道路交通法施行令の一部を改正する政令試案等に対する意見書

2002年1月
日本弁護士連合会理事会


本意見書について

意見の趣旨

平成13年6月の道路交通法改正により、同法88条の障害・疾病を理由とする運転免許の絶対的欠格条項は廃止され、知的能力や身体的能力については運転免許試験で確認することとされた。一方、試験合格者や既に免許を受けている者が、安全な運転に支障を及ぼすおそれがある病気として政令で定められたものに該当する場合には、免許の拒否や取消等ができることとされた。


この法改正に伴い、「道路交通法施行令の一部を改正する政令試案等」が公表されたが、


この「政令試案」は、障害・疾病のある人の社会参加を可能な限り促進しようとする法改正の趣旨に反するから、以下のとおり改めることを求める。


1.運転免許試験に合格した者には、免許を付与することを原則とすべきである。例外的に一定の障害・疾病の存在を理由としてその付与を拒否し、又は取消等の処分をすることができる場合の基準は、障害・疾病の存在により明白に、自動車等の安全運転に支障があり、事故発生の具体的危険が存する場合に限られるべきである。


従って、「安全な運転に支障を及ぼすおそれがある症状を呈する『おそれがない』と認められる場合には免許の拒否等を行わない」との「政令試案」を、「安全な運転に支障を及ぼすおそれがある症状を呈する『具体的おそれがある』と認められる場合に限って免許の拒否等を行うことができる」と改めるべきである。


又、これに伴い、新たに定められる「具体的な運用基準」も、「医師が、安全な運転に支障を及ぼすおそれがある症状やその再発、発作、失神等の『おそれは認められない』旨の診断を行った場合には免許の拒否等を行わない」とするのではなく、「医師が、安全な運転に支障を及ぼすおそれがある症状やその再発、発作、失神等の『おそれが具体的に認められる』旨の診断を行った場合に限って免許の拒否等を行う」こととすべきである。


2.道路交通法施行規則23条は聴覚障害のある人について、補聴器をつけて10メートル離れたところで90デシベルの音が聞き取れないと適性がないものとして運転免許試験の不合格事由としているが、警察庁は、聴覚障害を直接の理由とする交通事故の発生数・発生状況等の科学的・客観的データに基づき、医学関係者・聴覚障害のある人の団体・日本弁護士連合会・社団法人自動車工業会等からなる検討会議を設置し、その制限の合理性について再検討すべきである。


意見の理由

1. 障害のある人に対する差別禁止と欠格条項の廃止

日本国憲法は、すべての国民に法の下の平等を保障し、障害者の権利宣言(1975年国連採択)は、障害のある人が他の人々と等しく全ての市民的・政治的権利を有し、差別的なあらゆる搾取、規制から保護されることを明確に宣言している。


しかしながら、わが国は、障害のある人に対する資格・免許の付与について、医師法・薬剤師法をはじめとして主要先進国中他に類例を見ないほどの多数の欠格条項を有していた。改正前の道路交通法88条1項2号及び3号もその一つである。このような欠格条項は、障害のある人の社会参加の途を閉ざすものであり、その多くは憲法の定める幸福追求権(13条)、法の下の平等(14条)、移動・職業選択の自由(22条)、勤労の権利(27条)を侵害するものであった。


そこで、当連合会は平成12年11月に、障害のある人の欠格条項の撤廃を求める意見書を発表し、同13年11月には第44回人権擁護大会において、障害のある人に対する差別を禁止する法律の制定をテーマとしたシンポジウムを開催し、障害のある人に対する差別を禁止する法律の制定を求める大会宣言を採択し、欠格条項についてもその早急な改正を求めてきた。


