大気汚染公害についての緊急施策を求める決議

1972年7月24日の四日市公害判決は、コンビナート企業群の責任を明らかにした画期的な判決であった。それは経済成長優先から公害対策優先への政策の転換を求めたと言うべきものであり、世界に例のない公害健康被害補償法を生み出す契機となった。


あれから20年を経過した今日、硫黄酸化物による汚染はかなり改善されたものの、窒素酸化物等による汚染はますます深刻化している。大気汚染による公害患者は増え続けており、被害救済を求める訴訟が今なお各地に係属している。環境基準が十分に達成できない状況が続けば、公害患者が今後も増大することは確実である。


公害健康被害補償法は、大気汚染の指定地域の全面解除により新たに公害患者が認定されなくなったため、従前の認定患者を除いて、被害救済制度として機能しなくなった。しかも、認定患者に対する給付内容は、きわめて不十分なままである。


自動車から排出される窒素酸化物に関し、本年5月「自動車から排出される窒素酸化物の特定地域における総量の削減等に関する特別措置法」が制定された。しかし、同法は総量規制の内容がきわめて不十分であるなど、その実効性に大きな疑問がある。


大気汚染の現状は一刻も猶予できない深刻な状況にあり、緊急に次の施策が実施されるべきである。


  1. 自動車排出ガスについて、国は実効ある総量規制などの規制措置をとるとともに、地方自治体は地域の実情に応じて独自の規制をすること。
  2. 固定発生源から排出される窒素酸化物について、総量規制をより強化すること。
  3. 公害健康被害補償法にもとづく地域指定を直ちに行い、その給付内容を改善するとともに、汚染賦課金の賦課基準に窒素酸化物等の排出量を加えること。
  4. 大気汚染物質排出量等の汚染情報の開示を事業者に義務づけるとともに、行政はその所持する汚染情報を公開すること。

以上のとおり決議する。


1992年(平成4年)11月6日
日本弁護士連合会


提案理由

1. 四日市コンビナートは、日本で初めての本格的石油化学コンビナートであり、重化学工業化による高度経済成長の象徴であった。高度経済成長政策にもとづく経済活動の優先により、日本各地で深刻な大気汚染公害が発生し、四日市でも多数の公害被害者を生じさせた。


1972年7月の四日市公害判決は、経済発展を優先し公害被害者を切り捨ててきた日本の産業政策の転換を迫るものであり、日本の公害史上画期的なものと評価された。1973年には、二酸化硫黄(SO2)の環境基準が厳しく改訂され、二酸化窒素(NO2)と浮遊粒子状物質(SPM)の環境基準も設定されるなど、公害対策が強化された。同年、公害健康被害補償法が制定され、民事責任をふまえた被害救済制度として公害患者に関する補償制度が実施された。


2. その後、産業界から「大気汚染公害は終わった」とするまきかえしが行われ、1978年には二酸化窒素の環境基準が科学的根拠もなく3倍に緩和され、1988年には公害健康被害補償法による全国41か所の大気汚染の指定地域が全面的に解除された。


しかし、大気汚染の現状を見ると、硫黄酸化物については汚染状況がかなり改善されたものの、窒素酸化物等については汚染濃度が上昇する傾向にあり、汚染が広域化している。不十分な環境基準を達成した測定局は、1991年では東京都区部では28局のうち全くなく、大阪市では27局のうちわずか3局といった状況であり、環境基準を達成できない測定局は年々増え続けている。光化学スモッグも依然として憂慮され、浮遊粒子状物質による汚染も改善されていない。


3. このような状況のもとで、大気汚染による公害患者は増え続けている。公害健康被害補償法にもとづく指定地域が全面解除されて以降、旧指定地域をかかえる12の地方自治体は、公害病に対する医療費助成等の独自救済制度をはじめたが、この対象となる患者は年々増え続け、1988年3月に全国で2万人強であったのが、1992年3月には、4万人を超えるに至った。今なお、大阪西淀川訴訟、川崎公害訴訟、倉敷公害訴訟、名古屋南部公害訴訟、尼崎公害訴訟などの大型大気汚染公害訴訟が係属中であり、公害患者は早期の救済を望んでいある。本年8月10日に東京高等裁判所で和解が成立した千葉川鉄訴訟は、訴訟提起から和解解決まで17年を要したが、他の訴訟も長期化し、今なお被害救済が図られるに至っていない。


4. 窒素酸化物汚染の主原因が自動車排出ガスであり、その総量を3~4割削減しなければ今世紀中に環境基準を達成できないことは、環境庁も認めている。本年5月に成立した前記「特別措置法」は、自動車から排出される窒素酸化物を規制しようとするものである。しかし、その実質的規制としては特定地域での使用車種の規制のみであり、他地域から流入する自動車には対応できない。総量規制については、国の「総量削減基本方針」にもとづき都道府県知事が「総量削減計画」を策定することになっているが、その達成については「必要な措置を講ずるよう努める」とされているにすぎず、その実効性はきわめて疑問である。


