人権としての「医療へのアクセス」が保障される社会の実現を目指す決議


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国民健康保険の滞納世帯は約195万世帯、全利用世帯中の約11%に及ぶ。民間の調査によれば、保険料滞納や窓口負担が払えないなどの経済的理由から医療を受けることができずにいのちを落とす人が後を絶たない。コロナ禍では、対応できる病床や医療従事者が不足し、入院調整などを行う保健所の機能も麻痺し、「自宅療養」を余儀なくされる人や「救急搬送困難事案」が続出するなど、「医療崩壊」の危機に直面して、必要な医療を受けられないまま多くのいのちが失われた。


日本の医療制度改革の経緯を見ると、1980年代から始まった行財政改革により医療費抑制が政策の中心に据えられ、国民の医療費負担増による需要抑制策と医療提供体制の縮小による供給抑制策が推進された。1990年代には、新自由主義的改革が本格化し、「自助」や「効率化」の名の下で、抑制策が一層加速することとなった。医療費負担においては、低所得者に重い負担を強いる逆進的な保険料負担に加え、窓口負担が、被用者保険の被保険者本人では定額から3割へ、高齢者ではゼロから1~2割(現役並み所得者は3割)へと引き上げられ、国際的にも重い負担となった。医療提供体制においては、公立・公的病院、民間病院を問わず、累次の医療法改正、医学部の定員抑制、2014年の医療介護総合確保推進法で制度化された「地域医療構想」などにより、病床削減、医師数の抑制が推進された。病床は1999年から2019年までの20年間で約25万床以上削減され、公立・公的病院の統廃合も進められた。医師数は、人口1000人当たり2.5人となり、OECD(経済協力開発機構)加盟国38か国の中で33位という水準であり、看護師数も、病床当たりの数は欧米諸国の2分の1から5分の1の水準にすぎず、医師及び看護師の人手不足が常態化することとなった。また、医療費と同様に、感染症対策などを担う公衆衛生の予算も削減され、保健所は、1994年の847か所から2023年の468か所となり、人員とともに大幅に削減された。


こうした医療費の自己負担増、医療提供体制の抑制策の結果、経済的負担や地域的・場所的な要因により医療へのアクセスが阻害されており、また、貧困と格差が拡大する社会構造の中で、労働・教育・住居・家族・コミュニティから排除された人々は、医療へのアクセスが一層困難な状況に置かれている。


コロナ禍は、このような医療制度の問題点を浮き彫りにしたが、その後も病床は削減され続けるなど、従前の抑制策がなお継続されている。


しかしながら、医療は、人間のいのちや健康に関わる極めて重要なニーズであって、専門性が高く、いつ、どのようなときに、どのような治療が必要になるか、予測も判断も困難であり、人間が生涯にわたって尊厳ある生存を維持するために必要不可欠なものである。したがって、医療の必要性以外の経済力、居住地、障害、性別、性的指向・性自認、年齢、国籍などによってアクセスを阻害されてはならず、いつでも、どこでも、誰でも、安全で質の高い医療にアクセスする権利が基本的人権として平等に保障されている(憲法第13条、第14条、第25条、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(社会権規約)第12条)。


また、国や地方自治体には、人権としての医療へのアクセス権を実効的に保障するため、医療保険制度、医療提供体制、公衆衛生体制などを整備、拡充する責務がある。コロナ禍は、医療が社会を維持するために不可欠な公共財であることを再認識させたが、コロナ禍後の医療の在り方が問われている今、当連合会は、国及び地方自治体に対し、医療へのアクセス権を保障するため、医療費抑制ありきの政策を転換して、次の諸施策を実施することを求める。


1 誰もが必要な医療を受けられる医療保険制度の構築

 経済的理由等により医療へのアクセスが阻害されることのないよう、

 (1) 必要な医療を受けられずに多くのいのちが失われている危機的状況を踏まえ、医療費の窓口負担のない対象者の範囲の拡大を早急に行うこと


 (2) 多くの保険料滞納世帯が存在することを踏まえ、国民健康保険料の減免範囲を拡大するとともに、低所得世帯の保険料負担の大幅な軽減、保険料負担が軽減されている被用者保険における高額所得者の負担率の引上げなど、保険料についても応能負担を貫徹する施策を速やかに行うこと


 (3) 保険料滞納者にも正規の保険証を交付するとともに、マイナンバーカードと健康保険証の一体化に大きな不安を抱く市民も多いことも踏まえ、現行のままの健康保険証を選択する権利を認めること


2 医療提供体制の充実

 暮らしている地域にかかわらず必要な医療を受けられるよう、

 (1) 「地域医療構想」を見直し、国や地方自治体による地域の実情を踏まえない病床の削減をやめ、医療計画の策定に、住民や患者の意見を十分に反映させるとともに、地域医療構想において再編統合の必要があるとされた公立・公的病院リストを撤回し、特に過疎地域及びその周辺地域では、公立・公的病院の役割を重視し、住民のいのちを守る観点から少なくとも存続させること


 (2) 過疎地域を中心とした医師・看護師等の不足や偏在の解消、その労働環境の改善を図るための更なる施策を講じること


3 公衆衛生体制の充実

保健所の削減が感染症対策の遅れにつながった可能性も否定できないこと、医療へのアクセスができない人への保健師によるアウトリーチなど地域保健との連携によって医療へのアクセスを確保する必要があること、健康格差の解消のため保健所の果たす役割が極めて重要であることなどから、保健所の増設と機能の拡充、保健師の増員を図り、公的責任に基づいた公衆衛生体制の充実を図ること


4 地域を支える存在としての医療・公衆衛生の重要性

医療や公衆衛生部門は、地域への経済波及効果及び雇用創出効果が高く、自治体税収に貢献し、地域経済の好循環を作り出す重要な拠点であり、他方、地域医療構想などによって病院や保健所を削減することは地域の疲弊を招き、医療へのアクセス阻害の悪循環を生じさせる可能性があることから、地域経済への影響をも重視したエビデンスに基づく検証を前提とした政策決定を行うこと


5 社会構造上の要因と公的取組

貧困と社会的格差・不平等など、WHO(世界保健機関)が指摘する個人に起因しない社会構造上の要因(健康の社会的決定要因:Social Determinants of Health:SDH)が、健康格差の大半の原因となっており、中には医療へのアクセスを阻害する重大な要因となるものもあることから、

 (1) WHOが主導している健康格差対策を積極的に推進し、様々な社会的決定要因により医療へのアクセスを阻害されている人々に対する医療を早急に確保すること


 (2) 無保険者の実数、受診抑制の実態など、医療の必要性並びに未充足及びその要因の公的調査を実施すること


社会的決定要因に対する取組では、様々な社会的な困難を抱えている人の権利を擁護するため、医療者が地域の現場で多職種と連携した「社会的処方」の実践をしつつ、同時に、健康格差を生じさせている社会構造的要因を解消する働きかけを行うことが重視されている。弁護士・弁護士会は、これまで、生活困窮者支援、外国人支援などの現場で、医療者を含む地域の多職種と連携した相談活動の取組などを進めてきた。当連合会は、医療と法的支援の相互の協働によって個人の権利を擁護することの重要性に鑑み、今後はより一層、医療関係者との連携を広げ、アウトリーチの相談活動現場での連携、医師会との定期協議の実施等、医療者を起点とした前記の社会的決定要因に対する取組との協働を進めつつ、人権としての医療へのアクセスを保障するため、力を尽くす決意である。


