東住吉事件


事案の概要

1995年(平成7年)7月22日、大阪市東住吉区にある青木惠子さんの自宅で火災(本件火災)が発生し、青木さんの長女(当時11歳)が焼死しました。


この日、青木さんと、青木さんと生活していた男性(Xさん)は、朝、仕事に出かけ、青木さんの長女と長男は、自宅で留守番をしていました。その後、青木さんが仕事を終えて昼過ぎに自宅に戻ったところ、長女の友達が遊びに来ていました。青木さんは、夕方、長女の友達を家に送るため、子どもたちと外出しました。その間、Xさんは、仕事を終え、自宅近くのガソリンスタンドで自動車(本件車両)にガソリンを満タンに給油して帰宅しており、ほどなくして青木さんと子どもたちも自宅に戻って来ました。


その後、長女が風呂に入り、その次にXさんが風呂に入るために、パンツ1枚になりました。ところが、Xさんが居間から車庫を見たところ、本件車両のそばから炎が上がっているのが見えたのです。さらに、Xさんが車庫に下りて本件車両の下をのぞき込んだところ、さらに炎が広がっていました。


そのため、Xさんは、火事が起きたと思い、消火器を借りに行くために外に飛び出し、近所に火事を知らせました。また、青木さんも、早く風呂から出るよう長女に呼びかけるとともに、炎に水をかけたり、119番通報をして本件火災の状況を伝えたりしたのです。そうしたところ、消防車が到着して消火活動が行われましたが、火勢が強かったため、自宅は全焼してしまいました。また、長女は、風呂場の洗い場で、裸の状態でうずくまっているところを発見され、その後、救急車で搬送されましたが、既に亡くなっていました。


このように、青木さんとXさんは、本件火災で長女を亡くし、自宅も失いました。これは不慮の事故というべきものです。ところが、警察は、青木さんとXさんに対し、長女にかけていた保険金を得る目的で放火殺人を行ったとの疑いを抱き、青木さんとXさんを呼び出して、取調べを行いました。それに対し、青木さんとXさんは、当初は容疑を否認していましたが、苛酷な取調べに耐えかねて、「犯行」を「自白」してしまいます。


その後、青木さんとXさんは、同年9月10日に逮捕されましたが、その後も警察の苛酷な取調べは続きました。もっとも、青木さんは、弁護人の援助もあり、「自白」を撤回して容疑を否認しましたが、Xさんは、(一時期、否認に転じたこともあったものの)「自白」を維持しました。そして、青木さんとXさんは、同年9月30日には現住建造物等放火・殺人罪で、同年10月13日には詐欺未遂罪で、それぞれ起訴されました。


経過と問題点

裁判では、青木さんもXさんも起訴事実を否認しました。また、弁護人も、青木さんやXさんは放火殺人の犯人でないし、そもそも本件火災は放火によるものではなく火災事故であると主張して、青木さんとXさんの無実を訴えました。しかし、第一審(大阪地方裁判所)は、1999年に無期懲役の有罪判決を言い渡しました。その後、青木さんとXさんは、控訴、上告して争いましたが、いずれも棄却され、2006年に有罪判決が確定しました。


裁判では、本件火災の原因(放火によるものか、自然発火によるものか)や、青木さんやXさんの「自白」の任意性・信用性が問題となりました。しかし、裁判所は、青木さんやXさんが取調べの違法性や不当性を訴えたにもかかわらず、取調べを担当した警察官の証言に依拠して、「自白」の任意性を認めました。また、Xさんの「自白」では、約7リットルのガソリンを床にまいてライターで点火し、放火したとされていましたので、果たしてそのようなことが可能なのかを科学的に検証するために、燃焼再現実験や鑑定が行われています。ところが、裁判所は、これらの科学的証拠とXさんの「自白」との矛盾には目をつぶり、色々な理由をつけては証拠の内容を都合よく解釈して、Xさんの「自白」の信用性は否定されないと判断しました。


このように、裁判所が科学的証拠を恣意的に評価するとともに、安易に「自白」の任意性・信用性を認めたことが、えん罪を生み出す原因となっています。


その後、青木さんとXさんは、2009年、大阪地方裁判所に再審請求の申立てを行いました。その中で、弁護団は、燃焼再現実験を行いました。これは、当時の状況(建物の大きさ、床の傾斜、風呂釜や自動車の配置など)をできる限り忠実に再現した上で、Xさんの「自白」どおり、約7リットルのガソリンを床にまくというものです。その結果、ガソリンをまいている最中に(ライターで点火する前に)、ガソリン蒸気が風呂釜の種火に引火することが明らかになりました。



これが決め手となって、2012年3月7日、大阪地方裁判所は、再審開始を決定しました。また、同年3月29日には刑の執行停止決定もなされ、青木さんとXさんは、同年4月2日午後1時30分に釈放される予定となっていました。


ところが、検察官は、再審開始決定及び刑の執行停止決定に対して不服申立て(即時抗告)を行いました。そして、大阪高等裁判所は、釈放予定時刻の直前になって、刑の執行停止決定を取り消したのです。まさに天国から地獄に突き落とすような決定であり、青木さんとXさんは、再び受刑者としての日々を送ることとなりました。青木さんとXさんの無念さは計り知れません。


その後、2015年10月23日、大阪高等裁判所は、再審開始決定に対する検察官の不服申立て(即時抗告)を退け、改めて刑の執行停止決定を行いました。なお、検察官は、2度目の刑の執行停止決定に対しても不服申立て(即時抗告に代わる異議申立て)を行いましたが、それは退けられ、青木さんとXさんは、同年10月26日に釈放されました。しかし、(1度目の)再審開始決定及び刑の執行停止決定がなされてから、既に3年6か月以上もの期間が経過していました。なお、その後、再審公判が開かれ、2016年8月10日、青木さんとXさんに対して、再審無罪判決が言い渡されました。


このように、再審開始決定や刑の執行停止決定に対する検察官の不服申立てによって、青木さんやXさんのかけがえのない日々が奪われたのです。えん罪被害者の速やかな救済を妨げる検察官の不服申立ては、法律によって禁止されるべきです。


ところで、再審開始決定に対する検察官の不服申立て(即時抗告)を受けて、大阪高等裁判所で再審請求の審理が行われていましたが、その中で、取調べ状況に関する報告書や取調べ日誌が検察官から開示されました。これらの証拠によって、青木さんやXさんに対する苛酷な取調べの実態が明らかになるとともに、取調べを担当した警察官が取調べ状況について偽証をしていた疑いが濃厚となりました。そのこともあって、再審無罪判決では、青木さんやXさんの「自白」の任意性が否定されました。


このような重要な証拠がもっと早い段階で開示されていれば、青木さんやXさんの無実が明らかになるまでに、これほどまでに長い時間を要しなかったはずです。しかし、現在の法律では、検察官に証拠開示を義務づける規定がありません。えん罪被害者の速やかな救済のためには、再審請求手続における証拠開示の制度化が不可欠です。