臨時総会・司法修習生の罷免に関する決議

(第二決議)

最高裁判所は、去る4月5日23期司法修習生阪口徳雄君の修習終了式における言動をとらえ、ひ免処分にした。


右処分は阪口君がクラス委員会の決議にもとづき、その代表として同期の裁判官志望者のうち7名の新任を拒否されたものに対し、発言の機会を与えるよう要望したことに対してなしたものであって、これは最高裁判所が右7名の新任拒否を強行するためにおこなった苛酷な懲罰とみざるを得ず、右処分が阪口君本人に弁明の機会すらあたえず、即時におこなわれた事実から考えても不当なものであり、かつ、2年間修習したのち試験に合格したものに対してなされた処分であるから、われわれは断じてこれを容認することができない。


(関連決議)

われわれは、司法権の独立を守り抜くことが、国民から課せられた重大な責務であることを深く認識し、右諸決議の実現と、最高裁の姿勢をただすため、この一連の事態の真相を広く国民に訴え、国民とともに全力を尽すことを決意する。


1971年(昭和46年)5月8日
臨時総会


提案理由(議事録より)

第二決議案、阪口徳雄君の罷免の問題でありますけれども、阪口修習生は、第一の決議案に示されている23期修習生の任官拒否の問題に関連して、修習終了式当日に修習生の代表としてとった行動に対し、最高裁判所はこれを罷免するということを行ったのであります。最高裁判所の罷免の事由と目されるものについては、衆議院法務委員会で矢口人事局長が答弁しているところから明らかであります。最高裁判所は、阪口君の罷免の経過ということにつきまして、これは現行犯として現認した事実によるものだとしながら、驚くべきことには、そこで指摘している事実は多くの重要な点で真実と全く相違するのであります。即ち第一に、阪口君が演壇の前に出て来て話し始めてから後にも所長は手でこれを制したといっている点。第二に、阪口君がマイクをわしづかみにしたという点。第三に、阪口君がマイクを取ってからも、所長はこれをしばらく手で制する形をとったいう点。第四に、阪口君に呼応して、一般の修習生からも発言が続くような状況になりましたという点。さらに第五に、問題になった時間が十分足らずであるというふうにいっている点。これらの点はいづれも真実の経過に相違しております。真の事実経過は、以上とは全く違っております。阪口君が演壇に出て行くのに対して、所長はこれを制したという事実は全くありません。また、阪口君はマイクを静かに手に持ったのであり、阪口君の発言と同時に所長は檀をおりているのであります。そしてまた、修習生全員は阪口君が発言しはじめるとこれを聞こうとして静かになったのであります。そして、その直後に事務局長は式が終了するということを宣言したのであります。この間の時間は1分15秒であったということが確定されているのであります。これらの事実は、日本弁護士連合会の司法修習委員会が行いました調査報告書、名古屋弁護士会のさきほど述べました報告書、東京弁護士会の報告書、これらによって明らかとなっております。要するに最高裁判所は誤った事実認識の上に立って罷免という極刑にも等しい処分を行っているのであります。これは誠に重大なことであります。さらに裁判所は阪口君を罷免するに当って本人から何等の弁明を聞いておりません。裁判所は罷免という重大な処分を行うのであれば、事実確定の一環として彼の取った行動の動機、その目的等を中心に弁解の機会を与え、よく事情を聴取すべきことは、処分の公正を期するという観点からも是非必要なことであろうと思うのであります。しかし、裁判所は、手続の公正を期するというようなことはなく、弁明の機会を与えなかった結果、阪口君が、23期修習生全体の意向でクラス委員会の代表として発言したものであり、それは式当日の混乱を、却って防ごうとしたものであるという、こういう点が全く罷免処分を行うに当って考慮されていないという結果になっているのであります。


