情報主権の確立に関する宣言

本文

国が保有している国政関係の諸情報は、本来、主権者たる国民のものである。原則として、すべての国民に対し、それらの情報を知る権利が実質的に保障されていない限り、国民主権は成立しえない。


また、国等が保有している個人情報は、プライバシーをはじめとする個人の尊厳と権利の問題に深くかかわっている。それらの個人情報の収集・管理・利用・閲覧・訂正等のすべてにわたって本人のコントロール権が保障されていない限り、基本的人権の保障はありえない。


真の情報公開制度と個人情報保護制度は、民主主義の存立と基本的人権の尊重のために欠くことのできない車の両輪であり、その実現は、国民自身が主権者としてそれらの情報を実質的に支配するための制度的保障である。


このことは、今日、国際的にも、共通の認識となっており、当然何人に対しても平等に保障されるべきものである。


ところが、わが国の現状は、そのような時代的潮流に即しているとは到底いえない。


国等による国政情報と個人情報の独占的支配の現状は改善されていない。むしろ、国政情報については、秘密保護の壁はますます厚くなり、また、現行のいわゆる「個人情報保護法」も、その実体はコンピュータによる個人情報管理法にほかならない。


われわれは、以上の諸点に立脚し、わが国の国政が直面する緊急かつ最重要の課題のひとつとして、真の情報公開制度と個人情報保護の確立を強く求める。


われわれは、広く国民各層の人びととともに、その実現にむかってあらゆる努力をつくすものである。


以上のとおり宣言する。


1990年(平成2年)9月28日
日本弁護士連合会


理由

1. 国民の「知る権利」は、民主主義の根幹である。国民主権を基本原理の一つとする日本国憲法のもとにあっては、国民は絶えず国政に関する情報を知り、また、これに関する他人の意見を知ることによって、自らも国政に関する意見を形成し、あるいは、その過誤を正し、この意見を公共的討論の場で表明することによって、国政を監視し、これを支持または批判することを通して、国政に関する権利と責任を全うすることができるのである。このように、国民主権の原理は、国政に関し国民が知る権利を有していることを当然の前提としている。この「国民の知る権利」を実質的に保障し、国民による国民のための開かれた政治を実現するためには、情報公開制度の確立が不可欠である。地方自治体においても住民自治の原理から当然に同様のことが要請されるのである。


2. われわれは、すでに、1980年の日本弁護士連合会第23回人権擁護大会決議において情報公開法の速やかな制定を求めた。これは1970年代の一連の公害や薬害のため国・地方自治体のもつ情報の重要性が痛感されたことや、ロッキード事件等の一連の疑獄・腐敗事件の真相解明がわが国行政上の「秘密」の前に挫折した苦い経験に基づいたものであった。


ところが、アメリカをはじめ欧米先進諸国が情報公開制度を整備しつつあるのとは対象的に、国は、1983年の臨時行政調査会の報告で、情報公開制度の実施を「積極的かつ前向きに検討すべき課題」であるとしながら、未だに制度実現のために具体的目標を示さないことは極めて遺憾である。多くの非公開情報の実例から明らかなとおり、現在も国による情報の秘密主義的独占は、わが国における情報の自由な交流を阻害し、政治・行政の腐敗の根源となっている。


また、地方公共団体においては、1990年4月1日現在167地方公共団体(31都道府県、136市区町村)が情報公開条例を制定したが、その数は全国の地方公共団体の一割にも満たないものであり、かつ、その情報公開条例が必ずしも「知る権利」の保障のために十分なものとはいえず、また、運用においても、非公開事例が多く、「知る権利」が十分に実現されていない状況である。


3. 他方、最近のコンピュータの急速な発達、普及に伴い、国、地方公共団体、民間において、膨大な個人情報、たとえば所得、資産、医療、教育、各種経歴から税、保険、年金に至るまで、あらゆる個人の情報が本人の知らない間に大量に収集・管理・利用されている。


