資源循環型社会の実現に向けて生産者責任の確立等を求める決議

現在、わが国では、廃棄物処理に伴うダイオキシン、重金属による汚染、最終処分場建設・操業による生態系の破壊などが深刻な問題となっている。他方、有限な資源を大量に採取して、使用し廃棄することは、地域間および世代間の公平を損ない人類の永続的発展を阻害するものである。近時、各方面から資源循環型社会の理念が提唱されている背景には、このような大量生産・大量流通・大量消費・大量廃棄の社会システムに対する深い反省がある。


しかるに、わが国の現状は、資源循環型社会の実現にはほど遠い。


製品の原材料、設計、製造方法、包装などを最もよく知り、これを決定できる立場にあるのは生産者である。生産者は、長寿命の製品を開発し、生産に際して再生資源を使用し、使用後の処理の過程で有害物質が生じる旨を製品に表示し、あるいは包装を簡素化することなどがより容易な立場にある。また、生産者が不要物を引き取り、再使用やリサイクルを行う責任を負うことにより、生産者は自らの負担を軽減するため、再使用やリサイクルしやすい製品の開発に積極的に取り組むことになる。生産者がこれらの責任を負うことは、資源循環型社会の実現のために必要不可欠であり、かつ公平でもある。


よって、当連合会は、資源循環型社会を実現するため、以下の趣旨の法律を制定することを求める。


  1. 長寿命製品の開発、再生資源の使用、不要物の引き取り、再使用・リサイクルの実施、使用後の処理の過程で有害物質が生じる旨の表示、有害性が著しい場合の生産・使用の禁止など、生産者の責任を確立すること。
  2. 生産者責任の原則を確立するため、市民が製品情報、廃棄物の発生抑制策、計画などについて知り、施策の立案、実施に参画する権利を保障すること。
  3. 地方公共団体が、生産者責任の原則に基づいて、廃棄物の発生抑制策などを推進するため、地域の実情を踏まえて施策を決定し、条例を制定する権限を保障すること。

以上のとおり決議する。


1999年(平成11年)10月15日
日本弁護士連合会


提案理由

1.はじめに

20世紀は、「大量生産・大量流通・大量消費・大量廃棄の世紀」であったと言われる。科学技術の目ざましい発達と、資源・エネルギーのふんだんな利用は、われわれに物質的な豊かさをもたらしたように見えた。大規模な工業システム、広告手段、信用制度などの発達がそれらを後押ししてきた。一見無尽蔵に見えた資源・エネルギーと、地球の浄化力・包容力は、われわれの欲求を満足させ、便利さを享受するために、次々と新しいものを作り、古いものを廃棄することを許容してくれるようにさえ思わせた。


2.大量生産・大量流通・大量消費・大量廃棄社会の限界

しかしながら、それが錯覚であり、資源・エネルギーは有限であって、地球の浄化力・包容力にも限界のあること、現在のシステムには持続可能性のないことが次第に明らかになってきた。


現在、わが国では、香川県豊島、埼玉県所沢市、東京都日の出町、大阪府能勢町、茨城県新利根村、兵庫県千種町など多くの地域で、廃棄物処理に伴うダイオキシンや重金属などによる環境汚染・公害被害が深刻な問題となっている。ダイオキシンは、致死毒性、慢性毒性、発がん性などが知られるほか、環境ホルモンの一種として、これまで知られていたよりもはるかに微量で、生殖障害を起こすことがわかってきており、将来の世代への影響が懸念されている。廃棄物中に含まれる水銀、鉛、ひ素、カドミウムなどの重金属による健康被害も重大な問題である。また、廃棄物の最終処分場の建設による海や山の生態系破壊や、埋立・焼却による地球温暖化促進などの問題も軽視できない。さらに、廃棄物処理は、国内において経済力の弱い地域に押しつけられる傾向にあり、地域間の不公平、環境差別を生じさせてもいる。


3.資源循環型社会の必要性

廃棄物処理は、公害を発生させず、環境を汚染しない方策が採られなければならないことは当然のことである。しかし、公害や環境汚染を完全に根絶する廃棄物処理は極めて困難であり、処理方法の追求のみでは、問題は解決しない。また、有効な処理方法と見られるものが、かえって別の公害や環境汚染を生じさせたり、あるいは資源・エネルギーの浪費になることもある。根本的には、廃棄物の発生抑制こそが公害や環境汚染をなくす最も有効な方策である。


