妻への暴力、子どもへの虐待をなくすための対策を求める決議
人はだれでも、暴力や虐待を受けることなく、平穏で豊かな家庭生活を営む権利を有する。
家族の中における暴力・虐待は大きな社会問題であるが、その中でも、夫から妻への暴力、父母から子どもへの虐待は多発しているにもかかわらず、社会的にも大きく取り上げられることなく、見過ごされてきた。
妻への暴力、子どもへの虐待は、明らかに妻・子どもの人権を侵害するものである。1993年に国連総会で採択された「女性に対する暴力撤廃宣言」は、女性に対する暴力が、「男女間の歴史的に不平等な力関係の現れであり」、「女性を男性に比べ従属的な地位に強いる重要な社会的機構の一つ」となっていると指摘しており、第4回世界女性会議では、女性に対する暴力の防止と根絶のために統合した対策をとることを国の責務とする行動綱領が採択された。また、子どもの権利条約は、子どもが身体的もしくは精神的な暴力、傷害、虐待、放置などを受けている場合には、その子どもを保護するために適切な措置を講ずることを締約国の義務としている。
われわれは、自らかかる実情についての理解を深め、国や地方公共団体に、妻への暴力、子どもへの虐待をなくすために次の施策をとるよう求める。
- 国及び地方公共団体は、妻への暴力、子どもへの虐待について、その実態調 査を実施し、広く国民にこれが人権侵害であることの意識喚起を図ること。
- 国及び地方公共団体は、緊急暫定措置として、婦人相談所や母子生活支援施 設での一時保護制度の対象者の範囲を広げ、被害者たる妻や子どもの安全確保 に努めるとともに、民間各種シェルターの公的援助を実施すること。
- 国及び地方公共団体は、被害者たる妻や子どもの救出を容易にし、ケアする ための制度(緊急一時避難所ー公的シェルターの設置など)、妻への自立援助 対策、父母への再教育を可能にする制度を整備すること。
以上のとおり決議する。
1998年(平成10年)9月18日
日本弁護士連合会
提案理由
1.暴力・虐待の実態
(1)
人はだれでも、暴力や虐待を受けることなく、平穏で豊かな家庭生活を営む権利を有する。
家族の中では、思春期の子どもから親への暴力、高齢の親に対する子からの虐待、夫から妻への暴力、父母から子どもへの虐待など様々な問題が発生し、これらは大きな社会問題である。高齢者の諸問題については、当連合会でも第38回人権擁護大会において、「高齢者の尊厳に満ちた生存の権利を求める決議」を採択し、解決への着手が試みられている。しかしながら、夫から妻への暴力、父母から子どもへの虐待は、多発しているにもかかわらず、社会的にも大きく取り上げられることなく、見過ごされてきた。
家族の中における妻(婚姻関係だけでなく、内縁関係、同居中の男女関係を含む。)への暴力には、身体的なものだけではなく、言葉や態度で妻を傷つける精神的暴力、性的暴力も含まれる。子どもへの虐待は、継続的・反復的なこれらの暴力の外に養育怠慢も含まれる。
(2)
妻による離婚調停申し立て動機のうち、夫の暴力は1万1、720件で、申し立て件数に占める割合は約3割にのぼり、性格の不一致に続いて第2位である(平成8年司法統計年報)。また、1995年(平成7年)度の犯罪統計白書によれば、夫(内縁や恋人を含む。)に殺された妻(内縁や恋人を含む。)は、傷害致死を含めると143人にのぼる。夫から暴行、傷害、脅迫、恐喝を受けた妻は550件に対し、妻からこれらの加害を受けた夫は64件と、明らかに夫から妻への加害行為の方が著しく多い。
本年5月に発表された東京都の調査では、夫から、蹴ったり、噛んだり、げんこつで殴る暴力を何度も受けた妻は3.2%、1、2回あった妻を合わせると14.8%と、約7人に1人の割合になる。何を言っても無視する精神的暴力を何度も受けた妻は10.9%、1、2回あった妻をを合わせると、4割以上が被害を受けている。
また、札幌市で民間シェルターを運営する「女のスペース・おん」に寄せられた1993年5月から1998年8月までの妻への暴力についての相談件数は610件にのぼり、年々増えており、その内訳は、身体的暴力371件、精神的虐待610件、経済的支配217件、性的虐待243件(複数回答)となっている。
各都道府県婦人相談所一時保護所の入所者中の夫の暴力からの避難者は、全都道府県におり、その割合は、1992年全国平均34.5%だったものが、1996年には42%に増加し、福島、茨城、千葉、鳥取、島根、香川の各県では60%を越える。
