世界各国の市民参加制度

世界各国の市民参加制度 [国旗をクリックすると各国のページが見れます] アメリカ カナダ イギリス ロシア フランス イタリア ドイツ


アメリカの制度

歴史

アメリカでは、イギリスの植民地時代から陪審制が導入されていました。


独立後も多くの州で陪審制度が維持され、1787年に制定されたアメリカ合衆国憲法第3編は、すべての犯罪の公判は陪審裁判によってなされなければならない旨を規定しました。さらに、第5修正は刑事大陪審を、第6および第7修正は刑事及び民事事件で陪審を受ける権利を保障しました。


その後、陪審は、連邦および州の刑事、民事事件に広く導入され、今日まで、アメリカ社会において重要な役割を果たしています。


制度の概要

制度:陪審制

裁判官の数:1名

陪審員の数:無作為12名(重罪事件/大多数の州)


採用されている裁判所 州地裁および連邦地裁
市民の選び方 選挙人名簿などから無作為に選ぶ
年齢 18歳以上
評決方法 全員一致(刑事重罪事件の場合。一部の州では10票で可)
事実問題の上訴 不可
上訴審での市民参加 なし
被告人の選択 陪審裁判を受ける権利を放棄することが可能


カナダの制度

歴史

18世紀半ば、イギリスがフランスとの植民地戦争に勝利した結果、カナダはイギリスの植民地となり、陪審裁判を受ける権利を含むイギリスのコモンローが適用されるようになりました。

1867年、カナダ自治領が成立した時、連邦議会が刑事法の制定権をもつことになり、1892年制定の刑法典において、重大事件について陪審裁判を受ける権利が承認されました。


制度の概要

制度:陪審制

裁判官の数:1名

陪審員の数:無作為12名(重罪事件)


採用されている裁判所 高等法院(superior court)
市民の選び方 選挙人名簿などから無作為に選ぶ
年齢 18歳以上
評決方法 全員一致(刑事重罪事件の場合)
事実問題の上訴
上訴審での市民参加 なし
被告人の選択


イギリスの制度

歴史

イングランドでは、13世紀ころから、陪審が刑事事件に用いられるようになりました。当初の刑事陪審は証人のような役割を果たしていましたが、17世紀ころまでに事実判定機能を持つにいたりました。

18世紀後半には、12名の市民で構成され、大陪審の起訴を受けて被告人の罪責を全員一致で決める制度として確立されました。


制度の概要

制度:陪審制

裁判官の数:1名

陪審員の数:無作為12名(重罪事件)


採用されている裁判所 刑事法院、高等法院(民事事件)
市民の選び方 選挙人名簿などから無作為に選ぶ
年齢 18歳以上
評決方法 原則として全員一致(2時間10分以上評議した後は、12人中10人の多数決で決定できる)
事実問題の上訴 控訴裁判所の許可があれば可
上訴審での市民参加 なし
被告人の選択 indictable either way offenceの場合のみ可


ロシアの制度

歴史

ロシアでは、1864年にアレクサンドル2世による司法改革の一環として陪審制度が導入されました。その後、ボルシェビキにより1917年、陪審制度は廃止され、人民参審制に変わりました。


陪審制度は、旧ソ連のペレストロイカ時代に復活が検討され、1993年から一部の地域で導入されました。2001年には刑事訴訟法典が陪審制度を規定し、2010年には陪審制度がロシア連邦全体へ拡大されました。


制度の概要

制度:陪審制

裁判官の数:1名

陪審員の数:無作為12名


採用されている裁判所 州裁判所
市民の選び方 選挙人名簿などから無作為に選ぶ
年齢 25歳以上
評決方法

原則として全員一致

(3時間経過しても全員一致の結論が得られない場合は7名以上の多数決によることができる)