2. 政府による欠格条項の見直し

政府も平成11年8月に、障害のある人の社会参加の促進を目指し障害のある人にかかる欠格条項の改正に着手した。


その結果、医師法、薬剤師法等の絶対的欠格条項が廃止され、相対的欠格条項になるとともに、欠格条項を持つ多くの法律について現在見直し作業が進行中である。


今回の道路交通法改正もそうした欠格条項改正の一連の動きの一つであり、旧法88条が聴覚障害のある人・精神障害のある人等を絶対的欠格としていたのを改めて新法90条では相対的欠格事由としたものである。


即ち、今回の道路交通法改正は、道路交通の安全確保の要請に配慮しつつ、可能な限り、障害のある人にも運転免許を取得する機会を与え、障害のある人の社会参加の促進を図ろうとするものである。


3. 道路交通法の改正内容

(1) 旧法


旧法88条は、精神病者、知的障害者、てんかん患者、目が見えない者、耳が聞こえない者又は口がきけない者、政令で定める身体の障害のある者には、免許を与えないと規定しており、旧法103条は、免許を受けた者がそうした事由に該当することとなった場合には免許を取り消さなければならないものと規定していた。


(2) 新法


旧法88条の絶対的欠格条項は廃止され、新法90条1項本文において、運転免許試験に合格した者に対し、「免許を与えなければならない。」としつつ、同項但書において以下の病気にかかっている者については、免許の拒否又は六月を超えない範囲内において免許を保留することが「できる」ものと規定された。


  1. 幻覚の症状を伴う精神病であって政令で定めるもの
  2. 発作により意識障害又は運動障害をもたらす病気であって政令で定めるもの
  3. A又はBに掲げるもののほか、自動車等の安全な運転に支障を及ぼすおそれがある病気として政令で定めるもの
    尚、知的能力や身体的能力については、運転免許試験(法97条)で確認することとされ、身体的能力については、道路交通法施行規則23条に適正試験の基準が規定されており、この適正試験の基準の変更がない限り、新法になったから といって、身体に障害のある人の免許取得範囲が広がることにはならない。
    ちなみに、聴覚に障害のある人に対する合格基準は、補聴器を付けて10メートル離れて90デシベルの警音器の音が聞こえることとなっている。
    又、新法103条は、絶対的欠格条項を改正し、免許を受けた者が次に掲げる病気にかかっている者であることが判明した時は、その者の免許を取り消し、又は六月を超えない範囲内で期間を定めて免許の効力を停止することが「できる」と規定した。
  4. 幻覚の症状を伴う精神病であって政令で定めるもの
  5. 発作により意識障害又は運動障害をもたらす病気であって政令で定めるもの
  6. 痴呆
  7. イからハまでに掲げるもののほか、自動車等の安全な運転に支障を及ぼすおそれがある病気として政令で定めるもの
    又、臨時適性検査の規定では、免許が保留された等の場合に、臨時適性検査を受けるか診断書を提出するよう命じることができる。

(3) 付帯決議


参議院で、上記改正の際に、「運転免許の適性試験・検査については、これが障害のある人にとって欠格事由に代わる事実上の免許の取得制限や障壁とならないよう、科学技術の進歩、社会環境の変化等に応じて交通の安全を確保しつつ運転免許が取得できるよう、見直しを行うこと」という付帯決議が採択された。


4. 政令試案等の内容

免許の拒否・保留の場合、免許の取消・停止の場合と詳細に規定されているが、免許の拒否等の基準は次のように定められている。


(1) 幻覚を伴う精神病について


精神分裂病とし、自動車の安全な運転に支障を及ぼすおそれがある症状を呈するおそれがないと認められる場合には免許の拒否等を行わない。


(2) 発作により意識障害又は運動障害をもたらす病気について


てんかん
発作の再発のおそれはないと認められる場合、発作の再発により意識障害及び運動障害がもたらされない場合、ならびに発作の再発が睡眠中に限って起こると認められる場合には免許の拒否等を行わない。
失神
発作の再発のおそれがないもの、又は、発作の再発が立っている状態のときに限られる場合には免許の拒否等を行わない。
低血糖症
自動車の運転中において、前兆を自覚しないまま、意識障害をもたらすおそれがあると認められる場合には免許の拒否等を行う。

