公益通報者保護法案に関する意見書

2004年2月20日
日本弁護士連合会


第1.意見の趣旨

政府は近日中に、内閣府国民生活局が公表した「公益通報者保護法案要綱(案)」(以下「本法案要綱案」という)の内容に沿って、公益通報者保護法案を閣議決定することを予定し、今通常国会での立法化を目指しているが、本法案要綱案は、先に内閣府国民生活局が公表した「公益通報者保護法案(仮称)の骨子(案)」(以下「本法案骨子」という)とほぼ同じ内容であり、当連合会が2003年12月20日に公表した「公益通報者保護法案(仮称)の骨子(案)に対する意見書」で指摘したとおり多くの問題点がある。


そのなかでも、最低限下記の点が修正されなければ、現在よりも公益通報者の保護水準を切り下げ、かえって公益通報を抑制するおそれがあるので、この点を十分検討すべきであり、拙速に法案を提出すべきではない。



(1)通報対象事実を、犯罪行為と最終的に刑罰で強制される法令違反行為の事実に限るのではなく、以下のように定めるべきである。


  1. 人の生命、身体、財産が危険にさらされたこと、さらされていること、あるいはさらされるおそれがあること。
  2. 環境が破壊されたこと、破壊されていること、あるいは破壊されるおそれがあること。
  3. その他、個人の生命・身体・財産、消費者利益、生活環境の確保・保全、公正な競争の確保及び国家・社会的法益に関する違法行為が行われたこと、行われていること、行われるおそれがあること。
  4. 前各号のいずれかに該当する事態についての情報が故意に隠蔽されたこと、隠蔽されていること、あるいは隠蔽されるおそれがあること。

(2)通報先を「その者に対し当該通報対象事実を通報することがその発生若しくはこれによる被害の拡大を防止するために必要であると認められる者(当該通報対象事実により被害を受け又は受けるおそれがある者を含み、当該労務提供先の競争上の地位その他正当な利益を害するおそれがある者を除く。)」と限定しているが、次の3記載のように、保護される外部通報の通報手続を定めれば足り、通報先について一律にこのような限定をすべきではない。


(3)保護される外部通報の通報手続について、定義で「不正の利益を得る目的、他人に損害を加える目的その他の不正の目的でなく」という主観的要件を定め、更に、以下の枠括弧内記載の要件を課しているが、イ~ホの各要件は、あまりにも限定的であるので、これに付加して「イ~ホのほか、通報の対象となった事業者等の行為の内容、人の生命、身体、財産、環境、保護法益への侵害、危険の程度、通報先、通報者がその外部通報先に通報するに至った事情等を考慮し、当該外部通報先への通報が相当であること、又は通報時において相当であると信じるに足る合理的理由がある場合」という一般的保護要件を設けて、イ~ホ以外の場合にも保護される余地を残すべきである。


通報対象事実が生じ、又は生ずるおそれがあると信ずるに足りる相当の理由があり、かつ、次のいずれかに該当する場合 その者に対し当該通報対象事実を通報することがその発生又はこれによる被害の拡大を防止するために必要であると認められる者に対する公益通報


イ (1)(労務提供先への通報)又は(2)(規制行政機関への通報)の公益通報をすれば解雇その他不利益な取扱いを受けると信ずるに足りる相当の理由がある場合


ロ  (1)の公益通報をすれば当該通報対象事実に係る証拠が隠滅され、偽造され、又は変造されるおそれがあると信ずるに足りる相当の理由がある場合


ハ 労務提供先から(1)又は(2)の公益通報をしないことを正当な理由がなくて要求された場合


ニ 書面(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られる記録を含む。)により(1)の公益通報をした日から2週間を経過しても、当該通報対象事実について、当該労務提供先等から調査を行う旨の通知がない場合又は当該労務提供先等が正当な理由がなくて調査を行わない場合


ホ 個人の生命又は身体に危害が発生し、又は発生する急迫した危険があると信ずるに足りる相当の理由がある場合


第2.意見の理由

1 公益通報者保護制度自体は必要

民間事業者だけでなく公的部門においても、さまざまな不祥事が内部告発を契機に報道されることによって、社会的な関心事となり、是正が図られている。こうした公益に関する内部告発(公益通報)が公益の擁護を図り、国民の知る権利に応えるものとして社会に不可欠であることは、今日、広く社会的に認識されている。このような公益通報を理由とする解雇等不利益処分から通報者を保護する制度が必要とされ、国際的にも英国や米国などで制度化されている。


