重ねて集団的自衛権の行使容認に反対し、立憲主義の意義を確認する決議
当連合会は、2013年5月31日の第64回定期総会における「集団的自衛権の行使容認に反対する決議」において、政府が、従来の確立した集団的自衛権の行使に関する政府解釈を閣議決定あるいは法律の制定によって変更しようとしていることに強く反対を表明した。
これまで政府は、一貫して、憲法第9条の下における自衛権の行使は、我が国に対する急迫不正の侵害(武力攻撃)があり、これを排除するために他の適当な手段がない場合に、必要最小限度の範囲のものに限って許容されるものであって、我が国が直接武力攻撃を受けていない場合に問題になる集団的自衛権の行使は、その範囲を超えるものとして憲法上許されないとしてきた。
ところが、政府は集団的自衛権の行使容認等に向けて、2013年12月に国家安全保障会議(日本版NSC)を設置した上、自衛隊を質・量共に強化し、その活動範囲を広げる等、実力による国際紛争への対処の方向性を強く打ち出し、従来の政府解釈の自衛権行使要件の緩和につながりかねない「国家安全保障戦略」、「平成26年度以降に係る防衛計画の大綱」及び「中期防衛力整備計画(平成26年度~平成30年度)」を閣議決定した。
そして、自衛隊法や周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律(周辺事態法)、国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律(PKO協力法)等の個別法を改正しようとしている。また、政府は、集団的自衛権の行使に関する憲法解釈の変更を閣議決定等によって行う方針を示した。
さらに現在、政府は、安倍晋三首相の私的懇談会である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の報告を受け、憲法解釈を変更する閣議決定を行おうとしている。
このような憲法の基本原理に関わる変更を国民の意思を直接問う手続を経ることもなく、内閣の判断で行うことは、仮に集団的自衛権の行使に「限定」を付して認めるものだとしても、憲法を最高法規とし、国務大臣等の公務員に憲法尊重擁護義務を課して(憲法第98条第1項及び第99条)、権力に縛りをかけた立憲主義という近代憲法の存在理由を根本から否定するものである。立憲主義は、全ての人々が個人として尊重されるために憲法が国家権力を制限して人権を保障するというものであり、近代自由主義国家が共有するものであって、その趣旨は、個人尊重と人権保障にある。したがって、立憲主義の否定は、これらの価値を否定することにつながり、到底容認することができない。
憲法前文は、全世界の人々の平和に生きる権利を実現するための具体的規範たる平和的生存権を定め、憲法第9条は一切の武力による威嚇・武力の行使を放棄し、他国に先駆けて戦力の不保持、交戦権の否認を規定して、軍事力によらない徹底した恒久平和主義を実現しようとするものであって、これらは世界に誇りうる先駆的意義を有する。
憲法の徹底した恒久平和主義の下における外交・防衛政策は、軍事力によるのではなく、あくまでも平和的方法による国際的な安全保障の実現でなければならない。世界各国が相互に密接な経済的依存関係を有する今日、軍事力に頼るのではなく、平和的方法による地域的な共通の安全保障を追求することこそが現実的である。そのとき、世界に先駆けてあらゆる戦争を排した日本国憲法の先駆的意義こそが指針とされなければならない。
当連合会はここに重ねて、政府が憲法解釈の変更によって集団的自衛権の行使を容認しようとすることに対し、立憲主義及び徹底した恒久平和主義に反するものとして、強く反対する。
以上のとおり決議する。
日本弁護士連合会
(提案理由)
第1 集団的自衛権行使容認に反対する当連合会のこれまでの意見表明
