患者の権利に関する法律の制定を求める決議

本年3月11日に発生した東日本大震災は、多くの人の生命を奪い、多くの人を生命の危機にさらし、我々の社会と生活を大きく揺さぶった。この大災害により、我々は、医療が我々の生命、健康、社会を支える最も重要な基盤の一つであることを改めて強く認識した。安全で質の高い医療は、健康で文化的な生活を営み、幸せに生きるために必要不可欠である。


しかし、今日、医療は多くの重要な課題を抱え、患者の権利が十分に保障されていない状況にある。

 
第一に、医療従事者の不足が、時に安全な医療を受けることを困難にし、地域・時間帯や診療科目などの事情によっては、医療を受けることすらできない事態を招いている。また、昨今の厳しい経済情勢の中、貧困等の経済的理由によって医療を受けること自体ができない患者も増加している。こうした状況を克服し、誰もが安全で質の高い医療を受けられるようにしなければならない。


第二に、インフォームド・コンセント原則が十分に実践され患者の自己決定権が実質的に保障されなければならない。高齢者、障がいのある人、子ども、外国人などが必要な支援を得ることによって、医療を受けるに当たり自らが説明を受けて決定でき、あるいはその意思決定能力に応じて決定に参加できるようにしなければならない。他方で、自ら自己決定権を行使することができない患者について、同意ができないことを理由として、必要な医療を受けられない事態が生じないような制度整備も必要である。


第三に、患者は、可能な限り通常の社会生活に参加し、私生活を営むことを保障されなければならない。成長発達の過程にある子どもの患者、長期間にわたって治療を必要とする患者、あるいは強制入院を始めとする施設収容が行われがちな精神疾患の患者などが受けている様々な制約は、その必要性の有無と制約の程度に関しての合理性を十分に吟味して、可能な限り取り除かれなければならない。


第四に、刑事収容施設の被収容者が安全で質の高い医療を適時に受けられない状態が半ば放置されている深刻な事態は一刻も早く解消されなければならない。


こうした課題の解決には、患者を医療の客体ではなく主体とし、その権利を擁護する視点に立って医療政策が実施され、医療提供体制や医療保険制度などを構築し、整備することが必要であり、そのためには、その大前提として、基本理念となる患者の諸権利が明文法によって確認されなければならない。


さらに、患者の権利について考えるとき、我々は、医療の名の下に患者のあらゆる人権を奪い、その尊厳を踏みにじったハンセン病問題を忘れてはならない。ハンセン病患者は、絶対隔離政策の下で強制的に療養所に収容され、収容後は外出を許されず、十分な治療もないまま劣悪な環境下におかれ、断種、堕胎を強制されるなどの重大な人権侵害を受け、多くの入所者が今なお療養所からの退去もかなわぬまま、相次いで人生の終わりを迎えている。


このような未曽有の人権侵害を二度と起こさないためには、患者の権利を法によって保障しなければならない。今もなお、HIV感染者を始めとする感染症患者や精神疾患を有する患者らに対しても、差別偏見や医学的合理性を欠いた過度の制約が行われがちである。ハンセン病問題は、現在、将来にわたる教訓として、生かし続けなければならない。


「ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会報告書」(2009年4月)は、「患者の権利に関する体系」を取りまとめ、患者の権利擁護の観点を中心とした医療関係諸法規の整備と医療の基本法の法制化を求めた。
今年は、国のハンセン病絶対隔離政策を違憲とする判決が下されてから、ちょうど10年になる。


当連合会も、長年にわたり、患者の権利の重要性を訴え、その法制化を求めてきた。患者の権利を明文法によって確認する機は既に熟している。


よって、当連合会は、すべての人に対する以下の権利の保障を中核とした「患者の権利に関する法律」を速やかに制定することを求める。

 

