日米地位協定に関する談話

日弁連は、1972年(昭和47年)5月15日の沖縄の本土復帰以前から、沖縄問題について度々調査団を派遣し、その人権侵害状況を調査するとともに、調査結果に基づき、数度にわたり宣言・決議をするなど重視したきた。


復帰後も、1972年(昭和47年)度に、那覇市において、第15回人権擁護大会を開催し、「沖縄の軍事基地の整理・縮小と早期撤廃に関する件」につき決議をした。


1976年(昭和51年)には、第19回人権擁護大会において、「いわゆる日米地位協定の改正を含めた再検討を求める決議」をし、1986年(昭和61年)には、那覇市において定期総会を開催し、「沖縄の基地被害の根絶と基地の整理・縮小等を求める決議」をし、政府及び国会に対し、復帰時の公約を守るよう求めた。


今回、去る9月4日に発生し米兵による女子小学生拉致・暴行事件についても、日米地位協定の不平等性を指摘し、改正を含む見直しを求める会長談話を発表したが、この事件を契機として開催された10月21日の県民集会において、9万余人もの県民が集われたということは、戦中、戦後を通じて一貫して、被害者の立場におかれた県民が、永年の忍耐に耐えかねたものと推察される。 このように日弁連が、従前から指摘し、かつ、県民が熱望しているにもかかわらず、地位協定の見直しを含め、事態が一向に改善されていないのは誠に遺憾である。


このような中で、日弁連は、従来からの取り組みに引き続き、人権侵害を予防し、不平等を許さないための日米地位協定の見直しにむけて、沖縄県民の心情を十分理解し、重点的に取り組むため、訪沖し、現地調査する必要があると考えた。


昨日、今日の調査や会談は、調査として緒についたばかりで、まだまだ不十分なものであり、今後も調査を継続する予定であるが、基地の存在による沖縄県民のおかれている人権侵害状況のひどさや、地位協定見直しにかける熱意については、十分に理解することができたと考え、これを今後の日弁連の活動の中に十分生かしていく所存である。


1995年(平成7年)12月22日


日本弁護士連合会
会長 土屋公献