以上のとおり決議する。


2023年(令和5年)10月6日
日本弁護士連合会


提案理由

第1 はじめに-医療を受けられずに失われていくいのち

日本では、依然として貧困が深刻化し、格差の拡大が続いている。健康保険料を滞納し、無保険状態になっている人も多い。体調が悪くても、病院に行くことを諦め、手遅れで死亡する人が毎年何人もいる。過疎地に住み、あるいは、統廃合により医療機関が地域から失われ、地域に医療機関がない人、障害の特性や性的マイノリティであることにより医療機関への受診が困難な人、高齢ゆえに社会から孤立している人、さらには、言葉の壁により適切な医療を受けられない外国にルーツを持つ人など、医療を受けられない人々がいる。

コロナ禍では、「医療崩壊」の危機に直面し、入院調整などを行う保健所の機能も麻痺し、必要な医療にアクセスできないまま多くのいのちが失われていく現実を目の当たりにした。

コロナ禍を経験した今こそ、いのちを守る「医療へのアクセス」を人権として捉え、全ての人が、経済的事情、地理的条件、個人の属性、社会的孤立などにかかわらず、等しく必要な医療が受けられるよう、医療制度の充実を行うべきである。


第2 日本の医療制度改革の経緯

1 医療費抑制策への経緯

(1) 社会保障水準の引下げ

   1958年12月に制定された国民健康保険法(以下「国保法」という。)による「国民皆保険」の実現後、1973年までは、一部負担金(窓口負担)の引下げや、老人医療費無料化、高額療養費制度が設けられるなど、社会保障水準の引上げが行われた。

しかし、その後の二度の石油危機(1973年、1978年)を経て、1980年代に入ると、国は「増税なき財政再建」のため、国庫負担主導による社会保障水準の引上げをやめて社会保障経費の洗い直しに着手し、第二次臨時行政調査会は、1981年、社会保障、文教関係費が大きな支出拡大要因であるとして、国民生活に直接関係する面で受益者の負担増を求める答申を出し、以後、この考え方が社会保障改定の基本となった。


(2) 新自由主義的改革による加速

   日本では、1990年代から始まった医療における新自由主義的改革により、更なる医療費抑制策が行われた。国は、2012年に「社会保障制度改革推進法」を制定し、「自助、共助及び公助が最も適切に組み合わされるよう留意しつつ、国民が自立した生活を営むことができるよう、家族相互及び国民相互の助け合いの仕組みを通じてその実現を支援していくこと。」などを社会保障制度改革の「基本的考え方」とし、憲法第25条に基づく国の責任を大きく後退させた。さらに、2014年に制定された、地域における医療及び介護の総合的な確保を推進するための関係法律の整備等に関する法律(以下「医療介護総合確保推進法」という。)によって、医療費抑制策は一層強化された。


2 医療費の自己負担増

(1)自己負担増

   国民健康保険の自己負担(窓口負担)は、1973年までには3割となった。他方、被用者保険の被保険者の負担は、1984年にはそれまでの定額負担から1割の定率負担となり、さらに、1997年には2割、2003年には3割に引き上げられた。

高齢者に関しては、1983年には老人保健制度が創設され、入院・外来とも定額一部負担が導入され、1973年に始まった老人医療無料化は僅か10年で終了した。その後、2001年1月以降は定率負担(1割、ただし現役並み所得者は2割(2002年10月以降)から3割(2006年10月以降)に増加)となった。さらに、2008年4月以降は後期高齢者医療制度が導入され、70歳から74歳までは2割負担(ただし現役並み所得者は3割)、75歳以上は1割負担(ただし現役並み所得者は3割)、2022年10月1日からは、一定以上所得がある後期高齢者は2割負担となった。


(2)国際的にも高い水準

   諸外国でも同程度の自己負担を強いているかと言えば、そうではない。例えば、イギリスでは原則無料である。ドイツでは外来は原則無料、入院は1日10ユーロである。フランスでは外来30%、入院20%だが、加入が義務付けられ、ほぼ全ての国民が加入している補足疾病保険により自己負担分が補填される。国によって医療体制や医療水準、他の実質的な負担の有無などの違いもあるため単純には比較できないものの、原則3割という負担は、国際的に見ても高い水準である。


3 医療提供体制の縮小

(1) 病床数の抑制策

   1985年に、都道府県ごとに医療計画を策定し、地域における体系立った医療体制の実現を目指す医療法の大幅な改正が行われた(第一次医療法改正)。都道府県知事が、従来の公立・公的病院の病床規制に加え、民間の病院についても、自由開業制を前提としつつ、二次医療圏(救急医療を含む一般的な入院治療が完結するように設定した区域)単位で必要病床数を設定し、それを上回る病床過剰地域において、病院の開設、増床等に関して勧告を行うことができることとなり、自由開業制に一定の制約が課されることとなった。これによって、病院病床数の伸びに歯止めがかかることとなった。


(2) 「地域医療構想」

   2014年、医療介護総合確保推進法による医療法改正により、病床機能報告制度が創設され、都道府県が「地域医療構想」を策定する仕組みが導入された。

病床機能報告制度は、各病院・有床診療所が有している病床の医療機能(高度急性期、急性期、回復期、慢性期)を、都道府県知事に報告する仕組みであり、各医療機関は「現状」報告と「今後の方向」の選択、構造設備・人員配置等に関する項目などを報告する。報告を受けた都道府県は、構想区域(各都道府県内の二次医療圏を原則とし、現在339区域ある。)において病床の機能区分ごとの将来の必要量等に基づく「必要病床数」を算出した地域医療構想を策定する。

地域医療構想は、看護師配置の手厚い高度急性期の病床を他の機能の病床に転換させ、若しくは過剰と判断された病床開設は認めないなどして計画的に病床を削減し、入院患者を病院から在宅医療へ、更に介護保険施設へと誘導し、医療費を削減することを目的とする。地域医療構想に基づく「必要病床数」を実現した場合、全国で15万6000もの病床削減が必要となり、地域に必要な医療機関や診療科の縮小・廃止が起きかねない。地域医療構想の実現は、各構想区域に設置された「調整会議」で、都道府県と地域の医療機関の協力の下で進めていくことが原則と説明されているが、法改正により都道府県知事の権限が強化されており、上からの機能分化が進められる懸念は払拭できていない。機械的な病床削減を実施していけば、必要な医療を受けることができない患者が続出することになり、地域医療は崩壊するとの指摘がある。

厚生労働省は、2019年9月、全国の公立・公的病院の約4分の1に当たる424の病院(公立257・公的167)について、「再編統合について特に議論が必要」とする分析をまとめ、病院名を公表した。これは、「地域医療構想」の実現を急ぎ、公的医療費抑制を進める政策が招いたものであるとの指摘がある。

