刑事訴訟法40周年宣言

本文

わが国の刑事手続は、現在、憂慮すべき状況にある。捜査段階における代用監獄を利用しての無制約・長時間の取調べ、弁護人との接見の機会および時間の制限、そして被疑者に国選弁護人制度のないこと等、被疑者の人権は大きく制限されている。起訴後も、保釈されず、勾留が長期に継続する事件は多い。公判段階では、右のような取調べで作成された自白調書の安易な採用、被告人に有利な検察官手持証拠の不開示・不提出、弁護人請求の証人調べの制限等は被告人の防禦権の行使の重大な支障となっている。控訴審、上告審もその機能を充分に発揮せず、一審の誤りがほとんど除去されないまま終了することも稀ではない。


このような憲法の理念および国際人権規約等いわゆる国際人権法に反する状況を改革するため、これまでも各事件で多くの弁護人が被告人・被疑者の人権を守るため力を尽くし、当連合会も人権擁護委員会をはじめ多くの委員会・対策本部を設置し、法制度の改革、運用の改善のため努力してきた。


刑事訴訟法施行40周年そして同時に当連合会発足40周年にあたり、当連合会は国民の人権擁護という弁護士の基本的責務を果たすべく、国民とともに、英知を結集し、現在の刑事手続を抜本的に見直し、制度の改正と運用の改善をはかるとともに、各弁護人に情報・資料を提供し、刑事弁護の一層の充実強化をはかるための機構を設置するなど、あるべき刑事手続の実現に向けて全力をあげてとりくむものである。


右宣言する。


平成元年(1989年)9月16日
日本弁護士連合会


理由

1. 本年5月27日、当連合会定期総会宣言は、わが国の刑事司法の現状において、代用監獄を利用した無制約かつ長時間の取調べをはじめ、弁護人の接見交通や証拠の採否について、刑事訴訟法の原則と例外を逆転させた運用が常態化していることを指摘した。そして、われわれは、司法を真に国民の信頼に応じえるものとするため、刑事手続法の改正と日常的運用の改善を求め、われわれ自身の至らざるところも厳しく自省し、徹底的な弁護活動にとりくむことを決意した。


2. 「35年は長い長い、苦しい毎日でありました」―死刑の恐怖のもとに人間の尊厳を傷つけられ、自由を奪われていた島田事件の赤堀政夫氏の言葉は、わが国刑事司法が犯した誤りの重大性を告発して余りある。再審という細い道を通って死刑台から生還した冤罪の被告人は、実にこの6年間で4名にも及んでいる。


免田、財田川、松山、島田の死刑再審4事件、そして当連合会がこれまで取組んできた弘前、加藤、米谷、徳島、梅田等の各再審事件について、その誤判の原因として共通してあげられるのは、見込み捜査や別件逮捕に始まり、代用監獄での長時間にわたる取調べ、客観的捜査の不備、鑑定の誤り、検察官の捜査チェック機能の喪失、公判段階での自白調書の安易な採用、自白の偏重、そして上訴審がその機能を果たしていないことであった。


右の各再審事件については、しばしば、昭和30年以前に発生した事件であり、新刑事訴訟法発足後まだ日が浅く軌道に乗っていなかった時代の事件であると強調される。しかし、右各事件で誤判を生み出した捜査・公判の問題点は刑事訴訟法40年を迎えた今日、一層深刻化し、憂慮すべき状態に至っている。現に、大阪貝塚殺人事件、缶ビール詐欺事件等、昭和50年代以降の新しい再審事件、あるいはお茶の水女子大寮事件、山下事件等の新しい冤罪事件が発生しているのである。


3. 当連合会は、昨年来国際人権シンポジウム、司法シンポジウムを開催し、また本シンポジウムに向け、各単位会に対する照会および全会員に対するアンケートを実施したが、そこでは、刑事手続の現状と問題点について、次の諸点が指摘されている。