他方で、資源・エネルギーの枯渇の問題も深刻である。特に、水銀、鉛、銅、亜鉛などは「悲観的な金属」といわれ、近い将来の枯渇が予測されており、石油にしても埋蔵量には限界がある。したがって、地球上の一部の地域に住むわれわれだけが、多くの資源・エネルギーを用いた後にこれを廃棄して、他の地域に住む人々や将来の世代の人々が使えない、あるいは使いにくい状態に放置しておくことは、他の地域の人々との公平を損なうものであると同時に、将来の世代の人々との公平を損なうものでもある。


4.資源循環型社会とは

このような状況を踏まえて、現在、多くの人々が資源循環型社会の実現を唱えている。


資源循環型社会とは、資源を保全し、廃棄物の発生抑制を最優先とし、次いでリユース(再使用)、リサイクルを位置づけ、やむをえず廃棄物の処理を行う場合は、公害をひき起こさず、環境負荷を与えない方法を用いる社会であると考えられる。環境の保全は、「健全で恵み豊かな環境を維持しつつ、環境への負荷の少ない健全な経済の発展を図りながら持続的に発展することができる社会が構築されることを旨とし」(環境基本法4条)て行われなければならない。そこでの「持続的に発展することができる社会」とは、われわれだけではなく、地球上の他の地域や将来の世代の人々にも、健康で安全に生活する権利を保障する社会でなければならないはずである。


5.現状

現状は、資源循環型社会の実現にはほど遠いものがある。


環境基本法に基づく環境基本計画では、廃棄物対策について優先順位が定められており、「第1に、廃棄物の発生抑制、第2に、使用済み製品の再使用、第3に、回収されたものを原材料として利用するリサイクルを行い、それが技術的な困難性環境への負荷の程度等の観点から適切でない場合、環境保全対策に万全を期しつつ、エネルギーとしての利用を促進する。最後に、発生した廃棄物について適正な処理を行うこととする。」とされている。しかし、環境基本計画を実現するための具体的な計画は作成されていない。


また、1991年(平成3年)以降、廃棄物処理法が改正され、リサイクル法(再生資源の利用の促進に関する法律)や容器包装リサイクル法(容器包装に係る分別収集及び再商品化の促進に関する法律)、家電リサイクル法(特定家庭用機器に係る収集及び再商品化等に関する法律)も制定されてきており、政府の審議会からは、大量生産・大量消費・大量廃棄社会から脱却するための、さらに新たな施策の提言も種々なされている。しかし、これらはいずれも生産者責任の規定、仕組みが不十分である。たとえば、容器包装リサイクル法では、容器や包装物の回収・リサイクルに要する費用のほとんどは市町村が負担し、事業者は、市町村が収集・保管などの責務を果たした後に初めて引取・再商品化義務を負うに過ぎない。ほかにも、廃棄物の発生抑制のための具体的方策がなく、逆に従来からあったリユース(再使用)のシステムを壊しかねず、市民が手続に参画する権利が保障されておらず、地方公共団体の権限も弱いなどの重大な問題を抱えている。また、廃棄物処理とリサイクルとを画然と分けて、別々の法律で定め、別個の官庁がこれを担当している点も問題である。


6.生産者責任の原則の重要性

資源循環型社会を実現するには、さまざまな条件、制度が整備される必要があるが、今、最も必要なのは、ドイツの循環経済・廃棄物法などにも取り入れられている生産者責任の原則を導入、強化することである。


(1)

製品の原材料や製造・設計方法などを最もよく知り、これらを決定できる立場にあるのは生産者である。生産者であれば、製品に投入する資源を節約することや、長寿命製品を開発すること、生産に際して再生資源を使用すること、処理の過程で有害物質が発生するものの生産を止めたり、抑制すること、処理の際の有害物質発生や、処理の困難さを表示することなどが可能であり、しかも比較的容易である。また、生産等の段階に関与する生産者が責任を負うことによって、製品のライフサイクルの早期の段階からの廃棄物対策が可能となる。


(2)

従来、一般廃棄物の処理は市町村の責務とされ、その費用は税金で賄われてきた。


これは、わが国で、廃棄物行政が公衆衛生行政から出発し、不衛生なごみを早く生活の場から除去することが行政の役割であり、その費用も税金で負担することが効率的であると考えられてきたことによる。


しかし、廃棄物を税金で処理するということは、その製品などを使用した者、使用しない者も含めて納税者が費用を負担することを意味するから、使用者と非使用者間で不公平であるし、また、使用者、排出者に対して使用、排出を回避する動機づけも働かないという不合理がある。したがって、市町村ではなく、製品に関わる者たちが廃棄物処理の責任を負担するとするのが公平の原則にも合致する。


