労働基準法施行規則の一部を改正する省令案(資金移動業者の口座への賃金の支払の解禁)についての会長声明


本年10月26日、厚生労働大臣は、労働政策審議会に、資金移動業者の口座への賃金支払(以下「賃金ペイ払い」という。)解禁を内容とする「労働基準法施行規則の一部を改正する省令案要綱」を諮問し、同審議会はこれに対し、おおむね妥当と答申した。同制度提案に関しては、本年9月13日の厚生労働省労働政策審議会労働条件分科会において、「資金移動業者の口座への賃金支払について 課題の整理⑦」(以下「課題の整理」という。)が公表され、その中で具体的な検討の方向性が示されている。


賃金ペイ払いについては、2021年4月19日の厚生労働省労働政策審議会労働条件分科会において制度設計案が示された。これに対し当連合会は、同年12月16日付け「arrow_blue_1.gif資金移動業者の口座への賃金の支払に関する意見書」で、同制度設計案は、現金払いと同等の労働者保護が確保されておらず、不適切な業者の参入、不正利用の際の補償、個人情報やプライバシー等への悪影響、悪質取引の決済への使用等といった事態への適切な対応も図られていないため、これらの問題を解決することなく導入することに反対する意見を表明した。


今回の省令案は、昨年の制度設計案を基本的に踏襲するものであり、これに対する当連合会の意見は、上記意見書で示したとおりである。


賃金の払込口座は、労働者の生活の糧が保管されるものであり、代替措置も含めて、銀行預金口座と同程度の保護の仕組みが制度として整備されていなければならない。この点、「課題の整理」中の検討の方向性では、保証会社(業法規制が存しない)又は保険会社により口座残高全額を速やかに労働者に弁済する仕組みが提案されているが、かかる仕組みが適切に機能するためには、保証会社及び保険会社に対し、厚生労働省による適切な監督が及ぼされる必要がある。しかし、省令案ではこの点の実効性が不明である。


また、賃金ペイ払いは、出資の受入れ、預り金及び金利等の取締りに関する法律の預り金規制に抵触しないよう運営される必要があるところ、現行の資金決済に関する法律(以下「資金決済法」という。)では、為替取引に関係しない利用者の資金の保有は(100万円以下の保有を含め)認められていない(51条、資金移動業者に関する内閣府令30条の2)。この点は、金融庁による監督とともに、厚生労働省においても、指定要件や継続的な監督を確保する必要があるが、省令案ではこの点の実効性も不明である。


不正利用における補償については、労働者に帰責事由がない場合に補償する仕組みを想定している。しかし、問題は、労働者に過失がある場合の補償であり、この点については、偽造カード等及び盗難カード等を用いて行われる不正な機械式預貯金払戻し等からの預貯金者の保護等に関する法律と同水準の補償制度が整備される必要がある。


個人情報やプライバシーの保護については、「課題の整理」中の検討の方向性において、資金移動業者には、銀行と同様に、個人情報の保護に関する法律や各種ガイドライン等に基づき、個人利用者情報の安全管理措置等を講じることが求められているとされるが、銀行と同様の規律を求めるのであれば、他の兼業業務への個人情報利用に際して、個人の同意の取得が必要であるところ、この点が明確でなく問題である。


さらに、資金移動業者の口座が労働者の生活を支える決済手段として利用され得るにもかかわらず、悪質取引の決済への利用への対応は何ら示されておらず、他の決済手段(前払式支払手段、クレジット取引)に比して利用者保護の観点が不十分である。


資金決済法はもともと比較的緩やかな規制であるため、労働者保護の観点からは不十分である上、為替取引という本来の資金移動業の規制枠組みを超えて預金に準ずる機能を事実上許容することにつながりかねない。これらは本来、資金決済法の改正による対応が必要と考えられる。また、指定要件における利用限度額を低額に抑える等、労働法制上の規制によって手当てが可能な部分についても、省令案は十分とは言い難い。


現状において、個人が銀行預金口座から資金移動業者のアカウントに資金を移動することは容易であって、各個人の利用目的に合わせた自由なキャッシュレス決済の利用は保障されている。キャッシュレス決済の拡大という経済政策・目標は、公正な競争環境の下、各事業者が営業努力により顧客誘引力を高める中で、これに伴いもたらされる利便性の拡大によって、顧客の自由な選択の結果として実現すべきものである。


したがって、このような多くの問題を解決することなく賃金ペイ払いを導入することに反対する。



2022年(令和4年)11月2日

日本弁護士連合会
会長 小林 元治