への参加を認めた)。


さらに最近、福祉事務所が中国引揚者の中国国籍の家族に対し、日本名を使用するよう事実上強制していたことが明らかになった(大阪府大東市)。


また、新たに来日した外国人についても子どもの民族的アイデンティティーを保障する教育がなされなければならないところ、90%以上の学校で、その外国人の母語を理解する教員さえいない状況にある。


例えば、東京都では1971年に江戸川区立葛西小学校において、1972年に同区立葛西中学校において、全国に先駆けて、中国や韓国からの引揚児童のための日本語学級が設立された。ここでは子どもの母語を理解できる教諭をあて、日本語教育はもとより、子どものアイデンティティー確立のためにさまざまな実践が行われてきた。しかるに、1988年及び1991年に、この実践に取り組んできたベテラン教諭を他校の一般学級に異動させ、その後任にそのような経験もなく子どもの母語も理解できない教諭をあてた。子どもたちの学習権を無視した人事異動であるとして、現在、その異動をめぐって東京高等裁判所や東京都人事委員会で係争中である。


差別をなくす教育の必要

在日韓国・朝鮮人に対する差別や学校でのいじめ、通学時における集団による暴行被害が発生しているが、近年は新たに来日した外国人の子どもの増加に伴って、学校におけるこれらの外国人の子どもに対するいじめの問題も出ている。


外国人の子どもの民族的アイデンティティーを保障する教育と同時に、日本人の子どもの外国人に対する偏見の除去など差別をなくす教育が急務であるところ、これもなされていない。


7 外国人と刑事手続〔9条、10条、14条〕

国際人権〈自由権〉規約9条


A 国際人権〈自由権〉規約9条1項


a 国際人権〈自由権〉規約の規定


@@国際人権〈自由権〉規約9条1項は、「何人も、恣意的に逮捕され又は抑留されない」と規定する。逮捕・勾留はあくまでその被疑事実につきなされるものでなければならない。いわゆる別件逮捕・勾留、すなわち実質的に被疑事実以外の罪(本件)のために逮捕・勾留がなされる場合、それは「恣意的に」なされたものであり、上記の規定に違反するものである。


b 不法残留罪を利用する別件逮捕の実例


出入国管理及び難民認定法70条5号は、旅券又は在留資格証明書に記載された「在留期間を徒過して本邦に残留する者」について3年以下の懲役もしくは禁錮または30万円以下の罰金に処すると規定する。この不法残留罪を名目とする逮捕・勾留が、外国人について逮捕、勾留するだけの嫌疑等が備わっていない犯罪の捜査、取調の手段として利用される事例が多数報告されている。


パキスタン人Aさんは、パキスタン政府発行の旅券を所持し、1987年12月31日に日本に入国していたが、DらからD宅の火災について放火の嫌疑をかけられ、パスポートや現金を取り上げられた上、放火犯人として1988年9月9日吉川警察署に突き出された。当直警察官は事情聴取の結果、放火の事実についてAさんを逮捕するに足りる供述を得られなかったが、パスポートの提示によって発覚した出入国管理及び難民認定法違反の事実によりAさんをひとまず逮捕し、この逮捕及びこれに引き続く勾留期間中に放火の事実についてAさんを本格的に取調べた。


 Aさんは不法残留と現住建造物放火について起訴されたが、判決は「不法残留罪は……………その法定刑等からみて、いわゆる重大犯罪とはいえず、逮捕・勾留の法律上の要件があっても、必ずしも身柄の拘束をしなければならないものではない上、そもそもこれらの者について、刑事手続を発動するか行政手続(強制退去手続)のみで済ますか自体も、当局の裁量に属する事項と解されているのであって、現に本件においても、吉川警察署は、被告人(Aさん)を放火の犯人として突き出してきた被害者Dやその友人のCについて、両名がいずれも不法残留者であ……ることを知りながら、右両名を逮捕したり、被疑者として取り調べたりしていないのである(なお当裁判所管内以外の地域の中に、不法残留罪については原則として刑事手続を発動せず、行政手続のみで処理しているところがあることは、当裁判所に顕著な事実である)」などとして、これを違法な別件逮捕、勾留に該当する場合だとして、「身柄拘束中及びこれに引き続く本件による身柄拘束中に各作成された自白調書は、すべて証拠能力を欠く」とした〔判例時報1376号24頁)。


c 多数あると予想される不法残留罪を口実とする逮捕・勾留


幸い上記事件では、別件逮捕・勾留(恣意的な逮捕・勾留)及びこれに引き続く本件逮捕・勾留中作成した調書の証拠能力が否定されたが、Aさんにつき恣意的な逮捕・勾留がなされたという事実は消えるものではなく、その損害も賠償されていない〔国際人権〈自由権〉規約9条5項〕。そして日本において近年約16万人の外国人が不法残留がらみで就労しているとされ、外国人の他の犯罪についての取調べのため、不法残留を口実にして逮捕・勾留される例が多いとされている。


このような逮捕勾留は、規約9条1項に違反するものである。


B 国際人権〈自由権〉規約9条2項


a 国際人権〈自由権〉規約9条2項の意味


国際人権〈自由権〉規約9条2項は「逮捕される者は、逮捕の時にその理由を告げられるものとし、自己に対する被疑事実を速やかに告げられる」と規定する。この規定は、逮捕される者について逮捕という刑事手続きにおける身柄拘束の理由を理解させると同時に、その防御権の行使の前提となる知識を与えることを意図するものと思われる。この点からすると当然逮捕の理由及び被疑事実は、被告人が理解することができる言語によって告知されなければならない。


b 外国人逮捕の場合の扱い


日本において逮捕状によって逮捕する場合、その逮捕状は日本語によって記載されており、翻訳文がついていることはない。また通訳人を同行して逮捕することもないので、日本語を理解できない外国人被逮捕者は「逮捕の時」に逮捕の理由や被疑事実を知り得ないことになる。そして上述のように不法残留罪など出入国管理及び難民認定法違反(別件)で逮捕し、本件について主に取調べを行うこともあり、外国人が起訴後第1回公判時まで自己の被疑罪名を知らないという例も報告されている。このような扱いは国際人権〈自由権〉規約9条2項に違反するものであるが、現在までのところ、逮捕状に訳文をつけるとか、逮捕の際に通訳人を同行させる扱いは皆無のようである。


c その他刑事手続きにおける告知


刑事手続きにおいて起訴された場合、被告人には起訴状謄本が交付される。しかし、これについても訳文が添付されないのが普通である。判決がなされた場合、被告人の請求により判決謄本が交付されるが、これにも訳文が添付されない。このような場合にも国際人権〈自由権〉規約9条2項の規定の趣旨からしてその外国人の理解できる言語の訳文が添付されるべきであろう。


C 国際人権〈自由権〉規約9条3項「妥当な期間内に釈放される権利」


a 日本の保釈制度とその要件


日本では起訴前の捜査段階における保釈制度は存在しない。


従って保釈は起訴後のみとなるが、被告人の住所が判らないときは保釈が認められない〔刑事訴訟法89条6号〕。起訴後の勾留は公判への出頭確保を目的とする。そのため、外国において住居をもっていても日本国内において住所をもっていない場合は、呼出状の送達ができないことから、この場合も「住所がわからない」とされることがある。


b 本国には住所があるが、観光中のため住所がわからない、とされた事例


台湾人Bさんは、観光のために来日中に逮捕勾留され起訴された。Bさんは日本には住所がないためアパートを借り、弁護人が身柄引受人となってもなお「住所がわからない」として保釈請求が認められなかった。この例からすると、来日して観光中に逮捕起訴された外国人はみな保釈の権利が認められないことになってしまう。これは外国人であるが故に「妥当な期間内に釈放が認められる権利」が否定されることに他ならない。


c 短期滞在の場合


さらに外国人が短期間の滞在のためホテルなどを転々としている場合も問題となる。この場合、住所といえるほどの安定性がないということで住所不定とされ、結局住所がわからない、とされる事例が多い。日本において住所がもてるのにもたない日本人と、来日後間もないこと、十分事情や勝手がわからないことなどの理由で、一定の場所にまだ定着していない外国人とを同視するのは問題である。このために外国人に保釈を認めないことは、やはり上記の「妥当な期間内に釈放が認められる権利」を規定する国際人権〈自由権〉規約9条3項に違反する疑いがある。


国際人権〈自由権〉規約10条

A 国際人権〈自由権〉規約10条1項


a 国際人権〈自由権〉規約10条1項と宗教的生活


国際人権〈自由権〉規約10条1項は「自由を奪われたすべての者は、人道的にかつ人間の固有の尊厳を尊重して取り扱われる。」と規定する。拘禁されている場合、衣食住が確保されていれば足りるというものではない。文化的、社会的、宗教的観点から、人間の固有の尊厳が尊重されなければならない。拘置所等で宗教的戒律、慣習に従った生活ができない場合は、この人間の固有の尊厳が尊重して取り扱われたことにならない。国連被拘禁者処遇最低基準規則6の1項では「被拘禁者が属する集団の宗教的信条及び道徳律を尊重することが必要である」としている。


b 宗教的戒律、慣習が認められていなかった事例


パキスタン人Cさんは、イスラム教徒であり、裁判のため東京の拘置所に勾留されている。イスラム教徒は豚肉を口にしない。牛肉や鳥肉も異教徒が処理したものは口にしてはならず、様式にのっとって処理された「ハラル」と呼ばれる肉のみを口にすることができる。被疑者や被告人に対しては監獄法35条により「糧食ノ自弁」が許され、本来費用を負担すれば食べたいものが食べられるはずである。しかし実際は指定差入れ業者が扱っている商品しか購入できない。最近は日本でもハラル食品が簡単に入手できるが、缶詰のものはそのままで食べられず、温めるなどの処理が必要となる。その処理をする指定差入れ業者はなく、拘置所も1人のためにそこまではできないとする。Cさんは裁判長に「人間扱いしてくれるよう」手紙を出したが、やはりハラル食品を食べることができないという〔以上朝日新聞1992年2月9日朝刊、天声人語〕。これは上記国際人権〈自由権〉規約10条1項に違反するところであったが、弁護人4名が東京拘置所と交渉した結果、1992年4月2日からハラル缶詰の差入れが可能となっている〔同新聞同年4月2日朝刊〕。


c 暖房の配慮


国連被拘禁者処遇最低基準規則10は「被拘禁者の使用に供する設備、特に就寝設備は、すべて健康保持に必要な条件全部を満たしていなければならず、気候条件及び、特に、空気量、最低床面積、照明、換気について適切な考慮が払わなければならない」と規定する。これは国際人権〈自由権〉規約10条の「人道的にかつ人間の固有の尊厳を尊重し」た取り扱いの内容を具体化したものといえよう。暖国出身の被拘禁者にとって、日本の冬期の暖房のない居房の寒さは、とりわけ厳しいもののようである。フィリピン国籍のEさんは拘置所に暖房設備がないため手にしもやけができて出血もしたという〔毎日新聞1991年4月2日夕刊〕。これも国際人権〈自由権〉規約10条1項に違反している疑いがある。


国際人権〈自由権〉規約14条


A 国際人権〈自由権〉規約14条3項


a 国際人権〈自由権〉規約14条3項の規定の内容


国際人権〈自由権〉規約14条3項は、「すべての者は、その刑事上の罪の決定について、十分平等に、少なくとも次の保障をうける権利を有する。」としており、保障の具体的内容として列記されたものの中に次のようなものがある。


(a) その理解する言語で速やかにかつ詳細にその罪の性質及び理由を告げられること。


(b) 防御の準備のために十分な時間及び便益を与えられ、並びに自ら選任する弁護人と連絡すること。


(f) 裁判所において使用される言語を理解すること又は話すことができない場合には、無料で通訳の援助を受けること。


b 通訳を受ける権利


捜査機関、弁護人及び裁判所の使用する言語を理解することができない外国人は、通訳人の援助を受けることが不可欠である。近時日本においては中近東、アフリカを含む諸地域からも外国人が訪れており、各言語について十分な能力をもつ通訳人を、捜査段階、法廷あるいは弁護人との打合せにおいて、確保できないことが少なくない。


捜査段階において、被疑者の第1言語の通訳の確保が難しいためもあって片言でしゃべれる日本語や英語で取調べを受け、その結果意図が十分伝わらなかったり、調書には自分の供述した内容と異なるものが記載され、それが裁判所において被告人に不利益な事実認定に使われたとする報告は多い。また弁護人との打合せや法廷で捜査機関と同一の通訳人しか利用できず、被告人が思うことを十分伝えられないこともある。また通訳人も法律用語には必ずしも習熟しておらず、例えば殺人と傷害致死との違いを翻訳できていなかったという事例も報告されている。


これらの事例はいずれも国際人権〈自由権〉規約の上記規定に違反し、ひいては外国人の防御権の行使を妨げていることになる。これらの事態の解決のためには、それぞれの言語について能力ある通訳人を確保・養成することが必要であるところ、残念ながら現状ははるかに及ばないものに止まっている。


第7 難民問題〔2条、12条〕

1 強制送還

 第3回日本政府報告書〔2条関係〕によれば、「入管法*1においては、送還先国には難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という)33条1項に規定する領域に属する国を含まないものとするノン・ルフールマンの原則*2も国内法化されており、迫害を受ける国又は地域への外国人の送還は原則としてこれを行わないことが明文化されている〔同法53条3項〕」とされている。


しかし、出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という)53条3項の規定は、「法務大臣が日本国の利益又は公安を著しく害するものと認める場合を除き、前2項(送還先を規定しているもの)の国には難民条約33条1項に規定する領域の属する国を含まないものとする。」とするものであり、「法務大臣が日本国の利益又は公安を害すると認める場合」には外国人を広く迫害を受けるおそれのある国または領域に送還できることになっている。


現に法務大臣は、1991年8月14日、中国人女性林桂珍を、彼女が、東京地方裁判所において「難民不認定処分取消」の裁判係属中であるにもかかわらず、中国へ強制送還している。送還後、林桂珍は、中国公安当局の取調べのため1992年1月16日まで故郷の中国福建省長楽県看守所において身柄の拘束を受けていた。


これは、明らかに国際人権〈自由権〉規約7条に定める非人道的取り扱いの禁止に違反している。


林桂珍は、天安門事件後の1989年9月27日、福建省福州市内のデモに参加したため中国公安当局の追及をおそれて難民船にのり、日本に上陸、テレビ取材に対し、中国では天安門事件前に学生達に共鳴してデモに参加したこと及び中国政府をきびしく批判し、日本政府に保護を求めて難民認定申請をしたものであるが、日本政府は、彼女を難民と認定せず、人権状況が劣悪な中国へ送還したものである。


このように日本政府の入管法53条3項の実際の運用は、ノン・ルフールマンの原則を否定している。


これは、国連難民高等弁務官事務所執行委員会の1977年決議8号(e)(VII)にも反したものである。


さらに、林桂珍は、福岡地方裁判所で退去強制令書発布取消訴訟中でもあった。


国際人権〈自由権〉規約13条の国際人権〈自由権〉規約委員会の一般的意見15(27)は「外国人は、本権利が彼の事案のあらゆる状況において実効的なものとなるように追放に対抗するための十分な便宜が与えられなければならない」としているにもかかわらず、彼女は、この保障も受けられなかったし、国際人権〈自由権〉規約14条の公正な裁判を受ける権利も否定された。


国連難民高等弁務官事務所執行委員会「難民の国際保護に関する決議」1977年8号(e)(VII)


『申請者は、当該機関によりその申請が明らかに濫用であると認定されないかぎり、その最初の申請が上記(III)項記載の権限ある機関により決定が下されるまでは、当該国に留まることが許されるべきである。


また、申請者は、より上級の行政機関または裁判所に対する不服申請が係属している間も、当該国に留まることを許されなければならない』


*1出入国管理及び難民認定法。


*2ノン・ルフールマン原則とは、難民をいかなる方法によっても、人種、宗教や政治的意見のためにその生命または自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放しまたは返還してはならないという法原則をいう。この原則は、国際法上は、「難民」に限られている(難民条約33条1項参照)。わが国の出入国管理及び難民認定法53条3項にもとり入れられているが、国内法である同法上は「難民」に限定されておらず、広く外国人は、生命または自由が脅威にさらされる領域等に送還されないと解釈されている。


2 難民条約上の難民

第3回日本政府報告書〔12条関係〕の、「日本の難民政策」によれば、難民条約上の難民認定数は、1991年8月末までで197名としている。


ところで日本で難民条約の難民認定事務が開始されたのは、1982年1月1日であるが、1988年7月31日までの難民条約の難民認定数は、192名であり、その内訳は、インドシナ(ベトナム、カンボジア、ラオス)関係156名、イラン人23名、アフガニスタン9名及びその他(アフリカ)4名であった。


この中には中国から保護を求めてきた中国人は、まったく含まれていなかった。


かえって日本政府は、中国民主化運動に参加し、中国へ帰国すれば、迫害のおそれがあると主張した中国人を中国へ引渡している。


その例である張振海は、1989年6月の天安門事件の際、中国政府から逮捕されたことがあり、その後3度国外脱出を企てたが、いずれも失敗したため1989年12月16日、中国民航機をハイジャックし、日本に入国した。


そして、日本政府に対し、難民認定申請をしたものの2週間という異例なまでに早い審査で不認定とされたので、難民不認定取消訴訟、人身保護請求訴訟中であったが、日本政府は、中国政府の求めに応じて、1990年4月28日、張振海を犯罪人として同政府に引渡した。


その後、張振海は、1990年7月18日、中国北京中級人民法院で懲役8年、政治権利剥奪2年の判決を受けたが、日本の裁判所から安否の確認を求められた中国政府は、その所在を明らかにしようとしていない。


次に1989年6月4日の天安門事件後に中国から約2,800名の中国人が難民船で日本へ上陸したが、これまで誰一人として難民条約の難民と認定された中国人はいない。


このように過去9年間に日本で難民条約にいう難民と認定を受けている外国人は、わずか197名にすぎず、諸外国と比較した場合異常としかいいようのない数である。


この原因は、日本の国内法である入管法61条の2の2項が、その申請期間を「上陸した日(本邦にある間に難民となる事由が生じた者は、その事実を知った日)から60日以内に申請をしなければならない」と規定しているからに他ならず、また、日本政府は、難民であることの立証責任を極めて厳格に申請人に負担させているからである。


多くの外国人は、この申請期間または立証責任の厚い壁のため難民と認定されない。


例えば、中国の反体制グループ民主中国陣線の駐日リーダーである趙南は、日本政府に難民認定申請をしたものの60日規定*の障害のためその申請を却下され、難民かどうかの実質的審査さえ受けられなかった。このため現在その取消を求めて裁判中である。


日本での難民認定事務は、外務大臣ではなく、法務大臣が所管しているが、とかく閉鎖的手続きであるとか、法務大臣は、外国の事情に疎く審査能力がないとか批判されているし、入管法61条の2の4で規定する不認定後の不服申立ても認定者である法務大臣にすることになっていて、明らかな制度的欠陥がある。この結果、難民不認定取消訴訟を提起しても、法務大臣は、林桂珍を本国への強制送還をしたり、また、張振海を中国政府に引渡したりしたように、国際人権〈自由権〉規約7条、13条、14条に違反することをくり返す可能性が大きい。


*60日規定とは、出入国管理及び難民認定法61条の2の2項により、難民認定申請は、原則として日本に上陸後60日以内に行わなければならないことをいう。ただし、同項の但書は、例外的に「やむを得ない事情がある時は、この限りでない」と規定している。<.p>


 難民認定申請をしなければならない外国人の立場を考慮すれば、果たしてこのような60日規定ルールの必要性があるのかどうか。また、「但書」の現実の運用が極めて形式的であり、同じように申請をする外国人の立場をほとんど考慮しない取扱いがここ数年なされているという弊害が認められる。


3 インドシナ難民

これまで、日本政府は、インドシナ難民を難民条約上の難民より広く認めて保護をしてきたことは評価できるが、その受入れ数は、先進諸国と比較して極めて少ない。


1989年9月13日から「スクーリング制度」が、実施されることになり、今後その受入数は減少することになり、日本への定住受入れも、増加することにならない。


4 その他

第3回日本政府報告書では、難民として認定された者について、最も重要な「帰化申請手続き」についてまったく触れていない。


あるイランの元外交官家族5名は、帰化申請後すでに1年以上経過しているにもかかわらず、いまだその結論がだされていない。


これは明らかに難民条約34条に違反する取り扱いといえる。日本の国籍法には、難民の帰化申請に関する具体的規定もなく、他の外国人の帰化申請と同様に取り扱われている。


5 結論

日本政府は、難民に関する諸政策を早急に国際人権法が定める基準に合致するように改善しなければならない。


《2》 女性の権利問題

第1 身分法における男女平等について〔2条、3条、17条、23条、24条〕

1 婚姻適齢

a 国際人権〈自由権〉規約23条2項は婚姻適齢の男女が婚姻し家族を構成する権利を保障している。


b 民法731条は、「男は、満18歳に、女は満16歳にならなければ、婚姻をすることができない」と規定している。


c 現行民法は、旧民法の男17歳、女15歳の規定を1年ずつ引き上げて、男18歳、女16歳と規定した。この婚姻適齢の男女差は男女の肉体的成熟の差に基づくものと解されている。


