精神医療の改善方策と刑事司法の課題(日弁連意見書)

2002(平成14)年4月19日
日本弁護士連合会


目次

  • I. はじめに
  • II. 精神障害と犯罪をめぐる問題にかかる当連合会の基本方針
  • III. 日弁連の提言
    • 1. 逮捕勾留時の刑事司法における医療援助受け入れ態勢の確立
    • 2. 起訴前鑑定の適正化
    • 3. 25条通報に対する医療関係者による措置入院審査会の設置、権限
    • 4. 仮退院制度の活用による通院確保方策の確立
    • 5. 地域精神医療体制の整備
    • 6. 医療法における特例の廃止、診療報酬の根本的見直し
    • 7. 国公立精神科医療機関の整備
    • 8. 患者の権利保障
    • 9. 人格障害者問題の対策
    • 10. 薬物犯罪対策の徹底と薬物中毒者の国公立専門病院の整備
  • IV. 法律案の問題点
    • 1. 法律案提出上の問題点
    • 2. 法律案の基本的問題点
    • 3. 法律案の問題点(各論)
      • 1. 擬似医療の強制隔離策
        • 1. 処遇決定要件と裁判官関与の問題点
        • 2. 隔離施設としての専門治療施設
        • 3. 病状に関わりなく続く施設への拘禁
      • 2. 手続的要件上の問題
        • 1. 適正手続条項の潜脱
        • 2. 不服申立判断の非医療的性格
        • 3. 身柄拘束の非医療的性格
      • 3. 地域医療・福祉の保安化・刑罰化
      • 4. 放置された精神医療改革
  • V. おわりに

本意見書について

I はじめに

2001年10月30日、自民党内の「心神喪失者等の触法及び精神医療に関するプロジェクトチーム」は、「心神喪失者等の触法及び精神医療に関する施策の改革について」(以下自民党案という)を発表した。ついで、同年11月12日与党政策責任者会議「心神喪失者等の触法及び精神医療に関するプロジェクトチーム」が報告書(以下与党案という)を公表した。


自民党と与党の上記提案を受けて、2002年3月15日、政府は与党案を基礎とした「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律(案)」(以下法律案という)を閣議決定し、本年5月には国会で審議が開始される予定となっている。


精神障害と犯罪をめぐる問題は、自民党、与党の検討開始以前から法務省と厚生労働省の合同研究会で検討が進められていた。その検討のさなか、池田小事件が発生し、同問題がにわかに政治問題化し、同合同研究会と別個に自民党、与党での具体化が進められ、法律案の作成にまでいたったのである。


精神障害と犯罪をめぐる問題は、改正刑法草案(1974年)の審議過程から各界で厳しい議論が続けられてきた問題である。この問題への対処は、ある事件のセンセーショナルな衝撃に流されることなく、また政治的思惑にとらわれることなく、冷静になされるべきである。


II 精神障害と犯罪をめぐる問題にかかる当連合会の基本方針

1.当連合会は、1974年発表の「『改正刑法草案』に対する意見書」で、保安処分の新設に反対し、時として起こる不幸な事件を防ぐためにも「精神障害者に対しては、何よりもまず医療を先行させるべきである」と主張して以来、精神障害と犯罪をめぐる問題について医療優先の改善策がとられるべきであることを一貫した基本方針としてきた。1982年2月20日「『精神医療の改善方策について』意見書」において、(1) 地域社会に根ざし、生活の場に直結した医療であること、(2) いつでも、どこでも自主的に受診できる医療であること、(3) 適正な医療水準が確保されるように人的・物的体制を確立すること、を基本とする精神障害者の人権保障と精神医療施策の充実のための大綱を提示した。こうした方策を実施することが精神障害者自身のための医療であると同時に時として起こる不幸な出来事を防止する結果となることを示したのであった。


