消費者被害の予防と救済に対する国の施策を求める決議

本文

消費者問題は国民すべてに関わる問題であり、わが国社会が解決を迫られている最重要課題の1つである。


1960年代からの経済拡大政策がとられる中で、わが国では、薬品や食品、あるいは消費生活用品の欠陥による被害、不実表示・ヤミカルテル等による不公正取引被害、現物まがい商法・霊感商法等に代表される様々な欺瞞取引被害、また、クレジット・サラ金被害等深刻かつ多様な消費者被害が多発した。これらの被害を生み出す社会経済体制は改善されず、姿を変えつつ、今日なお被害は多発し、救済の実現も極めて困難な実情にある。


われわれはこれまでの被害救済の経験から、基本的人権としての消費者の権利は未だ確立されておらず、わが国の立法・行政・司法における消費者保護の諸施策は諸外国と比して極めて不十分であると考える。


ここにわれわれは、「消費者は、その消費生活のすべての場面で、安全および公正を求める権利が保障されるとともに、その実現に参加する権利を有する」ことを確認し、その権利の実現のため、国に対してすみやかに次の施策を講ずるよう求めるものである。


  1. 消費者が事業者と対等の地位を回復するため、(1)安全かつ公正な取引の確保に関する規定、(2)被害の予防および迅速な救済をはかるための規定、並びに、(3)これらの施策の策定および実現に消費者が参加する権利を保障する諸規定を中核とする消費者法を制定すること。
  2. 従来の縦割り行政、後追い行政の弊害を除去し、消費者の立場に立った総合的統一的な消費者行政を推進するため、消費者庁を設置すること。
  3. 簡易迅速な被害救済・立証負担の公平をはかるなどの消費者に開かれた裁判制度を導入すること。

われわれは、右制度の実現に努力し、今後一層消費者被害の予防と救済のため尽力するものである。


右決議する。


平成元年(1989年)9月16日
日本弁護士連合会


理由

1. 消費者とは、国民の別名と言ってさしつかえなく、国民経済における最大の集団である。しかしながら、消費者集団は国民経済において効果的に組織されておらず、しばしばその見解が無視されてきた。戦後40数年、わが国がひたすら産業優先、経済至上主義の道を歩み続ける中で、消費者の利益は産業育成省庁によって、その政策を実施してゆくに必要な限度で付随的に保護されてきたにすぎない。その結果、今日わが国の消費者は、安全かつ公正な消費生活が十分確保されているとは到底言えない実情にある。


2. これまでの消費者被害の態様は実に多岐にわたるが、欠陥商品・取引および消費者信用をめぐる被害に分けて概観すれば以下のとおりである。


(1) 商品の欠陥(安全性)をめぐる被害


1960年代当初からの高度成長政策はわが国に深刻な公害や消費者被害をもたらした。あらゆる商品の大量生産、大量販売、大量消費が追求される中で安全性は軽視され、森永砒素ミルク中毒、サリドマイド、スモン、カネミ油症事件等、食品、医薬品等による深刻、激甚な人体被害を発生させてきた。これらの悲惨な事件では、その悲惨さ故に被害者自らが救済を求めて立ち上がり、弁護士たちも献身的な救済活動を行って被害者を支えてきた。これらのうち、スモン等の事件にあっては目覚ましい司法救済をもたらしたが、無過失製造物責任法制を欠く現行法制の制約の中で、カネミ油症事件のように十分に被害回復を求め得なかったものも少なくない。


今日、サリドマイドやスモン等の薬品公害の経験にも拘らず、医薬品の副作用による健康被害は根絶されておらず、欠陥自動車、電気製品、石油ファンヒーターやベビーベッド、家庭用洗剤等身近な一般家庭生活用品による死亡事故や健康被害も無視し得ない数で発生しており、一方で消費者がその被害救済を求めて立ち上がろうにも、前述のとおり無過失責任法制を欠く現行法の下では立証責任の負担が重く、ほとんど救済されていないのが現状である。


このような欠陥の問題は商品にとどまらず、サービスの分野でも見られる。エステティック等サービスによる健康被害、あるいは医療過誤事件がこの範疇に入るであろう。


われわれは、今、欠陥商品や欠陥サービスがもたらす危険な波間にただ翻弄されている観さえある。


(2) 取引をめぐる被害


1970年代後半以降、「取引」にまつわる被害が消費者苦情の過半を占めるに至っている。とりわけこの10年余は、訪問販売ないしその亜形による、まさに「脅し」と「すかし」をないまぜた心理的、欺瞞的、攻撃的な勧誘が若年、老人、主婦らいわゆる社会的弱者に対して加えられ、豊田商事や霊感商法事件をはじめとして、多様かつ深刻な取引被害が次々と発生した。これらの被害の発生状況は、消費者意欲を作出し、強力な販売戦略の開発に主力を注いできたわが国の産業界全体の流れを反映したものである。