1 常に人間の尊厳を侵されないこと。
2 安全で質の高い医療を平等に受ける権利を有すること。
3 疾病又は障がいを理由として差別されないこと。
4 インフォームド・コンセント原則が十分に実践され,患者の自己決定権が実質的に保障されること。
5 可能な限り,通常の社会生活に参加し,通常の私生活を営む権利を有すること。
6 国及び地方公共団体は,上記の患者の権利を保障するための施策を実施する責務を負うこと。

 

以上のとおり決議する。

 

2011年(平成23年)10月7日
日本弁護士連合会


提案理由

第1 東日本大震災が我々に教えたこと

本年3月11日に発生した東日本大震災は、1万5000人以上の生命を奪い、なお約4000人が行方不明となっている。そのような中、速やかに被災地に駆けつけ、生命と健康を守るべく奔走する多くの医療従事者に、我々は、深い感謝と敬意の念を抱いた。同時に、浸水によって長時間水に濡れ低体温症となったり、津波で薬を流されて服薬が中断されたり、かかりつけの医療機関が被災したりして受診が困難になって、症状が悪化したり、寒さや食糧不足、避難所生活のストレス、衛生状態の悪化、がれきによる粉塵などによって発症する人たちを目の当たりにして、医療が我々のいのちと健康、そして我々の社会を支える最も重要な基盤の一つであることを、改めて強く認識した。


我々が健康で文化的な生活を営み、幸せに生きるために、安全で質の高い医療が必要不可欠である。

 

第2 患者の権利が十分に保障されていない現状

ところが、このように、我々にとって必要不可欠な医療が、今日、多くの課題を抱え、患者の権利が十分に保障されていない現状にある。


1 不十分な医療提供体制により医療を受けることが困難となっている現状

近時、勤務医を中心とした医師や看護師らの不足、診療科の休止、医療機関の閉鎖、救急患者を受け入れる医療機関が容易に見つからないなど、地域や、診療科目、時間帯によっては、医療を受けることが困難な事態が生じている。


厚生労働省の調査によれば、2008年末に、医療施設などで診療に従事している医師は、約27万5000人、人口1000人当たり2.15人であるが、主に先進国が加盟する経済協力開発機構(OECD)の2007年~2008年の統計では、これが平均3.1人であり、我が国は、全30か国中27位である。


また、勤務医の労働環境は劣悪であり、厚生労働省の「医師需給に係る医師の勤務状況調査」(2006年3月27日現在の調査状況)によれば、病院等の医療機関の勤務医の1週間当たりの勤務時間は、平均で63.3時間に及んでいる。これは同省が定めている「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準」(2001年12月12日付け基発第1063号)に照らせば、過労死が極めて生じやすい状況と評価される。


さらに、当直を担当して、そのまま次の日も連続して勤務に就くことも頻繁に生じており、疲労が蓄積し注意力の低下が懸念される医師が、患者に対して診察や治療を行わざるを得ない状況になっている。人の生命・健康に直結する診療行為を行う医師らがかような状況にあることは極めて深刻な問題である。


しかも、かような過酷な労働条件の為、子育てをしなければならない世代の医師、特に女性医師が現場を去るという事態も生じ、近年の女性医師の増加の中、医師不足に拍車をかけている。


さらに、医師が大都市に集中して周辺地域やへき地の医師不足が深刻である。


2010年に厚生労働省が実施した必要医師数実態調査によれば、特に、岩手、青森、山梨、島根、大分などに医師不足が指摘され、診療科目別にみると、リハビリテーション科、救急科、産科などが医師不足の程度が大きいとされている。


また、医療の高度化や高齢化から、看護師など看護職員の需要は高まるばかりであり、2010年の厚生労働省の第7次看護職員受給見通しに関する検討会は、2011年には、看護職員は、5万6000人が不足する見通しであるとしている。現在でも看護師不足から、病床の減少や病棟閉鎖をする医療機関も見られる。3交代制の病院での1か月の夜勤回数は平均8.5回であることなどに見られるような厳しい労働条件下で離職率が高く、また、結婚や出産で離職後、復職しない有資格者が多いのが現状である。


