誤判の根絶を期する宣言
本文
ここ両年の間にあいついだ免田、財田川、松山の死刑再審三事件における無罪の確定は、現行裁判制度のもとでの死刑確定判決に重大な誤判があったことを証明するに至った。
無罪を言渡すべき者に対して死刑判決を確定せしめた誤判は、刑事裁判に対する国民の信頼を根底からゆるがすものである。
われわれは、右死刑再審三事件の無罪確定を契機として、その深刻な経験に学び、誤判の温床であることがますます明らかになった代用監獄の速やかな廃止、捜査・裁判における自白偏重や証拠資料の不開示等の誤判原因の追及と誤判確定に至る裁判構造の解明、接見交通権の確立、再審法改正の実現等によって、誤判の根絶及び寃罪者の早期救済に向けて全力をつくすことを誓うものである。
右宣言する。
昭和59年10月20日
日本弁護士連合会
理由
1.昨年7月15日、熊本地方裁判所八代支部が言渡した免田事件判決(免田栄氏・同年7月30日無罪確定)、本年3月12日、高松地方裁判所が言渡した財田川事件判決(谷口繁義氏・同年3月27日無罪確定)につづいて、本年7月11日、仙台地方裁判所は松山事件(斎藤幸夫氏)について、無罪の判決を言渡し(同年7月26日無罪確定)、ここ両年の間に死刑再審事件につき、3件にのぼる無罪の確定をみるに至った。
死刑確定者が再審裁判において無罪となり、生還したことはわが裁判史の上において初めてのことであるばかりでなく、世界の裁判史上においてもまた例をみないところである。かかる事例が3件あいついだことは正に衝撃的なことといわなければならない。
2.当連合会は、有罪判決が確定してなお無実を叫ぶ者の訴えに耳を傾け、再審による救済の必要性・相当性を審査の上、人権擁護活動の重要な一環として、再審による無辜の救済につとめてきた。その歴史は昭和34年以来、すでに四半紀に及ぶ。
「開かずの門」といわれた再審が白鳥決定(最高裁第1小法廷昭和50年5月20日決定)を契機として、弘前、米谷、加藤各事件につき再審開始を経て無罪確定をみたあと、死刑再審事件の寃罪者を死刑執行直前の状態から救出し、無罪を確定せしめることはわれわれの年来の悲願であった。そして今日、当面の具体的目標としてきた死刑再審三事件について、ついにこれを実現しえたことを、われわれは人間の尊厳と社会正義の名において、全会員とその喜びをわかちたい。
3.ひるがえって考えると、死刑再審事件の無罪確定は、当該事件の死刑確定判決が誤判であったことの証明にほかならない。
いま、三事件について、死刑確定判決の誤判が明らかになったことの意義は、とくに重大かつ深刻である。
(1)死刑は、その性質上、一旦これが執行されるならば、もはや取返しがつかない。死刑判決における誤判は、したがって、絶対にあってはならないことである。あってはならない死刑判決の誤判が1件ならず3件も証明されたことはまことに驚くべきことである。
(2)三事件は、現行刑事訴訟制度下の死刑誤判事件である。いうまでもなく、現行刑事訴訟制度は、戦後、日本国憲法の制定にともなって、いち早く改革されたものの一つである。基本的人権の尊重を基調として被疑者、被告人の諸権利並びに弁護人依頼権、接見交通権が憲法上の権利として明記されるに至った刑事訴訟制度のもとで、誤判によって極刑が言渡され、これが確定するに至っていることは、現行刑事訴訟制度並びにその運用に対する重大な問題提起となることは疑いない。
(3)これら3事件は、いずれも三審を経て確定している。死刑事件について、公訴の提起から三審を経てなお誤判を抑止・是正し得なかった事実は看過できない。
(4)再審請求に回を重ね、かつ、有罪確定から再審による無罪確定まで松山事件では23年余、財田川事件では27年余、免田事件では31年余の歳月を費消したことも看過しえない。
(5)寃罪者の身柄の拘束が30数年に及び、その間、長年月にわたり、各本人に対し、死刑執行の寸前の状態に追いこんで死刑執行の現実の恐怖にさらし、重大かつ継続的なさまざまな人権侵害をもたらしたほか、その家族等に対しても測り知れない深刻な精神的・物質的損害をもたらした事実は重大である。