また、「地域医療構想」で算出された「必要病床数」は、医師・看護師の需要推計にも連動しており、病床の削減は、医師数、看護師数の抑制につながっている。


(3) 病床の大幅減

   病床は、1999年から2019年までの20年間で約25万床以上も削 減されることとなった。日本の病床数は国際比較においても突出して多いことが指摘されたが、それは日本特有の「社会的入院」といわれる長期入院患者や過剰な精神科病床を含むところが大きく、これらの病床も削減されてきた。しかし、「地域医療構想」による病床の削減は、高度急性期・急性期病床を含むものであり、いのちを守るために必要な医療を縮小することになる。


(4) 医師数の抑制

   ①  医学部の定員抑制

      日本では、1982年及び1997年に、医療費抑制策として医学部の定員抑制が閣議決定された。その後、2008年の閣議決定において増員方針となったが、それでも人口当たりの医学部卒業生数(人口10万人当たり7.1人)はOECD加盟国36か国の中で最も少ない(OECD Health Statistics 2021)。


   ② 医師不足の現状

      2020年12月31日現在、全国の届出「医師数」は33万9623人(人口10万人対269.2人)である。人口当たりの医師数(人口1000人当たり2.5人)はOECD加盟国38か国の中で33位である。OECD平均は3.6人であり(OECD Health Statistics 2021)、OECD平均並みの医師数には約13万人足りない。厚生労働省の「医師の働き方改革に関する検討会」では、過労死ラインの月平均80時間を超える時間外労働(休日労働を含む)の勤務医が約8万人に上ると指摘されている。

一方、医師一人当たりの診察回数(5011回/年)はOECD加盟国33か国の中で3番目に多い。OECD平均は2122回/年である(OECD Health Statistics 2021)。医師が十分な時間を割いたと評価する患者が大変少ない。診療中に医師が十分な時間を割いたと評価する患者の割合(42.1%)は、20か国を比較したOECDのデータの中で最も低い。


4 公衆衛生の削減

(1) 公衆衛生の役割

   公衆衛生は、憲法第25条2項に明記され、社会福祉、社会保障とともに生存権保障を支える三つの制度のうちの一つである。公衆衛生の役割は、感染予防、感染症対策、保健・医療・栄養、施設・営業管理、解剖・解体・埋葬、環境など多岐にわたり、特に、感染症対策では、感染の拡大を防止するという重要な役割を担っている。


(2) 公衆衛生の削減、健康の自己責任化

   保健所は、1947年の保健所法改正により「地方における公衆衛生の向上及び増進を図る」(同法第1条)ことを目的とする公的機関と位置付けられ、人口おおむね10万人を基準として設置するとされ(同法施行令第2条)、無料の原則も定められ、公的責任による公衆衛生の推進が図られた。

ところが、医療費と同様に、公衆衛生予算も削減され、公衆衛生の機能を担う保健所も、「効率化」の名の下に削減されてきた。

1994年には、保健所法が地域保健法に改正され、保健所の設置数は、二次医療圏(平均人口約36万人)に1か所に改められた。保健所から保健センターに業務の一部が移管され、民間委託が進み、対人援助業務は大きく縮小された。

2000年代に入ると、病気の原因と対策を個人に求める健康の自己責任化の動きが強まり、市町村による基本検診の廃止などが進められた。


(3) 保健所機能の弱体化

  1994年の地域保健法制定以降、保健所の統廃合と削減が続き、同年に847あった保健所数は、2023年には468か所にまで激減した。保健所の職員数も、1990年の3万4571人から2016年には2万8159人へと大きく減少し、中でも、検査技師は、1990年の1613人から2016年には746人へと半分以下に削減された(国立社会保障・人口問題研究所「社会保障統計年報」)。

また、保健所の削減により、保健所管内の人口は、1994年と2020年を比較すると2倍に増加しており、保健所の保健師一人当たりの受け持ち人口も1万人増えている。


第3 医療へのアクセス阻害の現状

1 経済的理由による阻害

 (1) 国民健康保険滞納世帯数、短期被保険者証・資格証明書交付世帯数、無保険世帯数

   2022年6月1日現在で、国民健康保険全世帯中の約11%に当たる約195万世帯が滞納世帯である。保険料が支払えず、有効期間が短い短期被保険者証が交付されている世帯数は約43万5000世帯、医療機関を受診する際、一旦、全額を自己負担しなければならない資格証明書が交付されている世帯数は、約9万2000世帯である(「令和3年度国民健康保険(市町村国保)の財政状況について」)。また、兵庫県保険医協会が2022年に行った県下全自治体に対する調査結果によれば、兵庫県全体の保険証未交付数、すなわち短期被保険者証、資格証明書さえ交付されていない、いわゆる無保険世帯は1万1772世帯、未交付率は1.7%となっている。このうち尼崎市の未交付率7.3%、西宮市で4.3%と都市部を中心に高い未交付率が示されている。

格差と貧困が進んだ日本において、国民皆保険はその本来の趣旨から後退している状況である。


 (2) 経済的理由による受診抑制の現状

   2021年に全日本民主医療機関連合会(以下「民医連」という。)が行った「経済的事由による手遅れ死亡事例調査」によれば、調査対象となった民医連の706事業所の死亡例は45件であった。これは氷山の一角であり、全国の患者数で換算すれば495件(2020年の全国の1日当たりの平均外来患者数は119万人余、民医連の同患者数は約11万人)である。

日本医療政策機構が行った「日本の医療に関する2008年世論調査」によれば、低所得・低資産層では、過去12か月以内に、費用がかかるという理由で、「薬を処方してもらわなかったことがある」16%、「具合が悪いところがあるのに医療機関に行かなかったことがある」39%との回答結果であった。大阪府が2016年に行った「子どもの生活に関する実態調査」によれば、経済的理由により子どもを医療機関に受診させることができなかった経験がある世帯の割合は、等価可処分所得が中央値の50%未満の困窮層では7.7%あり、中央値以上の群の1%以下との格差が顕著である。


2 地理的理由による阻害

(1) 地域に必要な医療機関の減少

  地域医療構想による病床の削減及び公立・公的病院の再編統合が進むことにより、必要な医療機関が地域から失われる危険性がある。特に、過疎地域及びその周辺地域では、その危険性がより顕著である。

都道府県や市町村が開設する公立・公的病院の約65%は人口10万人未満の市町村にあり、約30%は人口3万人未満の市町村にある。公立・公的病院は、民間病院の立地が困難なへき地等における医療や、救急・小児・周産期・災害・精神などの不採算・特殊部門に係る医療、民間病院では限界のある高度・先進医療の多くを担っている。ところが、公立・公的病院数は、2009年の1296から2021年には1194へと8%減少し、病床数も33万8080床から30万7849床へと9%減少している。


(2) 医師不足と地域偏在状況

  医師不足を背景とした医師の地域偏在が生じている。

国の調査によれば、2022年10月末現在の無医地区(医療機関のない地域で、当該地区の中心的な場所を起点として、おおむね半径4㎞の区域内に50人以上が居住している地区であって、かつ容易に医療機関を利用することができない地区)の数は557で、居住人口は12万2206人である。