しかし、婚姻適齢については、肉体的成熟のみならず、精神的成熟等社会的視点をより重視する必要があろう。男女の年齢差を設けた根底には、男性は仕事、女性は家庭という役割分担思想の下に、男性は肉体的成熟ばかりか経済的能力の成熟を、女性は肉体的成熟及び家事育児能力を満たすものであればよいという考えが存在する。


また低年齢の婚姻は、事実上、教育を受ける機会を奪うことになる。よって、男女ともに等しく働く権利、教育を受ける権利を保障していくという観点からは、男女の婚姻年齢に差をもうける合理的な根拠はなく、民法731条が女性につき男性と異なる低い婚姻年齢を定めていることは、国際人権〈自由権〉規約2条、3条、23条2項に反する。


ちなみに、女子差別撤廃条約に関するウィーンセミナー(1981年)においても婚姻最低年齢は男女同じでなければならないと勧告している。


d なお、わが国の平均初婚年齢及び高校進学率・就職率に鑑みると、社会的・経済的に自立可能な年齢としては男女とも18歳とみるべきである。よって、婚姻年齢を男女とも18歳とし、18歳未満であっても16歳以上であればその申立てにより家庭裁判所の許可のある場合に限って婚姻適齢に達していなくても婚姻をすることができる制度とするべきである。


2 再婚禁止期間

a 国際人権〈自由権〉規約23条2項は、男女が婚姻し家族を形成する権利を保障している。


b ところで、民法733条は、1項で、「女は、前婚の解消又は取消の日から6箇月を経過した後でなければ、再婚をすることができない。」、2項で「女が前婚の解消又は取消の前から懐胎していた場合には、その出産の日から前項の規定を適用しない。」と規定している。


c(a) 女性に対してのみ再婚禁止期間を設けて婚姻の自由を制限している理由は、沿革的には「女は二夫にまみえず」という封建的思想からきているが、現在では父親推定の重複を避けるためであると解されている。


(b) しかしながら、再婚禁止期間を設けることについては、以下のとおり合理性に乏しい。すなわち、単に父親推定の重複を避けるのであれば、少なくとも6カ月は長きに失することは明らかである。


また、父性衝突の起こりえない場合にまで一律に再婚禁止期間を適用する必要性は全くない。そこで、戸籍の実務では、女性が前夫と再婚するとき、夫の生死が3年以上不明を離婚原因として離婚判決を得たとき、悪意の遺棄を原因とする離婚判決を得たとき、女性が受胎不能な年齢であるときは、再婚禁止期間の適用を除外する扱いがなされている。


これらの他、適用除外ケースとして、妊娠していない旨の医師の証明のある場合、前夫の生殖不能の場合など父性推定の衝突が起こり得ない場合が考えられる。


だが、再婚禁止期間の適用除外事由を列挙しても、とうてい網羅しきれず、かつ戸籍実務上も限界がある。さらに再婚禁止期間を設けても事実上の再婚を阻止できず、この場合生まれた子に事実上の父性推定の重複は避けられない。


(c) 現実には離婚後すぐ再婚を望むケースでは、離婚届を提出するまでに前夫との婚姻関係はすでに破綻し、後夫との間に事実上の内縁関係が存在していることが多い。


従って、父性推定が重複する場合はむしろ後婚の子である確率が高い。


(d) 再婚禁止期間を廃止することで起きうる父性推定重複の問題は、後夫の子と推定する規定を設けることにより解決することができる。これが、再婚の実態に沿うものであり、かつ子の福祉に合致する。


d よって、民法733条には、女性にのみ再婚の自由を制限するほどの合理性がなく、国際人権〈自由権〉規約2条、3条、23条2項に反するので廃止すべきである。


3 夫婦の氏

a 国際人権〈自由権〉規約17条は私生活等に対して恣意的に干渉されない権利を、同23条2項は婚姻する権利を、同23条4項は婚姻に関わる配偶者の権利及び責任の平等を保障している。


b 民法750条は、「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」と規定している。


c(a) 氏とは個人の呼称であり、氏名はその人格を他者と区別する「個」の表象であって、個人の人格権の一内容を構成する。


判例においても、「氏名は、社会的にみれば個人を他人から識別し特定する機能を有するものであるが、同時に、その個人からみれば、人が個人として尊重される基礎であり、その個人の人格の象徴であって、人格権の一内容を構成するもの」〔在日韓国人のNHK日本語読み訴訟に関する最高裁1988.2.16判決〕とされ、その権利性が認められている。


(b) 同氏強制は、婚姻に伴う改氏の強制に他ならない。改氏の強制は、それを望まなかった者にとって人格権の侵害であり、自己喪失感、夫婦間の不平等感、個人としての信用・実績の断絶、改氏に伴う健康保険証等変更手続きの煩雑さなどさまざまな人格上の苦痛及び社会生活上の不利益をもたらしている。1988年11月に国立大学の女性教授が通称使用を求める裁判を東京地方裁判所に起こし現在係争中である。


(c) 民法750条は、形式的には男女平等に規定されているが現実には1987(昭和62)年においても97.8%の夫婦が夫の氏を選択している。すなわち、同氏強制は、事実上女性に対する改氏の強制になっている。そして女性差別意識を温存させ、個人の尊重と両性平等の実現を妨げている。


婚姻に係わる配偶者の権利と責任の平等を確保するには、改氏を強制されないこと、すなわち各配偶者が自己の氏名を使用し続ける権利の保障が必要である。


ところが、同氏の強制は、配偶者のいずれかに改氏を強制する。改氏に伴う苦痛等を回避し配偶者間の平等を貫こうとすれば、婚姻することはできない。両当事者が改氏を拒否すれば婚姻でなく内縁を選択するしかない。すなわち、同氏の強制は、婚姻の自由の障害となっている。国際人権〈自由権〉規約23条につき1990年7月24日に採択された国際人権〈自由権〉規約委員会の一般的意見では「各々の配偶者が各自の原家族名(“姓”)を使用する権利(使用し続ける権利)を保留する権利、又は平等な立場で、新しい家族名(“姓”)を両配偶者が共同で選択するという権利が各国政府により保障されるべきものである」と述べられている。


(d) また結婚のあり方は、多分に私生活に属するものである。夫婦の氏を同氏とするか別氏とするかも、かような結婚のあり方に深くかかわることである。従って、国家が法律をもって同氏を強制することは、私生活に対する恣意的干渉にあたる。


d よって、同氏の強制は国際人権〈自由権〉規約2条、3条、17条1項、23条2項、4項に反するので、これを同氏・別氏選択制に改めるべきである。


4 嫡出否認

a 国際人権〈自由権〉規約23条4項は婚姻に係わる配偶者の権利及び責任の平等を保障している。


b 民法774条は、「第772条の場合において、夫は、子が嫡出であることを否認することができる」と規定している。


C(a) 夫にのみ嫡出否認権を認める理由は、(1)父子関係にあるか否かについて夫が誰より直接かつ重大な利害関係を有すること、(2)家庭内の事柄について第三者の介入を防止するためとされいてる。しかし、これらの理由は妻にも嫡出否認権を認めることの支障とはならない。


(b) むしろ嫡出否認権を夫の専権としてその行使、不行使を夫の意思のみにゆだねる結果、子が嫡出子でないのに、これを知りつつ恣意的に否認権を行使しないために、真の父子関係の形成が困難となる場合があり、子の福祉に反する事態も生じている。


(c) 本来、妻と夫は、子について同一の権利及び責任を有する。また、妻や子にとって、懐胎した子の嫡出父子関係の存否は、精神的にも経済的にも夫に劣らぬほど重大な利害関係を有する。


d よって、夫にのみ嫡出否認権を認めることは国際人権〈自由権〉規約2条、3条、23条4項に違反する。民法774条を改正して妻にもひいては子本人にも嫡出否認権を認めるべきである。


5 非嫡出子差別

a 国際人権〈自由権〉規約24条1項は、すべての児童が差別なしに家族、社会及び国による措置についての権利を有することを規定している。


b 民法900条4号但書は、非嫡出子の相続分を嫡出子の2分の1として差を設けている。また、住民票、戸籍の記載においても表記方法は異なるため、一見して非嫡出子とわかる形となっていること、非嫡出子は当然には父の氏を名乗る権利が認められていないこと、非嫡出子には父母の共同親権の制度が存在しないことなど、様々な形で差別されている。


c このような現行法制度の差別は、国際人権〈自由権〉規約24条1項にいう「出生による差別」にあたるものであって、早急に改められるべきである*。日本政府は民法の婚姻・離婚規定の見直し作業に着手したとしているが、現在のところこの非嫡出子差別の点は見直し対象から除外されている。


1989年4月5日採択の国際人権〈自由権〉規約24条についての国際人権〈自由権〉規約委員会の一般的意見では「相続の場合を含めて全ての分野における全ての差別を取り除く目的で……嫡出子と非嫡出子の差別をも除去する目的で各国が子供達に対する保護処置をいかに法律上及び実務上保障しているかということを各国は報告書に記入するべきである」とされているが、第3回日本政府報告書では非嫡出子差別につき何ら触れられておらず、問題と言わざるをえない。*東京高裁1993年6月23日判決は、非嫡出子の相続分を嫡出子の2分の1としている民法900条の規定を、法の下の平等を定めた憲法14条違反ととしている。


第2 雇用における男女平等について〔3条〕

1 男女雇用機会均等法

第3回日本政府報告書には「雇用管理制度を法の要請に沿ったものに改善した企業が多くみられ……法の趣旨は着実に浸透している」とあるが、男女雇用機会均等法*(以下「均等法」という)施行後5年間の職場の実態に照らせば雇用における男女平等はいまだ進展していないことがクローズアップされている。法の趣旨が十分各企業において浸透していないこともその原因になっているが、差別是正のための均等法自体のもつ不備に起因することが大きいと言わざるをえない。すなわち、均等法は、募集、採用から退職に至る雇用の全ステージにおける男女差別を禁止し、男女平等を促進する仕組みになっていない。募集、採用、配置、昇進という最も基本的かつ重要な雇用管理において、事業主に対して努力義務を課しているにすぎず、一定範囲の教育訓練、福利厚生と定年退職、解雇について、罰則なしの禁止規定になっており、法の実効性に欠けるものである。


以下、1991年3月発表した日弁連の「均等法見直しに関する意見書」等をふまえ、募集、採用から退職に至る雇用の全ステージにおける職場の実態と法の不備、行政指導の欠如等について明らかにする。


*雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等女子労働者の福祉の増進に関する法律。


2 募集、採用
実態

均等法施行後「男子のみ募集」は明らかに同法に違反する。ところが、労働省の1989年の調査によると、「男子のみ募集」が残存している。すなわち、新規大学卒については事務、営業系で、26.3%あり、技術系については50%にも達している。労働省は「女子のみ募集は均等法に違反しない」という通達*1を出しているため、「正社員は男子」、「パート女子」という募集、採用が横行し、女子はパートなどの非正規雇用が多い。


*11986年3月20日付(婦発第68号、職発第112号、能発第54号)、各都道府県婦人少年室長、各都道府県知事あての労働省婦人局長、労働省職業安定局長、労働省能力開発局長による「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等女子労働者の福祉の増進に関する法律の施行について」と題する通達。


均等法施行後、金融、証券、生命保険、商社などに「コース別人事制度」が導入された。すなわち、転居を伴う転勤を前提とする「総合職」と転勤を伴わない職務を「一般職」とし、圧倒的多数の女子を「一般職」にふるい分けている。男子の99%は「総合職」についているのに、女子はわず3.7%が「総合職」であり、96%という圧倒的多数が「一般職」にとどまっている。家事、育児等の負担のため女子は、ほとんど「一般職」に従事せざるを得ず、昇進、昇格の経路が、「総合職」とは異なるため、大多数の女子の低賃金の原因にもなっており、男女平等を理念とする均等法に違反するものである。


法の不備


募集、採用に関する均等法7条は努力義務規定にすぎず、均等法施行後も募集、採用における男女差別は解消されていない。また均等法は間接差別を禁止していないため「コース別人事制度」にみられるように直接性を理由とする差別ではないが、結果的に女子のみ不利益を被る差別形態の是正に役立っていない。


行政指導の不徹底


労働省は、「女子のみ募集」は均等法に違反しないという通達を撤回することをせず、コース別人事制度の違法性についても指針で明記することもしていない。


法の不備とあいまって行政指導の不徹底さも募集、採用の男女差別を温存している要因になっている。


3 配置及び昇進
実態

A 配置


労働省の1989年の調査*2によると、女性をすべての職務に配置している企業は23.0%にすぎない。総務、経理、販売、サービスなど、従来から女性向きといわれる職場に多く配置されている。*2


平成元年度「女子雇用管理基本調査」。


B 昇格・昇進


1990年労働省の「女子管理職調査」によると、管理職全体の中で女性の占める割合は、係長相当職で6.7%、課長相当職で2.2%、部長相当職で0.7%にすぎない。女子のうち「一般社員」は89.9%であり、役職についている女子労働者は約10%である。しかも従来から女性向きといわれている職種(総務、経理)などの中での昇進・昇格である。


女子管理職(課長相当職以上)の59.3%が未婚であり、既婚者でも36%は子どもがいないのである。結婚、出産という人間らしい生活と管理職として働くことの両立がわが国においてはいかに困難かを物語る数字である。


法の不備


配置・昇進に関する均等法8条は努力義務規定にすぎず、法の実効性に欠けるものである。配置・昇進は賃金に大きく影響するものであり、男女の平等を理念とする適切な配置・昇進が保障されなければならない。


4 教育、訓練
実 態

均等法施行後、新入社員研修については、男女とも同じ取扱いとするよう改善されてきてはいる。しかし、1990年労働省調査*によっても女子が「入社直後に行う教育訓練」を受けたものは70.0%であるが、「将来の職務拡大、昇進のための教育訓練」を受けたものは、わずか15.0%である。*労働省「女子管理職調査」


法の不備


教育、訓練に関する均等法9条は、新入社員研修など業務の遂行に必要な基礎的な能力を付与するための一定の研修に関して、女子であることを理由とした差別的取扱いを禁止している。このように法は教育・訓練についての対象を基礎的能力付与などに限定しているため、教育・訓練における男女差別是正に役立っていない。


行政指導の不十分


労働省は、法や規則に定める以外の教育、訓練も男女共に実現するよう通達を出している程度であり、その指導は極めて不十分である。


5 福利、厚生
実態

労働者の福祉の増進のために行われる資金貸付け(住宅資金の貸付け等)などにおける男女の差別的取扱いは均等法施行後改善されてきている。しかし、独身寮の貸与について、男女双方に実施している企業は1989年において38.4%にすぎず、男子のみに行っている企業は58.4%である。また、企業が家族手当てなどを支給する基準として「世帯主」を設け女子を排除するなど差別的運用が改善されていない。


法の不備


福利・厚生について均等法10条は、事業主に対し男女異なる取扱いを禁止している。しかし、その対象は一定の場合に限定されており、ロッカー設備、休養室、トイレなど日常生活にかかわるもの全てについて男女平等取扱いを規定していない。


行政指導


労働省は、福利・厚生の対象を「世帯主」等に限定することは女子であることを理由とする差別にはならないという通達*を出している。そのため、大多数の女子がこの「世帯主」基準によって福利、厚生の供与対象から排除されている。* para.729の*に同じ。


6 定年、退職、解雇
実態

法施行に伴い、結婚・妊娠・出産退職制を改善した企業は増えている。


しかし、1990年労働省調査によると、女子が定年前に退職する慣行が「ある」とする者は46.4%であり、「ある」と答えたものについて「社外結婚」(48.6%)、「出産」(48.2%)、「社内結婚」(47.0%)である。退職勧奨などにより結婚・出産などを契機に事実上退職させる状況も残存している。


法の不備


退職、解雇に関する均等法11条は、禁止規定になっているが、退職勧奨を明文をもって禁止していないため、法の趣旨が生かされていない。


行政指導の不十分


労働省は、「退職勧奨」は解雇に含まれていないという通達*1を出しているため、企業での改善が進んでいない。*1 para.729の*に同じ。


7 賃金

 わが国においては、労働基準法4条で「使用者は、労働者が女子であることを理由として、賃金について、男子と差別的取扱いをしてはならない。」と罰則付きで男女の賃金差別を禁止している。しかしながら均等法施行後、労働条件の中でも最も主要な賃金について、男女間格差は縮小するどころか拡大している。例えば1990年において、パートタイマーを除く男女の賃金格差は、男子を100とした場合女子は57.1であり、パートタイマーを含むと女子は男子の49.6%にすぎない。*2 なお、わが国では週35時間未満の労働者をパートタイマーと称しており、女子雇用労働者の27.9%がパートタイマーである。*3


*2労働省「賃金構造基本統計調査」による。


*3総務庁統計局平成2年度「労働力調査」による。


 わが国の女子の対男子賃金比率は国際的に見ても先進資本主義国の中でも最低である。


 均等法施行後の実態から明らかなように、女子の配置・昇進・昇格において男子との差別は改善されておらず、このことが賃金格差にも大きく影響している。女子の大多数が家庭責任を負い、出産・育児などで退職し、再就職するとしてもパートタイマーなど正規雇用労働者に比し低賃金で働かざるを得ないことが多いことも男女の賃金格差拡大の原因になっている。


8 救済手続

均等法は、差別されたケースの救済手続きとして、(a)企業内の自主的解決、(b)都道府県婦人少年室長による助言・指導・勧告、(c)調停の3つについて規定している。しかしながら、自主的解決の対象から募集、採用がはずされていたり、婦人少年室長の権限についても強制力がなく、調停の申立てについても事業主の同意が必要など法の規定自体に実効性に欠けるところが多いので、簡易、迅速な差別是正に役立っていない。


以上、第3回日本政府報告書は職場の実態を正確に反映していないものである。


《3》 障害者問題(第2条、第12条、第14条、第17条)

第1 移動・居住の自由〔12条1項〕

1 移動・居住の自由

歴史的には、移動・居住の自由は、経済的自由権の一部分として位置付けられてきた。


しかし、人間の自己実現は多様な活動を通じて行われるものであり、表現の自由、集会・結社の自由も対外的な活動、すなわち移動の自由が前提になっている。アメリカ連邦最高裁が「居所を定める権利、欲するままに一の場所より他の場所へ移転する権利は、たしかに人身の自由の属性である」(1900年)と述べたのも、この趣旨である。従って、例えば旅行、通勤、通学、買い物、散策その他日常的な外出など、人間の移動と考えられることはすべて含まれることになり、さらに移動・居住の自由は、民主主義の基盤となる諸権利と深いつながりを持ち、民主制を支える市民的自由権として理解されるべきである。


このような認識に立って、移動・居住の自由が国際人権〈自由権〉規約の中で保障されているのである。


2 障害者の「居住の自由」の保障

障害者は、この日本において、自己実現の基礎をなす移動・居住の自由を実質的に保障されていると言えるだろうか。答えは否である。


まず、住宅は、障害者向きの仕様になったものはほとんど見受けられない。特に公共住宅の中で、このような配慮のなされたものは極めて限られており(例えば大阪府営住宅で、車椅子常用者世帯向住宅として1989年度で募集されたのは、わずか19戸しかないという現状である)、また公共住宅を障害者用に改造することも容易ではなく(実態調査が必要)、中途障害者はただ立ち退くしかない。


このように障害者は、住居を選択する自由(freedom to choose his residence)を実質的に奪われた状況下にあるといえる。ある程度の選択の余地が残されている場合なら、それ以上は行政がどの程度予算化するかという政治的な裁量の問題となるが、選択の余地もない場合、障害者は生存自体を脅かされることになる。


3 障害者の「移動の自由」の保障

また、日本は全国的に極めて都市化した社会が生活の中心になっており、「居住地」と「活動の拠点」とは、当然に十分な移動手段(交通機関)によってリンクされていなければならない。


しかし、以下に述べるように、主たる交通機関であるバスや電車、地下鉄は障害者にとって余りに不便であり、まさに「都市における障害者の存在自体を無視している」といっても過言ではない。