当連合会は、2013年3月に「集団的自衛権に関するこれまでの政府見解を変更し、その行使を容認することに反対する」との意見書を公表した上で、同年5月の第64回定期総会において、立憲主義及び恒久平和主義の立場から、「集団的自衛権の行使に関する確立した解釈の変更、あるいは集団的自衛権の行使を容認しようとする国家安全保障基本法案の立法に、強く反対する」ことを決議した。さらに、同年10月には、広島市で開催した第56回人権擁護大会において、「恒久平和主義、基本的人権の意義を確認し、『国防軍』の創設に反対する決議」を採択した。2013年のこれらの意見書及び決議は、当連合会が、立憲主義や基本的人権等の憲法の理念及び基本原理の立場から、集団的自衛権行使容認の違憲性について、これまでの議論や人権擁護大会における宣言・決議を積み重ねてきた上で公表又は採択したものである。
さらに、2005年11月の第48回人権擁護大会における「立憲主義の堅持と日本国憲法の基本原理の尊重を求める宣言」においては、立憲主義、国民主権、基本的人権の尊重及び恒久平和主義を憲法の理念及び基本原理として確認した。集団的自衛権の行使を認めようとする改憲論議に対しては、日本国憲法の理念や基本原理を後退させることにつながりかねず、また、「日本に対する侵略を行っていない他国の領土へ武力を行使することは、これに起因して他国から日本に対する武力行使を招来する危険性もあり、恒久平和主義の原理を後退させることにつながると危惧せざるを得ない」ことを表明した。
また、2008年10月の第51回人権擁護大会における「平和的生存権および日本国憲法9条の今日的意義を確認する宣言」では、「憲法9条は、現実政治との間で深刻な緊張関係を強いられながらも、自衛隊の組織・装備・活動等に対し大きな制約を及ぼし、海外における武力行使および集団的自衛権行使を禁止するなど、憲法規範として有効に機能している」と指摘した。さらに、2012年5月の「東日本大震災からの復興の中で迎えた憲法記念日に当たっての会長談話」及び同年7月の「集団的自衛権の行使を容認する動きに反対する会長声明」でも同様の指摘をしてきた。
第2 現政権の集団的自衛権行使容認へ向けた一連の動き
2012年4月、自由民主党は「日本国憲法改正草案」(以下「自民党草案」という。)を発表した。この自民党草案は、憲法第9条第2項を削除して「国防軍」を創設するなど、憲法の全面的な改正案である。
そして、同年12月に成立した第二次安倍晋三内閣は、まず憲法改正の要件(憲法第96条)を緩和しようとしたが、国民の強い反対を受けたため、これを断念し、現在は、集団的自衛権の行使容認の準備を進めており、併せてこの容認を前提とした日米防衛協力のための指針(ガイドライン)の改定、武器輸出三原則の緩和、自衛隊の質・量の増強等の準備を進めている。
すなわち、安倍晋三首相は、2013年1月に「集団的自衛権行使の(憲法解釈)見直しは安倍政権の大きな方針の一つ」と述べ、同月のオバマアメリカ合衆国大統領との会談でもその行使容認に取り組むことを表明し、同年2月には、2008年6月に集団的自衛権の行使容認等を提言する第1次報告書を作成した「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」を再開した。
そして2013年8月には、従来の慣行に反して外部から、集団的自衛権の行使容認論者とみられる人物を内閣法制局長官に登用する異例の人事を行い、同年10月には、日米外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会において、集団的自衛権行使を前提とする2014年内の日米防衛協力のための指針(ガイドライン)の改定に合意した。
また、政府は2013年12月に国家安全保障会議(日本版NSC)を設置し、同月17日、これからの日本の外交・防衛の基本方針としての「国家安全保障戦略」を閣議決定し、同時に、これと一体をなし、従来の政府解釈の自衛権行使要件の緩和や、専守防衛政策を踏み越える危険性を有する「平成26年度以降に係る防衛計画の大綱」(以下「新防衛計画大綱」という。)及び「中期防衛力整備計画(平成26年度~平成30年度)」を閣議決定した。また、国家安全保障戦略において原則として武器の輸出を禁じてきた武器輸出三原則を見直すとして、2014年4月に、新たに定める輸出禁止国に該当せず目的外使用や第三国移転をしないとの約束ができた場合には原則として輸出を認める「防衛装備移転三原則」を閣議決定した。
