金大中氏拉致事件について

昭和48年8月、当時、日本に在留していた金大中氏が、不法に拉致されて韓国に連行されたことは、日本国の主権が侵害されたばかりでなく、人身の自由、表現の自由等の基本的人権が侵されたものであって、われわれはこのことに重大な関心を払うとともに、氏の人権と自由の完全な回復を期待していた。しかるに、日韓両国政府のいわゆる政治決着により、人権の完全なる回復が実現しなかったことは誠に残念なことであった。


本年2月29日、氏の公民権が回復し、政治活動に復帰するに至ったことは喜ばしいことと考えていたところ、本年5月17日再び韓国官憲により逮捕・拘禁され、このたび、内乱罪、反共法違反、国家保安法違反等の罪名により起訴されるに至った。


しかも、新聞報道によれば、氏は逮捕された後、相当に過酷な取調べを受け、弁護士や家族との接見を最近に至るまで許されず、また、公訴事実の内容も裁判開始の時まで明らかにされなかったばかりか、さらには、公訴事実の内容には、純然たる政治活動、言論活動と考えられるものが含まれている。このようなことは、世界人権宣言、国際人権規約の趣旨に明白に反しているばかりでなく、公訴事実に氏の日本における言動が含まれていることは、いわゆる政治決着の趣旨にも反しているものといわざるを得ない。


世界人権宣言、国際人権規約は、基本的人権を、国家主権や国境を超えて尊重しようとする精神に貫かれているものであり、このことは国際人権規約の批准国が60ヶ国になっている現在、世界の普遍的な観念になりつつあるということができる。


われわれは、韓国政府当局が、世界人権宣言、国際人権規約の趣旨を尊重し、金大中氏の裁判について、手続的にも内容的にも、基本的人権を尊重した公正な態度をとることを切に希望する次第である。


また、日本政府に対しては、右のような観点から、氏の人権の擁護のため可能な限りの、外交的その他あらゆる努力を尽くすことを要望するものである。


1980年(昭和55年)8月21日


日本弁護士連合会
会長 谷川八郎