難民条約に関する宣言

本文

わが国は、近く難民条約(難民の地位に関する条約及び難民の地位に関する議定書)に加入することとなった。


右条約加入にそなえて改正された「出入国管理及び難民認定法」は、手続的に種々の不備な点が存し、また難民の認定について厳しい運用がなされると当面問題となっている、いわゆるインドシナ難民の多くが難民の認定から除外されるおそれがある。


よって、われわれは、政府に対し次のとおり要望する。


  1. 難民の認定にあたっては、インドシナ難民に関する国連総会決議の趣旨に則り、できる限り難民認定の範囲を広げること
  2. 実質上、インドシナ難民と認められる者については、特別在留許可制度の活用によりその法的地位の安定を図ること
  3. 難民認定の手続について、その公正を担保し難民の人権を保障するため、認定のための第三者機関の設置、手続への弁護士の関与、不服申立手続の整備など「出入国管理及び難民認定法」の改正を図ること

右決議する。


昭和56年9月26日
日本弁護士連合会


理由

1.基本的人権の国際的な保障は、重要な世界的課題である。国際連合はこの課題を実現するため、1948年、世界人権宣言を採択したのをはじめ、この宣言を条約化した国際人権規約、難民の地位を保障し、その人権を擁護するための難民の地位に関する条約及び難民の地位に関する議定書、婦人に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約など幾多の人権に関する条約を採択し、加盟各国に対し、その批准または加入を要請している。


2.ところが、日本政府は、これまで人権の国際的保障の問題についての関心が非常に低く、特に、外国人に対しては、しばしばその基本的人権を無視する措置をとってきた。改正前の出入国管理令自体、外国人の人権保障の見地よりして極めて不完全なものであったばかりでなく、その運用においても、しばしば外国人の人権を無視する態度をとってきた。


たとえば、1968年(昭和43年)5月台湾の独立運動家、柳文卿氏に対し退去強制令書を発付した上、それに対する執行停止の申請がなされているのを無視して同氏を飛行機に乗せ、処罰が待っている台湾へ強制送還をしたことは、未だわれわれの記憶に新たなところである。


この件について政府がとった措置は、政治亡命者保護の国際的な原則に明白に違反するものである。


また、金大中氏事件に関する日本政府の態度が、同氏の人権を無視したものであることは否定できない。


3.日弁連は、1974年(昭和49年)11月9日、水戸市において開催された第17回人権擁護大会において、国際人権規約及び難民の地位に関する条約の早期批准及び加入、出入国管理行政に対する事前の司法的抑制の制度の導入等を要望する宣言を採択した。


さらに、1977年(昭和52年)10月8日、大阪市において開催された第20回人権擁護大会において、難民の地位に関する条約及び難民の地位に関する議定書の早期加入を求める決議を採択した。


4.その後、日本政府は日弁連を含む広範な国民の声と国際的な批判を無視することができず、1979年(昭和54年)9月21日、国際人権規約を批准した。このことは、わが国が人権の国際的保障機構へ初めて参加したものとして重要な意義を有するが、国際人権規約の一つである市民的及び政治的権利に関する国際規約(いわゆる「B規約」)の選択議定書を批准しなかったので、B規約に基づき設置されている人権専門委員会に対し、日本国民が人権侵害の事案について提訴することは目下のところ不可能である。したがって、この点における日本政府の態度は、人権の国際的保障の問題についてなお消極的と言わざるを得ない。


さらに、1975年以来インドシナ半島において生じた政変の結果、多数の難民が発生した。これにつき先進諸国は、現地における救援活動、さらには多数の難民を自国に受け入れるなどの対応策をとったが、日本は当初、インドシナ難民を全く受け入れようとしなかった。


その結果、日本に対する国際的非難が強まったため、日本政府は次第に態度を改め、当初は国連の難民救援活動の負担金を増額することで非難に応えた。しかし、それでも不充分との批判から1979年(昭和54年)4月3日、インドシナ難民の定住受入れの条件と人数を定め、その人数の枠も次第に増加し、現在は3,000人まで受け入れることとなっている。


そして、政府は、本年3月13日難民条約の加入を決定し、その加入案件と、それにともなう出入国管理令、国民年金法等の法律改正案を第94国会に提出した。これらの案件は、衆参両院において満場一致可決されたが、このことはおくればせながら難民問題、国際的人権問題に関する日本政府の態度が数歩前進したものということができる。


