鹿児島天文館事件

2016年1月12日、福岡高等裁判所宮崎支部は、第一審有罪判決を破棄して、強姦罪の罪に問われた男性に無罪を言い渡した。決め手となったのは、控訴審で行われた鑑定の結果、被害者とされる女性の膣から見つかった精液由来のDNAが、被告人以外の男性のものであることが明らかになったことだった。


(第一審裁判所の判断は、防犯カメラをはじめとする客観証拠との矛盾などを十分に検討しなかったという問題もあるが、以下ではDNA型鑑定の問題を中心に説明する。)


事件の概要

当時20歳の男性Aさんは、2012年10月のある深夜、鹿児島市内の繁華街で、それまで面識のなかった少女Bさん(当時17歳)の手首をつかんで路上に連れて行き、乳房を舐めるなどした上、Bさんを路上に仰向けに倒して強姦したとして逮捕され、起訴された。


Aさんは一貫して、お酒に酔っていて記憶がなく一切身に覚えがないと訴えた。弁護人は、強姦の事実自体がないとしてAさんの無罪を主張した。



裁判所の判断

(1)第一審判決(鹿児島地方裁判所2014年2月24日)

裁判では、Aさんによって強姦されたというBさんの証言の信用性が争われた。検察官は、証言の裏付けとして、Bさんの体から採取された付着物を資料として科捜研が行った鑑定結果を証拠として提出した。1つは、乳輪周辺から採取された唾液ようの付着物の鑑定結果で、被告人のDNA型と一致することが判明した(①)。もう1つは、少女の膣から検出された精液について行われたもので、抽出されたDNAが微量のため、DNA型鑑定に至らなかったという結論だった(②)。


第一審の鹿児島地方裁判所(裁判長裁判官:安永武央、裁判官:植田類、同竹中輝順)は、①の鑑定結果から、事件当日、AさんがBさんとの間で何らかの性的接触を持ったことが認められ、胸を舐められたというBさんの証言と一致すると判断した。②の鑑定結果について、事件の1週間前が交際相手との最終の性交渉であるというBさんの説明を前提にすると、事件当日、BさんはAさんから性被害にあった事実が強く推認されるとした。その上で、裁判所は、強姦被害に関するBさんの証言は非常に信用性が高いと評価し、強姦の罪でAさんに有罪判決を言い渡した(懲役4年)。


(2)控訴審(福岡高等裁判所宮崎支部2016年1月12日)

控訴審の福岡高等裁判所宮崎支部(裁判長裁判官:岡田信、裁判官:増尾崇、同:安部利幸)は、少女の膣から検出された精液のDNA型鑑定を再度行うこととし、経験豊富な法医学者を選任した。


鑑定結果は、科捜研の鑑定結果とは大きく異なるものだった。科捜研の鑑定では、抽出されたDNAが微量でPCR増幅(PCRとは、ポリメラーゼ連鎖反応の略で、微量のDNAを複製してDNAを増幅させる方法をいう。PCR増幅により、限られた試料のDNA型鑑定が可能になる。)ができず、DNA型鑑定に至らなかったと結論づけられていた。これに対し、控訴審が選任した法医学者による鑑定では、プロトコルに基づいて検体からDNAを分離して抽出し、DNA型鑑定が行われた。その結果、Bさんの膣から採取された精子は、Aさんとは異なる男性1名のものであり、Aさんの精子は存在しないことが明らかになったのだった。


控訴審裁判所は、鑑定結果によってBさんの証言の信用性が裏付けられているとした第一審判決が誤りであると判断した上で、さらに、Bさんが虚偽を述べているのではないかという観点から、その他の証拠との整合性や裏付けなどを検討し、Bさんの証言の信用性を否定して無罪判決を言い渡した。



科捜研捜査官による、資料や鑑定メモの廃棄

第一審が依拠した科捜研による鑑定について、控訴審判決は次のように批判して、その信用性を否定した。


  • 科捜研職員は、抽出後定量に使用したDNA溶液の残りを全て廃棄した。
  • 鑑定検査記録が作成されているものの、各事項の記入がいつ、どのような形でなされたか不明で、鑑定手順や内容を再現し、鑑定の信用性や信頼性を吟味するには足りない。
  • DNA溶液のみならず、後の検証のための資料として手続の適正の担保にもなる鑑定経過を記載した「メモ紙」も廃棄された。

控訴審判決は、科捜研鑑定の結果について、科捜研職員の技術が著しく稚拙で、不適切な操作をした結果DNAを抽出できなくなった可能性、さらには、実際には精子由来とうかがわれるDNA型が検出されたにもかかわらず、それが、その頃行われたAさんのDNA型鑑定と整合しなかったことから、捜査官の意向を受けて、PCR増幅ができなかったと報告した可能性さえ、否定する材料がないと、科捜研職員の対応を厳しく批判した。


本判決を受けて、警察庁は、2016年1月27日付けでpdf「DNA型鑑定の実施における留意事項について」と題する通達(警察庁ウェブサイト)を出した。


この通達は、鑑定の経過等を記録した書類を適切に作成・保管するとともに、鑑定の経過、手順や内容を公判において事後的に検証できる程度に具体的に記載するよう求めている。



身体拘束

Aさんは、事件の約1か月後に逮捕された後、2年5か月近くにわたり拘束された。控訴審におけるDNA型鑑定の結果、精液が別の男性のものであることが判明したのを受けて、2015年3月に保釈された。



【参考文献】

野平康博「天文館強姦被告事件の予断(特集 バイアスと冤罪:日本版イノセンス・プロジェクトの実践に向けて)」法と心理17巻1号12頁(2017年)