さらに、政府は、外交・防衛等に関する情報の漏洩や取得に関する公務員・国民等の行為を広く、かつ、重く処罰し、行政機関がこれらの情報を国民等から秘匿する特定秘密の保護に関する法律を、世論の強い反対を押し切り、十分な審議を尽くすことなく、強引に制定した。
そして、2014年の通常国会の審議の中で、安倍首相は繰り返し集団的自衛権の行使容認の必要性を強調する答弁を行い、1959年12月16日に最高裁判所が出したいわゆる砂川事件最高裁判決を引き合いに、限定的な行使であれば容認されると述べ、また、そのための政府解釈の変更を閣議決定という方法で行う意向を表明している。そして、行使容認を法律で裏付ける国家安全保障基本法の制定について、当面は見送るとしながらも、自衛隊法や周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律(周辺事態法)等、関連する個別法の改正によって行使容認を具体化する考えであると報道されている。
第3 集団的自衛権の行使を認める解釈の変更は立憲主義に反する
1 立憲主義の意義
我が国が直接攻撃を受けていない場合に問題となる集団的自衛権の行使は憲法第9条の下では認められないという解釈は、これまで政府が一貫して維持してきたものであるが、それは憲法の恒久平和主義という基本原理及び憲法第9条の規範的意義の核心部分を構成するものである。
ところが現在、政府は、このような従来の政府解釈を時の内閣の一存による閣議決定等の判断で変更し、集団的自衛権の行使容認を行い、憲法第9条の基本的内容を改変しようとしている。これは、憲法を最高法規とし、国務大臣等の公務員に憲法尊重擁護義務を課して(憲法第98条第1項及び第99条)、権力に縛りをかけた立憲主義という近代憲法の存在理由を根本から否定するものである。立憲主義は、全ての人々が個人として尊重されるために、最高法規としての憲法が国家権力を制限して人権保障を図るとする法理論であり、近代自由主義国家が共有するものである。その趣旨は、個人の尊重と人権保障にある。したがって、立憲主義の否定は、これらの価値を否定することにつながり、到底容認できるものではない。
また、安倍首相は、政府解釈の見直しについて、「最高の責任者は私です。私が責任者であって、政府の答弁に対しても私が責任を持って、その上において、私たちは選挙で国民から審判を受けるんですよ」と述べた(2014年2月12日衆議院予算委員会・答弁)。
しかし、そもそも選挙民の多数に支持されて民主的に成立した国会や内閣であっても、その権力は濫用される危険があるのであらかじめ憲法で拘束しておくというのが、立憲主義である。選挙で審判を受ける覚悟さえあれば何をやってもいいという考え方は立憲主義の否定というほかない。憲法は、その時々の民意を超えて存在する根本規範なのである。
2 政府の憲法解釈の安定性
長く積み重ねられてきた憲法解釈は、政府を含めた国全体の行動を中長期に拘束するものである。とりわけ「他国から武力攻撃があつた場合に、武力攻撃そのものを阻止することは、自己防衛そのものであつて、国際紛争を解決することとは本質が違う。従つて自国に対して武力攻撃が加えられた場合に、国土を防衛する手段として武力を行使することは、憲法に違反しない。」(1954年12月22日衆議院予算委員会・大村清一防衛庁長官答弁)とされてきた憲法第9条の政府解釈は、国内で多く議論され、積み重ねられてきた。そのことを前提として、我が国において憲法上、集団的自衛権を行使することはできないとする政府解釈が30年以上維持され、定着してきたのである。
これによって、我が国の国家としての基本原理である恒久平和主義の現実的枠組が形成され、安定性が保持されてきた。このように、政府として一貫してきた憲法解釈を変えようとする以上は、憲法の条文を改正するのが立憲主義本来の在り方であり、そうした手続を踏まずに、あたかも政策の一種のように与党内の話し合いだけで解釈変更を決めることは許されるものではない。
