被疑者取調べ全過程の録画・録音による取調べ可視化を求める決議

わが国の刑事裁判は、捜査段階の密室での取調べで作成された被疑者の自白調書に強く依存している。その作成過程は客観的証拠で検証することができない。このことが、捜査官の強制などの不当な取調べを誘発し、虚偽の自白による多くの冤罪を生んできた。このような刑事裁判の現状を改善するため、当連合会は、かねてから、被疑者の取調べ過程を録画・録音することによる取調べの可視化を強く求めてきた。


諸外国においては、被疑者取調べの可視化が広く実施されており、国際人権(自由権)規約委員会も、日本政府に対し、被疑者取調べについて「電気的な方法により記録されることを強く勧告」しているところである。被疑者取調べの可視化は、国際人権法、憲法、刑事訴訟法の上からも、被疑者の権利として構成され、かつ、保障されなければならない。


ところで、今般の刑事司法制度改革において、裁判員制度が導入される。裁判員制度では、市民にわかりやすい審理が求められるとともに、できるだけ明瞭な証拠提出を心がけ、裁判員に過大な負担をかけないことが求められる。これまでのように、自白の任意性・信用性をめぐって長時間にわたる証人調べを行うことは不可能であり、そうした立証課題は、取調べ全過程の可視化によって果たされなければならない。裁判員制度にとって、被疑者取調べ全過程の可視化は必要不可欠の条件きである。


また、「裁判の迅速化に関する法律」が施行されたが、被疑者・被告人の権利を保障しつつ、充実した審理によって迅速に事実を解明するという同法の目的を達するためにも、被疑者取調べ全過程の可視化が必要である。


ここに、当連合会は


  1. 国に対し、「裁判の迅速化に関する法律」が施行されたことを受けてすみやかに、遅くとも裁判員制度の導入時までに、被疑者取調べの全過程を録画・録音し、これを欠くときは、証拠能力を否定するか少なくとも任意性の疑いが推定される法律を整備すること
  2. 検事総長、警察庁長官に対し、上記1の法制化がなされるまでの間、各捜査機関の捜査実務において、少なくとも被疑者がこれを求めたときは、即時に被疑者取調べ全過程の録画・録音を実施するよう指導を徹底すること

を求めるとともに、被疑者取調べ全過程の録画・録音による可視化の実現のため、当連合会が、全力を挙げて取り組んでいくことを決意する。


以上のとおり決議する。


2003年(平成15年)10月17日
日本弁護士連合会


提案理由

第1 密室取調べの弊害

1 誤判の温床としての密室取調べ

わが国の刑事裁判は、捜査段階の密室での取調べで作成された被疑者の自白調書に、強く依存している。密室取調べは、過去数多くの自白強要、虚偽自白を生み、再審無罪となった死刑判決をはじめとする冤罪や、不当な事実認定・量刑など、誤判の重要な原因となってきた。供述調書の作成過程を客観的証拠で検証することができないことが、捜査官による強制など不当な取調べを誘発し、虚偽自白による多くの冤罪を生んできたのである。このことは、不当な取調べが行われたことを指摘する判決が今日に至るも、およそ絶えることがないことからも明らかである。


2000年(平成12年)3月には、松山地裁宇和島支部において、密室取調べによって、虚偽自白を余儀なくされた男性が、1年以上にわたる勾留を受けたが、偶然真犯人が現れたことによって、判決直前に釈放される事件が発生した。検察官から無罪論告を受け、無罪を言い渡されたのである。この事件は、密室取調べでの自白獲得を第一義とするわが国の刑事捜査の問題点を露呈したものである。けだし、密室における数時間の取調べで、虚偽自白が、まさに、なされているのだからである。これがあくまでも氷山の一角にすぎず、密室取調べにおける虚偽自白によって、誤判に苦しむ者がなお多く存在することは、刑事弁護に携わる者にとって、共通の認識である。


2 任意性審理の深刻な状況

これまで、公判において自白の任意性や信用性がひとたび争われると、被疑者取調べ経過を客観的証拠により明らかにすることができないために、密室取調べの状況をめぐって、延々と論争が繰り返されるという事態が続けられてきた。


