第41回定期総会・司法改革に関する宣言

(司法改革に関する宣言)

国民の権利を十分に保障し、豊かな民主主義社会を発展させるためには、充実した司法の存在が不可欠である。


わが国の司法制度が日本国憲法の施行により一新されて以来40数年が経過した。


この間、司法をとりまく状況は大きく変化し、とくに経済活動の発展と行政の拡大は、国民生活の向上をもたらした反面、国民に対する人権侵害等さまざまな摩擦を生じさせている。また一般の法的紛争も増加し、その多様化、複雑化が顕著である。国民は、司法があらゆる分野において人権保障機能を発揮するとともに、各種の法的紛争が適正迅速に解決されることを強く期待している。


しかし、わが国の司法の現状をみると、この国民の期待に応えていないばかりか、むしろ国民から遠ざかりつつあるのではないかと憂慮される。今こそ国民主権の下でのあるべき司法、国民に身近な開かれた司法をめざして、わが国の司法を抜本的に改革するときである。それには、司法を人的・物的に拡充するため、司法関係予算を大幅に増額することと、司法の組織・運営に生じている諸問題を国民の視点から是正していくことが何よりも重要である。さらに、国民の司法参加の観点から陪審や参審制度の導入を検討し、法曹一元制度の実現をめざすべきである。


他方、われわれは、弁護士会に自治権能が負託されている趣旨に思いをいたし、人権擁護の使命を十分に果たしているか否かの自省を重ねるとともに、自浄努力を怠ってはならない。当連合会は、これまでに司法制度の改革、改善のため数々の提言を行ってきたが、今や司法改革を実現していくための行動こそ、弁護士と弁護士会に求められている。


当連合会は、国民のための司法を実現するため、国民とともに司法の改革を進める決意である。


以上のとおり宣言する。


1990年(平成2年)5月25日
日本弁護士連合会


提案理由

1.日本国憲法の施行により、人権保障機能を確立するために司法権の独立が強化され、これを軸として装いを新たにした司法は、基本的人権保障の砦として大きな期待を背負って発足した。


初代最高裁判所長官三淵忠彦氏は、「民主的憲法の下にあっては裁判所は真に国民の裁判所になりきらねばならぬ。国民各自が裁判所を信頼し国民の裁判所であると信ずる裁判所にしなければならない」と力強く挨拶した。


この司法改革から40数年を経た今日、わが国の経済は復興から高度成長への過程をへて国民生活を向上させたが、他方において企業活動による公害、消費者被害、環境破壊など国民に対する人権侵害も増大した。また、行政機能が拡大して国民生活のすみずみにまで及ぶに伴い、国民との間にさまざまな軋轢を生じさせるようになった。


さらに、社会の高度化、国際化の影響や国民の権利意識の変化などから、一般の民事紛争も増加し、その多様化、複雑化が著しい。


2.しかし、司法の現状をみると、日本国憲法が掲げた高い理想は大きく後退し、国民の期待に応えていないだけでなく、国民からの距離を拡げつつあるように思われる。


第一に、裁判所が国家の権力行使に対する抑制機能を著しく低下させていることが挙げられる。すなわち、国や行政庁を被告とする訴訟において、裁判が行政追随傾向を強め、国民がこの種の訴訟で救済を受けることがきわめて困難になっており、また、刑事裁判が捜査の追認の場と言ってもよいほど形骸化するに至っている。


行政訴訟については、国等の全部敗訴率(国民の全部勝訴率)が昭和40年代はほぼ10%前後であったのに対し、昭和50年代には5ないし6%になり、昭和60年代に入ると2ないし3%に落ち込んでおり、事件別比較でも、すべての事件で国等の全部勝訴率が年々上昇している(日弁連第12回司法シンポジウムにおける報告)。


刑事訴訟をみると、捜査段階においては、逮捕、勾留、捜索差押等の捜査の行き過ぎを抑止する令状主義が空洞化し、公判段階でも、裁判所は自白調書の任意性を安易に認め、伝聞法則の原則と例外を逆転して運用し、違法収集証拠の排除を徹底せず、弁護人の主張立証を制限する等、総じて公判手続が捜査結果を追認する場になっている。その結果、無罪率は年々低下し、昭和63年には0.11%(但し、全部無罪。一部無罪を加えても0.19%)という驚くべき数字が統計結果にあらわれている。


さらに、検察官不足は、副検事による「肩代わり」現象を生むとともに、警察の捜査に対する検察官の抑制機能を低下させている。


わが国の刑事手続の実態は、憲法・刑事訴訟法の定める人権保障の原則が守られておらず、人権保障の国際水準からも大きく隔たっていると言えよう。


第二に、民事紛争の処理、解決が国民のニーズに応えておらず、とくに民事訴訟の遅延は放置できない状況にある。


その一方で、訴訟運営の効率化を追求するあまり、裁判の適正や当事者の納得がなおざりにされる嫌いがあり、また、簡易裁判所や地方・家庭裁判所支部の統廃合にみられるように国民の利便を無視した合理化が強行されている。


