報道のあり方と報道被害の防止・救済に関する決議

市民の「知る権利」は、民主主義の根幹をなすものであり、報道の自由は、それに奉仕する重要な役割を担っている。戦後、憲法による報道の自由の保障の下に、新聞・雑誌・週刊誌・テレビなどのマスメディアは、市民の知る権利に応えるべく、政治・社会・経済など各分野で重要な取材・報道を行い、民主主義の発展のために大きな役割を果たしてきた。


しかし、新聞・テレビなどの報道機関は、遺憾ながら今なお、排他的、閉鎖的な記者クラブを通して、官公庁など機関からの公式発表情報に少なからず依存し、それらが提供する経済的便益さえ享受している。これらのことは、報道機関が権力機関を監視し、市民に必要な情報を取材・報道し、知る権利に奉仕する責務を十分に果たす上で妨げとなっている。


他方、新聞・雑誌・週刊誌・テレビなどのマスメディアは、しばしば、興味本位と営利目的に流され、市民に対する行き過ぎた取材・報道や誤報により、その名誉・プライバシーなどの人権を侵害し深刻な被害をもたらしてきた。その結果、行政機関や国会などからマスメディアに対し介入や干渉の理由とされるなど、報道の自由が脅かされるという事態を招いている。


われわれは、この現状を改めるために、次のような改善策の実行を求める。


  1. 新聞・テレビなどの報道機関は、記者クラブを全てのジャーナリストが取材できるように改めるとともに、情報公開制度を活用するなどして、真実に基づき問題の本質に迫る取材と報道を行い、市民の知る権利に奉仕するよう努めること。
  2. 新聞・雑誌・週刊誌・テレビなどのマスメディアは、犯罪に関する取材においては、捜査機関の情報・視点に偏ることなく、被疑者・被告人・弁護人などの言い分も取材した上で報道するように努め、また、原則匿名の実現に向けて匿名の範囲をより拡げるとともに、被害者とその家族の名誉・プライバシーなどの人権を侵害しないように配慮をすること。
  3. 新聞・雑誌・週刊誌・テレビなどのマスメディアは、取材・報道によって関係者の人権を侵害した場合には、速やかに訂正・名誉回復措置を自主的に取るような社内制度(社内オンブズマンなど)を創設・充実するとともに、新聞・雑誌などのプレス(活字メディア)は、「報道評議会」などの独立した第三者機関を自主的に設置し、報道の自由を守りつつ、報道被害の救済の実現に努めること。

当連合会は、本年創立50周年を迎えた。この間、1987年(昭和62年)に開催した第30回人権擁護大会(於・熊本市)において、「人権と報道に関する宣言」を行い、報道機関に対して、幾つかの要望をするとともに、われわれもまた、報道による人権侵害の防止と被害の救済のために全力を尽くすことを誓い、市民とともに、知る権利の確立、報道被害の防止と救済に取り組んできた。この機会に、今後とも、この取り組みを強化し、基本的人権の擁護と民主主義の確立のために努力することを誓う。


以上のとおり決議する。


1999年(平成11年)10月15日
日本弁護士連合会


提案理由

1.知る権利・報道の自由の重要性

市民の「知る権利」は、民主主義の根幹をなすものであり、報道の自由は、それに奉仕する重要な役割を担っている。


マスメディアは、市民のために、立法、行政、司法の各分野を十分に監視し、また、環境、福祉、労働、消費者問題などの社会経済上の諸問題についても広く取材し、市民が必要とする情報を報道することを期待されている。


日本では、制度的には、三権分立による権力機関の相互チェックが期待されているが、現実には、その監視機能は十分に果たされていない。それだけに一層マスメディアは、市民のために、権力機関に対するチェックを行う役割を果たすことが期待されている。


また、社会が複雑化し、社会経済上の諸問題について厖大な量の情報があふれている状況において、市民は、自ら収集する情報よりも、マスメディアが取材し報道する情報によって、知識を補充し、判断し、意見を表明することになる。


戦後、憲法により表現の自由が保障されて、報道の自由や取材の自由が確保・実現される中で、マスメディアは、市民の知る権利に応えるべく、政治的分野でも社会経済的分野でも、重要な多くの情報の取材・報道を行い、大きな役割を果たしてきた。


また、冤罪事件、各地の公害事件、各種の消費者事件などにおいて、積極的な取材・報道を行い、世論形成に大きな影響力を及ぼし、市民の人権を守ることに一定の貢献をしてきた。


しかし他方、これまでマスメディアは、権力機関の監視と真実追究という期待された役割を十分に果たしてきたとは必ずしも言い難い。今日のマスメディアの状況は、マスメディア相互の横並び意識、取材能力の低下、記者クラブの存在、権力による情報操作などにより、本来ジャーナリズムに期待された取材・報道の実践が十分に行われず、むしろ、権力による誘導・情報操作に対する警戒を怠ったまま、取材・報道に追われている側面がある。


