子どもの尊厳を尊重し、学習権を保障するため、教育統制と競争主義的な教育の見直しを求める決議

子どもは、一人の人間としてその尊厳を尊重されるべきであり、人格及び能力を最大限に発達させ開花させるための学習権を保障されている(憲法13条、26条、子どもの権利条約6条、29条1項)。



この学習権は、教師と子どもとの間の人格的ふれあいを通じた教育によって実現されるべきものであり、そのため教師には、教育の専門性に根ざした教育の自由が保障されるべきである。憲法は教育の自主性を尊重し、教育基本法は政治や行政による教育への不当な支配を禁止している。



しかし、日本の教育はいま、大きな岐路に立たされている。



教師に対する思想良心に関わる規制の強化、業績評価や各種調査の導入、政治や行政による教育内容への介入などを通じて、教師に対する厳しい統制が進められ、教師の精神的自由が制約され、教育の自主性が損なわれるとともに、教師が子どもに向き合い、必要な援助をする条件や時間が奪われている。



とりわけ、東京では、卒業式・入学式等において「君が代」斉唱時に教職員の起立を求める通達が出され、起立しなかった多数の教職員に対し、戒告、減給、停職処分がなされている。



大阪では、教育行政基本条例や国歌斉唱条例等の一連の条例が成立し、政治や行政による教育の自主性への侵害が強く懸念されるとともに、教師に対する管理・統制が一段と強化されようとしている。北海道では、全教職員に服務規律に関する面接調査を課し、法令等違反行為、政治的活動や学習指導要領違反等について道民による教育委員会への情報提供制度を創設して、教職員への管理を強化している。



こうした政治や行政による教育への介入は、教育の自主性や教師の思想良心の自由を始めとする精神的自由を侵害するとともに、子どもの思想良心の自由の制約につながる危険性があり子どもと教師との自由で豊かな人間関係に基づく教育を損なうことが危惧され、日本の教育の将来に大きな禍根を残すことが強く懸念される。



また、近年、全国学力テスト、学校選択制の導入や学校統廃合などによって、学校間・教師間・子どもたちの間に過度の競争を促進する教育への介入が進められている。子どもたちは成績偏重の学力評価によって格差を付けられ、多くの子どもたちが挫折感や孤独感を抱いている。成績評価による過度の競争主義的な教育は、子どもの人間性や多様な能力の全面的な発達を阻害することが懸念される。子どもの成績は、家庭の経済的条件に影響されることが報告されており、経済的な格差が教育の格差につながることも危惧される。



教育条件に関する規制が緩和されたことにより、常勤教員の削減などによって教育環境が悪化し、子どもの学習環境の地域間格差の拡大も懸念されている。国は全ての子どもが必要かつ十分な教育条件の水準における教育を受ける権利を有することを踏まえ、少人数学級や教員定数基準など、教育的な必要性から導き出された十分な教育条件を立法で整備するべきである。



さらに、貧困家庭が増加し、経済格差が教育格差をもたらすことが強く危惧される状況の下、子どもがその経済的条件にかかわらず必要な教育を受ける権利が実質的に保障されるよう、必要な施策が実施されなければならない。



よって、当連合会は、国、地方自治体及び教育委員会に対し、次のことを強く要請する。



1 国、地方自治体及び教育委員会は、教育行政全般に渡り、憲法・子どもの権利条約・教育基本法に定められた、子どもの学習権・成長発達権の保障、教育の自由の尊重、教育への不当な支配・介入の禁止等の教育上の諸原則を遵守するとともに、子どもと教師の思想良心の自由を始めとする精神的自由権を尊重すべきこと。



2 地方自治体及び教育委員会は、入学式、卒業式等の学校行事等において、教職員及び児童・生徒に対し、国旗に向かって起立し、国歌を斉唱することの強制及びその不履行を理由とする不利益処分や不利益取扱いをしないこと。



3 国、地方自治体及び教育委員会は、過度に競争的な環境が子どもの人格の成長発達や学習権の充足に否定的な影響を及ぼすことがないよう、全国学力テスト、学校選択制、学校統廃合、公立の小中一貫校及び中高一貫校等を含む学校教育の在り方を検証し、必要に応じて見直すこと。



4 国は、全ての子どもが必要かつ十分に学習権を保障されるよう、教育的必要性から導き出される教育条件整備基準を規定した全国的な最低基準(ナショナルミニマムスタンダード)を定める立法をすべきこと。



5 国は、公立小中高等学校の完全無償化など、子どもの経済的条件にかかわらず全ての子どもに必要かつ十分な教育を受ける権利が実質的に保障されるよう、積極的施策を講ずること。



以上のとおり決議する。

 

