高齢者の雇用保障に関する決議
本文
わが国においては、今後、世界に例をみないほど人口構成の加速度的な高齢化を迎え、高年齢労働人口は、比率的にも絶対数においても増大することは確実である。
かかるとき、高年齢者の雇用の保障は、年金・医療・住居保障とともに、個人の尊厳と健康で文化的な生活を保障する憲法の理念のもとに、基本的人権にかかわるものとして、国民的課題である。
国、地方公共団体及び多数企業では、すでに定年制延長、勤務延長、再雇用等の対策を講じてはいるが、未だ不充分である。55歳定年制はすでに合理的根拠を失っているにもかかわらず、依然として年齢の低い定年制を墨守している企業が少なくない。
国、地方公共団体及び企業は、高年齢者にその自由な意思と能力に応じた就労の機会が提供されるよう、55歳定年制を廃止し、定年を合理的年齢(最低限60歳)まで延長し、かつ高年齢者雇用を実現すべきであり、そのために年功賃金体系の改訂、各種奨励金等誘導策の充実、拡張、職業再訓練、適合職種・技術の開発等の対策を、積極的かつ速やかに講ずるべきである。
右決議する。
昭和56年9月26日
日本弁護士連合会
理由
1.我が国において、老年人口(65歳以上の人口)の急増と、年少人口(15歳未満の人口)の減少により、近年、人口の年齢構成が急速に中高年化してきた。人口構成の高齢化を反映して労働人口(15歳以上のうち就業者と完全失業者を加えたもの)も、中高年化が顕著になってきた。この傾向はさらに強まり、生産年齢人口(15歳から64歳までの人口)に占める中高年齢人口(45歳以上)は、今後長期に亘り著増するものと推計されている。特に、問題の多い55歳以上の高年者労働人口の割合は、昭和55年の16.1%から昭和65年には20.3%、昭和75年には23%にまで達するものと推定されており、労働力人口の高齢化は、欧米諸国の3~4倍の速さで進行している。
石油ショック以降の低成長経済において求人が相対的に減少した反面、高年齢者労働力人口が今後長期的かつ構造的に急増していくという客観情勢を背景にして、高年齢者の雇用問題は、現今における最大の国民的課題になっている。そのなかでとりわけ問題を孕んでいるのが、55歳定年を中心とする年齢の低い定年制である。
2.わが国における55歳定年制は、明治中ば頃に長年の勤務者に恩恵的に休息を与えるという理由で設けられたのが始まりで、当初は老後の生活を保障するに足りる充分な退職金に裏打ちされていたといわれている。その後、55歳定年制は大正末期から昭和初期にかけて民間企業に定着したが、その目的は、次第に変質した。すなわち、中高年労働者の労働能力、意思とは無関係に、コストの低い若年労働者に切り替えるという企業側の一方的な都合により、中高年労働者を自動的に解雇し労働関係から排除する手段として機能するようになり、今日に至っている。
3.我が国経済は、昭和48年末の石油ショックを契機として、低成長時代へ転換した。企業においては、若年層の新規採用の減少・中高年層の比率の上昇という現象が生じ、大企業を中心とする減量政策により、中高年層が人員整理の対象とされた。しかし、一方ではすでに高齢化社会の道を歩みつつあるわが国の経済的活力を維持していくためには、高年齢者の労働力を活用することが必要不可欠であると認識され、企業においても、中高年労働者を排除するのではなく、その労働力を活用しようとする傾向が強くなってきた。
さらに、近年における老年学の進歩と各種調査により、高年齢者の職務遂行能力は従来観念的に考えられていたほど低下しないこと、加齢による右低下の程度も個人差があり一律的な関係はないこと、高年齢労働者は情報の把握と処理・判断力・総合力・人間関係処理能力において優れていること、高年齢者の能力に適合する職種が相当数あること等が実証されてきた。
また高年齢者が、その自由な意思と能力に応じ、最低賃金の保障のもとで適切な就労の機会を受けることは、憲法の保障する生存権(25条)、幸福追求権(13条)、平等権(14条)、労働権(27条)などによって、年金・医療・住宅などの保障とともに、高年齢者の基本的人権として保障されるべきものであるとの認識が高まり、その内実化の施策を求める主張が強くなってきている。