  1. 逮捕・勾留について、裁判官の令状審査が形骸化し、却下率が著しく低下する等、裁判所の抑制機能が発揮されず、勾留理由開示も機能していない。全裁判所の勾留請求却下率は昭和45年には3.74%であったが、昭和62年には0.31%になっている。
    また、逮捕・勾留に際し、違法な裸体検査がなされることが恒常化している。
  2. 捜索・差押についても令状主義は形骸化している。市民運動抑圧目的の捜索・差押、軽微事案についての濫用、捜索場所、差押物の不特定等、問題とすべき点が多い。
  3. 代用監獄は、被疑者の身柄を捜査官憲の支配下に長期間おき、無制約かつ長時間の取調べを可能にすることにより、黙秘権を侵害し自白強要、自白維持の手段として利用されている。また、代用監獄においては、時には拷問等が行われることがあるが、これを阻止する実効的救済方法を現行法では欠いている。人身の自由という最も基本的な人権を制限し、冤罪の温床となっているこの制度は、各方面から廃止が要望されているにもかかわらず、政府はかえって拘禁二法案により恒常化を図ろうとしている。
  4. 弁護人と被疑者の接見交通は、一回の接見が15分ないし20分とされ、回数も起訴前数回に制限されることにより、捜査段階での被疑者・弁護人の防禦権の行使を著しく困難にしている。日弁連の多年の活動により、一般的指定書は廃止されたが、検察庁は新たに要指定事件という類型をつくり、これに該当する事件については、必ず検察官の判断を経るものとし、その間は接見ができない状況が生れており、刑事訴訟法39条の原則と例外は、依然、逆転した状況にある。
  5. わが国には起訴前の保釈制度がなく、起訴後の保釈については許可率が極端に低下し、権利保釈は無きに等しい状況になっている。否認事件では、第一回公判まであるいは検察官請求の証人取調べが終了するまで、保釈を認めないのが通例である。現在、保釈は捜査機関によって自白強要の手段として利用されている。全裁判所の保釈率は、昭和45年に48.5%であったが、昭和62年には23.8%と半減している。また、保釈保証金も高額化している。 保釈保証金は、100万円以上の占める比率が増大し、昭和55年には32.2%であったのが7年後の昭和62年には80.4%に増加している。
  6. わが国の刑事手続における国選弁護の割合は、昭和62年には約64%に達している。しかし、捜査段階に国選弁護制度がないことは、被疑者の防禦権の行使をいっそう困難にしている。前記9件再審事件のうち、松山事件を例外とし他の8事件では、捜査段階には弁護人はいなかったのである。
  7. 公判段階のもっとも大きな問題は、裁判所の自白偏重である。代用監獄での取調べの結果作成された自白調書は極めて安易に採用され、証拠の中心となっている。自白の任意性が正しく検討され、否定されることはきわめて稀である。
  8. 伝聞証拠については、特信性の要件は著しく緩和され、刑事訴訟法の原則と例外が完全に逆転している。弁護人が取調べに立会うことがないまま密室で作成された検察官面前調書が安易に採用され、かつその記載内容の方が公判廷での供述よりも信用性が高いとされることにより、公判中心主義は空洞化し、現状は調書裁判となっている。
  9. 他方、検察官の不提出証拠については、検察官が開示を拒否する事例が多く、これに対し、裁判所も消極的な姿勢をとっている。
    財田川事件、松山事件、徳島事件、梅田事件においては、再審段階で検察官の公判不提出証拠が提出され、再審開始決定、無罪判決に重要な役割を果たしている。検察官は捜査段階で強大な権限に基づき多数の証拠を収集しているのであり、本来は、被告人に有利な証拠であっても公益の代表者として開示・提出すべきであるが、現状では弁護人の要請に全くといっていいほど応じていない。
  10. 違法な手続によって収集された物の、証拠からの排除は、現在極めて不十分にしか行われていない。
  11. 昭和40年代後半以降、訴訟促進の名の下に、弁護人側の証人の数、尋問時間を制限し、鑑定・検証を極力回避し、争いのない事件については情状証人を在廷の1名に制限し、即日結審する等、職権主義的・画一的な訴訟指揮が広がりつつある。一例をあげれば業務上過失傷害・同致死事件について、全地方裁判所の事件数は、昭和45年11,551件、昭和62年9,725件であった。この間鑑定件数は101件から25件に、検証件数は627件から43件に激減している。また、証人数については、地裁における否認その他の事件においては、昭和46年では5.8人であったのが、昭和62年では3.8人に減少している。
  12. 控訴審、上告審もその機能を十分に発揮せず、一審の誤判がそのまま維持されることも稀ではない。死刑再審4事件も、1、2、3審を通じて、有罪判決がなされていたのである。
  13. 少年事件についても、不服申立制度の不備、国選付添人制度の不備、否認事件の審理に対する配慮が不十分である等、適正手続による人権保障について問題とすべき点が多い。