まずバスについて、車椅子用昇降機の付いたバス(通称「リフト・バス」)がほとんど導入されておらず、また導入されているコースでもその本数が少なすぎるため実際の生活では機能しない(大阪市では、1991年度で3路線、11台の導入を決定したにとどまる)。


次に、電車、地下鉄などでは、そもそもホームまでのスロープ化がほとんどの駅で実現していない。特に最近では路線が高架になっているため、ホームまで階段を上り下りしなければならないところが多いが、車椅子用のエスカレーターやエレベーターが設置されている駅は数えるほどでしかない。


そして、電車、地下鉄の乗り換えのための通路も階段を利用するしかない所も多く、車椅子ではそこから先は行くことができない。1991年大阪頚髄損傷者連絡会の調査によれば、大阪から神戸、京都、奈良、和歌山の各都市を結ぶ鉄道網において、車椅子で地上からホームまで、エレベーターあるいはスロープを使って利用できる駅は、平均して28%でしかない。また、大阪市の地下鉄駅106カ所のうちで、地上から改札口を通ってホームまでエレベーターでアクセスできる駅は、わずか11カ所しかないという結果が出ている。


さらに細かいことだが、都会の公衆トイレが障害者用の特別仕様になっていない。利用可能なトイレのない地域の中で、どうして生活できるというのか(ちなみに上記調査によれば、車椅子用トイレの設置されている駅は全体の約23.8%しかないという結果が出ている)。


ただ、障害者が移動する際に、通りがかりの健常者に手伝ってもらえば移動できないことはない(ただし、電動車椅子の場合は、大人4人で持ち上げることは容易ではない)。


しかし、「体の不自由な人に善意の手を差し延べましょう」という呼びかけこそが、障害者に「社会からの援助に頼らねばならない人々」のレッテルを貼り、差別してしまうことになる。


第2 公正な裁判を受ける権利〔14条〕

日本の障害者の関係では、「自ら出席して裁判を受ける権利」「無料で通訳の援助を受ける権利」が問題となる。


前者では、例えば視覚障害者の場合、日本の裁判が書面によって進行するため、すべて点字訳する必要があるが、裁判所は制度としてそのような手続きと人材を用意していない。


後者では、聴覚、言語障害者の場合、手話通訳が必要となるが、日本では「法廷手話(法律手話)」をこなせる人材が十分でない。例えば、刑事手続きの流れの中では、まず聴覚障害者を逮捕する際に、被疑事実や黙秘権の告知は通訳者を同行して行わなければならないが、実際は臨機に通訳者を確保できず、通訳者が同行する場合は少ない。さらに、被疑者として取り調べる際にも、黙秘権その他の被疑者の人権に配慮できる通訳者が必要になるが、実際は取調べ担当警察官自身が手話通訳したり、筆談で代替したりしている(捜査側にとっては、この方が都合がよい)。そして起訴後の公判廷では、通訳者自身の事件に対する予断を排除するためには、捜査段階で被疑者の取調べを担当した通訳者とは別の通訳者を探さなければならず、また、手話通訳は細かな身振り手振りが必要なため長時間の通訳は体力的に見て無理があり、交替の通訳者を用意しておく必要がある。


このような手続きの流れを見てくると、手話通訳者の人材不足がいろんな場面で障害者の人権保障を不十分なものにしてしまっていることがわかる。


また手話という表現手段自体が、音声言語ほどに精緻になっておらず、抽象的表現、仮定的表現、伝聞表現などが十分でなく、さらに法律専門用語の手話表現も十分に研究されているわけではない。そして障害者の側も必ずしも「全国共通の手話」を身につけているとは限らず、我流の場合もある。それでもその被告人の手話をくみ取り、逆に彼に伝えるだけの技術が必要となる。現在では、公的資格としての「手話通訳士」制度が実施されているが、質量ともに不十分な状況に止どまっていることは否めない。


そして、これらの通訳がすべて無償でなければならないが、「刑事訴訟費用に関する法律2条2号」によれば、通訳料も訴訟費用となっており、被告人が有罪判決を受けると訴訟費用として負担させることが原則になっており、明らかに本条に抵触する。


1975年12月9日国連総会で採択された「障害者の権利に関する宣言」の中でも、「障害者に対して司法手続きが開始される場合には、適用される法的手続きは、彼らの身体的及び精神的状態を十分に考慮に入れる」こととされていることからすれば〔11条〕、日本の裁判手続きが、基本的に健常者だけを念頭においたものでしかないという事態は、明らかに日本政府の無理解、無関心によるものといえ、早急に適切な立法措置をとるべきである。


第3 プライバシー保護を受ける権利〔17条〕

人はすべて「何人からも覗き見されることのないような城」を必要としており、私生活の中を覗き見されない権利はすでに1948年の世界人権宣言12条において採り上げられている。


日本で、特に問題と思われるのは、障害者(高齢者を含む)の収容施設内でプライバシー保護が、全くないに等しい状況にあるということであろう。


すなわち、障害者施設、養護老人ホーム、特別養護老人ホームについて、現在の設置基準では、プライバシーはすべてさらけ出しにならざるを得ない。例えば特別養護老人ホームでは1区画に6人の相部屋で、ベッドを仕切るカーテンもない。一時的な病気のための入院なら我慢できようが、遺された人生のすべて(20年から30年)をそのような環境の中で送らなければならないのでは、余りに人間性を無視されすぎているといえる。


さらに、夜に1人で起き出して徘徊するからと、ベッドに縛り付けられるケースも報告されている(これは、むしろ「非人道的もしくは品位を傷つける取扱いを受けない権利〔国際人権〈自由権〉規約7条〕」の問題であろう)。


また、これらの施設では、諸設備の利用から食事や風呂に至るまで、詳細な規則が定められているのが通常である。しかし、何時に起きて、朝食に何を食べるかまで施設の決定に従わなければならないというのは、いかにも人間性を無視している。プライバシーの権利の中には、当然「私生活の自己決定権」が内在するのであり、こうしたがんじがらめの規則で個人の私生活を管理し縛り付けることはとうてい許されるものではない。施設入所者それぞれの人格が尊重されることなく、ただ管理第一主義に陥った現在の状況は早急に改善されなければならない。


以上見てきたように、施設に収容された障害者は、明らかに「私生活の隅々まで管理された非人間的取扱い」を受けているといえる。このような事態は、「福祉の貧困」を通り越して、人権侵害の域に達しているものととらえるべきである。


第4 平等実現のための積極的措置をとる義務〔2条〕

第1から第3まで指摘してきた障害者に対する人権保障の欠如は、日本政府が、いかに今まで、障害者の完全参加と平等実現のための措置を怠ってきたかを如実に物語っている。


前記「障害者の権利宣言」によれば、障害者は、「その障害及び能力不全の原因、性質及び程度のいかんを問わず同年齢の同市民と同じ基本的権利を有し、この権利は、とりわけ、できる限り通常で完全な、相当の生活を享受する権利を含む」〔3条〕とされているのであって、日本政府がこの精神を十分に理解し、あらゆる場面での障害者の平等保障を積極的に実現していくことが強く求められている。


とりわけ、障害者に対する雇用差別撤廃は重要であり、上記「権利宣言」においても「障害者は、経済的及び社会的安全並びに相当の生活水準への権利を有する。障害者は、その能力に応じて、雇用を確保し及び維持し、又は有益で生産的かつ有償の職業に従事し、及び労働組合に加入する権利を有する」〔7条〕と規定されている。


しかし、日本における障害者に対する雇用の差別的状況は遅々として改善されず、政府は早急に差別撤廃に向けて抜本的な施策を実施しなければならない。確かに、政府は「障害者の雇用の促進等に関する法律」を制定し(1960年)、1976年には障害者雇用を「法的義務」とし、納付金制度も整えられた。しかし、まだ十分な成果を上げていない。


同法では、一定割合の障害者雇用を義務づけている(雇用率制度、国2%、常用労働者63人以上の民間事業所1.6%)が、民間事業所の中には、いまだに雇用率未達成の事業所が多く(1990年6月現在で、実績は1.32%に止まっている)、また、従業員規模の大きい企業ほど未達成の状態になっている(常用労働者1,000人以上の大企業の雇用率は1.16%で、約1,900社が法定雇用率を達成していなかった)。


結局障害者の雇用率を高めるためには、使用者自身が、まず「企業は社会的存在であり、地域住民に雇用の機会を提供し、地域に利益を還元していくべきもの」「障害者の完全参加と平等保障」といった考え方を受け入れる必要がある。


1人の障害者を雇えば、車椅子用トイレを作らねばならず、階段をスロープに替えなければならない。しかし、その1人のためのコストは地域の障害者が自己の生活を支えていくために不可欠のものであり、このことによって、初めて企業の社会貢献が果たされるのであり、こうした理解を使用者や障害を持たない従業員に徹底させるための政府の施策が必要であるが、極めて不十分な状況にある。


また、上記のような「一般雇用」とは別に、「保護雇用」の制度化も併せて実施されなければならない。すべての障害者は自己に備わった能力を発揮して、生活の糧を得る権利があるのであり、その障害の程度に応じて雇用の機会を用意すべきである。


《4》 子どもの権利問題

第1 はじめに

1 福祉・教育の現状

第3回日本政府報告書は、国際人権〈自由権〉規約24条に関わる問題として、「福祉面(Welfare)」の項目で、少女売春に対する対策と教師による体罰の存在と対応について若干指摘しているが、「教育面(Education)」の項目では、教育基本法ほかの法令の条文を項目的に羅列しているのみであって、教育現場においては、全く問題がないかのような記述となっている。体罰の指摘についても、人権擁護機関が受理した件数をあげるのみで、体罰やその見聞の経験がない児童・生徒は皆無という問題の現実を忠実に記述していない。


日本の福祉・教育の現状は、「未成年者としての地位に必要とされる保護」のための措置について、児童虐待に対する対応のように適切に機能するシステムそのものを欠いているなど制度面での不備があるばかりか、運用面でもきわめて不十分である。


その結果、学校においては、校則や懲戒などによる管理教育が問題とされ、体罰や「いじめ」がはびこり、深刻な心身への被害や不登校が激増しており、社会や家庭における児童虐待、警察補導や施設における虐待による被害が拡がり問題とされている。そして、ついには適切な家庭環境に恵まれないまま、あるいは学校教育の枠組みからはじき出されて、施設に収容されるなかで、子どもたちが死に至るというショッキングな事件も続発しているのである。


「風の子学園事件」を紹介しよう。


1991年7月29日、広島県三原市の「風の子学園」で16歳の少女と14歳の男子中学生が、コンテナ内に監禁され死亡しているのが発見された。2人は、日中は摂氏40数度になるコンテナに閉じ込められ、熱射病のため死亡しており、発見されるまで40時間以上経過していた。コンテナ内に監禁された理由は、少女らが煙草を吸ったからというだけであった。


「風の子学園」は、1989年11月に開設された非行等の問題のある子どもを入所させ、生活態度を改善し、立ち直らせる施設であることを標榜する民間の矯正施設である。


実態は、職員は定着せず園長の他に1人しかおらず、子どもの処遇は粗末な食事と体罰と監禁が常態で、病人や怪我人、脱走者が相次いでいたという。


この事件で死亡した男子中学生は、通っていた兵庫県姫路市立の中学校と市の教育委員会の紹介で入所している。


少年は、コンテナでの監禁、飢えやのどの渇き、早く帰りたいことなどを訴えた日記を学校に送っているが、中学校と教育委員会は、これに応えて実態調査を行うことすらしていない。


東広島市教育委員会の職員から紹介されて入所した者もおり、公的機関が、その実態を正確に把握しないで安易に「問題児」を民間施設に紹介し、入所させ、その結果2名を悲惨な死に追いやっているという事実は、社会に大きな衝撃を与えた。1992年8月、死亡した男子中学生の両親は、姫路市などに対し、損害賠償訴訟を起こした。


2 子どもの人権の危機的状況

実は、これは初めてのケースではない。著名なケースだけでも、1983年の戸塚ヨットスクール事件、1985年の不動塾事件、大阪の養護施設での「いじめ」死亡事件、鹿児島の教護院での体罰死亡事件など、いくつものケースが起こり、多くの子どもの生命が奪われている。


実際に、日本の施設は公的な施設でさえも、子どもがいつでも利用できるように整備されているとはいえず、また、設置基準が貧困で、予算措置も十分ではなく、子どものニーズに応える設備や職員を確保できないものが数多く存在し、その結果、子どもの人権への配慮がおろそかになることが憂慮されている。そうした公的な施設が利用できない間隙を埋めているものが民間の施設である。日本にはこの種の民間施設が数多くあり、非行行為を行う子どもや不登校の子ども、時には障害児なども含め、本来学校の教育制度の中で対処していくべき子どもを安易に放り出し、民間の施設に入所させているケースが少なくない。このような施設の特徴として、体罰をはじめとする力による「指導」により子どもを「立ち直らせる」ことが追求される傾向がある。しかも、一部の親や教育関係者の間には、このような「指導」を信奉する傾向がみられ、そうでなくても他に方法がなく、わらにもすがる思いで入所させているのである。


ところが、このような民間施設の実態については、文部省をはじめ行政機関は全く把握してきておらず、監督権限もないため、野放し状態にある。このために、このような施設に入所させられた子どもの人権は、そして生命は、きわめて危機的状況にある。


この意味で、今回の「風の子学園事件」も特殊な例外的ケースとして見過ごすことはできないのである。以下、体罰問題、児童虐待問題、障害児教育問題、不登校問題、校則問題など、日本の子どもにとって深刻な問題につき、それらの実態を中心に報告する。


第2 日本の教育制度

1 はじめに

日本の教育制度は基本的に「6・3・3・4」の単線制度をとっている(6年間  小学校、3年間  中学校、3年間  高等学校、4年間  大学)。


このほか、就学前の子どものために保育所と幼稚園が、さまざまな障害を持つ子どものために盲学校・聾学校・養護学校などが用意されている。また、高等学校には大きくわけて普通高校と職業高校(工業高校・商業高校等)があり、また大学には履修期間が2年間だけの短期大学がある。


このうち、小学校と中学校は「義務教育」として原則無償制がとられている。ただし、給食費や教材費などが徴収されるため完全無償制とはなっておらず、また教科書有償化の動きもある。


なお、日本における高校進学率は、1960年が57.7%であったのに対し、現在は95%ときわめて高い。また、大学・短大への進学率についても、発足時(1949年)は6%であったのに対して現在は36%を超えている。


2 日本の教育の現状

日本の教育行政は、戦前の軍国主義教育の反省のもとに日本国憲法の精神を反映して策定された「教育基本法」を根本に置き、学校教育法をはじめとする種々の法令に基づいて行われている。


教育行政全般を担当するのが文部省であり、また各レベルの自治体に教育委員会が置かれている。教育委員会は、戦後まもなくのころは地方分権を旨として委員の選出も公選制がとられていたが、1956年以降、都道府県知事による任命制がとられるようになり、逆に中央集権化の傾向が強くなった。現在では、東京・中野区が唯一準公選制をとって多少なりとも住民の意志を反映している程度で、これに対しても文部省は一貫して「違法」との立場をとっている。


教育内容についても均一化の傾向が強く、地域的な特徴はあまり生かされない。その背景として、以下の3つのことが挙げられよう。


「学習指導要領」の存在

各学年毎の教育内容を定め、「日本国民たるに必要な基礎的・基本的事項を定めたもの」とされ、文部省はこれを「準法規的性格」をもつものとしてとらえ、教師にはこれに従うことが求められ、これに沿って作られた教科書を使わないで独自の授業を行った教師が処分される事件が発生している。内容が多すぎ、見解の分れる問題で、特定の視点に立つことが強要されていることへの批判も強い。例えば「新学習指導要領」(1989年3月発表)は、国民の間で大きく意見が分れているのに「日の丸」を国旗、「君が代」を国歌として指導するよう義務づけ、これに従わない教師たちが何百人も処分を受けている。


教科書検定制度の存在

日本では、文部省の認可を受けた教科書しか学校で使用することができない。検定により教科書は、日本がアジアに「侵略」したという歴史的記述を「進出」と改めさせられるなど、特定の立場に立たないと許可されないため、教科書の出版社は、政府の気に入らないような記述を最初から避けることとなる。


過剰な受験教育

Ⅳで述べるとおり日本では「受験戦争」という言葉が一般的になっているほど、高校入試・大学入試がそれぞれ中学・高校の授業内容を支配している。受験に役立たない授業は生徒からも親からも嫌われ、中学3年生・高校3年生の1年間は受験に合格することを主目的とした授業が全国的に行われる。


3 日本の学校運営のシステム

日本では、フランスやドイツで行われているような学校運営への父母参加・生徒参加のシステムはまったく確立されていない。PTAという父母組織は存在するが、学校運営に対する発言権はほとんど有していないし、生徒会も、生徒自治の機能をほとんど果たせない状態に置かれている。


さらに、職員会議も、校長の補佐をする機関という位置づけで運用されるところが多く、校長が進んで職員会議の議決を尊重するという姿勢をとらないかぎり、民主的学校運営の役には立たない。日本の学校では総じて、文部省・教育委員会の意がきわめて強く反映するようなシステムになっているということができる。


第3 体罰〔7条、24条〕

1 学校における体罰

国際人権〈自由権〉規約7条の「禁止対象は、教育的又は懲戒的措置としての行きすぎた処分を含む、体罰にも及ばなければならない」〔国際人権〈自由権〉規約委員会の一般的意見7(16)〕のであり、さらに国際人権〈自由権〉規約24条の趣旨からしても、国際人権〈自由権〉規約上あらゆる体罰は禁じられている。しかし、日本の学校では、小学校、中学校、高等学校を問わず、教師が生徒に対して日常的に体罰を振るっているという事実がある。


学校教育法11条は、公立私立を問わず、全ての教師の体罰を禁止しているが、この法律は公然と無視されている。


正座させたり、手で頭や尻を殴るというものから、足蹴りにするもの、さらに棒で殴るものなど、軽微なものから強烈なものまで、様々な体罰が行われている。文部省の統計によれば、教師の体罰事故として報告されているのは、1990年度で、809校、962件(小学校243件、中学校568件、高校146件、養護学校等5件)で、体罰をした教師は1,023人であるが、実際には各学校が教育委員会に報告していない体罰が多くあるといわれており、実態はこれよりはるかに多いといわれている。


実際に、埼玉県では、市民グループの指摘により、県教育委員会が、再調査したところ、3件から43件に増加したという例もある。


これらの体罰により、ときには生徒が怪我したり死亡したりしたケースもある。


1985年5月、岐陽高校の36歳の教師は、2年生の生徒に対して、顔を殴り腹を蹴るという暴行を振るって死亡させた。体罰の理由は、その生徒が修学旅行に校則で禁止されているヘアードライヤーを持ってきたというだけのものであった。


このケースを含め最近の7年間で、少なくとも5人の子どもが、教師の体罰により死亡している。さらに、1989年6月11日、群馬県の公立中学校の生徒が、「先生に殴られたり、蹴られたりするのが辛かった。死にたい」との遺書を残し、首をつって自殺した。このケースのように、体罰により生徒が自殺する場合もいくつかある。


また、1989年9月には、福岡県の中学校の教師が、中学生2名を海辺の砂浜に首のあたりまで埋めた。その生徒らが他の生徒から金を脅し取ろうとしたという理由であった。


2 行政・司法の不十分な対応

このような体罰が根絶されない原因として、教師や親に、子どもに対する教育には体罰が必要であるという考えが根強いことがある。このため学校や親の間では、多少の体罰は容認するばかりか、むしろ教育熱心であるとして歓迎する傾向も根強い。


体罰を振るった教師のごく一部しか懲戒処分の対象とならないが(文部省では、1990年度に、266人の教師が懲戒処分を受けている)、さらに、懲戒処分の内容も、文書または口頭の注意または訓告がせいぜいであり、体罰が生徒に対する重大な人権侵害であることを認識しているとは思われない運用となっている。刑事上、民事上の責任が問われる場合もあるが、刑事事件においては比較的軽い処罰で終わっている。例えば、前記岐陽高校事件の教師は、懲役3年の刑を受けているが、石川県で起きた教師の体罰による傷害致死事件では、執行猶予の判決が下されている。そればかりか、1981年4月1日の東京高裁判決は、「有形力の行使*は……教育上肝要な注意喚起行為ないし覚醒行為として機能し、効果があることも明らかである」として一定の体罰を容認するような理由を述べて、体罰を振るった教師を無罪とした。