2012年(平成24年)10月5日
日本弁護士連合会


提案理由

第1 はじめに-岐路に立つ日本の教育

1 岐路に立つ日本の教育

子どもは、一人ひとりがかけがえのない存在として、その尊厳を尊重され、人格、人間性及び能力を全面的に発達させ開花させるための学習をする権利を有している(憲法13条、26条、子どもの権利条約6条、29条1項)。



これは、子どもと教師との人間的なふれあいによる教育を通じて実現されるものであり、戦後の教育は、教師の専門性に根ざした教育の自由を尊重する憲法と教育基本法の下で営まれてきた。



しかし、日本の教育はいま、大きな岐路に立たされている。

 

2 教育統制と教育の自由

(1) 教育統制の強化

近年、教師に対する業績評価や各種調査の導入、政治や行政による教育内容への介入などを通じて、教師に対する厳しい統制が進められている。国や地方自治体、行政が教育に過度に介入し、競争をあおる目標や統制のための規範を設定し、首長、教育委員会、校長などによるトップダウン体制を通して、学校や教師を管理し評価して、上から与えられた目標や基準に沿わないときには不利益な取扱いをするなど、教育現場には上からの厳しい統制が強まっている。



一人ひとりの子どもはその個性や発達段階、環境等に応じて様々な課題を抱えており、教師は子どもとのふれあいの中で、子どもの多様な課題や困難を含めた成長の過程に寄り添い、子どもを受け止め、子どもに応えることによって子どもの成長を支えるものである。そのために、教師には教育の専門性に根ざした教育の自由が保障される必要がある。



しかしいま、教師は業績評価や上下の職階制、成績競争などの中で、子ども自身の発達課題やニーズとは異なる、上から与えられた目標や評価、成績偏重の競争に追われ、子どもと向き合い、子ども自身が現実に抱える課題に応える余裕を持つことができなくなっている。



(2) 思想良心の自由に関わる教育統制

教育基本法の改正や新学習指導要領、地方自治体の条例や教育委員会の通達などを通じ、国旗・国歌など個人の価値観に深く関わる内容の目標や規範が掲げられ、子どもの内心の自由を侵害することが強く懸念されている。


とりわけ、子どもの教育を支える教師に対し、思想良心に関わる職務命令、処分や各種調査などを通じて統制が強められている。東京都では、入学式・卒業式等の学校行事等において教職員及び児童・生徒に対して、国旗に向かって起立し、国歌を斉唱することが強制され、不起立の教職員に厳しい懲戒処分がなされている。大阪府では、条例により、教職員に対して行事における国歌斉唱時の起立斉唱が義務付けられるとともに、起立を命ずる職務命令に3回違反すると分限免職処分にされる可能性がある。北海道では、教職員に対し、組合や政治活動などに関する調査が行われた。
 

(3) 子どもの成長と教育の自由

教育に政治や行政が不当に介入し、教育の現場を一定の価値観によって統制しようとするとき、社会全体が危険な方向に傾くことは、戦前の悲惨な歴史が教えるところである。


戦後の憲法は、多様な価値観を持つ市民に思想良心の自由を始めとする精神的自由権を保障し、自由な議論と相互理解を通じて合意を形成する立憲民主主義社会を理念とする。教育は、子どもが一人の個人、また市民として成長発達し、自ら考え、自律的に行動する力を育むことを通して、自主的な人格を形成することを目指すものであり、国家や政治に都合のよい一方的な観念を教え込むものであってはならない。そのためには、子どもの自主性を育む教師に対して、教育の専門性に根ざした教育の自由、及び思想良心の自由を始めとする精神的自由がとりわけ尊重されるべきである。



教師に対する思想良心に関わる統制を許せば、教育現場は萎縮し、子どもの人権や内心の自由を尊重しようとする教師が真っ先に教育現場で抑圧されかねない。日本の教育はいま、危険な曲がり角にある。



3 過度の競争主義的教育の導入

(1) 競争主義的教育の推進

経済のグローバル化に伴って、教育は、世界各国において、様々な局面から議論されている。社会において競争主義や市場原理が強まる中、教育にも経済至上主義が持ち込まれ、国や各地方自治体は、グローバルな競争に適合する人材を育てるという名目の下に、全国学力テスト、学校選択制や学校統廃合の促進、公立の中高一貫校の導入などを推進している。これらに対してはさまざまな評価があるが、これらによって、過度に競争主義的な教育を推進する教育への介入を進め、子どもの能力の早期選別を図ろうとしているとの指摘もある。



学校では、過度の競争主義的教育が推進され、多くの子どもが成績評価を偏重した競争や格差付けの中に取り残され、落ちこぼれた子どもは自己肯定感や希望を持てず、能力や人格の発達も阻害されかねない状態にある。



また、子どもの成績は、家庭の経済的条件に影響されることが報告されており、競争主義的教育の中で、経済的な格差が教育の格差につながることも危惧される。



(2) 憲法の理念と競争主義的教育

憲法は、全ての個人の尊厳と人権の尊重を理念としており、経済競争に勝ち抜く人材だけでなく、多様な能力や条件を有する全ての国民が、相互に人権を尊重し、共に生きる社会を目指すものである。