このような不十分な医療提供体制が、医療を受ける患者の権利を脅かしており、医師・看護師等の不足や偏在の解消、その労働環境の改善を図るための施策が不可欠である。

 

2 経済的理由により医療を受けることが困難となっている現状

昨今の厳しい経済情勢の中、2010年の厚生労働省の国民健康保険実態調査によれば、市町村の国民健康保険に加入している2114万世帯のうち、21%にあたる436万世帯が保険料を滞納している。1年以上保険料を滞納すると保険証は発行されなくなり、代わりに被保険者資格証明書が交付されることになるが、同証明書では、窓口で一旦医療費全額を支払わなければならず、そのため、多くの貧困者が受診を抑制せざるを得ない状況に陥っている。


さらに、医療の進歩に伴って、長期に高額な医療費を必要とする患者も増加しているが、国の高額療養費制度の患者負担額は月8万円余であるため、必要な医療を受けられない患者も増えている。


また、在留資格のない外国人等は、国民健康保険制度からも生活保護制度からも排除され、実質的には医療を受けることすら保障されていない状態にある。
 

3 インフォームド・コンセントの原則に関わる現状

これまでの取組の結果、インフォームド・コンセントの原則は、広く医療現場に受け入れられている現状にある。ところが、必ずしもその理解が十分ではなく、医療現場で混乱も生じている。多忙な医師は説明に十分な時間がとれず、セカンド・オピニオンを受ける機会は必ずしも十分に保障されていない。難治性疾患の告知を受ける患者をサポートする体制も脆弱である。加えて、高齢者、障がいのある人、子どもなど、医師の説明を理解し、意思決定するために援助を必要とする患者について、十分な援助がないために、患者自身の自己決定が軽視され、人としての尊厳が侵されやすい危険を有している。外国人の患者には、病状を医師らに伝えたり、また、医師らからの説明を正しく理解するために必要な通訳などの整備が十分でない現状がある。さらに、自己決定権が行使できない患者に対する医療行為について、誰に説明し、誰から同意を得るのかについて、十分な法整備がなく、家族がいない例などで同意を得られないことを理由に、必要な医療行為を差し控えるという現状も報告されている。
 

4 通常の社会生活・私生活を維持する権利が保障されていない現状

患者であっても、可能な限り、通常の社会生活・私生活を継続することができることが大切である。特に、子どもの場合には、学習し、また遊ぶということで人格を発展させる重要な時期であるにもかかわらず、入院中の子どもに対してはそのような視点が十分ではなく、24時間患者としてのみ生活することを事実上強いている現状がある。また、外来通院しながら長期にわたり治療を必要とする患者では、従前どおり就労を継続できることが重要であるが、それが十分に保障されず、そのために収入が減少し、治療の継続を困難にしている現状もある。さらに、精神疾患を有する患者も、病識がなく自己や他人を傷つける危険があるとして、過去にも過大な身体拘束や自己決定権の侵害がなされてきた。しかし一律に精神疾患を有する患者をそのような枠の中に固定して理解することはできず、特に医療の必要性や拘束の必要性がないにもかかわらず、長期間収容する「社会的入院」は、今なお我が国が解決すべき課題である。 

 

5 刑事収容施設に拘禁されている患者の権利が保障されていない現状

刑事収容施設では、過剰収容状態と医師確保を始めとする医療提供体制が十分に整備されていない状態などから、疾患を有する被疑者・被告人や受刑者は社会と同等の水準の医療を受けられていない現状がある。当連合会及び各弁護士会が、これまで再三にわたり、人権侵害を認め、警告・勧告を行っているが、なお十分な改善は認められない。しかも「改善更生」の妨げになるとしてカルテの開示を拒否され、自分の現在の健康状態や疾病、治療内容を知ることさえ許されていない。

 

6 小括

以上のような課題の解決には、患者を医療の客体ではなく、医療の主体として、その権利を擁護する視点に立って医療政策が実施され、医療提供体制や医療保険制度などの医療保障制度が構築、整備されることが必要である。その大前提として、その基本理念となる患者の諸権利が明文法によって、確認されなければならない。

