いわゆる「参院選大規模買収事件」における不正な検察権の行使に関する会長声明


2019年に実施された参議院議員選挙に関する公職選挙法違反事件(いわゆる「参院選大規模買収事件」)において、東京地方検察庁特別捜査部の検察官らが、不起訴や強制捜査を示唆することにより、検察の描いた事件の構図に沿って、記憶と異なる供述をさせるような取調べ及び「証人テスト」を行っていた事実が、録音データにより明らかになった旨報道されている。報道によれば、検察官らは、元法務大臣から受領した現金が買収資金であるとの認識を否定する供述をしていた市議会議員に対し、①取調べにおいて、否認しなければ不起訴にすることや、否認すれば強制捜査の可能性があることを示唆して、買収資金と認める内容の供述調書に署名押印させ、その後、修正に応じず、②買収資金の認識を否認する供述を意図的に記録せずに、取調べの一部を録音・録画し、③12回にわたり実施した元法務大臣に対する被告事件の公判の「証人テスト」において、供述調書のとおり「買収された」と証言するよう繰り返し誘導し、一問一答方式で証人尋問のリハーサルを行い、口止めをするような発言も行っていたとされる。


公判や供述調書において記憶と異なる供述をさせることは、虚偽の証拠の作出にほかならない。一連の検察官らの行為は、検察の描いた事件の構図に沿って有罪判決を獲得するために、検察官に与えられた訴追や強制捜査の権限を濫用して虚偽の証拠を作出したものであり、不正な検察権の行使であることが明らかである。


当連合会の「arrow_blue_1.gifえん罪を防止するための刑事司法改革グランドデザイン(2022年度版)」(2022年11月16日付け)や「arrow_blue_1.gif刑事訴訟法附則第9条に基づく3年後見直しに関する意見書」(2022年1月20日付け)でも述べているように、録音・録画を行っていない在宅被疑者の取調べにおいて虚偽自白・供述が強要されていること、犯罪の嫌疑を認める供述をすることと引き換えとした不起訴が「共犯者」をえん罪に陥れているおそれが大きいこと、合意制度(いわゆる「司法取引制度」)の創設の際に違法となることが確認された「事実上の取引」が行われていることが強く疑われることや、「証人テスト」において検察官が証人と証言内容を記載した書面の読み合わせをしたり、書面を証人に持ち帰らせたりしている事例のあることは、従前から指摘されていたことである。今回、録音データにより、このような取調べや「証人テスト」の実情が客観的に明らかになったものであるが、被疑者が取調べや「証人テスト」の録音に成功するのは容易でないことも考慮すると、この事件に限られたものとは到底考えられない。


現在、「改正刑訴法に関する刑事手続の在り方協議会」において、取調べの録音・録画制度等が創設された2016年改正刑事訴訟法の見直しの議論が行われているが、今回明らかになった取調べの実情を踏まえれば、在宅被疑者の取調べを含む全ての取調べについて録音・録画を義務付ける必要性のあることは、疑問の余地なく明らかである。また、合意制度の創設の際に違法となることが確認された「事実上の取引」について、禁止されていることをより明確にし、その周知徹底を図ることも必要であるし、「証人テスト」についても、検察官に与えられた権限の影響により記憶と異なる証言をさせることとならないよう、規律を設ける必要がある。


検察の描いた事件の構図に沿って有罪判決を獲得するために、権限を濫用して虚偽の証拠を作出した今回の検察官らの行為は、2010年に無罪判決が確定した郵便不正・厚生労働省元局長事件(村木事件)で発覚したものと同様の不正の繰り返しである。同様の不正は、2021年に無罪判決が確定したプレサンス事件においても、明らかになっている。検察は、2011年に基本規程(検察の理念)を制定し、検察の運用による取調べの可視化を拡大するなどの「検察改革」に取り組んできたが、にもかかわらず同様の不正が繰り返されているのであるから、事態は極めて深刻である。このような不正な検察権の行使は、事案の真相を歪め、市民の自由を侵害するものであり、これを抑止することは、刑事司法の喫緊の課題である。


検察においては、従前から同様の不正の疑いが指摘されていたことを真摯に踏まえ、他の事件を含めて調査を尽くし、その結果を公表して、再発防止に努めるべきである。そして、同様の不正を防止するために、直ちに全ての取調べの録音・録画を開始し、「証人テスト」についても客観的に記録されるようにすべきである。また、被疑者による録音を妨げることは、適切とはいえない。


弁護人は、それぞれの依頼者である被疑者・被告人の権利及び利益を擁護する立場から、防御権に対する違法又は不当な制限に対し必要な対抗措置を採るように努めるなど、検察官の反対当事者として、検察権の行使を厳しくチェックしなければならない。当連合会は、弁護人がその役割を十分に果たすことができるよう、会員に対する研修や情報提供に努める所存である。


そして、不正な検察権の行使を抑止し、市民の自由が不当に侵害されないようにするためには、裁判所の役割が果たされなければならない。供述証拠の作出を防止するためには、作出された供述で有罪認定をすることのないよう、裁判所において、供述証拠の危険性を踏まえ、十分な裏付け証拠があるかどうかを吟味し、慎重な信用性判断をすることが必要である。違法な捜査を防止するためには、裁判所が、違法な捜査により収集された証拠を排除し又は訴追を無効とすることが必要である。強制捜査権限の濫用により、検察の描いた構図に沿って記憶と異なる供述をさせることを防止するためには、逮捕・勾留を始めとする強制捜査の必要性や相当性を厳しくチェックすることが必要である。検察官の意見に過剰に影響され、検察の描いた構図に沿った供述をしない被疑者・被告人を長期間拘禁するような勾留・保釈の運用は、虚偽の供述の作出を助長するものである。検察権を抑制し、市民の自由を守ることは、憲法で独立性が保障された裁判所に本来期待されている役割である。


当連合会は、不正な検察権の行使が繰り返されてきたことを踏まえ、全ての事件について取調べの録音・録画を義務付けるなどの刑事司法制度の改革を進めるとともに、検察官、弁護人及び裁判所が、それぞれ本来期待されている役割を果たすことによって、事案の真相を歪め市民の自由を侵害する事態の再発防止に全力で努めることを求めるものである。



2023年(令和5年)8月2日

日本弁護士連合会
会長 小林 元治