*「暴行」の概念的要素、「有形力とは、広義の物理力を意味し、無形的ないし心理的方法に対する。打撲・刺創・加圧などの力学的作用のほか、音響の作用、光・熱・電気・臭気等のエネルギー作用をふくむであろう。病原菌・毒物・腐敗物・麻酔薬などによる化学的・生理的作用についても広義の物理力すなわち有形力の一種として、暴行概念にふくめる例が多い」(団藤重光編・「注釈刑法(5)各則(3)」昭和43年11月有斐閣刊100頁より)。 また、民事責任については、国公立学校の教師の場合、体罰を振るった教師個人の責任は問えないこととされており、免責されているのである。 このように、日本では、法的に体罰は禁止されているものの、実際には体罰を容認する雰囲気が強く、これを根絶するための行政的、司法的な措置もきわめて不十分である。


第4 いじめ〔7条、17条、24条〕

1 大きな社会問題「いじめ」

日本の小学校、中学校における大きな問題として「いじめ」がある。日本の児童・生徒が「いじめ」にさらされ安心して学校に行けない現実は、国際人権〈自由権〉規約24条の「必要とされる保護の措置」を受ける権利の侵害にほかならない。さらには、同規約7条の「残虐な、非人道的なもしくは品位を傷つける取扱いを受けない権利」や同規約17条の「名誉及び信用を不法に攻撃されない」権利もまた侵害されているといえる。


「いじめ」は、クラスの多数の生徒が、特定の1人または少数の生徒を肉体的精神的に虐待するものである。殴ったり、蹴ったりする暴行や、物を取り上げたり、金銭を恐喝したりするほか、クラス全体で無視したりするなど形態は多様で、長期間くり返し継続することも特徴である。その理由は、太っているとか、動きがのろいとか、不潔だとか、きわめて些細なことであったり、さらには、成績が優秀であるとか、外国生活を送ってきたためにしぐさや言葉遣いが日本人と異なるなど、まともなものはない。特に、日本社会が国際化していくなかで、帰国子女や外国人が増大しており、大きな問題としてクローズアップされている。


「いじめ」は、多くの子どもたちを自殺に追い込み、1985年前後から、大きな社会問題となった。以下具体例を上げる。


1985年9月、福島県いわき市の14歳の男子生徒は、中学校のクラスメイトの「いじめ」を苦にして、首吊り自殺した。彼は、長期間にわたり、クラスメイトから、暴行を受けたり、金銭を強要されたり、草を食べさせられたりという「いじめ」を受けていた。


1986年2月、東京都中野区の13歳の鹿川裕史君は、中学校のクラスメイトの「いじめ」を苦にし、「このままじゃ、生きジゴクになっちゃうよ」という遺書を残して自殺した。彼も、クラスメイトから暴行を受けたり、使い走りを強要されたりしたほか、担任教師も一緒になって、彼を死んだことにして「葬式ごっこ」をしていた。


これらの事件では、子どもが自殺したことについて学校側に責任があるとして、損害賠償請求の訴訟が提起されたが、いわき市のケースについては学校側の責任が認められたものの鹿川君のケースでは学校側が自殺を予見することは困難であったとして責任が否定されている。


1985年前後には、このような自殺には至らないが、重大な「いじめ」事件が多発し、1985年には、約15万件のケースが報告されている。文部省は、その後、「いじめ」事件は減少しており、1989年には3万件になっているとしているが、これは事実に反するという見解も少なくない。


2 現 状

東京弁護士会は、1985年に「子どもの人権110番」を開設しているが、この6年間に寄せられた電話2,966件のうち、873件が「いじめ」に関する相談であり、相談の分類の中で、最も多い。相談者も、小学校1年生から高校生までと広範囲にわたっており、時には、子ども本人から直接電話がかかってくる。その内容には、クラスの多数からいやがらせの言葉を言われるというようなものから、集団暴行を受け、骨折したり、自殺に追い込まれたケースも含まれている。また、教師に相談しているが、自分で解決しなさいといわれ、途方にくれて相談の電話をしているというケースも少なくない。


また、登校拒否をしている生徒の数はこの数年増加を続けているが、登校拒否の原因の最大のものは、体罰と並んで、「いじめ」であると言われており、この意味でも「いじめ」が減少しているとは思われない。むしろ、目に見えない形での陰湿な「いじめ」に変化してきているのではないかと言われている。


1991年11月には、大阪府豊中市で、15歳の水本佐和さんが、4人の少年少女から殴る蹴るの暴行を受け、意識不明になった後、死亡した。水本さんは、1年以上も前から、クラスメイトにいじめられ続けており、逮捕された少年らは、水本さんの服装がだらしないとか汚いとか言って暴行したと述べているという。このような形の「いじめ」もいまだなくなっていない。


3 原 因

このような「いじめ」が多発しているのは、単にいじめる子どもに問題があるだけだとは考えられていない。その原因として、第1には、日本社会の特殊性が、第2には、日本の教育の構造的問題が指摘されている。


第1の点は、日本人が均質であることを重視し、異質なもの(独創的なものすら)を排除するという傾向にあることである。このため、小さいころから多数と横並びであることを求められ、他者と異なることを極度に恐れるという傾向がある。


第2の点としては、日本の学校における過度の受験競争と管理教育が、子どもたちのストレスを強めていることが挙げられている。


第2.2で指摘した文部省の定めた教育内容の全てを、子どもの理解に関係なく教え込む体制の下で、すでに小学校1年生から、その授業についていけない子ども(「落ちこぼれ」と呼ばれる)が生まれ、義務教育が終了するまでに、9割の子どもが「落ちこぼれる」とも言われる。どのような高校に入学するかが、その一生を左右することになり、中学での受験勉強は激烈なものになる。都市部では、私立のエリート中学校に入学するための競争も激烈なものとなっており、受験競争が小学生にまで及んでいる。このため、子どもたちは、学校から帰った後も塾に通い、十分に遊ぶ時間もない状態である。


さらに受験の際学校から提出される内申書〔Ⅵ.2参照〕を有利にしたいということとあいまって、子どもたちは、Ⅸで分析する管理教育に不満であっても従わなければならず、がんじがらめになって、主体的に活動し楽しむ場所がない。このようなストレスが陰湿な「いじめ」という形で現れていると考えられている。従って、「いじめ」をなくしていくためには、このような学校の構造的な問題を解決することが必要なのである。


第5 児童虐待〔24条〕

1 国際人権〈自由権〉規約24条1項

児童虐待の問題については、これを予防する体制を整えること、虐待で傷ついている子どもとその家族に対しては、発見及び緊急の対応をも含めて、その状況から確実に抜け出すことができ、かつ容易に利用できる方法を確立し整備すること、そして傷ついた子どもをいやす体制を制度として整えることを、国際人権〈自由権〉規約24条1項が求めていることは疑いがない。


2 日本の現状

日本では児童虐待は、公の統計*から少ないといわれている。しかし、この少ないといわれる公の統計でも年間2,000件に及んでいる。


一昨年より、ようやく始まった民間ボランティアの虐待防止機関の発表では、相談件数は、1機関だけで、しかも始まったばかりだというのに年間700件にもなる。日本全国でわずか2,000件というのは、信じられないほど少ない数字である。その暗数は少なくとも10倍には及ぶといわれているのである。*全国児童相談所長会調査報告。


3 虐待の例

次の例は、子どもが死亡してはじめて虐待が明らかになった例である。


1988年7月、東京・巣鴨の40歳の非婚の母による14歳から乳児までの男女計4人の子ども置き去り事件が発生した。この事件は児童虐待の問題としても社会的に大きな波紋を投げかけた。この母親は数人の男性と情交関係を持ち、5人の子を出産したが、非婚の子、非嫡出子であることから、これによる差別を恐れて、いずれの子についても出生届出をせず、学齢期に達しても就学させず、子どもたちを社会から隔離する形で暮らしてきた。ところが母親は某男性と知り合い、同年1月ころマンションを出て、千葉県の愛人の男性の自宅で同棲するようになった。その後、月に何回かは様子を見に帰ったことはあるが、長男(14歳)に生活費をわたし、妹たちのめんどうをみさせていた。しかし長男は生活費の多くをゲームセンターなどで浪費し、妹たちに対して満足な食事を与えなかったため、二女は栄養失調の状態で発見された。一方、長男の遊び友達2人がマンションを訪れるようになり、妹たちをいじめるようになったが、ついに同年4月ころ、長男と遊び友達2人は、三女が粗相をしたことから殴打し、さらに遊び友達は三女がカップラーメンを無断で食べたことに憤慨して、三女を押し入れの上段から落下させるなどして死亡させた。そして遊び友達と長男は三女の死体を山中に遺棄し、これが発覚して、同年7月にまず長男らが保護され、次いで母親が保護責任者遺棄罪の疑いで逮捕された。


4 問題点

児童虐待は医師、学校、保健婦、児童福祉施設、弁護士、裁判所、電話相談機関、児童相談所などの幅広い協力関係によって解決されるべき問題であるが、児童相談所(厚生省管轄下)がその専権であるとして幅広い協力関係を形成することを怠っていることが最大の問題である。


5 親権剥奪申立て

虐待親の親権剥奪数は、日本全国の家庭裁判所で年間20件に満たない。しかも、児童相談所の長が親権剥奪を裁判所に申し立てた例は、この10年間で日本全国で1件しかない。およそ信じられない怠慢である。親権の一時停止制度があるが、その利用申立てにも重大な障害がある。それは虐待児の親族の申立てを必要とすることである。しかし、虐待者が親族を脅かしている実情から、親族は、怖がって申立てをしない。虐待されている子どもからの直接の申立てを可能とすること、また児童相談所の長がもっと虐待親の親権剥奪を申し立てることが望まれる。


6 法制の不備

日本の法律〔民法〕は、「子は、親権に服する」〔民法818条1、2項〕として子の親に対する一方的な服従の関係として、親の権利を定めている。しかも、子どもの親に対する権利を規定していない。この親の権利という法規定の具体的な内容は、「懲戒場に入れることができる」ということを含む「子を懲戒」する権利〔民法822条〕、「子は、親権を行う者が指定した場合に、その居所を定めなければならない」とする居所指定の権利〔同法821条〕などの時代錯誤的な規定が中心となっている。しかも少年法では、「保護者の正当な監督に服しない性癖のあること」を虞犯*行為とし、非行につながる行為としてとらえており、この面からも子どもは親に対して絶対服従を強いられるのである。


*ぐはん。性格、環境に照らして、将来、犯罪を犯しまたは刑罰法令に触れる行為をする虞れ(おそれ)のある少年を虞犯少年といい、少年法3条は、非行少年のなかに、犯罪少年とともに虞犯少年を含ませている。「自己又は他人の徳性を害する行為をする性癖のあること」など、虞犯の要件は、あまりにも抽象的であるとの批判が強い。


1990年、日本政府が署名した子どもの権利条約は、親は「子どもの養育および発達に対する第一次的責任を有する」として、親が子に対して権利を有するのではなく、養育の義務を負うことを明記した〔同条約18条1項〕。しかも子どもの表明する意見については、これを正当に重視しなければならないとし〔同条約12条1項〕、さらに親からの虐待から「子どもを保護するためにあらゆる適当な立法上、行政上、社会上、および教育上の措置をとる」とし〔同条約19条1項〕、親の一方的な支配を認めない。しかしこの条約を日本政府は未だ批准しておらず、それを有効に機能させる体制をとる努力も怠っているため、裁判所にも警察にも、条約の精神に従った法運用をさせる認識がいきわたっているとはいえず、親権の行使が虐待に及んでいても、これを適切に抑制することができないのが現状である。


7 必要な対策

虐待で傷ついた子どもを傷痕からいやすグループワーキングや、虐待をせざるをえなかった親の問題を一緒になって助けるカウンセリング制度などは、これまで福祉事務所や児童養護施設などで一部試みられてきたものの、実態は何も手をつけられていないといってよい。現在の日本の虐待問題で一番必要なのは何か。それは公的機関の充実とともに、政府が民間機関の総合的な協力を求め、全体的な協力関係を打ち立てることにある。しかし、政府のそのような動きはまだない。


第6 教育情報〔17条〕

国際人権〈自由権〉規約17条は、私生活等に対する干渉または攻撃につき法律の保護を受ける権利を保障している。そして、国際人権〈自由権〉規約委員会の一般的意見16(32)は、「各個人は、どんな個人データがデータファイルに保存されているか、またどんな目的であるかということを理解できる形で確かめる権利をもたなければならない」「もしも、そのようなデータファイルの中に、誤りのある個人データが含まれていたり、データファイルが法の規定に反して集められていたり、処理されていた場合には、各個人は修正を求めたり、削除を求める権利をもつものとする」と述べ、自己に関する情報をコントロールする権利も、国際人権〈自由権〉規約17条に含まれるとしている。教育過程で得られた子どもに関する情報も、当然その子どもに関する自己情報である。しかし、日本では、児童・生徒の教育に関する情報が、本人や親の承諾を得ることなく、学校により広範に収集され、しかも、それらの情報が自己に関する情報であるにもかかわらず、その本人に開示されない運用がほとんどである。そのため、それらの情報に誤りや不正確な記載がなされ、しかもその情報が不利益に利用され、子どもの権利をおかし、その発達を歪めるものとして社会問題とされ、その是正が広く求められている。まさに国際人権〈自由権〉規約17条に反する重要な問題である。それにもかかわらず第3回日本政府報告書には、この深刻な問題についての記述は一切ない。


1 指導要録

「学習及び健康の状況を記録した書類」〔学校教育法施行令31条〕は、原簿である指導要録にまとめられ長期間保存される。指導要録は指導資料として、学内のみならず、進学先の学校に写しが送付されていたり、外部証明資料として警察や家庭裁判所の求めに応じて、写しの交付や内容の報告がされ、例えば、綾瀬母子殺人冤罪事件で、少年は実際は「いじめ」などで不登校になったのに、指導要録に「怠学」と記載され、その写しが警察へ提出され、冤罪を警察が作り出す一因となった。このように指導要録の記載に誤りがあったり、恣意的な偏った記述があることも少なくなく、上級校や警察・家庭裁判所の取扱い上不利益を受けるのである。


2 内申書

内申書は、外部証明の原簿としての指導要録に基づいて作成される。法規上の正式名称は調査書である。内申書は、入学者選抜にあたって、試験当日の学力検査だけの一発勝負的な結果による弊害をやわらげ、平常の評価をも判定の資料に加えることを目的として1948年に導入され、1966年文部省が「選抜にあたっては、調査書を十分に尊重すること」という通達を出してから、公立高校選抜の資料として大きな比重を占めるようになった。しかし、本人や親には開示されていない場合が多い。例えば、現実に麹町中学校内申書裁判(なお、この裁判は、16年間行われ、1988年最高裁判所判決*で、生徒側が敗訴した)、岡崎丸刈り事件の生徒の内申書の不利益記載事件、高槻市の個人情報保護条例に基づく内申書の開示を拒否されその取消しを求める訴訟事件(森本未樹子ケース)*1などが報告されている。内申書の記載事項は都道府県によって異なるが、成績評価以外に出欠の記録、健康、性格行動の記録などの記載欄を有する書式が圧倒的である。このように、教師の主観による欠席理由や病歴の記載や問題行動・性格の記述により、その子どもの公立校入試への道が閉ざされるなどの実例も全国各地からあがっている。また、教師が体罰などの問題を起こしても、生徒や親は内申書に何が書かれるか不安だという理由で問題にしにくい傾向がある。


* 1988年7月15日最高裁判所判決。(判例タイムス675号59以下)


*1 継続中。


3 学校事故報告書

学校は学校事故・体罰・「いじめ」事件について報告書を作成して保有し、教育委員会に提出している。もちろん、本人や親には開示されないことが圧倒的に多い。これらの報告書は学校側の言い分のみが一方的な自己弁護として記載されている例が多いが、公的な記録として保管されることにより、被害者や当事者となっている子どもにとって現実に不利益を与えている。例えば、埼玉県大宮市宮原中学校体罰事件訴訟*2 や千葉県習志野市第7中学校体罰訴訟*3 においては、体罰事故報告書の開示やその内容が問題となり、後者の判決においては、体罰事故報告書の不正確さが指摘された。


*2 継続中。


*3 1992年2月21日千葉地裁判決(判例タイムズ781号133頁以下)


第7 障害児〔24条、26条〕

1 障害児の差別

日本の障害児は、日本社会において障害者全体が受ける差別のほかに、教育の場面においても、差別を受けている。


すなわち、日本では、教育の場として、普通学校に、普通学級と特殊学級があり、このほか、特殊学校である養護学校があるが、日本政府は1979年、障害をもつ子どもに養護学校に行くことを義務づけ、その結果、障害児は、教育行政当局により一方的に「障害の程度」を判定され、親や子どもの普通学校への通学の意志が無視され、普通学校から排除され、養護学校への通学が強制されるケースが数多く発生している。また、普通学校に入学できた場合も、親や子どもの意志を無視し、特殊学級に強制的に入級させるケースが発生している。


2 養護学校

養護学校はその性格上、地域とも健常児とも分離された特殊教育の場である。養護学校への通学を強制された子は、通常、遠隔地通学、親からの分離された寄宿舎生活を余儀なくされ、健常児との接触を断たれ、障害児のみとの関わりを強制されることになる。学校教育の場は子どもにとって、国家社会によりその学習権を保障されるための基本的かつ具体的な機会である。ところが障害児の場合には、障害があるというだけの理由で、上記のとおり、就学に際し、親や子どもの意志を無視して一方的にかかる不利益を強制されることになるのである。従って、このような養護学校への就学、特殊学級への入級強制が、国際人権〈自由権〉規約24条1項、同26条に違反する。


3 障害児差別訴訟

実際に訴訟などになったケースをいくつか紹介する。


a 2歳のころ脳性麻痺にかかり、肢体が不自由な子どもの両親が、「地域社会の中で生活できるように育てたい。そのためには、幼児期から地域の学校に通学させたい」との意見を教育委員会に申し入れ、何度も話し合ったが、教育委員会はそれを無視して、養護学校に通学させよとの通知を親に出した。両親は、1982年、養護学校決定処分の取消しを求めて行政訴訟を起こした(長崎障害児就学訴訟)。


b 山崎恵さん(当時12歳)は、出生時に脊髄を損傷し、胸から下が不自由になったが、小学校は普通学校の普通学級に家族の付き添いを条件に通学していた。ところが、中学校では、特殊学級への入級を強制されたため、1991年、特殊学級への入級措置の取消しなどを求めて、北海道旭川地裁へ訴訟を起こした。


c 玉置真人さん(当時16歳)は、1991年春、市立尼崎高校の入学試験で、上位10%以内の成績を取り、十分に合格水準まで達していたが、玉置さんが、障害(筋ジストロフィー症)を有していたため、不合格となった。同年、玉置さんは、神戸地裁へ不合格処分取消しと慰謝料の支払いを求めて訴訟を起こした。神戸地裁は、1992年、「身体に障害を有していることのみで、その入学の道が閉ざされることは許されない。不合格処分を取り消す」との判決を下した。


第8 不登校問題〔6条、7条、9条、23条、24条〕

1 不登校の急増

成長・発達を続ける子どもの保護の措置への権利に応えるために設けられた学校で、子どもの心身を損ない回復できない傷を与えることは、その目的に反し、あってはならないことであり、国際人権〈自由権〉規約24条の許すところではない。ところが日本においては、学校に行かなければならないと頭では思っているのに、何らかの学校に対する心理的な違和感、恐怖感があって、不登校になっている子どもが近年急増し続けている。1992年の文部省調査によると、中学校で54,112人(中学生全体の1.04%)、小学校で12,637人にのぼった。この調査で文部省のいう「登校拒否児」とは、「年間30日以上連続して欠席したもののうち理由が、学校ぎらいの子ども」とされている。特にここ数年の傾向としては、小学生の不登校児が急増しており、毎年約1,000人単位で増えている。政府、自治体は後述のとおり、ようやくこの状況を認め対策に乗り出そうとしているが、第3回日本政府報告書はなぜかこの問題の指摘を欠く。


2 背 景

日本における不登校児の増加が目立ってきたのは、1960年代の高度経済成長期以降である。日本の社会が大量生産、大量消費時代を迎え、経済的効率が最優先されるようになったのに対応し、社会全体の中央管理的指向に支えられ、教育の現場でも画一的、均一的管理体制と能力主義が生み出されたことと深く関連している。日本では、高い学歴、有名大学卒業生が有名会社、官庁に就職できる現実があるため、子どもたちは、深刻な受験競争の中で生きている。異常な競争は低年齢に向けて戦線が拡大しつつあるのである。


・また、Ⅸで分析している制服、髪型、くつ下の折り方等から始まって、生徒の立ち居振る舞い全体を細かく定める校則と、これへの違反を暴力や懲戒処分を用いてまで許さないとする画一的・暴力的な管理体制は、子どもたちの心に、皆と同じでなければならない、異質なものは排除すべきだという共通の認識を生み出し、少数者に対する思いやりや、独創性、自己主張の能力等が育ちにくい状況をもたらしている。


