袴田事件

2023年3月13日 東京高等裁判所が袴田さんの再審を認める


事案の概要

1966年(昭和41年)6月30日未明、静岡県清水市(現静岡市清水区)所在の、みそ製造・販売会社の専務の自宅で、火災が発生しました。火災の消火後、家の中から専務、妻、二女、長男の4名が多くの刺し傷により死亡しているのが発見され、強盗殺人・現住建造物等放火事件として捜査されました。現場の専務方は東海道本線に面していますが、線路の反対側には同社のみそ工場があり、その2階は従業員寮となっており、袴田巖さん(当時30歳)は従業員として同工場2階に住んでいました。


経過と問題点

事件発生から約1か月半後の8月18日、みそ工場の従業員の袴田巖さん(当時30歳)が逮捕されました。警察が袴田さんに嫌疑を抱いた理由は、袴田さんの部屋から血の付いたパジャマが発見されたことと説明されています。これに対し袴田さんは、火災発生時に屋根に登って消火活動をして降りる際に怪我をしたので血が付いたと説明していますし、パジャマに付着した血の量もごくわずかなものにすぎませんでした。


しかし、あくまで警察は袴田さんに自白させようと、連日にわたって厳しい取調べを行いました。真夏の暑い時期に、連日平均12時間以上、最長で約17時間にわたる取調べが行われました。袴田さんは一貫して犯人であることを否定していましたが、警察は耳を貸しませんでした。トイレに行きたいという袴田さんの訴えに対して、用意した便器にさせる音声も残っています。このような苛酷な取調べの末、9月6日、袴田さんは自白に追い込まれます。パジャマを犯行着衣であるとする自白調書が多数作成されます。しかし、動機については二転三転しており、変遷の激しい自白調書でした。そして、9月9日、起訴されます。


静岡地方裁判所で第1審が始まります。検察官は、パジャマを犯行着衣とする冒頭陳述を行い、それに沿った立証を行っていました。ところが、パジャマに付着していた油の鑑定など、検察官に不利な状況が出てきました。そうすると、1967年8月31日、工場内のみそタンクの中から、大量の血痕が付着した、スポーツシャツ、下着シャツ、ズボン、ステテコ、パンツ(5点の衣類)が発見されました。すると、検察官は、これが犯行着衣であり、袴田さんがこれを犯行後に隠したものであるとして、冒頭陳述を変更しました。結局、静岡地方裁判所は、自白調書のうち44通は任意性なしとして証拠排除しながら、1通の検察官調書を採用し、5点の衣類を決定的な証拠と認定して袴田さんが有罪であると認め、死刑判決を言い渡しました(なお、この判決に左陪席裁判官として関与した熊本典道裁判官は、2000年代に入ってから、自分は合議で無罪意見を述べたが、他の裁判官2名が有罪意見だったために有罪判決となったことを明らかにする異例の発言を行いました。)。


控訴審では、公判廷で5点の衣類のうちのズボンの着用実験が行われ、ズボンは袴田さんの太もも当たりで止まってしまい、履けませんでした。しかし、1976年、東京高等裁判所は、ズボンは当初もっと大きなサイズであったものが、みそ漬けされた影響で縮んだためである等として、控訴を棄却しました。1980年、最高裁判所で上告が棄却され、死刑判決が確定しました。


袴田さんは無罪を訴えて、1981年、再審請求を静岡地方裁判所に申し立てました。ところが、同地裁だけで13年、高裁で10年もの長期間かかった後、2008年、最高裁判所が請求を退ける決定をして、この第1次再審請求は終わりました。


2008年、第2次再審請求が申し立てられました。弁護団は、第1次再審請求の時から5点の衣類はねつ造された証拠であると主張してきており、この第2次再審請求では、弁護団は、実際に血痕の付着した布をみそ漬けする実験を行い、その報告書を提出しました。また、鑑定技術の急速な進歩を踏まえて、5点の衣類に付着した血痕等について、新たなDNA型鑑定も行われることになりました。さらに、この第2次再審請求では、裁判所が検察官に対する証拠開示勧告を行い、5点の衣類の発見時のカラー写真など多数の証拠が開示されました。


これらが審理された結果、2014年、静岡地方裁判所は、DNA型鑑定とみそ漬け実験報告書が、無罪を言い渡すべきことが明らかな新たな証拠であると認めて再審開始を決定しました。その中で、5点の衣類は警察によるねつ造の疑いがあるとの異例の言及を行いました。さらに、死刑の執行を停止すると共に、死刑のための拘置についても、これを継続することは耐え難いほど正義に反するとして、執行を停止しました。これにより、袴田さんは47年ぶりに身体拘束を解かれ、姉のひで子さんと共に、自宅に帰りました。


2014年3月27日 静岡地裁の再審開始決定当日のひで子さん


2014年4月14日 再審開始報告集会での袴田巖さんとひで子さん


この決定に対し、検察官は即時抗告を行いました。この高裁段階では、さらに、5点の衣類の発見直後の写真のネガや、取調べ録音テープなどの証拠が新たに開示されましたが、2018年、東京高等裁判所は、DNA型鑑定やみそ漬け実験報告書の信用性を否定し、静岡地方裁判所の再審開始決定を取り消しました(ただし、拘置の執行停止については、取り消しませんでした。)。この高裁決定に対して特別抗告が行われ、2020年、最高裁判所は、高裁決定には、みそ漬け実検について審理を尽くしていない違法があるとして取り消し、審理を東京高等裁判所に差し戻す決定をしました。なお、この最高裁決定には、2名の反対意見が付されており、反対意見は、DNA型鑑定とみそ漬け実験報告書の信用性が認められるから、差戻しではなく、直ちに再審を開始すべきであるとするものでした。多数意見(3名)が法曹出身者であったのに対し、反対意見(2名)は学者や外交官の出身であったことも注目されました。


差戻しの即時抗告審では、最高裁判所が審理不尽としたみそ漬けされた血痕の赤みが黒褐色化する科学的メカニズムについての審理が行われ、弁護団は法医学者や化学者の鑑定書を提出しました。これに対し、検察官は、自らみそ漬け実検を行い、赤みが残ることはあり得るとの立証を行おうとしました。その結果、2023年3月、東京高等裁判所は、再審開始を認める決定を行い、その中で、5点の衣類が捜査機関によるねつ造である可能性が極めて高いと述べました。これに対し、検察官は特別抗告を検討したようですが、それに反対する意見の広がりもあって、特別抗告は断念され、再審開始が確定しました。死刑事件で再審開始が確定したのは、戦後5例目です。


現在、静岡地方裁判所で、再審公判に向けての三者協議が続いています。弁護団では、高齢の袴田さんに一日も早く無罪を届けられるように、そして、捜査機関が5点の衣類をねつ造した事実が明確に認められるように努力しています。


発見直後の5点の衣類


弁護団が実験を行って、実際に1年2か月味噌漬けにした衣類の写真