高齢者の尊厳にみちた生存の権利を求める決議

人は皆誇りを持って生きようと願うものであり、何人も老いを迎えるものである以上、高齢者の人権と福祉は、すべての人にかかわる重要な問題である。


今日、わが国は世界で最も長命の国となっているが、高齢者の置かれている現実は、虐待、寝かせ切り、ベッドへの拘束など人権が侵害されている状況にある。


介護や医療を必要とする高齢者の生活は、家族を含む個人責任の原理のもとに放置されてきたが、社会生活の変化により、孤立化された高齢者の現状は無視できないものとなっている。わが国の達成した経済力のもとにおいて、国の責任による緊急かつ適正な対応が求められる。


わが国における高齢者の人権と福祉を考えるとき、ノーマライゼーションの理念を基礎として、憲法第25条および第13条の定める原則を実現することが、高齢者を権利の主体としてふさわしく、その尊厳にみちた生存を確立するものである。


われわれは、国および地方自治体に対し、この理念の実現のために以下のことを求める。


  1. 国の責任により、医療と保健・福祉の総合的な実施を図り、そのための充分な財源を確立すること。
  2. 生活に最も身近な市町村地域において、高齢者の実情に合ったサービスが実現されるよう、すでに策定されている高齢者保健福祉計画を見直して、各地方自治体への充分な財源保障をすること。
  3. 国が検討中の「公的介護保険」構想については、ひろく国民に情報を公開し、かつその意見を充分に聴取すること。
  4. すみやかに自己決定権を尊重する成年後見制度の立法化を図り、高齢者の諸権利の保障のために、可能な限りの条件を整備すること。

以上のとおり決議する。


1995年(平成7年)10月20日
日本弁護士連合会


提案理由

1. 国連は、1982年、初の高齢者問題世界会議をウィーンで開催し、人口の高齢化率7パーセント以上を「高齢化社会」、14パーセント以上を「高齢社会」と規定し、高齢者の生活水準向上を図るための43項目の行動計画を採択した。


わが国の総人口中、65歳以上の年齢に達した男女の構成割合が、上記の7パーセントをこえたのは、すでに1970年の段階であり、それからわずか24年を経 た1994年において14パーセントの水準に達した。予想をこえる高速度であり、わが国の社会がかって経験しなかった歴史の段階の入口に、今われわれは立たされている。


しかし、わが国における高齢者の現状は、すでに国際語として世界中に知れ渡った寝た切り(実は寝かせ切り)老人の存在に象徴的にあらわれる在宅介護や施設介護の限界が議論にのぼり、家庭内においては、暗数化した虐待の事例が、時折無視できない形で表面に現れるなど、跡を絶たない人権の侵害状況が常態化しつつある。


2. 上述の状況に至った原因を辿れば、わが国の高齢者施策の不在ともいうべき「日本型福祉社会」の喧伝による自立自助民間活力の導入の方針があり、とくに1980年代以降世界の流れに逆行して、公的扶養から私的扶養への依存が強調されてきた結果であることが、最近になってようやく社会全体の共通の認識となり、他方、世界的なノーマライゼーションの理念の普及が、わが国の高齢者福祉の施策にも影 響を及ぼしはじめ、デンマークなどの教訓から施設ケアよりも在宅ケアの充実へと言った理念の転換が図られつつある。


もともと、この理念は、人口の多くない北欧の諸国において、身体に障害のある人々に対しても可能な限り労働の場を与え、健常な市民と平等な生活の条件を満たすことによって、人としての尊厳を確立して行くための試行錯誤の過程から成立してきたものと理解されていたが、これらの人々の高齢化に伴って、高齢者の介護や人権の保障についてのあるべき方向としても、徐々に取り入れられて、政策の中に 生かされるようになり、1971(昭和46)年の精神薄弱者の権利宣言や1975(同50)年の障害者の権利宣言は、ノーマライゼーションの理念を社会の中に位置づけるべきであることを提案し、デンマークにおいては、1979年に福祉省の中に設けられた高齢者委員会が、これを(1)人生の継続性の尊重、(2)高齢者の自己決定権の尊重、(3)残存能力の活用、の3原則にまとめた。


わが国の実情において、憲法第25条および第13条の原則を生かし、裏付けていく理念として、これらの原則は極めて重要なものとなりつつあり、とりわけ自己決定権の尊重の原則は、今後の施策の展開に不可欠である。


3. これらの施策理念をはっきりと打ち出し具体化したものが、1989年に提起された「高齢者保健福祉推進10ケ年戦略」(いわゆるゴールドプラン)であるが、この計画にもとづき、各地方自治体が策定したうえでの、全国的に必要となる福祉サービスの総量が明らかになると、たちまち当初の目標値の見直しが必要となり、1994年12月に「新ゴールドプラン」が策定され、計画半ばの1995年度からの実施が公表されている。


しかし、この目標値が、その内容において高齢者の尊厳を実現するに不充分であることは、常に指摘されてきたことである。各地方自治体に義務づけられた計画案作成に当たっても、例えばホームヘルパーの配置について、週3~6回の訪問介護、しかもその多くは専門職としての身分も確立していないボランティアや、嘱託の人員配置を可として、支出予測の計算がされている。


新ゴールドプランが達成された後の2000年においても、17万人のホームヘルパーは、同年2、169万人と予想される高齢者人口に対して、0.78パーセントにすぎず、デンマークでの現在3.4パーセントと比較しても、極めて低い目標である。


国は、早急にすべての国民が安心して老いを迎えることのできる目標値の引上げと、国民の負担を軽減する充分な財政措置を講じて、その施策を国民の前に提示する義務があり、憲法第25条にもとづき、国民はすべて国の責任による充分な施策を受け、これを請求し得べき権利が保障されているものである。