長期に積み重ねられ、安定したものとして国家の在り様を形成してきた憲法解釈を、その時々の政権の意向で変更することは、明らかに立憲主義に反するものである。
3 国民的議論の重要性
憲法を含めた法令解釈の最終決定権は裁判所にある(憲法第81条)。立法権、行政権といった政治部門も国家権力である以上、憲法に拘束され、憲法に違反する国家行為はその効力を有しない(憲法第98条第1項)。
では、政治部門はその合憲性をどのように判断すべきか。安倍首相は、集団的自衛権の行使容認を閣議決定で行うとしつつ、閣議決定までの間に与党内で議論すると述べた(2014年2月20日衆議院予算委員会・答弁)。
しかし、前述のように集団的自衛権の問題は、憲法制定以来、最も長く広く議論されてきたテーマの一つである。また、行使容認となれば「専守防衛」の基本方針を転換して他国を攻撃すること、同盟国のために自衛隊員を犠牲にして他国と共に戦うことにつながる。
このような覚悟を持たなければならないのは、国民自身である。その国民に向けた説明と説得も十分に行わず、国民的議論を尽くす機会も与えず、与党内の議論だけで、現行憲法上は許されないものを許されるものと解釈変更をすることは立憲主義に明らかに反する。
4 政府による憲法解釈変更の違憲性
国家権力の最も中心に位置する行政権を行使するのが行政府である以上、権力の濫用も行政府によってなされる危険が大きく、立憲主義が最も厳格に貫かれるべきであるのは、行政府に対してである。そのような行政府による憲法の解釈によって、従来まで政府解釈として確立されてきた憲法規範を大きく変更することは、立憲主義の基礎を掘り崩してしまう危険性を有する。
憲法第9条の意味を全く逆に変えてしまうような変更を、内閣の判断で行うことは、政府が憲法に制約されるという立憲主義に反するものであって、到底許されるものではない。仮に集団的自衛権の行使に「限定」を付して認めるものだとしても、同様である。
第4 集団的自衛権の行使容認は憲法の恒久平和主義に反する
1 従来の政府の憲法解釈の意義
政府はこれまで、憲法第9条が戦争放棄(第1項)、戦力の不保持と交戦権の否認(第2項)を規定していることを前提として、憲法第9条の下で許容される自衛権の発動については、次の3要件に該当する場合に限定してきた(1969年3月10日参議院予算委員会・高辻正己内閣法制局長官答弁、1972年10月14日参議院決算委員会提出資料、1985年9月27日政府答弁書)。すなわち、①我が国に対する急迫不正の侵害(武力攻撃)が存在すること、②この攻撃を排除するため、他の適当な手段がないこと、③自衛権行使の方法が、必要最小限度の実力行使にとどまること、である。
そして、この3要件を前提に、政府は1981年5月29日の政府答弁書において、集団的自衛権について「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもつて阻止する権利」と定義した上で、「我が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであつて、憲法上許されない」旨の見解を表明した。この政府見解と憲法解釈は、その後30年以上にわたって一貫して維持されている。
したがって、たとえ日本と密接な関係にあるといえども、外国が他国から武力攻撃を受けた場合に、自衛隊が集団的自衛権を行使してその武力攻撃を阻止することは、上記①の要件を欠き、自衛権行使の必要最小限度の範囲を超え、憲法に違反して許されない。これが政府の一貫した見解である。
この政府の解釈は、憲法第9条の下で、自衛隊を保持し、自衛のための実力行使を認める政府の立場にあって、憲法第9条による制約として、規範の核心部分を成し、極めて重要な機能を果たしてきたものである。
すなわち、1945年に発効した国際連合憲章(以下「国連憲章」という。)は、戦争を違法なものとし、各国の海外での武力行使を国際法上原則として禁止し、例外的に武力を行使できるのは国連による集団安全保障措置(国連憲章第39条、第41条及び第42条)と、その措置が採られるまでの暫定的な個別的・集団的自衛権の行使(国連憲章第51条)のみとした。この国連憲章下での日本国憲法の独自性、先駆的意義は、特にその憲法第9条第2項において戦力の不保持と一切の戦争を否定したところにあり、軍事力によらない徹底した恒久平和主義を採ったところにある。