(3) その他の病気


そううつ病
基準は精神分裂病と同様
睡眠障害
重度の眠気が生じるおそれがあると認められる場合には免許の拒否等を行う。
精神障害
自動車等の安全な運転に支障を及ぼす症状を呈するおそれがあると認められる場合には免許の拒否等を行う。
脳梗塞
発作により意識障害等が生じるおそれがあると認められる場合には免許の拒否等を行う。
5. 政令試案等の問題点

新法の下においても欠格即ち運転免許の付与を拒否し、又は取り消し等の処分をすることができる場合の範囲の策定に当たっては運転免許制度の趣旨、即ち道路交通の安全の確保の要請と、法改正の趣旨、即ち障害のある人の社会参加の促進の要請を調和的に考えなければならない。自動車の運転はいわゆる「許された危険」であって他人の生命・身体に危険を及ぼすおそれのある業務であるから免許の付与・保持の上で一定の制限を受けることがあるのはやむをえない。特に、厳しい交通事情の下で、交通事故の減少を目指して配慮が払われるべきことは当然である。


他方で、現代においては運転免許は特別なものではなく、日常生活を送り、勤労の機会を取得する上で必需品となっている。このことは障害のある人にとっても全く同様であるばかりか、障害のない人よりも自動車の運転の必要性が高い場合も多い。障害や疾病のある人が運転免許の付与を拒否され、又は取り消し等を受けるということは単に趣味の機会を制限されるといったものではなく、日常生活・勤労の上で多大の不便をこうむるということを意味し、社会参加と自立を著しく阻害されることになるのである。


従って、障害や疾病のある人に対する運転免許の付与にあたっては、道路交通の安全の確保の要請に十分配慮しつつ、障害や疾病のある人の社会参加を可能な限り推進できるように、最大限の配慮をすべきであり、運転免許試験に合格した者に対しては、原則として、運転免許を付与すべきであり、例外的に、運転免許の拒否ができるのは、一定の障害・疾病の存在により明白に自動車等の安全運転に支障があり、事故発生の具体的危険が明白に存する場合に限定すべきである。


しかしながら、政令試案等の規定は、運転免許試験に合格しているにも関わらず、「自動車の安全な運転に支障を及ぼす症状(発作、意識障害等)を呈するおそれがないと認められる場合には免許の拒否等を行わない」と規定することにより、原則と例外が逆転しており、一定の障害・疾病の存在がある場合には医師の診断書によって自動車の安全な運転に支障を及ぼす症状を呈するおそれがないことを証明してもらわない限り原則として免許の付与が拒否される結果となっている。


そもそも、道路交通法90条1項本文は、運転免許試験に合格した者に対し免許を与えなければならないと規定しており、同項但書において、例外として、一定の障害・疾病がある場合に、免許の拒否等が「できる」と規定しているのであって、法文上、自動車の安全運転に支障を及ぼすおそれのある障害・疾病が認められた場合に初めて、例外として、運転免許の付与を拒否できることになると解される。


その例外を定める基準は道路交通法新90条の委任に基づき、道路交通法施行令で定められることになるが、同令の制定に当たっては上述の点から立法上の制約を受けるものであって、政令の規定によって、事実上原則と例外を逆転させることは到底許されないものと言わざるをえない。。それはまた、同法の改正に際して参議院で採択された「運転免許の適性試験・検査については、これが障害のある人にとって欠格事由に代わる事実上の免許の取得制限や障壁とならないよう、科学技術の進歩、社会環境の変化等に応じて交通の安全を確保しつつ運転免許が取得できるよう、見直しを行うこと」という付帯決議にも添う所以である。