また、2020年12月31日現在、医療施設に従事する医師数は32万3700人(届出医師全体の95.3%)で、人口10万人対医師数(全国平均)は256.6人である。都道府県別に見ると、最も多い徳島県の338.4人に対し、最も少ない埼玉県は177.8人であり、およそ倍の差がある。

このように、医師不足を背景とした地域偏在により、医療にアクセスしやすい地域とアクセスしにくい地域の格差が大きくなっている。


3 健康の社会的決定要因と医療へのアクセス阻害

   前記1、2で述べた経済的理由や地理的理由以外にも、医療へのアクセスを阻害する要因は様々にある。

WHOは、「Closing the gap in a generation」(「1世代のうちに格差をなくそう」と求めるレポート)(健康の社会的決定要因に関する委員会最終報告書2008)において、個人に起因しない社会構造的な要因が健康格差を生み出すとし、そうした要因を「健康の社会的決定要因:Social Determinants of Health:SDH」と呼んでいる。

健康の社会的決定要因は、経済力、居住地、障害、性別、性的指向・性自認、年齢、国籍など多岐にわたる。

例えば、性的マイノリティは、医療機関において男女二元論や戸籍上の性別を前提とした対応がなされるなど、セクシュアリティに対する差別・偏見・無理解などによって医療へのアクセスを阻害されている。

また、外国人は、仮放免中など在留資格がなければ健康保険に加入できず、在留資格があっても技能実習生などは発病や妊娠が発覚すると帰国を強制されることもあるため受診を控えるなど、「制度の壁」「情報・言葉の壁」「文化・心の壁」が医療へのアクセス阻害を生じさせている。

このように、個人に起因しない様々な社会構造的な要因によって、医療へのアクセス阻害が生じている。


第4 人権としての医療へのアクセス権

1 医療へのアクセス権の保障

  医療は、人間のいのちや健康に関わる極めて重要なニーズである。専門性が高いため医療の必要性を自己判定することは困難であり、本人の疑いだけで確実に受診できる機会の保障が必要である。個人による健康管理の限界、災害・感染症の発生など、いつ、どのような場面で治療が必要になるかの予測も困難であり、医療は、人間が生涯にわたって尊厳ある生存を維持するために必要不可欠なものである。

憲法は、個人の尊厳原理に立脚し、「健康で文化的な生活」を保障し、あらゆる社会的関係における差別を禁じ(憲法第13条、第14条、第25条)、また、日本も批准済みである国際人権規約(経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(社会権規約))第12条第1項は、「すべての者が到達可能な最高水準の身体及び精神の健康を享受する権利を有する」としている。

したがって、医療の必要性以外の経済力、居住地、障害、性別、性的指向・性自認、年齢、国籍などによって医療へのアクセスが阻害されてはならず、いつでも、どこでも、誰でも、安全で質の高い医療にアクセスする権利が基本的人権として平等に保障されており、また、国や地方自治体には、人権としての医療へのアクセス権を実効的に保障するため、医療保険制度、医療提供体制、公衆衛生体制などを整備、拡充する責務がある。


2 当連合会のこれまでの提言

  当連合会は、2011年10月の人権擁護大会において「arrow_blue_1.gif患者の権利に関する法律の制定を求める決議 」を採択し、これを受けて、2012年に「arrow_blue_1.gif患者の権利に関する法律大綱案の提言 」を策定した。同決議及び提言は、医療へのアクセスを始めとする、医療が抱える多くの重要な課題の解決には、患者を医療の客体ではなく主体とし、その権利を擁護する視点に立って医療政策が実施され、医療提供体制や医療保険制度などを構築し、整備することが必要であり、そのためには、大前提として、基本理念となる患者の諸権利が明文法によって確認されなければならないとして、「患者の権利に関する法律」を速やかに制定することを求めたものである。

さらに、当連合会は、あるべき社会保障について、経済的理由で各種サービスや保障制度を利用できないことがないよう、窓口負担のない税方式による医療・介護・障害福祉サービスの構築、応能負担原則に基づく実質的平等を確保するための優遇税制の見直し、保険主義の偏重の是正、並びに社会保障制度の税財源の強化などを提言してきた(人権擁護大会決議「arrow_blue_1.gif若者が未来に希望を抱くことができる社会の実現を求める決議」(2018年10月5日)など)。

しかし、コロナ禍は、医療が社会を維持するために不可欠な公共財であることを再認識させ、現在、コロナ禍後の医療の在り方が問われている。

そこで、当連合会は、医療へのアクセス権の保障を確立するため、これまで提言してきた諸施策に加えて、国及び地方自治体に対し、次の諸施策を速やかに実施することを求める。


第5 誰もが必要な医療を受けられる医療保険制度の構築

1 医療費抑制策の問題

(1) エビデンスの乏しさ

   国が医療費抑制の必要性として挙げるのが高齢者人口の増加である。そして、医療費抑制策として行われてきたのが、需要抑制としての患者の窓口負担であり、供給抑制としての医師数の制限、病床(特に急性期病床)の削減である。

しかし、これらについては、海外の研究では、データを基にして、いずれも医療費増加の原因あるいは医療費抑制策としての効果において、その影響はゼロか軽微であるとされている。これに対し、日本では、医療費抑制策の効果に関するデータを国が公表していないため、医療費抑制の必要性や効果についての検証ができない。国の医療費抑制策にはデータに基づいたエビデンスがないばかりか、既に国際的な研究によって効果がない、あるいは、乏しいとされている抑制策を検証もなく継続している。


(2) 医療費の国際比較

   日本の令和2年度の国民医療費は42兆9665億円、公費は16兆4991億円(38.4%)(うち国庫負担は11兆245億円、地方負担は5兆4746億円)、保険料は21兆2641億円(49.5%)、患者負担は4兆9516億円(11.5%)となっている(厚生労働省令和2年度国民医療費の概況)。

GDPに占める医療費(保健医療支出)の割合は、日本はOECD加盟国38か国の中で5位(2019年11.0%、なおOECD平均は8.8%)であるが、先進国の中で最も高齢化が進んでいる日本よりも高齢化率が低いドイツ、フランスの方が日本を上回っている。また、一人当たりの医療費はOECD加盟国38か国中15位(2019年)と先進国の中では低く、2015年から2019年の一人当たりの医療費の伸び率(1.3%)も、OECD平均(2.7%)よりかなり低い(OECD Health Statistics 2021、WHO Global Health Expenditure Database)。

前記の国際比較のデータが示すとおり、他の先進国との比較において日本の医療費は低く抑えられている状況にあり、国の更なる医療費抑制策は、必要な医療までも受けられない状況を生じさせる。

また、日本の国民医療費の費用構成を見ると、医師等の人件費に充てられるのが47%に対し、医薬品は21.7%、医療材料は6.7%(令和3年度予算ベース)であり、医薬品(薬価)の割合が大きいことが分かる(財務省2021年4月15日社会保障等(参考資料))。日本の特徴として他国に比して医薬品(薬価)と医療材料の単価は高く、一方医師等の人件費の診療報酬が低いことが指摘されている。