また、マスメディアは、しばしば興味本位と営利目的に流され、市民に対する行き過ぎた取材・報道を行い、その名誉やプライバシーなど市民の人権を侵害する事例も依然として跡を絶たない。さらには、重大な誤報を行うなどの事例も散見され、また事件の本質を十分に把握せず、いたずらに情緒に訴える報道も少なくない。


権力機関は、これまで、市民の権利侵害の救済という名目で、マスメディアに対する介入を行おうとしてきたが、その状況は深刻さを増している。すなわち、近時の「椿発言問題」や「所沢ダイオキシン問題」などに見られるように、国会において、報道関係者の証人喚問や役員などの参考人招致が行われたり、郵政省が監督機関ということから、報道関係者に対し行政指導を行うなどの事態が発生している。さらに、政府与党では、近時、「報道と人権に関する検討会」、「選挙報道のあり方に関する検討会」などを発足させて、関係機関、有識者などからの聞き取りを行っている。これらマスメディアに対する介入・干渉は、報道に対する規制ともなりかねない。


マスメディアは、本来自らの自浄作用によって市民の人権を侵害しないようにし、さらには市民の人権を侵害した場合には、自主的にこれを訂正・回復する責務を負っている。権力機関による上記のごとき介入・干渉を招くことは、憲法によって保障される報道の自由が脅かされる事態に立ち至ることを、マスメディアは強く認識すべきである。


2.当連合会の活動とその後の状況

当連合会は、1987年(昭和62年)11月、熊本で開いた第30回人権擁護大会において、「人権と報道-報道の自由と人権擁護との調和を求めて-」と題して、はじめて、人権と報道をめぐる広範な問題点について、本格的な検討を行い、「人権と報道に関する宣言」を採択した。


そして、その宣言の中で、マスメディアに対し、次のように要望した。


  1. 報道に関し、公共性・公益性との関連の程度に応じて、報道される側の名誉・プライバシーなどを十分に配慮し、行き過ぎた取材および報道をしないこと。
  2. 犯罪報道においては、捜査情報への安易な依存をやめ、報道の要否を慎重に判断し、客観的かつ公正な報道を行うとともに、原則匿名報道の実現に向けて匿名の範囲を拡大すること。

それから12年が経過したが、この間、いわゆる犯罪報道に限っても、容疑者呼称が取り入れられ、連行写真が抑制されるなど、ある程度の前進が見られ、人権と報道に関する議論が広く行われるようになったものの、「東京電力女性社員殺人事件」などに見られるように、犯罪被害者とその家族の人権を侵害する取材・報道の問題が、新たに生じている。


3.本決議の趣旨について

われわれは、このような今日の取材・報道の現状に鑑みて、マスメディアが、本来的な役割を果たして、権力のチェックを行うとともに、社会経済上の重要な諸問題についても、市民に対して、必要かつ十分な情報を提供するために、次のような対応をするよう求めるものである。


(1) 主文改善策の第1について

権力機関のチェックを十分に行い、市民に対して必要かつ十分な情報を提供するために、あってはならない権力機関との癒着を防ぎ、権力機関からの情報操作・誘導に乗らない方策を講じるべきである。特に、記者クラブについては、従来から、排他性、閉鎖性と便宜供与を受けることに批判があり、また、官庁の情報操作を受けて、広報機関化するなどの批判を受けていたところ、近年、社団法人日本新聞協会は、記者クラブの位置づけを見直すなどの改革を行ってきているが、そもそも記者クラブのあり方については、全てのジャーナリストに開かれた取材の場とするなど、抜本的な改革を行うべきである。


近時、ようやく、日本においても、情報公開法が制定された。従来、各地の地方自治体において、マスメディアは、「官官接待」の取材例があるものの、その他の分野においては、情報公開条例を活用して、事実を掘り起こすなどの活動に必ずしも熱心ではなかった。今後は、マスメディアにおいても、情報公開制度を活用して、重要な事実の端緒をつかみ、真実に迫る取材・報道に努力することが期待される。


また、従来のマスメディアによる調査報道は、権力機関に対しは十分に行われず、私人に対しての興味本位な取材・報道の形で行われてきた傾向がある。このような取材・報道は、権力機関を監視するというジャーナリズムの役割を没却するものである。


そこで、マスメディアは、本来の役割を自覚して、政治的あるいは社会経済的に重要な事実の真相と問題の本質に迫る調査報道を充実するように努めるべきある。


(2) 主文改善策の第2について

刑事事件の取材・報道において、捜査機関の情報・視点に偏った報道姿勢を改め、被疑者・被告人・弁護人などの言い分についても、公平に取材して報道するように努めるべきである。


本来、対立当事者がいる場合、マスメディアは、公正な客観報道の立場から、対立当事者の言い分・主張を取材し、報道すべき役割があり、また、前述したジャーナリズムの権力機関の監視という立場からも、警察・検察による捜査のあり方をチェックすべきところ、刑事事件においては、依然として、捜査機関の情報と視点に偏った報道姿勢を維持する傾向が強く、被疑者・被告人・弁護人などの言い分の取材・報道は、不十分なままである。


