政府から独立した調査権限のある人権機関の設置を求める宣言

今世紀、2度の世界大戦により多数の人命が失われた反省に立ち、人類は、国連を中心とした平和と基本的人権を尊重する世界をめざし歩み始めた。しかし、戦争や民族紛争、人種・性や身分による差別、あるいは権力の行使により、人間の尊厳と人権は侵され続けてきた。さらには、生殖科学やコンピュータなど先端科学に伴う新たな問題も生じてくるまでになった。以上からすれば、来るべき21世紀こそ、人権の保障を人類共通の最優先課題としなければならない。


国連は、人権諸条約を成立させ、その条約が規定する実施措置によって人権保障をはかろうとした。さらに、ヨーロッパ人権機構のような地域人権保障機構の設立を推進し、あわせて各国内の人権機関の設置を重視した。1993年国連総会は、「国内人権機関の地位に関する原則(パリ原則)」を採択し、人権侵害の救済、立法・政策提言、人権教育の3つの機能をもつ、政府から独立した機関を各国内に設置すべきであるとした。


わが国では、人権に関する立法・政策提言や人権教育を専門に担当する機関はない。また、人権救済にかかわる諸機関は、その機能を十分発揮していない。すなわち、裁判所は、手続が複雑で、弁護士の援助や費用を要し、解決までに相当の時間がかかる。法務省人権擁護委員制度は、人権擁護委員に調査方針や最終処理の決定権がなく、加害者が国や自治体の場合はほとんど役立っていない。弁護士会の人権救済は、警察官、拘置所・刑務所の職員などから事情聴取ができないことが多く、また専任制でないが故の限界がある。1998年の国際人権(自由権)規約委員会の日本政府に対する勧告にあるように、独立した人権機関の設置が必要である。


われわれは、21世紀を真に人権の世紀とするため、上記のパリ原則にのっとり、以下のような準司法的権限を持ち、実効ある救済措置を講ずることのできる独立行政委員会の設置を、国に対して求める。


  1. 人権救済、立法・政策提言及び人権教育の3つの機能を有する。
  2. 公権力行使に伴う問題も当然に管轄し、法定の調査権限を有する。
  3. 委員の任命は、その独立性と構成の多元性を実質的に保障し得る方式により、両議院の同意を得て、内閣が行う。
  4. 経費は独立して国の予算に計上し、固有の採用権限に基づく事務局を有する。
  5. 委員は、すべての都道府県に配置する。

われわれは、弁護士会の人権救済、立法・政策提言及び人権教育の取組みを一層強化するとともに、市民と協力して、上記の国内人権機関の設置に向け、最大限の努力を行うものである。


以上のとおり宣言する。


2000年(平成12年)10月6日
日本弁護士連合会


提案理由

1. 今世紀の人権状況と21世紀の課題

今世紀は、2度の世界大戦を経験し、このため数千万人が死亡した。


最大の人権侵害といわれる戦争を防止できなかった反省に立ち、戦後は国連を中心として、平和と基本的人権の尊重に重点が置かれるようになった。


第2次大戦を引き起こした国家においては、戦争前から重大な人権侵害を引き起こしていたことに着目し、平和を守るという観点からも、各国国内における人権が保障されなければならないと考えられた。そして、この人権侵害が、それぞれの国においては「合法的」になされたとの反省に立ち、人権を保障するためには各国に委ねるのでは足りず、国際的な人権基準が設置される必要があること、また、他国の人権問題についても「干渉」できることが必要であると考えられるようになった。このような人権の国際的保障の観点から、国連が中心となって、世界人権宣言と、これに引き続く23の人権条約が採択されていった。


しかしながら、第2次大戦後も戦争や民族紛争が繰り返され、いまなお多数の死傷者をもたらし、多数の難民を生じさせている。また、従来型の人権侵害に加え、これからは先端科学による高度に専門的な問題、大規模公害など広範かつ深刻な人権問題なども生ずるおそれがある。来るべき21世紀こそ人権の保障が最大の課題として取り上げられなければならない。