したがって、もし憲法第9条の政府解釈として集団的自衛権の行使を容認する内容に変更してしまったならば、国連憲章が規定する武力行使の枠組と異ならないことになり、憲法第9条の独自の意味は失われ、空文化してしまう。
集団的自衛権行使の否認こそが、政府の憲法第9条解釈の核心部分であり、憲法第9条による制約として、その規範的意義を有してきた。いわゆる砂川事件最高裁判決が肯定した「わが国が主権国として持つ固有の自衛権」は、「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な」限りでの個別的自衛権であり、この判決によって集団的自衛権の行使を正当化する余地はあり得ない。
2 専守防衛政策からの逸脱
このような憲法解釈の下で、政府が採ってきた専守防衛政策とは、「相手から武力攻撃を受けたときに初めて防衛力を行使し、その防衛力行使の態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢をいう」とされてきたものである(1981年3月19日参議院予算委員会・大村襄治防衛庁長官答弁)。集団的自衛権の行使は、この専守防衛政策にも背馳し、これを否定する。
また、専守防衛政策から導かれるものとして、自衛のための必要最小限度の実力組織という自衛隊の性格に照らし、兵器についても他国の領域に対して直接脅威を与えるものは禁止されており、性質上、相手国の壊滅的破壊のための兵器は保持が許されず、攻撃型空母の保有も許されない(1970年3月30日衆議院予算委員会・中曽根康弘防衛庁長官答弁、1988年4月6日参議院予算委員会・瓦力防衛庁長官答弁)。
このように、憲法第9条は、自衛隊の組織・装備・活動等に対しても大きな制約を及ぼすものとして機能してきた。
ところが、今回の国家安全保障戦略に基づく新防衛計画大綱は、「統合機動防衛力の構築」を掲げ、自衛隊の能力の質・量の強化を強く打ち出した内容となっており、従来の政府解釈の自衛権行使要件の緩和や、専守防衛政策を踏み越える危険性を有している。
3 集団的自衛権の行使容認の違憲性
政府は、憲法第9条の下でも自衛隊という実力組織の保持とそれによる個別的自衛権の行使を認めてきたところ、それが憲法第9条に適合するためには、自衛権の行使を3要件によって限定し、集団的自衛権の行使はそれを超えるものとして許されないとすることで、必要不可欠な歯止めとしてきた。それは政府の憲法解釈の核心であり、政府の採ってきた専守防衛政策の法的な根拠でもあった。
したがって、このような従来の憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認しようとすることは、憲法第9条の規範的意義を否定し空文化するに等しく、憲法の基本原理である恒久平和主義に反するものとして許されない。
第5 平和的方法による安全保障の実現
1 憲法の平和主義の今日的意義
憲法前文は、全世界の人々の平和に生きる権利を実現するための具体的規範たる平和的生存権を定め、これと併せて、憲法第9条は、戦争を違法化した国連憲章から更に進んで、一切の武力による威嚇・武力の行使を放棄し、他国に先駆けて戦力の不保持と交戦権の否認を規定して、軍事力によらない徹底した恒久平和主義を実現しようとするものであり、世界に誇りうる先駆的意義を有する。
その憲法の下における外交・防衛政策は、軍事力によるのではなく、あくまでも平和的方法による国際的な安全保障の実現でなければならない。しかも、大量破壊兵器や無差別殺傷兵器の発達により勝者も敗者もない殲滅戦争に行きつく可能性が否定できない現在、軍隊・武力による平和の実現は不可能又は困難である。
2 相互依存関係にある国際社会
今日、国際社会においては、経済その他の活動がグローバル化し、各国の密接な相互依存関係が深化している。