2 窓口負担の廃止の拡大

(1) 低所得者に限らない窓口負担の廃止

   医療費の窓口負担は、その負担がどんなに少額であっても低所得者の受診を抑制することになる。その結果、必要な医療を受けられず、手遅れになっていのちを失う人がいる。

窓口負担については、災害や失業等による著しい収入の減少などにより、一時的に生活が困窮したときは、窓口負担の減免又は猶予が認められているが(国保法第44条)、恒常的に生活困窮にある者は対象とはなっていない。仮に、低所得者について窓口負担の減免手続を設けたとしても、病気は事前に予想できるものではなく突然罹患するものであり、病気になる前に減免手続を行うことは想定しがたい。実際、この制度は、ほとんど使われていない。

そもそも対象を低所得者に限る制度は、選別主義的な制度であり、給付の漏れが生じ、真に助けが必要な人に助けが届かないという弊害がある。したがって、低所得者に限らない窓口負担の廃止を目指すべきである。

なお、低所得者の医療アクセスの実現には、医療制度の変更だけではなく、生活困窮者支援等の諸施策も重要であるが、貧困対策・生活困窮者支援に関する諸施策については、生活保護法の改正、最低賃金の大幅な引き上げ、労働時間規制、子どもの貧困対策など、当連合会としてこれまでも繰り返し提言をしているところである。


(2) 過剰診療の解消

  窓口負担を廃止した場合の懸念としてある過剰診療による医療費膨張についてはエビデンスに乏しい。むしろOECDは、窓口負担による医療費抑制の効果について、公的な資金供給の大きな節約になる可能性は低く、低所得層の受診抑制を招き、長期的に見るとかえって健康悪化によるコストがかかる可能性があるとしている。

現在、療養病床では診療報酬の包括払いが義務化され、一般病床では包括払いの導入・拡大により、過剰診療は制度的に解消されている。外来診療では診療報酬請求の手続の運用や行政の指導や監査などにより過剰診療が容認されにくくなっていることに加え、将来的には総合診療専門医の普及とともに、国や医師会が進めている「かかりつけ医」(日本医師会の定義では、「なんでも相談できる上、最新の医療情報を熟知して、必要な時には専門医、専門医療機関を紹介でき、身近で頼りになる地域医療、保健、福祉を担う総合的な能力を有する医師」)機能が広く人々に普及していけば、過剰受診を解消する効果が期待される。

何よりも窓口負担による受診抑制により、医療へのアクセスが阻害され、必要な医療を受けられずに多くのいのちが失われている危機的状況を踏まえれば、そうした懸念より窓口負担の廃止に向けた施策の推進こそが優先されるべきである。


(3) 対象の拡大

   既に子どもの医療費については、全ての地方自治体で窓口負担の一部、更には全部廃止が行われている。近時はその対象年齢を拡大する地方自治体が増加している。地方自治体が子どもの窓口負担を廃止した場合の国庫負担金減額調整を行わない範囲について、現在は未就学児までにとどまっているが、地方自治体は、高校生まではもちろん、更に高額の学費・生活費を負担する大学・専門学校の学生までの窓口負担を廃止すべきであり、その場合、国は国庫負担金減額調整を行わないようにすべきである。また、高齢者については、2008年に「後期高齢者医療制度」が導入され、75歳以上の高齢者の負担割合は一般所得者等1割、現役並み所得者3割となり、2022年10月1日からは、一定以上所得がある高齢者は2割負担となった。これは国が全世代型社会保障と称し、現役世代との負担の公平性を図るとして行ったものであるが、これによって軽減される現役世代の負担はごく僅かであり、かえって高齢者の受診抑制を招き、受診遅れによる病状の深刻化によって医療費の増加につながりかねない。したがって、高齢者の負担割合を直ちに見直し、早急に窓口負担を廃止すべきである。

以上のように、窓口負担による受診抑制により、いのちを失うという危機的事態が生じていることに鑑みれば、現状子どもに対して広がっている窓口負担廃止の範囲をまずは早急に高齢者まで拡大し、更に窓口負担のない対象者の範囲を順次拡大すべきである。


3 保険料負担の軽減

(1) 減免制度の拡大

  国民健康保険料は、応能割(支払能力に応じて課すもの)の部分と応益割(支払能力に関係なく一定の条件に当てはまれば課すもの)の部分があり、応益割の部分については、7割、5割、2割の軽減制度がある(国保法第81条)。その他、自治体は、条例又は規約の定めがあれば、特別の理由がある者に対し、保険料を減免することができる(国保法第77条)。しかし、この「特別の理由」は、災害などにより一時的に保険料負担能力が喪失したような場合に限定され、恒常的な生活困窮は含まないと解されている。そのため、恒常的な低所得者については、保険料の一部減額は認めるものの、全額免除を認めていない市町村がほとんどである。生活保護による医療扶助があるにしても、恒常的な生活困窮者が全て生活保護を受給しているわけではないことを考えれば、保険料の全額免除を認めていくべきである。


(2) 応能負担の貫徹

   被保険者の保険料負担が大きく、低所得者において大きな負担がある国民健康保険の保険料を大幅に軽減すべきである。
また、国民健康保険料の応益割の部分は、逆進的であり、低所得者にとって大きな負担となる。税や保険料は、支払能力に応じて負担する応能負担原則によるべきであり、応益割の部分は、廃止すべきである。それとともに、保険料は、一定以上の高額所得者に対しては、上限が設定されている。そのため高額所得者ほど保険料の負担割合が少なくなる。特に国民健康保険に比べて保険料負担が少ない被用者保険の高額所得者の負担は少なくなっている。このような逆進性を解消するため、保険料上限の引上げが必要である。

当連合会は、過去の人権擁護大会決議(「arrow_blue_1.gif希望社会の実現のため、社会保障のグランドデザイン策定を求める決議」(2011年10月7日)、「arrow_blue_1.gif貧困と格差が拡大する不平等社会の克服を目指す決議」(2013年10月4日)、「arrow_blue_1.gif若者が未来に希望を抱くことができる社会の実現を求める決議」(2018年10月5日))において、税と社会保障による所得再分配機能の重要性及び応能負担原則に基づく実質的平等の確保の観点から、資産所得課税の減税措置等の見直し、所得税及び法人税については大企業及び投資家などに適用される種々の優遇税制の見直しなど、担税力に応じた税制の再構築をすることを提言しているところであり、医療については、国民皆保険制度がその本来の趣旨から後退していることに鑑みれば、保険主義の偏重を是正することが必要であり、保険料においても応能負担原則を貫徹すべきである。


4 保険料滞納者に対する健康保険証の交付と、マイナンバーカードと健康保険証の一体化後の選択権

 (1)   国民健康保険は、加入者には無職者が多く、保険料負担能力が低い上に、高い保険料負担のために、前記のとおり、保険料滞納世帯は国民健康保険加入全世帯の1割を超え、短期被保険者証交付世帯、資格証明書交付世帯も多い。保険料の滞納者の多くは、実質的に無保険者の状態に置かれている。健康保険証を取り上げることは、それによって、いのちが失われることにつながることであり、保険料滞納者に対しても、正規の健康保険証を交付すべきである。