ことに子どもには、その全人格を成長させ、学力と人間性のバランスの取れた発達をする権利がある(子どもの権利条約29条1項)。そのために、学校教育は、全ての子どもがかけがえのない人間として尊厳を尊重され、自己肯定感を育てることができるとともに、成績によって評価される能力だけでなく、それぞれの個性に根ざした多様な能力を発達させ、その人間性を育むことができるものでなければならない。



成績評価に偏重した過度の競争主義的教育は、このような子どもの人格の全面的な発達を阻害するおそれがある。
 

4 いま教育の在り方の見直しを

現在、政府や地方自治体がこのように教育への介入を強める中で、全ての子どもの全人格的発達のための学習権の充足、精神的自由の尊重、教育の自主性・自律性の尊重、政治や行政による不当な支配の禁止など、憲法・教育基本法に基づく教育理念が大きく損なわれている。日本の教育は危機的な岐路に立たされており、いま、教育の在り方を改めて見直すことが緊急に求められている。



国、地方自治体及び教育委員会は、教育行政全般に渡り、憲法・子どもの権利条約・教育基本法に定められた、子どもの学習権・成長発達権の保障、教育の自由の尊重、教育への不当な支配・介入の禁止等の教育上の諸原則を遵守するとともに、子どもと教師の思想良心の自由を始めとする精神的自由権を尊重すべきである。
 

第2 教育への介入と教員統制の危険

1 子どもの学習権と教育の自由

(1) 子どもの学習権の保障と教育の自由

子どもは生まれながらに、その尊厳を尊重され、人格と能力を最大限に発達させるために必要な学習をする権利を有している(憲法13条、26条、子どもの権利条約6条、29条1項)。



子どもは一人ひとり異なった個性や発達段階、ニーズの下にあり、それぞれの条件や環境も様々である。教師が、障がいを持つ子どもを含む、様々な背景を持つ子どもたち一人ひとりの存在を肯定し、その尊厳を尊重することを通じて、子どもは生きる基盤となる自己肯定感を育むとともに、その人格を成長させ、その個性と発達段階に応じて学習権を充足させていくことができる。このため、教師は、子どもの多様な個性、発達段階やニーズを受け入れてこれに誠実に応えていくことが必要であり、これは子どもと教師との直接の人間的ふれあいを通じて行われるものである(子どもの権利条約12条)。



そして、教師がこのように子どもの個性と発達に応じ、最善の教育活動を展開し、またより良い教育を探求するため、教師には、教育の専門性に基づく一定の教育の自由が保障されなければならない(憲法23条、26条、1976年5月21日最高裁判所大法廷判決(以下「旭川学力テスト最高裁判決」という。)、ユネスコ「教員の地位に関する勧告」)。



教育は人間の内面的価値に対する文化的な営みであり、多数決原理が支配する政治的影響によって支配されるべきでなく、教育内容に対する時の政府や行政の介入はできるだけ抑制的であることが要請される。とりわけ、個人の基本的自由と人格の独立を尊重している憲法の下では、子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような介入、特に一方的な観念を教え込むことを強制するようなことは、憲法上の要請からも許されない(旭川学力テスト最高裁判決)。



(2) 教育に対する不当な支配の禁止

さらに、教育基本法は、時の政治や行政が教育に不当な支配介入をすることを禁じている(教育基本法16条1項)。



教育においては、子どもに直接に接する教師が、子どもの声を受け止め、子どもが必要としているものを的確に捉え、その要求に応えることのできる教育活動を考案し、実行することが必要となる。それとともに、教師は自ら、又は教師相互間で、教育活動を検証し、より良い教育活動の在り方を探求していくことが求められる。その際、子どもの学習権の実現のため、保護者の意見を教師が受け止め、それを教育に反映させることも重要である。教育の自主性を尊重することが必要であるのは、子どもに直に接している教師が、常に多様で流動的に変化していく子どもの状況を的確に理解し、保護者の意見を受け止めつつ、子どもが必要としている教育活動を、一定の自由な裁量をもって創造的かつ弾力的に展開し、より良い教育を探求していかなければならないためである。



こうした教育上の要請をかえりみず、行政が教育現場に介入し、教師に一定の教育活動を強制したり、教師の活動を禁止・抑圧したりすれば、教師は萎縮し、自ら必要な教育活動を抑制せざるを得なくなる。また、教師が子どもに直接の責任を果たしながら、子どもの最善の利益のために教育を実行しようという、教師の教育的な熱意や責任感を阻害することにもなる。それは、ひいては子どもが最善の教育を受ける権利の充足を阻害する結果となろう。