4. 今回われわれが実施した全国地方自治体へのアンケート調査によれば、どの自治体においても、その実行の見通しに不安があり、フォローアップを行う意欲さえ認められない回答が見受けられた。


これは、何よりも国がその責任において各地方自治体のプラン実行に対する財源の割合の保障を明確に与えていないことによるものであり、国民生活に最も身近な市町村に対し、老人福祉計画の策定を義務づけ、かつ、そのうえで地方への権限の委譲をうたう限り、国や県の補助金に頼らざるを得ない各地方自治体に対しては、大幅な基準単価の見直しをはじめ、老人ホームの個室化の実現や、それぞれの自治体の創意や工夫が生かされることが可能となるように補助金の対象の枠を取り払うことが必要とされる。目標自体が低いと言わざるを得ないプランの実現のためにさえ、国と自治体のなみなみならぬ努力が期待されているところである。


そして、憲法の求める平等原則による限り、その実現の過程において、現状で指摘があるような自治体間の貧富の格差が是正される方向の取組みがなされなければならないのは当然である。


また、24時間フルタイムのナースや、ヘルパーの派遣を前提としない極めて不充分な基準の設定、また、サービスに対する苦情処理窓口が用意されておらず、高齢者が単なるサービスの利用者ではなく、介護を要求する権利主体であるとの位置づけは全くなされていない。


以上のように、プランの目指す「個人の意思を尊重した利用者本位の質の高いサービスの提供・高齢者の自立の支援」が果してどのように実現するのかは、依然として見えて来ず、極めて不透明な福祉目標が、将来の財源論争の蔭に隠されて、国民に対する負担増の口実にされていると言うほかはない。


5. 今年、社会保障制度審議会は、47年前に同審議会が発足して以来3度目という勧告を、33年ぶりに政府に行った。その内容は網羅的であるが、勧告自体が述べる「国民の社会保障体制の決定への参画」や「情報の公開体制」が、これまで充分に保障されてきたものとは、とうてい認めることができないのは残念と言うほかはない。国は、検討中の「介護保険」構想について、国民が充分な論議を行うことができるように、あらゆる情報を公開すべきである。


さらに、老人保健福祉審議会が、厚生大臣に対して行った「新たな高齢者介護システムの確立について」と題する中間報告によれば、この2~3年中に相次いで出された「社会保障将来像委員会」の報告や「高齢者社会福祉ビジョン懇談会」、または「高齢者介護・自立支援システム研究会」の各報告を受けた「公的介護保険」構想の輪かくが、明瞭に浮かび上ってきた。


構想の概要は、介護を社会および個人のリスクと把えて、20才以上の全国民加入の保険制度を新たに設けて、保険料を徴収し、提供される介護サービスの内容や運営および被保険者の管理は市町村が担うとして国民の新たな負担を打ち出しているのであるが、保険料率や介護サービスの程度、内容については、未だ公表されていない。


6. さらに、前項で述べたようなゴールドプランの不完全さと未達成の状況を検討する限り、この構想自体、前提となる介護サービスの「質」への配慮を放棄しているものであり、すでに2年前にこの制度実施に踏み切ったドイツにおける現状でも、介護のサービスよりも介護手当の受給を選択する傾向があらわれており、その際、現実に家庭の中で介護を引き受けざるを得ない多くの場合においての女性の役割への押付け、そして労働の単価が手当に換算される場合の低水準が問題とされてきている。さらにこの保険構想が個人を単位とせず、家族世帯を単位としている発想にも「家」制度の復活につながりかねない女性への不利益が予測されている。また、同じく介護を要する状態にある障害者への手当を抜きに、なぜ高齢者のみが対象とされるのかについても批判が強い。


われわれは、これまで充分とは言えなかった高齢者の権利や日常の生活を擁護するための取り組みに加え、行政不服審査制度では救済されないオンブズマン的な制度の確立や、現在法制審議会で民法の改正案として検討されている成年後見制度についても、的確な判断のもとに、積極的な提言や関与を求めるなど、あらゆる努力を果たして行かなければならない。また、阪神淡路大震災の被害で見えてきた高齢者への悲惨の集中について、その原因を考え、街づくりをはじめ、人的物的諸条件や体制づくりにも法律家の立場からの貢献をめざしていくべきである。


7. 前に述べたノーマライゼーションの原則を取り入れ、高齢者の自己決定権を尊重し、残された能力を活用することは高齢者の社会参加をうながすうえでも不可欠である。


加えて、高齢者の生活の保障に当たっては、財産の管理と身上監護がともにその人に必要な限りにおいては各個別的に適正に運用されるべきであるという理念にもとづき、高齢者が安心して託すことのできる法制度の確立が重要となる。しかるに、わが国の財産管理にかかわる法制は、19世紀の禁治産・準禁治産の制度がそのまま維持され、個人の行為能力の全部または一部を画一的に奪うものとなっており、高齢者の自己決定権を否定し、また、その社会参加を必要以上に閉ざしてしまう制度となっている。


欧米諸国においては、ここ30年来高齢者の自己決定権を基本とする介護制度と財産制度が、次々と整備されており、わが国のこの面での法制度整備は、きわめて 立ち遅れている。法務省の法制審議会は、ようやく本年6月に成年後見制度についての法改正の検討に入ったと伝えられている。


われわれは、法律家としての立場から、成年後見制度の立法化をはじめとして高齢者の尊厳にみちた諸権利の保障のために、可能な限りの条件の実現を目指して一層の努力と行動をする責務がある。


われわれ弁護士は、国に対し、国の責任に立った総合的な福祉計画の実行を、あくまでも求めることを基本として、高齢者が、真に敬愛され、生きがいのもてる健全で安らかな生活が保障される社会の実現を目指して努力することを決議する。


以上