第3 ハンセン病問題が与えた歴史的教訓

さらに、ハンセン病問題は、我々に、患者の権利についての歴史的教訓を与えている。ハンセン病問題を原点にして、患者の権利を考えなければならない。 


1 ハンセン病問題の経緯

1907年「癩予防に関する件」によって、放浪するハンセン病患者を救済するという名の下で強制的に隔離し、患者に対する警察的取締りが開始された。1916年には、療養所の所長に懲戒検束権が付与され、各療養所に監禁室が設置されるなど、療養所は、まさに「強制収容所」となっていった。1931年には、ハンセン病患者を我が国から根絶するという「民族浄化」を目的にした「癩予防法」が制定され、放浪患者のみならず、すべてのハンセン病患者が収容される絶対隔離政策が遂行されていった。


強制隔離された患者は、療養所内の貧困な医療と劣悪な生活環境の中で、過酷な労働を強いられ、また、結婚の条件として断種・堕胎も強要された。他方、絶対隔離政策の下、全国的に「無らい県運動」が展開され、患者が強制収容されていくことを目の当たりにした多くの国民に、ハンセン病が恐ろしい伝染病であるとの恐怖心とともに強い差別・偏見が植え付けられた。


第二次世界大戦後、ハンセン病の特効薬「プロミン」などが登場し、ハンセン病は「治る病気」になり、また、1947年、基本的人権を基調とする日本国憲法が制定され、療養所内でも「癩予防法」の見直しを求める声が沸き起こってきた。しかし、政府は「第二次無らい県運動」とも呼ぶべき、すべてのハンセン病患者を入所させる強力な強制収容の方針を打ち立て、1953年、多くの入所者の反対運動にもかかわらず、強制隔離政策を維持した改正「らい予防法」を制定した。


その後、「らい予防法」は1996年まで存続し、日本の隔離政策は1907年から90年間続いたのであった。


 

2 ハンセン病政策の特徴

以上のようなハンセン病政策の本質は「患者の絶滅」であり、その具体的態様は、①強制的に離島・へき地の療養所に収容して外部との交流を厳しく遮断すること(完全隔離)、②症状、家庭内療養手段の有無、感染性の有無を問わず、患者全員を隔離すること(絶対隔離)、③退所を厳しく制限して、終生の隔離を行うこと(終生隔離)、④子孫を絶つための優生手術を強制すること(絶滅政策)であった。


また、貧困な療養所運営を補うために患者作業を強制したため、ハンセン病の後遺症を悪化させ、手指・手足に大きな障がいを残す者が多数生じたことや、戦後、ハンセン病特効薬が登場しても、ハンセン病療養所以外での使用を認めず在宅治療の機会を与えなかった点も、日本のハンセン病政策の特徴として挙げられる。


なお、らい予防法上は軽快退所の制度はなかったものの、特に有効な治療薬が普及した戦後には、相当数の者が療養所を出て社会で生活している。しかし、終生隔離政策が変更されず維持されたばかりか、法廃止後も差別解消を始めとする被害回復のために必要な施策が講じられなかったため、退所者らは罹患歴を秘匿せざるを得ず、必要な医療を社会内で受けられない等、困難を強いられた。 

 

3 国家賠償請求訴訟

1996年、らい予防法は廃止されたが、既に入所者は高齢で、患者作業による後遺症が重篤な者も多く、家族関係を断絶させられた入所者が、社会復帰することは著しく困難であったことに加え、強制隔離政策によって被った入所者及び退所者らの甚大な被害について、国は何らの責任も取らず、その名誉も回復されなかった。


そのため、1998年7月「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟が熊本地方裁判所に提起され、2001年5月11日、同地裁は、らい予防法は、1953年の制定当時からハンセン病予防上の必要を超えた過度な人権の制限を課すもので、公共の福祉による合理的な制限を逸脱しており、遅くとも1960年以降は、すべての患者の隔離の必要性が失われたから、厚生省は隔離政策の抜本的な変換をする必要があったのに、それを怠ったことは違法であり、国会も遅くとも1965年以降に隔離規定を改廃しなかった立法不作為に違法があるとして国の責任を認め、原告らの被った被害は、「人生被害」であるとして、憲法上の人格権等の侵害による国家賠償責任を認める判決を下した。