4.政府は、このような情勢のもとに、民間企業における高年齢者の雇用を側面的に促進するため、中高年齢者の能力に適合する職種を選定し、また特定求職者雇用奨励金・中高年齢者雇用開発給付金・定年延長奨励金等の助成金制度を創設拡充してきた。さらに昭和54年には、第四次雇用対策基本計画を策定し、昭和60年度までに60歳定年制が企業に一般化するよう行政指導している。
それにもかかわらず、昭和49年以降完全失業者は逐年増加し(昭和48年に67万人であったものが、昭和53年には124万人となっている)、特に55歳以上の高年齢層の完全失業率の上昇が目立っている。しかも、ひとたび失業した中高年齢者の再就職は、極めて困難な状況にあり、深刻な社会問題となっている。
5.多くの企業は、右社会的要請をふまえて、すでに定年延長・勤務延長・再雇用等の対策を講じつつある。すなわち、昭和56年1月1日現在、60歳定年制を採用する企業の割合(39.5%)が、55歳定年制を守っている企業の割合(38.0%)をはじめてわずかながら上廻り、全体的にみれば、55歳定年制は、すでに少数派となっている。ひるがえって、欧米諸国における退職年齢を一瞥すると、イギリスのホワイトカラーとフランスには強制定年制があり、一般的には65歳であるが、それ以外には、強制退職をともなう定年制はなく、年金支給開始年齢の65歳にあわせて退職するのが一般的であるといわれている。したがって、先進国のなかでは、わが国の退職年齢が一番低い。
ところで、わが国の定年到達者のうちの就業希望者は、55歳から57歳の人で95%、58 歳から59歳の人で89%となっている。また、就業希望理由として、「働かないと生活に困る」ことを挙げている者は、60歳未満で50%ないし70%に達している。
しかるに、60歳未満の就業希望者のうち約20%の人は失業状態にあり、再就職できた者も、職種・賃金ともに不満足なものが過半数であり、定年到達後の生活及び労働条件の悪化は明らかである。
6.かつて最高裁判所は、55歳定年制に関し、「(就業規則に新たに定めた)55歳という定年は、わが国の実情に照らし、低きに失するものとはいえず、…決して不合理なものということはできず、信義則違反ないし権利濫用と認めることもできない。」旨、判示した(昭和43年12月25日大法廷判決)。しかし注目すべきことは、右判決のなかには、定年延長の気運等に言及して、右多数意見に反対する少数意見がすでにあったことである。
前記の如く、この問題をめぐる社会的経済的状況が大きく変貌した今日においては、55歳定年制は、年齢の定め方が低すぎ、もはや合理的根拠を失っており、右判決の多数意見の考え方に立脚しても、「産業界の実情に照らし」、不合理な制度として無効と判断される蓋然性が高い。したがって企業は、前記諸情勢を勘案して55歳定年制を廃止し、定年年齢を60歳、さらにはそれ以上に段階的に延長すべきである。
しかるに、現実には55歳定年制は、依然として中高年労働者をその能力と意思とは無関係に、労働関係から強制的に排除する制度として機能しており、多数の中高年労働者の生活を脅かし、その生存権・労働権を侵害している。
それ故に、われわれは右事態を黙視することなく、機会あるたびに55歳定年制の不合理性、無効性を社会にアピールし、定年延長ひいては高年齢者の雇用問題について、人権擁護の立場から、法律的側面において寄与していく所存であるが、当面企業に対しては、55歳定年制を廃止して、定年を合理的年齢(最低限60歳)まで延長すること、そのため年功賃金体系の改訂・中高年従業員の再教育及び適合職種の開発・高齢者に適した生産技術の開発等の対策を速やかに講ずることを、また国、地方公共団体に対しては、実施中の定年延長奨励金・中高年齢者雇用開発給付金・特定求職者雇用奨励金等を充実拡張し、高齢者雇用基金その他、高年齢者雇用のための各種誘導策及び中高年労働者の再教育機関の新設を図り、さらに高齢者に適した職務・個人事業種を積極的に開発育成することを強く要望する次第である。