法教育コラム

いつかの未来のために(法教育コラム)

第81回 法教育とは何を育むのか?


日弁連「市民のための法教育委員会」委員
三重弁護士会「法教育委員会」委員
北上 拓哉




私が、法教育に関する活動を始めたのは、2019年からですので、まだ1年半ほどしか法教育には携わっていません。

小学校などでバスケットボールクラブのルール作りの授業などを行ったりするのですが、果たして私の法教育の授業が役に立っているのか、正直に言ってわかりません。

というのも、「法教育」という言葉の意味を正確に理解し、それを実践できているのかという疑問を常に持っているからです。


そこで、改めて「法教育」というものを考えてみたいと思います。


ところで、恥ずかしい話ですが、私は、もともと勉強が苦手で、嫌いでした。実際に成績も悪かった私ですが、大学での法律の授業で、法律学の面白さを知りました。


何が面白かったのかというと、これまでの試験において1つの解答しかない問題ではなく、法の考え方、様々な価値観を前提に解答を導くその法的思考の過程、物事の考え方などが大切な学問なんだと感じ、それが面白く感じたのです。


話を戻しますと、そもそも「法教育」というのは何なのでしょうか?


私が小中高の学生時代にはそのような授業はありませんでした。


このコラムの荒川武志先生の記事(arrow_blue_1.gif第70回 すべての道は法教育に通ず?)では、法教育とは、「価値観の多様性を理解し、行動する」力を育むものだと説明されています。また、icon_page.png法務省のHPでは「法教育とは、法律専門家ではない一般の人々が、法や司法制度、これらの基礎になっている価値を理解し、法的なものの考え方を身につけるための教育です。」と記載されています。


あぁ、なるほど、私が、法律学の授業で感じた面白さというのは、「価値観の多様性を理解し、行動する」という法の基本となる考え方に接することができたからなんだと気づきました。


もっとも、大学の法学部における「法律学の授業」と「法教育」とは違うところがあります。


「法律学の授業」は法律学という学問を教えるというものですが、そこでは法律が定める個々の制度や条文の意味、法解釈などの法知識を教えるというのが主だと思います。


これに対して、「法教育」では個々の規定されている条文の知識ではなく、法の基礎になっている価値観や考え方を身につけること、またはその価値観や考え方に基づいて行動する力を育むものだといえます。


では、法の基礎になっている価値観や考え方を身につけるということはどういうことでしょうか?


これは実は難問だと思いますが、私は、この問の答えを導く際に最も重要なことは、「人はそれぞれ違う」という当たり前の事実から出発することだと思います。


「人はそれぞれ違う」というのは、人はそれぞれ個人として様々な価値観を持っているということであり、個人が自由に自己の価値観を持つことは、例えば最高法規である憲法13条で「すべて国民は、個人として尊重」されるという形で保障されています。


違うということは時には衝突することもあります。それぞれ異なる人格の個人が、お互いがうまく社会で幸せに生活するための重要な価値観や考え方を身につけるのが法教育の実践ではないかと個人的には思います。


学校の成績が悪くても、もっと大事なことがあるんじゃないかと過去の私を思い出しつつ、法教育の重要性を感じる今日この頃です。