同判決について、2001年5月23日、政府は控訴断念を表明し、内閣総理大臣談話として、今後の方針(補償立法、名誉回復・福祉増進、定期協議)を示した。

 

4 検証会議

ハンセン病隔離政策を検証し、再発防止提言を行うために、「ハンセン病問題に関する検証会議」が設置され、2002年10月から調査が実施されたが、その間には、菊池恵楓園入所者が元ハンセン病患者であることを理由にホテル宿泊を拒否されるという事件が発生するなど、差別偏見の根の深さを示した。


2005年3月、検証会議の最終報告書の「再発防止提言」では、公衆衛生政策等の政策等による人権侵害の再発を防止するため、医療における自己決定権及びインフォームド・コンセントの権利などを中心とした患者・被験者の諸権利を法制化すること等が掲げられた。
 

5 再発防止検討会

また、検証会議の提言の実現に向けて、「ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会」が設置され、2009年4月の報告書では、「患者の権利に関する体系」がまとめられ、患者の権利擁護の観点を中心とした医療関係諸法規の整備と医療の基本法の法制化に向けた提言がなされた。
 

6 当連合会の取組

当連合会は、2001年6月「ハンセン病患者であった人々の人権を回復するために」(勧告)において、国に対して、終生在園の保障と療養所の医療・看護体制などの整備充実を求め、2005年9月にも再度の勧告をしたほか、2008年1月には「国立ハンセン病療養所の将来構想に関する会長声明」、同年6月には「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律に関する会長談話」を明らかにしている。


当連合会は、長らく本被害を見過ごしにしてきた自らの責任を自覚し、ハンセン病の患者であった人々の人権が確実に回復されるための取組が必要であることを銘記して、これまで取組を進めてきた。患者の権利法の制定もこの取組の一環である。
 

7 小括

ハンセン病問題は、現在も解決されていない。ハンセン病は治癒しているものの、療養所入所者たちは、長年にわたる隔離によって、療養所を退所して社会復帰をはかることが極めて困難となっている。さらに、HIV感染者を始めとする感染症患者や精神疾患を有する患者らに対しても、差別偏見や、医学的合理性を欠いた過度の制約は今もなお行われがちである。ハンセン病問題は、現在、将来にわたる教訓として生かしていかなければならない。そのために、この教訓を患者の権利法として明文化し制定することが求められている。 

 

 

第4 患者の権利の法制化への取組

1 患者の権利に関する法律についての世界の動き

1981年、ポルトガルで開催された第34回世界医師会総会において、「患者の権利に関するリスボン宣言」が採択され、これが患者の権利に関する国際標準として広く受け入れられ、現在に至っている(1995年の第47回総会で改訂)。


アメリカでは、1960年代から、「患者の権利」として、議論され、世界の先駆けといわれている。1972年には、ベス・イスラエル病院(ボストンにある。)が、医療機関として初めて「患者としてのあなたの権利」を掲げ、1973年米国病院協会が「患者の権利章典」を制定した。その後、多くの州で患者の権利が法制化されていった。


ヨーロッパでは、1970年代から患者の権利に関する議論が始まり、1980年代には、北欧諸国で患者の権利に関わる立法がなされ、1992年にフィンランドで、最初の独立した患者の権利法が制定された。1994年には、WHOヨーロッパ会議において「患者の権利の促進に関する宣言」が採択されたのを受けて、1997年のアイスランド、1998年のデンマーク、1999年のノルウエーなど、各国で、患者の権利法の制定が続いた。

 