 (2)   2023年6月に成立した「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律等の一部を改正する法律」により、マイナンバーカードと健康保険証が一体化し、健康保険証が廃止されることになった。これが実施されれば、保険料滞納があっても一定期間について正規の健康保険証と同様の窓口負担での受診が認められていた短期被保険者証の仕組みがなくなり、保険料滞納者は、これまで以上に窓口負担10割(償還払い)を求められる事態となることが懸念される。マイナンバーカードと健康保険証の一体化については、個人情報の漏洩やシステムダウンが起きるのではないか等、大きな不安を抱く市民が多いことも踏まえ、現行のままの健康保険証の交付を選択する権利を認めるべきである。


5 医療制度を支えるための財政に関する国民的議論の必要性

   以上のような、窓口負担のない対象者の拡大や、国民健康保険料の減免の拡大などについては、財源を不安視する観点からの疑問も予想される。

しかし、医療へのアクセス権は憲法において保障される重要な基本的人権であるから、それを「財源不足」を理由に制限されることのないよう、必要な財源を確保することが国の責務である。

他方で、基本的人権の保障のために必要な安定した財源を確保するためには、国民が租税の役割を実感しつつ、その負担に同意することが必要であるが、そのためには互いに租税を負担し連帯して支え合うことへの国民的合意を形成するための努力が必要となる。

そのため、人権保障のための財源確保については、国民的合意を得るための十分な議論を行わなければならないところ、先にも指摘した過去の人権擁護大会決議(2011年、2013年及び2018年など)においては、財源確保のための方策の例を提示していたところである。

医療へのアクセス権の重要性とともに、税と社会保障を通した所得再分配機能の重要性も踏まえた上で、所得税の最高税率の引上げ、有価証券の譲渡益や配当金、利息等の資本所得に関する分離課税の見直しや、労働所得の税率よりも低率となっている資本所得税率の引上げ等の応能負担原則に基づいた財源確保のための国民的議論も行う必要がある。


第6 医療提供体制の充実

1 病床削減、公立・公的病院統廃合の見直し(「地域医療構想」の見直し)

  前記第2、3で指摘したように、地域医療構想に基づく「必要病床数」を実現した場合、高度急性期・急性期病床を含め、全国で15万6000もの病床削減が必要となり、地域に必要な医療機関や診療科の縮小・廃止が起きかねない。

特に、公立・公的病院は、民間病院では立地が困難な過疎地域やへき地等における医療や、救急・小児・周産期・災害・精神などの不採算・特殊部門に係る医療、また、民間病院では限界のある高度・先進医療の多くを担っている。そのため、公立・公的病院の統合により、地域や診療科目によっては、必要な医療を受けることが困難な事態が生じている。

公立・公的病院の果たしている役割が非常に大きいことは、新型コロナウイルス感染症への対応においても浮き彫りになった。コロナ禍は、医療費抑制策として病院の統廃合や病床の削減を進める「地域医療構想」の弱点を露呈したものと見るべきである。

国及び地方自治体は、現在の「地域医療構想」を見直し、医療アクセスが保障される観点を十分に踏まえた新たな「地域医療構想」を検討すべきである。医療計画の策定に、住民や患者の意見を十分に反映させ、まちづくりの計画にも位置付けるとともに、医療機関の広域連携を検討する際にも、政策サイドによる圏域設定ではなく、住民の生活圏域を重視するなど、地域で考えて作っていくという地方自治の観点に基づいて「地域医療構想」を策定することが重要である。

加えて、厚生労働省は、「再編統合について特に議論が必要」と名指しした公立・公的病院(当初424病院、後に440病院に増加)のリストを撤回すべきであり、特に過疎地域及びその周辺地域では、公立・公的病院の役割を重視し、住民のいのちを守る観点から少なくとも存続させる必要がある。

自治体の合併、高齢化の進展などによる地域の衰退、医師・看護師の確保ができないことなどにより、公立・公的病院を維持することが困難になりつつある地域については、地域衰退を所与の前提とせずに病院を地域再生の拠点と位置付ける方策も考慮しつつ、同時に、高次医療機関に患者を速やかに搬送するシステムの構築や診療所のかかりつけ医と病院との連携(病診連携)を強化することなどによって、地域の医療「機能」を維持していくことも重要である。


2 人員体制

(1) 医師不足、偏在の是正

  地域医療の現場は、医師不足を背景とした地域間・診療科間の偏在が極めて顕著となり、「地域医療崩壊」の危機的状況にある。国は、医師不足や地域間・診療科間の偏在等の問題を解消し、地域医療を充実させるために必要なあらゆる施策を直ちに講じる必要がある。


   ①  地域でプライマリーケアを担う総合診療専門医の養成及び確保

      OECDは、「日本の医療は大変な課題に直面している。高齢化が急速に進んでおり、人々が健康で経済的また社会的に活動できるよう維持するには、ひとつ以上の慢性疾患を持つ人々に積極的で、連携をし、個別のケアを提供する医療制度が必要になる。プライマリーケアの強化はこれらの課題に対処することの中核をなす。特に、日本は最も適切なサービスを必要に応じて連携して提供することで、人々のニーズに応じられることを確保するために、より明確に異なる医療機能(特にプライマリーケア、急性治療と長期療養)の分化をし、より構造的な医療制度に移行する必要がある。」との提言を行っている。

国は、地域医療の現場においては、複数の疾患等の間題を抱える高齢者が多く、総合診療専門医の必要性が非常に高まっていることを直視し、総合診療専門医の必要数を示し、養成及び確保を図る必要がある。


   ②  医師不足の解消

      前記のとおり、国際比較でも、人口当たりの医師数が少なく、医師不足が、地域・診療科間の偏在や医師の過重労働を生み、また、公立・公的病院の統廃合の原因にもなっている。さらに、診察回数が多く、患者に十分な時間を割くことができない状況を改善するためにも、医師不足の解消が必要である。2008年以降医学部の定員は増加されたが、なお医師不足は解消されていない。


(2) 地域の医療を担う医療従事者の労働環境の改善

  医療提供体制を充実させ、かつ、医療の質と安全性を向上させるためには、地域の医療を担う医療従事者の労働環境の改善が必要である。


   ①  医師の労働環境

      医師の労働時間に関し、厚生労働省は、「医師は他職種と比較して抜きんでた長時間労働の実態にあり、日本の医療が医師の自己犠牲的な長時間労働により支えられている危機的な状況」にあり、「長時間労働の是正による医師の健康確保、仕事と生活の調和を踏まえた多様で柔軟な働き方の実現を図ることが、医療の質と安全性の確保、これからの医療を支える人材の確保に通じ、地域の医療提供体制を守ることにつながる」として、「時間外・休日労働時間の上限規制などの働き方改革が必要となって」いるとの認識を示している。