2 制度設計によってはかえって公益通報を抑制する恐れ

しかし、同時に公益通報者保護制度は、2002年度国民生活審議会消費者政策部会や同部会の公益通報者保護検討委員会での審議でも明らかにされてきたように、その保護要件の制度設計によっては、これまでの保護のレベルを引き下げることにもなりかねない。2003年5月に公表された国民生活審議会消費者政策部会の「21世紀型の消費者政策の在り方について」と題する報告書(以下「報告書」という)でも、そこに盛り込まれた公益通報者保護制度(以下「審議会案」という)の通報の対象や保護の要件が厳しいとの批判が相次いだことから、「本制度の対象とならない通報については、一般法理に基づき、個々の事案ごとに、通報の公益性等に応じて通報者の保護が図られるべきであり、制度の導入により反対解釈がなされることがあってはならない。」と付言された経緯がある。また、司法救済の結果だけでなく、本制度化の本来の趣旨に照らせば、公益通報をしようとする者への心理的影響にも十分配慮しなければならない。少なくとも、本法案による制度化によって公益のために意義ある通報をしようとする者を萎縮させることがあってはならない。


3 当連合会のこれまでの意見

当連合会は、2003年7月18日、公益通報者保護制度要綱を提案し、あわせて審議会案について批判的意見を述べ、更に、2003年12月12日に内閣府国民生活局が「本法案骨子」を公表し意見を募集をしたことに対して、同年12月20日に「公益通報者保護法案(仮称)の骨子(案)に対する意見書」を公表し、「本法案骨子によれば、同法案によって保護される通報の対象を犯罪となる行為(行政処分への違反に対する刑事罰がある場合を含む)に限定したうえ、保護の要件を審議会報告よりも厳しく制限しており、公益通報者を保護する観点から一層後退したものになっている。通報の分野に公的部門を加え、通報者に公務員や派遣社員を加えるなど、審議会報告を拡大している部分もあるが、保護の要件が狭められていることから、本制度全体としてむしろ問題が拡大されたといわざるをえない。」と述べたうえで、本法案骨子の内容について具体的に問題点を指摘した。


4 政府の提出予定の法案の問題点

上記意見募集に対しては、当連合会のみならず、消費者団体等からも本法案骨子に対する批判的意見が多く寄せられたにもかかわらず、内閣府国民生活局は、2004年2月12日、本法案骨子とほぼ同内容の「本法案要綱案」を発表し、政府は、近日中に、本法案要綱案に沿った公益通報者保護法案を閣議決定し、今通常国会に提出のうえ成立させることを図っている。


 本法案要綱案には、当連合会が、上記意見書で指摘した多くの問題点があるが、そのなかでも、最低限下記の3点が修正されなければ、現在よりも公益通報者の保護水準を切り下げかえって公益通報を抑制するおそれがあるので、この点を十分検討すべきであり、拙速に法案を提出すべきではない。


5 最低限修正すべき内容

(1)通報対象事実について


審議会案では保護される通報対象事実を「消費者利益の侵害、人の健康・安全への危険、環境への悪影響に関する規制違反や刑法犯などの法令違反」としていたが、本法案要綱案では、「通報対象事実」として「犯罪行為 国民の生命、身体、財産その他の利益の保護にかかわる法律として別表に掲げるもの(これらの法律に基づく命令を含む)に規定する罪の犯罪行為の事実」、「法令違反行為 別表に掲げる法律の規定に基づく処分に違反することがの事実となる場合における当該処分の理由とされている事実(当該処分の理由とされている事実が同表に掲げる法律の規定に基づく他の処分に違反し、又は勧告等に従わない事実である場合における当該他の処分又は勧告の理由とされている事実を含む)」としており、限定的に列挙される法律のうち犯罪行為となるもの、及び、行政処分を経て最終的に刑罰で強制される規定の違反のみが対象とされ、極めて狭い範囲に限定されている点で大きな問題がある。審議会案においても、「規制違反や刑法犯などの法令違反」としていたものを、さらに処罰に結びつくものに狭く限定したものとなっており、しかも、政治資金規正法、公職選挙法、税法等については、国民の生命、身体、財産の利益保護にかかわる法令ではないとのことで対象外とされている。