2 我が国の動き

上述のような世界の動きを受け、我が国において患者の権利に関する議論が本格化したのは、1980年代半ばである。1984年には患者の権利宣言全国起草委員会による「患者の権利宣言案」、1989年には全国保険医団体連合会の「開業医宣言」が明らかにされ、1990年には、日本医師会が「『説明と同意』についての報告」をまとめ、1991年には日本生活協同組合連合会医療部会が「患者の権利章典」を明らかにし、1991年には患者の権利法をつくる会が「患者の諸権利を定める法律要綱案」を取りまとめた。

 

そして、第二次医療法改正附則第2条を受けて1993年に設置された「インフォームド・コンセントのありかたに関する検討会」が、1995年にまとめた最終報告書は、インフォームド・コンセントを医療の中核と位置付け、これを受けて、1997年の第3次医療法改正によって、同法1条の4第2項において「医師、歯科医師、薬剤師、看護婦(現行法では、看護師)その他の医療の担い手は、医療を提供するに当たり、適切な説明を行い、医療を受ける者の理解を得るよう努めなければならない」と定められるに至った。他方、患者の権利の中核である自己決定権は、2000年のエホバの証人輸血拒否事件、2001年の乳房温存療法事件などの最高裁判決によって、確立した判例となっている。


このような動きの中で、1997年、薬害HIV事件を契機として設置されたNIRA(総合研究開発機構)研究報告は、「患者の権利に関する法律」の制定を提唱した。ハンセン病問題を契機とした動きは、第1に記載したとおりである。2009年には、安心社会実現会議報告「安心と活力の日本へ」において、患者の権利について定める医療の基本法が提言され、2010年には、日本医師会医事法関係検討委員会答申「患者をめぐる法的諸問題について-医療基本法のあり方を中心として」が取りまとめられている。

 

3 当連合会の取組

当連合会も長年、患者の権利の法制化を求めてきた。


1971年の第14回人権擁護大会において「医療にともなう人権侵犯の絶滅に関する件(宣言)」を始めとして、1980年の第23回人権擁護大会では、「『健康権』の確立に関する宣言」とともに、「『人体実験』に関する第三者審査委員会制度の確立に関する決議」を採択した後、1992年の第35回人権擁護大会において「患者の権利の確立に関する宣言」を採択して、患者の権利に関する法律の制定を求めた。その後、1998年第41回人権擁護大会で「医薬品被害の防止と被害者救済のための制度の確立を求める決議」、2003年第46回人権擁護大会で「人の誕生や受精卵・胚に関する先端医療・医科学研究のルール策定を求める決議」を各採択し同法の制定を求めたことを経て、2008年第51回人権擁護大会において、「安全で質の高い医療を受ける権利の実現に関する宣言」を採択して、「安全で質の高い医療を受ける権利、インフォームド・コンセントを中心とした患者の自己決定権などの患者の権利、並びに、この権利を保障するための国及び地方公共団体の責務などについて定めた患者の権利に関する法律を制定すること」を求めたものである。

 

第5 患者の権利法の提案

ハンセン病問題が与えた歴史的教訓を踏まえ、患者の権利が十分に保障されていない現状を解決し、すべての人が等しく安全で質の高い医療を受けることができる医療保障制度の基盤となる理念として、患者の権利に関する法律を制定することが求められている。当連合会は、患者の権利に関する法律は、次に述べる権利の保障を中核とするものでなければならないと考える。これは、過去、現在の患者の権利の置かれた状況を踏まえ、当連合会の長年にわたる取組の成果に基づくものである。


 

1 常に人間の尊厳を侵されないこと。

人間の尊厳は、基本的人権の中核をなす不可侵の普遍的権利である。


医療は、本来、身体及び精神の健康を守り、人が尊厳をもって生きるために奉仕するものであるが、医療行為自体がもつ侵襲性、専門性、入院や治療に伴う自由の制限、医療従事者と患者との間の知識や情報の格差等より、患者の人間の尊厳を脅かしやすい性質を内在している。