加えて、日本人の間には、自己と異なる他者を受け入れることに歴史的、心理的に不慣れであり、同一化、均一化になじみやすい傾向もあるため、このような大人の文化の反映として、子どもの心にも、他人と異なってはならないという心理的強制が強く働いている面がある。


3 実態

このような中で、受験競争についていけなくなった子、このような学校のあり方に疑問を持ち自ら積極的に競争を否定しようとする子、他人と異なったところがある(それは意見を異にするだけでなく、振る舞い、服装あらゆる点においてチェックされる)ため「いじめ」にあった子、教師の「体罰」による生徒管理に苦しめられた子は、学校を耐え難い苦痛と感ずるようになり、学校に行かなくなったり、行けなくなったりする。


こうした子どもたちの中には、朝起きても腹痛、頭痛などをおぼえる子もいる。日中は家に閉じこもって、外へ出ない子もいる。このような子どもたちは、学校に行かないのは変だとして、学校や教育委員会から精神科受診を勧められることも多く、その結果、精神病院に入院させられることも少なくない。しかし、学校や教育委員会が、精神の正常な子を、不登校を理由に精神病院に入院させることは、国際人権〈自由権〉規約7条、9条、そして24条に違反する。


4 登校督促と除籍処分

教育基本法4条、学校教育法22条、39条、91条は、親に学齢にある子どもを就学させる義務を罰則つきで課している。この条項を根拠に、教育委員会が、学校での「いじめ」や体罰などが原因や背景となり不登校状態にある子どもの親に対し、「子どもを登校させないと刑罰が科せられることがある」と督促することが、よくある。また、その督促に応じない場合に、子どもを除籍処分にすることもある。このような督促や除籍処分は、国際人権〈自由権〉規約24条に違反する。


5 民間施設に関して

最近では不登校児が入所または通学する民間施設(フリースクール)が増えている。しかし、不登校児や問題児とされる子を入れる民間施設の中には学校へ行かない子は根性が足りないから強制を加えるべきだと考えるものがあり、ここでも子どもの人権は脅かされる。冒頭で指摘した「風の子学園」でのいたましい事件はその1例である。体罰のある施設へ子どもを入れることに学校や教育委員会が関与することは、国際人権〈自由権〉規約6条、7条、9条そして24条の違反となることは明白である。


6 行政の対応の不備

前記のとおり、不登校児増加には制度的、構造的原因がある。政府も不登校の子どもが余りにも多く増えてきた現実をようやく認めざるを得なくなっている。文部省はこれまでの専ら「本人の怠け」や「親の過保護」を原因とする考えを改め、1990年12月の研究報告では、「特定の子どもだけの問題ではなく、学校、家庭、社会全体のあり方にかかわる問題」と指摘し、復帰以上に子どもの自立が重要として、学校以外の機関での何らかの代替措置をも認めるにいたった。また、学校には行けないが民間施設には行ける子どもの出席を出席数にカウントする場合があることを認めるようになってきている。


しかし、文部省の対応の方向は、発生した不登校に事後的な対応を考えるにとどまっており、これをもたらす構造上の問題への対応は全くない。また、現在の学校の制度上の問題点についても、改善策は出ていない。さらに、親や子どもの意見を尊重する姿勢も弱い。子どもたちは、登校拒否の状態の中でも、自分を成長させ得る学校を模索しているのである。不登校問題を、単に、学校不適応児の対策問題としてのみ考えていくということでは、根本的解決にならない。学校に通う子ども全体の問題として、学歴偏重主義、経済効率優先主義、そして学校における管理中心主義などを変えなければ、日本の子どもたちを救うことはできないであろう。そのためにも日本政府は、この問題を根本的な解決を必要とする国際人権〈自由権〉規約違反の人権問題として受け止めることが必要なのである。


第9 校 則〔6条、7条、9条、16条、17条、24条、26条〕

1 校則に管理される子ども

揃いの黒い詰め襟服に坊主頭、色も形も同じカバンをもって、白いくつ下、黒い革靴に身を固めた少年の群れが、ぞろぞろと歩いていく。少女たちの一団も、みな紺サージのセーラー服かブレザー姿で、髪はおかっぱか三つ編みに統一され、誰が誰とも判別しにくい。それが日本ではごくありふれた中学生や高校生の登校風景である。


兵庫県立高塚高校では、遅刻を減らすために毎朝登校時刻が終わるや否や、見張りの教師が校門を閉じるという指導を行っていた。毎朝遅刻しそうになった生徒が閉まりかかった校門をすり抜けようと殺到する。1990年7月6日の朝、1人の女生徒が教師が閉めかけた校門に挟まれ圧死する事件が起きた。校則に管理される日本の高校生の悲劇の象徴であったといえよう。


2 権利の制約である校則

国際人権〈自由権〉規約委員会の一般的意見は、国際人権〈自由権〉規約24条の規定について、「この規定の実施は、締約国に本規約2条の下で、全ての人が、本規約に定める全ての権利を享受することを保障するためにとるべき措置に加えて、児童を保護するための特別な措置を採用することを課している」と述べている。同規約自身が、「すべての者は、すべての場所において、法律の前に人として認められる権利を有する。」〔16条〕と規定しており、子どもも同規約が保障する全ての権利を享受することは当然なのであり、子どもだからといって権利を制約できるわけではない。ところが日本の学校においては、子どもに対する教育的配慮という名目で、学校が一方的に定める基準により、子どもの日常生活を細かく規制し拘束しているのが一般で、通常の人であれば許される行為が、生徒・児童であるために許されないとされることが多い。


3 生活規制の実例

校則で何が規制されるのかについての例を挙げる。学校には、服装、髪型、持ち物などについて、細かな規制があるのが普通である。生徒たちは、ズボンの幅、くつ下の折り方、スカートの丈、リボンの結び方等が、図入りで詳しく解説された手帳を交付され、その規制に従うことを強要されている。中には歩き方、礼や挙手の仕方、給食の食べ方に至るまで、詳細な規則がある場合もある。


校則による生徒の生活規制は、学校内での生活にとどまらず、学校外の生活にまでおよび立入禁止場所の指定、外出時の服装の規制、運転免許取得の禁止、アルバイトの禁止、ロックコンサートへの入場禁止、結婚の禁止等々、本来家庭において決定されるべき領域にまで及んでいる場合も多い。


4 校則の内容

このような生活領域の隅々までおよぶ網の目のような規制と介入は、おおむね教師たちの手で一方的に作られ、生徒たちを拘束している。そして生徒や親にその内容を是正させる権利を認めないものがほとんどである。自己決定に委ねるべき領域、少なくとも親などの保護者の決定に委ねられるべき領域に広くおよんでおり、場合によっては運転免許の取得やアルバイトのように法が許容しているものを禁止することにまでおよんでいる。これは子どもを、独立して権利を行使する主体として認めないことを意味し、明らかに国際人権〈自由権〉規約前文に規定する「人間の固有の尊厳」を侵し、その16条、17条、26条に違反し、同規約の他の多くの保障を侵すものである。またこの独立した権利行使の主体として認めないということは、試行錯誤を通して子どもが成長・発達を遂げる機会を狭めるものであり、国際人権〈自由権〉規約24条の「必要とされる保護の措置への権利」を侵すものというべきである。同24条の国際人権〈自由権〉規約委員会の一般的意見が、「文化的分野においては、児童の個性を伸ばすような全ての可能な処置がとられるべきであり、また児童に、その結果、本規約に規定されている諸権利を、特に意見を発表し、表現する自由を児童が享受できるような一定のレベルの教育を施すべきである」としていることを参考にすべきである。


5 校則の運用と権利侵害

校則の規制はその内容に問題があるばかりか、その運用も子どもの人権を侵す問題を含んでいる。まず日常的な監視が行われる。校門には生活指導担当の教員が立ち、校則に違反している生徒がいないかを、厳しく監視することは珍しくない。また抜き打ちで一斉に所持品検査と称して持ち物を提示させて点検したり、こっそりと持ち物を改めたりすることも行われる。寮生活などでは手紙が検閲されたり、舎監が聞くことのできる場所に電話機を設置して盗聴することも決して少なくはない。教師たちが、放課後や休日にも地域を巡回し、校則違反者の発見に努めることも多い。それらの結果、少しでも違反している者があると、その場で規則どおりに改めさせ、あるいは違反物を没収する。中には授業を受けさせずに帰宅させる、教師が髪を切り落とす、あるいは寮への居住を中止させて帰宅させるといったことまで行う場合もある。軍隊の規律を思わせるこうした校則が、教師たちの手で一方的に作られ、生徒たちを拘束している。しかも校則は、懲戒処分に裏打ちされて、強制にまで高まっているのである。生徒たちは校則に違反したとして責められ、弁明の機会も与えられず、懲戒の根拠も曖昧なまま、不明朗な手続きによって処分されている。教師が殴る、蹴るなどの体罰を加えることもある。停学や退学処分を受けることもある。高校中途退学者約12万3,000人(1991年)のうちのかなりの部分が、事実上、退学を強要されている。バイクに乗ったから、あるいはパーマをかけたからということで、簡単に退学させられた高校生が学校の違法性を裁判で争う事件も起こっている。しかし、裁判所は、子どもの訴えを認めない傾向にあり、かつ日本の裁判は、時間がかかり過ぎ(通常、1審の判決が出るまで2~4年位である)、権利の救済手段として不十分である。


生徒は自分自身に関することを自分で決定する権利を奪われ、暴力や不当な懲戒の脅威をもって管理統制に柔順に従わざるを得ない状況に追いつめられているのである。


こうした暴力や懲戒の脅威をもって強制し、死亡にまでつながっている校則による管理は、「品位を傷つける取扱い」を禁止する国際人権〈自由権〉規約7条に違反し、場合によっては「身体の自由及び安全」の侵害〔同9条1項〕や生命に対する権利の侵害〔同6条1項〕にも該当するといわなければならない。そしてそうした侵害による心の傷は、何より子どもの成長・発展を狭め、歪めるもので、国際人権〈自由権〉規約24条1項が保障する「保護の措置への権利」を損なうものといわなければならない。


このような行き過ぎた校則による管理教育のひずみが最近目に余るようになったため、文部省も細かすぎる校則の見直しを進めている。しかし、生徒のひとりひとりが人権を保有する人間であるという事実を見据える基本的な態度が学校側にない限り、校則の本来あるべき姿も追求されることはない。


第10 少年院における少年の人権侵害について〔10条〕

最後に少年司法に関する問題であるが、第3回日本政府報告書は、少年院における少年の人権侵害について全く触れていないので、ここで若干言及する。


国際人権〈自由権〉規約10条は、「自由を奪われたすべての者は、人道的にかつ人間の固有の尊厳を尊重して、取り扱われる。」と定める。この「すべての者」の中に、非行を犯して少年院に収容されている少年も含まれることは、疑問の余地のないところである〔国際人権〈自由権〉規約委員会の一般的意見9(16)〕。


また、「自由を奪われた少年の保護のための国連規則」31項は、「自由を奪われた少年は、健康と人間の尊厳の要求を全て満たす施設とサービスの提供を受ける権利を有する」とし、同35項は、「私物の所持は、プライバシーの権利の基本的要素であり、少年の心理的健康にとって必須のものである」とし、さらに、同36項は「少年に対しては、可能な限り私服を着る権利が与えられなければならない」と規定している。


しかし、日本の少年院においては、私物所持の権利はきわめて限定的にしか認められておらず、私服を着る権利は全く認められていない。私物の差入れについては、次頁の「差入品一覧表」のとおり、六法全書、文庫本、単行本などの差入れが禁止されるなど、きわめて不合理な制約が課されているのである。また友人との面会は、禁止されている。これらは、明らかに国際人権〈自由権〉規約10条に違反するものといえよう。


《5》 法律扶助

第1 法律扶助〔14条、26条〕

日本政府は、法律扶助に関し第2回日本政府報告書別添1の「我が国の人権擁護機関の仕組と活動」の中で、法務省人権擁護局とその下部機関の活動の1つとして、法律扶助を取り上げている。これによれば、「貧困のため民事裁判を遂行できない人々(在日外国人を含む)のため弁護士報酬等を含めて、訴訟の費用を全部立替える制度が設けられている。実際の業務は、財団法人法律扶助協会に行わせているが、人権擁護局が国庫から補助金を受けてこれに支出し、業務を監督している。」としている。


しかしながら、日本政府の法律扶助に関する支出は、以下に述べるとおり、十分とは言い難く、法律扶助の多くは民間の資金によっている。日本の弁護士全員が構成員となっている日弁連は、全面的に活動及び資金面でも財団法人法律扶助協会の法律扶助活動を支持し、これに政府の国庫補助と民間団体と市民の寄付金を加え、活動資金にしているのである。


1 法律扶助の現状

1949年6月10日制定された弁護士法33条は、弁護士会に会則を定めるべきことを義務づけ、同会則中には「無資力者のためにする法律扶助に関する規定」を設けなければならないとしている。日弁連は、これを受けて、会則を定め、その88条、89条に弁護士会はその費用において、無資力者の依頼による法律相談及び訴訟扶助をすべきことを定めている。


また、法務省設置法は、法務省人権擁護局の事務として、貧困者の訴訟援助を掲げている〔人権擁護法11条4号〕。これらの規定があったものの、法律扶助に関する活動には見るべきものはなかった。


そこで1952年に日弁連は、100万円の基金を拠出して財団法人法律扶助協会(以下、「協会」という)を設立するに至り、法律扶助もようやく緒についたのである。


協会の事業目的は、「法律上の扶助を要する者の権利を擁護し、もってその正義を確保すること」〔寄付行為4条〕であり、現在実施している事業は、(a)法律扶助、(b)無料法律相談、(c)少年保護事件付添人扶助、(d)難民法律相談、(e)中国残留孤児国籍取得援助、(f)刑事被疑者弁護人援助の各事業であり、法律扶助事業は協会の全国50支部で、法律相談は38支部で、少年保護事件付添人扶助は40支部で、難民法律相談、中国残留孤児国籍取得援助は本部だけで、刑事被疑者弁護人援助は32支部で、それぞれ実施している。各事業のうち、狭義の法律援助事業(裁判費用の立替)は協会が発足した1952年以来行っているものであり、1958年度からは国庫補助(当初は1年1,000万円で開始され、1964年からは5,000万円に、1970年に7,000万円に各増額、以降約20年間は7,000万円台、1989年から4年間で倍額とすることとされ、1992年度には1億5,000万円に達した)を得て運営されている。


なお、法律扶助は立替制度を採用しており、過去に扶助を受けた人から協会に返済される返済金(「償還金」といわれている)は繰り返し扶助費として使用されるものとされている。


1991年度における扶助費(予算)は全体で7億9,900万円であり、その財源としては、償還金5億3,500万円(66.9%)、国庫補助金1億2,700万円(15.9%)、協会負担金1億3,600万円(17.0%)等があてられている。


無料法律相談事業は、1974年度から開始されたが、同事業に必要な資金としては主として財団法人日本船舶振興会の補助金(1991年度には5,090万円)があてられている。


少年保護事件付添人扶助事業、刑事被疑者弁護人援助事業は、日弁連からの援助金と協会の負担金で実施され、難民法律相談事業は国際連合難民高等弁務官事務所から委託を受け、主として同事務所が支出する委託費により、中国残留孤児国籍取得事業は主として財団法人日本船舶振興会の補助金により実施されている。


2 法律扶助協会の事業規模

協会の1991年度における支出総額(予算)は15億9,000万円であるが、そのうち協会の主たる事業である裁判費用立替に直接支出される扶助費は7億9,900万円(支出総額に対する割合50.2%)、それ以外の事業費は3億9,500万円(同24.8%)、一般事務費(運営)は2億8,600万円(同17.9%)となっている。一方、収入は償還金が5億3,500万円(収入総額に対する割合38.2%)、寄付金が3億,2500万円(同23.2%)、弁護士会援助金が1億5,000万円(同10.7%)、地方公共団体、財団法人日本船舶振興会等の補助金が1億4,500万円(同10.3%)、国庫補助金が1億3,800万円(9.8%)、基金等の運用金が4,200万円(同3%)等となっている。


なお、協会では、1982年から法律扶助に要する資金の不足をカバーするため、仮差押、仮処分に必要な保証金に代え銀行の支払保証書を裁判所に差し入れる支払保証立担保業務を開始し、その保証額は1990年度実績で5億7,000万円に達している。


以上にみたとおり、法律扶助事業に対する国庫金補助は協会の総支出額の10%に達せず、裁判費用の立替分に限定しても16%弱にすぎない。その余の資金については日弁連、弁護士会からの援助、事件受任弁護士からの寄付金(受任弁護士が受領する着手金、報酬金から一定の割合の納付を受けるもの)、贖罪寄付金、篤志家による寄付金、民間団体である財団法人日本船舶振興会、地方公共団体からの援助金等がこれにあてられており、この実体を一言にして言えば、政府の援助が他の国に比較して、極端に貧弱であることに特徴があると言えるであろう。


3 国際人権〈自由権〉規約26条、14条との関係について

同規約26条は「すべての者は、法律の前に平等であり、いかなる差別もなしに法律による平等の保護を受ける権利を有する。」と定め、同14条は「すべての者は、裁判所の前に平等とする。すべての者は、その刑事上の罪の決定又は民事上の権利及び義務の争いについての決定のため、法律で設置された、権限のある、独立の、かつ、公平な裁判所による公正な公開審理を受ける権利を有する。」旨を規定している。


しかして、これらの規定は、同規約締結国に、同規定に定められた内容にそった措置を司法行政の面だけでなく立法の面においてもとるべきことを定めたものである。


一方、法律扶助の目的は、全ての人に法律が保障した権利を行使する機会を平等に与え、それによって各人が福利を享受し得るよう援助することにある。特に貧困あるいは十分な資力がないため、法における保護が平等かつ効果的に与えられないことがあってはならない。権利行使の方法としては、弁護士に依頼して訴訟、調停その他の手段をとることが通常である。従って、法律扶助の内容としては、終局的には弁護士に依頼することに対する経済的、社会的障害を除去することといえよう。


法律扶助のかかる目的を達成するための措置をとることが国際人権〈自由権〉規約14条、26条の趣旨にそうこととなるのであり、これらの人権規約を誠実に遵守するためには法律扶助制度の充実に努力する必要がある。


4 わが国における法律扶助制度の課題

では、わが国の法律扶助制度は国際人権〈自由権〉規約14条、26条にそった内容を有するものと言えるだろうか。


次に述べる諸点が改善されない以上、同規約14条、26条の要請に十分応えたものとはとうてい言えない。


A 立法化がされていないこと


わが国では、法律扶助に関する基本法がいまだ制定されていない。


法律扶助制度のあり方、国のかかわり方、法的サービスの提供者、サービスの受益者等に関して定めた基本的な法律をもっていない国は少ない。わが国では協会が設立されて40年も経過しているのに未だ法律扶助基本法の制定がなされていない。このことが法律扶助制度発展に大きな障害になっていることは明らかであろう。


B 国庫資金の投入が少なく、事業規模が小さいこと


経済大国と言われているわが国が法律扶助に対し1年間で支出する資金はわずか1億5,000万円にすぎない。ちなみに、1991年度の国家予算(一般会計)は約70兆3,474億円であるから、その占める割合は、0.0000021%にすぎない。そのため、法律扶助事件(民事)は1990年度で4,072件にすぎず*1 、とうてい扶助を必要とする国民のニーズに対応できていない。


*1 財団法人法律扶助協会平成2年度(1990年度)事業報告書13頁以下参照。


C 提供する法的サービスの範囲が狭いこと


国が補助金により援助し得る対象としているのは、民事の訴訟、調停、示談交渉に限られており、弁護士による助言、調査、交渉等の領域への援助に及んでいない。かかる領域での紛争解決のためにも弁護士の援助が必要なことは明らかであり、この領域へも国庫補助金による援助を拡大することがぜひ必要である。


D 法的サービスの対象者が少ないことと立替、償還制度をとっていること


現在実施している扶助の対象者は、その資力基準からすると国民のうち収入面で最下位から20%位までの層となっているが、扶助制度の目的からすると同資力基準は狭きに失すると言うべきであり、少なくとも最下位から40%位の層にまで拡大し、拡大された層については全部または一部償還制度を採用すべきである。


また、現在実施している原則償還制度*2 は、大きく見直す必要があろう。最下位から20%の層の扶助対象者に対して訴訟の結果資力が回復するか否かに関係なく償還を求める制度は、資力のない者に対する援助を目的とする援助制度と矛盾するものと言わざるをえない。


