表現の自由を確立する宣言~自由で民主的な社会の実現のために~

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憲法21条1項が保障する表現の自由は、民主主義社会の死命を制する重要な人権である。自由で民主的な社会は自由な討論と民主的な合意形成によって成立するのであり、自由な意見表明が真に保障されていることが必要である。


当連合会は、これまで表現の自由や報道の自由等の重要性を訴え、それが最大限に尊重されるべきであることを表明してきている。


ところが、昨年来、靖国神社をテーマとした映画の上映が政治家の発言を契機として中止されたり、ホテルが裁判所の仮処分決定を無視して集会のための会場使用を拒否したりするなど、自由な意見を表明することが妨害される事件が立て続けに発生している。また、近年、政府に対する批判の内容を含むビラを投函する行為に対して、住居侵入罪または国家公務員法に基づいて市民や公務員が逮捕されたり、起訴されて有罪判決が下されたりするなど刑罰をもって市民の政治的表現の自由が脅かされる事態が生じている。市民が意見を表明する重要な手段の一つであるビラの配布等を、警察、検察及び裁判所が過度に制限することは、ビラの配布規制にとどまらない市民の表現の自由の保障一般に対する重大な危機である。さらに、表現の自由が保障されなければならない選挙運動においても、公職選挙法に基づき、戸別訪問が禁止され、選挙活動期間中に配布できる文書図画の数や形式が制限されている。重要な表現手段であるビラ配布などに対するこのような日本の現状について、2008年10月、国際人権(自由権)規約委員会からも懸念が表明され、表現の自由に対するあらゆる不合理な制限を撤廃すべきであるとの勧告がなされたところである。


さらに、自由で民主的な社会が実現されるためには、市民が社会に関する事実や他者の意見を正しく知ることが保障されなければならないが、市民の知る権利の保障、特に権力に対する監視は、マスメディアの報道の自由の保障なくして実現され得ない。そこで、マスメディアは、報道の自由が市民の知る権利に奉仕し、権力を監視するために保障されていることに重要な意義があることを再確認し、閉鎖的な記者クラブ制度を見直すなど自らを規律するとともに、権力からの不当な干渉に動じることなく多様な報道を行う責務を担っていることを強く自覚すべきである。


他方、放送内容にわたる事項について総務省が行政指導を多発し、放送局に政治家が圧力をかける例が見られる現状に鑑みるとき、放送行政が政府から独立するための制度を確立することは急務である。


情報公開制度も、市民の知る権利が具体化されたものであることを踏まえ、より広く公開されるよう、さらなる改正または構築が検討されるべきである。


加えて、近時のインターネットの発展と普及により、これまで情報の受け手にとどまっていた市民が、社会に対して広く情報発信を行うことが可能となりつつある。インターネットが民主的な世論形成の重要な手段の一つであることは誰しもが認めるところである。しかし、インターネットは、名誉やプライバシーを侵害する情報や子どもの成長発達上好ましくない情報などが広く流通するなどの問題も内包している。そこで、その弊害を防止しつつ、市民が自由に意見を表明し、民主的な合意形成をするために、今後さらに活用されていく必要がある。


よって、当連合会は、以下のとおりの提言をする。


  1. 民主主義社会における市民の表現行為の重要性に鑑み、市民の表現の自由及び知る権利を最大限保障するため、
    (1) 国、地方公共団体、特に警察及び検察は、市民の表現行為、とりわけ、市民の政治的表現行為に対する干渉・妨害を行わないこと。
    (2) 裁判所は、「憲法の番人」として市民の表現の自由に対する規制が必要最小限であるかにつき厳格に審査すること。
    (3) 政府及び国会は、市民の政治的表現の自由を確保するため、早急に公職選挙法及び国家公務員法などを改正すること。
  2. マスメディアは、報道の自由が市民の知る権利に奉仕し、権力に対する監視を役割とすることを改めて認識したうえ、この重要な役割を十分に果たすよう記者クラブ制度を見直すなど自らを規律し、かつ、権力による不当な干渉を排除して、多様な報道を実現し得るよう努力すること。
  3. 国は、市民の知る権利が十分に保障されるため、
    (1) 放送行政が政府から独立するための制度を確立すること。
    (2) 市民の知る権利が具体化された情報公開法を改正し、さらに、より実効的な情報公開のため公文書管理制度を構築すること。
  4. インターネットの利点を最大限に生かすため、インターネット上の表現活動による弊害の防止は、できる限り自主規制と司法手続によるという制度設計がなされるべきであること。


