逃亡犯罪人引渡法に関する決定について

本日、東京高等裁判所第5特別部は、現在逃亡犯罪人引渡法に基づき東京拘置所に拘禁中の張振海氏につき、中国に引渡すことができる旨の決定を下した。今後事件は、同法14条に基づき法務大臣が張振海氏を中国政府に引き渡すことが相当かどうか判断した上、引渡を命じるか釈放を命ずるか決せられることになる。


しかるにわが国は、少なくとも犯罪の一部が実行された国であり、被疑者を確保しているところから、国家主権の行使として張振海氏の行ったハイジャック事件につき裁判を行い適正な処罰を課す権利を有しているところ、この裁判に係わる主権を放棄することにつながる「犯罪人引渡し」には、きわめて慎重な配慮が必要なことはいうまでもない。


まさしく決定がいうように、「政治犯」でないとしても、「政治犯に準ずるもの」ではないか等、引渡しの「相当性」判断にあたっては、なお検討を要する多くの事項がある。


ところで請求国に引渡した場合拷問の恐れがあったり、請求国の刑事手続きにおいて、特に人権保障に欠けるものである場合や、請求国の裁判において、被請求者がその政治的意見により不利益を被る恐れがある場合は引渡請求を認めないとすることは、逃亡犯罪人引渡法第14条の趣旨であり、かつまた先進諸国においては既に共通の合意事項といっても過言ではない(拷問等禁止条約第3条、ヨーロッパ評議会閣僚委員会勧告No.R[80]9等参照)。


前記、裁判所の決定が、その理由で「中国の実情を伝える各種の証拠や書類によると、中国では捜査官憲による行き過ぎた取調べがおこなわれ、刑事裁判手続きにおいても『公正な裁判を求める国際的な準則』が保障されておらず、その傾向は天安門事件以後顕著であるとされ、人権規約の趣旨に反する扱いがなされるおそれが予見されると指摘するものが少なくない。これに対して、中国側の資料中には、その点の危惧を払拭し、あるいは本人にそのような事態が生じるおそれがないことを保証するに足りるだけの明確な資料は見あたらない。ここに問題が伏在していることを否定できない。」と述べている。


このような状況を踏まえ、安易に引渡せば取り返しのつかない事態が発生する可能性があること、この問題が既に国際的関心事となっていることを十分配慮し、いやしくも被請求者張振海氏の基本的人権を不当に侵害したとの非難を内外から招かぬよう、法務大臣に対して慎重な配慮を要望する。


1990年(平成2年)4月20日


日本弁護士連合会
会長 中坊公平 勧告No.R(80)9


ヨーロッパ人権条約批准国への犯罪人引渡に関与する批准国に対する閣僚委員会の勧告

(1980年6月27日 321回会議 閣僚委員会採択)


閣僚委員会は、ヨーロッパ会議憲章15条b項に従い、1950年11月4日付人権の保護と基本的自由に関する条約を批准していない国から請求された引渡請求に関するケースにつき、人権の保護を強化することを希望し、ヨーロッパ引渡条約3条2項に関連し、批准各国政府に対し以下のとおり勧告する。


  1. ヨーロッパ人権条約を批准していない国の政府から出された犯罪人引渡の請求であって、かつ、その請求が被請求者の人種、宗教、国籍、政治的意見を理由としてその者を訴追し又は処罰するために行われた、又はそれらの理由によって被請求者が不利な立場に置かれる可能性があると信ずるに足りる実質的な根拠がある場合には引渡請求を認めないこと。
  2. ヨーロッパ人権委員会がその施行規則36条において規定する、例えば決定が出されるまで引渡手続きを停止する要求のような、暫定的処置に従うこと。