以上最高裁判所の今回の罷免処分は、事実認定において極めて不正確であるというばかりでなく、手続的に全く不当なものであることは明らかであります。阪口君は勿論裁判所法にいう2年間修習した後、試験に合格した者に当るのであります。カリキュラムも実質的には3日前に修了しているのであります。しかも、罷免処分を言渡したのは、式そのものが終了した後、夜間の8時26分であり、この時点では司法研修所の一切の行事は、すべて修了していたのであります。このような時点で罷免によってその身分を奪うと、修習がすべて終った後に、罷免という形でその身分を奪うという必要が一体どこにあったのでありましょうか。これは再任拒否の運動を抑圧するというようなこと、さらには24期、25期と続く修習生の運動に対する恫喝を目指すものだということがいわれておりますけれども、誠にそのように疑われても仕方のない処分であるというふうに考えざるを得ないと思うのであります。わたくしたちは最高裁判所が阪口君に対してなした罷免処分は何人をも納得させることはない、極めて不当なものであると考えております。私達がこの決議によって求めるところは、まず、事実についてこの機会に十分検討され、全国の弁護士ならびに弁護士会がこの事実に対しての認識を統一するというようなこと、そしてこの問題をどう見るべきかという点で一致させ、その上でわれわれの共通の気持である阪口君を法曹の一員として迎えるための、これを実現するためにさらにその上に立って行動を行って行くと、言うことに外なりません。同時に私達はこの問題を最高裁判所の処分や阪口君の資格の法律解釈論にのみ解消させてはならないのであります。第一決議案と形は第二決議案ということで別個に出しておりますけれども、これは共に最高裁判所の司法行政のあり方、その基本に関わる問題として取り上げる必要があるのであります。従って、これらの法律問題、処分の有効無効の問題或はこの法律問題については、私達が以上に述べて来たように、最高裁の指摘する事実と主張の誤りを正し、事実の見方の上で一致できるならば、その上で全国の弁護士会に持ち寄って、今後さらに討議をお願いしたいというように考えるものであります。


最後に私は、日本弁護士連合会が本日この総会において、これら二つの決議をするということの意義に簡単にふれて終りにしたいと思うのであります。


4月7日に最高裁判所の吉田事務総長は、4月3日に行いました日本弁護士連合会渡部会長の談話に対してこれは最高裁判所の司法行政上の措置に対する干渉に当る疑がある。却って司法権の独立を侵すおそれがあるんだという申入れを行いました。この申入れは、司法権の独立、司法行政の独立ということについて、最高裁判所がまさに本末転倒の誤った見方をしているということを端的に示すものに外なりません。いうまでもなく、司法行政の独立というものは憲法を無視したり、国民の批判に耳をかさない独善或いは切捨御免の態度を司法行政の独立というものではありません。司法権の独立は、いうまでもないことでありますけれども、行政権力からの圧迫干渉から独立するということにその主眼があるのであります。裁判所が、国民から遊離するのではなくて、本当に国民の立場に立つということによって司法権の独立は達成されるのであります。そして、司法行政の独立ということも、結局、司法権の独立の重要な中味である。裁判の独立、つまり裁判官が憲法と良心のみに従って、行政権力の圧迫、干渉を排して憲法と良心にのみ従った判決が出来るために奉仕すべき、そういう性質のものであります。従って、司法行政のあり方というようなものは、裁判所、ひいては司法のあり方を規定し、国民の人権の擁護に重要な関わり合いを持つことになります。まして裁判官の任用というような、もっとも重要な問題に関して、誤った処理が行われるならば、事は極めて重大であります。裁判所の人事の問題であるから、弁護士会はこれに介入すべきではないんだというようなことで済される性質のものでは絶対ないのであります。われわれは声を大にして、裁判所の誤りを指摘し、厳重に反省を求めるということ、こういうことを行うことこそ、弁護士会の国民に対する責務であるというふうに考えるのであります。この責務を放棄したならば弁護士会に対する国民の信頼というものは失われるでありましょう。私達は、今回のこの司法の極めて深刻な危機の事態を一層深く認識し、お互に共通の理解を持ち合って、理事者を先頭に、われわれ若い会員も、或は先輩の会員も揃って一丸となって立ち上る必要があるというふうに考えるのであります。この決議は、われわれがそのような行動を起す第一歩になるというふうに確信いたします。