また、行政によって、教師の精神的自由を制約する統制が強められれば、教師が自由な精神的な活動を通じて子どもの発達を受け止め、子どもの状態に応じた教育をする余地が狭められることになる。



このため、教育に対する不当な支配は禁止され、教育行政が教育内容などの教育活動の一部を強制的に変更するなど、教師の創造的かつ弾力的な教育活動の余地を失わせるような介入をすることは許されない。また、行政が、子どもが自由かつ独立の人格に成長することを妨げるような介入、例えば一方的な一定の理論や観念を生徒に教え込むことを強制することは許されない(旭川学力テスト最高裁判決)。



教育の自主性を尊重し、教育への不当な支配介入を禁止することは、子どもがその個性と発達段階に応じて必要な学習をする権利を充足するために、欠くことのできないものであると言わなければならない。

 

2 教育への介入と教員統制の危険

しかしながら、憲法と教育基本法に定められた、子どもの人格の完成を目指し、子どもと教師との教育的な人間関係に基づき、教育の自主性を尊重する教育の理念は、近年の相次ぐ教育への介入の動きによって、現在大きな危機にさらされている。



すなわち、2006年には、先に当連合会が強く反対していた教育基本法の「改正」により、教育の目標(2条)に「伝統と文化を尊重し」「我が国と郷土を愛する態度を養う」などが規定され、その後、学校教育法にもこれに沿った義務教育の目標が規定された。これらの項目は内心の価値観に関わるものであり、子どもの成長発達権、特に内面形成の自由を侵害し、教育の自主性・自律性を害することが危惧される(当連合会第47回人権擁護大会「子どもの権利条約批准10周年にあたり、同条約の原則及び規定に基づく立法・施策を求める決議」(2004年10月8日))。



教育行政の原理については、教育に対する「不当な支配」の禁止の規定(16条1項)は残されたが、「教育は国民全体に直接責任を負って行われるべきものである」との文言が削られ、教育の独立性や自主性の侵害が懸念されることとなった(当連合会2006年9月15日付け「教育基本法改正法案についての意見」)。



また、教育基本法改正に従い、2007年に、学校教育法が改正され、「主幹教諭」などを設けて学校運営の職階化が進められるとともに、教育職員免許法により、教員免許更新制が設けられ、教師への管理強化が図られた(当連合会2007年6月14日付け「教育関係3法『改正』法案に関する意見書」)。



こうした一連の動きによって、教育の目標の設定に政治が介入し、教師をそれに向けて統制することを通じて、教育の自主性・自律性への侵害が強く懸念される状態となっている。

 

3 教育内容への介入

教育の内容に対し、政治や行政による介入などを通じた統制も強められている。



例えば、人権教育に関し、性教育やジェンダーの実質的平等に関する教育に対する妨害が強められ、2003年、東京の養護学校では、都議会議員らが性教育の授業を批判し、教育委員会により性教育の教材が持ち去られ、教師に厳重注意処分がなされるなどの教育への不当な介入が行われた。



こうした教育への介入によって、教育現場は萎縮し、教師としての専門性に基づき、子どものニーズに応じ、子どもの人権や自主性・自律性を尊重しながら教育をする自由が損なわれている。


4 教師への管理の強化

さらに、学力テストの成績公表や学校選択制等により、学校間の競争が激化する中、教師は、業績評価、成績の結果や職階制などによって管理され、上からの評価を気にせざるを得ず、子どもとの豊かな人間関係を育み、それぞれの子どもに向き合い、子ども自身の課題や困難に応えながら教育をする条件や時間を失いつつある。



学校教育においては、教師が自主的な研鑽と相互の協力によって、子どもの発達課題を受け止め、教育内容を向上させていくべきものである。しかし、こうした管理統制や職階制による上下の階層化が進められ、学校間・教師間の競争が煽られる中で、教師の間の信頼や横のつながりも損なわれ、教師が協力して子どもの心を受け止める教育をすることも困難な状況に置かれている。



地方自治体及び教育委員会は、教育内容への介入、教師の業績評価、懲戒・分限処分、各種調査その他において、教育の自由又は教師の精神的自由を侵害し、教育内容に不当に介入して教育現場を萎縮させることのないようにすべきである。

 

5 東京・大阪・北海道における教育統制の持つ問題点

(1) 教師の思想良心の統制と東京における「君が代」斉唱時の起立の強制等

上記の一連の教育への介入に先駆け、地方自治体において、教職員に対する「君が代」問題など内心の自由に関わる事項について、通達、職務命令、処分等による統制が行われている。



東京都では、2003年10月23日、入学式・卒業式等において、教職員に対して、国旗に向かって起立し、国歌を斉唱することを強制する通達が出され、起立しなかった教職員には、戒告、減給、停職などの懲戒処分がなされるようになり、これまでに処分された教職員は延べ400名以上に上る。