たとえば2003年(平成15年)3月3日に東京地裁で判決が言い渡されたリクルート事件では、審理期間として13年余を要し、公判回数322回を重ねたが、公判審理の多くは、被告人の検察官調書の任意性、信用性及び関連証人の捜査段階における供述調書の特信性の立証に費やされた。これは、被告人の迅速な裁判を受ける権利を実質的に奪っているというべきである。このような任意性・信用性審理の現況は、極めて深刻な状況にあるといわざるをえない。


第2 取調べ可視化の人権保障の意義

以上のような状況を改善するためには、被疑者取調べの可視化が、是非とも実現されなければならない。これは、自白強要などの不当な取調べを排し、捜査を適正化するための最低限の条件である。


1 国際人権法上の人権保障の基準

イギリスでは、1984年の「警察・刑事証拠法」制定により、取調べのテープ録音が法制化され、現に取調べ実務を大きく変えたとされている。また、イタリアでは録画・録音しない調書は裁判上使用できない扱いとされており、アメリカのアラスカ州、ミネソタ州、イリノイ州でも、その義務付けが定められている。その他の諸外国でも、捜査実務上、録画・録音による取調べの可視化が広く実施されている。


国際人権(自由権)規約委員会は、1998年11月5日、日本政府の報告書に対する審査に基づく最終見解の25項において、わが国の被疑者取調べについて「電気的な方法により記録されることを強く勧告」している。取調べ過程の可視化は、今や国際人権法上、被疑者の供述の自由を確保し、その人権を保障する基準とされているといってよい。


2 可視化請求の権利性

被疑者は、憲法38条1項によって黙秘権を保障されている。身体拘束下の被疑者取調べにおいて黙秘権保障のための手続的保護措置が不可欠であることは、憲法38条1項と同旨の憲法修正5条をもつアメリカにおいて、ミランダ判決(1966年)によって確認され、ディカソン判決(2000年)で憲法上の要請であることが明示されている。手続的保護措置が不可欠との法理は、我が国においても、何ら異なるべき理由がない。むしろ、憲法38条2項は同条1項を受けて、被疑者に供述の自由を確保するための手続的保護措置を求める趣旨と解することができる。刑事訴訟法319条及び322条が任意性に疑いがないことの立証責任を検察官に負わせているのも同様の趣旨と解することができ、その証明の程度は、合理的な疑いを超えるものでなければならない。客観的な資料、言い換えれば、可視性を十二分にもつ資料による立証がなされない限り、任意性を肯定できないというルールが確立されるべきである。


被疑者がこのような供述の任意性を確保する手続的保障措置として取調べの可視化を求めることは、本来、被疑者の権利として構成されるべきものであり、憲法13条による自己情報支配権、憲法31条及び刑事訴訟法1条による適正手続の保障、さらに防御の主体としての防御権そのものからも、そうした権利を導きうるものというべきである。自らの供述の自由を確保するため、また、自ら情報を提供するにあたり、情報提供の経過及び内容を完全に保全する措置を求めることは、国家から告発された者にとって、その人格上の当然の権利として構成されなければならない。


第3 法務省見解の不当性

ところが、法務省は、密室取調べの弊害や諸外国の趨勢、国際人権(自由権)規約委員会の勧告を無視し、司法制度改革審議会での意見聴取でも、取調べ可視化は、被疑者の供述心理に影響を与え取調べの意義、機能を損なうことから導入は不相当であるとし、「一番事情を知っている可能性のある者から事情を聞くのが常道であり、被疑者の取調べは最も重要である。自白がなければ真相解明できない事件はたくさんあり、自白を得ることが悪いのではない。被疑者が重大な事実を自白する瞬間、立会事務官を外してくれと頼まれたり、弁護人には内緒にしてくれと頼まれたりすることがあることからも明らかなように、他人に見られていては真実は話せない。テープ録音をされたのでは、自白は引き出せない」などとする意見を述べている(司法制度改革審議会第26回議事概要)。そして、現在も、録画・録音による被疑者取調べの可視化について反対する姿勢を変えていない。


