法教育コラム

いつかの未来のために(法教育コラム)

第89回 「感情的に批判されない世界」のススメ

日弁連「市民のための法教育委員会」委員
福岡県弁護士会「法教育委員会」委員
八木 大和


法教育のあれこれを考えるとき、2018年1月、福岡県弁護士会の法教育委員会のメンバーでドイツ・カールスルーエを視察したことを思い出します。視察では何から何までが目新しく、発見の毎日でしたが、3年経った今、自分の中にどんなエッセンスが残っているのか、この原稿を書くにあたり少し考えてみました。

現地では、カールスルーエ教育大学政治学専攻の学生たちから、ドイツの教育の現状について、色々と教えてもらいました。

ドイツでは、授業の中で議論を行う。社会科の授業に限らず、英語の授業では「風力発電は必要か」について議論し、国語ではヘーゲル(18世紀から19世紀にかけてドイツで活躍した哲学者)の仮説について議論する(さすがドイツ!)。さらには「遠足はどこに行くか」なども学校内では議論となる。学校の中には議論があふれている。ドイツの教育では、幼少期から議論を避けない、自分の意見を述べ、その理由を言う訓練がなされる。自分の意見を述べても批判されない。相手に間違っていると言ってはならない。複数の意見があり、その優劣を競うような議論は避ける。人の発言を遮ってはならない。そういう議論の仕方、作法を幼稚園のころから身に着けていく。


私は、視察前「ドイツはきっと日本よりも進んでいるんだろうな。」と漠然と思っていましたが、実際に話を聞いてみると軽いカルチャーショックの連続でした。しかも、それを口にするのは、まだ二十歳前後の教育大学の学生たちです。特に「意見の優劣を競わない」という作法、「自分の意見を批判されない」という安心感がドイツには根付いている、少なくとも意識されていることに羨ましさを覚えました。実際にも、私たちはギムナジウム、実業系高校の社会科授業見学を視察し、その様子を目にしました。もちろん、先生の技量によって議論の進行や中身は左右されるところはありましたが、「議論の実践」が授業の中にありました。


振り返ってみると、「自分の意見を批判されない」という土壌、前提がドイツにはあること、教育の中に根付いていることに軽いショックを受け、「これが日本にも重要だ。」と感じた自分を思い出しました。「批判されない」とは、もちろん「感情的に批判されない」ということですが、私たち日本人の中で、この前提が浸透し、共有できるようになれば、日本に蔓延する「同調圧力」も薄まり、そして無くなっていくだろうと思います。


「感情的に批判されない」ことの安心感を広げることが、出前授業に行ったときの私の役割なのかなと、視察後にそう感じた自分に立ち返ることができました。


視察旅行で思い出すのは、カールスルーエ教育大の学生と意見交換した後の昼食で、同大のヴァイセノ教授にお勧めされたカレー味のソーセージ&ポテト(写真参照)をみんなが注文したこと。他に漏れず私も注文しましたが、これは「同調圧力」ではなく、お勧めを食べてみたかったという思いが一緒だったのです。もう一つ、ヴァイセノ教授に「『エミール』(18世紀に活躍した哲学者ルソーによる教育をテーマにした小説)を読みます!」と宣言したけれど、3年経った今、1頁も進んでないこと。海より深く反省し、約束を果たそうと思います。