「君が代」については、市民の間に様々な見解があるが、戦前に「君が代」が国家主義的教育に利用された歴史的経緯等があること等に照らし、起立斉唱に抵抗を覚える者が少なからず存在する。君が代斉唱時に起立するなどの外部的な行為は、内心と密接な関係を有するものであり、起立は敬意の表明をその不可分の目的とするものであるから、起立の強制は憲法19条の思想良心の自由の侵害に当たるものである。



ことに子どもは、社会に多様な価値観があることを学び、その中で自主的に考え、自らの思想良心を形成しつつ、自由かつ独立の人格を発達させる過程にある。「君が代」の一律の強制や教師に対する処分によって、子どもの思想良心の自由な形成を萎縮させることがあってはならない。入学式・卒業式で、「君が代」斉唱時に起立斉唱をしない子どもに対し、傍らに立って起立するよう執拗に指導する、子どもが起立しないと式の進行をしないなど、子どもに対する起立の強制も行われている。また、起立しない子どもを職員室や校長室に呼び出してその理由を問いただすなど、起立しない子どもに不利益な扱いをする例も見られる。こうした起立の強制や、不利益な取扱いは、子どもの思想良心の自由を侵害するものである。憲法は、社会に多様な価値観があることを許容し、市民に相互の価値観の尊重と理解を求めている。学校において、自他の人権を尊重することを学ぶことも重要な教育の一環であって、学校行事における日の丸・君が代の扱いに関しては、多様な意見があることが留意されるべきである。



また、従来の卒業式・入学式は、多くの学校において子どもと教師の手によって主体的に作り上げられてきており、子どもの自主性を育てる教育活動の大切な一環であった。ところが東京都では、2003年の前記通達によって、「日の丸・君が代」その他について詳細な実施指針が定められ、式の在り方は一変し、自主的な運営は困難になった。教育内容に対する行政の介入はできるだけ抑制的であることが求められ、教育の自主性が尊重されるべきであり、学校行事の内容への詳細な介入や、教員への起立の強制は、教育の自由・自主性を尊重する憲法・教育基本法の要請にも違反するものである。



この問題に関しては、2011年5月以降、最高裁判所の判決が相次いでおり、起立を命ずる職務命令については合憲とした。しかし、上記のとおり、この職務命令は思想良心の自由の直接的な制約に当たるものであるから、これを合憲としたことは極めて不当であって、裁判所は前記職務命令は違憲であるとの判断を示し、憲法の番人たる裁判所の使命を果たすべきである。



もっとも、2012年1月16日の最高裁判所判決は、不起立が教職員の世界観・歴史観に基づくものであることを考慮し、減給以上の処分については謙抑的であるべきとし、減給・停職の一部の懲戒処分について処分を取り消す判決を下した。しかし、なお戒告及び一部の停職処分を容認したことは、強く批判されている。



なお、これらの判決には、多くの補足意見や少数意見が付され、価値観に関わる問題に関する一律の加重処分を問題視し、自由闊達な教育が望まれることが付言された。



当連合会はこれまで再三に渡り、国旗・国歌の強制の問題点を指摘し、これに反対してきた(当連合会2007年2月16日付け「公立の学校現場における『日の丸』・『君が代』の強制問題に関する意見書」、2010年3月18日付け「新しい学習指導要領の問題点に関する意見書」、2011年6月3日付け「卒業式の国歌斉唱時の不起立を理由とする元都立高校教諭の再雇用拒否を合憲とした最高裁判決に対する会長声明」、2012年1月19日付け「君が代斉唱時の不起立等を理由とした懲戒処分取消等請求訴訟の最高裁判決に対する会長声明」ほか)。



当連合会は、これまでの声明及び意見書に重ねて、東京都・大阪府をはじめとする地方自治体及び教育委員会に対し、入学式、卒業式等の学校行事等における教職員及び児童・生徒に対する、国旗に向かって起立し、国歌を斉唱することの強制及び不起立等を理由とする不利益処分や不利益取扱いをすることがないよう強く要請する。



(2) 大阪府における教育に関わる条例について

大阪府では、2012年3月23日、教育行政基本条例、府立学校条例(以下「教育関係条例」という。)及び職員基本条例が成立した。これらの条例には、子どもの教育の観点から、看過できない多くの問題がある。


まず、1番目として、教育関係条例は、学校間、子どもたちの間に競争を煽り、過度の競争主義的教育をもたらし、教育環境を荒廃させるおそれがある。



同条例においては、3年連続定員割れの高校は再編整備の対象とされ、統廃合の可能性があり、地域において学習する子どもの教育環境を損なうことが懸念される。さらに、府立普通科高校については、学区制を撤廃する方向で見直すこととされており、学区制が撤廃されれば、学校間の競争が激化するおそれがある。その上、府民に対する教育情報の提供という形で、学力テストの結果の学校別公表への道も開かれている。