そこで次に、製品に関わる者たちの中で、誰が廃棄物処理の責任を負うべきかであるが、第一次的に生産者がこれを負うとすべきである。そうすることによって、多量の廃棄物を生み、リサイクルや処理などがしにくく、環境負荷の大きな製品を作った生産者は、その分、多くの費用を負担することになり、生産者は自らの負担を軽減するため、廃棄物の少ない製品や、再使用、リサイクルしやすい製品の開発に積極的に取り組むことになるからである。


生産者がこれらの責任を負うとすることは、資源循環型社会を実現するためにぜひとも必要であって、合理性があり、しかも、原因者負担の原則(PP P)、報償責任・危険責任の理念にも合致していて公平でもある。なお、消費者が、資源循環型社会を実現するために担うべき役割はもちろんあるが、消費者が直接に、環境負荷の小さな製品を設計できるわけではないから、その責任はあくまで二次的なものに止まるというべきである。


(3)

生産者の責任の具体的な内容として、次のものが考えられる。


  1. 繰り返して使用でき、技術的に長持ちし、使用後にリサイクルや、環境と調和した処理に適し、包装も抑制した製品を開発、製造し流通させる責任
  2. 使用後のリサイクルや処理の過程で有害物質が発生するものについては、製造や使用の禁止、制限などに従う責任
  3. 製品の生産に際して、再生資源を優先的に使用する責任
  4. 製品や廃棄物を引き取り、リサイクルまたは処理する責任
  5. 表示責任
    1. リサイクルや処理の際に環境に適うように、有害物質を含む製品である旨表示する責任
    2. 製品に、返却、再使用、リサイクルの可能性、その義務、ディポジット制度などについて表示する責任

7.その他の手法

資源循環型社会を実現するためには、上記以外の方策も導入されなければならない。製造に際して、天然資源ではなく再生資源を用いた方が、経済的にも有利なシステムが作られなければ、天然資源をふんだんに使いつつ、大量生産・大量流通・大量消費・大量リサイクルが進む仕組みを許してしまうことになる。それでは、環境負荷は減らないか、むしろ増大する恐れすらある。天然資源の利用に対して、あるいは処理の際に環境に多くの負荷を及ぼす製品の製造に対して、環境税ないし課徴金を課す制度などの採用も検討されるべきである。


8.市民参画の必要

廃棄物の発生抑制や再使用、リサイクルなどを進めるためには、市民の果たすべき役割が極めて重要である。一般に、公害を防止し環境を保全する手法として、基準を定めて規制したり、経済的な誘導策をとる手法などがあるが、それだけでは万全ではない。市民が積極的に公害防止や環境保全の施策の立案、実施、監視に参画できる制度の存在は必要不可欠である。市民の参画、民主主義と人権保障の徹底があって、永続可能な社会の実現は可能となるのであって、両者は密接不可分の関係にあるものと考える。


生産者責任の原則も、グリーンコンシューマー(環境配慮の製品を選択する消費者)としての市民の監視の眼があれば、生産者は発生抑制、リサイクルなどに積極的に取り組むことになる。そこで、製品がどのように設計されているか、使用後のリサイクルや処理の現状はどうなっているか、あるいは廃棄物の発生抑制やリサイクル、処理などの状況や対策がどのようになっているか、生産者や行政の持つ情報について、単に記された情報を見るに止まらず、生産者や行政に質問し、対話し、調査などに立ち会う権利まで含めた市民の知る権利を保障すべきである。また、市民が廃棄物の発生抑制やリサイクルなどの施策、計画の立案、実施、監視に積極的に参画する権利も保障すべきである。さらに、市民が、そのような権利を十分に行使できるように、環境教育の制度を整備し、充実させることも重要である。


9.地方公共団体の役割

最終処分場の不足に直面する東京都が、容器包装リサイクル法が定める事業者の責任を強化して、ペットボトルの回収について行政が関与せず、事業者自らの負担と責任でこれを行うこととする「東京ルール」を条例化しようとしたものの、条例制定権の限界論等の影響で実現していない事例や、京都市が空き缶ディポジット条例を制定しようとして、実質断念した事例がある。


しかし、廃棄物の発生抑制や再使用、リサイクルの推進、さらには資源循環型社会の実現のために、地方公共団体が果たすべき役割は重要である。地方公共団体は、それぞれが直面する廃棄物処理が困難な実情に基づいて、発生抑制やリサイクルの推進のために創意工夫をこらすことのできる立場にあり、これまでも公害防止や環境保全の面で積極的に取り組んできた実績がある。資源循環型社会を実現するために、地方公共団体が地域の実情を踏まえて独自に取り組むべき課題は決して少なくない。憲法92条の「地方自治の本旨」に照らして、地方公共団体が、廃棄物の発生抑制や再使用、リサイクルのため、独自の施策を決定し、条例を制定する権限を有することを保障すべきである。