少年法改正に伴う日弁連の決意に関する声明

1.

本日、法制審議会少年法部会委員である遊田、内藤、鍛冶の三氏及び同部会幹事である的場、津田両氏は法務大臣に対して辞意を表明した。



同委員・幹事はこれまで一貫して「少年の健全育成と人権保障」を実現する立場から、少年法「改正」問題に取組み、少年法部会においても日弁連推せんの委員幹事として永年に亘り活躍してきた。


しかし、最近の部会審議は、重要問題の審理を十分につくす姿勢がなく、基本的な問題についてすら審議を避け、官庁間の妥協による結着のみをひたすら急ぐという運営に終始し、およそ少年の健全育成を論議するべき少年法部会らしからぬ状況であった。そして同委員・幹事らの慎重審議を求める意見も全く無視し、去る16日には、尽くすべき論議も尽さず、又何らの緊急性、必要性がないにもかかわらず、ただ部会長が予告しておいたという理由だけで一方的なスケジュールに固執し、ついに強行採決を行うまでに至ったのである。


2.

当連合会は昭和41年の法務省の少年法改正構想発表以来、少年の健全育成と人権保障の立場から、強い関心を持ち、少年法を治安維持的な法制に変質させ厳罰主義を復活させようとする法務省の姿勢に対し常に強力且つ具体的に批判するとともに、少年法部会における慎重で充実した審議の重要性を認識して、前記5名の委員・幹事を推せんした。


そもそも少年法の改正は重要な基本法制の改正であるにもかかわらず、法務省当局において、一方的に作成した要綱を示して、改正の必要性を前提として諮問が行われるという前例のないものであり又その審理を行うべき少年法部会の構成も、部会委員の多くが法務省関係者で占められるなど、少年法「改正」に対する法務省側の強硬な姿勢をうかがわせるものであったが、日弁連推せん委員・幹事はこの困難な状況にあっても終始少年と国民の立場に立って熱心且つ強力に説得力ある活動をこれまで続けて来た。


3.

ところがこのたび少年審判手続への検察官の関与、年長少年に対する厳罰指向という少年の未来を左右する重大問題について、以上のように部会において議論も十分に尽さず、又日弁連推せん委員・幹事を全く無視して、常識では信じ難い強行採決がなされるにおよび、当連合会としても「重大決意」をもって対処せざるを得なくなった。


当連合会は少年法部会からの委員・幹事の「総引き上げ」が少年法の未来は勿論、司法制度全般に与えるであろう重大な影響を十分に認識し、去る24日の全体理事会において慎重に審議した結果、少年法部会の非民主的審議、採決に強く抗議し、少年の健全育成・人権保障を忘却し、ただひたすら少年法の治安主義化、厳罰主義化を企てる法務省当局及びこれに突如妥協した裁判所当局に対して強い反省を求めるためには日弁連推せんの委員・幹事の辞任もやむなしとの結論に達した。


ここに当連合会としては、前例のないことであり、永年に亘る同委員・幹事らの活動と実績にかんがみ誠に残念でもあるが同委員・幹事の辞意を尊重する次第である。


4.

当連合会は少年法「改正」対策本部を設置し学者・教職員、父母、勤労青年、学生、家裁関係者、および少年法の運用にたずさわる者など少年の未来を真剣に考えるすべての国民に広く少年法「改正」の危険性を訴え、現行少年法の基本理念である少年の健全育成、人権保障に逆行する「治安少年法」の出現とこれによる家庭裁判所の変質を阻止するために全力を尽す所存である。


1976年(昭和51年)1月6日
日本弁護士連合会 会長 辻誠


〔参考〕少年法部会の審議経過に関する見解

1.

少年法部会は、昭和45年7月を第1回として、昭和50年12月の第59回に至るまで、5年余にわたって開催されたものの、同年2月第50回までの審議は「青年層設置の可否を巨視的に検討する」枠を属する事項に限られ、また同年5月第52回に、いわゆる植松試案が示された後は、その第1、2項の審議に限られて、同年12月第59回に至ったもので、同試案第3、4、5項については、59回に至る審議を通じて全く議題とされたことはなかった。しかもその間当局の答弁は形式的なものに始終し、論議もすれちがってかみ合わず、問題の解明を深めるといったものではなく、審議として極めて不十分なものであった。


2.

ところで、右試案が示されるに至ったのは、51回までの審議の過程の中から、要綱はそのままでは報告にたえられないものであることが明らかになり、要綱審議を中断するのやむなきにいたった収拾策として、「おおかたの意見が一致」、かつ「さしあたり改正を要する緊急事項」に限って中間報告をすることとなった結果である。


しかも、その試案は、きびしく意見の対立する要綱の論点をそのまま維持し、要綱の実質を形を変えて引継ぎ、またにわかに改正する必要のない事項にわたるものであるなど、試案作成にあたっての右の了解に全く反するものであった。


3.

試案の審議においても、官庁間の妥協に反する論議ならびに基本的な改正の必要や、試案のもたらすものについての質疑は許されず、慎重審議を求めるわれわれの意見も、完全に無視されるという状況であった。


 今回の試案は、このように全く審議を尽さないままに部会長の一方的な予告があったというだけで採決を強行し、その採決の方法も、多項目にわたる修正案を項目毎に採決しないで、一括して採決するなど、不公正きわまる。


1976年(昭和51年)1月6日


法制審議会少年法部会
委員 遊田多聞
委員 内藤文質
委員 鍛冶千鶴子
幹事 的場武治
幹事 津田玄児