2番目として、教職員について、厳しい懲戒・分限処分の基準が設定された職員基本条例が適用されることになり、これは、教職員の人事権及び裁量権を有する教育委員会の権限を不当に制約するものである(地方教育行政組織法23条。以下「地教行法」という。)。



3番目として、大阪府においては、「大阪府の施設における国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱に関する条例」(以下「国歌斉唱条例」という。)が成立し、教職員に行事における国歌斉唱時の起立斉唱が義務付けられており、これは、教師の思想良心の自由及び教育の自由を侵害するものである(当連合会2011年5月26日付け「公立学校教職員に君が代斉唱の際に起立斉唱を強制する大阪府条例案提出に関する会長声明」)。これに加え、職員基本条例は、同一の職務命令に3回違反したときの標準的な分限処分を免職処分としており、国歌斉唱の際に不起立・不斉唱を繰り返す教職員を分限免職とするとすれば、教師の思想良心の自由を侵害するとともに、減給以上の懲戒処分については謙抑的であるべきとする上記最高裁判所判決に照らしても、違法かつ不当というべきである。



4番目として、教育関係条例では、政治が教育行政に介入して教育の中立性を侵害することが強く懸念される。



知事が教育委員会と協議して教育振興基本計画案を策定し、同計画に定めた目標達成に関する教育委員の評価により、知事が教育委員の罷免事由を判断するとしている点は、教育委員会の職務権限、教育委員の罷免事由等を定めた地教行法7条、23条等に抵触するおそれがある。これらは教育委員会の独立性・中立性を阻害し、かつ、知事の交代に伴って教育の継続性が阻害される危険もある(当連合会2011年12月27日付け「大阪府における教育基本条例案に対する会長声明」)。



大阪府の教育関係条例に類似して先行しているアメリカ又はイギリスの教育改革においては、既に様々な弊害が指摘されている。子どもはグローバルな競争に勝ち抜く人材育成という目標の下で競争を強いられ、地域の環境や貧困などの中で成長する子どもの実際の困難や発達課題は顧みられなくなっている。また、学校別に成績が公表されるため、テストの成績に追われ、教師と子どもが疲弊する上、学校選択制と併せて、良い評価を受けられなかった学校の統廃合によって地域の学校が閉鎖され、子どもが居住する地域で学ぶ権利が侵害されていることも報告されている。



大阪府は、教育関係条例、職員基本条例及び国歌斉唱条例を、子どもの学習権・成長発達権の保障、教育の中立性・自主性の尊重、思想良心の自由の保障等の観点から、全面的かつ速やかに見直すべきである。



また大阪市でも、2012年5月25日に、類似の内容の教育行政基本条例等が成立しており、大阪府と同様の見直しが求められる。



(3) 北海道の教職員に対する思想調査などの統制

北海道においては、2009年9月、新聞社説を活用した公民科授業が「偏向教育」であると北海道議会で取り上げられ、北海道教育委員会は全道の学校長に授業内容の報告を求めた。2010年3月には、全道の卒業式・入学式における国旗・国歌の実施状況の調査・報告を求めるとともに、「入学式・卒業式における国旗・国歌の適切な実施について(通知)」を発し、校長が職務命令を発することができるとして、実施の徹底を図った。2010年4月、北海道教育委員会は、服務規律実態調査と称して、全教職員から組合活動や政治活動も含めた聞き取り調査を行い、この結果、2011年3月、質問の全部又は一部に答えなかった約6500名を文書による「注意・指導」とした。さらに、2010年5月には、道民から教職員の法令等違反行為の情報提供を受けるとして、学習指導要領違反の情報や、教育公務員特例法の政治的活動の禁止の規定に関わる政治的行為等の情報を北海道教育委員会が直接受ける制度を創設した。これに対して、教職員から北海道の4弁護士会に約6300件の人権救済申立てがなされた。



こうした調査等は、政治や行政による教育への不当な介入であり、教職員の思想良心の自由、組合活動の自由を侵害するのみならず、教職員の教育活動を著しく萎縮させ、ひいては子どもの学習権を侵害するものであり、到底許されない。



第3 過度の競争主義的教育の導入

1 子どもの尊厳と学習権を保障するために

子どもはその人格と能力を最大限に発達させるために必要な学習をする権利を有している(憲法13条、26条、子どもの権利条約6条、29条1項)。教育は、子どもが生きるための多様な能力を発達させ、自他の尊厳や人権を尊重しつつ社会に参加していく力を育てるものであるべきである(国連子どもの権利委員会一般的意見1号)。



2 競争主義的教育の導入

経済のグローバル化に伴い、教育は、世界各国において、様々な局面から議論されている。近年、我が国にも、教育に競争主義や市場原理が持ち込まれ、国や各地方自治体は、グローバルな競争に適した人材を育成するという名目の下に、学校間、教師間、子どもの間に、過度に競争をさせる教育を推進し、子どもの能力の早期選別を図る教育の導入を進めている。