しかし、それらの個人情報の対象になっている国民の側から見ると、自分に関する情報の実体を殆ど知ることができない状況にある。


憲法が保障している思想・信条・信仰等の自由に関する情報、社会的差別の原因となるような事実に関する情報、勤労者の団結権、団体行動権の行使に関する情報、請願権その他の政治的権利の行使に関する情報、いわゆるセンシティブ情報が勝手に収集されることになれば、基本的人権と民主主義の基盤そのものが根本的になりたたなくなる。この場合、これらの情報を勝手に収集すること自体が、個人情報に関する権利侵害である。また、誤った情報、・不正確な情報・古くなった情報・主観的な情報などによって、その個人が不利益な処遇を受けることになれば、そのこと自体が人権侵害になる。


このように収集された情報がコンピュータ・ネットワークにより結合され利用されるならば、プライバシーをはじめとして、憲法の保障する個人の尊厳を損なう危険がある。このような事態がすすめば、個人に対する国等による監視、管理の体制が徹底し「監視国家」「管理社会」を招来し、国民の基本的な自由そのものが大きな制約と干渉を受けることとなり、民主主義の基盤は失われる。


世界では、コンピュータ等による個人情報の収集・保管・利用が個人の人格権を侵害するとの危機感から1970年に西ドイツのヘッセン州で個人情報保護法が制定され、1980年には、経済協力開発機構(OECD)が「プライバシーの保護と個人データの国際交流についてのガイドラインに関するOECD理事会勧告」(以下OECD理事会勧告という)を選択し、各国のプライバシー保護法に共通する国内適用における基本原則として8原則を示した。わが国においてもOECD理事会勧告を受け、1982年7月行政管理庁の「プライバシー保護研究会」は、プライバシー保護のための日本版5原則(A.収集制限の原則、B.利用制限の原則、C.個人参加の原則、D.適正管理の原則、E.責任明確化の原則)を公表している。


すなわち、高度情報化社会におけるプライバシーは単に「一人にしておいてほしい」権利、「他人に知られたくない」権利にとどまらず、積極的に自己の情報が予期しない形であるいは無限定に収集・蓄積・利用・提供されることを防止し、自己の情報がどこにどのような内容で蓄積され、誰に利用、提供されているかを知り、これら蓄積された情報について誤りがあればこれの訂正を、また不当に収集された情報については、その抹消を求めることができる自己情報コントロール権としてとらえられるべきなのである。


4. ところが、1982年12月に成立した「行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律」(いわゆる「個人情報保護法」)は、国の行政機関のみを対象とし、地方公共団体、特殊法人および民間団体を対象としていない。また、収集制限の規定がないばかりか、いわゆるセンシティブ情報についての配慮もない。さらに利用限度の原則、公開の原則、個人参加の原則についても実質的には例外規定等により全く形骸化しており、誤った情報に対する訂正請求権すらない。このようにいわゆる「個人情報保護法」は、上記5原則すら満たしておらず、プライバシー保護については極めて不十分であり、行政機関相互はもとより行政機関とこれに協力する民間機関との間での相互利用さえも十分可能となっている。同法は、国のみならず民間をも視野に入れて自己情報コントロール権を保障する見地から、早急に抜本的見直しがなされなければならない。同様に、地方公共団体においても、個人情報を実質的に保護する内容の個人情報保護条例の制定を急がなければならない。


5. 今日の高度情報化社会においては、憲法第21条を基本とする「知る権利」を具体化する情報公開制度と、憲法第13条を基本とする自己情報コントロール権を保障する個人情報保護制度とは、国民主権・民主主義・基本的人権の保障のための両輪である。


このような情報公開と個人情報保護に関する国民の権利は、当然、何人に対しても平等に保障されるべきものであり、以上のことは、今日では、国際的通念になっている。その権利保障の制度を実現していくためには、何よりもまずこれらの問題に関する国民の権利を確立していくことが急務である。


6. われわれは、以上の諸点に立脚し、わが国の国政が直面する緊急かつ最重要の課題のひとつとして、真の情報公開制度と個人情報保護の確立を強く求める。


われわれは、広く国民各層の人びととともに、その実現にむかってあらゆる努力をつくすものである。