しかし、このような厚生労働省の認識にもかかわらず、「医療の公共性・不確実性を考慮した上で医療提供体制の確保に必要な規制」や「医療の質の維持・向上のためには知識習得や技能向上のための研鑽を行う必要」があるとの理由で、一般の業種の労働者の時間外労働時間の上限である年720時間等とは異なる時間外労働時間の上限(休日労働の時間と合わせて年960時間以下、月100時間未満、特例として年1860時間以下)が設定されている。医師の働き方改革を進めるとしながら、なおも過労死ラインを超える時間外労働を容認している。


   ②  看護師の労働環境

    ア   看護師の不足
厚生労働省「医療従事者の需給に関する検討会 看護職員需給分科会」の中間とりまとめ(2019年11月15日)によると、2025年時点における需給推計によれば、約6万人~約27万人の看護職員の供給不足が生じる可能性がある。病床100床当たりの看護職員数(2017年)は、日本は87.1人でOECD加盟国の単純平均183.4人より約100人も少なく、欧米諸国に比べ2分の1から5分の1にすぎない。


    イ   夜間勤務形態
最も多くの看護師に適用されている夜間勤務形態は「二交代制(夜勤1回当たり16時間以上)」が53.8%、次いで「二交代制(夜勤1回当たり16時間未満)」が21.1%、「三交代制(変則含む)」が20.7%であった。

また、勤務間インターバル(勤務から次の勤務までの間隔)は、勤務間隔が「8時間未満」が40.6%、「8時間以上12時間未満」が16.2%であった。

看護師は脳・心臓疾患に至るリスクが高い苛酷な労働環境である。


    ウ   賃金
産業別の労働分配率を国際比較すると、日本の医療・福祉分野における労働分配率は他国に比べて相対的に低く、分配機能を強化する観点から、診療報酬・介護報酬を始め、分配の在り方を見直す必要があると指摘されるところである。


   ③  労働環境の改善策

    ア   医療従事者の増員及び医療従事者の労働基準法の遵守
医療従事者が長時間労働をしなければならない要因の一つは、医療従事者の必要人数が不足しているからである。そのため、まずは医療従事者の人数を増員すべきである。

また、現場で働く医療従事者の健康に生きる権利を保障するために、医療従事者の苛酷な労働環境を改善すべきである。

それにはまず医療従事者に対し労働基準法の遵守を徹底し、労働時間の短縮に努めるべきである。


    イ   長時間労働への法規制
当連合会では「arrow_blue_1.gif労働時間法制の規制緩和に反対する意見書」(2014年11月21日)において、長時間労働を是正するための法制度の早急な構築を求めた。また当連合会は、「arrow_blue_1.gif「あるべき労働時間法制」に関する意見書」(2016年11月24日)において、勤務開始時点から24時間以内に連続11時間以上の休息時間を付与することを求めたところである。

医療従事者は長時間労働、交代勤務、深夜勤務が恒常的な職場である。

夜勤は睡眠時間が不規則になる上、深夜勤務により過労死のリスクが高くなる。

医療従事者の労働時間を8時間、勤務間隔は11時間とするなど、条約・勧告等の国際基準に合わせた国内法を整備・改善すべきである。


    ウ   看護師の賃金の引上げ
諸外国の時間外労働に対する割増賃金率は、例えばドイツは最初の2時間が25%、それ以降は50%とするなど長時間労働をすることが経営者にとって人件費が高くなるという規制をしている。

夜勤を含む長時間労働が恒常的である看護師に対し、勤務状況に見合った賃金を保障すべきである。


第7 公衆衛生の充実

コロナ禍において、保健所は、PCR検査の調整、感染者や濃厚接触者の積極的疫学調査、入院や自宅療養の振り分け、自宅療養者の病状確認など緊急性のある重要な業務を担い、人員不足の中、激務に追われ、市民からの電話もつながらないなど、保健所の機能は麻痺することとなった。

保健所の削減が感染症対策の遅れにつながった可能性も否定できないことから、新たな感染症、南海トラフ巨大地震などの地震・津波災害、気候変動など、今後の不測の事態に備えた人員配置が必要である。

医療へのアクセスは、保健所による入院調整、困難を抱えて医療にアクセスできない人への保健師によるアウトリーチなど、地域保健や福祉システムとの連携によって確保されるものである。健康格差の解消が重要な社会的課題であり、その解決のためにも、公衆衛生の第一線の機関としての保健所が、住民の生活圏域の中で果たす役割が極めて重要である。そこで、保健所の増設と機能の拡充、保健師の増員を図り、公的責任に基づいた公衆衛生体制の充実を図ることを求める。

なお、公衆衛生政策では、社会防衛の観点から患者・少数者に対する人権侵害・差別が引き起こされるおそれが常に存在する。「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」前文でも、ハンセン病・後天性免疫不全症候群等の感染症の患者に対する差別・偏見が存在したことを教訓として感染症の患者等の人権の尊重がうたわれている。これらを踏まえて、公衆衛生政策によって人権侵害・差別が生じることがないようにすることが改めて確認されなければならない。


第8 地域を支える存在としての医療・公衆衛生の重要性

1 医療、公衆衛生部門の経済波及効果・雇用創出効果

  日本の産業部門別の経済波及効果及び雇用創出効果を見ると、経済波及効果も雇用創出効果も、医療関連部門、特に、保健衛生のランキングが高くなっている。保健衛生には、保健所や健康相談施設が含まれる。医療や公衆衛生部門は、ITやAIで代替されにくいことなどから、今後、医療・福祉が最大の雇用創出産業になるとの海外の研究もある。


2 地域経済への影響を重視したエビデンスに基づく検証による政策決定

  厚生労働省は、公立・公的病院の統廃合と再編リストを公表したが、「診療実績が特に少ない」「類似かつ近接」という二つの基準に該当する病院がリストアップされた。しかし、個々の病院の経営に偏り過ぎた政策判断により病院の縮小・閉鎖を決めれば、立地する自治体全体の雇用・人口・税収が激減する可能性がある。ある自治体では、病院(介護施設を含む)職員の個人住民税の納付額が30%を超えているとの調査結果もあり、税収を含む地域経済への影響も考慮する必要がある。

医療や公衆衛生部門は、地域への経済波及効果及び雇用創出効果が高く、自治体税収に貢献し、地域経済の好循環を作り出す重要な拠点である。地域医療構想などによって病院や保健所を削減することは、労働人口の減少、公共交通の縮小、財政の悪化を始めとする地域の疲弊を招き、更なる医療へのアクセス阻害という悪循環を生じさせる可能性があることから、地域経済への影響を重視したエビデンスに基づく検証を前提とした政策決定を行うことを求める。


第9 社会構造上の要因と公的取組

1 健康の社会的決定要因

  健康の社会的決定要因は、経済力、居住地、障害、性別、性的指向・性自認、年齢、国籍など多岐にわたる上、生涯にわたって蓄積し、原因は一つではなく、いくつもの困難を同時に抱えることも少なくない。