2.その後、精神衛生法が改正され、現行精神保健福祉法の理念として開放医療、地域精神医療が掲げられ、その理念のもとに精神医療が進められてきた。その中で理念と現実の関係にかかるいくつかの問題が提起されてきた。その一つは根本的解決をみていない低医療費政策、入院中心主義のもとでの、さまざまな「処遇困難患者」の存在とその対策の不十分さであった。「処遇困難患者」問題は、精神障害者の85パーセント以上が民間精神病院に依存している現状において、国や地方公共団体が責任をもって解決に乗り出さなければならないものであった。1990年には厚生科学研究「精神医療領域における他害と処遇困難性に関する研究」(いわゆる道下研究)もあったが、具体化することはないまま推移し、今日に至っている。次いで、司法と医療の関係とりわけ措置入院に対する精神医療関係者からの不満であった。それは、捜査段階での起訴前の責任能力鑑定が責任無能力と判定する方向へ安易になされているのではないかとの疑念、捜査段階における医療中断・不在、措置入退院決定が医師のみでなされることによる医師の重責感といったものであった。そのほか通院確保の困難性も指摘されている。


当連合会は、かかる状況下で、昨年、国内精神医療実態調査および1982年のヨーロッパ調査(英、仏、独、蘭)に続くイタリア調査を行った。それらの調査の結果、精神医療を充実してこそ、時として起こる不幸な事件を防止できるとの当連合会の基本方針の正当性が明らかとなった。しかし、「精神医療の改善方策」を提示したものとして、当連合会には、精神医療の現実を直視したより具体的な精神医療の改善施策を提起し、医療関係者の司法への上記不満に真摯にこたえなければならない責務があるといわねばならない。


III 日弁連の提言

1. 逮捕勾留時の医療援助受け入れ態勢の確立
  1. 警察署,拘置所においては、常勤、もしくは嘱託の精神保健指定医の資格を有する医師(以下指定医という)を必ず配置しなければならない。
  2. 裁判所は勾留判断において、精神障害に罹患しているとの疑いがあるときは、勾留決定に際し、精神医療を受けられるように手配しなければならない。
  3. 裁判所は、知事に対し、精神保健指定医による逮捕勾留中の被疑者、被告人に対する往診を要請することができる。

2. 起訴前鑑定の適正
  1. 任意処分として現におこなわれている起訴前の簡易鑑定においても、2、3日程度の時間をかけた鑑定をおこなうようにし、安易な鑑定という批判の生じないように慎重におこなう。
  2. 身体拘束中の医療の援助を十分に確保しつつ、簡易鑑定によって責任能力の判定がつかないときは、本鑑定によって責任能力を判定する。
  3. 起訴前において本鑑定を実施するときは、治療を継続しつつ、可能な限り起訴前勾留期間内に鑑定結果が出せるよう、入院、往診等、人的・物的資源を最大限に活用する。
  4. 鑑定にあたる精神保健指定医の必要な水準と数を確保し、短期間で 鑑定が出せるような対策を講じる。

3. 25条通報に対する医療関係者による措置入院審査会の設置、権限
  1. 知事は、精神保健福祉法25条の通報を受けた場合、および主治医より措置解除の通知を受けた場合、措置入院の要否、解除の決定をなすに際し、措置入院審査会の過半数の決定を受けることを要する。その際、入院を要とするには、指定医2名の一致を要する。
  2. 措置入院審査会は、指定医2名、看護師・精神保健福祉士・保健士など医療関係者のほか、検事、弁護士を構成員とする。
  3. 検察官は25条通報をおこなう場合、措置入院審査会に対し、事件記録、治療記録を開示する。
  4. 検察官、弁護人(弁護人がいないときは弁護士会が推薦する弁護士)、患者の家族、事件被害者は、措置入院審査会に対し、意見を述べることができる。
  5. 措置入院審査会は、措置解除を決定する場合、関係行政機関、医療機関に対し、解除後のケアにつき必要な勧告をおこなうことができる。
    この提案は、量的にどの程度実質的な審理が可能か、各地における審理の実務上、処理能力等の平準化がどう確保されるか見極めるため、当面、重要事件に限って適用することが考えられる。

