厚生省による「臓器移植法案(仮称)要綱(案)」への追加項目及び指針骨子案に関する見解

1.

「臓器移植法案(仮称)要綱(案)」に関し、厚生省は、1994年1月11日、「脳死体への処置」なる項目を要綱案に追加し、また要綱案の「運用等」を示す「脳死体からの場合の臓器摘出の承諾等に係る手続についての指針骨子(案)」(以下、指針骨子案という)をまとめた。要綱案の追加項目は、いわゆる「脳死」判定後に「脳死体への処置がされた場合」に判定前の医療の給付としてされたものとみなして保険を適用する旨定め、また指針骨子案は、家族に対する「脳死」の説明や本人の意思の「忖度」の基準など「臓器摘出の承諾手続についての具体的指針」その他をまとめたものである。 当連合会は、要綱案のその余に対しては既に1993年12月10日付で会長声明を発表しているので、ここでは、厚生省の今回の動きに的を絞って、基本的な考え方を述べることにする。


2.

当連合会は、現段階で「脳死」を人間の死とする社会的合意は成立していないから「脳死」を人間の死と認める要綱案の基本的立場は誤っていると考える。要綱案の追加項目は、「脳死」状態で家族の要望や医師の考えに基づき医療現場で続けられる人工呼吸その他の治療の費用についても保険を適用する旨定めるものと解されるが、これは、要綱案が、その基本的立場にもかかわらず、救急医療現場の医師や家族の多くが「脳死」を人間の死と認めていない実情を配慮せざるを得ないためと思われ、「みなす」との文言で器用に区別しようとはするものの、その基本的立場の綻びを示すものである。またもしこの追加項目が摘出臓器保存処置のみの規定であるとすれば、要綱案は、「臓器移植の基本的理念」にもかかわらず、「脳死」状態での人工呼吸その他の治療に保険を適用しない旨示唆することで間接的ながら摘出の方向へ圧力をかけるものというべく、「脳死」を死と認めない患者や家族の人権を侵害すること甚だしいものである。


3.

指針骨子案は、厚生省保険医療局が設置した「臓器提供手続に関するワーキング・グループ」が「検討を行ない案をとりまとめ」たものとされるが、そのメンバーは医学関係者9名のみで、1993年12月13日から1994年1月6日までわずか3回の会合で作成されている。各専門分野や社会の多様な考えを公正かつ十分に反映させて検討した結果とは到底いい難い。 その結果、指針骨子案は重大な問題点をはらんでいる。


4.

指針骨子案の内容の基本的な問題点は次の通りである。


  1. 脳死判定と説明」では、家族に対し「脳死が人の死であること」の説明を求めているが、「臨時脳死及び臓器移植調査会」答申多数意見の「脳死」を「人の死」とする論理が破綻しているのに、現場に対し一体何をどう説明させようというのであろうか。また、その説明につき「理解が得られているものとする」とあるが、家族の理解が得られない場合に「脳死判定」を行なわないことを明確に規定していない。さらに「脳死判定基準」で脳循環・代謝の途絶について何ら言及すらしないのは、あるべき公正な学問的態度とはいいかねる。
  2. 「脳死判定の記録」では、5年間の保存とするが短すぎる。また記録の閲覧のみで謄写を認めないのは不当である。
  3. 「臓器提供施設」では、「最初の数例」のみ「大学付属病院(本院)」等に限ると定めるが、「最初の数例」以外のドーナーはより緩い扱いでもよいというがごとくであり、患者に対する人権感覚のない本音を垣間見せるものである。
  4. 「臓器提供の適応」では、主治医に「移植のための臓器摘出に関しての医学的適応」を検討させると定めるが、主治医の救命・蘇生義務ないし努力と矛盾するので、救急医療に対する社会の信頼を揺るがしかねないように思われる。この点は、次の 5. 6. 7. についても同様である。
  5. 「臓器提供の機会があることの告知等」では、本人が臓器提供の意思を表示しているかどうかを「主治医等」が「遺族等」に聞く際、「本人の意思表示・意思伝達が著しく困難な場合や判断能力に障害を有していた場合等においては、特に確認を十分に行なう」とするが、このような場合は端的に提供の意思したがって提供が認められないとするべきではないか。
  6. 「説明者の紹介」では、主治医や移植医が説明することを結局認めているが、主治医と依存関係にある患者の家族の場合、承諾の任意性は担保されないし、移植医の説明は提供の公正さを疑わしいものにする恐れがある。
  7. 「承諾の意思の確認」では、「遺族は、承諾するに当たっては、本人の意思の尊重の観点から、本人の意思を忖度して判断することが求められる」として、「本人の意思を忖度し承諾可能な具体例」を掲記している。しかし、例えば「臓器移植はすばらしいことだと言っていた」が自分はドーナーにはなりたくない例、「ドナーカード、登録について調べていた」が実情を知って不安になり登録しなかった例などをあげるまでもなく、これらはどれもどのようにも解釈できるもので基準たりえない。「もし聞いてみたら、本人の平素の言動からみて臓器提供の意思を表明したと思う」に至っては家族の恣意を許すに等しい。「本人の意思が最大限に尊重されなければならないものと考え」、「本人の提供の意思」になんとかリンクさせていた「臨時脳死及び臓器移植調査会」答申多数意見をも逸脱する不公正な指針案であり、是が非でも移植用の臓器を確保せんとする意図が露骨なまでに現れているといわざるを得ない。
  8. 「承諾書の作成」では、「作成を行なう遺族」は「配偶者又は1親等の血族がいる場合は、これらの者のいずれかが含まれていること」としていて、「これらの者」が何を指すのか不明だが、説明を受け、理解した家族に限られるべきは当然である。

以上


1994年(平成6年)1月21日


日本弁護士連合会
会長 阿部三郎