公害被害者の人権の確立を求める決議
本文
いま公害被害者の人権は、危機にさらされている。
公害被害者の発生はあとをたたず、とりわけ大気汚染による深刻な被害が今なお多発している。かかる状況にありながら、政府は、公害健康被害補償法による指定地域を全面解除し、今後発生するであろう公害被害者の救済の道をすら閉ざそうとしている。しかも、他方では公害防止への配慮不十分のまま道路網の拡大など大規模な開発行政をすすめようとしている。また、世界に知られている水俣病は、公式発見以来すでに31年余を経過し、その間あいつぐ司法判断によって、その行政上の責任をきびしく問われつづけているにもかかわらず、政府は、これが救済のための行政的措置を怠り、その結果放置されている被害者は万余におよんでいる。
世界人権宣言は、すべて人は、生まれながらにして自由であり、かつ尊厳と権利について平等であり、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する、と宣言する。すなわち、何人もひとしく公害の不安から解放されて生きる自由をもち、ひとたび公害によって健康をおかされたときには、人間の尊厳のすみやかな回復を求める、「等しい配慮と尊重を受ける権利」をもつ。
かかる人権理念を確立することによって社会正義の実現が可能となる。
政府は、右の人権理念に立って、公害健康被害補償法による指定地域の解除をせず、すべての公害被害者の救済のための積極的施策を推進すべきであり、開発等にもとづく環境破壊による被害の発生を防止するための事前施策を確立することによって、公害行政の抜本的転換を図るべきである。
右決議する。
昭和62年11月7日
日本弁護士連合会
理由
1. 公害被害者は、その地に住み生活してきたというだけで、深刻な公害被害に、日夜苦しめられつづけている。病による苦痛のみにとどまらず、就学、就職、結婚、家庭生活、社会的参加などのすべての場面で、公害被害者たちは、重大なハンディキャップを背負い、苦悩のうちに生きながらえることを、よぎなくされている。
ここに、人間の尊厳はない。公害によってふみにじられている社会的弱者の現実がある。
2. 明治時代から抑圧と泣寝入りをしいられてきた公害被害者たちは、人間の尊厳の回復を求めて苦難の闘いをつづけてきた。そして、昭和42年から44年にかけて提起された新潟水俣病訴訟、四日市公害訴訟、イタイイタイ病訴訟および熊本水俣病訴訟の、いわゆる四大公害裁判をふまえて、人権確立の礎を築いてきた。
しかし、これまでようやく築かれてきた公害被害者の人権は、いま、環境行政の著しい後退によって、重大な危機に立たされている。わが国の公害問題を代表する大気汚染による公害と、有機水銀による水俣病において、とりわけ重大な状況にある。
3. 大気汚染は、今日なお深刻な状況にあり、その公害被害者は、現在認定患者数だけでも96,000人に達している。そして、年々、9,000人の新規患者が認定されている。とりわけ、東京都衛生局調査は、道路沿道における患者の多発を指摘しているが、政府が本格的調査をしないために、その汚染状況と被害の実態すら把握されていない。
このような被害多発の状況にありながら、政府は、財界の強い意向を受けいれて、公害健康被害補償法の「改正」を強行し、第109回国会で成立した。これは、同法による指定地域41地域の全面解除を実施し、今後は新規の公害病患者の発生を認めないというものである。
いうまでもなく、右補償法による救済は、公害被害者にとって、不十分な面があるとはいえ、生存を維持するうえで不可欠のものである。この最低限の補償すら断つところに、公害被害者の人権の危機の重大性があり、看過できない人道上の問題である。しかるに政府は、一方では公害被害者を切り捨てながら、他方では、民間活力論のもとに大規模開発を進めるとともに、四全総に基づき全国高速道路網の拡大などの開発を推しすすめようとしている。
4. また、水俣病は、昭和31年5月の公式発見以来すでに31年余を経過しているにもかかわらず、救済されないまま放置されている不知火海沿岸および阿賀野川流域の被害者たちは、万余に及んでいる。認定申請中の患者だけでも約5,000名に達しており、その周囲には、権利主張すらできない数多くの患者が存在している。
