新しい世紀の刑事手続を求める宣言 -刑事訴訟法施行50年をふまえて-

1949年(昭和24年)1月1日、憲法が定める刑事手続を具体化するべく、現行刑事訴訟法が施行された。同法は、旧法的色彩を残しながら、令状主義・勾留理由開示制度の採用、証拠法の厳格化、当事者主義の強化など英米法の長所を重要な部分において採用し、多大の期待をもって迎えられた。


ところが、その後の運用によって、これらの長所は活かされることなく歪曲された形で定着し、代用監獄の存続、密室での取調べ、弁護人との接見交通権の制限、人質司法とまで言われる長期勾留と保釈の権利性の否定、検察官手持証拠の不開示などとあいまって、司法の機能は、十全に果たされない状態に至った。


当連合会は、かかる憂慮すべき状況を是正するため、代用監獄の廃止や接見交通権の確立に向けての取組みなど種々の活動をなし、とりわけ第32回人権擁護大会(於・松江市)において、弁護士会として組織的に取組むことを宣言し、刑事弁護センターを設立し、当番弁護士制度の確立と充実に力を注いできた。また、国費による被疑者弁護制度の実現を求めるなど制度改革のための努力も続け、これらの活動は、市民・学者・マスコミ等からも積極的な評価を受けてきた。


このように、一定の成果をあげてはきたが、刑事訴訟法施行50年を経た今日に至っても、松江宣言が指摘した「憂慮すべき状況」は、本質的には改善されていないばかりか、さらに悪化している。そのため、わが国の制度と運用は、国際人権(自由権)規約委員会による度重なる改善勧告を受けるなど、刑事手続の国際水準からも著しく立ち遅れたままである。


今や、現行制度の改善の枠を超えて、刑事司法の枠組みの抜本的改革を提起していくことが求められている。おりしも、本年7月、内閣に司法制度改革審議会が設置され、その中で、法曹一元、陪・参審制度や刑事法律扶助等刑事司法の抜本的な改革の契機となるものが議論されようとしている。


当連合会は、わが国の刑事手続を、真に憲法の理念にかない、国際人権法の水準に見合ったものに改革していくため、市民と手を携えて、国費による被疑者弁護制度の実現はもとより、代用監獄の早期廃止、捜査の可視化、人質司法の打破、証拠の事前全面開示、公判審理の活性化、さらには、法曹一元や陪・参審制度の導入など、刑事訴訟法の全面的な改正をも視野に入れた広範な改革に取り組むものである。


刑事訴訟法施行50年にあたり、以上のとおり宣言する。


1999年(平成11年)10月15日
日本弁護士連合会


提案理由

1.

日本国憲法は、旧憲法下の刑事司法における人権侵害の深刻な実態に対する反省に基づき、31条から40条に至る世界的にも類例を見ないほどに詳細な刑事人権保障規定をおいた。 刑事手続における憲法的原則は、適正手続・強制処分法定主義(31条)、令状主義(33条、35条)、弁護人の援助を受ける権利(34条、37条)、証人審問権・伝聞証拠排除(37条)、黙秘権(38条)、自白排除(38条)などとして示されている。


刑事訴訟法は、1948年(昭和23年)7月10日公布され、翌1949年(昭和24)1月1日から施行されたが、これらの憲法的原則を具体化するものとして多大の期待をもって迎えられた。


刑事訴訟法の制定に携わられた団藤重光博士は、その特徴につき、「なお、多分に大陸法系の特色をもっているが、しかも英米法の長所が重要な部分において採用されているのである。そのいちじるしいものとしては、各種の強制処分における裁判官の令状の必要、勾留における理由開示の手続、証拠法の厳格化、公判手続の構造における当事者主義の強化などを挙げることができよう。」と述べている。


これらの改革は、憲法そのものが保障する黙秘権や弁護人の援助を受ける権利の保障等の被疑者・被告人の防御権の拡充・強化と相俟って、旧刑訴法下の職権主義から当事者主義へと訴訟構造を転換するものであり、少なくとも当事者主義の手続的基盤を創設するものとして捉えられたのである。


しかし、他面において、刑事訴訟法には、令状主義の枠内での捜査機関による強制処分権の付与、被疑者取調べ規定の創設、伝聞法則の広範な例外規定、検察官の無制約な訴追裁量権の維持、被疑者に対する国選弁護制度や保釈制度の欠如、証拠開示規定の欠落などの欠点があったことも否めない。


2.