当連合会は、今こそ表現の自由と知る権利の重要性を強く訴えるとともに、表現の自由を確立する活動を通して、21世紀の日本において自由で民主的な社会が実現されるために全力を尽くす決意であることを表明する。


以上のとおり宣言する。


2009年(平成21年)11月6日
日本弁護士連合会


提案理由

第1 表現の自由・知る権利の意義と問題の所在

日本国憲法は、基本的人権を「侵すことのできない永久の権利」と定めたうえで(憲法11条、97条)、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」(憲法21条)として、表現の自由を保障した。大日本帝国憲法(明治憲法)下における「表現の自由」は、「日本臣民ハ法律ノ範囲内二於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス」と規定されていたものであり、あくまで臣民が天皇から恩恵として与えられたものであった。しかし、日本国憲法で保障された表現の自由は、明治憲法とは全く性格を異にし、立憲主義の観点から、法律はもとより、憲法改正によっても変えることのできない権利として保障されているものである。


また、表現の自由は、人間の本質的な属性である精神活動を充足するものとしての重要性にとどまらず、主権者たる私たち市民が政治決定のために必要な情報を十分に提供される機会を保障するものとしての重要性を有している。


しかし、日本では、表現の自由がその重要性・優越性にもかかわらず、公権力などによって侵害され、裁判所によってもその是正がなされていない。また、市民の知る権利に奉仕すべく報道の自由によって公権力に対する批判をなすべきマスメディアも、権力が情報を隠蔽している行為を見逃したり、政治家の意向を忖度してテレビ番組の内容を変更したりするなど、権力の監視機能を十分に果たしていない。


表現の自由に対する侵害やマスメディアの現状の問題点がこのまま放置されれば、自由で民主的な社会が瓦解するおそれがある。


第2 市民の表現の自由及び知る権利の現状

1 近時の動き

近時、自由な意見表明が妨害されたとして広く社会的関心を呼んだのは、昨年(2008年)発生した次の二つの事件である。


まず、2008年4月、靖国神社を取材した映画「靖国 YASUKUNI」が、国会議員からの要請による試写会の実施が一つの契機となり、街宣車などが上映の中止を求める抗議を行ったりしたことから、上映を決めていた映画館5館が、近隣等に迷惑がかかることに配慮して相次いで公開を中止するという事件があった。


また、2008年2月には、日本教職員組合の集会の会場に予定されていたホテルが、自ら契約を締結しておきながら、しかも会場使用を認める裁判所の決定があったにもかかわらず、街宣車の大騒音等により周辺住民等に迷惑がかかると判断したとして、会場使用を拒否する事件も発生した。


2 ビラ配りその他の市民の情報発信の自由に対する制約

(1) そして、近年、政府に対する批判の内容を含むビラを投函する行為に対して、住居侵入罪または国家公務員法に基づいて市民や公務員が逮捕されたり、起訴されたりして有罪判決が下されるなど刑罰をもって市民の政治的表現の自由が脅かされる事態も生じている。


ビラ配りは、新聞や放送などのマスメディアを直接利用することが困難な市民にとって不可欠な情報発信手段である。とりわけその内容がマスメディアを通じて取り上げられることを期待しがたい少数意見の場合、市民が自らの意見を読み手に直接手渡すことができるという意味において、ビラ配りは極めて有効な表現方法である。


しかし、2004年2月に、自衛隊のイラク派兵に反対する内容のビラを自衛隊宿舎の各室の玄関ドアの新聞受けに投函した市民が住居侵入罪の疑いで逮捕され、75日間もの長期間にわたって身柄が拘束されたうえ、起訴されたことは記憶に新しい。そして、本件について、東京地方裁判所八王子支部は、「被告人らによるビラの投函自体は、憲法21条1項の保障する政治的表現活動の一態様であり、民主主義社会の根幹を成すものとして、いわゆる優越的地位が認められている」として、表現の自由の重要性を重視し、「刑事罰に処するに値する程度の違法性があるものとは認められない」として無罪判決を下した。これに対し、最高裁判所は、2008年4月11日、「たとえ表現の自由の行使のためとはいっても、このような場所に管理権者の意思に反して立ち入ることは、管理権者の管理権を侵害するのみならず、そこで私的生活を営む私生活の平穏を侵害するものといわざるを得ない。」として、他に特段の利益衡量をすることなく、被告人らを有罪とした。前記地裁判決も指摘しているとおり、当該自衛官宿舎においては他のビラ配布行為が問題とされた形跡はなく、本件はイラク戦争に反対するという表現内容に着眼して規制がなされた疑いが極めて強い。このような警察による不当な逮捕、検察による不当な起訴、さらには最高裁判所による利益衡量を放棄した判決は、憲法で保障されている表現の自由の保障の前記の意義が踏まえられているとは到底言いがたい。


