大逆事件死刑執行100年の慰霊祭に当たっての会長談話

1910年(明治43年)、明治天皇の殺害を計画したとして幸徳秋水ら26名が刑法73条の皇室危害罪=大逆罪(昭和22年に廃止)で大審院に起訴された。大審院は審理を非公開とし、証人申請をすべて却下した上、わずか1か月ほどの審理で、1911年(明治44年)1月18日、そのうち2名について単に爆発物取締罰則違反罪にとどまるとして有期懲役刑の言渡しをしたほか、幸徳秋水ら24名について大逆罪に問擬し、死刑判決を言い渡した。死刑判決を受けた24名のうち12名は翌19日特赦により無期懲役刑となったが、幸徳秋水を含む残り12名については、死刑判決からわずか6日後の1月24日に11名、翌25日に1名の死刑の執行が行われた。いわゆる大逆事件である。本年は死刑執行から100年に当たる。

 

幸徳秋水らが逮捕、起訴された1910年(明治43年)は、同年8月に日本が韓国を併合するなど絶対主義的天皇制の下帝国主義的政策が推し進められ、他方において、社会主義者、無政府主義者など政府に批判的な思想を持つ人物への大弾圧が行われた。そのような政治情勢下で発生した大逆事件は、戦後、多数の関係資料が発見され、社会主義者、無政府主義者、その同調者、さらには自由・平等・博愛といった人権思想を根絶するために当時の政府が主導して捏造した事件であるといわれている。戦後、大逆事件の真実を明らかにし、被告人となった人たちの名誉を回復する運動が粘り強く続けられた。

 

死刑執行から50年の1961年(昭和36年)1月18日、無期懲役刑に減刑された被告人と、刑死した被告人の遺族が再審請求を行い(棄却)、1990年代には死刑判決を受けた3人の僧侶の復権と名誉回復がそれぞれの宗門で行われ、2000年(平成12年)12月には幸徳秋水の出生地である高知県中村市(現在、四万十市)が幸徳秋水を顕彰する決議を採択、2001年(平成13年)9月には犠牲者6人を出した和歌山県新宮市が名誉回復と顕彰を宣言する決議を採択した。

 

また、当連合会は、1964年(昭和39年)7月、東京監獄・市ヶ谷刑務所刑場跡慰霊塔を建立し、大逆事件で12名の死刑執行がなされたことへの慰霊を込め、毎年9月、当連合会と地元町内会の共催で慰霊祭を開催してきた。

 

政府による思想・言論弾圧は、思想及び良心の自由、表現(言論)の自由を著しく侵害する行為であることはもちろん、民主主義を抹殺する行為である。しかも、裁判においては、上記のとおり、異常な審理により実質的な適正手続保障なしに、死刑判決を言い渡して死刑執行がなされたことは、司法の自殺行為にも等しい。大罪人の汚名を着せられ、冤罪により処刑されてしまった犠牲者の無念を思うと、悲しみとともに強い怒りが込み上げてくる。

 

当連合会は、大逆事件を振り返り、その重い歴史的教訓をしっかり胸に刻むとともに、戦後日本国憲法により制定された思想及び良心の自由、表現(言論)の自由が民主主義社会の根本を支える極めて重要な基本的人権であることを改めて確認し、反戦ビラ配布に対する刑事弾圧や「日の丸」・「君が代」強制や、これに対する刑事処罰など、思想及び良心の自由や表現(言論)の自由を制約しようとする社会の動きや司法権を含む国家権力の行使を十分監視し続け、今後ともこれらの基本的人権を擁護するために全力で取り組む所存である。また、政府に対し、思想・言論弾圧の被害者である大逆事件の犠牲者の名誉回復の措置が早急に講じられるよう求めるものである。

 

2011年(平成23年)9月7日

日本弁護士連合会
会長 宇都宮 健児