4. 仮退院制度の活用による通院確保方策の確立
  1. 措置入院審査会は、主治医の申し出を受けて、措置入院患者に対し、必要なケア、通院確保方策の実施体制を付して仮退院を許可することができる。
  2. 措置入院審査会は、主治医の申し出をうけて、仮退院を取り消すことができる。仮退院が取り消された場合には、当該患者については当初の措置入院を継続する。

5. 地域精神医療体制の整備

精神障害者等の社会復帰、自立および社会参加への配慮を定めた精神保健福祉法4条の趣旨の実現を目指し、以下の施策を行う。


  1. 都道府県に設置される公立の精神保健福祉センターと保健所をより積極的に活用し、民間の精神病院・診療所等と連携して精神障害者の社会復帰と治療継続、危機介入のセンターとしての役割を果たす。
  2. 民間精神病院は、その民間病院としての特徴を尊重しつつ、地域精神医療体制での役割と地域分担を行うなどして、地域医療体制を整える。
  3. 民間精神病院において地域分担をし、そのシステムにおいて患者を治療、看護したときは特別の補助の対象とする。

6. 医療法における特例の廃止、診療報酬の抜本的見直し
  1. 入院中心主義時代の名残でしかない医療法上の特例(例えば、他の診療科が入院患者16名に対し1名の医師であるのに対し、精神科は48名に対し1名)を廃止する。
  2. 措置入院患者の治療費を保険診療としたことを改め、全額公費によってまかなうこととする。
  3. 通院確保、危機介入のための訪問看護等についての診療報酬を抜本的に改定する。
  4. 民間精神病院における措置入院患者の受け入れについては、国は、その医療スタッフの確保を援助しつつ、国公立と同水準を保てるようにし、その均質化をはかる。

7. 国公立精神科医療機関の整備
  1. 国公立精神保健福祉研究施設を全国に整備し、精神医療の地域精神医療化を進めること、救急精神医療を地域的に確保することについての基幹的、調整的役割を果たすとともに、研究、教育、啓蒙の責務を果たすように努める。
  2. 難治性精神障害、人格障害対策等についての研究を進める。
  3. 精神鑑定に関する調査研究を進めるとともに、人材確保とその体制を確立する。

8. 患者の権利保障
  1. 精神医療審査会の構成は、1審議体には必ず弁護士の参加が保障されなければならない。
  2. 権限として、退院請求のみの審査ではなく、入院中の処遇、退院後のケアについても知事に勧告ができることとする。
  3. 精神医療審査会と25条措置入院審査会の関係は今後の検討課題とする。

9. 人格障害者問題の対策

諸外国の先進的取り組みを研究し、国の責任でその対策を確立する必要がある。


10. 薬物犯罪対策の徹底と薬物中毒患者の国公立専門病院の整備
  1. 薬物犯罪対策は、薬物に起因する精神障害を有する者と、ない者に区分して行なうべきである。
  2. 精神障害を有する者については、国公立の精神病院における病床の確保が最優先される必要があるが、国公立医療機関の縮小再編が進むなかで、充分な床数を確保する為に、専門病院の設置が望まれる。
  3. 薬物犯罪者の多くが、薬物乱用癖を改善し、社会復帰するための治療・教育施設の設立が急務である。