1994年から1996年及び1998年の4回にわたって当連合会で実施した一日電話相談である「女性の権利110番(夫からの暴力)」では、実施した全ての単位弁護士会で合計1、064件の相談があり、暴力を受けている期間も10年以上が4割近く、暴力の程度も単に殴る、蹴るだけではなく、刃物をもって脅す、髪をつかんで引きずり回す、首を絞めるなど激しいものであり、骨折や後遺症が残るケースも少なくない。しかも、暴力を振るう夫の約8割は会社員・自営業・公務員など普通の社会人であり、6割近くは飲酒や薬物依存でなくとも暴力を振るっている。
(3)
子どもへの虐待では、厚生省が全国の児童相談所で受理した虐待の件数は、1996年度で4、102件に及んでいるが、これが国による唯一の実態調査である。また、1998年1月31日付中日新聞の報道によると、死亡事例も1997年の1年間で約100名(無理心中を含む。)に及んでいる。東京虐待防止センターの1996年の虐待の相談件数は928件、その内、介入の必要のあるものは16%であった。同年4月から9月までの間に、全国の児童相談所で受理した虐待の件数は2、016件、子どもの3割に打撲傷やあざがあり、7割強に何らかの心的外傷を思わせる症状があった。
ところが、これら暴力・虐待は、被害者たる妻・子自身が人権侵害であることを自覚せずにいたり、他人に訴えることをためらったりすることが多く、表面に現れるケースは氷山の一角にすぎない。
2.援助システムの実態
(1)
前述のように、妻への暴力の実態は、見過ごせないものがあるが、暴力が原因で家を出ることを決意しても、安全に逃げ込む先がなく、結局家を出られない妻も多い。前述の110番でも、家から避難したことのある妻の割合は6割にのぼるが、その内公的施設に避難したものは3%にすぎない。
現在、公的シェルターとしては、婦人相談所一時保護所があるが、この一時保護制度は、売春防止法34条に基づくものであり、「売春を行うおそれのある女子」の概念を広範に解釈できるという厚生省通知によって、事実上一時保護ができるにすぎない。しかも、この通知においては、妻のケアの観点や妻の安全保護の必要性を十分強調していないので、入所を希望しながら断念したケースも少なくないと言われている。また、女性を保護する施設であるので、おおむね10歳以上の男児は母親から分離され、児童相談所で保護される建前となっている。
さらに、妻が逃げた先を越えての他県にわたる一時保護所では、管轄違いで保護できないため、夫に探知されやすい。他に母子のための施設として母子生活支援施設(旧母子寮)があるが、緊急一時保護は一部でしか行われていない。そこで、公的シェルターを補完するものとして、各地に民間シェルターが誕生しているが、極めて小規模のものが多く、場所も大都市に偏在している。財政面でも寄付金に頼らざるを得ず、厳しい財政状況にあり、運営面でも、関係者がボランティアとして、ようやく支えている実情である。
(2)
これに対し、子どもへの虐待については、児童福祉法上児童相談所が虐待する親から子どもを強制分離できる制度があり、関係者の地道な運動が厚生省を動かし、現在は、親子分離は比較的容易となっている。しかし、民法上親権の全面剥奪規定しかなく、柔軟な親子分離が不可能である。しかも、親へのケアシステムがないため、子どもを親の元に戻した場合の子どもの安全の保護ができないままである。
3.暴力・虐待の人権侵害性
憲法13条は個人の尊重、24条は両性の平等を唱っているが、妻への暴力は、これらの権利を侵害し、夫婦がともに対等の立場で自立し、協力し合う家族を破壊するものである。さらに、子どもへの虐待は、憲法13条、25条に明らかに反する行為である。心身の安全を脅かされることなく生活することは、基本的人権であり、この安全を保障することこそ、もっとも基本的な国の責任である。
4.国際的到達点と当連合会の活動の到達点
(1)
1993年世界人権会議は、ウィーン宣言及び行動計画を採択したが、その中で、女性に対する差別・暴力を憂慮し、性別に基づく暴力は、個人の尊厳及び価値と矛盾するもので除去されねばならないと唱え、さらに、公的・私的な生活における女性に対する暴力の撤廃の重要性を強調し、各国に対し、女性に対する暴力に関する宣言案に従い、女性に対する暴力と闘うことを求めている。この宣言案が、同年国連総会で、「女性に対する暴力の撤廃に関する宣言」に結実し、「女性に対する暴力は、男女間の歴史的に不平等な力関係の現れであり、これが男性の女性に対する支配および差別並びに女性の十分な地位向上の妨害につながってきたこと、及び女性に対する暴力は、女性を男性に比べ、従属的な地位に強いる重要な社会的機構の一つであることを認識し」、「国は、あらゆる適切な手段をもって遅滞なく女性に対する暴力を撤廃するための施策を推進すべき」と宣言した。1995年の第4回世界女性会議でも、女性に対する暴力撤廃のための行動綱領が採択され、妻への暴力を含む女性に対する暴力の根絶は国際的課題である。