2007年、文部科学省は悉皆調査としての全国学力テストを実施した。



その後、これは抽出調査とされたが、現在、再び悉皆調査が実行される可能性がある。悉皆全国学力テストは、教育現場にテスト成績重視の風潮と過度の競争をもたらし、教師の自由で創造的な教育活動を妨げ、教育に対する不当な支配に当たる疑いが強い(当連合会2008年2月15日付け「全国学力調査に関する意見書」)。



また、政府は学校選択制の拡大を推奨しており、地方自治体では、独自の学力テスト又は全国学力調査の結果を公表するとともに、学校選択制及び学校統廃合を実施するところが増えている。



しかしこれは、学校間・教師間の競争を激化させ、競争主義的教育を助長するとともに、学力テストの成果によって学校選択が行われ、選択者が減少した学校は統廃合を余儀なくされ、子どもたちが地域で学習する権利が侵害されるなどの弊害が指摘されている。このため、一旦導入した学校選択制を見直す動きが全国各地に出ている。



また、公立の小中一貫校、中高一貫校などの導入により、多様な進路の選択肢が生じるとの評価もある一方で、競争の低学年化が進み、中学校段階で早期の選別が進められるなどの問題も指摘されている。



3 競争主義的教育の見直しの必要性

教育は、成績の競争による評価や格差付けを偏重するのではなく、全ての子どもの多様な能力や価値を評価して伸ばすとともに、子どもの人格と学力のバランスの取れた発達を目指すべきものである(子どもの権利条約29条1項(a)参照)。



しかし、過度の競争主義的教育が進められる中で、子どもは成績のみで評価され、教育内容は成績評価のための学力に一元化され、子どもの全人格的な成長のための教育が困難になっている。成績評価の格差付けや選別に取り残された子どもは、自己肯定感を持てずに不安感や挫折感を感じ、学ぶ意欲を失い、成長の機会も奪われかねない。過度の競争主義的教育は、全ての子どもの全人格的な成長、及び多様な能力の発達のための学習権の充足を阻害するものである。



また、成績の格差には、子どもの家庭の経済的条件が影響することが報告されており、家庭の経済格差が子どもの教育格差に引き継がれることが懸念されるが、この問題は競争主義的な教育の導入によって対応できるものではなく、かえって格差が拡大することが危惧される。



さらに、常に点数と規範によって評価され、競争させられる状況の中で、子どもと教師、子どもと子どもとの人間関係も息苦しく貧しいものとなっている。2010年に国連子どもの権利委員会から出された「第3回日本政府報告書審査総括所見」(以下「第3回総括所見」という。)においても、高度に競争的な学校環境が、子どもたちの間で、いじめ・精神障害・不登校・中途退学・自殺を助長していること、子どもの精神的幸福度が著しく低い原因として、教師と子どもとの関係が乏しいことが厳しく指摘されている。教師はテストや競争の準備の教育に追われ、子どもと向き合い、子どもの全人格的な必要に応じた教育をすることが困難になっている。



第3回総括所見に勧告されているとおり、成績偏重の競争主義的な教育が推進されている現在、学校教育において、過度に競争的な環境が子どもの人格の発達や学習権の充足に否定的な影響を及ぼすことのないよう、全国学力テスト、学校選択制、学校統廃合、公立の小中一貫校及び中高一貫校等を含め、全般的に教育の在り方が検証され、見直されるべきである。 

 

第4 教育に関する全国的な最低基準(ナショナルミニマムスタンダード)の立法と教育条件の改善の必要性

教育に対する介入の中で、教育に市場原理の導入が求められ、教育条件の整備に関する規制が次々に緩和されるとともに、公教育への財政支出は抑制されている。教育行政の役割は、教育内容への介入や統制にあるのではなく、子どもが学習権を充足できる教育条件の整備にあり、それによって教育の向上を図るべきであるが、教育条件の規制緩和と公教育の支出抑制の中で、全ての子どもが学習権を充足するために必要な教育条件の基盤が掘り崩されている。



公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律(以下「義務教育標準法」という。)は、2001年以降、数回にわたって規制が緩和されるなどし、正規の職員を非常勤講師等で充てることが可能となった。また、義務教育国庫負担法の改正により、地方への財源移譲と引替えに、義務教育費の国庫負担率が2分の1から3分の1に削減された。



このように教育条件に関する規制が緩和されたことにより、教職員の定数基準も緩和され、学校に常駐しない非常勤講師が増えており、子どもたちが日常的・継続的に十分な指導を受けられる体制とは言い難くなっている。



一方、常勤の教師は極めて長時間に渡る労働によって疲弊しており、文書による報告作業も増加し、教師が子どもと向き合う時間的・精神的な余裕が奪われている。教師の精神的疾患の罹患率は年々増加し、教師の負担の重さを裏付けている。第3回総括所見は、日本の子どもたちの精神的幸福度が極めて低い原因として、子どもと教師の関係性の貧困さがあることを指摘した。