また、医療に関する患者の情報は、極めて慎重な扱いが必要であり、プライバシーが十分に保護されない場合、深刻な人権侵害を引き起こしかねない。


さらに、人対象研究においては、人間を目的のための手段として用いるという意味で、それ自体が人間の尊厳に対する侵害となり得る。


こうした医療の性質を考えたとき、人間の尊厳の不可侵は、患者の権利保障の根本として、法律により確認されるべきである。 

 

2 安全で質の高い医療を平等に受ける権利を有すること。

身体及び精神の健康の享受は、基本的人権の保障の前提というべきものであり、日本国憲法25条も「健康で文化的な生活」を保障している。


この身体及び精神の健康の享受を現実に保障するためには、あらゆる社会的関係における差別を禁じる日本国憲法14条の下、すべての人に、医療を受けること自体が権利として保障されなければならないことはいうまでもない。この平等な医療の実現のためには、国や地方公共団体は、単に差別を禁じるだけでなく、本権利の保障を実質的に実現するための施策を講ずることが求められる。経済的な理由から医療保険料の支払、あるいは自己負担分の支払を負いきれなかったり、更には、医療保険に加入できないことなどから医療を受けられない、あるいは、医療を受けることを差し控える者を生まないよう、医療保険制度を拡充することはもとより、社会保険制度全体の中で空隙を生まない制度を構築すること、さらに、地域によって医療を受けられない者が生じないよう、医療供給体制の拡充をはかることも、国や地方公共団体の責務である。


さらに、すべての人に保障されるべき医療は、国際人権A規約12条が規定する到達可能な最高水準の身体及び精神の健康の享受を実現することに資するもの、すなわち、質の高い医療でなければならない。他方、医療行為の多くは侵襲性を伴う。また、診断や治療方法の選択の前提となる医学的な知見や医療技術の不確実性、医薬品の副作用、そしてヒューマンエラーなど、医療には、様々な危険が内在している。こうした危険を可能な限りコントロールして安全性を確保しながら、治療の目的等を達成することは、医療行為が社会に許容されるための不可欠の前提であって、すべての人に保障されるべき医療は、安全でなくてはならないのである。


この安全な医療の保障には、事故から学び、その再発の防止を考えることが不可欠であり、本項の権利を保障するための具体的な施策として、医療事故調査制度の整備が求められる。

 

3 疾病又は障がいを理由として差別されないこと。

日本国憲法14条1項は、不合理な全ての差別を禁止している。国際人権A規約2条2項、同B規約でも差別的扱いを禁止している。しかし、我が国では、ハンセン病患者に対する隔離政策やエイズ予防法の制定、精神病患者に対する不必要な隔離など、病気や障がいをもつ人々を差別し、偏見を助長する政策がとられてきた歴史と現実がある。それゆえに、患者の権利として、すべての人が、医療機関、職場その他、社会的なすべての場面において、疾病や障がいを理由に差別されないことを権利として保障することを明確にすべきである。

 

4 インフォームド・コンセント原則が十分に実践され、患者の自己決定権が実質的に保障されること。

日本国憲法第13条は、自己決定権を保障するものである。この保障は、医療においても同様であり、どのような医療を受けるかについての決定権は、拒否する権利を含めて、治療を受ける者自身、すなわち患者に帰属するものとして保障されなければならない。医療における自己決定権は、患者の権利の中核をなす権利である。


このような医療における自己決定権を実質的に保障するためには、まず、すべての人に自己の生命・身体・健康などに関わる情報を知る権利が保障されなければならない。その対象は、個々の治療に関する事柄のみならず健康の保持やそのための生活・行動に関する自己の決定を支える前提として、広く医療制度自体や、医薬品、医療機関、保険制度などにも及ぶ。この権利を保障するためには、患者本人に対する診療録等の一切の医療記録の開示、医療情報や医薬品に関するリスク情報を医療従事者や患者に適切に届けるシステムの整備などが重要である。


こうした情報提供を前提に、真に自己決定権を保障するためには、説明によって内容を理解し納得することが不可欠である。それゆえ、この権利を実質的に保障するためには、医療従事者が十分な説明を行うことができる体制やセカンドオピニオン体制の整備、患者の年齢や発達の程度、障がいの有無、使用する言語等に応じて適切なコミュニケーションを図るための援助が得られる体制の整備が必要である。


