人権と報道に関する宣言

本文

民主主義社会において、国民は、主権者としての権利を自主的に行使するために、公的情報に積極的にアクセスする権利とともに、正確で必要十分な情報の提供を受ける権利を有している。報道の自由は、このような受け手としての「知る権利」に奉仕するものであり、最大限保障されなければならない。


ところが、最近、マスメディアにおいて、興味本位または営利主義に流され、報道の本来の目的を逸脱する傾向が強まり、個人の名誉・プライバシーを不当に侵害する事例が多発し、また、性差別を温存・助長する例も解消されていない。


このような憂うべき状況が続くならば、マスメディアは国民の信頼を失い、ひいては報道に対する権力の介入や法的規制への口実を与えることになる。その結果マスメディアは、報道の有する本来の機能を喪失し、民主主義社会における報道の自由が危機に瀕することになりかねない。


われわれは、こうした事態を考慮し、マスメディアに対し、


  1. 報道に関し、公共性・公益性との関連の程度に応じて、報道される側の名誉・プライバシー等を十分に配慮し、行き過ぎた取材および報道をしないこと。
  2. 犯罪報道においては、捜査情報への安易な依存をやめ、報道の要否を慎重に判断し、客観的かつ公正な報道を行うとともに、原則匿名報道の実現に向けて匿名の範囲を拡大すること。

の方針を推進するよう要望する。


ここに、われわれは、報道による人権侵害に対して、審査・救済を行う社内オンブズマン制度の設置と報道評議会等の審査救済機関の導入について、報道機関と協力して積極的に検討し、その実践に向けて努力するとともに、不当報道による人権侵害の防止と被害の救済のため全力を尽くすことを誓う。


右宣言する。


昭和62年11月7日
日本弁護士連合会


理由

1. マスメディアは、民主主義社会において国政に関する重要な資料を国民に提供し、国民の知る権利に奉仕すべき立場にある。報道の自由、取材の自由は、このようなマスメディアの本来の使命達成のためにこそ最大限に尊重されるべきものである。従って、マスメディアにおける報道は、国家権力や外的圧力による抑制ないし情報操作が行われてはならない。


他方において、公共性・公益性の乏しい私的な分野においては、しばしば興味本位の報道がみられるが、これは、本来の知る権利の対象外であるのみならず、プライバシー侵害にもつながるものである。また、犯罪に関するセンセーショナルな事件報道も少なくないが、これは、知る権利に奉仕すべき職責の濫用ともいうべきものであるとともに、被疑者、被告人の人権を無視するものということができる。


日本弁護士連合会は、1976年11月に公刊した報告書『人権と報道』のなかで、犯罪報道による人権侵害が深刻であることを指摘し、報道される人々の名誉とプライバシーが不当に侵害されることのないよう、マスメディアが自主規制による改善を行うよう提言した。しかし、実効性のある具体的改善が十分なされているとはいえない。


2. そのうえ、近時、報道媒体の増加や、過当競争などのせいもあってか、報道による人権侵害は一層深刻になっている。


例えば、災害事故の報道では、遺族にマイクをつきつけたり、無残な遺体の写真報道をするなど、被害者の感情を不当に傷つける取材態度や報道が見受けられる。また、多数の取材陣が個人の住居を長時間包囲して、プライバシーを不当に侵害する過度な取材も生じている。とりわけ、最近の写真週刊誌など一部マスメディアには、個人のプライバシーを侵害するような取材や、営利本位的な報道の態度が目立つ。以上のような報道のあり方は、今や厳しい批判にさらされているといえる。


いかなる人に対しても人権侵害は許されないところであるが、特に公共性・公益性がほとんどない事柄については、被報道者やその家族など報道される側の名誉・プライバシーは十分に配慮されなければならず、了解を得ないしかも行き過ぎた取材や報道は決して行わないようにすべきである。


3. 犯罪報道においては、逮捕という捜査の端緒の段階で、警察発表に依存して、時には誇張や憶測も混えた報道があいかわらずなされている。このような犯罪報道のあり方は、「有罪判決まで無罪が推定される」という原則にもとるうえ、被疑者や被告人の権利行使を困難ならしめるものである。しかも、後日、捜査・裁判の過程で無実であることが判明した場合などには、被疑者・被告人の被った被害はとりかえしのつかないものとなる。こうした弊害を防止するには、捜査情報への安易な依存をやめ、被疑者や被告人の人権に配慮して慎重に裏付け取材を行い、公正かつ客観的な報道を行うとの方針に徹するべきである。


また、犯罪報道による人権侵害を防止する一方策として、報道される事項の公共性、公益性と報道される側への影響を慎重に考慮して、記事掲載や実名掲載の要否を慎重に検討すべきである。そして、原則匿名報道の実現に向けて当面別件逮捕、逮捕前の重要参考人段階、否認事件や物証が乏しくえん罪の疑いがある場合、犯罪の軽重や態様から実名掲載が過酷にすぎるとき等は原則として匿名にし、匿名報道の範囲を拡大すべきである。


さらに、最近においては、マスメディアが確たる証拠もないのに「調査報道」の名のもとに、テレビのワイドショーや週刊誌などにおいて特定の市民の犯罪の疑惑について、繰り返しとりあげるという新しい事態が生じてきている。こうしたマスコミ裁判ともいうべき行き過ぎた報道のあり方は、厳しく戒められなければならない。


4. 一方において、女子差別撤廃条約が批准された現在においても、マスメディアの中には、いまだに女性を蔑視・差別し、伝統的性別役割分業観を助長するなど、女性の人権を侵害する報道もみられる。


女子差別撤廃条約にも明記されているとおり、女性に対する差別は、権利の平等の原則及び人間の尊厳の尊重の原則に反するものであり、男女の定型化される役割に基づく偏見を助長する報道は改められなければならない。


5. もし、マスメディアが報道の本来の使命に反し、興味本位や営利追求のみに堕する態度を一層つよめるのであれば、マスメディアは次第に国民の信頼と支持を失い、マスメディアに対する国家権力の介入や法的規制への口実を与えないとも限らず、その結果報道の自由は衰退し、ひいては民主主義国家の根幹を揺るがすような事態におちいるおそれがないとはいえないであろう。


いま、報道のあり方を反省し、人権侵害を防止することは、焦眉の課題といわなければならない。


そのための具体的方策の一つとして考慮に値いするのは、各マスメディアにおいて、読者、視聴者の人権侵害の苦情を受け付け、これを審査して回答し、審査結果を公開する社内オンブズマンを設置することである。また、マスメディア関係者や有識者の参加による報道評議会等の審査救済機関を導入することも、積極的に検討すべきである。


こうした方策を実現することは、人権侵害の迅速な救済を保障するのみならず、マスメディアにとって、一般の読者や視聴者との信頼の絆を強め、ひいては、万一の場合の権力による介入を防止することにもつながるであろう。


6. われわれは、こうした現状認識のもとにおいて、在野法曹として、不当報道による人権侵害の防止と被害救済のために全力を尽くすことを誓うものである。


マスメディアは、報道の本来の役割を再認識し、自らの意思と努力で事態の悪化を克服しなければならないと考える。われわれは、マスメディアが自らの手で実効性のある措置をとることを強く期待し、その実践のためにあらゆる協力を惜しまない。それが、人権の擁護と報道の自由との調和をもたらし、民主主義社会の健全な発展に資するからである。