IV 法律案の問題点

1. 法律案提出上の問題点
  1. 精神障害と犯罪をめぐる問題については、まず何よりも大幅に遅れている我が国の精神医療の充実こそがはかられるべきであることは、上述したとおりである。しかるに法律案は「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者」に対する「処遇を決定するための手続等を定めること」を目的とするものであって、何よりも優先すべき精神医療の充実、とりわけ地域精神医療への転換の具体策を何ら提示していない。与党案は、抽象的なものとはいえ、日本の精神医療の現状の改善に言及し、精神障害者の保健・医療・福祉充実のための計画の策定、実施を図るべきことを唱い、その柱として患者の病態に応じた精神病床の機能分化について検討を深めること、在宅生活を支える医療及び福祉対策、社会復帰施設、心の健康対策などの充実を図ること、精神疾患の予防、診断、治療に関する研究の推進、専門スタッフの養成、確保を図ること、差別・偏見の解消への取り組みなどについて簡単に触れており、また、診療報酬のあり方の改善に言及していた。今、政府が緊急になすべきことは、与党案を具体化した精神医療の充実策を提案することである。具体的な精神医療の充実策が何ら示されないままに、法律案が提出されたことはとうてい看過できない重大な問題といわねばならない。
  2. 具体的な精神医療の充実策が提示されないまま提出された法律案は、法律そのものの中に「対象者」の「処遇」の医療的的内容がまったく示されていないという欠陥がある。裁判所によって「医療を受けさせるために入院をさせる決定」を受けた者が指定入院医療機関で受ける「医療」、「入院によらない医療を受けさせる決定」を受けた者が指定通院医療機関で受ける「医療」の内容は法律案からは判明しない。とりわけ、指定入院医療機関のどのような施設で、どのような「医療」を受けるのかが分からないまま、法律案にいうところの「指定入院医療機関」での「医療」が「身柄の拘束」を主とするものでないかどうかを審議することは不可能であろう。
    政府は、国会審議の前提となる具体的な精神医療の充実策、法律案のいう「医療」の内容を速やかに明示し、その後に法律案を国会審議にはかるべきである。

2. 法律案の基本的問題点

(1) 精神障害者による犯罪行為に当たる事件は他の市民のそれに比べて、発生率、発生件数ともに高くない。時として起こる不幸な事件は精神医療の提供がなく、もしくは医療の中断という事態の中で生じているのであり、再犯率に至っては極端に低いという現状がある。重大な犯罪行為の前歴を持つ者が、再犯を犯した事例自体、極めて少数にとどまっている。精神障害により殺人、放火などの重大な犯罪行為にあたる行為をした者の内、同種の前歴を持つ者は6.6パーセントにすぎず、初めての者が84.3%を占めているのである(平成13年度犯罪白書)。この原因の究明と原因除去の対策こそ緊急不可欠な課題なのである。


イタリアの北東部にあるトリエステという県では、1978年以降入院治療を廃し、地域精神医療の徹底のために、行政、医療関係者、地域住民が協力し合っている。これはまさに世界的にも注目に値する実験といわれているが、日弁連の今回の調査において、この地域における精神障害者の事件発生件数が入院治療を廃止する前に、は1年間で15人であったのが、最近の10年間では総数で4人と激減したことが明らかになっている。「時として起こる不幸な事件」とりわけ「初めてのそれ」を防ぐには精神医療の改善・充実こそが重要であることをトリエステの実践が示しているのである。


ところが、法律案は精神医療の改善・充実策を全く提示していない。これでは精神障害によって時として起こる不幸な事件とりわけ「初めてのそれ」を防ぐことはできない。


民間精神病院がかかえている最大の悩みが「処遇困難患者」の問題であることはすでに指摘したとおりであるが、犯罪にあたる行為をした精神障害者は必ずしも「処遇困難患者」というわけではない。「処遇困難患者」のうち犯罪にあたる行為をした精神障害者はわずか17パーセントといわれている。したがって、法律案のように、犯罪にあたる行為をした精神障害者を他の精神障害者と切り離して特別の専門施設に収容してみても、「処遇困難患者」のほとんどは民間精神病院に残ってしまう。民間精神病院が直面している「処遇困難患者」問題を解決することなく、事件を起こした精神障害者対策だけがひとり先行することは、医療的観点からも、事件の未然防止という効果の点でも、適切ではない。


