足利事件

無罪判決を受け、笑顔で裁判所から出てくる菅家さん


事案の概要

1990年(平成2年)5月12日午後6時10分ころ、栃木県足利市内にあるパチンコ店に父親と来ていたMちゃん(当時4歳)が行方不明となりました。夜を徹して捜索が続けられましたが、翌13日午前10時20分ころ、パチンコ店から数百メートル離れた渡良瀬川河川敷の藪の中から、Mちゃんは遺体で発見されました。発見された地名にちなんで「足利事件」と呼ばれています。


Mちゃんは全裸の状態で見つかり、警察が現場付近をさらに捜索したところ、遺体発見現場近くの川底から、Mちゃんのスカート、精液が付着した半袖下着、2枚重ねのパンツが発見されました。


その後の捜査で警察は、事件当時、市内の借家に週末だけ1人で住んでいた菅家利和さんを不審者の一人と特定し、菅家さんが捨てたゴミから微物を採取して、Mちゃんの半袖下着とともに科学警察研究所(科警研)に送り、両者のDNA型の異同について鑑定を依頼しました。すると科警研は、両者のDNA型が同型であるとの鑑定結果を出したのです。


この鑑定結果を踏まえ、警察は、1991年12月1日午前7時ころ、菅家さんの自宅を訪れ、屋内で強引に取調べを始めました。さらにその後、菅家さんをパトカーで足利警察署まで連れて行き取調べを続けました。長時間にわたる過酷な取調べの末、菅家さんは同日午後10時半ころまでにMちゃんの誘拐と殺害を認める「自白」をし、翌2日未明に逮捕されてしまいました。


こうして逮捕された菅家さんは、同月21日、Mちゃんへのわいせつ目的誘拐、殺人、死体遺棄の罪で宇都宮地方裁判所に起訴されました。


なお、Mちゃんが殺害される前にも、足利市内では2件の幼女誘拐殺人事件が起きており、菅家さんは取調べの中で、この2件についても自らが犯人であると認めましたが、この2件については、逮捕から約1年後に不起訴処分とされています。


経過と問題点

第一審の宇都宮地方裁判所は、1993年7月7日、捜査段階で行われた科警研のDNA型鑑定結果の信用性を認め、自白も信用できるとして、菅家さんに無期懲役の判決を言い渡しました。菅家さんは控訴し、弁護団も再編成されて、東京高等裁判所で審理が続けられましたが、東京高等裁判所は1996年5月9日、控訴棄却判決を言い渡しました。その後上告をしたものの、最高裁判所第二小法廷が2000年7月17日に上告を棄却したことで、無期懲役刑が確定し、菅家さんは服役することになってしまいました。


この事件の最大の特徴は、事件発生当時、まだ科学鑑定として確立していたとは言い難いDNA型鑑定の結果が、犯人識別の重要な根拠とされたことでした。


判決確定後、弁護人が、獄中にいた菅家さんから髪の毛を手紙に入れて送ってもらい、法医学者に再度鑑定したもらったところ、科警研のDNA型鑑定が間違っている可能性が高まりました。


2002年12月25日、菅家さんは日弁連の支援を受けて宇都宮地方裁判所に裁判のやり直しを求めて再審を申し立て、弁護団は「当時の科警研の鑑定結果は間違っている。最新のDNA型鑑定を行えば科警研の鑑定結果は覆る」と主張し、強く再鑑定を求めました。しかし、結局、宇都宮地方裁判所はDNA型再鑑定を行わず、再審請求を棄却しました。これに対して抗告審の東京高等裁判所は再鑑定を行うことを決め、検察側推薦の法医学者と弁護側推薦の法医学者が、それぞれ犯人由来の精液が付着した半袖下着を改めて鑑定することになりました。


2009年5月8日、検察側、弁護側双方の法医学者による鑑定結果が公表されました。鑑定結果はいずれも、菅家さんのDNA型と半袖下着に付着した犯人由来のDNA型は、「同一人に由来しない」というものだったのです。菅家さんが犯人ではないということが、科学的に明らかになったのです。


誤った科警研の鑑定(左)と弁護団の提出した押田鑑定(右)


再鑑定の結果を受けて、検察官は裁判所の判断を待つことなく菅家さんを釈放し、2009年6月23日、東京高等裁判所は裁判のやり直し、再審開始を決定しました。


喜ぶ菅家さん


2009年10月21日から宇都宮地方裁判所で始まったやり直しの裁判、再審公判で、検察官も無罪の意見を述べ、菅家さんに謝罪しました。


2010年3月26日、宇都宮地方裁判所は菅家さんに無罪判決を言い渡しました。菅家さんが逮捕されてから、既に18年余りの年月が経っていました。判決言い渡し後、裁判官3人は起立して菅家さんに謝罪しました。



この事件で裁判所が誤った判断を繰り返すことになった最大の原因は、科警研による間違ったDNA型鑑定と、科警研の鑑定に対する科学的批判に耳を貸さず、なかなか再鑑定を認めなかった裁判所の判断にあります。当時最新の科学的証拠とされた科警研のDNA型鑑定は、後の再鑑定によって完全な誤りだったことが判明しました。科学的証拠は客観性があり、信用性が高いとされるだけに、結論を無批判に信じるのではなく、その評価は慎重に行われるべきです。


また、今回は幸いにもDNA型再鑑定の実施が可能でしたが、それは犯人由来の精液が付着したMちゃんの半袖下着が保管されていたからです。再審における再鑑定の可能性を考慮すれば、捜査機関に対して、証拠の適正な保管義務を課すことは不可欠です。


裁判所が誤った判断を繰り返したもう一つの大きな原因は、虚偽自白の存在です。


最初に菅家さんを取調べた警察官は、大声で怒鳴る、頭を小突くなどして、徹底的に菅家さんを追い詰めることで、菅家さんにやってもいない罪を認める自白をさせました。検察官は、直接の暴力こそ振るいませんでしたが、DNA型鑑定が一致するから言い逃れできないだろうなどと追い詰めて、やはり自白をとることに固執しました。菅家さんは、最初に会いに来た弁護人からも適切な助力を受けられず、孤立無援のなかで絶望し、裁判の途中まで自白を維持し続けました。


現在、一定の事件については取調べにおける録音録画制度が設けられ、暴力的な取調べによる虚偽自白は減ったと言われます。しかし、長期間身柄を拘束され、心理的圧迫を受けた状態で行われる取調べでは、虚偽自白が生まれる可能性を排除することはできません。再審においても、自白が信用できるかどうかの判断は、常に慎重になされるべきです。


やり直しの裁判である再審公判開始後、検察官は、菅家さんの取調べ録音テープとともに、不起訴処分となった他の2件の幼女誘拐事件についての刑事記録を開示してきました。他の2件の刑事記録は、裁判のやり直しを求める再審請求中に弁護人が関連事件の記録として開示を求めていたものですが、当時は全く開示されませんでした。これら取調べ録音テープや関連事件の刑事記録から、Mちゃん事件や他の2件について虚偽供述が作り出されていく過程が、ある程度明らかになりました。再審請求中にこれらの証拠が開示されていたなら、菅家さんの自白が虚偽であり、信用できないことを、もっと早く明らかにできたかもしれません。この事件では、捜査機関から新たに開示された証拠が直接裁判のやり直しの決定に結びつくことはありませんでしたが、やり直しの裁判開始後に開示された証拠によって、改めて証拠開示の重要性が示されました。