国内でみるならば、取調時の暴行、拘置所・刑務所・入管あるいは精神病院における被収容者に対する暴行、男女差別、部落差別、在日韓国・朝鮮人あるいは滞日外国人に対する差別、ドメスティック・バイオレンス、子どもの虐待、学校における体罰やいじめ、高齢者・障害者の権利の侵害、マスコミによるプライバシーや名誉侵害、ハンセン病患者に対する強制隔離などなど、様々な人権侵害が繰り返され、しかもあとをたたない。また、最近では、科学技術の急速な進展に伴うインターネットなどによる名誉毀損、あるいは生殖医療など、予想もしなかった新たな人権侵害の危険が生じている。日本においても、やはり人権保障が最も重要な問題として取り上げられるべきである。


2. 人権救済

既に発生した人権侵害については、その速やかな救済措置が講じられなければならないことは当然であろう。被害者にとって、容易に申立てができ、簡易・迅速に実効的な救済がなされることが何よりも必要である。


裁判が果たしてきた人権救済機能は、一定評価されるべきものがある。しかし、従来の裁判は、5年、10年とかかるものも稀ではなかった。手続面で弁護士などの援助がなければ救済を受けることは困難であり、費用もかかった。裁判は公開であり、これは必ずしも被害者救済からは望ましいものではない。また、裁判所は公平・中立とされ、職権で手続を開始することはできず、裁判所のリーダーシップにより、人権救済の観点から積極的に調査をすることもできない。さらに、日本の裁判所は、国際人権(自由権)規約や国際人権(社会権)規約の規定を裁判規範として用いることについて非常に消極的である。このため、後述するように、国際人権(自由権)規約委員会から、特に裁判官に対する研修教育の必要性を勧告されるに至っている。


わが国独自の法務省人権擁護委員制度についてみると、民間人から委嘱される人権擁護委員は、1999年1月現在で1万4178人であるところ、彼らには調査方針や最終処理の決定権がない。法務省の人権擁護部門の職員数は、2000年2月現在で209名にすぎず、しかも専門職ではない。相談件数は年間60万件を超え、人権侵害受理件数も年間1万6000件を超えている。しかし、公務員の職務行為に関するものは4%程度で、教師による体罰や所持品検査といったものが多数を占めている。警察官によるものは僅か0. 55%にすぎず、刑務所・拘置所・入管職員による人権侵害はさらに少なく、公務員等権力機関による人権侵害については、市民が実効性に疑問を持っていることが示されている。


また、日弁連や各地の弁護士会においては、人権侵害申告事件について調査を行い、警告その他の処置をとってきた。これは強制力がないものの、権力による人権侵害を含め、様々な分野で一定の役割を果たしてきたとわれわれは自負している。しかしながら、調査権限が法律上規定されていないため、人権侵害者、あるいは目撃者である警察官、拘置所・刑務所・入管の職員などから事情聴取そのものができないことが少なくないという重大な問題を抱えているのである。また、専任ではない個々の弁護士の無償活動に依存しており、人的にも時間的にも限界がある。さらに、弁護士会の人権救済制度は必ずしも広く知れ渡っているものでもなく、加害者が警告などを無視したり、警察が警告書を返送することもある。


このようにみてくると、わが国の既存の人権救済にかかわる諸機関は、人権救済に要請される申立ての容易さ、簡易さ、迅速かつ実効的な救済という観点からすると、いずれも十分機能しているとは言いがたい。


3. 人権教育と立法・政策提言

人権教育は、人権意識を向上させ、被害者には侵害に対し抗議の意思表示をさせ、また、侵害者となりうる立場にあるものに他人の人権を配慮させることにより人権侵害の発生を未然に防止し、さらには人権侵害に対する社会的な監視を強化する意義がある。このような観点から、学校教育において、社会人に対して、また警察官、検察官、裁判官など法の執行に関与する専門職に対して、適切な人権教育が行われる必要がある。


人権侵害は、社会の様々な要因によって発生し、また助長されうる。従って、発生した個別の人権侵害に対処するにとどまらず、社会内に存するこれらの要因の是正、除去の検討も必要となってくる。そして、これら人権侵害の要因の根本的是正、除去という人権侵害発生防止策のみならず、人権救済制度のあり方や運用方法などについて、行政政策あるいは立法にかかわる提言も極めて重要である。