政令試案では、安全な運転に支障を及ぼすおそれのある病気を定める形をとり、


形式上は例外規定である体裁を整えてはいるものの、実際は、その病気として「精神分裂病」等と特定し、前述のとおり、症状を呈する「おそれがない」と認められる場合に拒否等を行わないと定めている結果、「おそれがある」場合に拒否等が行われるのではなく、「おそれがない」場合に拒否等が行われない、という定めとなっている。これでは、下位法である政令において、上位法である法律が定めた原則と例外とを逆転している、というほかない。


しかも、政令試案のような規定にすることにより、政令とともに新たに定められる具体的な運用基準案が公表されたが、同案も、精神分裂症の場合、医師が「寛解の状態にあって残遺症状も軽微であり、免許証の有効期間中に症状が再発するおそれは認められない。」旨の診断を行った場合に免許の拒否を行わない、てんかんの場合、発作が過去2年内に起こったことがなく、医師が「今後発作が起こるおそれがない」旨の診断を行った場合等に免許の拒否が行われないことになっているが、「おそれがないこと」の診断と証明は現実的には極めて困難である場合が多い。積極的事実の証明に比べて消極的事実の証明は「悪魔の証明」とよばれているほどなのである。もしも、「おそれがないこと」の証明を運転免許取得希望者側に課し、しかもこれを厳格に運用すると、結果として漠然とした抽象的な危険があることを理由に一定の疾病障害のある人に免許を与えないことになる危険性が大であるといわざるを得ない。


これは同法の改正の趣旨や前述した参議院の付帯決議の趣旨にも反し、憲法で保障された基本的人権を侵害することとなると言わざるをえない。


そこで、公安委員会が道路交通の安全に危険を及ぼす事故発生の具体的危険性が存在することを証明できる場合に限って免許の拒否等をすることができることとし、そうでない場合には原則に立ち帰って免許を付与すべきものとするのが相当であり、道路交通法施行令もその趣旨に添った規定にすべきである。


ちなみに、わが国では精神障害のある人・てんかんのある人等に対する偏見が根強く、これらの人は運転免許の欠格者であると考えられがちである。旧法88条もそのことを根底において立法されたと思われる。しかし、精神障害のある人であっても自動車運転に具体的危険性の見られない人は多いし、てんかんのある人であっても薬で発作を押さえて自動車運転に具体的危険性を無くすことができる人も多い。その他、医学や技術の進歩により、かつては自動車運転に具体的な危険が見られると考えられた疾病患者・障害のある人であっても、現在ではその危険が見られないとされることも多い。これらのものには運転免許が付与されるべきことは当然であって、前述した参議院の付帯決議にも添うのである。


また、臨時適性検査は、現場の警察官等の運用次第では、何ら違反行為を行っていない運転者が、例えばたまたま精神科に通院していることを知れただけでその受検を求められるというような事態を惹起することもありえるものであり、その運用は抑制的になされることが求められる。


6. 道路交通法施行規則の問題

今回の一連の改正作業においても道路交通法施行規則23条が、聴覚障害のある人について、補聴器をつけて10メートル離れたところで90デシベルの音が聞き取れないと適性がないものとして自動車運転免許試験の不合格事由としている点の改正はなされていない。しかし、自動車の運転に必要な情報のほとんどが視覚に依存していることは科学的にも明らかになっており、聴覚がなければ危険を回避できないような場合は非常に少ない。緊急自動車が通行するような場合にはサイレンが聞こえなくても周囲の状況からほぼわかるものであるし、緊急自動車側も注意を払っており、耳が聞こえない者が運転した場合に緊急自動車との交通事故の危険性が高いとは必ずしも言えない。主要先進国では聴覚障害のある人にも制限なく運転免許が付与されている国が多い。


そこで、参議院の付帯決議に添って、聴覚障害のある人に関する道路交通法施行規則23条の制限が合理性を持つものか否かを検討するために、警察庁は、聴覚障害を直接の理由とする交通事故の発生数、発生状況等の科学的・客観的データに基づき、医学関係者、聴覚障害のある人の団体、当連合会、社団法人自動車工業会等からなる検討会議を設置し、その制限の合理性について再検討すべきである。


以上