扶助対象者の範囲を拡大し、償還についてもこれを求めるもの、一部だけ求めるもの、全く求めないものとに区別し整備することがぜひ必要である。


*2 扶助申込者は、その資力が法律扶助協会で定める「法律扶助基準」に該当すれば、資力がいかに少なくとも同協会が立て替えた費用を償還(返還)することが義務づけられている。しかし、扶助申込者が生活保護法で定める要保護者であるような場合で償還が困難と認められるときは法務大臣の承認を受け、償還が免除されることがあるし、長期間の償還がないとき、一定の要件のもとで、償還義務を消滅させる方策がとられている。


国際人権〈自由権〉規約の日本における実施状況に関する報告書【その3】

《1》 国際人権〈自由権〉規約の周知徹底と同規約選択議定書批准問題

第1  国際人権規約周知徹底のための施策

国際人権両規約批准後、これらの条約の内容を国内にある多くの人々に周知徹底させるための政府の努力は必ずしも十分なものとはいえない。毎年12月10日の国連デーを中心とする人権週間に当たっては、法務省人権擁護局の主催により、さまざまな行事が実施され、その中で、国際人権規約についての講演などが行われているが、その効果は限られたものといわざるを得ない。


また、文部省検定の中学生用・高校生用の教科書において、国際人権規約の名称・成立年度・日本政府批准年度などにつき簡単に記述されているだけで、両規約の具体的な内容には触れられておらず、国際人権規約について、義務教育及び高校教育で、不十分な教育しかなされていないといわざるをえない。


政府は人権問題に、より積極的な関心を持ち、まず公務員、特に警察、検察、裁判、行刑その他人々の自由や権利に関係のある職務に従事する公務員に、国際人権規約の内容を周知徹底させ、あわせて、国民はもとより日本にいる全ての人々に国際人権規約の内容を知らせ、かつ理解させる方策を構ずべきである。


第2 国際人権〈自由権〉規約第1選択議定書の批准問題

国際人権〈自由権〉規約第1選択議定書について、第3回日本政府報告書は、「本議定書は、人権の国際的保障のための制度として注目すべき制度であると認識している」〔2条.7(4)〕としながら、批准については、「検討すべき多くの問題点が残されている」〔前同〕と述べている。


問題点として挙げられているのは、「我が国司法制度との関係や制度の濫用のおそれも否定し得ないこと等の懸念」である。


「司法制度との関係」が何を意味しているかは必ずしも明らかではないが、考えられるのは、最高裁判所の最終的判断を、国際機関である国際人権〈自由権〉規約委員会が検討することは「司法の独立」を損なうという批判である。


しかし、「司法の独立」とは、国政の中において司法権が、行政権や立法権に対して独立性を保たなければならないという権力分立論に由来するものである。従って、最高裁判所の判断が国際社会において批判されたからといって、これによって「司法の独立」が損なわれたということはできない。このことは、最高裁判所の判断やあり方について国民が批判したからといって、「司法の独立」を害したことにはならないのと同様である。


また、事実上の4審制を認めることになるとの批判も考えられるが、このことについては、「制度の濫用のおそれ」の問題とあわせて論ずる。


第1選択議定書は、締約国の管轄下にある個人が、国際人権〈自由権〉規約に定められた権利を侵害されたと主張して、国際人権〈自由権〉規約委員会に通報することができる旨、定めている〔議定書1条〕。


しかし、この通報については、議定書及び委員会暫定手続規則がその許容性についてさまざまな条件を定めている。それを列挙すると次のとおりである。


(1) 通報は匿名であってはならない〔議定書3条、手続規則90条1項a〕。


 通報には、被害者の氏名、年齢、職業及び国籍を記入することとなっている。


(2) 国際人権〈自由権〉規約に掲げられたいずれかの権利が、議定書の締約国によって侵害された場合でなければならない〔議定書1条、手続規則90条1項b〕。


(3) 通報提出権の濫用であってはならない〔議定書3条、手続規則90条1項c〕。


(4) 国際人権〈自由権〉規約の規定に抵触する通報は許容されない〔議定書3条、手続規則90条1項d〕。


(5) 同一の問題が、他の国際調査または解決の手続のもとに審議されていてはならない〔議定書5条2項a、手続規則90条1項a〕。


(6) 利用できる全ての国内的救済手段がつくされていなければならない〔議定書5条2項b、手続規則90条1項f〕。


 個人情報については、以上のような厳しい条件が定められているので、日本政府が心配しているような「濫用」のおそれは杞憂というべきである。


 また、個人通報に関する国際人権〈自由権〉規約委員会の審議の結果表明された結論は、締約国を法律上拘束するものではないので、事実上の4審を認めたことになるとの批判も当たらない。


《2》 刑事手続について政府報告書に対する反論と日弁連報告【その1】の補足

第1 死刑確定者の処遇〔6条〕

第3回日本政府報告書は、死刑確定者の処遇について次のように報告している。「死刑確定者は、おおむね未決被拘禁者に準じた処遇を受けている。また、その心情の安定に資するため、希望により宗教教誨及び篤志面接委員による助言・指導も行われている」「死刑確定者の面会については、その拘禁目的に照らして、拘禁施設の長が個々具体的に許可・不許可を決するとするのが監獄法の趣旨であり(監獄法45条1項)、実務運用上は、死刑確定者本人の身柄の確保を阻害するおそれがある場合等、死刑確定者の拘禁の目的を害することとなる一定の場合を除き、職員の立会いの下に、家族・弁護士などとの面会を許可する扱いとしている」


しかし、正確な実態は、日弁連報告書【その1】para.375以下に説明したとおりであり、このような日本政府の説明は、極めて不正確であり、ミスリーディングなものといわざるをえない。


未決被拘禁者は、原則として、家族・友人との面会を認められている。これにたいして、死刑確定者が面会・通信のできる範囲は極めて厳しく制約されていることは、日弁連報告書【その1】para.378・379に明らかにしたとおりである。すなわち、弁護士と実の家族以外の者との面会・通信は原則として認められていない。その刑事事件のため、身柄が拘束された後に結婚した配偶者、養親子関係を結んだ親や子とも面会・通信を認めない例がある。このような取扱いは、とうてい「おおむね未決被拘禁者に準じた処遇」といえないことは明らかである。


また、このようにして、家族・友人の面会・通信を禁止している理由は、第3回日本政府報告書が説明しているような「死刑確定者本人の身柄の確保を阻害するおそれがある場合」などではなく、日弁連報告書【その1】の説明するように「死刑確定者本人の心情の安定を害するおそれがある場合」という理由によるものである。問題は、このような恣意的な理由による、面会・通信の制限が許されるのかというところにある。実際にも、このような制限によって死刑確定者の再審の請求などの諸活動が著しく困難になっている。第3回日本政府報告書がこの点を全く説明していないことは極めて重要である。


すなわち、政府は、この問題の争われている裁判において次のように主張している。


「死刑確定者をして心情を安定せしめ、安定した心情を持続せしめるという安心立命の境地に導くための積極的処遇は、文化国家の刑罰制度として最低の要請であり、広義において公共の福祉に合致するものであり、死刑確定者に罪の自覚や被害者に対する贖罪の観念を起こさせ、死そのものを安らかに迎えられるように指導、援助することは、公共の福祉の要請である。この要請を実現するためにも、本人への指導はもとより、死刑確定者の外部との交渉を制限することは、許容されなければならない」〔東京地方裁判所 昭和62年(行ウ)第25号損害賠償請求事件 1988.3.16付準備書面〕


このような、日本政府の国内における主張と第3回政府報告書の内容は明らかに反するものである。日本政府は、国内での主張が国際社会においては、とうてい受け入れられないものであることを知っているからこそ、この点を第3回日本政府報告書に入れなかったのだと考えざるを得ない。従って、国際人権〈自由権〉規約委員会においては、「死刑確定者本人の心情の安定を害するおそれがある」という理由による面会・通信の制限が実施されているのか、もし、実施されているのだとすれば、そのことをなぜ第3回日本政府報告書の中で、説明しなかったのかを明らかにしていただくよう希望する。


第2 未決拘禁の手続き〔7条、9条、14条3項(g)〕

1 逮捕、勾留の濫用

第3回日本政府報告書は、国際人権〈自由権〉規約9条3の権利について刑事訴訟法上のいくつかの規定〔刑事訴訟法203条、205条、207条、208条〕を引用して、法律により認められた被疑者の身柄拘禁期間は、司法のチェックのもとで厳格に守られているという。


しかしながら、まず、憲法、刑事訴訟法が規定する裁判官による司法チェックが機能していない運用の実態が存在することは、日弁連報告書【その1】para.171以下で述べたとおりである。


1987年の勾留却下率が0.295%、1989年の勾留却下率が0.306%という統計*は、1960年代の勾留却下率約3%と比較しても著しい却下率の低下であり、裁判所によるチェック機能のさらなる形骸化を如実に示している。*司法統計年報による。


そのために、逮捕・勾留の要件である犯罪の嫌疑の要件が緩やかに解釈され、自白獲得を目的とする拘束が容認されていると共に、軽微な事案において均衡を欠く拘束が行われている。


日弁連人権擁護委員会が1986年及び1987年に日弁連会員に行ったアンケート調査の結果によれば、報復のための逮捕、情報収集のための逮捕、労働組合や政党などの活動の干渉目的の逮捕などの不当・違法な動機目的を持ってなされる逮捕が横行していることが明らかになっている。


軽微な事案において均衡を欠く拘束が行われた例をいくつか掲げると、


(a) 警察官が一時停止違反をした少年に対し、運転免許証の提示を求めたが、応じなかったことから、住所・氏名を確認できないとして現行犯逮捕した例〔日弁連人権擁護委員会編「人権事件警告要望例集」上巻311頁〕。


(b) 速度違反で検挙された運転手が、その事実を認め、かつ逃走の恐れもない状況で、警察官が免許証の提示を求めたところ、示したが渡さなかったとして、現行犯逮捕した例〔前同書367頁〕。


(c) 在日韓国人の被疑者が外国人登録証の「引換交付」手続きの際、指紋押捺強制は憲法、国際人権〈自由権〉規約に反するとして指紋押捺を拒否したところ、令状逮捕された例。被疑者は前もって弁護士を通じ、警察署に内容証明郵便で住所を明らかにし、逃亡しないことや、指紋押捺拒否の理由を明らかにしていた〔日弁連「逮捕・勾留及び捜索・押収問題に関する報告と提言」4頁〕。


さらには第3回日本政府報告書の別件逮捕・勾留に関する部分についていえば、日弁連報告書【その1】para.173以下で明らかにしたとおり、裁判所が別件逮捕・勾留の抑制への消極的な姿勢をとっていることが別件逮捕・勾留による自白の強要の定着を許している。


ただ、同報告書では、逮捕・勾留の要件及び必要性は、一定の被疑事実について判断されるものであって、他の被疑事実の捜査のために逮捕・勾留が行われるということはあり得ないとし、従って、専らある被疑事実Aのために他の被疑事実Bについて被疑者を逮捕・拘禁するいわゆる別件逮捕・勾留は許されないと報告しているが、逮捕・勾留中に逮捕・勾留の基礎となっている被疑事実以外の事実についても取調べができる事実を認めている。


通常審でいったんは死刑が確定しながら、再審で無罪が確定した免田、財田川、松山、島田4事件のすべてで、別件逮捕・勾留が利用されていたのである。


この別件逮捕・勾留の横行により、刑事訴訟法により身柄拘束期間の法定化がされていても、その潜脱がまかり通っているのが現実である。


2 捜査における自白獲得のためのシステム
自白獲得のための勾留

日本の逮捕・勾留制度が被疑者の取調べをその基本的な目的としており、とりわけ、否認黙秘事件についてはその傾向が顕著で、逮捕・勾留が実際上、代用監獄における身柄の管理状態を利用しての自白追及の場としての役割を果たしていることは、日弁連報告書【その1】para.80以下及び206以下で詳述したとおりである。


「真相解明のために自白の獲得は不可欠である」「自白は証拠の王である」ないし「自白させることは被疑者の更生のためにも必要である」との信念が捜査関係者の支配的な見解であり、糾問的捜査観がその基本的な捜査観となっている。藤永幸治検事は、論稿「我が国の捜査実務は特殊なものか」*1 の中で、「捜査官の説得による被疑者の任意性のある自白をもとめることは、当然に許されることであるばかりか、捜査官の責務としてなければならないものである」「我が国の捜査官は、真相の解明は被疑者の人権のためにも必要であるとして、被疑者の取調を行っているのであり、検察官はもとより、伝統的に警察官もまたこの役割を果してきたのである。その結果、犯罪の防止と制圧、被疑者、被告人の人権保障、特に受刑者の改善更生、社会復帰に諸外国に及ばない優れた成功をおさめてきたといってよい」と述べている。


また、原田明夫検事(当時法務省大臣官房人事課長)も、論稿「被疑者の取調べ」〔三井誠他編「刑事手続・上」117頁〕*2 において「犯人と目される人物の供述なくして、過去に生じた一定の出来事の実態を明らかにすることができない場合がほとんどである」「検察官を含めた我が国の捜査官には、事案の真相解明のためのみならず、犯人の改善・更生を期待し、求める立場から被疑者の取調べに熱意を持って誠心誠意あたることが要求されている」と書いている。


このような捜査観のもとで、警察の代用監獄で身柄を24時間管理し、狭い密室である取調べ室に被疑者を閉じ込め、外部との連絡を断ち、数人で交替しながら威嚇的あるいは脅迫的な言辞を用い、誘導尋問をし、自白するまでに連日長時間に及ぶ取調べを繰り返す。自白しない被疑者にはしばしば暴行が用いられる。その結果、被疑者は疲労困憊し、絶望し、ついには自白する。


被疑者の逮捕・勾留はこのような取調べを行う目的のために運用されているのであり、その自白強要のためのシステムは明らかに国際人権〈自由権〉規約7条、14条3項(g)に違反するものである。


*1 判例タイムズ468号。


*2 1988年筑摩書房刊。


第3 刑事補償等〔9条5項〕

1 第3回日本政府報告書の内容

第3回日本政府報告書における刑事補償等に関する記載は、単にわが国の関係法律条文を紹介しているだけである。


すなわち、憲法17条、国家賠償法、憲法40条、刑事補償法、被疑者補償規程等の関係条文を掲記するだけで、その運用実態を全く明らかにしていない。


2 国家賠償の現状

わが国における刑事司法に関する国家賠償責任は、実務上限定的であり、極めて例外的な場合しか認められていない現状である。


例えば、検察官の公訴の違法性に関しては、「公訴の提起時において、検察官が現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料を総合勘案して、合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば、右公訴の提起は違法性を欠くものと解するのが相当である」〔最高裁1989.6.2判決〕とし、裁判官の判断の違法性に関しては、「当該裁判官が、違法又は不当な目的をもって裁判をしたなど裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めうるような特別の事情があることを必要とする」〔最高裁1982.3.12判決〕としている。


そして、無罪の判決を受けた者が国家賠償責任を追及しても、まれにしか勝訴することはなく、ほとんどの場合において捜査官や裁判官の国家賠償責任が否定されているのが現状であることについて、第3回日本政府報告書は無視している。


3 少年事件の補償

また、わが国においては、無実の少年が逮捕抑留された後に、家庭裁判所において不処分決定を受けた場合についての補償規定を欠き、刑事補償法が適用されないとされている〔最高裁1991.3.2決定、最高裁1992.7.17決定〕。なお、少年への補償を定めた少年保護事件に係わる補償に関する法律が1992年6月19日に国会で可決・成立した。


4 補償金額

第3回日本政府報告書は、刑事補償法や被疑者補償規程における補償金額についても触れていない。これらの補償金額は低額であり、不当に逮捕抑留された者に対して、精神的経済的な全ての損害を完全に補償するものになっていないことについて注目する必要がある。


第4 家族、弁護人との接見交通〔10条、14条3項(b)(d)〕

1 被疑者の接見

第3回日本政府報告書は、「弁護人と(被疑者と)の接見が拒否される場合には、(1)刑事訴訟法39条3項に基づく接見指定権の行使によるものと、(2)被疑者を勾留している監獄の施設管理上の必要に基づくものとがある」が、これらの制限は、「憲法の精神と抵触しない」とする。


しかし、上記(1)による制限とは、警察官や検察官が被疑者を「取調べ中」であることや「取調べの予定」があることなどを理由に、被疑者の弁護人との接見を制限することを意味しており、このような制限が憲法の精神に抵触するのみならず、国際人権〈自由権〉規約14条3項(b)及び(d)に違反するものであることについては、日弁連報告書【その1】para.146~162に指摘したとおりである。


また、上記(2)については、後に詳しく述べるように官庁執務時間による日常的な接見の制限を意味しており、被疑者が弁護人の援助を受ける権利はこのような便宜的理由で制限されてはならず、国連被拘禁者人権原則18の3項が定める3つの要件のいずれも満たしておらず、憲法及び国際人権〈自由権〉規約14条3項(b)及び(d)に違反する。


2 「接見指定権の行使」による接見制限

第3回日本政府報告書は、上記の接見指定権の行使による接見制限は、「被疑者の防御権と捜査の必要とのバランスを考えて設けられたもの」だと述べているが、被疑者が弁護人の援助を受ける権利は捜査の必要に優先するのであって、このようなバランス論自体が誤りだとわれわれは考える。


また、実際の運用においてもバランスは極端に捜査の必要に傾いており、刑事訴訟法39条3項但書の「防御の準備をする権利を不当に制限するようなものであってはならない」との規定は、実際には機能していない。


すなわち、接見指定を行うことがある旨の通知を発した事件については、「弁護人が直接監獄に赴いて被疑者との接見を求めたときには、監獄の係官は検察官に連絡を取り、検察官が接見指定の要否を判断」するとするが、それまでの間、被疑者は弁護人と接見することができず(一般的指定状態)、場合によっては、1時間以上も無為のまま待たされることもある。このようにして待ったあげく、「取調べ中」あるいは「取調べ予定」との理由で、直ちに接見ができないこともよくあり、直ちに接見ができた場合であっても、接見時間は通常15分から20分に制限される。


1988年4月以降においては、接見指定を行うことがある旨の通知を発せられた事件であっても、何らの制限なく接見ができたケースも報告されてはいるが、依然としてレアーケースにとどまっており、上記の通知のある事件については、ほとんどの場合、接見の開始時刻及びその時間の両面で制限が加えられているのが実態である。


3 接見妨害の実状

第3回日本政府報告書は、「(接見指定を行うことがある旨の)通知があった場合でも、弁護士は被疑者と接見するためには直接監獄に赴けばよい」とするが、1988年4月以降においても、弁護士が予め検察官に接見に赴くことを連絡しなかったことを理由に接見が拒否されるケースが発生している。


梶山公勇弁護士は、1990年3月13日、千葉県大原警察署の代用監獄において、被疑者目良金夫(めら・かねお)との接見を申し出たが、事前に検察官に連絡することなく接見に赴いたとの理由で接見を拒否された。梶山弁護士は、国を被告として、国家賠償請求訴訟を提起し、現在、東京地方裁判所に係属中である。被告国は、その準備書面の中で、「客観的には何らの障害事由もないにもかかわらず、再三にわたり殊更、主任検察官との事前連絡をしないまま、警察の担当官に対して接見を求めているものであって、右のごとき行為は、弁護人としての権限を濫用するものであると評されるべきである」と述べている。


なお、弁護人が検察官に事前の連絡をしないのは、事前に連絡すると、現実には「取調べ中」でなく、「取調べ予定」もないのに、これらの理由があるかのように装って接見を妨害するケースがあるため、このような口実での接見妨害を防止するためである。直接、代用監獄へ接見に赴けば、少なくとも「取調べ中」かどうかは可視的である。


また、捜査官による取調べは、逮捕から起訴に至る最大限、通常23日間のいつでも自由に行われており、これに対して弁護人の接見時間は圧倒的に少ない。芸大バイオリン汚職事件(国立大学音楽学部教授であった海野義雄氏に対する収賄事件であり、1985年4月8日東京地方裁判所で判決が言い渡された)においては、逮捕後実質的な取調べが終了するまでの16日間に、検察官は海野氏に対し、総計161時間17分、1日平均8時間50分、午後10時を過ぎる取調べを9日間行っており、これに対して海野氏の弁護人との接見は、散々努力したあげくで、7回、1回20~30分、総計3時間15分に過ぎなかった。


なお、第3回日本政府報告書にも記述されているように、1991年5月10日及び同月31日、最高裁は、捜査機関による接見等の日時等の指定は、「現に被疑者を取調べ中」だけでなく、「間近い時に右取調べ等をする確実な予定があって、弁護人等の必要とする接見等を認めたのでは、右取調べ等が予定どおり開始できなくなるおそれがある場合も含む」とする判決を出した。弁護人の接見の日時を指定できる場合を、従来の最高裁判例(1978・7・10)* よりも拡大している点は、見逃すことができない。