(2) 法律案は、犯罪成立要件である責任能力の判断が安易にされているのではないかという精神医療関係者からの疑問に誠実に応えようとしていない。精神医療関係者から出されている起訴前鑑定の厳格化の要望に応えようとしていない法律案は、司法が改善すべき焦点に真っ向から向き合おうとしない点できわめて不誠実なものといわねばならない。そのうえ、法律案は捜査段階における医療中断・不在を是正する必要性についても放置する結果となっているのである。精神障害者に医療を尽くすといった観点が欠如している。


(3) 各種報道は今回の法律案に先立って提案された与党案について、「急場しのぎではなく、実態を見据えた制度改革が問われている」(岩手日報2001・11・1社説)、「強制入院、退院を判断する新機関に裁判官が、どう関与するかがはっきりしていない。まだ議論は生煮え状態だ」(毎日新聞2001年11月7日社説)、「判定機関がどんな資料に基づき、何を手掛かりに入院の可否や期間を判断するのか。肝心な点が先送りされた。判断の要件次第では、治療よりも隔離自体が優先される実質的な保安処分に通じかねない。与党案は練り直すべきである」(朝日新聞2001・11・21社説)などと論評した。法律案は、与党案についての上記指摘を重大に受け止めるべきであったにもかかわらず、こうした批判や意見を全く無視したまま策定されたというほかない。


精神障害者による犯罪に関する現行制度の検討には、精神医療の現状を見つめなおし、地域精神医療というすでに世界の精神医療が到達している国際的水準との関係において、その改革のための方策が不十分であることを視野に入れることを避けることは許されないのである。


3. 法律案の問題点(各論)

(1) 擬似医療の強制隔離策


A. 処遇決定要件と裁判官関与の問題点


現行の措置要件は「精神障害者であり、かつ、医療および保護のために入院させなければその精神障害のために自身を傷つけまたは他人に害を及ぼすおそれがある」ことである。これは精神医療の視点から判断することとなっている。ところが、法律案の原案ともいえる自民党案が新法制定の前提となる問題点のひとつとして「心神喪失だけの理由で無罪とされた場合に、それに代わる刑法上ないしそれに準ずる措置が定められていないのは、裁判による正義の回復を期待する国民の感情に反する」をあげていたのであるが、法律案は「再犯のおそれ」を処遇要件と明記したことから、この法律案の強制入院は、まさに精神医療以外の要素によって医療強制をするという構造をとることとなった。


法律案は、裁判官が精神科医との合議体によって処遇要件を判断するという構造をとっているが、そうである限り、最高裁幹部が「われわれは医学的な判断はできない。」(朝日新聞2001、11、3)とコメントしているとおり、いわゆる「再犯のおそれ」という医療判断と異なった刑事政策的要件が新たに立てられたのである。


果たして、法律案は、触法精神障害者の処遇を決める審判は裁判官と精神科医各1人で構成する合議体で行い、鑑定入院によって得られた鑑定結果に基づいて「継続的な医療を行わなければ心神喪失又は心神耗弱の状態の原因となった精神障害のために再び対象行為を行うおそれがある」か否かを判定するという。これは、「再犯のおそれ」を指すものでしかなく、治安を優先させたものというほかない。精神障害者の保護や治療に力点をおく医療判断では全くないことを意味している。


人権が保障された裁判手続の中でこそ裁判官は、中立公正な判断ができる。今の状況では、精神障害者の社会復帰よりも、事件の再発防止を考えるような判断に傾かざるをえないだろう。裁判官に保安処分的な判断を期待しているのではないか」(朝日新聞2001、11、13)との元大阪高裁判事の意見は、裁判官関与の意味と危険性を厳しく指摘するものである。


B. 隔離施設としての専門治療施設


法律案では、裁判所が処遇決定をした場合、指定医療機関に入院もしくは通院を義務付けるとされた。入院指定医療機関については明確ではないが、与党案とあわせて考えると国公立病院の中に新たに設置する専門治療施設に入院させ、他の精神障害者の医療とは別異の「医療」を受けさせることとなろう。


