戦争における人権侵害の回復を求める宣言

先の戦争において、日本はアジア・太平洋地域に深刻な被害をもたらした。このなかには、住民虐殺・生体実験・性的虐待・強制連行・強制労働・財産の収奪・文化の抹殺等、重大な人権侵害にあたるものが数多く存在する。


戦後日本は、関係諸国との間で、賠償条約等により一定の解決をはかってきたが、直接被害を受けた住民に対する補償は、ほとんど行われていない。


戦後半世紀に及ぼうとしている今日、こうした戦後処理のあり方を抜本的に見直すことは、人間の尊厳の確保と正義の要請するところである。


国は、速やかに被害実態の把握と責任の所在の明確化など真相の究明を徹底して行い、これらの被害者に対する適切・可能な被害回復措置のあり方について早急な検討をはじめる必要がある。同時に、この戦争の実相を正しく後世に伝える教育を行うべきである。


基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とする我々も、その実現のため全力を尽くすことを誓うものである。


以上のとおり宣言する。


1993年(平成6年)10月29日
日本弁護士連合会


提案理由

1. 日本の中国侵略が本格化した1931年9月の柳条湖(溝)事件から60年余、真珠湾攻撃から50年余を経た今日、いわゆる15年戦争によって、日本がアジア・太平洋地域において様々な人権侵害をひきおこしたことは、歴史的事実となっている。


一般住民など非戦闘員に対する虐殺・虐待、捕虜虐殺・虐待、強制連行、強制労働、従軍慰安婦等々、その人権侵害の実例は数多く存在する。


2. これらは、国際条約や国際慣習法に違反する重大な人権侵害行為である。


国際的に19世紀後半頃から、戦争による一般国民への無益な被害をおさえ、できるだけ人道に近づけるために戦争の手段や方法を規制しようとする機運がおこり、戦傷病者の保護や捕虜の処遇についての条約等になり、1907年、交戦方法についての包括的規制として、「陸戦の法規慣例に関する条約」(ハーグ条約)が制定された。日本も1911年批准したこの条約には、軍及び軍人の違法行為についての国の賠償責任が明記されている。


さらに、科学兵器の発達などに伴い、都市や村落が戦争にまきこまれ、大規模・悲惨な破壊をもたらした第1次世界大戦の結果、文民(一般住民)、非軍事目標を敵対行為の直接の影響から保護する法規がますます強化され、侵略目的の戦争は違法であるとする国際的な法的評価がなされるに至った。


そして、第2次世界大戦後もうけられた国際軍事裁判所条例は、戦争法規または戦争慣例違反の「通例の戦争犯罪」のほか、ナチスのユダヤ人に対する迫害などを契機に、「戦前又は戦時中一切の一般人民に対してなされる殺戮、せん滅、奴隷的虐待、追放、その他の非人道的行為、若しくは政治的又は人種的理由に基づく迫害行為」を「人道に対する罪」として処罰の対象とした。そして国際連合は、この条例及び裁判の合法性・有効性を、総会決議により繰り返し確認した。


先にあげた日本の行った住民虐殺や性的虐待など様々な行為は、当時の国際人道法等に違反する違法な行為である。


3. 日本は、関係諸国に対する賠償については、朝鮮民主主義人民共和国を除いて、政府間の条約等で一定の解決をはかってきた。


しかし、被害を受けた一般住民に対する補償は、ほとんどなされていない。政府は、これらの条約に「請求権放棄条項」があることをもって、個人の補償については「解決済」であるとしてきた。しかし、その一方で、政府は国会において、この請求権放棄条項について、例えば、「日韓両国は、国家として持っている外交保護権を放棄したということで、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたものではない」と答弁(1991年8月27日、参議院予算委員会での外務省条約局長答弁)している。そもそも国家が個人の根源的な自由や権利主張を制約することなどは本来できないのである。