1980年代当初から今日までにこれらの被害の救済や拡大を防ぐために傾注された多くの努力の中で、われわれ弁護士が果たした役割も決して小さくはない。こうした努力が近時の訪問販売法改正の大きなエネルギーになったことは耳目に新しいところである。しかし、この改正によっても取引被害の救済は不十分である。


さらに、消費者取引において一方的先履行、高額の違約金や解除条件の著しい制限等、消費者にとって極めて不公正な取引条件が規定されている契約が横行している。また、その価格も公正かつ自由な競争の下に設定されたものでない疑いのあるケースもしばしば見られるところである。公共料金においてさえ消費者はこれを正す法的手段をもっていない。しかも、これらの不公正な取引条件や取引内容は、契約に先だって十分かつ正確に説明されず、また、商品・サービス等について、効能・効果等の誇大・不実表示さえ珍しくない。


(3) 消費者信用をめぐる被害


わが国では高度成長以来、はじめに大量生産ありきであった。「高度に発達した大量宣伝」によって人々に新しい商品・サービスの需要を作出し、「消費は美徳」とさえ称された。低成長期に入ってからは、過剰な消費者信用をもって不要不急の商品・サービスを購入させた結果、多重債務者を大量に生み出した。ここにもまた、深刻な消費者被害が発生した。1980年代サラ金被害は、幾多の自殺、家庭崩壊さえも生んだ。弁護士たちは被害者を励まし、利息制限法や破産法を活用した当面の被害者救済の道を開き、1983年にサラ金規制法を制定させた。


販売信用を中心に進展を見せていたクレジットは、前述のような不当な販売活動を一層容易にするとともに、サラ金に代わる信用手段としても役割を担ってきた。肥大化した消費者信用業界が近年、全国の簡易裁判所を「法的」取立ての機関として活用している現況は、庶民の駆け込み寺として発足した簡易裁判所に期待されている本来の役割を著しく歪めているのみならず、国民総被告化ともいうべき事態を招いている。


これら被害の実情を見るとき、今日の日本の消費社会は外形的には繁栄の極みに見えながら、その内実は事業者側によって規制され、消費者は企業活動の対象でしかなく、消費者主権の片鱗さえも存在しないといわざるを得ない。


3. 消費者主権の確立

わが国では、今日まで消費は生産に従属するものとして位置付けられ、社会的にはマイナーな存在であった。法制度においても今日に至るまで、消費者の利益が権利として宣言されることはなかった。生産から販売まで業界の育成を中軸として整備され、その結果消費者にもたらされるささやかな利益も、その反射的利益にすぎないものと考えられてきたのである。


しかし、本来生産の目的は消費のために存在したはずである。消費者とは私達すべてであり、私達の消費生活は人が人たるに値するものとして確保されなければならないものである。そのために今何よりも求められることは、すべての消費者に関わる施策が、消費者たる国民によって、消費者たる国民のために実施されることである。


われわれは、「消費者は、その消費生活のすべての場面で、安全および公正を求める権利が保障されるとともに、その実現に参加する権利を有する」との消費者主権の概念をもとに、これらの権利の実現のために、(1)新しい社会法としての消費者法の制定、(2)消費者のための消費者に開かれた消費者庁の設置、および(3)消費者に開かれた司法改革の実施を目指すものである。


これらの施策はすでに先進欧米諸国で実施され、あるいは準備過程にあるものばかりである。国際的視点に立つとき、「経済大国」と呼ばれるに至ったわが国のまさに緊急の課題である。


4. 消費者保護立法のあり方

(1) 消費者の具体的権利を機軸とする立法を


大量生産・流通・販売の経済構造下にあって、情報量その他あらゆる面で極めて劣悪な地位におかれている消費者が、事業者と対等な地位を回復するためには、法律によって消費者の権利が十分に確保される必要がある。それは、従来のような事業者規制の反射的利益として消費者保護がもたらされるという構造ではなく、消費者が自らの手で正当な利益を確保できるような権利を具体的に規定した立法でなければならない。


ところで、消費者の権利についてケネディ教書以来様々に表現されてきたが、私達は、国民のすべてである消費者の消費生活のすべての場面で、安全かつ公正であることが保障されるとともに、その実現に参加できる権利ととらえる。ここで重要なことは、消費者の権利は営業の自由との比較・調整によるものではなく、事業活動によって侵害されてはならない優越的権利、言い換えれば、生存的基本権として位置付けられるべきことである。 現在、製造物責任法の制定、出資法の刑罰金利の引下げの法改正、破産法の改正、消費者保護条例の整備などが問題提起されているが、それらすべての法改正に際し、消費者の利益を消費者自身が確保できる権利として具体的に明示すべきである。