4. 刑事手続における被疑者・被告人の権利の保障は、基本的人権の中でも重要な位置を占めている。日本国憲法も、マグナカルタ、フランス人権宣言以来の歴史を継承し、刑事手続について手厚い権利保障の規定を置いている。


わが国の刑事手続の現状は、明らかにこのような憲法の理念に反する。のみならず、昨年の国際人権シンポジウムが明らかにした通り、世界人権宣言、国際人権規約B規約等の国際人権法にも反するものである。


また、刑事手続の各段階の運用の問題点として指摘された各事実は、それぞれが重大な基本的人権に対する侵害であるが、同時に、代用監獄における自白の強要と公判における自白偏重・調書裁判を中心として、全体として構造的に連関し、誤判を作り出す危険を大にしているのである。


5.このような刑事裁判の現状は、弁護士のみならず、学者、有識者、心ある裁判官にも深く憂慮されている。


他方、司法統計資料等の犯罪検挙率や有罪率の高さ、あるいは裁判期間の短さを根拠として、現状を積極的に評価する意見が、裁判所、検察庁等には少なくないのである。それだけに、刑事手続の現状を打開し、改革するために、弁護士と弁護士会に寄せられている期待は大きい。今後の鍵は「刑事弁護のあり方いかんにかかっている」と指摘されているのである。同時に、現状の改善、改革は、最終的には国民の支持が不可欠である。


われわれは、弁護士のなかに刑事弁護に対する意欲・関心の低下、いわゆる刑事弁護離れはなかったか、個々の事件について最善の努力を尽くしてきたか、について厳しく自省するとともに、あるべき刑事手続の実現へ最大限に努力することを決意する。


現状を改革するため、当面、次の三点を実行する。


第1は、個々の具体的事件において、原則的かつ積極的な弁護活動を日常的に進めていくことである。不当な勾留、捜索・差押、接見交通指定、保釈不許可等に対しては適切な不服申立をし、証拠の採否等についての不当な訴訟指揮に対しては安易に妥協することなく毅然として対処するなど、現状の刑事手続の運用の是正を図る弁護活動を徹底する。


第2は、各単位弁護士会、当連合会が、会として組織的にかつ継続的に、刑事弁護について積極的な役割を果たしていくことである。


当連合会は、これまでも人権擁護委員会、接見交通権確立実行委員会、司法問題対策委員会、拘禁二法案対策本部、再審法改正実行委員会、司法制度調査会、少年法「改正」対策本部、刑法改正対策委員会、女性の権利に関する委員会、国家秘密法対策本部、国選弁護に関する委員会等の委員会・対策本部を設置し、刑事手続の現状の改革のため努力してきた。各委員会、対策本部は、これまで熱心な活動を続け、それぞれ大きな成果を挙げてきたが、なお、個別的、専門的分野での活動にとどまっている。


現時点では、各委員会、対策本部に結集している英知を総合し、刑事手続の現状と問題点を総合的に検討し、分析することが必要である。本年の人権シンポジウムもその一環としてもたれたものである。そのうえで、各会員に対し、現状の分析の成果を伝え、刑事弁護に必要、有効な情報、資料を提供するなど刑事弁護の一層の充実強化をはかるための機構設置にとりくむ。


第3に、当連合会は、これまでも第24回人権擁護大会シンポジウムでの7項目の制度改革の提言(昭和56年)、「刑事再審に関する刑事訴訟法並びに刑事訴訟法規則一部改正意見書」の発表(昭和60年)、第30回人権擁護大会での接見交通権に関する「捜査と弁護権に関する決議」および代用監獄廃止についての「拘禁2法案についての決議」(昭和62年)、「証拠開示についての立法措置に関する答申書」の発表(昭和63年)等の活動を重ねてきた。しかし今日の段階では、現状の分析、検討と同様に、関連する各委員会、対策本部が協力し、総力をあげて刑事訴訟法全体を見直し、研究をし、運用及び立法的改革を提言することが必要となってきている。刑事手続を憲法の理念および前記の国際人権法に合致し、国民の裁判を受ける権利を真に保障するものとなるように改革しなければならない。われわれは刑事訴訟法全体について、運用及び立法的改革を提言することにとりくむ。


われわれは、現状の刑事手続を改革するため、以上の諸方策を実行することを決意し、ここに本宣言案を提案する。