他方、自己決定権が行使できない患者についても、それゆえに医療を受ける権利が奪われてはならない。自己決定権が行使できない患者については、その者の意思を汲みながら、必要な医療の提供ができるよう、救急時の対応を含めた制度を整備することが求められる。 

 

5 可能な限り、通常の社会生活に参加し、通常の私生活を営む権利を有すること。

本来、通常の社会生活や私生活を営むことは個人の尊厳と深く関わる事柄であり、それが保障されるべきことは自明のものというべきであるが、現実には、患者であるというだけで、必要以上の制約を受けることも少なくない。とりわけ、精神医療の分野では、その必要性の有無と制約の程度に関しての吟味がなされないまま、合理的な制限を超えた施設収容や隔離が行われている現実がある。また、小児医療においては、入院により家族や友人との交流が妨げられたり、遊びや就学の機会を制限されたりするなど、子どもの成長・発達への配慮が十分とはいい難い現状が存在する。病を得て医療を受けることが必要となった場合であっても、個人の私的生活における自由を保障し、また、その水準として健康で文化的な生活が保障されなければならない。治療のために必要な制約以上に、その私的生活を制約され、あるいは、社会生活への参加を制限される理由はない。こうした、医療を受けるに当たって、医療目的達成に必要で合理的な制約を超えた私生活や社会生活の制約を受けない権利が保障されなければならない。

 

6 国及び地方公共団体は、上記の患者の権利を保障するための施策を実施する責務を負うこと。

患者の主体性の確立は、かつてのパターナリズムに基づく医療の在り方を患者主体の医療に転換する上で極めて重要な点であり、患者の医療への参加は医療政策の立案や、医療機関における医療の改善(医療、情報提供、苦情受付との改善など)に対しても、広く保障される必要がある。この権利によって医療政策立案から医療現場まで、医療従事者とともに患者が主体として行動することにより、初めて患者の各権利が保障されるといえる。国及び地方公共団体は、患者が医療政策立案などへの参加の権利を行使しやすいよう制度整備することを求められており、医療機関においても、そうした手続による患者の主体的参加を保障し、促進することが必要である。また病気やその治療・予防、健康の維持、医療制度、及び地域の医療提供体制について理解することが必要であるから、国や地方公共団体は、教育を含む学習の機会の充実、情報の提供、学習施設の拡充などに取り組むことも求められる。


また、国・地方公共団体は、患者の権利を保障し得る医療保障制度の確立の責務を負うものである。具体的には、医療提供体制について、医療施設等の適切な配置、必要とされる診療科目の確保、医療従事者の適切な養成と配置を行ってそれらの不足を解消するとともに、個別医療機関における患者中心の最善の医療の実現等に努めなければならず、患者の権利の保障のための制度、手続について定め、また、そうした保障が実現できる財政面も含めた基盤の整備も行わなければならない。さらに、こうした医療を広くすべての人が利用できるよう、国民皆保険制度を始めとする医療保険制度についても拡充する責務を負う。
 

 

第6 結び

我々一人ひとりの何よりも大切な命を守るために、医療は必要不可欠であり、誰もが、いつでも、どこでも、等しく、安全で質の高い医療を受けることができなければならない。同時に、その医療は、人間の尊厳を守り、我々一人ひとりが幸せな人生を送ることに資するものでなければならない。


しかし、我が国の医療は、この患者の権利が十分には守られていない現状にあり、患者の権利の視点にたって、医療提供体制、医療保険制度などの医療保障制度を構築することが必要不可欠である。ところが、我が国には、患者の権利の保障という、この医療の基本的な理念を確認する法律がない。


大震災に見舞われた今年は、国のハンセン病隔離政策を違憲とする判決から10年になる。今こそ、我々の生命、健康、人生、そして社会の基盤となる医療の基本理念を定める患者の権利法を制定しなければならない。

以上