(2) 市民の直接的表現行為が制約されるのは、ビラ配布だけではない。デモ行進などの示威行為においても、条例において許可制を採られていることから警察から詳細な指示がなされたり、デモ参加者が隊列を乱したりするなど些細な違反によって逮捕される事態が発生している。また、大学構内でのビラまきについて学生らが逮捕、起訴されたり、自治体が教職員組合の集会の会場使用を集会主催者と意見を異にする団体の妨害のおそれを理由として拒否した例もあるほか、自衛隊情報保全隊が自衛隊のイラク派遣に反対する市民を調査し、その情報を収集していたことも看過できない問題である。


3 公務員の政治的表現活動及び選挙運動に関する制約

(1) 国家公務員の表現の自由に対する過度の制約の例として、国家公務員法及び人事院規則が、国家公務員による政治活動につき、刑罰をもって包括的かつ一律に禁止している問題がある。2003年11月、一般職公務員である社会保険事務所職員が、休日に私服で、職場から離れた自宅近くのマンションに政党の機関誌等を配布したことにつき2004年3月に逮捕され、2006年6月に有罪とされた事件がある。この事件においては、逮捕に至るまで約1か月間にわたり最大11名の公安警察官の尾行によるビデオ撮影がなされるなど、政治活動に対する公安警察の捜査の実態が明らかになった。


(2) また、市民の表現活動のうち、特に、選挙運動や政治的表現活動に対して、公職選挙法によって広汎な制約が課されていることも看過し得ない問題である。

同法は、(1)選挙運動は、選挙運動期間以外には一切行うことができないものとし(時期の制限)、(2)選挙運動期間中も、候補者及び候補者届出政党以外の選挙運動を広範に制限し(主体の制限)、(3)文書の配布、演説会の開催を強く制限したうえ、戸別訪問は一律に禁止している(方法の制限)。その結果、1946年以降、戸別訪問や文書頒布罪で9万1000人以上の人々が検挙、処罰されている。

選挙運動は、表現の自由としての重要性にとどまらず、選挙を通じて民主制の過程への参加を可能とする意義を有する。かかる意義からすれば、選挙運動は広く市民によって担われ、かつ、選挙に関わる意見、情報が広く伝えられる手段が保障されるべきであり、公職選挙法によるこれらの広汎な規制は、市民による選挙運動の自由ひいては表現の自由を不当に制約するものであるといわざるを得ない。かかる制約により、日本ではインターネットを利用した選挙運動も原則として禁止されると解釈されているが、その見直しの是非も今後の課題である。


4 裁判所による違憲審査の不十分さ

以上のような事態は、日本国憲法が表現の自由を優越的な地位を占める人権として厚く保障しているにもかかわらず、現実には市民の表現の自由が正当に保障されていないことを意味している。特にその表現内容が権力批判に向かうときには、表現の自由に対する制約は「公共の福祉」の名のもとに必要最小限度を超えて不当な制約がなされることが少なくない。


このように、民主政の過程を構成する権利である表現の自由や選挙権を規制する立法や処分がなされた場合には、民主政の過程によって回復することが極めて困難になるため、規制が必要最小限か否かにつき裁判所は厳格に審査しなければならない。しかし、最高裁判所は、表現の自由が問題となる事案について厳格な審査をせず、近時の自衛隊官舎へのビラ入れの事案においても有罪の判断をしたことは前述のとおりである。最高裁判所は、国家公務員による政治活動の制限に関しても、また、選挙運動に関する戸別訪問の禁止や集会の自由を規制する条例についても、極めて緩やかに規制の合憲性を認めている。このような解釈が続けられる限り、「憲法の番人」として、特に表現の自由の規制に対して厳格に審査しなければならない裁判所の役割は到底果たされないものと評価せざるを得ない。