当連合会は1991年6月に、「自動車排出ガスによる大気汚染防止緊急措置法(仮称)」の制定を提唱し、総量規制・使用車種規制・ステッカー規制の3方式による規制を実施すること等を提言した。少なくとも事業所単位で窒素酸化物排出量を管理し、その計画的な削減を行うための総量規制措置が直ちに実施されるべきである。


地方自治体は、本来、地域住民の生命と健康を守るため独自の公害規制を行う固有の権限を有するものと解される。この点を確認するため、「特別措置法」に大気汚染防止法第4条、第32条などのように、地方自治体にその権限があることを明確にすべきである。そして、地方自治体は、地域の実情に応じた総量規制や必要な規制を実施すべきである。


5. 固定発生源に対しては、硫黄酸化物、窒素酸化物ともに排出規制が行われ、汚染の著しい地域では総量規制が追加されている。これにより、硫黄酸化物の規制についてはある程度効果を上げたが、窒素酸化物規制はいまだ成功していない。


窒素酸化物については、自動車排出ガスが地表に近いところで排出されることから、その汚染寄与率が高いことが強調される。しかし、一事業所による排出量が自動車と比べものにならないことはいうまでもないし、排出総量をみても、例えば、横浜市とその周辺地域の1985年度の窒素酸化物排出量は、自動車排出ガス1万7,700トンに対し、固定発生源は1,100トンにのぼっている。また、固定発生源からの窒素酸化物は高煙突から排出されることから、これが大気中をただよい、酸性雨などの広域的な環境汚染の原因となっている。


窒素酸化物について総量規制が行われている地域では、総量規制の基準が規制区域内への寄与割合を前提に定められるものであるため、高煙突による地域外汚染については考慮されていない。従って、地域における直接の公害被害の防止とともに、広域的な環境保全のためにも、窒素酸化物の総量規制を強化する必要がある。


窒素酸化物の排出削減をより一層強化することは、排煙脱硝装置の設置などにより技術的に十分可能である。四日市公害判決が、「企業は経済性を度外視して、世界最高の技術・知識を動員して防止措置を講ずるべきである」としたことが想起されなければならない。


6. 政府は、1988年3月、公害健康被害補償法にもとづく大気汚染の指定地域を全面解除するにあたり、「新たに大気汚染が深刻化した場合には指定地域の再指定も考える」としていた。前記のとおり、大気汚染が改善されず、公害患者も増え続けている今日、直ちに地域指定が行われるべきである。


千葉川鉄訴訟、大阪西淀川公害訴訟の一審判決は、公害患者に対する公害健康被害補償法の給付では被害者救済が不十分であることを認めた。公害健康被害補償法の給付水準を引き上げ、慰謝料部分を加える等、公害患者が安心して治療に専念する生活ができるよう、給付内容が充実・改善されるべきである。


最近の大気汚染の主要因が窒素酸化物であることに鑑み、公害健康被害補償法の汚染賦課金の賦課基準に窒素酸化物等の排出量を加えるべきである。これにより、公害健康被害補償制度が汚染者負担の原則に適うものとなり、事業者の排出削減の経済的インセンティブともなる。


7. 環境に関する情報は市民の知る権利の対象である。市民がこれを容易に入手できることは、市民の環境問題への関心を拡大し、適切な規制を促進するために不可欠である。しかし、市民には個々の事業者ごと、製品ごとの汚染物質排出量は、行政からも事業者からも明らかにされていない。公害防止設備の設置の有無、その稼働実績等についても、市民は知らされない。


汚染物質の排出にかかる情報は、社会の全構成員に知らされるべきものであり、事業者や行政当局が秘匿すべきものではない。汚染物質を排出する事業者に対し、排出する汚染物質の種類と量などの情報の開示を義務づけるべきであり、行政はそれらの汚染情報を公開すべきである。


本年6月に開かれた地球環境サミットのリオ宣言第10原則においても、「環境問題は、それぞれのレベルで、関心のあるすべての市民が参加することにより最も適切に扱われる。各個人が有害物質や地域社会における活動の情報を含め、公共機関が有している環境関連情報を適正に入手し、そして意思決定過程に参加する機会を有しなくてはならない。各国は、情報を広く行き渡らせることにより、国民の啓発と参加を促進し、かつ奨励しなくてはならない」としている。行政が情報を独占して民間事業者を規制し市民を参加させない規制方式は、過去の遺物である。汚染情報の開示がすすめば、市民は商品購入の際に「環境を考慮した商品」を選択できることになるし、企業の環境優先行動へのインセンティブともなる。汚染情報の開示と公開により、大気汚染公害問題、地球環境問題に関して高まった市民の活力を、その解決のために活かすべきである。


8. 今日の大気汚染問題は、酸性雨による環境汚染や二酸化炭素、メタン、亜酸化窒素等による地球温暖化など、地球環境問題としてとらえるべき時期に来ている。しかし、四日市公害判決20周年を迎え、いまだに大気汚染公害問題が解決していない現状に鑑み、われわれは上記のとおり窒素酸化物等の規制に関連する緊急の施策を提言するものである。