このような教師の劣悪な勤務条件は、子どもと教師が豊かで教育的な人間関係を育む余地を奪い、子どもの学習権の充足を阻害していることを直視し、教師の労働条件を抜本的に向上させる必要がある。



また、地方自治体の財政状況の悪化や、教育行政政策の違いによって、子どもの学習環境には地域によって著しい優劣が生じている。学校規模と学校配置に関する規制が事実上存在しないために、地域によっては学校統廃合がより進められ、子どもの通学がより困難になることも予想される。



国は子どもの学習権や成長発達権(憲法26条、13条等)を保障するための立法行政上の諸手当を行う責務があり、教育条件に関しては、各地方自治体の基準設定に委ねるべきではなく、国が定める全国的な最低基準(ナショナルミニマムスタンダード)を立法によって堅持すべきである。



教育現場において、子どもの学習権の充足に十分な教育環境を整えるためには、少人数学級の推進、常勤教員数の最低基準の確立、学校配置基準の確立、教師の長時間労働の改善、義務教育費の国庫負担率を少なくとも2分の1へ戻すなどが必要であり、公教育の教育条件の整備・向上は差し迫った喫緊の課題である。



国は、全ての子どもが必要かつ十分な教育条件の水準における教育を受ける権利を有することを踏まえ、教育的必要性から導き出された教育条件整備基準を規定した全国的な最低基準(ナショナルミニマムスタンダード)を定める立法をすべきである。 
 

第5 経済的条件による教育格差を解消する施策の必要性

社会における経済格差が拡大する中、子どもの家庭の経済格差と子どもの学力テストの結果とは連動しているといわれている。公教育への財政支出が抑えられ、競争教育も進められる中、私塾の費用や高等教育の学費などの教育費の私費負担が増え、貧困家庭では必要な教育環境を整えることが困難となっている。家庭の経済格差が、教育格差を通じて世代間に引き継がれることがあってはならない(当連合会第53回人権擁護大会「貧困の連鎖を断ち切り、すべての子どもの生きる権利、成長し発達する権利の実現を求める決議」(2010年10月8日))。



公教育においては、全ての子どもの教育を受ける権利が実質的に保障されるべきであり、そのためには、公教育に十分な財政支出を成し、その充実を図るべきである。公立の義務教育課程では就学援助制度を拡充し、教材費などを無償化し、最終的には公立の小中高等学校の完全無償化を実現するなど、子どもの置かれた経済的条件にかかわらず必要かつ十分な教育を受ける権利が保障されるよう、積極的施策が講じられるべきである。



特に、2011年3月11日の東日本大震災の被災地の復興は、教育の分野においてもいまだ十分に進められていない。被災地の子どもたちの学習環境を早急に整えるために、積極的な施策を講じる必要がある。



また、教育格差をもたらした経済格差と貧困の問題は、構造改革政策の下での労働分野の規制緩和が推進されて大量の非正規雇用とワーキングプアが生み出されたことに大きな原因があり、その解消のためには正規雇用を原則とした労働法制と労働政策への抜本的見直しが必要である(当連合会第51回人権擁護大会「貧困の連鎖を断ち切り、すべての人が人間らしく働き生活する権利の確立を求める決議」(2008年10月3日))。経済格差と貧困問題の是正・克服は、同時に、全ての子どもが将来の働きがいのある職業への希望を抱いて成長するためにも必要不可欠であり、子どもたちの将来に向けて安定した雇用機会を確保するための労働法制の整備及び労働政策の充実が併せて進められなければならない。
 

第6 子どもの尊厳と学習権を確保するために-教育の在り方を緊急に見直すべきこと

現在進められている一連の教育への介入は、戦後に築かれた憲法・旧教育基本法に基づく教育理念を切り崩し、思想良心の自由などの精神的自由を侵害し、全ての子どもの学習権・発達成長権の充足を決定的に損なうおそれがあり、日本の教育の将来に大きな禍根を残すことが強く懸念される。



子どもの教育は、過度の競争や統制の要請に基づくものではなく、全ての子どもの人間性と能力の全面的な発達成長のためのものである。未来を担う子どもたちが希望を抱き、喜びをもって学ぶことのできる教育の在り方が構築されるべきである。



当連合会は、憲法・子どもの権利条約・教育基本法に掲げられた、子どもの学習権・発達成長権及び人権の保障、教育の自由及び自主性の尊重、教育への不当な支配・介入の禁止等の教育上の諸原則が教育現場において確保され、子どもと教師の思想良心の自由を始めとする精神的自由権が尊重されるべきことを、国、地方自治体、教育委員会等に対し強く求め、ここに決議するものである。