* 最高裁は1978年7月10日判決で、「捜査機関は、弁護人等から被疑者との接見の申出があったときは、原則として何時でも接見の機会を与えなければならない」とした。そのうえで、「現に被疑者を取調べ中であるとか、実況見分、検証等に立ち会わせる必要がある等捜査の中断による支障が顕著な場合には、弁護人等と協議してできる限り速やかな接見のための日時等を指定し、被疑者が防御のため弁護人と打ち合わせることのできるような措置をとるべきである」と説示した。


 従来も、取調べ中でもないのに、「取調べ中」と偽って、弁護人の接見を妨害する事例は数多くあった。ところがこの両判決では、「取調べ中」でなくても、「取調べの予定」があれば弁護人の接見に応じなくてもよいことになるから、捜査側は、「取調べの予定」とさえ言えばよい。「取調べ中」かどうかは、後で被疑者に聞くとか、留置人出入簿を調べて、判明するので、接見日時指定の違法性を追及できる。


ところが、「取調べの予定」を理由に日時指定された場合、「予定」があるかどうかは、被疑者にも弁護人にもわからない。また「予定」はしばしば変更されうる。結局、接見日時指定の違法性を立証することは大変困難になろう。


こうして、今でさえ数多くある接見妨害が、「取調べの予定」という口実を新たに使うことによって、格段に助長されるであろう。


そもそも、「取調べ中」の接見が捜査に支障を来すという発想自体が問題であり、「取調べ中」や「取調べ予定」を理由とする接見拒否が国際人権〈自由権〉規約等に反することは前述したとおりである。また国連「弁護士の役割に関する基本原則」に定める「拘禁された者は、遅滞、妨害なく、弁護士と相談するための十分な機会、時間を与えられるものとする」にも反するものである。


アムネスティ・インターナショナルは、1989年3月日本に調査団を派遣し、1991年1月、弁護士との接見交通権などの保障措置の強化を求める勧告書を公表した。国際人権連盟からも同趣旨の勧告がなされ、国連人権委員会で度々取り上げられている。最高裁は、これらの勧告を受け入れて、「取調べ中」を理由に接見を妨害してはならないとの判決をこそ出すべきであった。


4「施設管理上の必要」による接見制限

第3回日本政府報告書は、「施設管理上の必要については、例えば、監獄が、緊急の必要性のない深夜の接見を拒否する場合」だとするが、制限はこのような例外的な場合のみならず、官庁執務時間内しか接見を認めないという形で日常的に行われていた。


まず、監獄においては、監獄法施行規則122条の「接見ハ執務時間内ニ非サレハ之ヲ許サス」との規定により、平日午前8時30分から午後5時まで、土曜日は午後0時30分までに制限されて、これを超える時間帯及び日曜・祝祭日には原則として接見が認められていなかった。


さらに、東京拘置所を例にとると、受付時間は、平日午後3時30分までの間とされており、この時間までに受付を済まさないと実際上接見はできず、しかも午後5時には終了しなければならない。


代用監獄の場合であっても、勾留後は、上記の監獄法施行規則の適用があるとされ、また逮捕留置については、接見時間を制限する法律自体はないものの、各都道府県に被疑者留置規則実施要綱という内部規則があり、特別の事情がありかつ捜査上及び保安上支障がない時を別として、平日は午前8時30分から午後5時15分、土曜日は午後0時30分までとされていた。


もっとも最近になって改善の動きがでてきた。


法務省矯正局は、拘置所において、従来、月2回の土曜閉庁日には、弁護人との接見は原則として行わせず、例外的に「申出が当該土曜日前の執務時間内になされ、その面会に緊急性及び必要性が認められる場合は、当該土曜日の午前中に限りこれを実施する」〔1988年12月骨子案〕*1としていたが、1992年5月から完全土曜閉庁が実施される(毎週土曜閉庁となる)に伴い、日弁連との協議の結果、被疑者との初回接見については、土曜日だけでなく、日曜祭日についても、事前の連絡があれば、平日と同様の時間帯に接見を認める扱いになった〔1992年3月新骨子案〕*2。


*1 「休日となる土曜日における面会及び差入れの処理について(骨子案)」法務省はこの骨子案の実施のため、各施設に対して、昭和63年12月2日付け法務省矯保第2509号矯正局保安課長依命通知「休日となる土曜日における接見及び差入れの処理について」を発している。


*2 「弁護人接見について(骨子案)」


法務省はこの骨子案の実施のため、各施設に対して、平成4年4月21日付け法務省矯保第887号矯正局保安課長依命通知「休日における弁護人接見等の取扱いについて」を発している。


しかしこの扱いは、初回接見に限られ、かつ、平日と同様の時間帯の接見に限られているので、弁護人との自由な接見を定める国際人権〈自由権〉規約等の基準からみれば、大きくかけ離れている。


また1989年警察庁は全国留置業務主管課長会議を開き、各都道府県警察に被疑者留置規則実施要綱の改正を指導した。これを受けて、東京では、1990年12月同要綱にかえて被疑者留置規程が制定され、1991年1月から施行された。同規程49条1項は、「留置主任官は、執務時間外において、弁護人等から接見又は差入れの申出を受けた場合は、留置場の管理運営上支障があるときを除き、その申出に応ずるものとする」と定めている。全国的に改正(施行)が終わったのは同年4月である。このため最近は、執務時間外でも比較的弁護人の面会に応じ、面会時間も制限しない傾向にある。ただ、被疑者・弁護人の権利として確立しているわけではなく、特定の事件での面会妨害がなくなっているわけではない。まだまだ不十分であるといわざるをえない。


そもそも、上記被疑者留置規程でも、「留置場の管理運営上支障があるとき」には接見に応じられないことになっており、このような制限規定自体、国際人権〈自由権〉規約等に反する。弁護人との接見は自由であることを法律上明記して、接見交通権の権利性を明確に認めるべきである。


5 弁護人以外の者との面会

弁護人以外の者との面会については、刑事訴訟法の規定に基づき、罪証隠滅の恐れを理由に面会が禁止される場合がしばしばあり、被疑者が黙秘していたり、事実を争ったりすると、多くの場合この面会禁止処分がなされる。その期間は、勾留後の20日間に及び、場合によっては、起訴後の何年間にも及んでこの面会禁止処分が継続することもある。


6 受刑者の接見妨害の実状

受刑者の面会について、第3回日本政府報告書は「原則として、親族に限られ、その他の者との間では、特に必要が認められる場合にのみ許されることとなっている」が、実際上、弾力的に運用されており、職員の立ち会いを行わない措置もとられているとする。


しかし、受刑者と弁護士との面会(接見)についてすら、拒否されたり制限されたりするケースがみられ、親族以外との面会は、最も必要なケースでも硬直的な運用により危機にさらされている。


新潟刑務所に服役していたK・K氏は、1984年6月、同刑務所において連続して受刑者が4名死亡するという極めて異常な事件が発生したため、自らの生命や処遇に不安を抱き、元の弁護人であった内藤隆弁護士らに接見を依頼した。内藤弁護士他2名の元弁護人は同刑務所へ接見に赴いたが、刑務所当局は接見を拒否した。K・K氏は、内藤弁護士他を代理人として東京地方裁判所に国家賠償請求訴訟を提起し、1991年8月、勝訴判決を得た。


徳島刑務所に服役していたK・M氏は、1990年8月、刑務官から暴行を受けたとして国家賠償請求訴訟を提起したが、この事件の打合わせのための面会を求めた同氏の代理人の3名の弁護士に対し、同刑務所は立会人をつけ、かつ面会時間を30分以内に制限した。このためK・M氏と弁護士3名は、同刑務所の措置は、秘密交通権を制限して公平な裁判を受ける権利を妨げたとして国家賠償請求訴訟を徳島地方裁判所に提起し係争中である。


このように、受刑者の面会は、最も面会の必要がある場合の1つである弁護士との面会においてすら制限されており、受刑者は裁判を受ける権利を実質的に奪われている。


第5 代用監獄〔7条、9条3項、10条、14条3項(g)〕

1 第3回日本政府報告書において初登場

第3回日本政府報告書において、代用監獄の問題が初めて取り上げられた。


1908年現行監獄法制定により、未決拘禁施設である拘置所の代用として警察留置場を例外的に使用することが認められた。これが代用監獄制度である。この制度は、現実の運用においては、原則と例外が逆転し、裁判官の勾留決定後も、圧倒的多数の未決被拘禁者が警察留置場(代用監獄)に連れ戻され、取調べが終了するまでの10日前後~20日間、場合によってはそれ以上(100日を超えるケースもあった)も、収容されてきた。捜査・取調べにあたる警察が同時に身柄の管理まで行い、長期間にわたって被拘禁者の全生活を支配し、その支配権を利用して自白を強要する代用監獄制度は、日本の刑事手続きのなかで、誤判の温床といわれる根本問題であり、長年にわたってその弊害が各方面から指摘されていた〔日弁連報告書【その1】para.80~86〕。日本政府自身、その廃止を検討してきたところでもある。最近では、日本の裁判所までが代用監獄を明確に批判する判決を出した〔日弁連報告書【その1】para.103、104〕。


代用監獄制度は、それほど重大で、日本の刑事手続きの根幹に関わるにもかかわらず、第1回、第2回日本政府報告書においては全く取り上げられてこなかった。


それは、第1回日本政府報告書が提出された1980年当時、代用監獄を廃止するどころか、それを正式の未決拘禁施設として、格上げして認知しようとする法案が検討されていたからである。この法案は、刑事施設法案・留置施設法案として、1982年4月国会に提出され、1度廃案になったにもかかわらず、1987年4月再提出された。この年に第2回日本政府報告書が提出されたのである。この法案は、再び廃案になったが、1991年4月三たび提出され、現在国会に継続している*。 *para.450*1参照。


では、1991年12月に提出された第3回日本政府報告書において、代用監獄問題が初めて記述されたのはなぜか。


それは、1987年7月国際人権〈自由権〉規約委員会における第2回日本政府報告書の審議において、各国委員から代用監獄問題が取り上げられ、以下に述べるとおり、厳しい批判を浴び、その一般的意見において、日本に期待される改善点として、代用監獄問題が明確に指摘されたからである。


2 第2回日本政府報告書の審議
各国委員の質問

国際人権〈自由権〉規約に基づく第2回日本政府報告書について、日弁連は、「報告書は、憲法13条と38条及び刑事訴訟法319条を引用して、日本には拷問、自白強要はないと述べているが、著しく事実を歪めるものである。自白強要は、代用監獄の下で日常的に行われており、拷問の訴えも跡を絶たない」との修正要望書を1988年7月1日付にて日本政府に提出した。


1988年7月に開かれた国際人権〈自由権〉規約委員会では、イギリスの委員は、日本政府代表に対して、「被疑者を裁判官の面前へ引致した後、再び警察の留置場に収監する問題が、国際人権〈自由権〉規約9条3項に違反しないのか。勾留場所として警察の留置場が用いられる原則自体が危険性をはらむものではないか。どこの国家でも、被拘禁者が拘禁のための特別の施設(日本の場合、拘置所)以外の場所に置かれた場合に、一層容易かつ頻繁に人権が侵害されるものである。警察の留置場における絶えざる監視、電気のつけっぱなし、極めて制限された日々の運動、極めて寒い房内、しばしば不十分な食事、制限された弁護士との接見。取調べは極めて長く、続けて21時間に達することがあり(免田事件)、かつ極めて懲罰的な条件の下で実施される(水分を与えない、脅迫、しばしば肉体的暴行さえも)」と質問した。


ケニアの委員は、「死刑囚が再審で無罪になった事件がいくつかあるようだ。1つの事件では、自白は330日間拘禁された後になされ、他の事件では、100日以上拘禁された後に自白がなされている。被告人はすべて拷問されたことを訴えている。仮にそうでないとしても自白は不当に長い拘禁の後になされている。拷問や非人道的行為について救済するためには、警察から独立した機関を設けることが不可欠である。現在拘置所は十分に活用されていない。既存の施設を使って警察留置場から移すことができるはずである。過去において、多数の警察留置場が新設されてきたが、過去10年間に新設された拘置所は1カ所だけである。被疑者が警察の留置場でない適切な施設(拘置所)に収容されるように、現行制度は段階的に廃止されなければならない」と質問した。


一般的意見

国際人権〈自由権〉規約委員会より国連総会への報告書のまとめ(一般的意見)には、「日本の法制度におけるいくつかの改善(すべき)点」の1つとして、「裁判を待つ被拘禁者の拘禁に警察留置場を用いる点」を指摘され、「1991年の第3回報告に期待する」と締めくくられた。まさに日本政府は、国際人権〈自由権〉規約上の義務として、代用監獄制度の廃止に向けた改善策を迫られているといえよう。


第2回日本政府報告書の審議の反響

第2回日本政府報告書の審議を受けて、1988年11月、国連NGO「国際人権連盟」事務総長のエティエンヌ・ジョデル弁護士と米国・カリフォルニア州のカレン・パーカー弁護士が日本の代用監獄における被拘禁者の人権状況について調査するために来日した。日本の刑事司法分野での人権問題をめぐって、国際的な調査団が来日したのは初めてであろう。


調査団は、1989年2月、日本の代用監獄における人権侵害の事実を詳細に指摘し、代用監獄制度が国際人権〈自由権〉規約9条3項に違反し、国連被拘禁者人権原則にも反すると断定し、代用監獄の即時廃止を勧告する報告書を作成し、国連人権委員会に提出し、カレン・パーカー弁護士ら2人のNGO法律家が、報告書に基づき日本の代用監獄制度について報告した〔日弁連報告書【その1】para.119~121〕。パーカー弁護士らはその後の国連人権小委員会でも何度も発言している。1991年8月国連人権小委員会では、国連NGOの国際教育開発(IED ロスアンゼルス )の代表が、この報告書を引用しながら発言した。


1989年2月~3月、アムネスティ・インターナショナル調査団が来日した。さらに1990年5月にはアムネスティ・インターナショナルのイアン・マーティン事務総長が来日し、先の調査結果に基づいて日本政府への申入れをした。こうして2年の期間を費やし、慎重な調査と日本政府とのやりとりを踏まえて、1991年1月アムネスティ・インターナショナル勧告書が公表された。


勧告書は、代用監獄の早急な廃止を求めて、次のように勧告している。「被疑者や被告人の取調べにあたる当局と、被疑者や被告人の拘禁と福祉を担当する当局とを正式に分離することは、被拘禁者をより保護することになると結論づけられる。被拘禁者処遇最低基準規則〔46~54〕が求めるような、一定の資格を備えた専門的な刑務職員に替えて警察職員を拘置施設の管理に使用することは、被拘禁者の権利の擁護と、その福祉という観点からは問題を引き起こすであろう」


「それゆえアムネスティ・インターナショナルは、日本の当局がこの点に関して現行の実務を再検討し、遅滞なく、取調べ当局と囚人の拘禁と福祉を担当する当局とを正式に分離する保障措置を導入し、そのような責任体制の分離が被拘禁者に明確にわかるようなものであることを確保するよう勧告する」


国連NGOの国際民主法律家協会(IADL)ビューローのコミュニケ、ロスアンゼルス刑事弁護士会理事会決議については、日弁連報告【その1】para.123、124に述べたとおりである*。 *45頁の*参照。


国際人権〈自由権〉規約委員会審議に関連して、霍見芳浩ニューヨーク市立大学教授はその著書で、日本の代用監獄制度について、「経済先進国では唯一のものだろう。……徳川時代のお白洲裁判の暗黒がそのまま生きている」と指摘し、「日本の恥部がまたさらけ出されつつあるのだ。……国連の人権委が驚いたのは、こんな封建時代の遺物があるのも驚きだが、いまどき、拘禁2法案にはこの遺物を正当化するための措置が盛り込まれていることだ。徳川時代へのあと戻りを『改善』の煙幕のもとに進めている。……日本人の大半が知らないこうした恥部も、日本の外からは丸見えとなっているのだ」と痛烈に批判している。*「新日本主義への警告」(講談社)


3 国際人権〈自由権〉規約違反

第3回日本政府報告書は、国際人権〈自由権〉規約10条に関連して、その2項において、「いわゆる『代用監獄』について」と題して、記述している。


しかしながら、代用監獄問題は、国際人権〈自由権〉規約10条に関連するだけではない。同規約10条のほか、7条、9条3項、14条3項(g)、国連被拘禁者人権原則6、9、21、37に違反し、デリー宣言(1959年国際法曹委員会)、ハンブルグ決議〔1979年国際刑法学会〕にも明白に反するものである〔日弁連報告書【その1】para.106~116、453〕。


4 勾留場所の決定

第3回日本政府報告書第10条2(a)(2)によれば、被疑者の勾留場所は、「裁判官の裁量により決定される」と記述されている。


われわれは、代用監獄の歴史や代用監獄の根拠となっている現行監獄法の体系から、勾留場所は拘置所が原則であると考える。現に判例でも、1972年ごろまでは、拘置所原則説が多数を占めていた。その後、下級審裁判官に対する最高裁判所の統制が強められ、政府のいう裁判官の裁量説が支配的見解となった。


しかし、実態は、裁判官の裁量をこえて、「代用監獄原則説」とでもいうべき運用が行われている。


大部分の場合、捜査官の要求どおりに代用監獄に勾留されるのである。ごく例外的に、裁判官が捜査官の要求に逆らって、勾留場所として、代用監獄ではなく拘置所を指定すると、検察官は組織的に不服申立てをして、裁判官に抵抗するので、裁判官はその圧力に屈してしまう状況である。


勾留場所をいったん拘置所とした裁判が、検察官からの準抗告により取り消され、代用監獄に変更された最近の名古屋地方裁判所の例をひとつだけ示す。


この決定(1990・10・15)は、代用監獄を勾留場所とすべき理由を、「拘置所には取調べや面通しのための設備が不十分、拘置所と警察間の被疑者の押送に不便、結局、拘置所では機動的捜査の遂行に不都合がある」という。


こうして、代用監獄制度がある限り、捜査の便宜が恒常的に優先される。


捜査官は、そのように裁判官を仕向けているのである。


しかも、裁判官が勾留決定しても、裁判所が勾留するわけではない。裁判官は勾留場所を代用監獄に指定しても、その勾留決定により代用監獄に連れ戻された被疑者の身柄は警察が全面的に管理するのであり、その裁判官が代用監獄を管理する警察を監督することは全くないのである〔以上、日弁連報告書【その1】para.87、88、138〕。


代用監獄における不祥事は現在も発生している。三島警察署看守が勾留中の2女性に対して強制猥褻行為をした事件(1988年6月)は、日弁連報告書【その1】para.102に述べたが、また、同種事件が発生した。


1992年2月川崎臨港警察署に留置された女性被疑者に対して、同署の看守である巡査部長が再三にわたり猥褻行為を行ったという。真夜中に、身体を洗わせるという口実で留置場から風呂場に連れ出し、その女性被疑者が風呂場で身体を洗っているとき、これをのぞき見し、風呂場から出てきた被疑者に抱きつき、陰部に触る等の猥褻行為をし、その後も、数回にわたり同様の猥褻行為を繰り返したというもので、同女性は告訴した。この看守は、同房の他の女性被疑者に対しても同様の行為を行っていたという。


しかも、警察は、女性被疑者に対して、「弁護士を頼むなら、ウチ(警察)の方の弁護士を紹介する」などと言って、弁護権を侵害する対応をした。


5 代用監獄における処遇

第3回日本政府報告書は、第10条2(b)「警察留置場における生活」と題して、代用監獄における処遇を縷々述べている。


しかし、これらの記述は、かなりの部分において事実に反するか、不正確である。


「留置場の構造および設置」について

A 留置室の遮蔽


「居室の前面を不透明な板で遮蔽し看守が居室内にいる被留置者の姿を見ることはできない構造になっている」


という記述は事実に反する。


英文ではこの部分は「The front of the room is covered」となっているが、事実は前面のうちの一部分(床から15cmの高さないし1mまでの85cmの部分)のみに不透明な板を取り付けるのみで、他の部分は鉄格子と網の構造となっている。このため、看守が背伸びをし、あるいは位置をずらして、留置室に近づけば、被留置者の姿を完全に見ることができる。従って、プライバシーはいつでも侵され得る状態にある〔日弁連報告書【その1】para.90〕。


B 留置室の床


「居室内にはじゅうたん又は畳が敷かれている」との記述が、すべての留置場について言えることであるとは日弁連は信じない。


1979年に改訂された留置場設計基準では、留置室の床は「板張りとし、畳又はこれに類するものを敷くこと」とされている。「類するもの」とは、不明確な基準であり、畳とじゅうたんに限られない。日本の留置場では、それ以前は板またはコンクリートの床の上にゴザ(草であんだ薄い敷物)を敷いているというところが多かった。