これらの人権教育の実施や立法・政策提言をするためには、わが国における人権状況や人権侵害の発生の原因などについて、専門家による十分な調査・検討がなされることが前提となるが、現在の日本において、かかる能力を有する機関は存しない。従来、これらの人権教育を行ってきた機関としては、法務省人権擁護局が想起される。しかし、その活動内容はパンフレットの作成・配布といった啓発などにとどまり、上記のような人権教育としては到底十分なものとは言えない。また、弁護士会は、報告書、意見書、人権擁護大会などにおける宣言・決議などを公表し、政策や立法に反映させるなど一定の役割を果たしてきた。しかし、その人員、時間あるいは財源が限られており、やはり十分なものとは言えないのである。


4. 条約の実施をめぐる国際的な潮流

上記のように、第2次大戦後、国連を中心に人権諸条約によって設定された国際人権基準は、各国国内で現実に実施されてはじめて意味を有する。そこで、各国国内での実施を確保すべく、様々な方策がとられてきた。締約国自身の実施義務は、条約で明文で定められている。また、条約の人権に関する規定は、そのままで、あるいは国内法に受容されて、国内裁判所で裁判規範として使われることが意図されている。さらに、これらの人権条約では、委員会による政府報告書の審査制度、個人通報制度など、それぞれ条約の規定する実施措置によって各国内での実施を意図した。しかしながら、これらの国際人権基準は、必ずしも各国内で十分実施されていないと考えられたのである。


世界は一様ではなく、文化や宗教など、地域ごとに特色があることから、地域人権保障機構を創設し、これによって条約の各国内での実施をはかろうとした。このような観点から、国連は、地域人権保障機構の設置を積極的に進めた。これは既に欧州、アフリカ、米州で実現しているものの、アジアでは未だに実現していない。


そして、地域人権保障機構の創設とならんで、各国の国内人権機関の設置が重視されるようになってきた。その前提として、各国の立法・行政・裁判機関によるだけでは、条約の国内実施が十分ではなかったという認識がある。また、各国の国内機関は各国の人権状況の把握が容易であり、被害者にとっては、申告などが迅速かつ容易にできる。さらに、救済措置が講じられたあと、それが現実に遵守されているかどうかも容易に確認することができる。これらの理由から、政府から独立した国内人権機関の設置が重視されてきた。


このような国内人権機関の重視という国際的な流れを受け、1993年国連総会において、「国内人権機関の地位に関する原則(パリ原則)」が採択された。この国内人権機関については、人権状況についての報告書の準備、人権諸条約の履行の確保とともに、(1)人権侵害の調査・救済、(2)人権に関する立法・政策提言、(3)人権教育研究のプログラム作成と実施が重要な職務として規定されている。また、国内人権機関の構成は、社会集団の多元的な代表を確保すること、独立性を確保するために政府から独立した財源を持つもの、とされる。1980年以後、各国において国内人権機関が次々と設置され、アジアにおいても既にインドなど5カ国で設置されている。


5. 規約人権委員会の勧告

1998年、国際人権(自由権)規約委員会は、第4回日本政府報告書審査を行って最終見解をまとめた。この中で日本では、人権救済の利用可能な制度がないことを指摘し、公権力による人権侵害救済に重点をおいた独立人権救済機関の設置を求めた。また、法務省人権擁護委員制度がこれにあたらないことを明言したことが注目される。さらに、裁判において国際人権(自由権)規約が被害者の救済のためほとんど用いられていないことから、同規約について裁判官に対する教育を強く求めている。


6. 国内人権機関設置についてのわが国の状況

1997年施行された人権擁護施策推進法に基づいて、法務省に設置された人権擁護推進審議会の諮問第2号は、「人権が侵害された場合における被害者の救済に関する施策の充実」である。まさに、これは国内人権機関の人権救済の機能にかかわるものである。人権擁護推進審議会は、2001年8月までに答申をまとめる予定であり、本年7月28日、いくつかの論点を公表した。その中には、「どのような人権侵害を対象とすべきか」との項目があり、公権力による人権侵害も視野にいれ検討しているようである。しかし、人権擁護推進審議会が従来行ってきた国内人権機関についての海外調査では、いずれも公権力の行使が対象に含まれておらず、最終的に公権力の行使を救済の対象に含むとするかどうか明確ではない。また、論点には「現行の内部部局型の組織の充実で対応可能か。何らかの独立性を有する合議制又は独任制の組織を考える必要があるか」との項目があり、明確に政府からの独立を志向しているとは言いがたい。