ところが、その後の運用によって、刑事訴訟法の長所はことごとく骨抜きとされ、刑事訴訟法が目指したものとは似て非なるものとなった。


裁判官の令状審査は形骸化し、司法審査としての機能を失って久しい。理由開示において開示される勾留理由は、具体性に欠け、全くの形式に堕している。自白法則や伝聞法則等の証拠法則は、例外が原則と化している。


さらに、拘置所の不足からの暫定的制度に過ぎなかったはずの代用監獄は存続し、そこでの自白獲得を目的とした取調べが横行しており、弁護人との接見交通権は、刑訴法39条3項によって捜査官の恣意のままに制限されている。「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当の理由」は、「罪証隠滅の虞」として解釈され、長期勾留と保釈の却下により被告人は防御権を剥奪され、人質司法と呼ばれてこれも久しい。検察官は被告人に有利な手持証拠を開示せず、裁判官はこれに対して的確な訴訟指揮をなさず、公判審理は捜査結果を顕出する場にしか過ぎなくなっており形骸化している。


こうして、無罪率は、限りなくゼロに近づき、無罪の発見という司法の機能は全くと言っていいほどに果たされない状態に至っている。


3.

かような状況の進展に抗して、この50年間、全国の弁護士は、様々な事件で、憲法の刑事人権規定に依拠して刑事手続の適正化・当事者主義化に努め、松川事件、メーデー事件をはじめとする各種刑事事件などでの弁護活動によって、黙秘権や接見交通権の確立、自白偏重主義の排除などについて一定の成果をあげてきた。また、当連合会は、弁護人抜き法案や拘禁二法案の廃案など刑事手続を糾問化しようとする立法に歯止めをかけ、死刑4事件などで再審無罪判決を獲ち取り、再審法改正案を提案するなど、精力的かつ継続的な活動を行ってきた。さらに、冤罪と虚偽自白の温床である代用監獄の早期廃止に向けて、当連合会は、1992年(平成4年)2月、「刑事被拘禁者の処遇に関する法律案」を公表し、今世紀限りで代用監獄を廃止すべきことを訴えるとともに、その具体策を提言した。


そして、そのような活動や取組みの期を画したのは、何と言っても松江における第32回人権擁護大会とその後の取組みである。


当時、いかに熱意をもって弁護活動を行っても聞く耳を持たぬに等しい裁判所の対応が弁護士の刑事弁護離れの風潮を蔓延させつつあったが、他方で、死刑再審4事件の無罪判決は、刑事弁護への情熱を再び沸き立たせるとともに、代用監獄問題を改めて浮き彫りにし、被疑者段階の弁護活動の不存在とその重大性等の問題点を弁護士と弁護士会に突きつけることとなった。


同大会の「刑事訴訟法40周年宣言」は、刑事手続の「憂慮すべき状況」を指摘するとともに、制度の改正と運用の改善をはかり、各弁護人に情報・資料を提供し、刑事弁護の充実・強化のための機構の設置など、あるべき刑事手続の実現に向けて全力を上げて取り組むと宣言している。


大会翌年の1990年(平成2年)4月には、同宣言に基づき、「わが国の現在の刑事手続を抜本的に見直し、制度の改正と運用の改善をはかるとともに、個々の弁護活動の充実・向上をめざして、………弁護活動に必要な支援を進め、あわせて刑事裁判についての国民の理解をひろげ、………司法参加の実現をはかる」ことを目的に日弁連刑事弁護センターが設立された。


同センターは、同年9月と12月に大分と福岡で創設された当番弁護士制度の全国実施に取組み、1992年(平成4年)10月には全単位会で実施されるにいたり、昨年の年間利用件数は2万5000件を超えるに至っている。


また、1995年(平成7年)10月、当連合会は、刑事手続改革の課題実現のための運用改善と制度改革を提言する「アクション・プログラム」を策定し、全国の会員に積極的な行動を呼びかけた。


さらに、1997年(平成9年)10月、当連合会は、「被疑者国選弁護制度試案」を策定して公表し、国会議員や市民に、国費による被疑者弁護制度を創設し、憲法上の権利である、被疑者が弁護人の援助を受ける権利を、制度的に保障すべき旨を訴えた。かような提起をも踏まえて、本年7月には、法曹三者による「被疑者弁護に関する意見交換会」が設置された。この意見交換会は、被疑者国選弁護制度の設置そのものを目的とするものではないとされているものの、自然の流れとして、国費による被疑者弁護制度が議論されることが期待されている。


これらの活動に対する市民や学者、マスコミ等の評価は好意的であり、これもひとえに当番弁護士制度など弁護士が基本的人権擁護のため活動を続け、実績を重ねてきたことによるものと言える。


刑事手続の運用や制度の改革について、当連合会の地道な努力による一定の成果が実り、特に被疑者弁護の分野において相当な実績を上げてきたことは事実である。


4.