前記留置場設計基準は、1979年以後新築される留置場にのみ適用されるスタンダードであり、日本の留置場のうちの圧倒的多数を占める、それ以前に建築された留置場には適用されない。


旧設の留置場の床をすべて畳かじゅうたんに取り替えたとの報告を日弁連は受けていない。


C 留置室の数と規模


留置室が単独収容を原則とするとの記述も信じがたい。


留置場設計基準は「留置室は、個室と共同室の2種類とすること」と定める。個室の居住有効面積4.0㎡以上、共同室の留置人1人当たりの居住有効面積は2.5㎡以上と定められているが、前記のとおり、このスタンダードは1979年以降建築の留置場のみのものである。


日本政府は留置場の数を発表するのみで、その留置場に設けられている留置室の数や規模、そしてそこに年間何人の被拘禁者が収容されるのかについて公表せず、日弁連にも何らの情報も提供しない。


個々の留置場被収容者が「ensured`the`space`to`secure`the`right`treatment`of`the`detained`for`his`benefit」*1 といえる保障は全くない〔日弁連報告書【その1】para.89〕。


*1 第3回日本政府報告書(英文)第10条2(b)(1)。日本政府仮訳では「その適切な処置を行うのに必要な面積が確保されるように基準が定められている」。


「留置中の行動」について

留置中の行動が「is not restricted as long as it does not hinder the peaceof other detainees」*2 という一般的基準によって律されているとしているが、その一般的基準が具体的に、現場の看守によってどのように執行されているかが問題である。


1990年12月に改定される前は、各都道府県警察の定めた留置場についての「Regulations」は、「留置室内の留置人には、みだりに立ったり、動き回ったり、又は就寝時間外に横臥する」ことや、「留置人相互の談話その他」を禁じていた〔日弁連報告書【その1】para.91〕。代用監獄廃止運動家などの批判を受け、1991年からは「Regulations」*3 からこのような具体的な規定をカットしてしまったが、看守たちが、日本の代用監獄の中での伝統的な留置人の行動規制を、その日以来やめるよう命ずる規則もない。実務がすっかり変わったという情報は、政府から日弁連に提供されていない。


*2 第3回日本政府報告書(英文)第10条2(b)(2)。日本政府仮訳では「他の被留置者の平穏に支障を及ぼしたり、(拘禁目的に反)しない限り、(居室内での被留置者の行動は)自由である」。


*3 被疑者留置規則実施要綱


「被留置者の健康保持」について

a 警察の「Regulations」は被留置者の運動時間につき従来、規定を欠いていた。被留置者は1日15分程度、せまい室内でタバコをすうことが許され、それが運動(exercise)と呼ばれていた〔日弁連報告書【その1】para.92〕。1991年からは「Regulations」の中に「原則として毎日おおむね30分、運動場で行わせるものとする」という条項が入れられた。しかし日本の官庁では「原則として」と書かれているときにはこれに反する「treatment」があっても「例外として」許容される。また「おおむね」という語も同様なあいまいな実態を意味する。日弁連は1991年以降、被収容者が突然運動時間を倍に延長されたとの報告を全く受けていない。まして「希望すれば1時間に延長」されたケースを知らない。


「so that they can freely get exercise in the outside playground」*1と言える実態がないことは確実である。留置場で戸外に運動場があると言えるところはほとんどない。屋上に運動場がある少数の例と、ベランダのような室で、天井から日光が入る構造になっているというところが各少数あるほかは、「運動場」は狭い室内で、被拘禁者が、徒手体操をできるところさえ多くない。*1第3回日本政府報告書(英文)第10条2(b)(3)。日本政府仮訳では「戸外に設けられた運動場で自由に運動できる(時間が設けられている)」。


b 睡眠時に減光していることは事実だが、被収容者の多くが「明るすぎて眠れない」ことを訴え(complain)ている。


c 「The interrogation is done during office hours」が、日本で政府が出した「仮訳」では「取調べを執務時間中に行うように努めている」となっていることに日弁連は注意を喚起したい。「執務時間内に行っている」という訳文を出すことが、政府にはできないのである。


日本の官庁用語では、上記同様、「努めている」は「努力しているけれどできない」ことを容認する意味で用いられている。


事実、午後5時15分以降、あるいは就寝時刻(逆に1991年からの「Regulations」では従前の8時から9時に遅らせた)を過ぎた深夜まで尋問をつづけられた例の報告を日弁連は聞いている。


このくだりでも英文「the daily schedule including sleeping hours is respected」*2は国内向けには「就寝時刻が定められている趣旨にもとることのないようにしている」と「訳されて」いる。*2「就寝時間も含めた日課は尊重されている」


「日用品等の自費購入等」について

「食料品の差入れが認められている(may be sent to them)」との記述は事実に反する。食糧品は自費購入しかできない。警察留置場での自費購入は非常に限定されていて、警察が決めた少数の食堂からの1日ほぼ1回の「出前」だけが公式に認められているだけであるため種類が少ない。


その他の食品とくに野菜や果物を摂取する自由は被拘禁者にはない。


看守係警察官か取調べ係警察官が「私的に」制限外の食品を買ってやることが事実上行われ、これが自白をさせる手段に用いられる。


また、被疑者が取調べ室に呼び出されている時間に、自費購入の時刻が来れば、彼は取調べ係警察官の好意がなければ購入ができず、これも自白のための手段となる。衣類等についても同様である〔日弁連報告書para.【その1】93、94〕。


「面会、信書の発受等」について

「第4 家族、弁護人との接見交通」〔para.1034~1061〕で述べた。


「捜査官と留置業務担当職員の分離」について

第3回日本政府報告書は、「捜査官が被留置者の処遇を行うことは、禁止されている。また、留置業務担当職員が、被留置者の処遇に関し、捜査の進展状況や捜査官の取調べ状況に応じて差別することは禁止されている」と述べている。


これは1980年4月、捜査部局と身柄管理部局(看守係)とを警察の内部で分離するという通達を出したことを指すのであろう。政府は、指摘される代用監獄の弊害事例は古いケースであって、この通達により捜査事務と留置事務を分離して以降は改善されていると主張している〔日弁連報告書【その1】para.97〕。


しかしこの通達後も、実態は改善されていない。捜査官と留置業務担当職員との分離は、名目にすぎず、捜査官は留置業務担当職員に優越し、食事時間やトイレ等の被留置者の処遇についても権限を事実上行使する例に事欠かない〔腰痛の被留置者がコルセットを留置管理官に要望しても、取調べ官の許可がないとダメと言われた例  日弁連報告書【その1】para.99〕。


また、最近、警察による留置の実態を示す次のような事件が発生した。


1991年12月、神奈川県藤沢市の警察の代用監獄に留置されていた24歳の被疑者は、夕方留置場に突然入ってきた巡査部長(被疑者に自動車を窃取された会社社長の弟で同署に勤務していた)に、「お前が否認している3台の自動車も、お前が盗ったのだろう。お前に自白させてやるからな。やっていないといっても、やったと言わせることはできるんだ。俺は警察官なんだから。物がなくても素手でお前を殺せるんだ。お前を殺してやる。……」等と脅かされた。


被疑者は翌日接見に来た弁護人にこのことを訴え、弁護人が警察に抗議し、裁判所に拘置所への移管を要請した結果、拘置所に移管された。


さらに、看守係ではなく取調べ警察官が被疑者を検察官のもとに連れて行き、検察官の取調べに同席するという例さえ、しばしばある。


上記通達後も、代用監獄における自白の強要が問題とされた無罪判決が続出している〔日弁連報告書【その1】para.98、100~102〕。このことはこの通達が警察の単なる内部分担にすぎず、同じ警察の内部で係を分離しても、代用監獄制度の弊害を本質的には改善するものではないことを示している。


「結論」について

第3回日本政府報告書は、「被留置者の処遇は、被留置者の人権を十分に保障したものであり、国連の被拘禁者処遇最低基準規則の趣旨を満たしている」と、結論づけているのみである。


しかし、第3回日本政府報告書は、代用監獄内で被留置者に対して実施される身体検査(特に全裸にしたうえでの身体検査)及び採尿の問題〔日弁連報告書【その1】para.313~326〕について一切記述していない。また、留置場における医療についても特に触れるところがない。


しかし、現実には病状放置がなされたり、不適切・不十分な治療しかなされていなかったりしている現実がある。


a 病状放置


最も基本的で、最も重要な問題は、被拘禁者が病状を訴えても診察等を行わない病状放置である。


代用監獄においては常勤医師は全くいない。従って、医師の手配がつかないことを理由に、診察を受けさせてもらえない事案がある。


b 医療についての告知の実態


被拘禁者にとって、診察等をどのように受けることができるのかその制度を知らないものがほとんどであることが推測されるが、被拘禁者に対する受診制度の説明はほとんどなされていない。


c 不適切・不十分な治療


不適切な治療の最たるものは無資格診療であり、また、医者による治療でも、不適切・不十分なものが多数報告されている。


d 自費治療


拘禁されると官費治療を受けられるが、自己の指定する医師の治療を受けたい場合は、費用は自己負担である。ところで、一般市民の場合は、健康保険に加入している限り、この健康保険でほとんどの費用が支払われるが、拘禁されると保険給付がなされない扱いとなる。これは、拘禁目的とは無関係に、被拘禁者の治療を受ける権利を制限するものであり、不当である。


このように、医療についても多数の問題点があり(これらは刑事施設における医療についても共通している〔詳細は日弁連報告書【その1】para.327~337記載のとおり〕、とうてい国連被拘禁者処遇最低基準規則の趣旨を満たしているとは言えない。


以上のとおり、代用監獄の中で行われている実態をあえて捨象して、制度の表面的な概観に終始して問題点なしとする第3回日本政府報告書の態度は不当である。


日本における被留置者の処遇は、国連被拘禁者処遇最低基準規則・国連被拘禁者人権原則等に反し、代用監獄における人権侵害と自白強要が今日まで続いているのである〔日弁連報告書【その1】para.95、96〕。


1991年4月、日弁連は、2000年12月31日かぎり代用監獄を廃止する要綱を策定した〔日弁連報告書【その1】para.125〕。この日弁連要綱に関連して、左藤法務大臣(当時)は、1991年5月7日、「将来的には代用監獄はなくさねばならない」と述べた〔日弁連報告書【その1】para.126〕。この発言は、第3回日本政府報告書の結論とは明らかに矛盾するものといわざるをえない。


6 留置施設法案について

第3回日本政府報告書は、「被拘禁者の人権を守るために」(from the view~point of protecting human rights of detained persons  日本政府の仮訳は「被勾留者の人権に関し」)、「留置施設法案にも取り組んでいる」と記述している。


第2回政府報告書には、留置施設法案とともに、その母法である刑事施設法案についても、触れられていた。両法案は、切り離しがたく結びついた一体のものである。にもかかわらず、第3回日本政府報告書には、なぜか、刑事施設法案について全く記述されていない。


刑事施設法案・留置施設法案(拘禁二法案)の問題点については、すでに日弁連報告書【その1】para.450~481に述べたところである。1988年10月~12月衆議院法務委員会において刑事施設法案の審議がなされたが、国内外の批判を浴び、翌1989年に入ってからは全く審議がなされず、1990年1月廃案となった。ところが1991年4月、この二法案が全く手直しされないままに、三たび国会に提出された*。 *para.450*1参照。


以下、留置施設法案を中心に、その問題点を若干補足して述べるが、その本質は刑事施設法案と共通する。


留置施設法案は、警察独自の判断により、「管理運営上」という理由で、弁護人の接見を警察の執務時間内に制限し、差入れも制限することができ、拘束台・防声具の使用も法認するなど、多くの問題点を含んでいる。


警察署の管理運営上の理由で、弁護人との執務時間外の接見が禁止・制限され、これに対して裁判所に即時救済を申し立てられない。現行法下では、裁判所に準抗告して執務時間外の接見でも認められるケースが多々あるが、法案が成立すれば、右の接見制限に対しては裁判所への即時救済の手段を奪われ、警察の管理運営上の判断が絶対のものになる。


また現行法では、裁判所による弁護人以外の者との接見禁止決定と同時に書類・物の授受が禁止される〔刑事訴訟法81条〕場合でも、実際には、一部解除決定により、書籍の差入れが認められている。法案が成立すれば、裁判所が認めても、警察独自の判断により、管理運営上の理由で差入れを止め、書籍の閲覧も禁止することが法律上できるから、警察の管理運営上の判断が絶対のものになる。


さらに警察による防声具の使用が法律で認知され、これまで使用されていなかった拘束台まで法律で新設されることになる。取調べにあたる捜査機関にこのような拘束具を使用する権限を法律で認めれば、これらを使って「合法的に」自白を強要する危険性が出てくる。無罪の推定を受けるはずの未決被拘禁者に、警察独自の権限で拘束具の使用まで認めることが果たして妥当であろうか。


なぜこのようなことになるのか。それは、代用監獄における弁護人の接見・差入れ、拘束具の使用などが、警察の「管理運営上」の判断による代用監獄内での「処遇」として位置づけられ、これらの「処遇」に、捜査活動と区分された行政機能としての独自性を法律上明確に付与されるからである。それは、裁判所の判断とは別に、管理運営上の支障が生じるかどうかという警察独自の判断が、法律で尊重され、認知されることを意味する。警察の管理運営上の判断は、裁判所の判断の及ばない領域(警察の裁量の範囲内)とされるのである。


こうして警察の代用監獄における「処遇」は刑事裁判所のチェックの埒外に置かれる。警察留置場の予算はすべて警察庁の管轄となり、法務省からの費用償還が廃止される。警察庁が、法務省を排除して予算権限を一手に握ることになる。


第3回日本政府報告書は、留置施設法案が、「物品の貸与又は支給を可能にする」(makeit possible by new provision to lend or supply goods  日本政府仮訳「物品の貸与又は支給に関する規定を設け」)など、「被拘禁者の人権を守るため」のものであるという。しかし、実は、警察が被疑者の人権を制限する権限のみが法案上明確にされ、憲法・刑事訴訟法の人権保障規定が実質上骨抜きにされる恐れがある。代用監獄は今よりも一層外部から遮断され、密室化し、警察独自の判断が絶対的なものになる。代用監獄の「代用性」は取り払われ、正式の未決拘禁施設として認知された「警察監獄」に格上げされるわけである。法案が成立すれば、代用監獄の弊害は、なくなるどころか、拡大する恐れがあるのである。


なお、第3回日本政府報告書は、留置施設法案が、「留置業務と捜査の分離を法律上明確にする」ものであると述べているが、留置業務と捜査とを分離するといっても、同じ警察のなかで担当を分けるという意味しかもたず、「被疑者が裁判官の前に連れて行かれた後は、捜査官憲(警察)の拘束下に戻されてはならない」という国際的な司法原則に反することは明らかである。現に「留置業務と捜査とを分離する」という通達(1980年)を出した後も、代用監獄の弊害は後を絶たないことは前述したとおりである。代用監獄を警察監獄に格上げする拘禁二法案が国際人権〈自由権〉規約に違反することは明白である。


前述したとおり、1991年5月7日、左藤法務大臣(当時)は、記者会見で、「将来的には代用監獄はなくさねばならない」と述べた。もし政府が本気でそう考えているのであれば、代用監獄をさらに強化して「警察監獄」に格上げしようとする拘禁二法案は直ちに撤回*しなければならない。 *para.450*1参照。


第6 その他の刑事手続上の問題点

第3回日本政府報告書には、捜索・差押の濫用の事実について全く記載されていない。


その他、被疑者国選弁護士制度がない等捜査段階における弁護人の援助を受ける権利〔日弁連報告書【その1】para.127~170〕、証拠の不開示〔日弁連報告書【その1】para.229~239〕、自白の偏重〔日弁連報告書【その1】para.225~264〕、上訴・再審制度〔日弁連報告書【その1】para.265~290〕等について、日弁連報告書に詳細に指摘した問題点については、何ら触れられていない。


あとがき

 日弁連は、日本における人権の伸長・確保をはかるため、国際人権〈自由権〉規約の日本国内における実施状況に関する報告書を独自に作成することを決定した。そして会長より、1991年9月5日、人権擁護委員会、刑事弁護センター、接見交通権確立実行委員会、公害対策・環境保全委員会、女性の権利に関する委員会(現 両性の平等に関する委員会)、司法問題対策委員会、司法制度調査会、法律扶助制度委員会、消費者問題対策委員会、刑法改正対策委員会、拘禁二法案対策本部、少年法「改正」対策本部(現 子どもの権利委員会)、再審法改正実行委員会(その後、刑事弁護センターに統合)、国家秘密法対策本部(現 国家秘密等情報問題対策委員会)の各委員会及び対策本部に対し、それぞれより委員を選出し、ワーキンググループを構成して、国際人権〈自由権〉規約の日本国内における実施状況に関する報告書を作成するよう、また、第3回日本政府報告書に対するカウンターレポートを作成するよう諮問がなされた。


この諮問に基づき、座長山下潔他24名によるワーキンググループが組織され、そこで第3回日本政府報告書を検討した結果、第2回日本政府報告書の審議の際指摘された点について若干の説明がなされているものの、総じていえば日本における人権の状況、裁判の運用状況を全般的に、十分に説明していないのみならず、多くの点で国際人権〈自由権〉規約に規定されている諸権利の日本における実際の状態と乖離しているとの結論に達した。


このためワーキンググループは、国際人権〈自由権〉規約の日本国内における実施状況に関する報告書に併せ日本政府の第3回政府報告書に対するカウンターレポートを作成する作業を行い、「3部作」の構成をもって完成した。


そして、1992年10月の日弁連理事会にて承認されたのである。


なお、本書完成後、とくに戦後補償問題については、日弁連として次のような取組みがなされている。


1992年7月、日弁連人権委員会は、「日本の戦後処理を問う」  被害の実態と補償のあり方  をテーマとするシンポジウムを行い、また、1992年12月日弁連は、第2回国際人権セミナーを「戦争と人権  戦後処理の法的検討」のテーマで開催した。このセミナーでは、国連関係者であるファン・ボーベン教授(国連人権委員会特別報告者)、ジョン・ハンフリー教授(初代国連人権部部長)らの講演等がなされ、主として従軍慰安婦(韓国、朝鮮民主主義人民共和国、フィリピン、中国、台湾、オランダなど)の被害証言をふまえて国際法、国際人道法などの法的検討が行われた。


そして、1993年10月、日弁連は、京都市において第36回日弁連人権擁護大会とシンポジウムを開催することになっているが、この中「日本の戦後補償」  戦争における人権侵害の回復を求めて  をテーマとするシンポジウムの準備のために、東南アジア地域の戦争被害などの調査を実施した。


また、1993年6月、国連が主催する第2回世界人権会議がオーストリアのウィーンにて開催されたが、日弁連は、阿部三郎会長を団長とする代表団を組織して同会議に参加し、従軍慰安婦問題をはじめとする人権に関する諸問題について文書発言をするなどの活動を行った。


最後に、本書の作成には多くの方々にご協力いただいた。その労を多とし、その氏名を掲記させていただいた。また、本報告書のすべてにわたり英文への翻訳、要約については仏語中国語の翻訳を担当され、また、ジュネーブの国連人権センターなどに日弁連会長以下の代表団と共に参加され、コーディネーターの役割を果たされた堀田牧太郎立命館大学国際関係学部教授に感謝する。


阿部三郎 鮎京眞知子 荒井新二 石川元也 五十嵐二葉
五十嵐利之久 池田直樹 池本誠司 伊藤和夫 岩城和代
岩瀬外嗣雄 岩村智文 大石隆久 大高満範 落合修二
海渡雄一 加島宏 上條剛 木下淳博 倉内節子
小池振一郎 小島延夫 児玉勇二 小林將啓 酒井幸
坂本福子 相良勝美 櫻木和代 佐藤博史 杉本吉史
鈴木孝雄 須納瀬学 瀬戸則夫 高木健一 竹澤哲夫
竹之内明 武村二三夫 田代博之 津田玄児 坪井節子
寺井一弘 寺沢勝子 戸塚悦朗 富岡恵美子 戸谷茂樹
中野比登志 中坊公平 長谷一雄 永野貫太郎 成毛憲男
西嶋勝彦 丹羽雅雄 野曽原悦子 野村侃靭 土生照子
早野貴文 福島瑞穂 福地絵子 丸井英弘 水野英樹
柳川昭二 山下潔 山田伸男 山本一行 湯川二朗
吉井正明 吉峯康博 米倉洋子 若松芳也
オブザーバー 堀田牧太郎立命館大学国際関係学部教授