東京電力女性社員殺害事件

1997年、東京都渋谷区内の空室のアパートで女性の遺体が発見され、近くに住むゴビンダ・プラサド・マイナリ氏が強盗殺人の嫌疑で逮捕された。マイナリ氏が犯人であることを直接裏付ける証拠はなく、マイナリ氏は一貫して無実を訴えた。しかし、2012年にマイナリ氏の無罪が確定するまでに、逮捕されてから15年以上を要した。


審理の経過

マイナリ氏は、1997年6月に強盗殺人の嫌疑で起訴され、2000年4月、東京地方裁判所は、マイナリ氏に無罪を言い渡した。


東京地方裁判所は、無罪と判断した理由につき、「検察官が主張する被告人と犯行との結びつきを推認させる各事実は、一見すると被告人の有罪方向に強く働くもののように見受けられるが、仔細に検討すると、そのひとつひとつが直ちに被告人の有罪性を明らかに示しているというものではなく、また、これらの各事実を総合したとしても、一点の疑念も抱かせることなく被告人の有罪性を明らかにするものでもなく、各事実のいずれを取上げても反対解釈の余地が依然残っており、被告人の有罪性を認定するには不十分なものであるといわざるを得ない」とし、さらに、「被告人以外の者が犯行時に○○○号室(注・遺体発見現場)内に存在した可能性が払拭しきれない上、被告人が犯人だとすると矛盾したり合理的に説明が付けられない事実も多数存在しており、いわば被告人の無罪方向に働く事実も存在しているのであるから、被告人を本件犯人と認めるには、なお、合理的な疑問を差し挟む余地が残されているといわざるを得ない」と判示した。


これに対して検察官が控訴を申し立て、2000年12月、東京高等裁判所は、「原判決が本件につき被告人を無罪としたのは、証拠の評価を誤り、延いては事実を誤認したものといわなければならない」として無罪判決を破棄し、マイナリ氏に無期懲役刑を言い渡した。最高裁判所はマイナリ氏の上告を棄却し、有罪判決が確定した。


マイナリ氏は2005年3月に再審を請求した。弁護人と検察官の証拠開示をめぐる攻防などを経て、2012年6月に東京高等裁判所が再審開始を決定した。同年11月、再審公判において東京高等裁判所が無罪判決に対する検察官の控訴を棄却し、マイナリ氏の無罪が確定した。



再審開始の決め手となったDNA型鑑定結果

マイナリ氏の再審開始の決め手となったのは、再審請求後に新たに実施されたDNA型鑑定の結果であった。


新たに実施されたDNA型鑑定により、被害者の遺体の膣内容物からマイナリ氏ではないことが明らかである男性(以下、この男性を「X」という。)のDNAが検出された。しかも、そのDNA型は遺体発見現場に落ちていた陰毛のうち1本と一致することが明らかになった。さらに、その後に追加で実施されたDNA型鑑定により、被害者の乳房、陰部および肛門の付着物にXのDNAが混在していることや、被害者が着用していたコート左肩の血痕部およびブラスリップにもXのDNAが混在していることが明らかになった。


これらの鑑定結果は、第一審の無罪判決が見出した「被告人以外の者が犯行時に○○○号室(注・遺体発見現場)内に存在した可能性」を裏付けるものであった。東京高等裁判所は再審開始決定において、これらの鑑定結果によって、相当の理由をもって「(Xが)被害者と性交し、その後、被害者を殺害して現金約4万円を強取したのではないかとの疑い」が生じたと判示した。


再審請求審での新たなDNA型鑑定の対象となった資料はいずれも、警察署に保管されていた証拠物であったが、再審請求審終盤まで、弁護人にはその存在が明らかにされていなかった。



再審請求審における証拠開示に関する検察官の当初の対応

マイナリ氏が再審を請求した後、弁護人は数次にわたり裁判所に対して検察官に証拠開示を命じるよう申し立てていた。


これに対して検察官は、一部の供述調書の開示には応じたものの、その他の証拠については、開示に応じないばかりか存否を明らかにすることもしなかった。存否を明らかにしない理由について、検察官は、「新証拠の新規性、明白性を判断する上で関連性・必要性がないことが明らかであるにもかかわらず、開示を求められている証拠の存否をすべて一律に明らかにすることは、再審請求審の訴訟構造に照らし、相当でない上、弁護人らが開示請求を重ねることによって、不提出証拠のすべてのリストを明らかにするのと同様の結果となり、そうなると、関係者のプライバシーの保護のほか、将来の捜査の協力確保等に支障が生じる」などと主張した。



DNA型鑑定資料の存在が順次明らかにされた経緯

2009年6月23日、「足利事件」についての再審開始が決定された。その決め手になったのはDNA型鑑定の結果であった。


これを受けて、弁護人は裁判所に対し、鑑定資料の保管の有無および保管状況等について検察官に報告を要請するよう求めた。これを受け、裁判所が検察官に対して資料の保管状況を確認して報告するよう要請し、これに応じた検察官の報告により、被害者の膣内容物を付着させたガーゼ片が警察署に保管されていることが判明した。


そして、裁判所、検察官および弁護人の三者で実施条件や嘱託先を協議した上で、膣内容物のDNA型鑑定が実施されることになった。また、膣内容物以外の証拠物についても併せてDNA型鑑定が実施されることになった。


その結果、前述したとおり、被害者の膣内容物からXのDNAが検出され、そのDNA型が現場に落ちていた陰毛のうち1本と一致することが明らかになった。


すると、DNA型鑑定結果が判明した後になって検察官は、その他にもDNA型鑑定の対象になりうる証拠物が存在することを明らかにし、それらの証拠物についてDNA型鑑定を実施する意向を表明した。そのような経緯で実施されたDNA型鑑定によっても、マイナリ氏と被害者が事件当日に接触したことを窺わせる結果は出ず、むしろ、被害者の乳房、陰部および肛門の付着物にXのDNAが混在することが明らかになった。


こうして再審開始が決定されたが、検察官は再審開始決定後になってさらに、被害者の爪の間から採取された残留物が存在することを明らかにし、そのDNA型鑑定を実施した。その結果も、残留物にはXのDNAが混在しているというものであった。


このように、再審開始および無罪判決確定の決め手となったDNA型鑑定の対象とされた証拠物は、検察官が当初からその存在が明らかにしたものではなく、検察官の主張に沿わない鑑定結果が明らかになる都度、順次明らかにされたものであった。



blank平成24年6月7日 東京高等裁判所再審開始決定(裁判所ウェブサイト)