5 国際人権(自由権)規約委員会の総括所見

表現の自由、特に文書配布や対話による政治批判や選挙活動が自由にできることは民主政治の基盤であり、国際人権(自由権)規約も表現の自由(19条)、政治参与の権利(25条)を保障している。そして、国際人権(自由権)規約委員会は、規約上の権利の制限は、制限の必要性に比例しなければならないと考えている(比例原則)。したがって、具体的な弊害を問わずに、一律に刑罰でもってビラ配布や選挙活動を抑圧することは同規約に違反するものと解される。


かかる観点から、国際人権(自由権)規約委員会は、2008年10月、「表現の自由と政治に参加する権利に対して加えられた、公職選挙法による戸別訪問の禁止や選挙活動期間中に配布することのできる文書図画の数と形式に対する不合理な制限に、懸念を有する。」「政府に対する批判的な内容のビラを私人の郵便受けに配布したことに対して、住居侵入罪もしくは国家公務員法に基づいて、政治活動家や公務員が逮捕され、起訴されたという報告に懸念を有する」旨の表明をし、さらに、「規約19条、25条のもとで保障されている政治活動やその他の活動を、警察、検察及び裁判所が過度に制限することを防止するため、その法律からあらゆる不合理な制限を撤廃すべきである」旨日本政府に勧告するに至った。


日本は、1979年に国際人権(自由権)規約を批准しており、批准締約国として委員会の勧告を誠実に受け入れる義務がある。したがって、この点からも、政府は早急に公職選挙法及び国家公務員法などを改正すべきであり、警察・検察は市民の表現行為、とりわけ市民の政治的表現行為に対する干渉・妨害を中止すべきである。加えて、当連合会が長年にわたりその実現に取り組んでいる個人通報制度、とりわけ国際人権(自由権)規約第一選択議定書の批准が直ちになされなければならない。


第3 マスメディアの表現(報道)の自由とその課題

  1. マスメディアは市民の知る権利に奉仕するものとして重要な機能を有しており、その帰結として、その報道の自由が保障されなければならない。他方、市民の知る権利を充足するために多様な報道、特に権力監視の視点に基づいた報道をすることが要請される。しかし、マスメディアが権力を監視する役割を十分に果たし、またその責務を十分に自覚しているとはいいがたい。
    まず、報道の多様性を阻害する原因として従前より記者クラブ制度の排他性・閉鎖性が問題とされてきた。具体的には、クラブ加盟社のみが記者会見に立ち会う機会を与えられるなど情報の流通が制約されていること、クラブ加盟社が官庁から便宜を受けていることの裏返しとして官庁に対する批判的視点を失いかねないこと、また、官庁の情報操作を受けて広報機関化しかねず多様な報道がなされにくくなっていることが危惧されることは、第42回人権擁護大会でも指摘したとおりである。この点については日本新聞協会も、クラブ加盟社以外のジャーナリストへの開放を規約上認める等その見直しを図っているが、未だに全面的に開放される運用になっているとはいいがたく、速やかにあらゆる記者クラブがすべてのジャーナリストに開放されるべきである。
    また、マスメディアが権力による不当な干渉を受け、報道内容の変更に至った例として、2001年に、「従軍慰安婦」に対する旧日本軍等の関与の問題を取り扱ったNHKの番組に関し、NHKの幹部職員が番組放送前に政治家に接触して放送内容の説明をし、政治家から持論を聞かされ、その後に番組内容を変更した事件がある。この点、諸外国では、権力による不当な干渉を排除するために、経営陣と現場の記者らが編集方針などについて協議する場を設け、現場の記者の表現の自由を尊重する内部的制度が存在する。日本でも、かかる制度について研究を深め、その制度の当否について検討されることも今後の課題である。
  2. 前記のほかにも、公権力が報道内容に介入する事態も決して少なくない。
    もともと、日本では、第2次世界大戦後まもなくいわゆる電波三法が制定され、独立行政委員会である電波監理委員会が放送行政を司り、NHKの予算も同委員会が原則として国会に説明することで政治介入を防いでいた。しかし、日本が独立してまもなく、同委員会は廃止され、郵政省(当時)の所管とされるに至ったが、これは世界の主要国でも異例なことである。
    放送メディアにおいて、総務省が放送局に対し、放送内容に亘る事項に関して厳重注意等の行政指導をする例が多くみられる。この行政指導の中には、旧日本軍731部隊の特集番組において記者室内の記者の映像を流す際に当時の官房長官の写真が数秒間映り込んだことを問題とするなど、捏造でも誤報でもない単なる番組作りに亘る事項について出されたものや、放送内容に関して既に放送人権委員会が是正を勧告している事案について重ねて指導に乗り出すなどその必要性に疑問があるものもある。かかる行政指導を出すことができるのは、総務省が免許権限・監督権限を独占していることに起因する。そして、放送局は総務省から免許を受けることを通してその監督下にあるため、総務省から指導を受けることは現場に対する相当な圧力になる。とりわけその指導が放送内容に亘る事項に関するものであれば、それによってもたらされる番組作りへの影響は計り知れず、マスメディアが市民の知る権利に応えるために十分なものであるとはいいがたく、放送行政が政府から独立するための制度を確立することが必要である。
  3. さらに、個人情報保護法や犯罪被害者基本計画などの規定を口実にして、警察や官庁がマスメディアに対する情報提供を恣意的に制限している実態が報告されている。たとえば、警察官の犯罪についてその氏名を明らかにしなかったり、警察が被害者にマスメディアを接触させたくない場合に被害者の意思と称してその氏名を発表しない例がある。情報公開制度が不十分な中、情報提供の過度の制約はマスメディアの権力監視を阻害することにつながる。