事実問題の上訴 可(但し、検察官による上訴は限定されている)
上訴審での市民参加 なし
被告人の選択


フランスの制度

歴史

1789年に起きたフランス革命の中で、革命の進行とともに司法改革も議論され、1791年の憲法および法律により、イングランドの刑事大陪審と小陪審が導入されました。しかし、1808年のナポレオン治罪法典の下では、陪審制をとらない例外裁判所が許容され、陪審員も知事の選任による名望家から選ばれるなど、イングランドとは異なる独特の制度となりました。


1941年のヴィシー政権下で、裁判官が陪審員とともに評決に参加するドイツ式の参審制度へと変化しました。参審員の数もこのとき12名から6名に減りましたが、1958年に9名となりました。1978年の法改正により、選挙人名簿からの無作為抽出に変わりました。


2012年1月より、参審員の数は再び6名となりました。また、より法定刑の軽い犯罪を扱う軽罪裁判所でも参審員の参加が始まり、現在一部の地域で実施されています。


制度の概要

制度:参審制

裁判官の数:3名

参審員の数:無作為6名(第一審/重罪事件)、無作為2名(第一審/軽罪事件)


採用されている裁判所 重罪院、軽罪裁判所(一部地域)
市民の選び方 選挙人名簿から
年齢 23歳以上
評決方法

有罪には6票、量刑には過半数の5票必要(重罪院の場合)

過半数(軽罪裁判所の場合)

事実問題の上訴
上訴審での市民参加

あり

(重罪院の場合参審員9人で再度審理)

(軽罪裁判所の場合参審員2人)

被告人の選択 不可


イタリアの制度

歴史

1848年、サルディニア王国で重罪を裁く重罪院に陪審制度が導入されました。1860年イタリア王国が建国されましたが、その過程で、サルディニアが併合した国々に陪審制度が広がっていきました。


1919年の刑事訴訟法において、裁判体の構成、陪審員の権限が縮小されるなどの変化があり、最終的に、ファシスト党が政権を取った後の1931年に陪審制は廃止されました。


1948年の共和国憲法を受けて制定された1951年重罪院改編法により、重罪院及び重罪控訴院は、2名の裁判官と6名の参審員で構成されることとなりました。


制度の概要

制度:参審制

裁判官の数:2名

参審員の数:無作為等6名


採用されている裁判所 重罪院、重罪控訴院
市民の選び方 自薦および無作為抽出
年齢 25歳以上
任期 3か月
評決方法 単純過半数
事実問題の上訴
上訴審での市民参加 あり(参審員6名)
被告人の選択 不可


ドイツの制度

歴史

フランス革命の影響を受けて、ドイツにおいても陪審制度の導入が議論され、1840年代後半に陪審制度が導入されました。陪審は事実問題についてのみ判断権限を持っていました。ドイツ帝国成立後には、陪審裁判所の廃止と参審裁判所の導入が検討されましたが、議会の反発により、軽微な事件には参審、重罪には陪審、その他は職業裁判官のみによる裁判という制度がとられるようになりました。


1920年代に入り、陪審裁判所はその名は残ったものの、事実上職業裁判官3人と参審員6人からなる参審裁判所となりました。そして1974年には、職業裁判官3人と参審員2人の構成になり、現在に至っています。


制度の概要

制度:参審制

裁判官の数:3名

参審員の数:推薦2名


採用されている裁判所 区裁判所、地方裁判所
市民の選び方 政党等からの推薦
年齢 25歳以上
任期 5年
評決方法 有罪には3分の2の多数が必要(その他は単純多数決)
事実問題の上訴 可(区裁のみ)
上訴審での市民参加 あり(区裁事件の控訴審のみ)
被告人の選択 不可


用語解説

陪審制とは?

陪審員が裁判官から独立して、事実の判断と、それに基づく有罪・無罪を決定する制度です。陪審員は一般には、量刑に関与しません。評決は原則として全員一致です。国によっては特別多数決を認めるところもあります。


参審制とは?

職業裁判官と市民から選ばれた参審員が合議して裁判を行う制度です。参審員は基本的に裁判官と同等の権利を有し、罪責と量刑を判断します。