日本は、憲法において、再びこのような戦争の惨禍がおこることのないように決意し、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認した。 世界人権宣言は、すべての人が人権と基本的自由を享有することを宣言したが、国際人権規約をはじめとする国際人権法においては、人権を侵害された者は、効果的な救済を受ける権利を有するとされている。


日本と枢軸を形成したドイツでは、1956年、「連邦補償法」を制定し、国家間賠償とは別に、国の内外を問わず、ナチスドイツによる被害者に対して補償を行っている。その額はすでに7兆円を超え、今後も3兆円近い支払いが予定されている。


また、1988年に至り、アメリカやカナダにおいて、戦時中強制収容された日系人へ謝罪と補償が行われた。


このような他国の実例に照らしても、日本による戦争被害を受けた人々に対し、被害の回復を行うことは、人間の尊厳の確保と国際的正義の要請するところである。


4. さらに本宣言には触れていないが、残された課題として、日本における戦争被害の問題がある。


地上戦が展開された沖縄では、「軍官民共生共死」を強いられ、住民の戦死者は、当時の住民の4分の1にあたる10余万人にのぼる。これは軍人の戦死者の数を上回っており、沖縄戦のために移住を強制され、土地を強制接収されるなど、住民の受けた被害は甚大である。これに加えて、戦後アメリカの軍事占領下におかれたため、戦後の未処理課題が山積している。


広島・長崎では、原爆により一瞬にしてすべてが灰塵に帰し、30万余の生命が奪われ、多くの被害者が今なお苦しんでいる。


肉親と離ればなれになったまま海外に遺棄された人達、シベリアに長期に抑留された人達、戦争に反対し政治的弾圧を受けた人達等、戦争は、日本国民に回復し難い被害を与えた。


この戦争被害について、1952年に戦傷病者遺族援護法を制定し、1953年には軍人恩給を復活させ、これが給付の中心的なものとなった。しかし、これらは、軍人・軍属等にのみ限定された戦災者援護の法制であり、一般住民の被害については、いわゆる原爆二法を制定し、医療等について一定の援護措置を講じたが、きわめて不十分であり、救済のための援護立法の制定が求められて久しい。


当連合会は、被爆者援護法の制定を求める決議(第22回人権擁護大会)や民間戦災死傷者に対する援護法の制定を求める決議(第18回人権擁護大会)をしてきたが、今後もその実現のため力を尽くすものである。


5. 以上のとおり、戦争被害についての調査すら十分に行わず、多くの被害者を精神的、肉体的、経済的被害による苦渋の中に放置してきたことは、日本の戦後処理が不十分であったことを示している。


国は、早急に以下のことを行わねばならない。


第一に、被害の実態の把握と責任の所在を明確化するため、真相究明を急ぐこと。


被害が判明しないとして厳然たる人権侵害の事実に目をつむることは許されるべきでない。政府は、従軍慰安婦についての調査を開始し、ようやく軍の関与と強制連行の事実を認めた。戦争被害について、徹底した調査を行い、その全容を明らかにするべきである。


第二に、戦争により一方的に被害を受けた人達に対し、謝罪と名誉回復の措置をとり、日本が国際社会の一員としてふさわしい被害回復措置をとるべきであり、そのために必要な検討が開始されねばならない。すでに戦後50年を経過し、被害者が老齢化していることからも、猶予することなく早急に行う必要がある。


第三に、戦争の実相を正しく後世に伝える教育を行うべきである。政府は、教科書において、「侵略」を「進出」に改めさせ、1985年には、中曽根首相(当時)が靖国神社に公式参拝するなど、アジア諸国から戦争責任を曖昧にするものだと指摘されてきた。


当連合会は、「平和は、人間の生存とすべての人権の前提であるとともに、人権の尊重なくして真の平和はありえない」(第26回人権擁護大会)と宣言した。


日本がもたらした戦争による人権侵害の回復をはかり、併せて国際人権保障の確立に努めることは、この宣言の趣旨にそうものであり、基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とする我々も、これらの実現のため全力を尽くすものである。


以上の理由により、宣言の採択を求める。