3.われわれは、このような司法の機能低下の原因を探るとともに、国民主権の下でのあるべき司法、国民に身近な開かれた司法をめざして抜本的にこれを改革しなければならない。


司法の機能低下の原因の第一に挙げなければならないのは、国家組織のなかで司法が相対的にその規模・容量を縮小させてきたことである。


裁判所予算の変遷をみると、昭和33年は、裁判所予算の国家予算に対する比率は0.83%であったが、最近は 0.4%前後に低下している。このような予算上の理由もあってか裁判官の人数は事件数の増加に見合って増員されておらず、しかも最高裁判所は裁判官増員に積極的でないので、過少な人員による裁判運営が常態化している。訴訟遅延や裁判の行き過ぎた効率的運営あるいは裁判所機構の不当な縮小合理化は、まさにその結果である。


法務関係予算も、裁判所予算と同様、国家予算との対比においてその伸び率は高くない。検察官不足は、司法修習生の任官志望者の減少と検事の中途退官者の増加によるが、その主たる原因が検察の職の魅力低下であることは疑いないものの、予算の制約による良好といえない待遇もその一因をなしていることは否めない。


弁護士の態勢も国民の増大する法的需要に応えるためには十分とはいえず、法律扶助制度等の不備もあって、数多くの法的紛争が法的助言・助力を受けることなく放置されている。したがって、司法の人的陣容と物的設備の拡充拡大をはかり、全体としての司法の容量を大きくするため、裁判所予算、法律扶助を含めた法務関係予算を大幅に増額することが重要である。


司法の機能低下の原因の第二は、その組織・運営において生じている歪みであるが、その中でも官僚的司法の問題を挙げなければならない。


裁判所についていえば、司法行政部門が肥大し、個々の裁判官の独立を内部的に弱め、裁判所機構の行政官庁との近似性を強めるにいたっている。その結果、裁判の画一化や裁判の行政追随傾向さらには刑事訴訟の形骸化といわれる現象が生じ、これらは裁判所と法務省との人事交流によって増大される傾向にある。


これを是正するには、裁判官会議に実質的な司法行政権を確保させるための方策を真剣に考える必要がある。


次に、検察庁については、検察官同一体の原則の強調が、独任官たる検察官の職の魅力を失わせ、人員不足の原因となっているとの指摘があり、その組織原理の再検討が必要であろう。


さらに、民主的司法すなわち国民に身近な開かれた司法を実現するには、わが国の司法制度に最も欠けているといわれる国民の司法参加を大幅に実現することが不可欠で、欧米諸国にならって陪審や参審制度の導入をはかるべきであり、抜本的には法曹一元制度の採用をめざすべきである。


4.司法改革の対象は、その役割の重要性からいって裁判所による司法運営のあり方が中心とならざるをえないが、弁護士および弁護士会においても、その質・量の両面において国民の期待にそうよう改めるべき点が少なくない。われわれは、弁護士会に自治権能が与えられている趣旨に思いを致し、人権擁護の使命を十分に果たしているか否かの自省と自浄努力を怠ってはならず、かりそめにも、利己的、職益的発想から改革を拒んだりすることのないようにしなければならない。


5.当連合会は、これまでに司法の制度・運営に関する改善・改革のために多くの提言を行ってきた。法曹一元の実現・司法権の独立や裁判官の独立の擁護・最高裁判所機構改革・司法予算の拡充・訴訟遅延の解消等に関する宣言・決議は、定期・臨時の総会において、繰り返し行われており、その他、刑事訴訟法の運用改善、最高裁判所裁判官の任命の公正確保、司法研修所教育のあり方等に関する決議も行われている。


さらに、過去12回の司法シンポジウムにおいて、司法の制度・運営に関する改善・改革のための論議が重ねられてきた。


これらの提言の内容の多くは、残念ながら未だ実現されるに至っていないが、法曹界の内外において、司法改革の必要を認める世論の形成に与かって大きな力があった。しかし、司法とりわけ裁判所の運営は、世論の高まりとは無関係に国民からの距離をますます大きくする方向へ向かっているように思われる。


弁護士及び弁護士会は、国民の人権保障の砦である司法を真に国民のものにするため、今や司法改革の実現に向けて行動に出ることが求められている。当連合会がこの要請に応え、国民とともに司法の改革を進める決意であることを国民の前に明らかにするため、この宣言を提案する。