これまで、水俣病第2次訴訟(1、2審判決)、行政処分取消訴訟(1審判決)などで、行政による水俣病患者認定の基準(「判断基準」)は、司法にきびしく批判されてきた。そして、水俣病第3次訴訟(1審判決)では、国の法的責任をも問う司法判断が示された。ところが、これらの判決にもかかわらず、政府は、何らの救済措置をもとっていないし、とろうともしない。
司法判断すら無視してはばからない政府の対応によって、公害被害者の人権は、ここでも、重大な危機にさらされている。
5. 世界人権宣言は前文において、「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利を承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎である」と規定する。そして、第1条は、「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」とし、第3条は、「すべて人は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する」と規定する。
これらはまた、国際連合憲章の宣明するところでもある。
これに基づき、国際人権規約A規約第12条は、「健康を享受する権利」として、「この規約の締約国は、すべての者が到達可能な最高水準の身体及び精神の健康を享受する権利を有することを認める」とし、右の権利の完全な実現を達成するため、「環境衛生及び産業衛生のあらゆる状態の改善」、「病気の場合にすべての者に医療及び看護を確保するような条件の創出」の措置をとることが必要であるとしている。
公害被害者の人権を守り、その救済をはかることは、いまや、現代国家の当然の責務であるといわなければならない。
6. しかるに、現在の政府の施策は、産業経済の繁栄に傾斜するあまり、「公共性」の名のもとに社会的弱者である公害被害者の人権を軽視する傾向にある。
このような施策は、最大多数の国民の繁栄に現実に結びついているかどうかは別として、最大多数の国民の繁栄のためには、少数の国民の人権が犠牲にされることもやむを得ないという思想に由来している。このような法思想に対して、現代の法理論はこれを批判し、近時、「正義論」の立場から社会正義の確立を主張するにいたっている。すなわち、この考え方によれば、生命や健康などの人間の尊厳については、「経済の発展との調和」や「公共性」という名目によって、これをいささかも侵してはならず、個人的自由、権利の要求を全体としての社会的経済的利益の増進のために犠牲にすることは、許されないことになる。そして、公害被害者のような社会的弱者の身になって、各人の生きがいをできるかぎり平等に確保し、実現できるような社会を国民が連帯して創り上げることこそが社会正義を達成することになる。いいかえれば、公害被害者のような社会的弱者に、等しい配慮と尊重を受ける権利を保障することは、現代国家における社会正義としての人権の保障のあり方にかかわる社会的ミニマムであり、急務である。
7. これまで、わが日本弁護士連合会は、昭和50年に「公共事業による環境破壊に関する決議」、同52年に「公害被害者の救済に関する決議」、同54年に「公害環境行政の推進方に関する決議」、同57年に「公害被害者の救済制度改善に関する決議」など、公害被害者の救済を求める決議及び公害の未然防止のあり方について数々の立法、施策の確立を求める決議をしてきた。
しかしながら、今日、公害被害者の人権はかつてない危機にさらされており、他方では、民間活力論と四全総に基づく大規模開発による環境破壊や新種の化学物資による公害被害の発生の危険が憂慮されている。
このような状況に鑑み、政府は、右に述べた人権理念に立って公害行政の転換を図るべきである。そして、補償法の地域指定の解除をせず、公害被害者救済の制度をいささかも後退させてはならない。かえって、窒素酸化物を指標にして地域指定をするなど、公害被害者の救済のための制度の拡充をはかるべきである。また、国のすべての施策についてテクノロジー・アセスメント、環境アセスメントを法制度として確立し、被害と環境破壊の事前防止施策をすみやかに確立すべきである。
われわれはここにあらためて、人権理念の確立を提唱し、政府の施策の抜本的転換を求めるべく本決議案を提案するものである。