内外の精神医療の実績によれば、精神障害者の医療においては、犯罪にあたる行為を起こした者への特別な「医療」などは存在せず、一般の精神医療と変わらないのである。


医療内容から見れば一般の精神障害者と重大な犯罪に当たる行為を行った精神障害者を区別する理由がないといわれている。また、そのような差別化は専門病棟に送られた者に払拭しがたい「ラベルを貼る」結果になるだけであって、重大な犯罪にあたる行為を行った精神障害者のみ集めたのでは、治療効果はとうてい期待できるものではない。それにもかかわらずあえてあらたに専門病棟を設置し、そこに重大な犯罪行為を行った精神障害者を収容しようとするのは、保安を目的にしているものと言わざるを得ない。そこから翻って考えると、かかる隔離目的の専門病棟への収容を判定する裁判所は、裁判官も精神科医もともに、保安目的を判断するために必要とされる存在ということになる。この点からも法律案の危険な側面が浮かび上がってくる。


重い罪にあたる行為を行った精神障害者といっても、「殺人事件」の70パーセント以上は家族などが被害者の事件であり、「放火」の8割以上が自宅の放火事件である。こうした事件を起こした精神障害者の医療は必ずしも困難をともなうものではないのに、法律案で対処することは、精神障害と向き合っている患者・家族にとっては悲惨という他ない。かかる患者を事実上の「保安」専門施設に入れて隔離して治療する合理性・相当性は乏しい。


C. 病状に関わりなく続く施設への拘禁


「再犯のおそれ」という医療的要素ではない要件を根拠に治療強制をするからには、「再犯のおそれ」が除去できたという確信が持てない限り、専門施設への収容を解除することはできないという問題が発生する。このことは、裁判所が定期的に状態を判断するシステムを導入しても変わるものではない。精神障害者の病状とは関わりなく、施設への拘禁が継続しかねない。


この点についても、法律案は、入院期間には上限を設けず、6ヵ月ごとに裁判所がその必要性(再犯のおそれ)をチェックして延長するとされており上記の指摘の正鵠さを示す結果となっている。


まさに「再犯のおそれ」を問題にした期限のない不定期刑類似の身柄拘束処分の新設といわねばならない。


(2) 手続的要件上の問題


A. 適正手続条項の潜脱


「重大な犯罪にあたる行為」をしたかどうかといった事実認定をあいまいにしたまま「重大な犯罪行為に当たる行為をした者」(当該処分の対象者)として処遇決定をすることはできない。したがって裁判所としては犯罪事実の認定を行わなければならない。また裁判所は、検察官の起訴裁量とは別個に「責任能力」の判断も行うものとされている。「責任能力」の判断は法的判断であるから、この処遇決定手続はこの点からも刑事裁判の類似の性格をもつことになる。


犯罪事実の認定手続、刑事裁判は、憲法31条以下の規定による厳格な手続の下に行われなければならず、公開が必要となる(憲法82条)。適正手続なくして、本人に刑罰による場合と実質的に匹敵する自由の制限をもたらす処分をすることはできない。しかるに、法律案では審議は非公開とされ、弁護士である付添人や本人には証拠取調請求権すら認められないのである。また、殺人や放火、強盗など法定合議事件とされる事件についても、裁定合議制が考えられているとはいえ、一人の裁判官でも判断できるようになっており、適正手続の保障は確保されていない。


B. 不服申立判断の非医療的性格


地方裁判所の判断(決定)に対する不服申立は、高等裁判所に対する抗告になる。高等裁判所では地方裁判所におけるような医師を含めた特別構成の裁判所が編成されるわけではなく、裁判官だけで不服申立の判断を行うことになる。しかし、そうすると、医学的判断の適否についても医学的視点からの判断がなされないことになる。控訴審の判断は、いっそう医療的判断から乖離し、非医療的判断へと傾斜せざるをえなくなるであろう。