本法案要綱案のような限定を加えれば、そもそも対象から外された法令の違反のほか、処罰規定による裏付けのない法令違反や、形式的には法令違反に該当しない国民の生命・身体・財産等への侵害や危険、民事不法行為上の違法行為等はいずれも本制度の対象外となる。例えば、雪印乳業事件で問題となった総合衛生管理製造過程の承認を受けた製造過程の無断変更、日本では禁止されていないが外国で安全性に問題があるとして禁止されている食品添加物の使用、外国で危険性が認識され禁止されている医薬品の使用(過去の例では薬害エイズ事件を発生させた血液製剤など)、総会対策として株主でない暴力団やその関連企業への利益供与、商品取引員が委託者に対して組織的に無意味な反復売買を繰り返して損害を与えている場合等、本法案要綱案では公益通報の対象外とされる例は枚挙に暇がない。また、個々の法令違反が、行政処分を経て最終的に刑罰で強制される規定違反に該当するか否かの判断は、法律の専門家であっても容易ではなく、ましてや労働者にとってその判断は至難の業である。


このように本法案要綱案のような通報対象事実の限定により、本法案によって創設される公益通報者保護制度が公益の擁護に役に立たないだけでなく、これまで一般法理により保護されてきた通報対象の多くのものが本制度の対象外となることから、逆に通報を萎縮させることになり、「公益通報制限法」として機能するおそれが大きいと言わざるを得ない。


英国公益開示法では、「犯罪事実」に限定しないことはもとより、民事法も含めた「法的義務違反」、「個人の健康や安全に対する危険」、「環境破壊」さらに「これらの事項に関する情報の隠匿」を対象としているのは、そうでなければ公益通報を公益のために生かせないからである。わが国においても、この英国公益開示法にならい、通報の対象に、広く一般人が不正不当と考えるところを盛り込むべきである。


(2)通報先について


第2に、本法案要綱案では、規制権限を有する行政機関以外への外部への通報について、保護対象となる通報先を限定している。通報対象が犯罪行為及び最終的に刑罰で強制される法令違反にかかる場合においてすら、「当該通報対象事実を通報することがその発生若しくはこれによる被害の拡大を防止するために必要であると認められる者(当該通報対象事実により被害を受け又は受けるおそれがある者を含み、当該労務提供先の競争上の地位その他正当な利益を害するおそれがある者を除く。)」としているのである。


報告書では「相当な通報先」とされていたが、本法案要綱案では、当該通報先への通報が「被害発生・拡大の防止に必要」であることを保護要件に加えている。本法案骨子資料では「報道機関や消費者団体など、犯罪行為等の事実の内容等に応じて様々な主体が考えられる」と記載されているが、一般的可能性を述べるに過ぎず、立法後、規制権限を有する行政機関以外の通報先が認められにくく解釈される恐れがある。また、通報者に、当該通報先に通報することが被害の発生拡大の防止に必要であるということの立証負担を課すことになり、外部通報を極めて限定する結果をもたらすので、極めて不当である。


また、通報先として除外される「当該労務提供先の競争上の地位その他正当な利益を害するおそれがある者」は、審議会案にはなかった要件であり、内閣府の担当官の話では、暴力団や競争会社は含まれるが、報道機関や消費者団体は含まれないとのことであるが、文言上広く解釈されるおそれがあり、要件としてははずすべきである。


なお、英国公益開示法では犯罪行為に限定しないことはもとより、問題が継続していること、又は将来生じる可能性が高いことだけでなく、通報先や問題の重大性などをすべての事情を考慮して通報を保護するか否かを判断していることと比べても、本法案は保護される通報を極めて限定したもので、外部通報をほとんど認めないというに等しい。


(3)外部通報の要件について


第3に、本法案要綱案は、外部通報の要件として、意見の趣旨記載のイ~ホの要件のいずれかに該当する場合にのみ、保護されることとしている。


しかし、犯罪行為等の場合においては、イ、ロの危険性は常にあるが、公益通報の正当性が訴訟で争われた際に、通報者において、通報時に将来不利益取扱いや証拠隠滅が行われたはずであると信ずるに足りる相当の理由があったことを立証することは極めて困難である。


ハの要件は、このような規定がある場合に、労務提供先があからさまに口止めをすることは考えられず、かえって陰湿な暗黙の圧力が加えられることを助長する恐れがある。


ニについては多くの問題がある。[1]まず事業者内部へ通報した場合について定めるだけであり、行政機関への通報後にその取扱いの如何にかかわらず外部への通報への道が開かれていない。[2]事業者内部への通報においても、書面による顕名を要求されるため通報者には萎縮効果をもたらすことになる。[3]労務提供先において2週間の猶予をもって一応調査する旨回答してその後放置した場合には、通報者は外部へ通報できないことになる。この場合は一応「正当な理由がなくて調査を行わない場合」に該当する可能性があるが、本法案要綱案では通報を受けた事業者には調査状況や調査の結果を回答する法的義務はない(単なる努力義務にとどまり、通報の要件ともリンクしていない)ので、調査せずに放置されていても、通報者は、そのことを知ることはできず、結局通報できないことになる。また、一応調査したが犯罪事実等を確認できないと事業者が回答した場合も、外部への通報の道が開かれていない。審議会案では事業者内部や行政機関に通報した後相当期間内に通報の対象となった事業者の行為について適当な措置がなされない場合には外部通報の道が開かれていたことに比べて大きく後退しており、極めて問題である。