第4 情報公開制度の不十分さ

市民の知る権利を直接的に充足する方法として情報公開制度があり、日本でも情報公開法(行政機関の保有する情報の公開に関する法律)が10年前に制定されたが、残念ながら十分なものとはいえない。


まず、開示されない情報が広汎に過ぎる。たとえば、現行法は行政機関のみが対象機関であるため、国会の文書や裁判所の司法行政に関する文書を公開させる法制度が存しないが、知る権利の充足の観点からすれば、国会及び裁判所も情報公開法の対象機関に加える必要がある。行政機関の情報についても、防衛・外交情報及び犯罪情報は、公にすると支障等が生ずる「おそれがあると行政機関の長が認めるにつき相当の理由がある」場合に開示しないでよいとされているが、これでは行政機関の裁量を過度に広く認める運用を許しかねない。そこで、不開示事由を厳格に限定し、防衛・外交情報及び犯罪情報については、支障等が生じる「おそれがあると行政機関の長が認めることにつき相当の理由がある情報」とあるのを「おそれがある情報」と改正すべきである。また、個人情報の不開示の例外(同法5条1号ハ)については、公務員の氏名も公開の開示内容とすべきである。


また、訴訟手続上、裁判所が、不開示とされた文書の実物を確認する術がないため、当該文書の不開示が正当か否かを判断しにくい構造となっているので、不開示の濫用を防止するため、不開示とされた文書の実物を裁判所が見ることができるインカメラ審理を法定すべきである。


「情報公開と公文書管理は車の両輪」といわれる。2009年6月、公文書管理法が成立したが、同法の公文書管理は未だ十分とはいえない。まず、公文書管理は国の各機関の利害と衝突することから、管理に携わる職員の中立性とともに強力な権限が必要となる。また、管理を効率的に行うには各機関との連携も必要である。そこで、各機関と連携しながら公文書管理の適正な統制を行う中立的な機関として「公文書管理庁」を創設すべきである。また、市民が公文書に接し利用しやすくするためには、国会や裁判所の公文書、検察庁保管の刑事確定訴訟記録や軍法会議記録も行政機関の公文書と同様に一括して国立公文書館で管理をする必要がある。さらに、特定歴史公文書等について公文書管理法は、時の経過により当該情報を不開示にする必要がなくなっているにもかかわらず現用文書の不開示事由と同様の利用拒否事由としており不合理であるため、利用拒否事由を見直すとともに、国際的慣行・動向である「30年ルール」を採用し、30年の経過とともに原則公開すべきである。


第5 市民による新たな表現手段の獲得

インターネットの急速な発達は、市民が自ら社会に対して情報発信することを可能とし、同時に、インターネット上に行き交う情報を容易に取得することを可能とした。このような特性を有するインターネットは、市民の表現の自由及び知る権利を支える画期的な媒体であり、市民の共有財産というべきである。


インターネット上には、名誉権やプライバシーを侵害する情報や子どもの成長発達上好ましくない情報なども流通しているなどの問題もあり、このため、インターネット上の情報の流通に公的な規制を期待する見解もある。


しかし、市民が自由で多様な表現活動を行うことができるというインターネットの特性に鑑みれば、国及び地方公共団体は民間における自主的で主体的な取組を尊重すべきであり、そのような取組によっても問題が解決しない場合は、当事者に攻撃防御の権利が保障された司法手続によるべきである。