C. 身柄拘束の非医療的性格


この判定手続の対象者(重大な犯罪行為を行った者)は、逮捕・勾留(場合によっては鑑定留置)、あるいは被告人勾留の後に、鑑定入院命令によって最長3カ月間、身体拘束が予定されている。この間の治療確保の問題については一切検討されておらず、その対象者に対しては、現状以上に治療を遅らせる結果をもたらしかねない。


(3) 地域医療・福祉の保安化・刑罰化


法律案は、「入院によらない治療」いわゆる通院の処遇のための中心的な機関を保護観察所とした。そもそも保護観察所は、刑の執行猶予や仮釈放の場合の保護観察の実施を主たる任務とし、犯罪の予防を目的として活動する刑事政策を担う機関である。


対象者を刑事政策目的の機関の観察下に置くという法律案の考えは、観察下の通院措置なるものが結局は刑罰類似のものであることを認めるものである。また、精神保健福祉センター、保健所、医療機関などの地域医療・福祉の主要機関が刑事政策をになう機関である保護観察所の管理、介入を受けることにより、精神障害者の地域医療・福祉全体が犯罪防止と保安のための機関に組み入れられていく危険をはらんでいる。


かつて保安処分導入が議論された際に、法務省刑事局は、保護観察所が人的にも治療処分における治療継続を確保する役割を果たしえないことを認めて、新たに療護観察制度を新設する、と提案していたほどであった。現在の保護観察所には、とても重大な犯罪にあたる行為を行った精神障害者の処遇ができる専門性も力量もない。にもかかわらず、通院処遇の中心的な機関に位置付けるなどという提案には、驚きを禁じえない。


保護観察所を治療継続を確保する中心的機関にする提案は、通院という本来信頼関係なくして成り立ち得ない関係を刑事政策の観点から確保しようとするものであり、まさしく、刑罰に変わる治療強制との位置付けの本質が見え隠れし、安直で小手先の提案というほかない。


法律案は、保護観察所に新たに「精神保健観察官」を創設し、精神保健福祉士(読売新聞2002・1・26 朝刊)ないし精神障害者の生活支援について知識や経験を有する者(朝日新聞2002・2・3朝刊)を任命すると報じられているが、必ずしも本件処遇に関与する精神保健観察官がこうした有資格者に限定されるものとはされておらず、この制度の「再犯のおそれ」という極めて刑事政策的な観点が払拭し切れていないうえ、精神保険福祉士が保護観察所という刑事政策を担う機関に組み込まれてしまうのであるから、根本において変わるところはない。


(4) 放置された精神医療改革


政府は、法律案の提出にさいし、精神医療の充実とりわけ地域精神医療への転換などの課題について、具体的施策を提示していない。


問題はこれまで30年以上にわたって、精神保健福祉法で地域精神医療の充実を唱えながら、今回、その具体的政策化と予算化が見送られたことにある。今必要なことは、これまで実現してこなかった原因を明らかにしたうえでの国の予算面の保障も含めた、精神医療改革の具体的な方策の提示である。精神医療改善の熱意と実効性をも欠くものとのそしりを免れないであろう。かかる施策の実現があって初めて、不幸にして起きる事件とりわけその初めての事件を防止することにつながるのである。


Ⅴ おわりに

入院中心の精神医療から開放医療の理念による医療への前進を実現するためには、退院患者やいまだ精神医療の援助を受けていない精神障害者に対する充実した医療がくまなく提供される体制が確立されなければならない。退院した患者の通院による治療の確保と社会復帰・自立を展望した場合、その援助は地域における治療の継続確保と、時として起こる危機(患者からのクライシスコール)に対する介入、救助システムを包含するものでなければならない。このことは、犯罪にあたる行為をした精神障害者であるか否かにかかわらずきわめて重要である。こうした方向こそが時として起こる不幸な出来事を防止することにつながるのである。


当連合会は、今回の提案を機に、政府・法務省・厚生労働省はもとより、国会議員各位、精神医療関係者、精神障害者とその家族の団体等がオープンな議論を興し、後世に禍恨を残さない精神医療改革を実現することを呼びかけるものである。