しかし、外部から検証できない密室取調べで語られる自白こそが真実であり、そのような自白の獲得こそが真相解明であるなどということは、実証性もなく、客観的にも何ら立証されていない。公正・適正な取調べがなされれば、捜査官が、事後的・客観的検証である取調べ可視化を拒む理由はないし、かえって取調べ可視化が検察官の自白の任意性の立証を容易にする。これにより、捜査機関の違法な取調べを減少させることも明らかである。


また、法務省は、取調べ過程を書面に記録する制度によって可視化がはかられるとも主張しているが、捜査官が自ら「私は脅迫して自白を得ました」などと記録することは期待できないのであり、そうした制度によっては任意性をめぐる争いは到底消滅しない。録音・録画という客観的方法による可視化こそが必要である。その際、一部の録画・録音では、密室取調べの弊害を除去できないし、それ以外の部分について現在と同様な任意性をめぐる争いがくり返されることにもなりかねない。取調べ全過程の録画・録音が必要とされるゆえんである。


なお、書面による記録化には膨大な人的作業が必要とされるのに比べ、録画・録音は記録装置のスイッチを入れるだけで済むのであり、制度導入当初に一定の物的コストが必要であることをふまえても、全体として相当のコストダウンが図れるというべきである。


第4 取調べ可視化の緊急的必要性

当連合会は、かねてから刑事司法の現在の問題点を指摘し、取調べの可視化の実現を強く求めてきた。本年7月14日には理事会で「取調べ可視化」についての意見書を採択し、会長談話や会長声明においてもその重要性を強調してきた。


現在、導入されようとしている裁判員制度では、一般市民にとってわかりやすい審理が求められるとともに、できるだけ明瞭でわかりやすい証拠を、検察官、弁護人が提出することで、裁判員に過大な負担をかけないことが求められている。これまでのように、自白の任意性・信用性をめぐり、長時間にわたって証人調べを行うことなどは不可能である。裁判員制度にとって、取調べの可視化は必要不可欠の条件である。


また、裁判を2年以内に終わらせることを目標とする「裁判の迅速化に関する法律」が平成15年7月9日に成立し、同年7月16日から施行されている。この法律制定の過程でも、当連合会はこの法律が掲げる目標を達するには録画・録音による取調べの可視化が不可欠の条件であると求めたが、政府はそうした可視化は時期尚早で将来の課題であると答えるにとどまった。しかしながら、その後の国会審議において、参議院法務委員会では「裁判所における手続の充実と迅速化を一体的に実現するため、…検察官手持ち証拠の事前開示の拡充につとめるとともに、取調状況の客観的信用性担保のための可視化等を含めた制度・運用について検討を進めること」という付帯決議がなされている。


国は、それらの事情を十分考慮し、「裁判の迅速化に関する法律」が施行されたことを受けてすみやかに、遅くとも裁判員制度の導入時までに、録画・録音による被疑者取調べ全過程の可視化を法制化すべきである。


そして、そうした「裁判の迅速化に関する法律」の趣旨などからすれば、法制化されるまでの間も、捜査実務の中で、少なくとも被疑者がこれを求める場合には、各捜査機関が被疑者取調べ全過程の録画・録音を実施する運用が即時開始されなければならない。また、裁判所においては、同様の趣旨から、法制化される以前であっても、公判において任意性の争いが生じたときは、録画・録音を伴わない捜査段階の自白は、少なくとも証拠能力に疑いが持たれ得るとの観点から、これを慎重に審理判断すべきである。


第5 結論

そこで、当連合会は、


  1. 国に対し、「裁判の迅速化に関する法律」が施行されたことを受けてすみやかに、遅くとも裁判員制度の導入時までに、被疑者取調べの全過程を録画・録音し、これを欠くときは、任意性を否定するか少なくとも任意性の疑いが推定される法律を整備すること
  2. 検事総長、警察庁長官に対し、上記1の法制化がなされるまでの間、各捜査機関の捜査実務において、少なくとも被疑者がこれを求めたときは、即時に被疑者取調べ全過程の録画・録音を実施するよう指導を徹底すること

をそれぞれ求めるとともに、被疑者取調べ全過程の録画・録音による可視化の実現のために当連合会が全力を挙げて取り組むことを決意し、本決議案の提案に至ったものである。


以上