7. われわれがめざすもの

(1) 日本における政府から独立した人権機関の必要性

既に指摘したように日本では、被害者のため簡易・迅速に実効的な人権救済をはかる機関は未だに存在しない。そして人権擁護のためには、立法・政策提言、あるいは人権教育もあわせて重要であるところ、日本では、これらの分野でも十分機能している機関はない。


また、条約の国内実施の観点からみると、国内実施義務を負う日本政府も、また条約の国内適用にあたる裁判所も、いずれも条約の国内実施について決して積極的とは言えない。また日本は、国際人権(自由権)規約その他の条約が予定している個人通報制度を採用していない。さらに、日本を含むアジア地域には、地域人権保障機構が設立されていない。


このような状況からすれば、日本においては、政府から独立した国内人権機関の設置が、一層必要であると言えよう。


(2) 人権機関の基本的機能と組織

わが国において、国連総会で採択されたパリ原則で示されたように、人権救済、立法・政策提言及び人権教育の3つの機能を有した、政府から独立した人権機関を創設すべきである。


この人権機関は、国家行政組織法第3条による独立行政委員会をさらに独立性について強化したものとする。すなわち、国会、裁判所及び会計検査院と同様、その経費につき、独立して国の予算に計上されるものとする。委員の任命についても、政府からの独立性が必要であり、例えば、国会に設置された推薦委員会の推薦に基づき両議院が同意した上で内閣が行うこととする。また、委員の構成は、パリ原則に従い多元性が確保されなければならず、男女比率を考慮し、市民団体が推薦した者、法律に関する学識・実務経験者を含むものとする。また、独自の事務局を有する必要がある。国や都道府県の公安委員会が、実際には権限を有さない理由のひとつに、独自の事務局を持たないことがあげられていることを考慮すべきであろう。さらに、既存の独立行政委員会が、各省庁間の横滑り人事により、官僚支配を脱しきれず独立性を発揮しがたい現状に鑑み、その職員は国家公務員法上の特別職とし、人権機関が自ら一般職とは異なる特別の試験を実施し、職員を採用する権限を有する必要がある。人権救済の観点からすれば、被害者が簡易・迅速に被害申告ができなければならない。従って、中央に組織があるだけでは不十分であり、各都道府県に被害申告を受理できるように委員を配置する必要がある。NGO(非政府組織)との協力も組織の原則として検討される必要がある。


(3) 救済機能

救済の対象としては、人権侵害の重要な部分を占めている公権力行使に伴う人権侵害が含まれるべきである。人権救済の手続及び判断においては、表現の自由、思想及び良心の自由、信教の自由など、憲法で保障された基本的人権の重要性が十分配慮されること、また検閲を行ってはならないのは当然であるが、大学の自治、弁護士自治、報道の自由などにかかわる重大な問題については、その分野における先議を尊重するかどうかも含め、今後慎重な検討が必要である。


人権救済措置が社会的な信頼を得るためには、救済措置の前提として、十分な調査がなされる必要がある。そのためには、加害者や関係人に出頭を命じて審訊し、関連する書類の提出を求め、関係場所に立ち入るなどの調査権限が、法律によって国内人権機関に付与される必要がある。弁護士会の人権侵害申立事件においては、調査権限がないため、特に警察や拘置所、刑務所などに対する調査ができなかった事例が想起されるべきである。ただし、公権力を対象とする場合と民間を対象とする場合とでは、調査権限やその行使方法について、自ずから差異が存するべきであるとも考えられるので、その点については今後慎重に検討する必要がある。


また、救済措置は、迅速かつ実効的なものでなければならない。人権機関は、人権侵害の態様に応じた適当な措置を加害者に求めることができ、必要があれば措置を公表し、また、措置を国、地方公共団体、あるいは関係機関に送付できるものとすべきである。


8. 結論

われわれは、上記のようなこの国内人権機関の設置を、政府や関係機関に対して強く求めるものである。われわれは、弁護士会自身の人権救済、立法・政策提言及び人権教育の取組みを一層強化するとともに、市民と協力して、上記の国内人権機関の設置にむけ、最大限の努力を行うものである。