中国残留邦人の帰還に関する決議

本文

何人も自国に帰る権利を有する。


第二次世界大戦終結時、中国大陸にとり残された日本人孤児及び婦人など残留邦人に対して、わが国は積極的な保護を加えることなく今日に至った。


わが国の残留邦人に対する長期にわたる消極的対応は、その国籍の取得並びに自国に帰る権利の行使を事実上不可能にしている。このことは残留邦人とその家族に甚大な苦痛と損害を与えており、明らかな人権侵害であるといわなければならない。


すでに戦後40年の歳月を経過し、父母並びに養父母が年々老いるなどして、残留邦人が日本人であることの確認が困難となっている現状にかんがみると、希望する残留邦人の日本への帰還を早急に実現する必要がある。


よって、われわれは国会及び政府に対し


  1. 残留邦人の日本国籍取得手続を速やかに整備し、早期帰還を実現すること。
  2. 帰還者とその家族に対しては、自立を促進する特別の生活保障をするなどの特別立法を含む諸措置を速やかに講ずること。

を要望する。


右宣言する。


昭和59年10月20日
日本弁護士連合会


理由

1. 昭和20年8月15日、第二次世界大戦の終結により、ポツダム宣言において日本国領土とされた範囲外に在住した日本国民は、日本国政府及び連合国軍により内地に順次帰還収容されることになった。


しかるに、中国、特に東北部に在住した邦人は、敗戦の混乱を極めるなかを、ただ一時避難すべしとの命令を受けたのみで、多数の婦女子が食糧も持たず水さえもなく、長途においては数百キロの山野を徒歩でさまよったと伝えられている。このため、進退きわまって数十名、数百名の集団自殺まで生じ、難民収容所に入った後も栄養欠乏による死者、病死者等犠牲者の増大はとどまるところを知らない状態であった。こうした苦境において、多くの婦女子が現地の中国人家庭に引取られあるいは妻として家庭に入り、辛うじて生存を続けることとなった。また逃避中衰弱し、負傷するなどしてとり残され、あるいは死亡したものと思われていた幼児らが、後に中国人家庭に救い上げられて育てられてきた。


昭和24年、中華人民共和国の樹立が宣言されたが、日本国と同国との国交は昭和47年まで回復されることがなかったので、とり残された婦人、児童らはそのまま帰還の途をとざされ、中国に残留することとなった。これがいわゆる中国残留婦人及び残留孤児である。


2. 一方、わが国においては、昭和22年、現行憲法が施行され、基本的人権が不可侵のものとして確立されるとともに、国家統治の利益は等しくこれを国民が享受すべきものとされた。しかるに、本来、同じく日本国民でありながら、残留邦人らは、世界人権宣言にも明記されている「何人も自国に帰る権利」(第13条2項)の行使を阻害された状態で放置され、帰国しえた者も帰還後の生活保障が生活保護法による最低限度の保障だけに抑えられるなど、わが国統治の利益を事実上享有することが出来ないまま、39年の歳月を経過してきている。


3. われわれは、中国残留邦人に対する国の施策と現状を検討した結果、第二次世界大戦終結以来、中国大陸に放置されてきた邦人と、その悲惨な運命に同情と理解をもって、永年生活をともにし、わが国に定住しようとするその家族に対して、現行制度の保護のみでは、結果において幸福に生活する権利を保障するに至らず、他の一般国民との間に不平等と差別を生ずる矛盾のあることを見出した。


  1. 現在の残留邦人等に対する帰還自体については、
    1. 国籍の回復、戸籍の確認については、現行法制のもとでは、肉親が判明し、その肉親において血縁関係のあることを立証するか、さもなければ、これらをすべて残留孤児ら未帰還者自身がその費用を自弁して調査し、立証し、かつ、その手続をしなければならない。しかしながら、前記のような孤児化した状況を考えれば、孤児自身に自分が日本人であることを証明する、あるいは誰の子であるかの証明を求めることが、如何に実態と遊離した空論であり、過酷な要求であるかは明白である。
    2. また、その調査、立証に関する手続を孤児らの費用負担においてなさしめることは、右のような事態の発生原因や状況に照らして過酷であるばかりでなく、日本国内に援助者のない者にとっては多くの場合不可能に近い。
  2. 残留邦人の帰国後の生活維持については、
    1. 日本語教育については、本年から埼玉県所沢市に開設された帰国者センターにおいて、わずか4か月程の教育を受けられるのみで、その他はボランティア等が建設した少数の日本語学校が存在するのみである。したがって、帰還した者らは地理的理由等からほとんど大多数の者がこれを利用できない状態であって、就職のための技能取得にも支障を生じている。更に、就職については、医師、教師等の資格についても何ら特例が認められないため、中国におけるこれらの有資格者も帰還後は肉体的労働によって生活せざるを得ない状況にある。
    2. 現行の措置としては、帰国後の生活維持は、本人または近親者による援助を原則としつつ、それが不可能な場合には生活保護法の適用によるものとされている。
      しかしながら、生活保護は、「生活に困窮する者が、その利用し得る資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われる」(法第4条1項)もので、かつ「扶養義務者の扶養……はすべてこの法律による保護に優先して行われるもの」(同条2項)とされているところ、帰還者においては、40年にもわたる異郷での生活を余儀なくされたために、「活用すべき」資産、能力において著しく不利な条件下におかれており、また、帰還親族に対する近親者による扶養もさまざまな要因によって著しく困難な場合が多く、多くの場合帰還者の「困窮」状況は生活保護法の予測するレベルを遥かに超えたところにある。
      本人の意思にかかわらず余儀なくされたこのような特別事情を考慮するならば、その受給要件、受給額の両面において帰還直後の不適応状態に即した特別立法による生活保障を実現する必要がある。

4. われわれは、中国残留邦人に対する国の施策を検討した結果、残留邦人及びわが国に定住しようとするその家族に対して、前記のような不幸な状態を解決して基本的人権を享有させるため、次の諸点を骨子とした適切な措置が必要であると考える。


よって、次のとおり提案する。


  1. 帰還を希望するすべての中国残留邦人に対して、一般の入国の制度によることなく早期帰還を実現させ、その上で肉親調査ができるよう、また国費により国籍取得をしうるよう立法の整備を講ずべきである。
  2. 帰還した邦人とその家族に対して、
    1. 帰国時より社会に定着するまで、帰還者相互が協力して安住できる受入施設を設置し、定着自立に必要な言語等の基礎知識と就業のための技能取得等の基礎教育を受ける権利を確保すべきである。
    2. 就学、就業に際しては、既に中華人民共和国において取得した資格、学業等が尊重し活用されるよう特例を設けるべきである。
    3. 定着自立に至るまでの必要な期間、帰還直後の生活条件の特別の困難さに即応した特別の生活保護立法を整備すべきである。