確かに、現在もなお武力紛争や暴力が絶えず、また、国家間の様々な緊張関係が存在している。特に北東アジアにおいては、中国が経済的にも軍事的にも急速に台頭し、尖閣諸島の領有権問題を含め、近隣諸国との軋轢も生じている。また、我が国と韓国との間では竹島(独島)の領有権問題があり、さらに、北朝鮮の核実験、弾道ミサイル開発等とその特異な国家体制が、国際社会の安定を損ねている。
しかし、前述したとおり、国際社会の相互依存関係は深まっており、特に日中韓三国の経済的結び付きと相互依存は非常に強く、各国の経済は他国の存在なしに成り立たず、文化、情報及び人の交流等においても同様である。今日において、対立又は紛争が生じた場合に、これを軍事力で解決しようとするのは、その相互依存関係を破壊し、自国の存立基盤を損なうものである。
3 国際社会から信頼される日本として
日本は、第二次世界大戦において、軍国主義の下でアジア諸国に対して侵略行為等を行い、各国及びその国民に対して甚大な被害を与えた。日本の国民もまた世界で唯一の原爆被害を始め、戦争の惨禍を被った。憲法前文の平和的生存権の規定及び憲法第9条の徹底した恒久平和主義の規定は、その反省を踏まえた国際社会への「不戦の誓い」であり、それら諸外国の日本に対する信頼の基礎を成している。
東南アジアではASEANを中心とする地域的な安全保障政策の努力が積み重ねられており、1995年には東南アジア非核兵器地帯条約が締結されている。そして、ASEANを含む東アジア共同体を目標として安全保障問題を議論する場が生まれ、北朝鮮を含む北東アジア非核兵器地帯構想も提起されている。
憲法第9条の徹底した恒久平和主義は、1999年5月のハーグ平和アピール世界市民会議が採択した「公正な世界秩序のための基本10原則」の冒頭の第1に掲げられているように、21世紀の世界平和を創り出す指針ともされる、先駆的意義をもったものである。
当連合会は、2013年10月の第56回人権擁護大会における「恒久平和主義、基本的人権の意義を確認し、『国防軍』の創設に反対する決議」において、自衛隊を「国防軍」とし、海外において戦争のできる軍隊とすることは、先の大戦の深刻な反省の下に採用された恒久平和主義を放棄するものと各国から受け取られ、北東アジアの緊張を増大し、かえって我が国の安全保障を損なうおそれが強いとして、今、我が国に求められているのは、何よりも日本国憲法が目指す個人の尊重を根本とした立憲主義に基づく基本的人権の保障であり、軍事力によらない平和的方法による国際的な安全保障の実現のためのリーダーシップの発揮であることを強調している。
憲法前文の平和的生存権と徹底した恒久平和主義を堅持し、様々な協調的な政策を通じて北東アジアにおける緊張を減少・緩和させ、同地域における協調的・平和的な手段による共通の安全保障を実現することこそが、世界と日本の平和を確実に保障するものである。
第6 結び
憲法は、憲法を最高法規と定め、これに反する法律や政府の行為を無効とし(憲法第98条第1項)、国務大臣や国会議員等の公務員に憲法尊重擁護義務を課す(憲法第99条)ことによって、国家権力を憲法の制約の下に置こうとする立憲主義を定めている。また、憲法前文と憲法第9条によって、恒久平和主義を定め、平和的生存権を保障しており、これらは、憲法の基本原理である。
政府が閣議決定等によって、従来の一貫した憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認することや、あるいは法律を制定することによってその行使を可能にしようとすることは、憲法の基本原理である立憲主義に違反し、徹底した恒久平和主義と平和的生存権を危うくするものであって、到底許されない。
当連合会は2013年5月の第64回定期総会において、憲法の定める恒久平和主義と平和的生存権の意義を確認し、集団的自衛権の行使を容認しようとする動きに反対することを表明した。
その後の政府の動きに対して、政府が憲法解釈の変更によって集団的自衛権の行使を容認しようとすることは、立憲主義及び徹底した恒久平和主義に反するものとして、ここに重ねて強く反対し、内外に強く訴えるものである。