4.本来、無罪を言渡すべき者に対し、いかなる原因で逮捕、起訴がなされ、死刑判決の確定にまで至ったのか、その捜査、裁判手続及び判決の構造はいかなるものであったのか、そして死刑確定から再審、更に無罪確定、身柄釈放というわれわれの歴史的な経験、その中に見出される特徴的な諸事実と教訓は、この機会にこそ追及、解明され、現在及び将来の刑事司法に生かされなければならない。そして、これを生かすことによって寃罪者を救済し、誤判の根絶を期することは、われわれ法曹に課された使命であるといわなければならない。
死刑確定判決から無罪へ、の深刻な経験による教訓と、これがわれわれに示す課題のうち、主なものを挙げると次のとおりである。
(1) 代用監獄の廃止
三事件の死刑確定判決の証拠構造においても捜査段階初期になされた自白が決定的に重要な位置を占める。このことは、他の多くの再審無罪事件と共通する。その自白調書の多くは代用監獄制度のもとで作成されている。
われわれはすでに多くの経験によって誤判の悲劇を生む温床は代用監獄にあることを指摘し、機会あるごとにその速やかな廃止を訴えてきたところである。三事件の経験は、代用監獄こそが誤判の温床であることをますます鮮烈に明らかにしたものといわなければならない。
(2) 誤判原因の追及と誤判構造の解明
現行刑事裁判制度のもとでの、3件にのぼる死刑判決の誤判が証明されたいま、なにがかかる重大な誤判をもたらす原因であったか、について深く掘り下げた追求をなし、同時に誤判確定への機序、誤判確定の裁判構造を徹底的に解明することは国民的課題であるといわなければならない。ことに虚偽自白の生成とこれが起訴、裁判の過程で抑止・是正されえなかった捜査、裁判における自白偏重、被疑者、被告人に対する有罪の予断と偏見、更にこれを支えた証拠の不開示、誤った鑑定等、個別具体的に検討を深めるとともに、各相互間の関連について追求がなされなければならない。
(3) 接見交通権の確立
三事件の経験は、初動捜査の段階での弁護人選任権の告知の不十分、被疑者側の弁護人選任権に関する知識の欠如、弁護人の接見交通の不十分、接見交通に対する当局による妨害等が虚偽自白生成の条件を形成したことを示している。
接見交通権は、憲法上明記された権利であるにもかかわらず、これが今日に至るも確立されていない現状にある。そのことがついには誤った死刑判決の確定にまで至ることを三事件の経験は教えるとともに、寃罪事件の続発の可能性をも示唆するものといわなければならない。
われわれは、多くの経験に基づいてすでに接見交通権確立実行委員会を会内に発足されているが、接見交通権の確立と充実はいまこそ緊急を要する課題であるといわなければならない。
(4) 再審法の改正
無辜の救済を理念として、再審理由の緩和、請求人、弁護人に対する再審請求段階における手続的保障、検察官の再審開始決定に対する不服申立の禁止等については、これらを骨子とする日弁連案(刑事再審に関する刑事訴訟法(第4編再審)ならびに刑事訴訟規則中一部改正案)をすでに昭和52年1月に公表し、これが実現に向けて再審法改正実行委員会を組織して活発な活動を展開しているところである。
三事件の経験は、有罪確定から無罪の確定まで余りにも長い歳月を要したこと、その間に再審請求を、回を重ねなければならなかったこと、再審開始決定が検察官の不服申立によって遷延せしめられたことなど、前記日弁連案を基礎とする再審法改正が緊急に必要であることをあらためて示したのである。
5.われわれは、死刑再審三事件の無罪確定という歴史的な事態に際し、これを契機として、三事件の包蔵する深刻な経験に学び、そこから導き出される教訓を、今日及び将来の刑事司法に生かさなければならない。そしてそのことによって、誤判の根絶と寃罪者の早期救済を期さなければならない。われわれは、そのために全力をあげることを誓い、第27回日本弁護士連合会人権擁護大会の名においてこれを宣言するものである。