また、米国、ドイツ、韓国など諸外国では、市民の作成した番組を地上波放送局やケーブルテレビ局の一定の枠を利用して放送させるなど市民がマスメディアを利用して表現の自由を行使することを可能とする制度(パブリックアクセス)がある。このような仕組みは、大衆社会及びマスメディアの発達によって情報の受け手とならざるを得ない市民が自らの意見などを社会に伝えるために有用である。マスメディアが持つ高度の公共性、あるいは、放送などの媒体が本来市民に共有されるべきものであることなどを考慮すれば、日本でもこの問題の研究を深め、導入の是非の検討を行うことが今後の課題である。


第6 提言

当連合会は、たとえば、1999年に発表した「人権のための行動宣言」において、民主主義社会の基盤となる表現・集会・結社の自由などの精神的自由の保障の重要性を指摘し、社会秩序の維持、犯罪捜査の目的などの名のもとに、これらの人権を侵害するおそれがある法制定には強く反対し、行動することを宣言し、また、2007年の第50回人権擁護大会において、日本国憲法や国際人権法の定める人権保障を実現することの重要性を強く訴えるとともに、精神的自由などの人権の保障等の活動に全力を尽くす決意を表明してきた。


しかし、表現の自由の危機的状況は改善される方向にあるとはいえない。そこで、当連合会は以下のとおり提言する。


  1. 民主主義社会における市民の表現行為の重要性に鑑みれば、市民の表現の自由及び知る権利は最大限保障されなければならない。したがって、国、地方公共団体、とりわけその権限行使に強制力が伴うことが多く権限濫用の危険性を内包する警察及び検察は、市民の表現行為、とりわけ市民の政治的表現行為に対する干渉・妨害を行ってはならない。
    また、裁判所は、「憲法の番人」として、表現の自由に対する規制が必要最小限度であるかにつき、厳格に審査しなければならない。
    そして、政府及び国会は、公務員の休暇時のビラ配布などを一律に制約している国家公務員法や地方公務員法の規定を改正すべきであり、また、市民の選挙運動や政治的表現の自由を確保するため、早急に公職選挙法を改正し、選挙運動における戸別訪問禁止などの制約を撤廃すべきである。
  2. マスメディアは、自らが行う取材・編集・報道は、市民のために行っていること、すなわち、自らが享受する報道の自由は受け手である市民の知る権利に奉仕するものであることを十分に自覚し、権力に迎合するのではなく、権力に対する監視を役割とすることを改めて認識すべきである。そのために、速やかに閉鎖的な記者クラブをすべてのジャーナリストに開放し、権力に対する監視機能に疑念を持たれることのないようにするなど、自らを規律すべきである。さらに、権力による不当な干渉を排除して、多様な報道を実現し得るよう努力すべきである。
  3. 世界の主要国では放送行政について、政府から独立した機関が管轄し、放送に対する政治的介入を防ぐための制度が採用されている。しかし、現在の日本の法制では、総務省が免許権限・監督権限を独占しており、その弊害は前述したとおりである。そこで、日本でも、直ちに放送行政を政府から独立させるための制度を確立させるべきである。
    また、行政が保有する情報は、税金によって収集されたものであり、かつ、将来の国政及び地方政治のあり方を市民自らが検討するうえで不可欠のものであるから、本来すべて市民が共有すべきものである。しかし、現在の情報公開制度は非開示とされることが多く、裁判所も行政の判断を安易に追認することが多い。そこで、特段の事情がない限り、行政が保有する情報は公開されるように情報公開法を改正し、さらに、情報公開が実効化されるような公文書管理制度を実現しなければならない。
  4. インターネットの利点を最大限に生かすために、できる限りインターネット上の表現活動による弊害の防止のルール作りやその管理は民間における自主的で主体的な取組に委ねるか、または、当事者に攻撃防御の権利が保障された司法手続によるべきである。

私たちは市民とともに、表現の自由が、戦争の惨禍を経て初めて日本国憲法によって保障されるに至った歴史的意義を認識しつつ、不断の努力によってこれを保持していかなければならない。


当連合会は、今後も、表現の自由を確立する活動を通じて、表現の自由と知る権利の重要性を強く訴えていくとともに、21世紀の日本において自由で民主的な社会が実現されるために全力を尽くす決意であることを表明する。


以上