5.難民条約の加入にそなえて、出入国管理令は、「出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という)」と名称も改められ、難民認定の手続が定められた。


しかし、この難民認定の手続には、次のような問題が存する。


問題の第一は、難民であるか否かの認定を法務大臣が行うこととなっており、その事務は入国管理局の所轄となっていることである(入管法61条の2以下、改正後の法務省設置法2条7号、11条の2、3号)。


前述のように、法務省、特に入国管理局の外国人に対するこれまでの実績は、外国人を選別して排除する傾向があり、その人権を尊重してきたとは言い難い。このような部局が難民認定に関する事務を所管して果たして人道的な立場に立った公正な認定ができるかは、大いに疑問があるといわなければならない。西ドイツやフランスのように、入国管理局以外の公正な第三者機関が難民認定の事務を所管するのが適切であるというべきである。これについては、去る昭和53年3月、東京弁護士会が発表し、日弁連人権擁護委員会においても検討している「政治亡命法案」が参考とされるべきである。


問題の第二は、難民認定のための調査は法務大臣が入国審査官を難民認定官に指定して行わせることになっているが、調査方法について特に規定はなく従来の入国審査と同様になされるものと思われる。


しかし、これではいわゆる密室における調査であり、その調査が公正になされる保障はなく、また弁護士の関与も必要的なものとされていない。難民の大部分は日本語も充分に話せず、ましてや日本の法令については無知に等しい事情にあると思われるが、このような難民が誰の援助も得られずに難民調査官に対して自分が難民であることを充分に主張、立証できるであろうか。刑事事件における国選弁護制度にならって、難民が弁護士の助力を受けられるような制度を導入すべきである。


問題の第三は、法務大臣の難民の認定をしない処分、難民認定を取消す処分に対しては、行政不服審査法の適用が排除され法務大臣に対して異議申出をすることができることとなっている(入管法61条の2の4)。したがって、異議申出の可否も法務大臣が決定することとなるが、このような手続では、不服申立制度として充分に機能するとは考えられない。異議申立を棄却した法務大臣の処分に対しては、行政事件訴訟法による抗告訴訟を提起できることは当然であるが、このような手続をとることは難民認定申請者には不可能といってよいであろう。法務大臣の処分に対する異議申出は、裁判所あるいは他の適切な機関がその可否を判断するような制度とすべきである。


問題の第四は、具体的な難民認定の基準について、難民条約の規定のみを根拠として厳しく認定されると、いわゆるインドシナ難民のなかには、認定から除外される者が出るおそれがある。


国連が難民高等弁務官の活動を通じて救援の対象としているインドシナ難民は、難民条約にいう難民に限定せず、インドシナ半島における政変の結果、故国を出ざるを得なかった者、故国へ帰ることができない者をも含めている。これはインドシナ難民の救済に関する国連総会決議の趣旨に基づくものである。難民の認定にあたっては、これら国連決議の趣旨を最大限に尊重すべきである。そうしてこそ、インドシナ難民に関する日本の国際的義務を全うすることができるといえよう。


また、インドシナ難民、なかでもラオス、カンボジアから逃れた難民のなかには、タイあるいは台湾(中華民国)の旅券を何らかの方法で入手して、観光ビザで来日する者が相当数あるのが実情である。特に、華僑系難民の場合は、台湾旅券を取得してくる場合が多い。このように、第三国の旅券を所持している者については、難民の地位に関する条約1条C項(3)号の「その者が新たに国籍を取得し、新国籍国の保護を享有するとき」という規定により、難民と認定することが困難な場合がある。しかし、このような難民も、実質上インドシナ難民であることに変わりはなく、定住を希望する者については特別在留許可制度を活用して、その法的地位を安定するようにすべきである。


政府は、本年5月22日、衆議院法務委員会において、第三国旅券を所持するインドシナ難民についても、一定の条件で特別在留を許可する旨言明したが、われわれは、政府がこの方針を具体的に実施するよう要望する必要がある。


6.難民条約は1982年(昭和57年)1月1日、わが国について発効するよう加入書の寄託手続がとられるといわれており、加入にともなう出入国管理令その他の改正法は、同日より施行されることとなっているが、新しい入管法には、以上に指摘したような種々の問題点があるので、決議に掲げた三つの項目について、その実現方を強く要望するものである。