ホは人の生命身体に急迫した危険がある場合というのであるから、極めて希有なケースである。


結局、本法案要綱案で限定的に列挙されている通報要件のもとでは、事実上、事業者内部または規制行政機関への通報以外にほとんど通報先を考えることができないと言わざるを得ない。本法案では犯罪行為等のみを通報対象事実としており、前記イ~ホの要件を課すことの不当性は一層明らかである。


公益通報者保護制度が、事業者のコンプライアンスの確保及び消費者の知る権利に資するという目的を果たすためには、事業者内部や行政機関に対する通報だけでなく、その他事業者外部への通報も広く保護の対象とされる必要がある。


本法案要綱案の外部通報の保護要件は、結局、公益通報者によって提供される情報を事業者内部と行政機関のみに集中させるしくみである。しかし、日本の企業風土の現状からすれば、事業者内部に通報をすれば事業者から有形無形の圧力を受けるおそれがあり、日本の行政システムの現状からしても、行政機関への通報に対して、行政が迅速適切に対応することを期待することは困難と言わざるを得ない。行政機関以外への外部への通報が保護されるシステムがあってはじめて、事業者内部や行政機関への通報に対する適切な対応が確保され、また適切に処理されるよう監視することが可能となるのであり、とりわけ、マスコミへの通報が必要に応じて保護されることが不可欠である。


本法案要綱案のように、行政機関以外の外部への通報の保護要件を具体的かつ限定的に規定し、要件を充たさない外部への通報が保護されない制度を設けることは、むしろ公益通報者を萎縮させることにつながり、公益通報者保護制度を設ける制度目的に反するものである。


したがって、外部通報の保護要件としては、上記イ~ホの要件の他に、これに付加して「イ~ホのほか、通報の対象となった事業者等の行為の内容、人の生命、身体、財産、環境、その他の保護法益への侵害、危険の程度、通報先、通報者がその外部通報先に通報するに至った事情等を考慮し、当該外部通報先への通報が相当であること、又は通報時において相当であると信じるに足る合理的理由がある場合」という一般的保護要件(当連合会の「公益通報者保護制度要綱」の外部通報の要件参照)を設けて、イ~ホ以外の場合にも保護される余地を残すべきである。


6 最低限上記3点の修正がなければかえって制度改悪となる


審議会案は、保護の対象・要件が狭く、このような要件のもとでは現行法のもとでの保護の水準を切り下げることになりかねないとの批判が相次いだことから、報告書には「なお、本制度の対象とならない通報については、一般法理に基づき、個々の事案ごとに、通報の公益性等に応じて通報者の保護が図るべきであり、制度の導入により反対解釈がなされることがあってはならない。」との記載が挿入されていた。本法案要綱案の第6に解釈規定として「第3から第5までは、通報対象事実に係る通報をしたことを理由として労働者又は派遣労働者に対して解雇その他不利益な取り扱いをすることを禁止する他の法令の規定の適用を妨げるものではないこと」という規定が置かれているのも、同様の趣旨である。


このような解釈規定はないよりあった方がよいが、仮にこのような規定を置いたとしても、労働者が公益に関する事実を事業者外部に通報したことに対する解雇や不利益取り扱いの有効性が争われた事案について、従来の裁判例は、真実相当性があれば保護するものから、それに加えて事業者内部での改善の努力を尽くしたこと等を要求するものまであり、また、個別事案によるところも大きいと言える。このような状況下で、今回の公益通報者保護法によって、通報対象事実が犯罪行為等であっても本法案要綱案のような限定された通報先に極めて限定的な要件のもとで通報した場合にのみ保護されることが法定されれば、通報内容が犯罪行為等に該当しない法令違反や、国民の生命・身体に危険を及ぼす行為であるが該当する法令を欠いている場合には、裁判所においても、上記限定要件と同様か、更に厳しい要件を求められることになることが大いに懸念される。


したがって、従来の一般法理による保護の水準を切り下げないためにも、最低限、上記3点の修正は必要である。


以上