また、報道被害防止のため、当連合会が提唱した原則匿名報道の実現に向けて、匿名範囲をさらに拡大するなど、被疑者・被告人及びその家族の権利を守る具体的な方策について、早急に自主的に立案し実施すべきである。


マスメディアの多くは、私人の場合についても、原則実名報道を堅持したままであり、その実名報道による人権侵害の対策については、不十分なままである。


前掲の第30回人権擁護大会においては、原則匿名の事例として、「別件逮捕」、「逮捕前の重要参考人段階」、「否認事件や物証が乏しく冤罪の疑いがある場合」、「犯罪の軽重や態様から実名報道が過酷にすぎるとき」などを挙げていたが、さらに、「原則匿名」報道の範囲を大幅に拡大すべきである。


特に、少年事件報道に関しては、少年の実名・顔写真などを報道する例が一部に見られるが、市民の知る権利と少年の更生・社会復帰の権利との調整をはかった少年法61条の趣旨を尊重し、少年を特定する報道をすべきではない。


また、近時の重大事件(例、松本サリン事件、神戸少年事件、和歌山カレー毒物事件など)における、特定の人物に疑惑を向けて取材・報道を行う傾向は、捜査機関に対する大きな圧力となって、事実に基づいた捜査ではなく、思い込みや憶測によって、捜査が左右される危険が生じるとともに、捜査機関の情報操作によって、特定の市民を犯人視する方向に導くことになる。


供述拒否権を行使させるなどの刑事弁護の方法を否定するような取材・報道が一部に見られたが、このような取材・報道は、憲法が保障する被疑者・被告人の弁護人選任権、弁護人依頼権、黙秘権を否定することにつながるものであり、これらの権利を十分に尊重した取材と報道が指向さるべきである。


さらに、犯罪や事故によって、心身が傷ついた被害者や家族は、既に一度傷ついているにもかかわらず、マスメディアが、このような人々に対して、配慮を欠いたまま取材・報道を重ねて傷つける傾向が、依然としてある。従来、犯罪被害者や家族の権利は、十分に顧みられず、放置されてきた。マスメディアにおいても、犯罪や事故の被害者や家族の名誉・プライバシーなどの人権を侵害しないように報道・取材のあり方を見直すべきである。


また、女性・子どもなどに対して、取材・報道を行う場合、特別の配慮が必要となる。ところが、現在の日本においては、このような人々に対する取材・報道は、特別の配慮をもって行われるものとは言い難い。むしろ、既存の性別固定観念・偏見に基づく取材・報道をなし、また、成長・発達する権利(または更生する権利)を侵害するなど、人権擁護の観点からは、問題となる場合が多い。


このような取材・報道は、一層の改善がなされるべきである。


(3) 主文改善策の第3について

報道によって市民の人権を侵害した場合の救済として、マスメディアは、自主的に速やかな訂正・名誉回復措置などが取れるように、読者・視聴者からの苦情に対して、責任をもって公正に対応できる社内制度を自主的に創設すべきである。前掲の第30回人権擁護大会においては、このような社内制度として、社内オンブズマン制度の創設を提唱したが、その後の経過において、社内オンブズマン制度の創設は積極的に進められず、読者や視聴者の苦情に対して十分に対応する社内制度が確立しているとは言えない。今、経営陣及び編集権から独立して、読者・視聴者の苦情に対して、読者・視聴者の立場に立ち、責任をもって公正かつ迅速に対応できる社内制度の創設・充実が一層求められる状況にある。


また、当連合会は、第30回人権擁護大会において、報道被害の救済制度として、報道評議会などの第三者機関の創設も提唱したが、この制度についても、その後の経過において、積極的に進められなかった。


新聞・雑誌などのプレス(活字メディア)においては、まだ、このような第三者機関を設置していないので、早急に設置すべきである。


また、放送界は、1997年(平成9年)に「放送と人権等権利に関する委員会機構(BRO)」という第三者機関を設置したが、なお不十分さを残しているので、速やかにその充実をはかるべきである。


4.当連合会の役割・決意

われわれは、真の民主主義の実現に向けて、市民とともに、権力機関を監視し、市民の「知る権利」に根差した報道の自由の確保と、報道被害の防止並びにその具体的救済の実践に向けて、われわれ自身の課題として、次のとおり決意するものである。


第1に、われわれは、市民及びマスメディアと協力して、報道の自由を守り、権力機関からの介入と干渉を防ぐために、引き続き、権力機関の介入や干渉の実例を調査・研究する。


また、権力機関の介入や干渉が生じた場合には、それを排除するために必要な対策などにつき独自に検討を行い、その実現に努力するものである。


第2に、報道被害の実態を把握する。


報道による人権侵害の現状を十分に把握するために、「報道被害110番」などの窓口を設置・実施することなどを検討する。


第3に、報道被害の救済を実現する。


迅速な報道被害救済活動のための諸対策及び報道評議会の設立のために当連合会の果たすべき役割などを具体的に検討する。


以上のとおり本決議を提案するものである。