(2)
1994年に、わが国も批准した「子どもの権利条約(児童の権利に関する条約)」は、「子どもの養育及び発達について父母が共同の責任を有する」こと、「締約国は、子どもが父母(中略)による監護を受けている間において、あらゆる形態の身体的もしくは精神的な暴力(中略)からその子どもを保護するため、すべての適当な立法上、行政上、社会上及び教育上の措置をとる」ことを明記している。
(3) 当連合会の到達点
当連合会は、妻への暴力について、1995年2月、「『第4回世界女性会議のための国別報告書』に関する日本弁護士連合会の報告」の中で、救済のための課題として、警察の対応、緊急保護施設の充実、女性の自立援助を、法制度の課題として、婚姻費用の分担と養育費の履行確保などのための法改正、退去命令などの法的救済措置の検討などを提言した。
子どもへの虐待については、1989年9月、「親権をめぐる法的諸問題と提言」において、当連合会は、親権の一時停止宣告を可能とする制度の新設などを提言した。また、1996年6月には、「児童福祉法改正に関する意見書」で、虐待禁止規定の新設、虐待発見者の通報義務の実効化のための法改正、長期分離及びケアに関する法改正などを提言している。
5.暴力、虐待をなくすための提言
(1) 実態の把握、国民の意識喚起
政府は、1996年12月、「男女共同参画2000年プラン」において、女性に対するあらゆる暴力の根絶を唱ったうえで、「家庭内暴力等潜在化しやすい暴力に対する実態把握と対策の推進」を具体的施策として打ち出しているが、妻への暴力、子どもへの虐待の実情について、未だに全国的な調査を実施せず、これら暴力・虐待の実態は断片的にしか知られていない。国および地方公共団体は、妻への暴力・子どもへの虐待について、その被害の実態が深刻であり、これが人権侵害であることを明確にして、実態調査を実施し、その結果を広報し、広く国民の意識喚起を図るべきである。
(2) 緊急暫定措置
国及び地方公共団体は、当面婦人相談所一時保護所について、入所対象者を広げて被害者たる妻・子を積極的に保護すること、スタッフを強化して妻・子のケアプログラムを実施すること、数を増やし、地域に偏在させないこと、他県一時保護所への広域措置を可能にすること、同様に妻・子を保護できる施設としての母子生活支援施設を充実させ、安全を配慮しケアプログラムを実施すること、以上のような公的シェルターを補完するものとしての民間各種シェルターに補助金を交付するなどの公的補助を行うべきである。
(3) 制度整備
国及び地方公共団体は、全国主要地域に、公費をもって、避難してきた妻の安全を確保し、妻(子どもを同道したときは子どもも)の心身のケアを行う緊急一時避難所を設置し、また、避難した妻のその後の自立援助のために、職業訓練、斡旋など就業支援をし、公的住宅や保育所などの整備を行い、ともに避難した子どものために、児童扶養手当の充実、就学確保の体制づくり、妻や子どもの精神的ケアを可能とする制度を整備すべきである。
また、虐待を受けた子どもについては、児童福祉法で、親から分離する一応の法的制度はある。しかし、子どもを虐待する父母の要因としては、父母の社会的未成熟、衝動性と攻撃性、社会的孤立、また前世代からの父母の被虐待経験など様々なものがあるので、虐待される子どもについては、子どもを安全な場所に救出し、これらの父母の要因を見定めて、親権の喪失や施設への強制入所承認の法的手段をとるとともに、父母と子それぞれへのケアの方策を探らなければならない。
現行民法では、親権制限は、期間の制限や親権内容の一部の制限規定がなく、その全部を無制限、かつ永久に奪う手立てしかない。
よって父母へのカウンセリングを命じるとともに、具体的援助を与え、一定期間を定めて、その効果がなければ、必要な限度での親権の一部を制限する方策や、また、傷ついた子どもを回復させるプログラムと、回復の段階に応じた法的手段の有機的関連も必要であり、さらに親子を分離しないまま養育の援助をする施設を作るなどの制度を整備すべきである。