(2) 「消費者法」の制定を


立法面での改革は個別立法の法改正にとどまるべきではない。また、現在の消費者保護基本法は消費者の権利を具体的に明定したものではなく、消費者主権に立脚した包括的「消費者法」を制定することが必要である。これは、対等な市民間を規律する民法に対し、商人間の商取引に商法があり、企業と労働者間の雇用関係に労働法があるように、事業者と消費者間の力の格差を修正する社会法としての「消費者法」でなければならない。


そこでは、(1)製品やサービスの安全、(2)価格や取引内容および取引方法における公正、および(3)消費者に対する適正な信用供与の確保などが消費者の権利として明定されなければならない。


さらにこれらの権利を実効あらしめるための措置として、(1)消費者に対する十分な情報の開示、(2)行政規制の充実、措置請求権や差止請求権など被害の未然防止のための措置、(3)迅速に十分な救済がなされるための措置、(4)消費者および消費者団体の訴権の拡充、さらに(5)消費者団体への援助措置などが含まれる必要がある。


このような消費者法はイギリス、フランスなどで既に制定され、あるいは準備されつつあるものである。


5. 消費者庁の実現

(1)  今日の消費者行政が消費者保護会議を設置して総合的にこれを推進するものとされながら、縦割り行政、後追い行政、無責任行政として批判され、これらの欠陥を克服できないでいるのは、消費者行政を担う行政機構のあり方に根本的な欠陥があるからである。従来の反省の上に立って、今後のあるべき消費者行政を考えるとき、総合的統一的な行政機関として、消費者問題専管の消費者庁を創設することが必要である。


(2)  消費者庁の機能として、大きく分けて消費者被害の事前予防のための規制、被害救済、消費者に対する情報提供と援助という三分野が必要である。それぞれにおける消費者庁の権限は次のようなものでなければならない。


  1. 事前予防のための規制として事業免許等の許認可権、約款審査権、品質審査権や排除措置命令等の権限を有すること。
  2. 消費者被害の迅速かつ適正な救済のためには、消費者の被害回復を援助できる権限や苦情処理解決のための機構をもつこと。
  3. 消費者の個人または団体による権利行使や自発的活動を援助するため、消費者および消費者団体に対する情報提供、教育、援助等の事業を行うこと。

(3)  このように行政機構を整備しても、これが真に実効性のある機能を発揮するためには、消費者および消費者団体に危害防止や事業者の違法行為の差止を求める措置請求権や、情報開示請求権のような各種申立権を認めることが不可欠である。このような制度を認めてこそ活性化した責任ある行政を実現することができる。


また、消費者行政へ消費者の直接参加を保証する機関および制度もまた同様に必要である。


6.消費者に開かれた裁判所

(1) 開かれた裁判所の実現


権利救済の最後の砦である裁判所に対しては、消費者にとって大きな負担がなく、簡便に利用できる裁判制度であること、即ち、消費者に開かれた裁判所であることが求められている、そのための制度として新たに、少額事件については、欧米の少額裁判制度にならった手続を考案し、多数被害の事件についてはクラスアクション制度の導入を検討すべきである。事件の当事者適格を広く認め消費者の訴権を拡張すること、被害の予防をはかるため、違反行為を禁止する差止訴訟、差止命令や返還命令を実効的にするための民事罰制度の導入および、消費者信用訴訟において消費者の裁判をうける権利を事実上奪うことになっている管轄制度の改善も検討すべきである。


(2) 親切な配慮等


消費者信用訴訟においては、簡易裁判所に本来求められていた駆け込み裁判所としての役割を復活させ、より一層、一般市民の裁判を受ける権利を実効的に保証するため、裁判所から送達される訴状や支払命令については、消費者がどのように対応したらよいかという説明だけでなく、消費者の希望する解決方法を表明できるような案内をも付した血の通ったものにすべきである。


(3) 実質的な負担の公平


取引被害事件や公正取引被害の事件においては、当時者間の実質的な負担の公平をはかる上での配慮が必要であり、これらの消費者事件に共通している立証責任については、文書提出命令、証拠保全等の証拠の開示の徹底、立証責任を軽減するなど、救済の迅速化をはかるべきである。


7. むすび

消費者主権の確立、安全と公正な消費生活を確保するため、われわれは、いまこそ消費者観の転換をはかり、消費者を保護の対象としてではなく、権利主体として捉え直すべきである。