しかし、刑事手続全体を見るとき、果たしていかほどの改善がなされたのかという疑問を払拭できない。無罪率は0. 1%を割りこんで動かず、勾留率は60%を超え、保釈率は1970年代の3分の1以下となり、平均審理期間、開廷回数は短縮の一途を辿っている。証拠の全面開示も実現の兆しはなく、人質司法・調書裁判の実態はむしろ悪化している。このような状況は、国民の司法参加を峻拒している官僚司法によってもたらされていると言えよう。


刑事訴訟法39条3項の具体的指定権の行使については、この間の国家賠償請求訴訟の相次ぐ勝訴や法務省との直接協議により、一般的指定制度が廃止されるなど一定の改善が行われた。しかし、本年3月、最高裁判所は、同条項が憲法に違反しない旨の判決を下し、1991年(平成3年)5月の、接見指定の要件には「取調べが間近かに予定されている場合をも含む」とする最高裁判決とともに実務の運用を後退させることが懸念されている。


他方、弁護人が被疑者に憲法の保障する黙秘権の行使を積極的に勧めることは、捜査妨害であるとの捜査側による非難や裁判所の判決(東京地判平成6年12月16日。判例時報1562号141頁)による批判の動きがあり、また、有罪であることを所与の前提とする、弁護活動に対するいわれのない攻撃も目立っている。これらは、世間の耳目を集める事件における報道のあり方にも左右され、市民の中に刑事弁護に対する偏見や誤解を生んでいる部分がある。


さらに、本年8月には、組織犯罪対策立法が可決され、コントロールド・デリバリー(監視付き移転)や盗聴などの人権上重大な問題を有する新たな捜査手法が導入され、今後の捜査は、これらの制度の運用によって、大きく変容することも危惧される。


5.

このようなわが国刑事司法の現状は、国際人権(自由権)規約をはじめとする国際人権法のレベルに照らしても、著しく立ち遅れたものになっている。


国際人権(自由権)規約委員会は、昨年11月、日本政府の第4回定期報告書についての最終見解を採択し、刑事司法関連では、次の勧告をなしている。


  1. 警察のコントロール下にあり、速やかでかつ効果的な司法的コントロールのもとになく、保釈が認められておらず、取調べの時間および期間に関する規則が存在せず、国選弁護人が存在せず、弁護人へのアクセスが厳しく制限されており、取調べが弁護人立会いのもとで行われていない起訴前勾留制度を直ちに改革すること。
  2. 代用監獄を規約の要請をすべて満たすものにすること。
  3. 人身保護規則4条を廃止して人身保護手続を制限や制約のない完全に実効的なものとすること。
  4. 代用監獄における被疑者の取調べが厳格に監視され、またテープレコーダーなどの電気的な方法により記録されること。
  5. 弁護を受ける権利が阻害されないよう、弁護側が関連するあらゆる証拠資料にアクセスすることができるよう、その法律と実務を確保すること。

その上で、最終見解は、規約で保障された人権について、裁判官、検察官、及び行政官に対する研修が何ら提供されていないことを指摘し、このような研修を受講できるようにすることを強く勧告するとともに、異例なことではあるが、さらに具体的に、「裁判官を規約の規定に習熟させるため、裁判官協議会及びセミナーが開催されるべきである。委員会の『一般意見』及び第一選択議定書による個人通報に対して委員会が表明した『見解』が、裁判官に配布されるべきである。」とまで述べている。


この最終見解は、わが国が如何に刑事人権後進国であるかを端的に示すとともに、その原因が裁判官にあることを示唆するものである。


6.

刑事弁護をとりまく状況は、このように決して楽観的ではなく、被疑者・被告人の権利・利益の擁護に努めることは当然であるが、当連合会のこれまでの提起と取組みが正しかったことは、この国際人権(自由権)規約委員会の勧告によっても明らかである。また、われわれには、当番弁護士制度を生み、そして育み、国費による被疑者弁護制度の実現をも射程に収めてきた経験と実績がある。


われわれは、自信をもって取り組みを継続・強化しなければならない。


われわれには、当番弁護士制度を橋頭堡としつつ、わが国の刑事司法を、新しい世紀にふさわしい、国際的水準に見合ったものにするため、抜本的改革を大胆に提起していくことが求められている。そして、その焦点の一つは、官僚司法制度にどう風穴を開けるかにある。


おりしも、本年7月、内閣に司法制度改革審議会が設置され、そのテーマには、法曹一元、陪・参審制度や刑事法律扶助等ドラスティックな改革の契機となるものも含まれている。現行制度の改善の枠を超えて、裁判制度の変更も含めた根本的な議論をなすべき時期が到来しているというべきである。


また、市民の中に裁判ウォッチングの会や模擬陪審への参加、さらには全国に発足しはじめた当番弁護士を支援する市民の会など、積極的に刑事司法に関わろうという動きも見られ、弁護士や弁護士会と呼応して制度改革に立ちあがる機運も生まれてきた。


当連合会は、21世紀を明日に控えたこの時期に、憲法や国際人権法の理念に沿った刑事司法を実現すべく、弁護活動の必要性について国民の理解を求め、刑事司法の抜本的、全面的な改革に取組むことを決意し、ここに本宣言を提案する。