貧困は、健康の社会的決定要因の中でも、最も大きな原因の一つである。生活困窮世帯の子どもには、虫歯、肥満、ワクチン未接種率が高く、健康リスクが高いこと、低所得者ほど喫煙率が高く、高血圧や糖尿病に罹患しており、検診の未受診も多いこと、高齢者においては、所得が低いほど医療機関受診率が低く、要介護認定となる割合が高いこと、学歴や所得といった社会階層、社会参加度が抑うつや要介護状態の出現と相関があることなどが、疫学調査などによって裏付けられている。

経済的困窮だけでなく、低所得・失業・低学歴・非正規雇用など社会的に不利な立場にある人々ほど、健康を害しやすく短命である傾向が明らかになっている。

このような社会的決定要因は、健康格差の大半の原因となっており、第3で指摘した例のように医療へのアクセスを阻害する重大な要因となるものもある。


2 健康の社会的決定要因に関する取組の必要性

  WHOは、「Closing the gap in a generation」(「1世代のうちに格差をなくそう」と求めるレポート)において、各国政府に対し、健康の公平性を達成するために、健康の社会的決定要因に関して国際的な取組を先導することを求めるとし、構造的な健康格差が、合理的な行動によって回避できると判断される場合、そのような格差はまさに不公平であり、是正可能な健康格差をただすことは社会正義の問題であり、健康格差を低減することは倫理的義務であるとし、「社会的不正義のために、多くの人々が殺されている」としている。

当連合会は、「いったん収入の低下や失業が生じると社会保障制度によっても救済されず、蓄え、家族、住まい、健康等を次々と喪失し、貧困が世代を超えて拡大再生産されるという『貧困の連鎖』」の構造が作られていること、社会の構造的要因が自殺を生み出していることなどを指摘し、構造的な要因を除去、改善するための実効的な対策を講ずることを過去の人権擁護大会決議において求めてきた(「arrow_blue_1.gif貧困の連鎖を断ち切り、すべての人が人間らしく働き生活する権利の確立を求める決議」(2008年10月3日)、「arrow_blue_1.gif強いられた死のない社会をめざし、実効性のある自殺防止対策を求める決議」(2012年10月5日))。

健康格差を生み出す社会的決定要因は、貧困や自殺を生じさせている社会構造的要因と共通する問題であって、生存権や医療へのアクセス権の実効的な保障のため、是正されなければならない。


3 WHOが主導している健康格差対策とその実践

   WHOは、前記レポートにおいて、健康格差解消のため、以下の三つのアクションを進めるべきとしている。

(1) 日常生活の環境を改善する。
(2) 生活環境の構造的要因である権力、資金、資源の不公平な配分に国際レベル、国家レベル、地域レベルで取り組む。
(3) 問題を測定して理解し、行動の影響を評価する。

社会的決定要因に対する取組においては、自己責任ではなく、病気の「原因の原因」を社会構造的な問題の枠組みで捉えること、社会的な困難を抱え権利が脅かされている個人を代弁しその権利を擁護するための活動(アドボカシー)を、地域コミュニティのレベルでも、社会システムというマクロなレベルでも行うこと、医療専門職だけでは完結できないため多職種と連携して体制を作って取り組むこと、こうした問題意識を持つ医療者の育成とそのための教育システムの構築が重要とされている。

そして、地域レベルでは、多職種連携の取組である「社会的処方」の実践が重視されている。例えば、これまでにも、ホームレス支援のアウトリーチの活動に、医療者が参加して、食糧支援・衣料品配布、医療相談、社会福祉士などによる生活福祉相談、弁護士による法律相談などが連携して行われている。宇都宮市医師会は、社会的処方への取組を宣言し、弁護士会などに成年後見の問題などでの連携を呼び掛けたり、地域社会資源のマッピングの取組などを進めている。また、三重県名張市では、保健師ら専門職が従事する「まちの保健室」が設置され、リンクワーカー(地域の社会資源につなぎ、伴走し、必要なサービスを作り出す担い手)研修の実施など、行政と連携した取組が行われている。


4 健康の社会的決定要因に対する公的取組

(1) WHOが主導している健康格差対策の積極的推進による医療の確保

   国及び地方自治体は、健康格差を生じさせている社会構造的要因の解消を始め、健康格差に関する研究・医療関係者等に対する教育、地域における社会的処方の取組の推進などを含む、健康格差対策を積極的に推進すべきである。

そして、同対策の推進により、経済力、居住地、障害、性別、性的指向・性自認、年齢、国籍など、健康格差を生じさせている様々な社会的決定要因により医療へのアクセスを阻害されている人々に対する医療を早急に確保すべきである。

地域における社会的処方の取組の推進に当たっては、「共助」の名の下に、公的責任で実施すべき施策を後退させ、これを地域住民の互助によって補うことがあってはならない(「arrow_blue_1.gif「地域における医療及び介護の総合的な確保を推進するための関係法律の整備等に関する法律案」における介護保険体制に関する意見書」(2014年4月17日)、人権擁護大会決議「arrow_blue_1.gif地方自治の充実により地域を再生し、誰もが安心して暮らせる社会の実現を求める決議」(2021年10月15日))。


(2) 公的調査の実施

  WHOは、健康の不公平と健康の社会的決定要因の定期的なモニタリング(監視)と、各種政策や取組が健康の公平性に与える影響を評価すべきであるとし、これらが行動を起こすために不可欠の基盤となるとしている。しかし、日本では、無保険者の実数の公的調査さえ行われておらず、行動を起こすための基盤に欠けていることから、無保険者の実数、受診抑制の実態など、医療の必要性並びに未充足及びその要因の公的調査が実施されるべきである。


第10 弁護士・弁護士会の取組

弁護士・弁護士会は、これまでも、生活困窮者支援・ホームレス支援、子ども、高齢者、外国人支援など様々な現場で、地域のNPO、市民等と連携して、社会的な困難を抱え権利が脅かされている個人を代弁し、その権利を擁護する取組を進めてきた。このような弁護士・弁護士会の従前の取組からすれば、医療者を起点とした社会的処方の取組と連携をすることは、弁護士・弁護士会にとっても重要であり、今後、より自覚的に取り組むべき課題である。また、地域の現場での取組を踏まえ、マクロなレベルでも、医療者等と連携して社会構造的要因の解消に向けた取組を進める必要がある。


アメリカでは、医学・法学パートナーシップ(Medical-Legal Partnership)の取組が行われている。医療者が患者と接する中で認識したDVなどの家族問題、立ち退きなどの住居の問題、公的給付の不支給の問題などについて、医療と法律の専門家が連携し、患者が法的支援にアクセスできるようにし、ケアを強化し、あるいは社会的要因に働きかけるという実践であり、日本においても、医学・法学パートナーシップを強化していくことが重要である。


当連合会は、医療と法的支援の相互の協働によって個人の権利を擁護することの重要性に鑑み、今後はより一層、医療関係者との連携を広げ、アウトリーチの相談活動現場での連携、医師会との定期協議の実施等、医療者を起点とした前記の社会的決定要因に対する取組との協働を進めつつ、人権としての医療へのアクセスを保障するため力を尽くす決意である。